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2008年12月19日

しまふく寮は永遠に。

 2009年の経営方針に「コンサドーレ・スピリットを持った選手・スタッフを育成する環境創りとチーム強化を目指します」とある。村野GMはコンサドーレ・スピリットを最も強く持った方であり、降格が決まった柏戦の後も怒りの収まらないサポーターの前に真摯に対峙した。もちろん、立場上そうしなくてはならなかったにせよ、村野さん以上にコンサドーレ・スピリットを持った方はいない、と断言してもいいと思う。

 しまふく寮通信の本では最初の日付は2005年11月4日となっていた。
 ブログ上ではほぼ6年前に札幌に来たとあるので、コンサがJ2でもがき苦しんだ時から関わってこられたということになるのかな。今となっては、しまふく寮は選手たちにとってはもちろんのこと、コンサにとって欠くことのできない資産であり財産。りょうぼ。さんが綴ってきたブログは選手とサポーターをつなぐ架け橋にもなった。しま福の厚別開店はそれがより一歩進んだ形となって厚別の価値を引き上げ、観客動員増やサポーター同士の横の交流にも大いに役立ったことと思う。

 プロの世界は1年1年、もっと言うなら1試合、1日1日が勝負の連続。
 その中で自らが生き残ることは時に摩擦や衝突を生む。しまふく寮はそれも含めて見つめてきた。過去ログをチェックしてみると、しまふく寮はりょうぼ。さんでもっているというイメージを勝手に抱いてしまっていたようで・・・。

 りょうぼ。さんに癒されました。(07年9月16日)
 りょうぼ。さんの力。(07年10月26日)
 「しま福」の存在。(08年5月29日)
 りょうぼ。さんの存在。~しま福の存在。の続き~(08年5月31日)
 りょうぼ。さんはやっぱりすごい!(08年7月9日)

 上2つは受け止め方によっては「コイツ、ヤベー!」とか思われそうだけど(汗)。
 知らず知らずのうちに、しまふく寮=りょうぼ。さんという図式ができあがってしまっていた。確かに、りょうぼ。さんが担ってきた役割はすごく大きいんだけど、でも、しまふく寮は決してりょうぼ。さんだけで切り盛りしているワケではなくて、まっつんさんなどのスタッフがサポートしているからこそ成り立っているワケであって。

 6年という月日はあっという間。ユース寮を増やす計画もあるらしいし、若い選手が多いコンサにとって村野GMは頑固オヤジ的な存在としてもまだまだ必要だと思う。ただ、今期の成績を考えれば、単に監督交代というだけでは示しがつかないというか、「ケジメ」をつけなくてはいけないということになってしまうんだろうなあ。
 いずれは村野夫妻ともお別れの時が来る。その意味では降格によるこの人事はいいきっかけになったのかもしれない。とてもつらいし、淋しいことではあるんだけど。バトンを託される蛯沢夫妻はしまふく寮出身。誠にもって失礼な話だけど、選手たちと年齢が近いこともあってうまく線引きができるのかとか、人生経験的な意味でメンタルケアは大丈夫なのかとかどうしても思ってしまう。でも、しまふく寮を知る人物が後を引き継いでくれるということはそれだけでも大きな置き土産。

 選手寮はコンサに限らず他のJのクラブにもある。
 でも、村野夫妻が創ってくれたしまふく寮は、他のクラブには決してない魅力がある。
 ただ「選手を管理する」というだけにとどまらないたくさんのものにあふれている。
 降格という厳しい現実がある一方で、しまふく寮がもたらしてくれたたくさんのものがある。
 変わらずに、また、少しずつ変わっていくしまふく寮であってほしい。
 願わくは、しまふく寮のブログはりょうぼ。さんが札幌を去られた後もどなたかが引き継いでほしい。しまふく寮のブログはコンササポーターにとって大きな楽しみのひとつであることは間違いないからだ。誰か一人が書くということにとらわれず、しまふく寮のスタッフが集う形でもいいと思う。

 ともあれ、村野夫妻には改めて

 お疲れさまでした。ありがとうございます!

 と、ただただ感謝。

posted by フラッ太 |09:39 | ちょっとカタい話 | コメント(2) | トラックバック(1)