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2019年10月24日

宮澤、バンディエラへの道。

>思い入れが強すぎて本人が降臨してアワアワする夢を見た…

 「勝たなきゃ意味がない」

 ルヴァン杯決勝を目前にして宮澤はこう明言した。
 オレはこう言い切ったことに宮澤の決意、覚悟、あるいは使命感をひしひしと感じた。

 と同時に、「もし一昨年の宮澤だったら、四方田コンサだったら果たしてここまでのことができただろうか?」とも思った。それまでは稲本や小野が在籍して、キャプテンを受け継いだとはいえ河合がピッチに立つ姿を見ていた。いわば“お手本”が存在したわけだが、小野が今夏FC琉球に新天地を求めたことでいっそうキャプテンとしての自覚を持ったことと思う。
 いや、何も宮澤が彼らに甘えていたって話ではもちろんなく、数多くのことを学び直接口伝えではなくとも薫陶を受けたことは間違いないだろう。それは一時的にでもキャプテンマークを巻くことが多くなった荒野に対しても同じ思いを持っているんだけど、宮澤は背負うものの重さと背負うことを河合を真似るのではなく自分なりに咀嚼して受け入れていく、表に出すことを意識したのではないかと思う。

 宮澤が喜ばなくなったというエントリーがあった。内村のあのゴールのときも歓喜の輪に加わってはいたものの目が笑っていなかった。それだけチームのことを考えているんだなというのも感じたし、だからこそアウェイ神戸戦のゴールも自分が決めたこと以上に練習通りにできたことを喜んでいた。
 もともと宮澤はあまりボールを持たないプレースタイルで少ないタッチでポンと出す。それはボランチにコンバートされた石崎コンサの時からそうだったが、ダイレクトで出したはいいもののそれが引っかかることも多く「宮澤、雑すぎる!」とか幾度となく叩かれていた。それがだんだんと少なくなり四方田コンサでアンカーに入った時はポジショニングの巧さから「お?これは行けるんじゃね?」と新境地を開いたように思えた。

 捌きの巧さは以前からあって今年のホーム清水戦ではこっそり宮澤無双状態にまでなったが、今年はそれとは違う点でレベルアップしているように思う。少ないタッチでボールを捌くのは早くボールを動かすためと思っていたが、特に今年のミシャコンサでは考え方が変わってきて確実にボールを受けられる、または急所となるスペースに素早く移動するためにボールを捌くというようになってきた。
 一番わかりやすい例がホーム神戸戦でのお膳立て。マリノス戦でサイドを走って守備側の目を引き付けるなどただボールを捌いたり受けたりするだけじゃなくて気の利く動きでゴールをお膳立てすることができている。一見わかりにくいってのが宮澤らしいっちゃらしいんだが(苦笑)。荒野が宮澤と同じ系譜を辿っているというのは何度かブログで書いてきたけど、荒野は豊富な運動量で目につきやすい上に肝心なところでポカをしてしまうために存在感でいえば荒野が悪い意味で目立ってしまっている。本来、荒野ももっと評価されていいはずなんだけどなあ…。

 バンディエラはクラブの象徴とされる。

 その歩みは少し遅かったのかもしれないけど、チャントにもあるように宮澤が“俺らの10番”であることに異論はないだろう。ただし、それはあくまでコンサの内輪に限った話であって宮澤は俺らの10番で終わってはいけないし、終わらせてもいけない。
 本家赤黒のACミランで言えばフランコ・バレージやパオロ・マルディーニがそうであるように、ローマのトッティやリヴァプールのジェラードがそうであるように、(あくまでオレの持論ではあるが)バンディエラはクラブやサポの誇りであると同時に他者から認められ、一目置かれなければならない。

 だからこそ、ルヴァン杯のタイトルが欲しい。

 鹿島の小笠原、ガンバの遠藤、川崎の中村憲剛など彼らと並び称されるようになるには
 是が非でもタイトルを獲らなければならない。なぜなら、そこに行きつくための第一歩だから。

“俺らの10番”から“札幌の10番”へ。

 タイトルはクラブの集大成であると同時に、新たな始まりとなる。
 今こそ、すべての力を!

posted by フラッ太 |21:40 | ちょっとカタい話 | コメント(4) | トラックバック(0)