スポンサーリンク

2021年06月21日

“勘”か、“観”か?

>藤井聡太はあっさりと魔太郎…もとい渡辺明をスイープするのか…

 さて、今回は宮澤びいきとB型のこだわりによる暑苦しい話。
 まあ、ヘンにこだわりを持つのはオレだけかもしれんが(苦笑)。
 くーさんのブログを読んで辿り着いた記事。

 サッカー勘?サッカー観?どっちだ?

 記事では“勘”になっているが、インタビューの流れから恐らくはピッチ上でのひらめき、瞬間的な判断力が養われていると受け取っての“勘”だと思う。ミシャ式は可変システムとか最近ではフルコートマンツーとかピッチ上でとにかく動きが多い。

 一言に動き直しといっても、ひと昔前まではDFラインとの駆け引きでFWくらいにしか求められていなかったのが、最近ではGK込みでビルドアップ、ボールを動かすのが当たり前だから必然的にほぼ全選手が動き直しをしなければならなくなっている。CBが左右に大きく開くなんてのは典型例だね。

 しかしまあ、四方田コンサ時代も空いたスペースを見つけて…とか先読みはそこそこ上手かったと思うが、それでも停滞していたってどんだけだ。年齢を重ねればどうしたって肉体的な衰えはやってくるが、アタマはそうではない。宮澤の「まだ成長できる自信がある」という発言にはそこに確信を持っているということなんだろう。

 一言に戦術がってことでもなくて、いわゆるトレンドはその時によって変わる。今まではスペインサッカーというと「華麗なパスワークでどんな強固な壁も崩す!」っていうバルサのイメージが強すぎたが、ロティーナやリカルド・ロドリゲスがJで指揮を執るようになって「実はそんな絢爛豪華なことを目指さなくてもいいんじゃない?」というのがだんだん浸透しつつある。

 今でこそボールを奪われたら即時奪回!は当たり前だが、石さんが“バルサのサッカー”を志向したのは華麗なパスワークよりもむしろこっちが主眼だったんじゃないか?当時からしたら最先端で理論や落とし込みの方法も確立できていなかった。理想が高すぎたこともあるし、それを可能にするにはあまりにクラブの力が足りなさ過ぎたが、それはJ1で5年目を迎えた今だからこそ振り返ることができるというもの。

 あくまで想像でしかないが、宮澤は石崎コンサの時は自分がどう動くかに考えが行きすぎていて、四方田コンサの頃に人を使うことができるようになって、ミシャコンサになってからはそれが相手選手の動きも含めて“動き動かす”ことができるようになってきた。読みが3手先4手先と深くなっただけでなく複合的な読みに進化しているのではないか。

 前のエントリーでミシャはポジティブに宮澤をCBで起用していると書いたが、
 当の宮澤も(ミシャ式での)CBが面白いと感じているのではないか?

 奥深さ、というとちと安っぽくなってしまうが、ミシャ式によって宮澤の中で新たな発見や気づきがどんどん増えているように思う。宮澤がCBなのはケガ人が戻ってきて駒井がボランチに入れるようになったことも大きいとは思うが、いいだけ暑苦しく書いたからそれはまた別の話ということで。

 宮澤は言うに及ばず、若い才能を引き出すことに長けているミシャ。…頭に手を置いただけでクリリンのパワーを一気に引き上げたナメック星の最長老に思えてきた。坊主頭つながりで大嘉のパワーも一気に上げてくれんかのぅ。

posted by フラッ太 |19:00 | 戦術厨の戯言 | コメント(4) | トラックバック(0)