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2007年05月30日

真・無責任時代

 さて。

 スポーツの世界では、「責任を取る」ということがわりとわかりやすい。

 誰に責任があるのか。誰が責任を取るのか。責任を取るとは具体的にどういうことを行うのか。

 こうしたことが目に見えることで分かることが多い。それはたとえば出場停止や減俸であったり、解雇や更迭といった具合である。

 それは「理由」がはっきり分かるからであり、「結果」がはっきりしているからであり、因果関係がはっきりしている場合が多いからだ。

 責任の「取り方」も大抵は腑に落ちるものだ(ロブソンには責任を取ってもらう、という迷言を残した監督もいたけれど(苦笑))。

 責任のある立場に立つ人間は、その立場の「責任」を理解し、時には覚悟をした上でその職に就く。

 俺はこの世で一番無責任といわれた男~♪

 この歌はあくまでも皮肉っているんだと思うけど、最近の世の中はこの歌を地でいっているような空気がある。それも、本来その「責任」を取るべき人間が、である。

 ドラゴン桜で一躍その名を知られた三田紀房氏の連載中のマンガ「銀のアンカー」の中で、日本はハラキリの文化だ、だから失敗を恐れるといったくだりがある。

 詰め腹を切らされる、という言葉がある。本来責任を取らなければならない立場の人間がその責任を免れることがままある。

 目に見える事実ばかりにとらわれてはいけないのだが、これが意外と難しい。目に映る事象はインパクトが大きいから、どうしてもそのことばかりに意識が集中して、その前後のことや背後関係に目がいかなくなってしまう。

 水戸黄門の世界みたいにわかりやすい世の中ならともかく、現実はそうもいかないわけで。

 だからこそ、せめてスポーツの世界くらいはと思ってコンサやファイターズを見ているのかもしれない。

 ちょっと無理矢理だったかな。

 では。

posted by フラッ太 |18:05 | コメント(0) | トラックバック(0)

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