2008年04月30日
柔道。
昨日の全日本選手権。 井上康生が何かと注目されていたが、準々決勝で敗退し北京への道は絶たれた。 石井慧が代表の座を掴んだのだが、何となく後味の悪さが残った。 鈴木桂治を後2秒で一本勝ちまで追いつめながら結局は優勢勝ち。問題はその過程。警告やら指導やらでポイントに差がついたのだ。 ふと思った。 別に優勢勝ちでも勝ちは勝ち。なのに、イマイチしっくり来ないのはなぜなのだろう? 日本の柔道の「本当の勝ち」はあくまでも一本勝ちであって、優勢勝ちはただ勝っただけ、ということなんじゃないだろうか。ルール上消極的な試合運びは指導などをとられるが、それはただの「ポイント」でしかない。 柔道が「JUDO」になってしまったのもこのあたりにあるような気がする。 だから、一本勝ちでなければ優勝でも代表になれないかもしれないという事情があったにせよ、井上康生が内股を狙いにいって敗れたことには納得がいくというか「本物の柔道」を見せてもらったというか、ただの勝ち負けを超えた何かがあった気がしたのである。 スポーツ紙では引退の文字が踊っている。井上康生の吹っ切れた(ように見える)表情がある。 きっと、自分の柔道をやりきったということなのだろう。 代表選手には「柔道」で北京を湧かせてほしい。
posted by フラッ太 |09:05 | スポーツ | コメント(0) | トラックバック(0)
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