2021年08月02日
昔の金具とスキー授業
初めてスキーを買ってもらった頃は この金具でした。小学校から高校まで スキー授業が嫌だったな~。 高校では楽しみな体育の授業が 2週間に1度となってしまい その1度は札幌藻岩山スキー場に直行直帰。 体育館でバスケとかやる方が 自分としては楽しいんだけどな~。← わがまま ユースの鹿島戦は前半終了0-0。
posted by hiroki |16:43 | レトロな話 |
2021年01月12日
修学旅行、どこ行きました?
ラジオを聴いていたら修学旅行の話題が。 何だか急に自分の修学旅行が懐かしくなりました。 ということで、私の修学旅行ルートを書き残します。 ちなみに私は高校卒業まで札幌市南区の住民でした。 【小学6年生】 1日目:学校近くの国道 (R230) に集合 千歳空港 ~ 白老ポロトコタン ~ 倶多楽湖 (昼食) ~ 地獄谷 ~ 伊達経由で洞爺湖畔 (光風園) 2日目:洞爺湖畔 ~ 中山峠 ~ 自宅近くの国道 【中学3年生】 1日目:学校に集合 ~ バスで札幌駅北口 ~ 臨時列車で函館 青函連絡船 ~ 青森 ~ 馬門温泉ホテル 2日目:馬門温泉ホテル ~ 弘前城 ~ 十和田湖休屋 (パークホテル) 3日目:十和田湖休屋 ~ 遊覧船観光 ~ 奥入瀬渓流 ~ 萱野高原 ~ 青森 ~ 青函連絡船 ~ 横津岳の研修施設 4日目:横津岳の研修施設 ~ トラピスチヌ修道院 ~ 立待岬 函館駅前和光デパート (昼食) ~ 国鉄ストライキのためバスで学校へ 【高校2年生】 1日目:札幌駅に集合 ~ 臨時列車で函館 ~ 青函連絡船 ~ 青森 ブルートレイン乗車 2日目:上野 ~ 東京 ~ 新幹線で京都へ ~ バスで奈良へ 法隆寺 ~ 唐招提寺 ~ 薬師寺 ~ 奈良市内 (ホテルさるさわ) 3日目:奈良市内 ~ 東大寺 ~ 京都へ移動 ~ 清水寺 ~ 二条城 鹿苑寺金閣 ~ 平安神宮 ~ 京都市内 (ウオジ苑) 4日目 (自由行動) : ⇒ 慈照寺銀閣 ~ 比叡山頂上 ~ 東寺 ~ ウオジ苑 5日目:京都 ~ 新幹線で東京へ ~ 半日自由行動 ~ ブルートレイン乗車 6日目:青森 ~ 青函連絡船 ~ 函館 ~ 札幌 割と記憶に残っているものですね。旅館の名前まで (笑) 中学校のが1番楽しかったな。 高校の時は2日目~3日目が地獄のスケジュールでクタクタでした。 私立高校だと往復航空機利用で7泊ぐらいしたみたいですね。 お小遣いを多めに持って行き、かなり残してきたので 帰りに札幌駅名店街でLPレコードを2枚買って帰途につきました。
posted by hiroki |16:59 | レトロな話 |
2020年09月28日
半沢ロス
半沢直樹 が終わってしまい 日曜の楽しみが無くなってしまった感じで寂しいです。 ところで、ドラマでは 頭取 が重要な役の1人であったわけですが その言葉を耳にする度に私の頭には 1960年代の初めに放映が開始された アメリカのコメディドラマ じゃじゃ馬億万長者 の 頭取 さんが 浮かんできてホント困ったもんです (笑)片田舎に住む一家の家長ジェドさんが獲物を狙って撃ったら 外れて地面に穴が開き そこから石油が溢れ出して億万長者となり ビバリーヒルズ高級住宅街の大豪邸で暮らすという話です。 そのお金を預かる銀行の頭取さんが ジェドさん一家に振り回されるシーンはとても愉快でした。
このコメディドラマは私が確か小学校低学年の頃 日曜の朝10時から放映されていたと記憶しています。 その前の9:30からは ミユキ野球教室 だったんじゃないかな。
posted by hiroki |00:30 | レトロな話 |
2020年09月25日
欲しかったけど我慢しました
新さっぽろサンピアザ ⇒ dUo -1 の4Fに 様々なジャンルのプラモデルを販売している店舗があります。ウルトラホーク1号とかジェットビートルとか 本気で買おうかなと思ったけど今日のところは我慢しました。 でも店舗エリアから出る時は後ろ髪を引かれたな~。 ホーク1号は子供の頃に買ってもらった事があります。 アルファ号・ベータ号・ガンマ号の3機に分離するのがカッコイイ!
posted by hiroki |14:22 | レトロな話 |
2020年08月07日
アイヌさんとのバイト経験
ウポポイを紹介する番組を見ていたら 狸小路で店員のアルバイトをしていた頃を思い出しました。 工業高校を卒業し、長男だというのに東京の会社へ。 でもいろいろと上手く行かず僅か4か月半で札幌に帰りました。 友人の紹介により8月から 狸小路5丁目にあった札幌観光センターという民芸品店でバイト開始。 社長を始め上層部はアイヌさん。 あとは私を含めた長期バイトと大学生の短期バイトで構成。 大倉山ジャンプ競技場などへ出向いて 団体観光客を店に招いていた営業部長のマーさんはとても面白い人。 同じ長期バイトのお兄さんお姉さんにかわいがられながら 当時でも格安の時給350円で 開店10時から閉店22時まで楽しい店員生活を送りました。 (今なら完全アウトですね) さすがに拘束時間が長すぎるので約1ヶ月後以降は 常務さんが10時出勤~終了は16時以降いつでもOKに変えてくれました。 ドジって何千円もする熊の木彫りを落として割ってしまった時は 社長が目を細めて 「気にしなくていいよ~」 と声をかけてくれました。 長期バイトには非常に優しい人でした。 短期バイトさんが同じ事をやった時は弁償でした (笑) 店の前で熊を彫っていた寡黙なアイヌさんが ある日コーヒーを買ってきてニッコリ微笑みながら私に渡してくれました。 ぶっきらぼうだと思っていたら 実は優しい人だったんだなと感激しました。 近くに 「名もない喫茶店」 という店があり マスターや店員と仲良くなって休憩時間などによく通いました。 またその店は高校時代の仲間たちが集う場所でもありました。 たわいもない昭和50年代半ばの思い出話。 アイヌさんの話は少しだけでしたが こうして文字入力しているだけで古き良き当時の事が つい先日だったかのように思い出されます。
posted by hiroki |20:30 | レトロな話 |
2020年06月10日
懐かしい列車たち
小樽市総合博物館 (入館料400円) にて。今は当たり前に乗車する特別急行列車 (特急) も 昔は高級感が漂っていました。 特急 「北海」 は小樽経由で札幌と函館を結んでいました。
昔は主流だった急行列車も、北海道では耳にしなくなりましたね。 もしかしたら 「はまなす」 がラスト?
このタイプの急行列車もあったと思います。
これは普通列車でよく使用されていたけど急行もありました。 この博物館は見応えがあります。 でも埼玉の鉄道博物館には負けますけどね。あそこは別格ですから。
posted by hiroki |16:13 | レトロな話 |
2020年02月04日
ガラダマ
今日はコンサネタが見つからないのでレトロな話をします。 ウルトラQの第13話 「ガラダマ」 で登場したモンスター ⇒ ガラモン 先にモンスター操作用の電波を発信する小さな隕石を地球に放ち 続けてモンスター本体の入った大隕石を送り込むという設定。 目的は地球侵略。 モンスターは小さな隕石がある東京を目指しますが 登場人物の毎日新報記者:江戸川由利子の機転により 小さな隕石に電波遮断網を被せてモンスターの動きを止めるというエンディング。 1966年放送の番組でしたが、実に秀逸なストーリーです。 ちなみにこの話には続編もあります。 ⇒ 「ガラモンの逆襲」このモンスター 「ガラモン」 は ウルトラマンでは 「ピグモン」 として登場し人間の味方だったのでしたが イデ隊員を助けるため囮になり 怪獣酋長ジェロニモンの超能力で生き返った彗星怪獣ドラコに 「なんだ目障りな奴!」 と左手で叩き殺されるという 気の毒な運命でした。
posted by hiroki |18:15 | レトロな話 |
2018年08月21日
とっても訳せない味
なんだか懐かしいよね〜。
posted by hiroki |19:30 | レトロな話 |
2017年01月09日
Gソフトを求めて
そ~いえば14日に予定されているキックオフイベントの詳細が あと5日後なんだけど、まだ公表されていませんね。明日あたりかな?昭和60年の話。 当時の勤務先だった日高町 (占冠村の南) から その2年前に誕生し激売れしていた任天堂ファミリーコンピュータを買いに 遥々90km先の帯広まで出かけたものの、どの店も売り切れ状態。 そこで店員からファミコンより優れた物が新発売されたと言われ 実際に画像を見て納得し購入したのがSEGA・マークⅢというゲーム機。 マークⅢより前の型、SEGAのSG-1000用ソフトである ホーム麻雀 が急に欲しくなり それからしばらくの間、このゲームソフト探しに東奔西走した休日。 既にSEGAの家庭用ゲーム機としてはマークⅢ用ばかりが店頭に並び このような古いソフトはなかなか見つからず・・・・・・。 日高町から、静内 (100km)、富良野 (70km)、帯広 (90km)、苫小牧 (100km) そして家へ帰省した時は札幌市内全般を探しまくりました。 とうとう発見したのは、門別 (70km) でした。 少し古びた小さな店だったと思います。ショーケースに置いてあるのをみて感動! 苦労の末に入手したホーム麻雀ですが どれだけ熱中して遊んだかと言うと・・・・・・ (^_^;) 探し回っている内に、見つけることが最大の目的に変わっていたのでしょうね。 しかし廃棄せず今でも家に残っているわけです (笑) ゲーム機も残っているので、今でも遊ぼうと思えば遊べるはず。 でもヤル気なし。
posted by hiroki |09:53 | レトロな話 |
2014年04月10日
レトロな感じ
明日の昼ごはんで食べてみます (^ー^)
posted by hiroki |19:32 | レトロな話 |
2013年09月04日
修学旅行
ふと思い出す修学旅行の1シーン (笑) 小学校の修学旅行は、札幌を南下してまずは千歳空港。 太平洋岸を西へ進み、白老ポロトコタンに寄り 次はクッタラ湖でお弁当タイム。あとは登別地獄谷などを巡り 室蘭経由で洞爺湖へ。光風園という旅館に宿泊しました。 さて、決められたお小遣いの限度額は500円。 当時の物価からみても少々安いのでは?という金額。 私は真面目過ぎたのか財布には500円のみでしたが、旧友のNは3000円ぐらい。 そのNですが、旅館を出てのお土産購入タイムでは 大金を持って気が大きくなったのか、やたら沢山買い込んでいました (笑) そして部屋に戻ると、家への土産に買ったわかさいもやら何やらを ガンガン食べまくってしまい、最後に残ったのは孫の手1本 (笑) しかも消灯時間が過ぎ、眠りそうになったタイミングで ベロンベロンに酔っぱらった超ゴツい担任の先生がおもむろに部屋へ入って来て 熟睡目前のNの上に乗っかって寝てしまい、Nは半べそ状態 (笑) 先生はやがて部屋から出て行ったけど みんな目が冴えちゃって。そんな感じで私なんかは一睡もせず朝を迎えたっけ。 毎日顔を合わせているクラスメイト達ですが こうやって旅館で一夜を過ごすのは初めてだから 気が高ぶって寝れたもんじゃありません。 家に着いたら直ぐに眠くなり、休日だった翌日は多分昼まで爆睡していたと思います。
posted by hiroki |20:08 | レトロな話 |
2013年08月17日
懐かしい公園
13日に親・妹とお墓参りへ行ったあと藤野の実家に寄り 藤野エリアをグル~っと散歩してみました (暑いのに・・・) 。 そして最初に通ったのが懐かしの十五島公園。 昔は定山渓鉄道 (現:じょうてつ) の持ち物でしたが、その後は札幌市が管理。 幼少時代、「おまえは体が弱いから毎日3時間は外遊びをしなさい」 と親に命ぜられ 実家から子供の足で15分の十五島公園へ毎日のように (春~秋) 行きました。 昭和40年頃の十五島公園は炊事遠足、会社や大学のレク、家族レジャーなどで 非常に賑わっていました。 定山渓までの鉄道が運行していたのもありました。吊り橋は今も健在です。
この日も家族連れが結構いました。 正直、誰~もいなくて、閑散としているのかな?と思っていました。
乗り物のエリアも健在でした。 鉄棒・すべり台・ジャングルジムなど、昔と同じ位置にありました。
毎日のように来ていた幼少時代に 親からもらった20円か30円で、お昼に菓子パンを買ったのがこの売店でした。
当時の藤野 (国道230号線の豊平川方向) は 実家付近には家がポツンポツンと点在する程度で 同じ年頃の子供がいませんでした。 私は幼稚園へ行かなかったので、十五島公園では1人ぼっちが多かったのですが 時々 「坊や、一緒に遊ぼうヨ!」 と声をかけられたりして 女子大生や若いOLさんが遊び相手になってくれました。 幼稚園や保育園で同じ年頃の仲間と遊びの中で集団生活などを身に着けていた時期に 前述のような日々を送っていた幼少の頃。 十五島公園は、幼少時代に少し変わった経歴を持つ私の思い出が詰まっている場所です。
posted by hiroki |10:20 | レトロな話 |
2013年08月10日
時間ですよ~!
あまりの蒸し暑さに寝苦しくて、たまらずフトンから出たのが深夜2時過ぎ。 夏休み真っ只中で、いくら寝坊してもOKだから そのまま起きちゃいましたヨ(^o^) いまCSで 『時間ですよ』 (第3シリーズ) 放映中。 それを横目でチラ見しながらの文字入力。 『時間ですよ』 の第3シリーズは浅田美代子が芸能界デビューした作品で ほかに天地真理や研ナオコらも出演。 若かりし樹木希林(当時は悠木千帆)が、浜さん役として 堺 正章・浅田美代子との絡みで大いに笑わせてくれます(^o^) 今日の予定は・・・・・・ このまま朝までこんな感じで過ごし、朝食後には多分睡魔に襲われ、気づいたら昼前。 高校野球を第2試合途中からテレビ観戦し、そのまま帯広大谷の応援。 夕方、町内を散歩した足でコンビニに寄り横浜FC戦のチケット購入。 ・・・・・・という感じでしょうか (^-^)
posted by hiroki |04:29 | レトロな話 |
2013年06月23日
息子から聞いたレトロな情報
息子から初代の人生ゲームらしきものを某店で見かけたという話を聞きました。 私が小学校の3~5年生だった頃、家の近くに東京タイルという会社の倉庫があり そこを遊び場にしていた近所の仲間たちと薄暗い倉庫の片隅に人生ゲームを広げ 時間の経つのも忘れて遊んだのを覚えています (^o^) 日本で発売された初代の人生ゲームは1968年だそうですが 二代目は1980年に出ているので、倉庫で楽しんだのは初代で間違いなさそう。 そういえば息子は中学の修学旅行に人生ゲームを箱ごと持参したという強者(笑) DNAは受け継がれているようです。
posted by hiroki |21:23 | レトロな話 |
2013年06月05日
これを見てガブリ!と
このシーンを見てピンときた人は、人生のベテラン(笑) ちょうど高校生の終わり頃 この番組(再放送)のオープニングテーマを見て随分と影響を受けたものです(笑) 卒業して東京の会社に入社したのですが 札幌の実家に頼んで時々コンビーフ缶を送ってもらいました。 朝、起きがけにコンビーフの缶を開け、そのままガブリ!とやるのが楽しみでした。 今それをやったら、おそらく胸焼けすると思います(笑)
posted by hiroki |21:32 | レトロな話 |