2014年04月10日
レトロな感じ
明日の昼ごはんで食べてみます (^ー^)
posted by hiroki |19:32 | レトロな話 |
我が町にプロサッカーチームがあることの幸せ。
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ふと思い出す修学旅行の1シーン (笑) 小学校の修学旅行は、札幌を南下してまずは千歳空港。 太平洋岸を西へ進み、白老ポロトコタンに寄り 次はクッタラ湖でお弁当タイム。あとは登別地獄谷などを巡り 室蘭経由で洞爺湖へ。光風園という旅館に宿泊しました。 さて、決められたお小遣いの限度額は500円。 当時の物価からみても少々安いのでは?という金額。 私は真面目過ぎたのか財布には500円のみでしたが、旧友のNは3000円ぐらい。 そのNですが、旅館を出てのお土産購入タイムでは 大金を持って気が大きくなったのか、やたら沢山買い込んでいました (笑) そして部屋に戻ると、家への土産に買ったわかさいもやら何やらを ガンガン食べまくってしまい、最後に残ったのは孫の手1本 (笑) しかも消灯時間が過ぎ、眠りそうになったタイミングで ベロンベロンに酔っぱらった超ゴツい担任の先生がおもむろに部屋へ入って来て 熟睡目前のNの上に乗っかって寝てしまい、Nは半べそ状態 (笑) 先生はやがて部屋から出て行ったけど みんな目が冴えちゃって。そんな感じで私なんかは一睡もせず朝を迎えたっけ。 毎日顔を合わせているクラスメイト達ですが こうやって旅館で一夜を過ごすのは初めてだから 気が高ぶって寝れたもんじゃありません。 家に着いたら直ぐに眠くなり、休日だった翌日は多分昼まで爆睡していたと思います。
posted by hiroki |20:08 | レトロな話 |
13日に親・妹とお墓参りへ行ったあと藤野の実家に寄り 藤野エリアをグル~っと散歩してみました (暑いのに・・・) 。 そして最初に通ったのが懐かしの十五島公園。 昔は定山渓鉄道 (現:じょうてつ) の持ち物でしたが、その後は札幌市が管理。 幼少時代、「おまえは体が弱いから毎日3時間は外遊びをしなさい」 と親に命ぜられ 実家から子供の足で15分の十五島公園へ毎日のように (春~秋) 行きました。 昭和40年頃の十五島公園は炊事遠足、会社や大学のレク、家族レジャーなどで 非常に賑わっていました。 定山渓までの鉄道が運行していたのもありました。 吊り橋は今も健在です。 この日も家族連れが結構いました。 正直、誰~もいなくて、閑散としているのかな?と思っていました。 乗り物のエリアも健在でした。 鉄棒・すべり台・ジャングルジムなど、昔と同じ位置にありました。 毎日のように来ていた幼少時代に 親からもらった20円か30円で、お昼に菓子パンを買ったのがこの売店でした。 当時の藤野 (国道230号線の豊平川方向) は 実家付近には家がポツンポツンと点在する程度で 同じ年頃の子供がいませんでした。 私は幼稚園へ行かなかったので、十五島公園では1人ぼっちが多かったのですが 時々 「坊や、一緒に遊ぼうヨ!」 と声をかけられたりして 女子大生や若いOLさんが遊び相手になってくれました。 幼稚園や保育園で同じ年頃の仲間と遊びの中で集団生活などを身に着けていた時期に 前述のような日々を送っていた幼少の頃。 十五島公園は、幼少時代に少し変わった経歴を持つ私の思い出が詰まっている場所です。
posted by hiroki |10:20 | レトロな話 |
あまりの蒸し暑さに寝苦しくて、たまらずフトンから出たのが深夜2時過ぎ。 夏休み真っ只中で、いくら寝坊してもOKだから そのまま起きちゃいましたヨ(^o^) いまCSで 『時間ですよ』 (第3シリーズ) 放映中。 それを横目でチラ見しながらの文字入力。 『時間ですよ』 の第3シリーズは浅田美代子が芸能界デビューした作品で ほかに天地真理や研ナオコらも出演。 若かりし樹木希林(当時は悠木千帆)が、浜さん役として 堺 正章・浅田美代子との絡みで大いに笑わせてくれます(^o^) 今日の予定は・・・・・・ このまま朝までこんな感じで過ごし、朝食後には多分睡魔に襲われ、気づいたら昼前。 高校野球を第2試合途中からテレビ観戦し、そのまま帯広大谷の応援。 夕方、町内を散歩した足でコンビニに寄り横浜FC戦のチケット購入。 ・・・・・・という感じでしょうか (^-^)
posted by hiroki |04:29 | レトロな話 |
息子から初代の人生ゲームらしきものを某店で見かけたという話を聞きました。 私が小学校の3~5年生だった頃、家の近くに東京タイルという会社の倉庫があり そこを遊び場にしていた近所の仲間たちと薄暗い倉庫の片隅に人生ゲームを広げ 時間の経つのも忘れて遊んだのを覚えています (^o^) 日本で発売された初代の人生ゲームは1968年だそうですが 二代目は1980年に出ているので、倉庫で楽しんだのは初代で間違いなさそう。 そういえば息子は中学の修学旅行に人生ゲームを箱ごと持参したという強者(笑) DNAは受け継がれているようです。
posted by hiroki |21:23 | レトロな話 |
このシーンを見てピンときた人は、人生のベテラン(笑) ちょうど高校生の終わり頃 この番組(再放送)のオープニングテーマを見て随分と影響を受けたものです(笑) 卒業して東京の会社に入社したのですが 札幌の実家に頼んで時々コンビーフ缶を送ってもらいました。 朝、起きがけにコンビーフの缶を開け、そのままガブリ!とやるのが楽しみでした。 今それをやったら、おそらく胸焼けすると思います(笑)
posted by hiroki |21:32 | レトロな話 |
昔こんな電話機が家にあった人は、それなりの年齢(笑)
私の家(実家)に電話機がついたのは小学校高学年の頃で
かなり遅い方だったと思います。
写真のような黒電話ではなく、当時はシャレた感じのグリーン電話。
公衆電話ではないですヨ (^_^;)
あの当時、今普通に使っているスマートフォンの出現なんか夢にも思わなかった。
これから数十年後には一体どんなものが世に出るのでしょうね。
日本 vs オーストラリア。現在ハーフタイム中。
このままスコアレスドローで終わると予想します。つまり今日で決まるということ!?
posted by hiroki |20:34 | レトロな話 |
私は札幌市立藤の沢小学校に6年間通いました。 家から15分歩いてバスに1区間乗り、更に15分歩くという小学校にしては長距離の通学。 小鳥の村小学校なんて俗称もありました。スローガンは愛鳥愛人。 冬になると思い出すんですけど…… 小学校の近くに、栄養短期大学と、その附属女子高などがありまして 女子高では割と上下関係が厳しい面があったようです。 僕らの学校帰り、時々見かけた光景の話。 「アンタ、生意気だよ!」「そうだ!そうだ!」 「どうしてですか?私が何かしたんですか?」 「そうやって反抗するから生意気だって言ってるんでしょ!」 下級生を生意気呼ばわりするのは、大抵マツコ・デラックスみたいな人で 目つきの悪そうな腰巾着っぽい姉さんが2人くらい付いてます。 因縁つけられている下級生はナゼか美人のお姉さん(に見えてしまう)。 正義感の強い僕らワルガキ小学生軍団が 生意気呼ばわりされている方を助けようとするのは自然の道理(笑) 雪山の影から上級生に雪玉爆弾を投下し続けます。 「ほんっと~にアンタ、生意気だわ!」 …… 雪玉命中 「その着ているコート、何なのさ!服装も生意気!」 …… 雪玉命中 「下級生のくせに!」 …… 雪玉命中 「………………」 突如、僕らの方を振り向く上級生。 「ちょっと、アンタ達、いい加減にしなさいよ!」 『わ~っ!逃げろ~!』 と四方八方へ散る僕ら。 そしてまた元の場所へ戻り、雪玉爆弾の再開。 「いい加減にしなさいって言ってるでしょ!」 『わ~っ!逃げろ~!』 と四方八方へ散る僕ら。 こういうのを大体3~4回繰り返すうち 『もう、やってられね~よ』 という感じで上級生たちは去って行きます(^o^) そして因縁をつけられていたお姉さんから 「ボクたち凄いね~!追っ払ってくれてありがとう~(^o^)」 と褒めてもらい 満面の笑みで喜ぶ僕ら小学生。 今日は正義感の強いワルガキどもの話でした。舞台は札幌オリンピックの頃です。
posted by hiroki |19:16 | レトロな話 |
先月27日、那覇空港にて。 搭乗待合室に入るまでの時間があり余って、空港内をブラブラしていた時に 2つの懐かしいマークが目に入りました。 JALは鶴に戻すっていう話を聞いたことがあったから特に感動しなかったけど ANAの懐かしいマークを見れるとは思っていなかったので何だか嬉しかったです。 この不思議なマーク、レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターからきているそうです。 それを知るまで、このマークの意味が不明でした。 実は、意味を知ったのがつい数分前(笑) ようやく、物心ついて以来数十年の謎が解けました(^o^)
posted by hiroki |22:17 | レトロな話 |
1964年(昭和39年)、チーズが浸透していなかった当時としては斬新なフレーバーで ごはん以外に洋食(トーストやサラダ)にも合うという発想に基づき 開発された 洋風ふりかけ チズハム 。 「もう一度食べたい!」 という、多くのご要望にお応えして復刻しました。 と裏面に書いてあります。 昭和39年から何年まで売っていたのかなぁ。 風車と民族衣装の女の子が、何となく頭の片隅に残っているような気もします。 それで気になり買い物かごへ入れました。 それが……このふりかけ、私にとっては 半端ない美味しさ (^ー^) ど真ん中のストライク! また買って食べようかな~ (^o^)
posted by hiroki |20:05 | レトロな話 |
私の中でとても大好きな歌があります。 とても古い歌なので、このブログを読んでいらっしゃる方の大半は知らないでしょうね (笑) 山をひとつ越えたら そこは誰も知らない 地図にさえも載らない 町があるのさ その町で いい事がありそうな気がするよ ♪ これは私が小学5年の時によく耳にした 何かいいことありそうな という歌のフレーズ。 歌っていたのはピンキーとキラーズです。 私の実家から空沼岳という山が見えるのですが 当時まだ子供だった私は、その山の向こう側に誰も知らない町があるかもと妄想していました。 父の仕事につき合って実家から少しだけ空沼岳に近い所へ行ったことがあって その時はこの歌を1人で口ずさみながら父に 「あの山の向こうに町があるよ」 と あんまりしつこく言うものだから 「うるさい!そんな町あるわけないだろ!」 と怒鳴られ とても落ち込んだ思い出があります (笑) コンサドーレは1998年にJリーグという名の山を初めて登り 2001年と2008年と2012年にはJ1という名の山も登りました。 2001年は少しだけゆっくり出来たけど それ以外は山を登りきれずに下山しちゃった感じがします (^_^;) いつかしっかり登って、山の向こう側に何があるのかを見れる日が来て そこで何かいいことがあってほしい…… この歌を久々に聴いて、そんなことを思いました。
posted by hiroki |19:45 | レトロな話 |
デスクの片隅に置いていたけど 『いい歳して……』 と言われたらショックを受けるので (笑) その前に自宅へ持って来ました (^o^) ジェットビートル (ウルトラマン) ウルトラホーク1号 (ウルトラセブン) 『いい歳して……』 と言う人がいたとしても これらを知っているとは限りませんけどね (^_^;)
posted by hiroki |18:37 | レトロな話 |
この写真、中央上にいる緑のカエル。 幼い頃に近所の人からもらったことがあって もう可愛くて可愛くてたまりませんでした。 小学校を卒業するぐらいまで枕の近くに置いて寝ていた記憶があります。 ほかにも幾つかの小さい人形を枕元に並べていたと思いますが 特にこのカエル君には愛着がありました。 実は29日に白恋パークのおもちゃ博物館で偶然見つけたのです (^-^) 子供の頃は物が捨てられない性格で おもちゃ箱に入っている古いブリキの自動車とか いつまでも持っていたっけなぁ~と思い出します (^-^) 新しい靴を買ってもらった時 店員が 『古い靴は捨てますか?』 と言うと母が 『そうして下さい』 と返し 幼い私は 『かわいそうだなぁ』 と涙をボロボロ流していました。 北の国からでも捨てられた靴を探しに行くシーンがありましたっけね。
posted by hiroki |18:18 | レトロな話 |
4月2日に水戸の偕楽園で見たベンチですが 何となく懐かしい気持ちになりました。 商品名が書いてあるベンチって、子供の頃から公園などでよく見かけたっけな~。 まぁ、今でも普通にこういうベンチがあるのでしょうけど この時はとても懐かしく思ってシャッターをきらせていただきました。
posted by hiroki |18:53 | レトロな話 |
1950年台あたりにアメリカの街で見かけそうなポスターだと思いました。 早くリーグ戦が始まらないかな~。
posted by hiroki |18:32 | レトロな話 |