コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2008年08月12日

栄光のジャンプ台 <続編>

宮の森ジャンプ場から車で5分もかからない位置にある大倉山ジャンプ競技場。

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ここでは1972年2月11日…… そう宮の森に3本の日の丸が揚がった5日後
1人の青年にかけた期待が余りにも大き過ぎて、日本中がショックを受けた日でした。
 ↑ ↑  ちょっと大袈裟かも (^_^;)

1本目、106mを飛んで2位につけた笠谷幸生。
1本目首位だったフォルトナ (ポーランド) が、2本目は87.5mという失敗ジャンプ。
それでもゼッケン50番の笠谷が飛ぶまではフォルトナが首位に立っていました。
世界一美しい姿勢で飛ぶ笠谷は、多少飛距離で劣っても飛型点で挽回できるため
2本目は91~92mあたりに着地を決めれば首位に立てたのです。
いつもの笠谷なら失敗してもこのぐらいの距離は軽く超えます。

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しかし踏み切った笠谷を、突如吹いた悪魔のような横風が襲います。
空中でバランスを崩し一気に落下する笠谷…… 飛距離はなんと85m。
最終順位は7位に終わり、入賞も逃してしまいました。
  ※ 当時は6位までが入賞でした。現在は8位以内です。

でも笠谷さんは、国民の大きな期待を背負い続けて
プレッシャーの中で日本史上初の金メダルを獲得し、本当に立派だと思います。
札幌五輪前、年末年始に開催される伝統のヨーロッパジャンプ週間で
(約1週間で4戦行い、総合優勝も争う。)
3戦まで連続優勝し、史上初の完全優勝か!と期待されながら
日本での五輪代表選考会に出場する兼ね合いから最終戦を出場辞退しました。
この時は、開催地から 「日本へ帰らずに最終戦も出てほしい!」 という声もあったし
選考会免除で五輪出場権を与えるという話も受けながら
「正々堂々と五輪出場権を争いたい。」 という
本人の固い意志で日本に帰国したという経緯がありました。

本当にカッコイイ青年…… 今でも充分カッコイイ人です。笠谷幸生さんは。

今日は、そんな昔のことを回想しながらのジャンプ台巡りでした。

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〔大倉山から臨む札幌の街並〕


posted by hiroki |20:34 | スポーツの話 |

2008年08月12日

栄光のジャンプ台

1972年2月6日、日本中の感動を呼んだ場所。
今日は、その地へ行ってみました。

1956年のコルティナダンペッツォ (イタリア) 大会で
猪谷千春が男子回転において銀メダルを獲得したのが
それまでの冬季五輪で日本唯一のメダルでした。

そしてこの日、晴れ渡った宮の森ジャンプ競技場で
笠谷・金野・青地の3人が表彰台を独占する大快挙を成し遂げたのです。

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〔4位:モルク、5位:ラスカ、6位:フォルトナ…… 懐かしい名前です〕
 ※ フォルトナは5日後に大倉山シャンツェで金メダルを獲得。

売店も何もなく大倉山のような観光色はありませんが、900~1700まで開放しています。

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この後、我々 (実家の両親&妹) は、すぐ近くの大倉山ジャンプ競技場へ移動しました。


posted by hiroki |18:21 | スポーツの話 |