コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2007年01月07日

現地観戦記のタイトル

私は1998年シーズン途中からコンサドーレの試合を競技場で観戦するようになり
2002.3.16からは応援のHPを立ち上げ(娘の指導により)、現在に至っています。
そのHPの中に現地観戦記というコンテンツがあり
1999年以降は冒頭に、その年の展望みたいな事を書いていました。
自分で書いたものって案外読み直したりしないんですよね(^ ^;)
今回は読み直す意味も含め、冒頭に表現した文言を書いてみようと思います。

[1999(平11)年]
「正月に妻とコンサドーレ神社に手を合わせたら
偶然、写真が新聞に載って、1999年が始まった。」
1年でJ1へ上がれるようにとJR札幌駅構内にコンサドーレ神社が出来て
12月31日、札幌へ行ったついでに家内と手を合わせたら
元旦の北海道新聞に白黒写真でしっかり載せられていました(^ ^;)
ちなみに岡田武史監督就任1年目の1999年は10チーム中の6位に終わりました。

[2000(平12)年]
「吉原宏太が札幌から巣立って行き
代わりにブラジルから、とてつもない選手がやって来た!」
とてつもない選手⇒エメルソンのことです。
彼の得点力と固い守りでJ2優勝を果たし念願の昇格を決め、最高の1年でした。

[2001(平13)年]
「悪夢のJ2降格から這い上がってきたコンサドーレ札幌。
岡田監督の目標は『残留』であった。」
エメルソンを失った代わりに入団したウィルが素晴らしい活躍を見せ
また、ボランチの野々村がキャプテンシーを発揮。
チームは降格の危機を感じることなくJ1残留を果たしました。

[2002(平14)年]
「昨年までチームの柱だった名塚・野々村は引退。
ポイントゲッターのウィル・播戸・アダウトも移籍。
大丈夫かな?と不安な気持ちで、いざ開幕!」
不安が的中し、年間僅か5勝しかできず早々にJ2降格が決まってしまいました。

[2003(平15)年]
「チームの柱、山瀬・小倉はもういない。でもウィルが帰って来た!
更に元ブラジル代表2名も加わった!
新監督ジョアン・カルロス率いるコンサ号いよいよ出航。」
4月19日の甲府戦でウィルが負傷し長期離脱……これさえなければ!と
悔やまれる突然のケガでした。
この後、活躍していたベットの電撃退団
監督との確執でメンバーからはずされていたホベルッチの退団
更にはジョアン・カルロス監督の退団とロクな事がなく
最終順位も12チーム中9位という成績に終わってしまいました。

[2004(平16)年]
「磐田の残留要請を断って札幌へやってきた柳下新監督は
攻撃的に自分達から動き出し、常に主導権を握ってゲームをコントロールする
アクションサッカーを目指す。
選手の平均年齢22歳。スタッフ含め純国産戦力で臨む2004年。」
44戦して僅か5勝……だが我々は柳下監督の指導方針を信じました。

[2005(平17)年]
「クラブスローガンは真っ攻勝負!トップ5は最低ライン。
目指すはJ1昇格!各ポジションで繰り広げられる激しいレギュラー争いと
他クラブの力関係からみて、ズバリ昇格狙えます!」
この年に昇格を予想する人は少なかったと思います。なにせ前年が最下位でしたから。
しかし結果はラスト3試合まで昇格の可能性を残す大健闘!
第4クールでは清野智秋がゴールを決めまくり!シーズン当初から起用していれば…。

[2006(平18)年]
「クラブ創設10周年という節目に柳下イズム集大成を発揮し
J1復帰の可能性は90%(管理人予想)
3位以内なんて言わず、目指してほしいのは2度目のJ2制覇です!」
正直、この年に昇格を果たせなかったのは無念でした。
どういう戦い方のチームを相手にしても、自分達のサッカーで勝利をものにするという
力量が必要なんだなぁと思わされました。
しかし8月中旬あたりから実力に見合った結果が出せるチームに変貌し
それは天皇杯での大躍進で結果として現れました。

さ~て、今年は冒頭にどんな事を書こうかな~(^o^)
今回は長い文章になってしまいました。ではまた!!

posted by hiroki |22:33 | コンサドーレ |