2009年11月12日
スキージャンプの話 <2>
下の写真は、1972.2.6 札幌五輪 70m級純ジャンプにおいて 冬季オリンピック日本人金メダル第1号となった笠谷幸生さんの2本目です。 この直後、あの 「飛んだ決まった!」 という有名な実況が入ります。 今ではクラシカルと言われる飛行姿勢ですが、もちろん当時はこれがあたりまえでしたね。 しかし1980年台終わり頃にスウェーデンのボークレブという選手が 奇妙な飛行姿勢で飛距離を延ばし、あっ!と言わせました。 ボークレブ選手はいわゆるガニ股で、どうしてもスキーがV字に開いてしまうのだそうです。 でもそれが功を奏して彼は大躍進! そしてその飛行姿勢がジャンプの歴史を大きく変えるに至るとは……。 当時はスキー板が開くということで飛型点の減点があったものの 非常に飛距離が出るため飛型点のマイナス以上の得点を奪うということで V字型飛行に取り組む選手が増えました。 冬になると日本でもジャンプ競技がテレビ中継され 色々な元有名選手が解説者を務めたのですが V字飛行についてアナウンサーに問われた際の反応は分かれました。 札幌五輪70m級の銅メダリスト青地清二さんは 「日本が得意とする飛型点でマイナスなので、絶対にやってはいけない」 という 感じでV字を真っ向から否定されていましたが 笠谷さんは 「いいんじゃないですかね」 と肯定し 秋元さんも 「僕なら飛び出し後のMAXで開いてみたいですね」 と言いました。 〔今ではV字飛行が普通の飛び方〕 日本では川崎という選手が最初にV字に取り組んだようですが やはり日本ジャンプ界の大御所が反対したのもあってか 日本選手のV字型への移行はヨーロッパ勢に遅れをとってしまったのです。 この後、V字飛行による飛型点の減点がなくなったのは 日本ジャンプ陣にとって悔やまれたんじゃないかな~ (^_^;) 1992年のアルベールビル五輪では既にV字をマスターしていた原田雅彦さんの牽引で 団体戦4位 (原田はラージヒルでも4位) と躍進した日本でしたが V字に取り組むのが遅れた葛西紀明選手は中途半端なV字で若干足を引っ張る形に……。 さて時代は流れ、来年2月中旬にはバンクーバー冬季五輪が開催されます! 日の丸飛行隊が復活を遂げた長野五輪から2つの大会を経て 岡部・葛西・伊東ら日本代表選手が再び表彰台に上がるチャンスは来るのでしょうか。
posted by hiroki |19:58 | スポーツの話 |
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