2020年04月30日
スポニチ「砂川メモリーズ2006年12月23日天皇杯準々決勝甲府戦」
抜粋 砂川が思い出の試合として3つめに挙げたのはクラブ初の天皇杯4強を決めた甲府戦だ。その年はJ2ながら千葉、新潟に続いてJ1を 3連破。新潟戦と甲府戦はフッキを欠く中での快進撃だった。 「自分のベストゲームとかではないけど強く心に残っている。柳下監督の3年目。アクションサッカーに取り組み、J2リーグでは昇格争いに絡もうかというぐらい内容もよかった。 そんな中で天皇杯は、J1の千葉、新潟、甲府に勝利。準々決勝の甲府戦の前には監督が最後の年なんだとうすうすわかっていた。 だからみんな「柳下さんを勝たせたい。」「少しでもこのチームで長く」という思いだった。 甲府はJ1で攻撃的ないいサッカーをしていたが、その相手にただ守るのではなく、守備も攻撃も主導権を握ろうと試合に入った。守備ではしっかりプレスに行き、攻撃では真ん中から両ワイドに展開するサッカーで対抗した。俺は3-5-2のトップ下。このシーズンはほぼ先発だった。 先制点をとり、最後に加賀健一がCKから凄いボレーシュートを決めて勝った。 今でも目に浮かぶのはサポーターの歓喜。いつも勝利の後にサポーターと選手で一緒に歌う「すすきのにいこう」を、「国立に行こう」に替えて歌ってくれた。 準決勝で敗れたがあと一歩まで迫った年。 ちなみに、リーグ戦で活躍したフッキは、新潟戦、甲府戦の時既にブラジルに帰国していなかった。(笑) この年の天皇杯の躍進はいまでも強烈に覚えている。フクアリで千葉に勝って。勢いに乗った。しかし、あまり覚えていないのがこの甲府戦。テレビで見ていたとは思うが、次のG大阪戦の方が強烈なインパクトだったのでそちらのほうの思いでしか出てこない。 この年は川崎健太郎が契約満了になっていたが、天皇杯の活躍で再契約を結んだということが思い出される。 甲府戦を勝って一気に天皇杯の決勝に行くぞとサポーターも一丸となっていた。リーグ戦があまりかんばしくなかったので余計に天皇杯にかける思いが強かったという思いでも残っている。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
posted by 孔明 |19:43 | コンサドーレ の思い出 | コメント(2) | トラックバック(0)
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この記事に対するコメント一覧
Re:スポニチ「砂川メモリーズ2006年12月23日天皇杯準々決勝甲府戦」
開始早々、中山元気のゴールかと思ったらオウンゴールに変わった試合ですね。
中山元気は気になる選手でした。得点して、「明日の見出しは元気だ!」と思っても、その後チームは同点または逆転弾を食らう、なんというか運のない選手という印象があります。この試合も「元気の得点でいいじゃない」と思っったものです。
と思ったら、ユーチューブで【もう一度見たいあの試合】がアップ、元気が逆転弾をかました試合があったんですね。
posted by 蹴球素人| 2020-04-30 21:45
Re:スポニチ「砂川メモリーズ2006年12月23日天皇杯準々決勝甲府戦」
蹴球素人さん。
1点目は中山でしたか。すっかり忘れていました。
中山は今は山口のユースの監督だったでしょうか。
いつも頑張ってくれた選手でしたね。懐かしいです。
posted by 孔明| 2020-05-01 19:34