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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2011年09月23日
石川県の海水浴場で、自分で掘った落とし穴に落ちて窒息死するという事故がありました。 深さが2.5mの穴だとか・・人間が這い上がれない深さの穴を掘って、そこに落とそうという発想がまず理解できないのですが。 その穴を掘ってる最中に考えなかったんでしょうか、砂の壁が崩れてきて自分が埋まったらどうなるのか?とか・・石川ひとみじゃあるまいし、もうすぐ私きっと、あなたを擦り剥かせる・・で済めば良いけど。(←良くない)
事故が起こった海岸って、ずっと昔ですが仕事で行ったことがあります。 津幡(つばた)の旅館に泊まりながら、「内日角」(うちひずみ)という所にあった農業試験場の敷地に通って作業をしてました。(畑仕事ではない) たまに海岸に行って日本海を眺めたりしたんですけど、そこが事故のあった白尾海水浴場なんです。 海水浴場と言っても、季節外れの石狩浜みたいな所で(もっとも、冬場だったから確かに季節外れなんだけど)、人影なんか全く見かけませんでした。 そんな人通りの無い浜辺を不用意に歩いていたら、対岸から来た工作員に拉致されてしまう恐れもあった訳で・・まぁ、そんな寒い時期に海岸に潜んで待ち伏せしてるとも思えませんが・・石川ひとみじゃあるまいし。
この前の休日に墓地へ行ったら、西暦で記した墓誌を初めて見ました・・時代が変わったんだなぁ。墓石もモダンで素晴らしかったです。でも、やっぱり読み難いな。 最近になって他界した夫婦が、若い頃に子供を亡くしてたんですかね・・2歳の男の子と命名前の女の子のようで。 それ以来六十数年間も、死んだ子の歳を数えて生きてきたんでしょう。 墓地を歩いてると、色々な人生に巡り合えます。 こんな人生にもな・・倒したり落書きしたり・・。
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以前に、無い知恵を絞って散々考えた挙句に、「痩せる(太らない)食事作法」を編み出して実践しています。 この方法は、一定の効果がありました。 「一定の」と形容するあたり、完璧ではなかったことが自ずと覗い知れるんですけど。 一つの手段として、「甘いデザートを最初に食べる」という作法を提唱しました。 この方法は確かに、生理学的には正しい方法でした・・でしたが、海水浴場の砂地に掘ったような落とし穴もありました。 食後にデザートを食べる(普通の)作法ならば、「昨日はスイーツを食べたから、今日は我慢しておこう」という発想も出てきます。 ところが最初にデザートを食べる作法だと、まず甘い物を食べないと食事が始まらないのです。笑 食事の度に必ずスイーツを食べなけばならないという食生活を続けていたら、痩せるどころか逆効果になるのは必定。 もし「今日はスイーツを我慢しよう」と考えたならば、それは即ち「今日は飯抜きにしよう」と考えることと同じになってしまうんだもの。 鉄のような固い意志で「断スイーツ」して飯抜きにすれば痩せるかもしれませんが、そうは問屋がおろし金です。 凡そ生物というものは、飢餓状態が続いても飢え死にしないように、ある期間にわたって空腹が続くと、食べた物を無駄なく消化し、次の飢餓に備えてしっかり体内に備蓄するような体質に変わるらしいです。 だから、絶えず空腹を感じるような食生活を続けていると、なおさら省エネ・高効率な体質に変わっているはずです。 そんな状態に反動で過食などしようものなら、以前よりも太ってしまう落とし穴が待ち受けている・・けども、落とし穴の入口につっかえて落ちないかも??
2011年09月12日
開館してから34年経った道立近代美術館は、9月12日(今日)から来年の1月まで、改造工事のため全館休館します。 毎年の冬休みに開催している「アミューズランド」は、会場を隣の道立三岸好太郎美術館に移して開催するそうです。
工事の告知看板(9月11日には通り抜けれました)大規模改造工事に向けた工事用ネットと前庭に佇むオブジェ
美術館の工事なのに、こんな無粋な白い塀は無いだろうと思うのですが・・気の利いたイラストを描くとか、樹木や蔦を描くとか、「近日堂々開館」と書くとかすれば・・これから描くのかな?・・なんなら私が(こら)
池の水面に映るインスタレーション作品(あるいは素材)←違?
工事なんて、インスタレーションそのものだろ。 近美では、8月21日まで「北京・故宮博物院展」が開催されていました。
主催者にテレビ局が加わっているだけあって、観客も多いしショップも大規模でした。 私はどちらかといえば(というより、かなり)、衣類よりも工芸品の方が性に合っているので、金属や石材や漆で作られた生活道具を眺める方が楽しいです。 現代の「ローラー美顔器」と同じ形の器具を宮廷でも使っていたなんて、笑っちゃいました。ゲルマニウムではないだろうけど。 展示されていた「からくり時計」の動作を想像するのなんか、パズルみたいでワクワクしますね。 そんな中に、温度計と気圧計が付いた時計があって興味津々・・全体は艦船の形をしていて、こんな道具が骨董屋で売られていたら迷わず買いたいところです。(買える資金があるかどうかは別として) 宮廷で使うとなると、「たん壷」まで装飾だらけで豪華なんですね。借りてきて自宅の床の間に飾りたいと思ったくらいです。 「西太后」(せいたいごう)を「にしだいご」と読みそうになってしまうのは困ったもんだ。笑
先般の地震に伴う津波のため、海水に浸かってしまった博物館の資料を救出・修復する活動が行われています。 例えば、 陸前高田の誇り救え 全国25博物館が「文化の復興」へ一丸、 陸前高田市立博物館 植物標本レスキュー の様子 北海道開拓記念館の特別展「千島・樺太・北海道 アイヌのくらし」を見学しに行った折、ロビーに展示されていたパネル展を見て来ました。(パネルの写真撮影は可) 博物館資料のレスキュー活動を紹介するパネル展古文書を並べて干してる様子、後方のテーブルの上は漆器の椀などです。
掛軸を慎重に広げて汚損の具合を調べます。
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札幌の某博物館でも、海水や泥に浸かってしまった昆虫の標本を修復する作業をしたそうです。 標本としてはそれほど価値があるものではないらしいですが、津波の被害の記録として残す価値があるんだとか。 標本は泥に浸かったまま長期間にわたって放置されていたので、腐敗しかけていて元に戻すのは大変な作業だったに違いありません。 クリーニングの作業に習熟するための訓練になった面もありますが。 汚れたラベルから文字を書き写して新しいラベルを作ったり、染み込んだ塩分を抜いたり、防腐剤を染み込ませたり、足や羽根の姿勢を整えたり、・・・気が遠くなりそうです。 その博物館で、年輩のご婦人が「ご不浄はどこですか?」と女性スタッフに尋ねていました。 そのスタッフは「ごくじょう?」とか「おくじょう?」と聞き返していて、遂にはご婦人の方が(諦めたのか、痺れを切らしたのか、切羽が詰まったのか)「トイレは~」と言い替えました。 (自称)トイレ評論家が言うのも変ですが、元々「トイレ」は日本固有の領土名称には非ず、「御不浄」の方が立派な(?)日本語なのに、それで意味が通じないとは、お通じが無い・・じゃなくて、不便な・・じゃなくて、不自由な世の中になったもんです。 確かに、平成の時代にはそんな呼び名を聞いたことが無いのかも知れませんけど。 「Gentleman」は読めても「殿方」を読めない時代が来るのか??
近美が休館する反動でもないですが、7月に行われた知事杯の試合のついでに旭川美術館を見てきたし、8月のクラセンU-15の試合のついでに帯広美術館を見てきたし、トップチームの試合のついでに函館美術館を見て・・と、ついでながらあちこちを見れています。![]()
もっとも函館美術館は、駐車場の料金を割り引きしてもらうために寄ったようなもんですが。
2011年08月22日
先週の行動としては、半ば冗談で(残りの半分は本気で)、以下のような予定を立てていました。
8/15(月):クラセンU-15・1次ラウンド第1戦@帯広
8/16(火):クラセンU-15・1次ラウンド第2戦@帯広
8/17(水):クラセンU-15・1次ラウンド第3戦@中札内
〃 :トップチーム・千葉戦@札幌
8/18(木):お仕事(をがんばる)
8/19(金):クラセンU-15・決勝トーナメント1回戦@帯広
8/20(土):クラセンU-15・準々決勝@帯広
8/21(日):トップチーム・京都戦@函館
8/22(月):クラセンU-15・準決勝@帯広
8/23(火):クラセンU-15・決勝@帯広
第一の難関は、8/17に中札内から帰って直接札幌ドームへ行かなければなりませんが、トップチームの試合には余裕で間に合うはずです。
但し前回のように試合のチケットや駐車券を持ち忘れたりするとマヌケなので、今回はシッカリ持って出かけましたよ。(そのせいか、レプユニを持ち忘れたという・・一つ覚えたら一つ忘れるんだから)
第二の難関は、20日に帯広から帰って来た翌日に函館まで日帰りして、その翌日にはまた帯広へ出向くというトンボ帰りな往復です。(←帯広に「帰る」のか?)
第三(最大)の難関は、夏休みは5日間しか無いので、8/15~17と19と22に夏休みを取ってしまうと、8/23は休めないということです。
結界(2011/8/15@帯広グリーンパーク)もちろん、これが最大限の過密状態であって、(万が一にも)クラセンが途中で敗退してしまったら、以降のスケジュールは楽になるんですけど、最初っから負けることを前提にした予定などは立てられません。 墓参りにはいつ行くんだ? という疑問もありますが、ワタシの場合はお盆に入る前に墓を掃除しておいて、お盆が終わったら後片付けに行くことにしています。他の時期にも頻繁に行ってるし。 結局は、クラセンの途中までのスケジュールが特に波乱も無く進んだため、ブログ記事を書くヒマも写真を整理するヒマもありませんでした。 不覚にも準々決勝で敗退してしまい、函館から急いで帰って来る必要が無くなったため、1泊して今日帰ってきました。 これから順次、チマチマと(来月までかかって)記事を書いていく予定です。 (その前に日韓交流U-16ユース大会の記事も残ってるしなぁ)
2011年08月07日
こんなに気温が高いと、頭が働きません。(←気温のせいにする) 昨日、旭川で暑さにやられた上に残念な出来事があって、今日はぐったり。 夕方になってから墓地を掃除してきました。 先月には無かった看板が・・あら~不便になるよ。家庭のゴミを捨てていく人もいるらしいです。 左側のゴミ箱に、墓参セットのマッチ箱やら線香の束が捨ててありました。たとえ一時しのぎに買ったとしても、余ったら持って帰らないかな、フツー。
2011年の初頭の頃には、今シーズンの目標として「コソサドールズのメンバーになる」という野望を抱いていました。 何しろ今年は、卯年ですから。←? 金子先生による「男の子の夢はサッカー選手、女の子の夢はドールズ」という合言葉は、クラーク先生の「Boys, be ambitious. 」に続けて、「Girls, be Dolls.」と言わしめるほどの説得力があります。 昨年の暮れに、ドールズ2011メンバーのオーディションが行われるとのニュースが発表され、この機会を逃すテはありませんよ。 諦めずに夢を持ち続けて努力し、試験の答案を書くように応募用紙を作って申し込んだら、金子先生にシバかれることもなく見事に合格して、ついに念願の、憧れの、コソサドールズのメンバーに加わることが出来たんです。 やっと私も女神の一員になれました。 これが4月1日の記事ならば、どうせエイプリルフールの戯言だろうと思われるけど、真夏に書いたのなら信じてもらえるでしょう。 ドールズのオフィシャルページにも私の顔写真と名前が・・あれ?? 見当たりませんよ。 確かに合格したはずなんだけどなぁ・・。 コソサドールズ(こそさどーるず:CososaDolls)とは、コンサドールズ(こんさどーるず)のように華麗で難度が高いダンスを真似して踊りたい、と考えた身の程知らずな人間が、こそ~り結成したダンスチームです。(現在のメンバーは1名のみ←ならば「ズ」じゃないだろ) 陰で暗躍する、偽ダンスチームの「コンサドースル」とは関係がありません。ましてや「コンサオールズ」でもなく・・JAROに通報しないでね。
こちらは正真正銘:ドールズファミリー総出演(2011/7/31)本人達はもちろん一生懸命なのですが、 保護者の皆さんも大変です。
2011年08月05日
先月のプレミアリーグ第9節の試合に雨の中で携帯のカメラを使っていたせいで(推定)、濡れないように気を付けていたけど故障してしまいました。 使ってる最中は何ともなかったのに、晩御飯を食べながら撮影した写真をチェックしていたら、何だかボタンの働きがおかしく、遂にはボタン操作が全く利かなくなってお手上げです。
近くのショップで見てもらって修理に出したら、1週間経って「震災の影響で交換部品が無いので修理できません。」とのこと(ぐぇっ!)・・続けて「別の機種に交換してはどうでしょう?」と提案され、しかも無償で新品と交換してくれるなんて修理するよりも安上がりです。 そんなうまい話が世の中にあるものか? とは思いつつも断る理由が無いです。 ところが同じ機種は既に生産されてなくて、代わりに選んだ機種が到着するまでさらに1週間かかるし、代替機として借りた機種はカメラの性能が貧弱で、ほとんど役に立ちません。 写真撮影に不自由しながら半月間待って、ようやく到着した新機種と代替機とを交換しました。 辛抱して待った甲斐がありましたね。 カメラの画素数は13MBで、これなら良い写真が撮れる・・かどうかは撮影者のセンス次第ですけど、機能も強化されていて、「カメラ付き携帯」じゃなく「通話・メール機能付きのデジカメ」という外観です。 故障したが故にハイスペックな上位機種に交換できるなんて、さぞかし日頃の行いがよろしいんでしょう・・怪我の巧妙というか、神棚から鏡餅というか、街路樹から鳥のフンというか・・。 ただ残念なのは、今までの赤黒だった配色や、裏蓋に貼ったチームエンブレムの蒔絵シールを捨てざるを得ないことです。 ・・そんなことよりも、受信メールや写真画像がぶっ飛んでしまったことの方が重大ですが、それらを引き換えにしてでも惜しくないほどの高性能です。 生来の小心者ですから(異議は却下)、ホントに無償で交換していいの?・・後でしっかり高額請求されるんじゃないの? と心配になります。 試しに撮影してみるテスト ずんだ風味のKitKatってアリか? と思いましたが、意外にも、普通な味に感じました。「1個あたり10円を寄付」するんだとか・・「チョコ1個あたり10円」じゃなくて「1箱あたり10円」だよね、キット。
10円出しただけで「応援してる」という気分にさせられるのは怖いかも。
2011年08月02日
今日・8月2日は、私の(戸籍上の)誕生日です。(お祝いは固く辞退) これまで、自分の誕生日は10月10日だとか、4月8日だとか、散々と大きな臼で餅を搗いてきました(=おおうすつき)が、本身の戸籍上の誕生日はこの暑い最中なのです。 にもかかわらず暑いのは苦手という、不合理な生い立ちで。 世の中には、人生の途中で姓が変わる人が結構いるし、中には下の名前を改名する場合もあります。 実はワタシもその一人で、私の人生の前半は別の名前でした。 途中から「萌」に変わったという話ではないし、前世は豚だったという話でもありません。 本名の命名の由来には複雑な経緯があるんですけど、話が長くなるので今回は省略します。
根が素直な人間ですから(異議なし)、親から教えてもらった名前が自分の本名だと信じ込んでいました・・普通はそうですよね。 ところが昔々、長い学生生活が終わって就職することが決まり、その手続のために道南の某市役所から戸籍を取り寄せたところ、親から教えられていた文字とは違う文字が戸籍に書かれていたんです。 えっ、そんな事あるの??・・しかも、常用漢字どころか人名用漢字にさえ無い創作文字が戸籍に記されているなんて! 仕方なく、取りあえず申請書類の氏名欄には戸籍に書かれているのと同じウソ字を書き写し、間違った戸籍をそのまま添えて採用の手続を済ませてから、その市役所に問い合わせてみました。 市役所で調べてくれたら、父が提出した出生届が残っていました。 その出生届にはもちろん正しい文字が書かれていたので、戸籍係が書き写す時に誤字を書いたということが判明しました・・そ~んな手違いが起こり得るのぉ?? 届け出た側には落ち度が無いから、「改名」ではなくて「訂正」という手続で、無事に正しい文字に変わりました。 変わったとは言っても、戸籍に手書きされた名前に抹消線が引かれて、その横に正しい活字がプリントされているんだから、気分の良いもんじゃありません。 最後の行には、「昭和○年△月◇日 誤記により訂正」という余計な一行が加わっています・・まるでバツイチだよ。笑 出生届が残っていたから良いようなものの(←良くないっ!)、もし残っていなかったら以後は世の中に存在しない文字を使い続けなければならなくなるところでした。 戸籍係でさえ間違えるんだから、一般人が私の名前を書き間違えるとか、巷で年金の記録が継続しないとかいう不具合なんて容易に起こり得るんでしょう。 一段落してから、提出したばかりの書類に書いておいた自分の名前も訂正したという・・社会人としての第一歩が偽名を使う後ろめたい作業だったから、世間に背を向けて生きて行くことなど何のためらいも・・。 その事件から、ちょうど同じ年月が経過したので、私の人生の前半分は別名だったということになります。 冤罪で失った半生をやっと取り戻したような気分でもあるし、生まれ変わって第二の人生を歩んできたような感覚でもあるから、私にとっては、あの事件が還暦だったと言えるかも・・あるいは、ハーフタイムでエンドが変わったようなものかも。 ・・ならば、現在が終焉も間近いロスタイム?汗 これでやっとイーブンまで漕ぎ付けたんだから、間違っていた人生の比率が相対的にもっと小さくなるよう、これから先も長生きしなきゃ。←ハタ迷惑だって!
ところで、純貴くんは肺炎だそうで。 実は私も、10歳の時に肺炎に罹ったことがあります。 1週間ほど薬を飲んだだけで治癒したので、それで元に戻ったんだと思っていたのに、20年ほど後になって健康診断を受けた際、肺に影があると宣告されました。 その影は既に治療が済んだ痕跡だし、普通は見分けられないくらいの小ささなので、識別した医師が先輩の医師から「よく見つけた」と褒められていました・・そんなもの、見つけなくてい~から。 毎年の健康診断では「異常なし」ばかりだもの・・よほど注意深く見ない限り、指摘されることはありません。
8月2日とはどんな日?→札幌での日最低気温が最も高かった日 1981年の8月2日は、日最低気温が25.1℃だったそうです。(つまり熱帯夜) それは正に戸籍の間違いが発覚した年で、この年の8月に石狩川が2回はん濫しました。
2011年07月17日
今年の国体は山口県で開催され、「おいでませ!山口国体」というタイトルで、マスコットは「ちょるる」という名前の・・正体は不明ですが、頭が「山」、顔が「口」を表しているとか。 萩焼ちょるるカップには笑ってしまいました。 怖いもの見たさにトライしたいうに饅頭とか、牛蒡味噌とか醤油漬蓮根とか・・何でもアリなのか。 少年男子のサッカー競技は、10月2日~6日まで山口市と山陽小野田市で行われるようです。(成年男子は2日~5日、女子は3日~6日) 詳しくは、実施要項、競技日程、組合せ表(いずれもPDF)を見て下さい。
この山口国体に出場する少年男子チームの選手を選考する「HOKKAIDOトレセンU-16」の合宿が、7月8日から10日までアミューズメントパークの人工芝ピッチで行われました。→開催要項(PDF) このうち、プレミアリーグ第8節の試合が行われた10日の昼前だけ、チラッと見てみました。 トレーニング風景道央トレセンと道東トレセンとの試合らしい
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山口といえば・・山口スイカ(改めサッポロスイカ)の産地である「手稲山口」ですよ。←そっちか? U-18のGK渡邉くんの出身校である「星置中学校」に寄ると、ここにもGPS測量のための電子基準点があります。 部活を終えた女子生徒が解散するところなので、ヘタに近づくと怪しまれます。 学校の隣に、「山口運河」という川がありました。
この運河は水運のために明治27年に着工して30年に完成したそうで、銭函と花畔とを結んでいた運河です。
現在はその大部分が埋め立てられましたが、山口運河の部分だけは住民の要望もあって親水空間に蘇りました。
水を汲み上げて流しているようです。 昔、付近の「バッタ塚」を見学しに来たことがあるけど、正直言って、この辺に運河があったなんて知りませんでした。
「山口運河賛歌」という歌まであるなんて!
歌い手は当然、山口・・萌ですか? 李香蘭かも。 毎年「山口運河まつり」が行われているようで(会場はほとんど星置中学校の玄関前)、スイカの早食い競争などもあるとか。 サッポロスイカよりも、カボチャ(大浜みやこ)の早食いの方が難しいだろうと。(←想像しただけで胸焼けに苦しむ・笑) 実は本命の、アメダス探訪「山口」の巻
あまり苦労はしなかったけど、ここは嗅覚が無いと見つけ難いな。 センサー類:近くに樹木が多い点が気になります。
この地点の気温は、晴れた日の午前中には札幌よりも少し高くなります。 しかし、午後には海から風が吹くので、札幌より先に気温が急降下します。 風速計と日照計
海水浴などに行った際に注意してると分かるんですが、午後に風向が南東から北西へ急変したりします。(夏休みの自由研究にどう?)
2011年07月14日
わざとじゃないけど、今回の記事番号は9と4の組合せですね、奇しくも。 もう半月以上前に去った6月26日(日)は、10時から夕張で北海道クラブユース選手権U-18の試合があり、14時からはドームでトップチームの試合(富山戦)がありました。 クラセンの試合が終わった後に急いで夕張から帰って来れば、余裕でトップチームの試合も見れるだろうと思って、ドームの駐車券を買っておきました。 ところが金曜日の夜になって、函館の親類が亡くなったとの知らせが入りました。 葬儀は月曜日だから日曜日のクラセンの試合は見れるし、ドームの試合まで見ていられるだろうから、なるべく時間をロスしないで済むような最短(距離じゃなくて時間)のルートを複数考えておきました。 何しろ、たまに避けられない用事があってトップチームの試合を休んだりすると、「また具合が悪くなって入院したんだべか?」とか「偉くなって転勤したのか?」とか、果ては「遂にくたばったか?」などと面と向かって(じゃなくても陰で)言う人がいるかも知れないから、オチオチ欠席していられないのですよ。 たとえキックオフまでは留まれなくても、ワンタッチパスをかざしてチケットを切れば入場者数にカウントされるから、それだけでも意味があるだろう・・ ・・などと無い知恵を散々に巡らしておいたのに、悪い事(←何が?)は出来ないもんですねぇ・・夕張でクラセンの試合を待ってる間に、富山戦のチケットもドームの駐車券も持たずに出て来てしまったことに気付きました。爆 すっかり観念して自宅に直帰し、落ち着いて函館に持って行く荷物を整えてから暗くなる前に自宅を出ました。
翌朝:昨夜のお宿では、朝になるとチャイムが鳴りました。モーニングコールもあるとは知らなかった。笑 かつての砂原町は森町と合併して、「森町字砂原」と呼ばれるように変わりました。 その砂原地区にある道の駅「つど~る・プラザ・さわら」・・の神に・・ 同じ町内には他にも道の駅(YOU・遊・もり)があり、しかもこんな近くに位置していたら両立するのか?と心配にもなりますが、何分にも砂原は幹線から外れた場末なので、交通量が少なくて静かです。 亡くなった親類というのは父の弟である叔父さんなんですが、その自宅を訪れる前に、道路を挟んで向かいの北斗市七重浜7丁目にある「台風海難者慰霊之碑」(1955年8月建立)に寄りました。
これは昭和29(1954)年9月の台風15号(洞爺丸台風)による遭難者を弔う慰霊碑(通称:洞爺丸慰霊碑)で、横幅は11.6mあります。 周辺は公園になっており、それぞれの船が沈没した方角が示されています。
叔父さんは昔、旧国鉄青函局に勤めていて、連絡船の乗務員をしていました。 洞爺丸台風の日も初代の「大雪丸」という船に乗務してて、青森から函館に着いて貨客を積み替えた後は、洞爺丸の次の便として再び青森に向かって出港する予定になっていました。 函館港外に停泊していた連絡船7隻のうち、車両を積載していた5隻が沈没し、空船だった第十二青函丸と大雪丸だけが沈没を免れています。(でも機関と舵が故障して航行不能に) 別の船に乗っていたから遭難せずに済んだだけであって、同僚がたくさん殉職しています。(遭難の経過はこちらの記事に) だから、退職した後は慰霊碑のすぐ近くに家を建てて住んでいたんですよ。毎日、慰霊碑と津軽海峡を眺められます。 何事もなく出港していくフェリー
「函館では先に火葬を済ませてから葬式をする」ということを、たまに叔父さんと会った時などに聞いていました。 仮通夜は先に親族で済ませておいて、当日はまず昼前に出棺して、火葬場へ行きました。 お骨が上がってきてから、会葬者と共に明るいうちから通夜を行い(1時間ほど)、続いて親類で告別式を行って別室で会食という、あまりメリハリ(一夜明けての切り替え)を感じない葬儀でした。 札幌オリンピックの聖火を運んだ連絡船「大雪丸」(2代目)の模型
出棺に際し、模型のスイッチを入れると汽笛とドラが鳴って、かつて連絡船が出航する時に放送されていた「蛍の光」が流れるのですよ。 なるほどねぇ・・これか。 火葬場へ行く霊柩バスの運転手さんから、「途中で故人にゆかりのフェリーターミナルに寄ります。」と告げられました。 でも、現在のフェリー乗り場は昔の連絡船の桟橋とは違うだろ・・と不審に思っていたら、貨物船の有川桟橋だった隣の埠頭で遺影を持った遺族だけがバスから降りて、対岸に停泊してるメモリアルシップの連絡船「摩周丸」を遺影に見せるんですよ。
なるほどねぇ・・見えたかな。 想像の産物(画像はイメージです)
しかし・・葬儀の前夜に走って函館まで行き、当日の夜にまた走って来て夜中に帰宅したから疲れましたね。 函館に1泊して翌日は観光しながら帰るという選択肢もあったけど、どっちみち雨天だし下調べもしないで来たから諦めました。 こんな企画展が行われていたなんて知らなかったよぅ・・どうせ8月にまた函館へ行くし・・その時も雨天だったりして。
明るい話題を一つ:以前から待ち焦がれていた通り、室蘭市と森町との間に「内浦湾横断大橋」を建設する方向で検討されているようです。 た・の・し・み~(←完成するまで生きてるつもりか?) 参考記事:室蘭―森間に内浦湾横断大橋建設へ
2011年06月20日
6月9日から道立近代美術館で「国立エルミタージュ美術館所蔵 皇帝の愛したガラス」展が開催されています。(参考) 当初は6月2日から開催する予定でしたが、東日本大震災の影響(詳細は不明)により、開始日が延期されました。 その分、7月3日までの会期中は通常の休館日である月曜日も開館し、無休とするそうです。(ちょっと異例) 展覧会のパンフレット
日が長いせいか朝の9時半から開館するのは有難いですが、開館前から並んでる人達もいました。 そんな列には並びたくないので、まず前庭を散歩してみます。 朽ちて土に還りそうな樹の根元何となく気に入っている前庭の風景
これは、皇帝の愛した・・カラスでしょうか?
グラスとかゴブレット、花皿、デザート皿、花立て・・など、皇帝や貴族に納める工芸品だけあって、贅と技術と作業時間を尽くした作品が多いのも当然でしょう。 時代物の手作りのガラス器だから、形が少し歪んでいたりするのは致し方の無いところです。 エルミタージュ美術館のガラスコレクションによって、ヨーロッパにおける各地・各時代のガラス工芸の歴史や伝播を系統的に知ることが出来ます。 近代美術館のコレクションのウリもガラス器ですから、この種の展覧会はお得意な分野でしょう、きっと。 ガラス工芸には色んな技法があって、それぞれについて簡単な解説があったのは初心者の鑑賞に役立つと思われます。 多色のエナメルなどで器の表面に緻密な模様を描いたりする訳ですが、隙間が無いほどに塗り潰すとデコデコし過ぎて、(日本人である)自分にはクド過ぎるように感じます。 無地の背景の中にワンポイントの模様を描く、という手法に美学を感じさせるよりも、これでもかと言いたげに財力(や権力)を誇示する表現には、豊臣秀吉あたりの趣味を連想します。 さほどのんびりと観てた訳じゃないのに、常設展も観て雨が上がるのを待ってたら2時間も過ぎてしまいました。
次回の展覧会は「北京・故宮博物院展」だそうで、これも垂涎物ではなかろうかと期待され、ドーレくん柄のスタイを着用して美術館へ行こうかと・・。なお、近代美術館は1977年に開館して34年が経過し、改修工事を行うため9月12日(月)から来年1月頃まで全館休館するそうです。 もう、そんなに経ったんだなぁ。
2011年06月15日
別に、謎でも不思議な事件でもないんです。(例えば) 知りませんか? たい焼きだって海の中を泳げるし、オタマジャクシは空を飛べるんですよ。(笑) 丸っこい胴体から長い尻尾が伸びていて、まだ足が生えていないオタマジャクシそのまんまの形をした虫が、空を飛んでいるのを時々見かけるでショ? 一般的に「ヘリコプター」と呼び慣わされている虫は、実は巨大に進化したオタマジャクシが飛んでいる、としか思えません。
病院の屋上で休憩してるトリコロールなオタマジャクシ・・というのは真っ赤黒なウソですが、俵屋宗達が描いた「風神雷神図」の屏風を見たことがあるでしょうか?
3年前の雑誌「サライ」の表紙(実際の屏風では両神を左右に配置) 風神は、大きな袋のような母衣(ほろ)のような、白い布を広げて風を起こしています。 一方の雷神は、フラフープのような輪に括り付けた太鼓を鳴らして、雷を起こしています。 もしこれらが若い女性だったら、新体操の演技のように見えなくもないですけど。 雷神が叩く太鼓の皮には2・3個の勾玉模様が描かれていることが多いですが、あれは実は、オタマジャクシを貼り付けてあるんです。 勢い良く太鼓を叩き過ぎると、一部のオタマジャクシが剥がれて、地上に落っこちてくるんです。 まぁマジメな話、客観的に状況を分析すれば・・オタマジャクシが地上に落ちる現象が起こっている地域は北朝鮮に近い・・じゃなくって、水鳥が多い地域でしょう。 水鳥が田んぼや池の水ごとオタマジャクシや魚を飲み込み、雛が待つ巣に向かって飛んでる途中にハバケたとか、気管に入ってムセたとか、クシャミをしてぶちまけた、とかいうオチじゃないでしょうか。 だとしても、その瞬間を目撃したり撮影した人なんていないだろうから、証明することはできません。 鳥にしてみれば、そんな不名誉な恥をわざわざ言いふらしたりはしませんよ。 被害者のオタマジャクシだって日本語を喋れないし、カエルになってからゲコゲコと昔の話を蒸し返せるほどの記憶力は無いでしょう。 従って、この事件は迷宮入りとなってしまい、2・3年経ったらまた「そういえば、前にもこんなことがあった」という新聞記事を書くんでしょうか。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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