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2006年04月28日

函館戦争回顧(敗走の段)

我らの魂娑闘霊教団が函館戦争で敗北を喫したため、宗敵の追手どもから逃れなければならなくなりました。

逃走の詳しい経路や日時を記すと、残党狩りの追手に潜伏先を察知される恐れがあるので、要所のみを説明するに留めます。途中までの経路は他の門徒と類似しているようなので、そちらの手記の前偏後編と比較しながら読まれることをお勧めします。
 

決戦の翌朝、どちらの方角に逃げれば良いのかを判断するために、星型をした砦の横に立つ物見櫓に昇ることにしました。
この物見櫓は、鋼鉄の「とも綱」と「つるべ車」とを用いて、方形の籠を上下させるからくりを用いており、妙齢な娘の案内に従って籠に乗り込むと、瞬く間に上層の物見台へと到着したのです。
物見台の 四方 五方は「ぎやまん」の板で囲まれており、雨風を防ぐとともに見通しが良い巧みな造りになっております。さらに、敵の動静を伺う遠眼鏡や、櫓をよじ登って来る曲者を発見する覗き窓も備わっておりました。

砦の構造・配置を記した見取り図や、諸派の兵法書なども供覧されており、深く得心すると同時に、万一これらが宗敵の手に落ちたりすれば、我が教団にとっては存亡の危機に陥るという懸念も感じました。
至る所に「どかた」と申す侍の肖像を描いた護符が貼られており、この蝦夷地にさえも彷徨っている平家の亡霊を近寄らせない目的なのでしょう。

下層の土間に降りると、蝦夷地の村々から献上された産物などが誇らしげに並べられており、篭城の折にはそれらを糧食として転用する備えと思われます。
ひもじさに堪え兼ねた門徒の中には、言われるままに多額の金子と引き換えて僅かな携行食を受け取り、その場にて食する者もおりました。戦とは田畑ばかりか民の心までも荒れさせるものであり、商人とは如何なる世でもしたたかに生きる術を備えているようです。

魔除けのためか、前述の侍の偶像や「誠」と記した護符・装身具などを娘どもが競って買い求めており、霊験あらたかな護符のようです。しかしながら娘どもの顔立ちを窺えば、必ずしも魔除けを身に付ける必要があるやなしや。

多くの門徒達は、噴火湾沿いに第五街道を北上し、あわよくば途中から早馬街道に移りて郷里を目指すものと思われます。しかしながら、手前の山越内に設けられた関所を通るのは危険であり、多少は遠回りになるものの、人家が少ない日本海側の海岸伝いに北上する経路が比較的安全であろう、という結論に至りました。

茂辺地を過ぎて渡島当別に近付き、山麓に築かれた女人禁制の切支丹城が見えてきましたが、異教徒の呪文が聞こえない距離を保って立ち去り、正月の寒中みそぎで知られる木古内の佐女川神社に詣でる時間も惜しいので、知内の駅逓所まで進んで一休みしました。
各地の駅逓所には、ご当地の名所旧跡や名産品を象った印判を備えてあり、自ら集印帳に押印して旅の記録を残すとともに、集めた印判の数を競う趣向もあるようです。まるで四国八十八箇所を巡る遍路旅において、霊場ごとに朱印を頂戴するような有難味を感じます。

山道に入って千軒に差し掛かると、残雪の量が多いことに気付きます。標高がやや高いことも一因ですが、この一帯は夏場でも雨量が特に多く、蝦夷地内でも有数の多雨地域として知られています。
福島の駅逓所には立ち寄りましたが、相撲道の聖地は参拝しませんでした。近在の村では「女相撲」などという、はしたない競い合いも奉納されるとのことですが、恐いもの見たさを押し殺して先を急いだのです。

我が教団と松前藩とは親交関係にありますが、それ故に敵方の探索も厳しいと察せられるので、福山城のご天守を遠くに望みながら、そそくさと通り過ぎました。
ここから先は右手に急峻な山地が迫る道が続き、左手には日本海から荒波が押し寄せています。道を踏み外せば、せっかく拾った命を失うことになるので、松前小島や渡島大島などの島影を愛でる余裕はありませんでした。

やっとのことで上の国の駅逓所に辿り着き、断崖の上に構えた茶屋で昼食を所望しました。丼に盛った飯の上に、雲丹や鮑、鮭とその魚卵、鮪、烏賊、海老などの切り身を乗せてあり、下の飯が見えないのです。この地では、年貢を軽くする工夫として、安価な魚介類を用いて高価な白米を隠す手法を編み出したようです。

街道に面している笹浪家に立ち寄りました。鰊漁が栄えた時代に普請された由緒ある屋敷は、ご当主が住まわれていた頃にも訪れたことがありますが、後に当主・奥方ともに他界されたため、屋敷や蔵を修復して旅人にも公開されています。
床の間には円空の作と伝わる煤けた木像仏が鎮座しており、この仏は、蝦夷地の首府において昨年開催された円空仏の展覧会に出展されたそうです。それを観覧したことを案内役のご婦人に伝えると、たいそう喜んでおられました。

上の国のすぐ先は、江戸をも凌ぐ栄華を誇った江差になります。甲高い声を張り上げる謡曲の競い会いは耳障りなので、街外れにある駅逓所まで足を伸ばして休みました。繁次郎(すぃげずろ)と申す知恵者を称えた像について地元の者に尋ねてみましたが、この辺りで使われる言葉は訛りが強く、まるで異人の話を聞くようで要領を得ませんでした。

脇街道に入って厚沢部の駅逓所に向かう途中、奉行所の役人や手下どもが集まって、不届き者を探知する怪しげな器具を道端に据えておりましたが、易々とそんな罠にかかる旅人などおりません。昨年、『寺子屋の師範が厚沢部の街道で26里(13里超)でお縄になる』という捕物があったせいでしょうか。

さらに進んで乙部の元名台という駅逓所に着きました。夏場ならば、このあたりの海辺は水遊びや魚釣りに興ずる人々で賑わうようですが、乙部と聞いてまず思い浮かんだのが葡萄酒でした。
知内でも見かけましたが、我らの門徒と思われる人物達とすれ違いました。身なりや所持品を見れば同胞であることは明白ですが、敗走の途中なれば名乗り合うことも叶わず、ただ互いの身を案じて目礼を交わすのが精一杯でした。

獣の形をした奇岩が立ち並ぶ海沿いの道をしばらく進むと大成に着き、駅逓所には・・何もありませんでした。ここも所詮、夏場の水遊びのための厠に過ぎないのでしょう。旅人に売るような品はほとんど無く、集印帳を売るためだけに滞在しているような看板娘が店を守っていました。

道がさらに険しくなったかと思うと急に山中に入り、再び海岸に出た地が瀬棚です。杉には見えないような太い岩塊が、確かに三本並んでいます。刀剣の刃紋にも「三本杉」と呼ばれる文様がありますが、それにも似ていない代物でした。
近くの海上では、巨大な竹とんぼのような白い羽根がぐるぐる回っておりました。あの羽根で風を起こしているのかと思いきや、逆に風の力で羽根を回す「かざぐるま」だとは思いも寄りませんでした。しかし一体、何の役に立つのでしょう・・沖を通る船の目印にする位しか思案が及びません。

狩場山の残雪を眺めながら茂津多の岬を越え、「よってけ!」と誘われた島牧の駅逓所に立ち寄ると、既に門は閉ざされていました。上の国での逗留が長過ぎたようですが、暗くなれば追手に発見される恐れも少ないので、この先は内陸の街道を進むことにしました。

その後は提灯も持たずにひたすら夜道を歩き続けたため、どこをどう通ったのか見当も付きませんが、追手や役人に捕えられることもなく、何とか郷里に帰り着くことができました。

これもひとえに、教祖様のご加護とお導きのお陰に相違ありません。


ということで(どういう?)、カテゴリーを増やしました。
「蝦夷の細道」というカテゴリーには、道内を旅行した際の紀行文を集めます。
今回のような文体にはなりませんので、ご安心を。

posted by 雁来 萌 |00:07 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |

2006年04月26日

雁来に花を咲かせましょう

札幌アミューズメントパークの周辺に植樹して森を作ろう、という構想があるようです。さらに池を造ったりしてビオトープにしよう、という方向のようです。

児玉社長のブログコンサの森とビオトープにおいて、東雁来練習場の「道路側に植樹したことがあったといいますが、その後の道路工事もあって、今は樹木はほとんど見当たりません。」と紹介されているので、エントリーする予定だった話を膨らませて説明します。
 

ここに植えられているのはハマナスで、アカシアやプラタナスの並木を連想されると辛いです。ハマナスは「草」じゃなくて一応「木」ですが、背丈が低いので生垣にするのが精々で、あまり目立ちません。道路工事の影響で枯れてしまった株も確かにあります。

この植樹は、2004年当時にサポートシップスポンサーであった「ASA札苗」様から贈られたもので、「ASA札苗」様は、東雁来練習場に最も近い朝日新聞販売店です。

2004年は朝日新聞創刊125周年、朝日新聞北海道支社創立45周年に当たり、その年の朝日新聞グループによる「花おりおりin北海道」朝日&HTB花キャンペーン(長っ!)の一環として、ハマナスの苗木プレゼントを実施したところ、コンサU-15チームが当選しました。


プレートを囲んで並んだU-15の選手達(2004年当時)
(朝日新聞発行のチラシの一部をスキャン)

「ASA札苗」様からハマナスの苗木45株とプレートが贈られ、選手やご家族の手によって、粘土の中に砕石が混じっている固い地面に穴を掘り、肥料も施して苗を植えました。


プレートを拡大(2004.6.26)

元々、ハマナスは荒れ地にも耐えるバラ科の植物で、あまり世話をしなくてもある程度は勝手に育つんですが、東雁来の土壌は砂漠のような環境です。粘土に水をやっても地表を流れるばかりで、あまり地中に浸透していきません。親御さんなどが水をやったり囲いを作ったりしてるんですが、気付かずに踏まれたりもします。

冬場に積もる雪はどうしようもなく、春にはすっかり押しつぶされた状態で姿を現し、枝もかなり折れてしまいます。一応、地面から新しい枝は出てきて、花が咲いたり実がなったりしますが、毎年そんなサイクルを繰り返していては、大きく育つまでに時間がかかり過ぎます。

厚別公園競技場の周辺では、あちこちに立派なハマナスの株が植樹されています。「北海道の花」として指定されているし、「はまなす国体」が開催された競技場ですから当然で、競技場に通じる道路が「はまなすロード」と呼ばれているのはご存じの通りです。雁来のハマナスも、いつかは立派な株に育ってくれれば嬉しいんですけど。


越冬したハマナスの並木(の一本)(2006.4.8)
まだ葉は出ておらず、古い枝(細くてツルツル)と、
今年の新しい枝(太くてトゲトゲ)が共存しています


posted by 雁来 萌 |23:26 | 周辺環境 | コメント(4) |

2006年04月25日

函館戦争回顧(戦闘の段)

※この回顧談は妄想の産物であり、登場する人物・団体などの名称は架空のものです。
 

我らが魂娑闘霊教団およびその門徒達は、邪教を信奉する宗敵により度重なる迫害を受けて参りました。砂を噛む思いで不当な弾圧や蔑視に堪え、様々な職人の姿に身をやつして、人目を避けながら毎日つつましく暮らしていたのです。

加えて、豚肉を海鼠状に固めた生臭い食物を神体として崇めている、排他的な棒球教団によって、我々の約束された土地が侵略され続けており、崇高な我が教団に対するこれ以上の狼藉を許すことができません。

恨み重なる宗敵を排除して我らの大地と家族と生活とを守り、失われかけた栄光を復活させることを期して、おびただしい数の門徒衆が松前藩の出城に集結したのです。
聖戦に備えて、敵の好物である柏餅を絶やすために買い込み、地元の商家・長谷川家の謹製による携帯兵糧も携えて、篭城の準備を整えました。
 

この戦のために築かれた城内の野外講堂において、教団専属の歌舞団による華麗な舞を奉納しつつ盛大なる祭礼を執り行い、梟の化身である我らが教祖様への絶対的な忠誠を誓って、邪悪な侵略者どもを迎え撃つ聖なる闘いを、武者震いしながら待ち構えておりました。

十里四方にも轟く太鼓の音とともに合戦の火蓋が切られるや、門徒達は二本の棒で張った筵旗を両手で掲げたり、棹に帆を巻いて作った大旗を打ち振ったり、手に手に赤い手拭いやら褌やらを持って横に広げる者は数知れず・・と同時に、教祖様の御真影が描かれた「きんと雲」の如き巨大な風呂敷を、寄ってたかって頭上で波打たせて敵を威嚇し、我らが戦士達を勇気付けたのです。

柳の木の下にお住まいになる、やんごとなき将軍様の指揮に従って戦士達は奮戦し、一時は宗敵を打ち破って蝦夷地から放逐するほどの勢いを見せたのでした。
積年の艱難辛苦から開放されるであろう次の世を想い浮かべ、豆の蔓をよじ登って天に達する少年のように、爽快な気分に浸っておりました。
 

しかしながら、忠臣と見せかけて謀反の大罪を犯した戦士や、己の戦闘技術を過信した戦士の軽薄な振る舞い、鍛錬を怠った戦士達の見当外れな射的、古典的な軍装、慢性的な兵糧不足など、我が教団には不利な条件が多く揃っていました。

勝負は時の運と申しますが、我らは運にも見放されたのでしょうか・・津軽海峡の潮の流れと共に形勢が逆転するのに、さほど時間は要しませんでした。

わずかに一矢を報いることはできたものの、あろうことか、その射手が実は裏切り者だったのです。後になって冷静に考えれば、彼が敵陣地の方角に駆け寄って喜びを表わしていたことに気付くべきでしたが、我らは予期せぬ勝利の瞬間を空想して浮かれていたため、敵に内通しているとは疑いもしなかったのです。

おそらく敵の一味である忍びの者どもが、呼び子を鳴らしたり、懐から黄色い紙やら赤い紙やらを取り出して裏切り者に合図を送る一方、側方からは怪しい色の小旗を振って、我らが戦士達の目を眩ませておりました。
何分にも、愚直に正々堂々と闘うことを常としている我らが戦士達にとって、このような卑劣な戦法は想像だにできず、対抗する術など持ち合わせていなかったため、敵の術中にまんまと嵌ってしまいました。
 

勝敗が決して後、戦士達は法輪を前後に備えた箱形の馬車に飛び乗り、一目散に蝦夷地の奥深くへと落ち延びて行きました。
門徒達も散り散りに敗走したため、仲間がどうやって逃げ延びたのか、互いに知る由もありません。ある者は松前藩の親類を頼って福山城にかくまわれ、ある者は江差の豪商の使用人として身を隠しているとも聞き及びます。千軒岳の麓の切支丹部落に命からがら辿り着き、介抱されて切支丹に改宗してしまった者もいるとか。


げに、慢心とは人の心の常なれど、恐ろしき事かな。

posted by 雁来 萌 |00:48 | トップチーム | コメント(2) |

2006年04月23日

大丈夫か? 札幌(U-15)

ダラスカップの予選リーグも終わってしまったし、決勝トーナメントの試合は朝早くはない(日本時間)ので、16日の日曜日はゆっくり起きて江別のユニオンGへ行きました。

実は前日、札幌ドームで会った旭川のSさんに「明日は旭川U-15の練習を見に東川へ行きたい」と言ってしまったんですが、よく考えると東川で練習するのは1年生だけで、2・3年生は江別に来て練習試合をするんです。
13時から東川で1年生の練習を見るよりは、14時から江別で2・3年生の練習試合を見る方が健全だろうと思いました。健全の度合いは、ハタから見れば五十歩百歩かも知れませんが・・正直に言うと、朝早く起きたくなかったという事情の方が支配的でした。

ユニオンGの脇の道路で弁当を食べていると、旭川のユースバスが到着しました。選手が31人と調整中1人、スタッフは川口コーチだけで、他のスタッフは東川に残ったのでしょう。
対戦相手はユニオンJrユースです。


旭川U-15(赤黒)vs ユニオン(白)(2006.4.16)
 

【以下、敬称略】
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1試合目は3年生主体で、35分ハーフでした。
GK:宮崎
DF:田辺、内田、河本
MF:菅野、鈴木、藤田、佐藤(佑)、近藤
FW:菊地、箭原

立ち上がりは、旭川のパスが弱くて味方に届かない場面も時々ありました。まだ慣れてないんだろうか?7分頃に菅野が小山内に代わりました。
前半の8分頃に、右側タッチライン近くから45度・30mくらいのFKを得て、これを蹴った田辺のボールは、風に乗ったせいもありますが、誰も触らずにファーの左側のポストに当たってゴールに入りました。
ちょっとラッキーな得点でしたが、その後も旭川はボールを支配する割合が多く、逆にユニオンはパスの意図や精度が中途半端で、旭川へのプレゼントボールになる場面が多かったです。

左サイド・近藤のドリブルと河本のオーバーラップが痛快でした。
終盤に、また右ライン寄りから田辺がFKを蹴り、左から飛び込んだ箭原がヘディングで合わせて追加点を上げました。

後半開始時に交代はありませんでしたが、13分くらいで菊地に代わって木島が出場しました。
この直後、エリア内でDFが相手を倒してPKを与えてしまいました。このキックをGK宮崎がはじき、こぼれ球をキッカーがもう一度打ったのを再度はじき、さらに同じキッカーが打ったのは防げず、失点になりました。ここで内田に代わって大野を投入しました。

20分頃、右サイドで奪ったボールを木島に渡し、個人技で抜け出てシュートして追加点を取りました。
25分頃に箭原に代えて山室を入れ、その数分後にDFからのパスを相手に奪われて失点しました。2年生の大野は器用な選手ですが、ユニオンのフィジカルにはまだ勝てず、突破を許す場面が多くなりました。でも彼には期待しており、トップチームでいうと池内のようなタイプです。
終了3分ほど前で田辺に代えて京野を入れ、そのまま終了してスコアは(3-2)でした。


第一試合(Aチーム)(2006.4.16)
 

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2試合目は2年生主体で30分ハーフ、ユニオンも小柄な選手が多くなりました。
GK:宮崎
DF:松原、大野、京野
MF:志摩、宮下、山田(海)、山田(陽)、大沼
FW:木島、山室

サッカー自体は面白いんですけど(特に中盤の山田2人)、スコアに動きはなく、20分あたりで木島を塚原に代えましたが、前半は0-0で終わりました。
自分が座ってる位置では最初から向かい風でしたが、次第に強くなり、雨も降ってきました。

後半はMFを前田、佐藤(由)、藤村、山田(陽)、大沼 に代え、FWは塚原と小沢になりました。
開始2分頃に、中央から打たれたミドルがバーに当たって入り、失点しました。

京野に代えて那須、大沼に代えて石岡を入れた後、12分頃の左CKを石岡が蹴り、中央で小沢が足で合わせて得点しました。
22分頃には山田(陽)に代えて西垣、塚原に代えて金山を入れ、石岡をトップに上げました。交代で入った2人の「成長」を期待したいです。
終了3分前頃に、左寄りからのミドルを防げずに失点し、スコアは(1-2)で終わりました。


第ニ試合(Bチーム)(2006.4.16)

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私が観戦した試合に限ると、旭川U-15は昨年のクラブユース選手権・北海道大会でユニオンと対戦しており(当時の旭川は2年生以下)、この時は(0-4)でユニオンに負けました。

今年の旭川は3年生までの全学年が揃い、今まで上級生と対戦して苦杯(未成年なのでジュース?)を舐めてきた選手達ばかりですから、期するものがあるでしょう。
練習試合(や、もしかしたら公式戦)で対戦する札幌U-15は大丈夫か? ・・というのが、今回の結論です。


ユース旭川バス(2006.4.16)


posted by 雁来 萌 |23:55 | 闘う若梟 | コメント(0) |

2006年04月20日

待ち切れないもどかしさ

4月8日(土)に、東雁来練習場(屋外)へ行きました。
ある目論見があって行ったんですが・・見事に外れました・笑。

駐車場にクルマが沢山停まってて・・練習にしては多いし、かと言って試合をしてるでもないようです。
ピッチにはまだ雪が残っていて、ここしばらく気温が低い日が続いて雪融けが進まなかったことを物語っています。
普通、まだ寒いこの時期ならば、クルマの中から練習を見ることが多いんですが、結構な人数の親御さんが外に立って練習を見ていました。

ピッチの手前側では、U-18の選手達が慣れない雪かきをしていました。中央部では小さい子供達が走り回っており、それはU-12の選手達でした。
先頭を走ってるのは、元日本代表の長身DFですから、子供達が追い付けないのは当然ですが、なぜか、わざと雪が残っている部分を笑いながら走っています。
一応、ボールを使ったトレーニングも始まりましたが、あまりマジメにやってないように感じます。親御さん達の様子も、なんかいつもと違う感じがします。


U-12の雪上トレーニング(2006.4.8)

U-12の子達の練習が終わって引き上げてくると、チームバンからそれぞれ大きなバッグを取り出して、親御さんの車に乗って帰りました。
まだ小学生ですから、自分の身長の半分以上あるバッグを担いで・・いや、バッグが子供を抱えて歩いています。

そのバッグは、どうやら遠征用の硬くて重いバッグです。ということは、春休みの遠征から帰ってきたばかりのようで、雁来で解散する息子達を親御さんが迎えに来たようです。
どうりで、なんだか落ち着かない雰囲気で、練習が終わるのを待ち切れない・・早く自宅に連れ帰りたい・・ということだったんですね。

U-12の新人は、今年4年生になったばかりです。そんな子供に大きな荷物を持たせて遠征に送り出す時の親の心情は、どんなだっただろうか、これから自宅に帰って何を話すんだろうか、と思いを巡らせました。

U-12の子達が去った後、U-18の練習が始まりましたが、ピッチの人工芝が見えるのは、まだ縁の方の1/3程度だけです。
U-18の新人の選手を見るのは、この日が初めてでした。U-15から上がってきた選手達はもちろん顔馴染みですが、他から入団してきた選手達も、オフィシャルガイドブックの名鑑などを見ていたので、違和感がありませんでした。
2・3年生を主体としたメンバーはダラスに遠征してる最中なので、残っている選手は10名ほどしかおらず、組織的なトレーニングは出来ないので、ランニングやロングパスの練習が主体でした。


U-18の選手による雪かき(2006.4.8)

今年の冬は雪が少なかったので、去年に比べればかなり早い時期から屋外ピッチを使えるはずですが、気温が低い状態はしばらく続くという託宣が下ったようなので、たとえ雪が無くなったとしても肌寒い思いをするようです。


練習場付近の雪の山(2006.4.8)


FK練習用の壁人形(2006.4.8)
まだ冬眠中です。起こさないで下さい。


アミューズメントパークの人工芝ピッチ(2006.4.8)
こっちは雪融けがやや早いようで、ほとんど無くなりました。


posted by 雁来 萌 |00:19 | 周辺環境 | コメント(0) |

2006年04月17日

ダラスカップ閉幕

Dallas Cup は16日の決勝戦で閉幕しましたが、U-12 から U-19 までと Super Group U-19 の7種のカテゴリーのうち、5つのカテゴリーで地元のチームが優勝しました。
準決勝に進出したチームなども加えると、Dallas あるいは Texas 州の春祭のような大会になりました。我々にとっては、現地の陽気はとても「春」とは認められませんが。

今大会では結局、外国から参加したチームは一つもタイトルを取れなかったことになります。元々、参加チームはほとんどがアメリカ国内からで、外国チームと言えばメキシコと中米あたりまで(今回は南米チームは無し)と、ヨーロッパその他から数チーム、という構成では、移動が少ない近場の国内チームやメキシコが有利なことは否めないかも知れません。

札幌で毎年開催されている「北海道国際ユース大会」を連想して比較してしまい、こっちの方もこれからどう発展して歴史を作っていくのか、考えさせられます。(←私が考えてどうなる?)

大会期間中は連日30℃を超える猛暑で、雨は一度も降らなかったようです。そんな過酷な気候の中で、コンサU-18は19歳の選手も含む外国チームと対戦し、1勝2敗の成績だったことは、胸を張って良いと思います。選手達もかなりの自信が・・これから少しずつ増大していくだろうと思います。

試合を撮影した写真家によるショットの中で、コンサの選手達は今まで見たことが無いような表情で写っていました。それほど暑くて苦しかったであろうことが想像されます。

大会の開会式の日には、スタジアムの観客数が17,105人になり、これは新記録だったようです。開会式の前には地元チームの開幕戦があり、開会式の後には Manchester United と Real Madrid との対戦があれば、観客は入るでしょう。サッカー不毛の地、と言われるアメリカでも。

選手達は明日帰国して、半月すれば、もうプリンスリーグが始まります。国際大会の経験と成果をどう生かすことができるのか、期待(と不安)は膨らむ一方です。
今年からは北海道から2チームが高円宮杯に出場できる、と安心してもいられないでしょうし、勉強もしなきゃなりませんから・笑。

最後に、今大会でお世話になった大会関係者や、ホストファミリー、全世界20億人のサッカーファン、特に Douglas Fejer さんには感謝の意を表したいと思いますが、そんなことをここに書いても日本語が読めないんだってば! 少しイタズラしてみるか・・

posted by 雁来 萌 |22:06 | 闘う若梟 | コメント(2) |

2006年04月15日

ダラスカップ(写真のまとめ)

以前から紹介している、Douglas Fejer さんの Dallas Cup アルバム の中に、10日に行われた予選リーグ・第2戦の Eintracht Frankfurt vs Consadole Sapporo の試合の写真集が追加されました。

ちょっとした都合があって、アップされる順序が後先になったようですが、第2戦の写真もいずれ出てくるんじゃないかと狙ってました。
中には、柔道かレスリングのようなシーンもありますが、選手達の必死さが伝わってきます。
1ページ目だけ載せて一休みしてるんでしょうか。2ページ以降がまだありませんので、しばらくお待ち下さい。

今までの分もまとめておきます。
開会式と Real Madrid vs Manchester United :tiggy818
予選リーグ第2戦 vs Eintracht Frankfurt:Douglas Fejer
予選リーグ第3戦 vs Blackburn Rovers:Douglas Fejer


このアルバムの作者の Douglas さんて、ホントに「ダグラスおじさん」という(私の中の)イメージそのままの方ですね。
「ダグ」と言えば・・「タイムトンネル」というテレビドラマがありました。←それはアリゾナ州


追記1(2006-04-15 18:14)

ダラスカップ第2戦のアルバムは、小出しに2ページまで出来たようです。がんばれ、ダグ!

明後日の決勝戦は、地元の Dallas Texans RedSantos Laguna の対戦になったようで、結構、盛り上がるでしょうね。


追記2(2006-04-15 22:50)
 
3ページ目がアップされたので、これで最後でしょう。

ダグさん、お疲れ様でした。でもまだ決勝戦まで大変ですね。

もう、他に隠してないですよね? 予選リーグ第1戦の写真とか(爆)

posted by 雁来 萌 |01:54 | 闘う若梟 | コメント(3) |

2006年04月14日

ダラスカップ得点者2

ダラスカップの予選第3戦で、2得点を上げることができました。得点者の特徴を紹介します。
得点者だけにスポットライトを当てるのは気が引けるんですが、他のポジションの選手達も追々紹介していくつもりです。
私はDF専門だったので、PKでしか得点したことがありません。

・横野くんはユニオンU-15の出身で、一昨年の高円宮杯(U-15)北海道予選の決勝戦で、コンサから先制点を取った選手です。うちが逆転勝ちしたんですが。
その後コンサU-18に入団し、高い身長を生かしたヘディングが得意です。もう少し腰回りが逞しくなると当たりに強くなるだろうと思います。

・岡くんはコンサU-15の出身で、昨年の高円宮杯(U-18)の決勝戦で、Verdy ユースから先制点を取った選手です。逆転負けしたんですが。
喩えて言えば、闘牛や「ばんば馬」のように、相手を引きずってでも前に進む馬力があります。下唇が腫れてるように見えますが、どうしたんでしょう。
 

・昨日紹介した、Douglas さんによる Dallas Cup のアルバムですが、瓢箪から駒のようなラッキーなことから日の目を見ています。

この写真家は、対戦相手の Blackburn Rovers チームの選手の母親とメールを交わし、Frisco(Dallas の街の北方で、大会の会場があるエリア)に行って、選手本人と会ってきたそうです。
しかしながら、地元の Texans チームの試合を見るためには長居できず、試合の前半だけ見て戻ってきたそうです。

試合の後半の写真が無いとか、対戦相手を中心に撮影してるとか・・は、そういう理由がありますが、我々にとってはコンサの選手が写っていればそれだけで満足で、「棚からボタモチ」のようなプレゼントでした。

posted by 雁来 萌 |12:59 | メンバー | コメント(3) |

2006年04月13日

ダラスカップ第3戦(U-18)

コンサU-18チームが参加している第27回ダラスカップも期間半ばになっています。

12日14時(日本時間の13日4時)からの予選第3戦では、イギリスの Blackburn Rovers FC と対戦し、(2-1)で勝ちました。

これで予選リーグの最終成績は1勝2敗となり、勝点3でグループ3位になりました。→成績表の "Bracket C"
グループCの1位チームは、今日 Eintracht Frankfurt に勝った Santos Laguna になり、決勝トーナメントへ進みました。
グループAとグループBの順位は今日の昼過ぎまでに決まる予定ですが、グループAの Manchester United は3戦終わって勝点7で、グループ1位か、2位の最高位として決勝トーナメントへ進めるはずです。

14日の準決勝の組合せは一応決まっていますが、同じ予選グループから進出したチーム同志が対戦しないように調整されます。
その後、15日に3位決定戦、16日に決勝戦が行われます。

コンサU-18チームは今後、フレンドリーマッチを行ったり、トレーニングしたり、他の試合を観戦したりして、17日に帰路に就き、18日に千歳へ到着する予定になっています・・平日の夜だし。


追記(2006-04-13 12:59)

Douglas Fejer さんのDallas Cup アルバムに、コンサ U-18Blackburn Rovers試合がアップされました。
まだ1ページしかありませんが、いままでの経緯から推測すると、今後さらにページ数が増えると思われます。
何人かの選手の背番号は確認しましたが、もう少し増えてから紹介します。

作者は写真が趣味で、今回の大会でも地元チームを中心に撮影・紹介していました。
9日に、対戦相手の地元イギリスの方から「Blackburn Rovers の試合を撮影する予定はありませんか?」という質問があり、「トライしてみる」と答えていました。
10日にはイギリスの試合を見る機会が無かったようですが、元々ドイツと日本の試合を見たかったようだし、12日は Blackburn Rovers との対戦になってちょうど良かったようです。


追記2(2006-04-13 18:23)

予選リーグの最終結果から、グループ別の1位チームが次のように決まりました。
A:Manchester United 、B:Dallas Texans Red 、C:Santos Laguna

2位チームの中では、グループAの CF Monterrey が勝点7で決勝トーナメントに進むので、準決勝の組み合わせは、Dallas Texans Red vs CF MonterreyManchester United vs Santos Laguna となりました。
大会関係者の目論見としては、地元チームが決勝戦に進む可能性が残っており、しかもその対戦相手が Manchester になれば、願ってもない展開でしょう、Real が予選リーグで2敗して敗退してしまった今となっては。

上記のアルバムは3ページに増え、これが限度だと思います。
1点目は、GKが飛び出しているところを横野くんがシュートしたようですが、2点目は分かりません。大西くんは、かなり注目されているようです。

アルバムの中の選手達の背番号を判別してみますが、連日の強い日射で顔面がかなり黒ずんでおり、分かり難い写真もあります。
アルバムに写っていない選手達の背番号は、これまでの慣例や、あきっくさんによる「コンサ中心生活」の関東遠征の記事を参考にしました。

1塚本 3廣中 4熊澤 6大野 7松本(壮) 9山川 10鶴野 11久松 12安藤 13大西 14長沼 15谷川 16岩田 17門間 18横野 20岡C 21平加 22加藤(大) 24能登 25伊東
3年生10+2年生8+1年生2=20名になります。

posted by 雁来 萌 |07:05 | 闘う若梟 | コメント(6) |

2006年04月12日

ダラスカップ得点者

ダラスカップの途中経過が、 大本営  育成普及部のブログやオフィシャルページから報告されました。遠征メンバー20名のうち、19名まで出場したようです。
第1戦の得点者は大西洋平くんだそうで・・どんなゴールだったのか目に浮かぶようです。

洋平くんは今年2年生になります。
彼は猪突猛進型のFWで、昨年のプリンスリーグなどでも、積極的な攻撃をして得点していました。
途中から後ろに戻ったり、ゴール近くで他のプレイヤーにボールを渡すなんてあり得ない性格で、喩えるならば「神風特攻隊」です。
爆弾を抱えて敵艦に体当たりすべく突っ込んで行くんすが、目標に到達する前に集中砲火を浴びて撃墜されることが多いんです。

敵を引き付けておいてフリーの味方にパスを出すよりも、自爆する方を選ぶ傾向があります・・というか、味方の援護射撃など、当てにしていません。もう少し周囲を利用するようになることが今年の課題でしょう。

右サイドを思い切りえぐることが多く、角度の無い所から右足を振り抜いて打ちます。ピッチサイドから見てると、ゴールに吸い込まれるまでの弾道がスローモーションのように網膜に残って、敵空母撃沈の大手柄を立てたりします。
今大会でも大きな勲功を引っ提げて帰還することになりました。我が軍の損害は軽微・・という訳にはいきませんでしたが。

すっかりダラス時間に浸った生活が続いていますが、明日の未明(13日4時)から、いよいよ最終戦です。


追記(2006-04-12 12:59)

大会の開会式と、その後の Real MadridManchester United の試合を含むと思われる写真集がありました。
コンサU-18チームも開会式に参加し、この試合を観戦する予定になっていたので、あるいは観客席に座っているかも知れません。


さらに追記(2006-04-12 20:46)

上記の写真集の中に、うちの選手達(らしい人物)が写ってる(ように見える)ショットがありました。
この写真の「JAPAN」のプラカードの後方から、白旗の左隣にかけて集まってるのが、コンサU-18の選手達に(私には)見えます。ただ単に、幻が見えているだけなのかも知れませんが・笑。

画像の明暗や色調を調整してみると確信を持てるんですが、そういう加工を施した画像は公表できないので。

posted by 雁来 萌 |08:05 | メンバー | コメント(0) |