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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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【妄想】 震災避難訓練

2007年01月28日

※この記事は、事情を知らない一市民がキックオフイベントを斜めから見た架空の物語ですから、真に受けないで下さい。
 

1月21日(日)に、北海道太平洋岸の○○地方沖を震源とするM=△の地震が起こり、札幌市中央区では震度5弱を観測した、という想定で避難訓練が行われました。

豊平区の札幌ドームは広域避難場所に指定されているので、着の身着のままで辿りついた市民でごった返していました。
訓練を開始する予定時刻のはるか前から、入場口には長い行列ができており、一体何が楽しくて避難訓練に参加するのか・・不思議です。


避難所に集まった市民達は思い思いの場所で休みながら、家族への連絡などをしていました。
これは訓練なので和やかな雰囲気ですが、もし本当の災害だったら、この先いつまで続くのか分からない避難生活を思って、先行きが不安になるはずです。


地震の振動による液状化現象が起こって、泥が混じった地下水が数ヶ所から噴き出してしまい、危険なので近付かないように柵で仕切られていました。


避難民に対して、ステージ上の地震学の専門家から今後の地震活動についての見通しが説明され、行政担当者や防災関係者からのアドバイスや連絡事項に聞き入っていました。
はぐれた家族などを探すために、場内には迷子案内コーナーも設けられていました。


災害時には、背中に背負える非常持出袋が重宝します。両手が空くので、瓦礫が散乱している不整地を歩く時でもバランスを取りやすいのです。これに帽子と軍手が加われば完璧かと。
背中に名前が入っていれば探す時に便利です・・が、大伍くんの後援会ですか。


床に100円玉が落ちていたので拾・・う前に、すいか隊の習性として敷かれている人工芝の写真を撮りました。普段は立ち入れない場所ですから。


はぐれた場合に備えて、家族の写真を撮っている人達もいましたが、それは家族ですかっ?
ブログに載せる記念写真でも撮っているのでしょうか・笑。←注:追記参照

気分転換を兼ねてボール遊びをするコーナーが設けられていたり、ダンスチームによるアトラクションも披露されて、とかく退屈になりがちな避難民の気を紛らわせようとします。
衣類や菓子などを販売するワゴンもあって、不自由な避難生活への便宜が図られていました。

身分証明書を持って来なかった人のために、300円を出してその場で名札を作る機械も供用され、順番を待つ列が出来ていました。
避難訓練を受講したことを証明する修了証が参加者に発行されるので、サッカーチームのスタッフなどが総出で修了証にサインしていました。


避難所の目印として夜間でも遠くから分かりやすい標識があり、ストレスが多い避難生活の疲れを癒すデザインになっています。
ここは大規模な炊き出しが可能な設備もあり、十分な数のトイレや空調、照明、放送設備が備わっているので、長期の避難生活にも対応できる施設のようです。

供え餅あれば憂いなし、天才は忘れた頃に「やぁ!」って来る。


追記(2007.1.30)
何だか気になって調べたら、ありました。
例えば→えぞりす地球放浪記

ちょっと拝借して、コペンハーゲンの人魚姫の左右を入れ替えるとこうなります。



post by 雁来 萌

10:58

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コンサドーレカップ(O-35)

2007年01月25日

「札幌サッカーアミューズメントパーク」で行われている「コンサドーレカップ2007」は2週目になり、20日(土)には中学生の部とシニア(Over35)の部の試合が行われました。
シニアには、他に(Over45)のカテゴリーもあります。

シニア(O-35)の部の4グループによる予選リーグのうち、20日の夕方から始まった2グループの予選を見ました。21日に行われた残り2グループの予選は、ある宗教行事と重なったため、見れませんでした。


シニア(O-35)の部の開会式(2007.1.20:SAP)


HSクラシコ(グレイ) vs ZIZI札幌YOUTH(赤)
胸に「白い恋人」が描かれた黄色いユニを着てるGKは、どこかで見たような容貌をしていますが、他人の空似のようでる。(笑)


FC NOUVEAU(白) vs FFC円樹(ピンク)
このグループ内では、「FC NOUVEAU」が一位になり、フットサルらしいフットサルをするチームでした。(意味不明?)

シニア(O-35)の部の他、ほとんどのカテゴリーの決勝戦は、28日(日)に札幌ドームで行われます。



post by 雁来 萌

23:23

周辺環境 コメント(0)

ユースも新体制がスタート

2007年01月22日

1月11日に、2007年の育成普及部のコーチングスタッフが発表されました。
ユースの練習は、ほぼ学年に基づいてグループ分けされるので、選手の方は学年の変わり目、つまり4月から新しい選手構成になります。
とは言っても、受験のある最上級生は冬になる前にほとんど引退し、その代わりに、年が明けた頃からは次年度に新加入する札幌近郊の選手達が加わってきたりして、五月雨式にメンツが変わります。

年末年始には道外遠征や短いオフがありますが、トップチームのような長期のオフは無く、(詳しくは知りませんが)コンサドールズのようなウェイトコントロールも課されます。
 

14日(日)にアミューズメントパークで行われた、U-18とU-15の練習を見てきました。
午前中に、U-18は3人ずつのグループに分かれ、グループ対抗でフットサルのゲームをしました。
予選リーグを勝ち上がったグループで決勝Tを行うという方式でした。


グループ対抗のフットサル決勝戦(2007.1.14:SAP)
山川・大西・伊東組(黄) vs 福田・横野・鶴野組(赤)の対戦


シュートを止める福田くん
優勝は、福田・横野・鶴野組になりました。何も貰えませんが。


午後からはU-15の練習がありました。
1年生は屋内競技場で練習してましたが、見ていないので詳細は分かりません。
2年生は、前日のフットサル大会の札幌代表を決める予選で敗れてしまい、代表決定戦には進めないので当日は試合が無くなってしまいました。練習場所を確保していなかったので練習はナシ・・とは問屋が卸しません。
名塚監督がボールや練習用具を外に出して、トレーニングが始まりました。


U-15の雪中トレーニング(2007.1.14:SAP)
予選で敗退したための「天に代わってお仕置き」という雰囲気ではありません。
名塚監督が、約1馬身(参考)のリードを保って先頭を走っていましたが・・


周回が進むと、 名塚 なぜか最後尾になっています。

この後、ダッシュを繰り返すトレーニングなどをしました。雪の中を走ることは足腰の鍛錬になるばかりではなく、バランス感覚を養う訓練にもなる(名塚監督言)そうです。


途中から晴れてきて、最後は雪中紅白戦を行いました。

最初は普通のルールだったんですが、途中でルール改正が行われ、ボールがゴールに入っても「攻撃側のプレイヤーが全員ハーフウェイラインを越えていなければ得点にならない」一方、「守備側が全員自陣内に戻っていなければ2点になる」というルールに変わりました。
この結果、全員がボールを追って攻撃に参加したり守備に戻ったりする必要が出てきて、かなりハードな運動が要求されます。ハーフウェイラインの付近で待機する要領のいい選手がいたり、守備側の選手が自陣内に戻れないように攻撃側の選手が妨害したりします。


白熱する紅白戦、雪もろともシュート

結局、紅白戦のスコアはイーブンになったので、PK戦を行うことになりました。
全員でGKやキッカーを交代しながら、しかも雪の上でのプレイなので、本職のGKでも俄か仕立てのGKでも大差はありません。


赤いポールの間がゴールで、ハイボールは得点になりません。

PK戦も伯仲した展開になり、ビブスチームの最終キッカーは名塚監督です。これを押さえようとするFくんは、ピステを脱ぎ捨てて練習着の前身頃を首に掛けると、中には「白い恋人」が描かれた昨シーズンのユニフォームを着てました。(爆)


気合のGKも、名塚監督のシュートを見送るだけ

代わって、名塚監督が守るゴールにFくんが蹴る番ですが、助走を取って蹴ったボールは見事ゴールに入り、これが決勝点となってビブス無しチームが勝ちました。
喜んだFくんはユニフォームもたくし上げて腹を出したまま雪原を走り回り、仲間から雪を掛けられたりしても気にならない様子でした。(このシーンの写真はお見せできません・笑)



post by 雁来 萌

22:25

日々精進 コメント(2)

コンサドーレカップ2007

2007年01月19日

今年も、「コンサドーレカップ2007・全道市町村サッカーフェスティバル」が始まりました。

主催は北海道サッカー協会、北海道スポーツクラブ、北海道フットサル連盟で、1月13日・20日・21日は「札幌サッカーアミューズメントパーク」で、27日・28日は札幌ドームで行われます。
開催要領は→こちら(pdfファイル)にあり、老若男女のカテゴリー別にサッカーを楽しむ大会で、サッカーと言ってもルールは「フットサル」です。
昨年の大会の記事は→こちらを見て下さい。

今回は、13日(土)に行われた高校生の部の結果を簡単に紹介します。
開催要領にもあるように、高校生の部は13日に予選リーグ、14日に決勝トーナメントを行う予定でしたが、参加チームが6チームしか無かったので、6チームによるリーグ戦の成績でそのまま順位を決め、表彰式も13日に済ませました。


試合風景1:サンティスタ(赤) vs FORZA OB(グレイ) (2007.1.13:SAP)

試合結果は→こちら(エクセルファイル)にあるように、「たらこ」というチームが優勝しました。このチームは北海高校のメンバーから成り、うちのジュニアユースOBの谷山由宇くんも出場してました。


試合風景2:たらこ(白) vs インコントリスタ(緑) 一方的な展開


コンサU-15OBの谷山由宇くん(ちょっと不鮮明)


表彰式:優勝チーム「たらこ」
 

20日(土)は中学生の部の予選とシニアの部の予選が行われるので、こちらを冷やかしにでも行こうかと。



post by 雁来 萌

07:23

OBの闘い コメント(0)

2006年の十大ユース

2007年01月17日

今年も、独断と偏見によるユースの十大ニュースを選んでみました。

1.ダラスカップに参戦
昨年の高円宮杯(U-18)で準優勝したご褒美に、アメリカ・ダラスで開催されるダラスカップに参加しました。
厳しい気象条件の下、予選リーグで1勝2敗の成績を収めました。決勝トーナメントには進めませんでしたが、国際試合とか、現地でのホームステイとか、良い経験になったでしょう。
関連記事は→

2.全日本少年大会でU-12チームが健闘
U-12の全国大会である「全日本少年サッカー大会」の決勝大会に、コンサU-12が北海道代表として出場しました。
予選1次ラウンドを5戦全勝して決勝ラウンドへ進み、昨年のU-18チームのような快挙を見るために、西が丘へ行かねばならんのかと期待しましたが、決勝ラウンド1回戦で敗退してしまいました。しかし、全国でベスト16ですから、立派な成績です。
北海道予選の記事は→こちら、
決勝大会の記事は→ひぐまANNEXに詳しく書かれています。

3.レオス杯(U-11)3連覇
U-11の全道大会である「レオス杯」に、初回から3連覇しました。
今年は、上記のU-12の全国大会に出場した5年生もいるので苦しい闘いでしたが、何とか予選から無失点で優勝しました。
関連記事は→こちら

4.岩内町長杯(U-10)連覇
U-10の全道大会である「岩内町長杯」で、昨年に続いて優勝しました。
決勝戦の途中からは激しい雷雨に見舞われ、記念撮影や表彰式は気の毒でした。
関連記事は→こちら

5.旭川ユースが旭川地区で健闘
今年になってやっと3学年が揃った旭川ユースは、旭川地区でのタイトルを取れるようになりました。
全道大会にも出場してきましたが、全道の壁はやや厚かったようです。来年もまた頑張ってちょうだいね。

6.10周年記念イベントにユーススタッフが参加
まだまだ現役でやれるように見えたスタッフもいましたが、やはり10年近いブランクは大きいですね。
OB戦での活躍が評価されて、育成普及部の赤池GKコーチがトップチームに抜擢されることになった・・とは考え過ぎですか。
さらに、ユーススタッフチームの助っ人として出場してたユースOBの相川雄介くんが、育成普及部のGKコーチとして迎えられたことは歓迎ですね。
関連記事は→こちら

7.SAPの本格使用始まる
雁来練習場の隣に建設された「札幌サッカーアミューズメントパーク」で各種大会が行われるようになり、冬場の練習場として人工芝の屋内競技場を使用できるようになりました。
「つどーむ」や「きたえーる」などを放浪しながら練習する必要も無くなりましたが、交通は少し不便かも。

8.JリーグアカデミーU-13リーグ始まる
2007年から正式に始まるようですが、2006年は新潟、仙台、山形(庄内)、山形(村山)、旭川のチームと対戦しました。
関連記事は→こちらこちら

9.わかばライオンズカップ交流戦始まる
公式戦ではないので、見てる方は結果を気にせずに楽しめました。来年以降も続いて欲しいです。
関連記事は→こちらこちら

10.クラブチーム選手権(U-12)始まる
不思議な開催要領の大会ですが、中学1年生やU-12の強化のためには有効かも知れません。
関連記事は→こちら
 

残念なニュースもありましたが、私の中では10位以内に入らなかったので、詳しくは触れないことにします。(爆)
・プリンスリーグ(U-18)北海道で3連覇を逃す
・高円宮杯全日本ユース(U-18)大会への出場を逃す
・高円宮杯全日本ユース(U-15)大会への出場を逃す
・日本クラブユース選手権(U-18)大会で予選リーグ敗退
・日本クラブユース選手権(U-15)大会で予選リーグ敗退
・Jユースサハラカップで予選リーグ敗退


post by 雁来 萌

06:55

闘う若梟 コメント(0)

ゴールキーパー研修会

2007年01月14日

北海道サッカー協会が主催する「ゴールキーパー研修会」が、1月5日(金)と6日(土)に「つどーむ」で行われました。

1月5日と言えば、私が退院した当日なので、さすがに見に行けませんでしたが、6日の午後に見学してきました。6日はU-17(中3~高2)の選手が対象で、うちのユースやジュニアユースのGK達が研修を受けていました。

しばらく大会や試合が無かったし、練習も見学していなかったので、久し振りに見る若梟達は逞しく見えます。考えてみれば、涼くんは春から高校3年生になるとは、光陰矢の如しの感があります。(自分の加齢は無視する)


ゴールキーパー研修会(2007.1.6:つどーむ)
 

もう一つ見所があり、育成普及部の赤池GKコーチが、研修会の講師として参加していることです。
赤池コーチは、間もなくトップチームのGKコーチになるので、間近で見られるのも今のうちです。間近と言っても、つどーむの観客席から人工芝アリーナを見下ろすので、かなり距離がある上に薄暗くてよく見えないんですが、かん高い声が聞こえればどこにいるのかすぐ分かります。


実は、この日の午前中は石屋製菓さんでクッキーを買う都合もあって、宮の沢練習場の芝の様子を見てきました。


宮の沢練習場の芝(2007.1.6)

緑色の芝を見て一安心し、梟巣でランチしてからコレクションハウスに寄ると、千社札をデザインして作る器械があって、ハマってしまいそうでした。




 2作目の千社札




post by 雁来 萌

09:23

日々精進 コメント(0)

恥ずかしながら(6)

2007年01月12日

入院5日目で点滴も終わり、6日目(大晦日)からは投薬だけになりました。
1月5日に退院することも決まり、院外へ買い物に出かけても構わないことになりました。まるで、鎖から解き放たれた犬ですよね。

病院内の売店は年末年始が休業なので、外のコンビニへ買い物に行けないと、かなり不便な状況に陥りますが、その事態だけは避けられました。
銀行も年始は営業していないので資金を調達できませんが、大金を使えるような施設など病院内にあるはずも無く、「年越しの銭は持たない」という、質素で穏やかな正月を迎えることになりました。

6人部屋の同室の患者さん達は、退院したり外泊するために少しずつ減っていき、大晦日まで残っていたのは2人だけでした。その片割れも元日から外泊し、正月3が日を一人ぼっちで過ごしました。
まるで隔離病棟にいるような、独房にいるような気分ですが、他の部屋では家に帰れないお年寄りの患者さんが結構残っていました。


大晦日の晩餐(年越しそばと尾頭付きの鯛)

正月の献立には、おせち料理(らしき物)が少しずつ添えられていました。栗きんとん、黒豆、なます、田作り、昆布巻なども出てきました。
明らかに雑煮の具が入ったお汁なのに、餅が入っていません。お年寄りが喉に詰まらせると危険だから入っていないんでしょうけど、餅好きの私にとって餅のない雑煮なんて・・「けんちん汁」と同じです。


初日の出(2007.1.1:札幌市内の某病院)
まさか、こんな所で見るとは思いも寄りませんでしたよ。

世間の正月が終わった1月5日に退院し、連休明けの9日から出社していますが、自分の頭の中ではまだカレンダーがめくれておらず、相変わらず2006年の暮れのような感覚のままです。
10泊11日の入院でしたが、会社を休んだのは4日間だけで済みました。
 

今回のみならず、入院時にいつも世話になるのは妹です。
彼女はベテランの看護師であり、電話で「病院に担ぎ込まれた」と伝えても、慌てふためいて飛んで来る訳ではなくて、入院生活に必要な物を揃えてから来る人です。
医師からの病状の説明でも、私が聞くよりも妹に聞いてもらった方が、互いに話が通じるのです。

以前、彼女が整形外科の病院に勤務していた時代に、職場のレクリエーションのソフトボールでアキレス腱を伸ばしてしまい、自分の勤務先に入院したというツワモノでもあります。
婦長の手に点滴の針を刺す、新米の看護婦の心境や如何に。

(終わり)



post by 雁来 萌

07:47

雑念 コメント(4)

恥ずかしながら(5)

2007年01月11日

入院4日目は、朝から脳内の血流の検査を受けました。
血管に造影剤を注入しておいて、モニターを見ながら途中で筋弛緩剤を入れて血管を緩めてみて、それでも広がらなかったら血管が硬直してる(動脈硬化)ってことです。

左肘の静脈から薬剤を入れて右手首の動脈(脈を取る場所)から回収(採血)するんですが、手首の血管が細くて場所が分かり難いらしく、針を刺し直して・・後で見たら3ヶ所に刺し傷がありました。

この検査も、結構退屈な上に体を動かせない辛さがあります。1時間以上かかって、もう、ミイラになったと思って我慢するしかありません。
体がジワジワ暖かくなる感じがして、温泉地の砂風呂に浸ってる気分に似てるかも。

検査が終わって、午後に天皇杯の試合を見ていたら、雑用係のおばさんが「コンサドーレの選手がこの辺に入院してたんだよ、あぁ、この人さ。」と、テレビに映った選手を指差しました。へぇ~。
取りあえず、ボロボロに負けなくてホッとしました。
 

毎日、色々な検査を受けるため、その検査を受けること自体で具合が悪くなってしまう気もします。
翌日に、一連の検査結果を総合して、主治医から説明がありました。こういう時代ですから、質問した事には丁寧に答えてくれます。

それによると、「主因は脳内の血管が細いことで、これは多分、先天的であろう。脳への血流が少なかったのに、ストレスが加わって血流がさらに減ったために気を失ったのであろう。」ということでした。
脳への血流が少ないって、頭の血の巡りが悪いってことですよね?(不安的中)

従って、日常生活においては「血圧が下がる原因を避ける」よう注意すべきだそうで、普通の成人病とは逆のような印象を受けました。自分はまだ成人していないのか??
危険な状況としては、睡眠不足の状態で仕事を頑張り、夜に酒を飲んで血管を広げておいて、急にトイレに立つ・・と、血圧が一気に下がって倒れる恐れがあるとか。

私の血管には、まだ緩むだけの弾力があったそうですが、それでも一般人よりは細いそうです。
神経だけじゃなくて、血管まで繊細だったのだな・・。
子供の頃から手足の末端が冷える体質だったしな・・。
夜中まで起きててブログを更新するのは良くないのだな・・。

でもね、病院だって夜通し大声でわめくお年寄りの患者もいて、あまり眠れないんですよ。


post by 雁来 萌

07:29

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恥ずかしながら(4)

2007年01月10日

入院3日目の朝の回診で、主治医の先生から病状の説明があり、「元々、血管が細かっただけで、急に狭くなったり詰まったりした訳ではないようだ。少し無理をしたのではないか?」という見解を聞かされて、大いに納得しました。
結論:仕事の無理がたたった(自己満足)。

病名は「椎骨脳底動脈閉塞(狭窄)症」と言うらしく、平たく言えば、脳へ行く血流が少なくなって失神した、ということのようです。
病室から出歩いても良いことになりました・・と言っても、点滴が付いているのでエレベーター前の自販機に行くだけの狭い世界ですが。

午前中に「心エコー」の検査があり、これは人間ドックの超音波検査と同じような器械を病室に運んできて、心臓の検査をしました。
画面を見て、「おぉ、心臓が動いてる!・・でも、あまり強そうな心臓じゃないな。」などと自己中心的な見方をするのが病人の特徴です。それにしても、よくまぁ休まないで動いてるもんです。
1日に約10万回×365日×年令=??
記録された信号を音声として再生して聴く機能が面白くて、まるで何かを喋っているように聞こえました。

午後に病室が変わって、病院の中枢部から離れた神経内科の病棟へ移りました。
主治医によると、「もう一度MRIで検査し、血流の検査もして、異常がなければ年内に出れるかも知れない。」とのこと・・・「えっ? 最初に聞いた1ヶ月って、何だったの?」と、夏休みを急に短縮されたような、雨で遠足が中止になったような、一種の落胆を感じました。

夕方に2回目のMRIの検査を受けました。MRIは「頭の中にキツツキがいる」と表現した人がいますが、私にとってはそれほど不快ではなく、コンサートホール「Kitara」のパイプオルガンが鳴ってると思えば心地よく聴いていられます(ただし音量は大き過ぎる)。

院内ならばどこを歩いても構わないとのことなので、売店やロビーをプチ探検してみました。蛙にとっては、井戸の中だって大宇宙ですから。

明日は、多分最後の検査になる(ことを切望する)、脳内の「血流の検査」を受けるらしいですが、その検査が、天皇杯の準決勝の時間帯とカブらないことを祈るばかりです。

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テレビや冷蔵庫に使うプリペイドカード
テレビは1000円で20時間、冷蔵庫は100円で24時間の割で減っていく勘定になり、退院時に残額は払い戻されます。



post by 雁来 萌

07:16

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恥ずかしながら(3)

2007年01月09日

入院2日目には、色々な検査を受けました。

【脳波】
ラグビーの防護帽のようなヘッドギアを被って電極をたくさん固定し、まるでオ●ム真理教の信者が洗脳を受ける光景です。
光を遮るアイマスクを付けて横たわっているだけなので、眠くなります。どんな オーラ 脳波が出ていたのか、興味があるところです。

【心電図】
人間ドックでの検査と同じで、胸に吸盤の電極、手足にクリップの電極を付けて寝てるだけの、身体的に全くストレスの無い検査です。

【血管造影】
頭の中の血管を調べるのに、足の付け根の大動脈からカテーテルを入れて造影剤を流し込むという、いささか遠回りな感じがする方法ですが、ここの血管が一番刺し易いらしいです。

カテーテルの進行経路(副作用を説明する資料から抜粋)

カテーテルを刺す場所の周囲の体毛を剃らなければなりませんが、右脚を予定してはいても、血管が曲がったりしていると左脚に変更する場合もあるので、念のため両側を剃るそうです。「そんな面倒なことしないで全部剃ればいいのに」と言いかけて飲み込みました。「自分で剃ってもいいですよ」と言われましたが、「餅は餅屋」なのでお任せしました。←餅肌の私。

頭の近くまでカテーテルが進んだところで造影剤を注入しますが、「顔の左側が熱くなりますよ~」と言われれば、確かにその部分が熱くなります。「頭から血の気が引く」のとは全く逆の感覚で、頭に血が上るというか、お湯が上って行く感じです。

困ることは、何しろ動脈に孔を開ける訳ですから、カテーテルを抜いた後で出血します。止血のために傷口をバンドで押さえるんですが、術後4時間は足(腰)を伸ばしたまま寝ていなければならず、これが結構シンドイです。
 

検査漬けの一日が終わったのが午後7時頃で、それから夕食を摂った後は直立不動(?)の姿勢でじっと寝てるだけ、午後11時にやっと固定バンドを外されて眠りました。



post by 雁来 萌

06:41

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恥ずかしながら(2)

2007年01月08日

救急車が年末の車の流れを蹴散らしながら病院に到着すると、検査準備室のような部屋に運ばれ、そこで家族に連絡したり、検査前の準備をしたり、所持品の確認をしました。刑務所の入所時みたいな・・って、もちろん未体験ですよ。

まず、MRICTスキャン、レントゲンなどで頭の内部を調べた結果、脳底動脈という血管の一部が細くなっていることが分かりました(患者本人がそれを知ったのは後日ですが)。
自分としては、頭の中が空っぽである事実が判明することが一番不安だったのですよ(笑)。でも、「のうていどうみゃく」って、何??

通常、太い動脈が詰まって血流が止まったり、動脈瘤ができて破裂したりすると大事に至りますが、私の場合は上記の動脈が元々細かったので、血液の流量が酸素の消費量に追い付かなくなったようです。
スポーツカーは燃費が悪いとか、高速処理の計算機は電気を食うとかいう傾向はありますが、自分の頭脳の性能をそれらと同列に論じていいものかどうか、甚だ疑問ではあります。

検査が一通り済むと、ICU(集中治療室)のベッドに寝かされました。ここは常時監視が必要な患者を集めておく部屋で、婿養子のように大事に扱われる極楽ですが、立って歩くこともできないし、脈拍や血圧や呼吸などのモニターがあちこちでピーピー鳴るので、とても熟睡できる環境ではありません。
ここの要員は淡々と、しかも機能的に働いている印象を受けました。人間の臓器で喩えるならば肝臓かなと。

この時点では、重篤な状態に陥る危険性もあるため、1ヶ月ほど入院する必要がある、という説明を受けました。
退院して職場に復帰したら何て言おう・・「恥ずかしながら、生きて帰って参りました!(敬礼)」ってか。

夕食を食べる時間が無かったので、翌朝の食欲はありましたが、かなり質素な献立で・・栄養になるのは米くらいかな?という感じでした。食欲旺盛な患者がいるはずのない部屋ですから、これでいいんでしょう。

朝の回診の後で、院長先生と主治医との打合せの結果、「血管造影」の検査を行うことになり、切迫した危険が無さそうなので一般病棟へ移りました。ただし、種々の検査を受けやすいように、検査室が集中している階のすぐ下の階でした。


追記(2007.1.8)

病院からもらった説明シートの一部:
見えるはずの血管が 「←見えない!!」と書いてある



post by 雁来 萌

07:42

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恥ずかしながら(1)

2007年01月07日

甚だ唐突なことですが、勤務中に気を失って倒れ、年末年始を病院で過ごすことになりました。

既に退院しましたが、初めて倒れたままあちらの世界へ行ってしまう人もいるし、後遺症で体験談を書き記せなくなる人もいるので、滅多にできない体験を数回に分けて報告しようかと思います。
これは「闘病記」ではありません。私の場合、病状は大したことないので、闘う相手は「病気」ではなくて、種々の「検査」でした。
入院2日目にして、こんなことを考え始めたブロガーですが、何か。
 

2006年も押し迫り、(義理で買った)大型のX-mas ケーキを少しずつ食べながら過ごしていた頃の、火曜日のことでした。
会社での仕事もそろそろ切り上げようかと考えていた午後6時頃(と記憶している)、データ処理のプログラム作成中に、貧血のように視野がにじんできたので、それまでの前かがみの姿勢から少しくつろいで、椅子の背にもたれて楽にしました。
記憶があるのはそこまでで、次に目に見えたシーンは、床に横たわっている自分を周囲の同僚が見下ろしている(「みくだしている」ではない)光景でした。

起き上がろうとしましたが、「安静にしてた方がいい」と言われるし、既に救急車を手配したらしいし、起きている間に意識を失ったのは初めてのことだったし・・で、観念しました。
自分で歩けるんですけど、両腕を同僚に掴まれて拉致され、白い車に押し込まれ、ベルトで固定されたまま連行されました。

実は、救急車で運ばれたのは今回が2度目です。20年ほど前に、交通事故で背骨の横に出っ張っている突起(鮭や鯨の背骨を思い浮かべて下さい)を3ヶ所折って搬送されたことがあります。
腰椎横突起骨折って、G大阪の播戸選手が試合中に骨折した箇所と同じです。
 

気を失っている間に、霊界は見えませんでした。私は元々、霊感なんて全く無い人間だし、「お前のような中途半端な人間には見せられない!」と門前払いされたのかも知れません。
もし丹波哲郎に会ったなら、生前に何度か見えた(らしい)霊界と、最終的に見たホントの霊界とが同一だったのか否か、確かめたかったのにな~。


post by 雁来 萌

11:48

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越すに越されぬ大井川

2007年01月06日

前編中編後編に続き、この話は妄想・・を文章にするのも疲れますね。

都合により、このシリーズはこれで終わります。


魂娑藩の軍団が湯明日田城へ向けて三方から進軍を開始すると、次第にその軍勢が増えて大名行列のような規模になり、我が軍を城の外で撃退するのは無理と見てか、守備側の武田方は砦から退却して城内に篭りました。
合戦の指揮を取る仙台藩は、もはやこの戦に勝ち目は無いと判断し、武田方の軍勢をうち捨てて密かに逃走してしまいました。噂の通り、仙台藩は泰平な生活に慣れ過ぎて、かなり堕落している模様です。

湯明日田城の門までは難無く進めたものの、城門がなかなか開かないため、入城を待つ魂娑藩の隊列が数珠繋ぎになり、しまいには城を一周するほどの長さになりました。

やっとのことで城内に入ると、武田方の軍勢は予想よりも少なく、戦意も感じられません。仙台藩にうまく利用された末に裏切られたという、忸怩たる思いもあるでしょう。
武田家の武具は青と赤との色使いであり、江戸近郊の江伏藩の武具と見間違えそうになることもあります。一方の魂娑藩は、討ち死に覚悟でこの戦に臨んでいるため、全員が白装束に身を包んでおります。

仙台藩が置き去りにした牛の舌の焼物や、ずんだ餅を頬張りながら開戦の刻を待っていると、武田方の陣内から一人の武者が騎馬に跨って走り出て来て、敵陣からはやんやの喝采を受けました。一騎打ちを望んでいるのかと思って名乗ったのを聞いてみると、「堀井岳之輔」と申す名のようです。当方からも、その勇猛な武者に向かって扇や手拭を振って囃していました。

武田家の内情に詳しい者の話によると、彼は元々は甲斐の出でありながら、諸国を回って諸藩の用心棒役に取り立てられておりましたが、剣術に勝てたとしても寄る年波には勝てず、今年限りで用心棒暮らしから隠居するそうです。今後は、故郷で剣術道場を開き、後進の指導に当たるらしいですが、そう言えば、魂娑藩にも一宿一飯の義理があったような気がします。

彼は何やら当方に向かって伝えたいことがあるようで、耳を欹てて聞いてみると、「伴天連の兵などの助太刀を求めるのは卑怯である。ここは日本人同士で雌雄を決しようではないか。」という主旨のようです。
どうやら敵方には、当方の富貴氏が戦線を離脱しているという情報は伝わっていない様子で、これは渡りに船と、承知の旨を返答しました。
 

さて開戦の法螺貝が鳴り渡ると、そのような音を始めて聞いた武田方の雑兵は慌てふためき、当方が放った矢に対抗して攻め返すべきところを、味方の陣内に向けて矢を放つ始末で、その内の一本が武田方の武将に命中してしまったのを切っ掛けとして混乱に陥りました。

武田兵は敏捷な者が多いながら、あまり戦には慣れていないように見受けられます。当方の本陣近くまで寄せて来ても、そのまま突撃して来るのかと思いきや、直前で互いに先陣を譲り合うなど、およそ武士の風上にも置けない軟弱な振舞いが目に付きます。やはり、百姓どもを俄に徴用した雑兵は、戦の役には立ちません。

戦が終わってみれば当方の損害は軽微で、目覚しい戦功を上げた加賀氏が、大将からお褒めの言葉を頂きました。

思い起こせば昨年の暮れ、帆立城に篭って武田家を相手に戦を構えたことがありましたが、我が藩が勝利を手中に収めようとする寸前に、相手の逆襲を食らって味方が総崩れとなり、総大将の家友様に大恥をかかせてしまいました。
魂娑藩士達は皆、その屈辱をいつかは晴らさねばならぬと肝に命じ、家友様の家紋が染め込まれた手拭を懐に忍ばせて此度の戦に馳せ参じたのです。

何とか汚名を濯ぐことができ、幕府からの恩賞も頂けることになりましたが、天下を制するまで戦に休みは無く、次は大坂の岩馬藩が戦を挑んできております。

敵は、遠江の掛川宿の近くの恵古波城に陣を張っている模様です。ここならば、上方から見て大井川を渡る手前なので、いつでも故郷へ逃げ帰れる地の利があります。
当方としては、大井川を渡った所で陣形を整え直さなければならず、その隙に急襲を受ける恐れもあって、かなり不利な状況です。

湯明日田城の戦で深手を負ったために恵古波城の戦には参戦できない者や、武士に相応しくない振舞いを重ねたために参戦を許されない者も多く、当方に利する材料はあまりありません。
さらに心配なのは、佐藤氏は敵方から飛んで来た矢に対して目測を誤ることが多く、傍から見ていても危なっかしくて肝を冷やします。視力が落ちているのか、ただ単に前へ出たい性格なのかは分かりませんが、武田家の事情について妙に詳しいのも気になり、敵方に内通しているという疑いも完全には拭えません。

(終わり)


post by 雁来 萌

20:27

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