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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2012年02月29日
1年のうちで最も寒さが厳しい「立春」の時期も過ぎたし、例年より1日多い2月も終わりそうなので、札幌における今冬の寒さを振り返ってみようと思います。振り返るだけであって、間違っても寒さがブリ返さないように・・。 シーズン別に、札幌における冬期間の毎日の日最低気温や、日最高気温を調べました。(ここで) そして、冬期間の中で最も低かった値(極小値)を求めてみました。 安直な発想で、年別に年間の最低値を調べてもダメです。 一応、12月から翌年の2月までを「冬」と呼び分けますが、少し広げて寒候期(10月から翌年3月まで)の間で統計することにします。 これらのような場合は年をまたぐので、前年の10月1日から翌年の3月31日までの値を比較して、最低値を求めなければなりません。
通常、冬期間の年の呼び方については、後の方の年、つまり1月が含まれる方の年を付けて呼ぶので、2011年10月~2012年3月の寒候期を「2012年の寒候期」、あるいは単に「2012年の冬」とか「今シーズン」と呼ぶことにします。 統計値がある1962年の冬から2012年の冬までの、51シーズンについて調べました。 2012年の冬については、まだ3月が残っているので暫定値ですが。 寒候期の日最低気温の極小値を近い年から書くと、以下のようになっています。 2012/2/19 -12.1℃ 2011/1/ 7 -10.1℃ 2010/2/ 4 -12.6℃ 2009/1/26 - 9.9℃ 2008/2/25 -13.2℃ やはり1月や2月が多いですが、たまに12月のうちや3月になってから一番寒くなるシーズもあります。 このように1962年まで遡って統計し、グラフに表しました。注目点:
次に、日最高気温や日最低気温が最も低くなったのはいつなのか?を調べ、それらの極小値が出現した日付の変遷をグラフに表しました。縦軸は12月1日からの日数を表し、ひと目盛が約1ヶ月で、60の目盛は1月30日に当たります。 ひと冬の間で最も低い値が出現した日付なので、最高気温の極小値と最低気温の極小値が同じ日に出現するとは限りません。 注目点:
これらの結果から推定すると、
この傾向を基に、単純に「地球温暖化の影響だ」と考えるのは安直過ぎます。最高気温が高くなっていないのだから。 札幌のような大都市の気温が上昇する原因として、都市化の影響も考慮しなければなりません。 人口が増加すると・・
・・などの効果が現れてきます。 じゃぁ、都市化の影響を受けない田舎のデータを調べればいいだろ、と考えるのが自然ですが、田舎では長年にわたる観測をしていません。 長期間の変化傾向を調べ得るほど古くから観測を始めていた地点は、昔から人が住んでいた地点、つまり都市化の変化が激しい地点になってしまうので、都市化による影響を差し引いて、純粋に自然現象による変化量だけを抽出するのは難しいです。 札幌のみならず、道内の主な観測点で同様な調査を行うと面白い結果が出てきて、内陸部の地点では時代変化が大きく、海岸部の地点では昔からあまり変わらない、という傾向が見られます。
2012年02月26日
前報に続き、全道フットサル選手権(U-14の部)の決勝トーナメントを報告します。 1日目の予選リーグが終わった段階で2日目の決勝トーナメントの組合せ抽選が行われ、以下のような対戦となりました。
なんでこうなるの?・・1回戦から壮絶なサバイバルとなる見事な組合せで、これは準決勝の対戦カードだろ・・と言いそうになります。
会場となった南区体育館の階段の踊り場に、読めない書が掲げられていました。「こしょうなんめい」と読むらしいです。故障、何名?
意味はこんな感じ・・指パッチンなら片手で鳴らせるけどね・・来年のクラブスローガンにどう?
決勝トーナメント1回戦:コンサ札幌(赤黒) vs スプレッド・イーグル(白)決勝トーナメントは、10分ずつの2ピリオド制です。 久保田が右隅に打ち込んで先制しました。(1-0)
手前のエンドは近過ぎて、撮影し難いです。 沼田が右から打ち、左ポストに当たって入りました。(2-0) この後、右から打たれて失点しました。(2-1) しかし、柴田が右から打ち込んで突き放します。(3-1)
2ピリに入って、高嶺が左から打ち込み(4-1)、
さらに高嶺がこぼれ球を打ち込みました。(5-1) FKからの攻撃はバーに当たってしまいます。
終盤に沼田が掬うように打って(6-1)、
無難に準決勝へ進みました。
準決勝:コンサ札幌(赤黒) vs アンフィニ(緑)アンフィニは1回戦でSSSと対戦し、2ピリまでで(5-5)の同点、延長(6-1)で準決勝に勝ち上がりました。 相手の疲労を考慮して、準決勝2試合の開始時刻が15分遅れました。 左クロスを久保田が押し込んで先制します。(1-0)
島田がクサビになって、沼田が豪快に打ち込みました。(2-0)
2ピリに入って、久保田が打ったシュートのこぼれ球を自ら打ち込みました。(3-0)
この後、左から打たれて失点しました。(3-1) しかし磯見が右から打ち込んで追加点を上げ(4-1)、
さらに磯見が得点し(5-1)、なおも磯見がアウトサイドで打ち込む技を見せて点差を広げます。(6-1)
戻したボールを川尻がミドルから打ち込んで(7-1)としましたが、
終盤に打たれたシュートを押さえ切れずに失点しました。(7-2) 最後には相手のオウンゴールのような得点で(8-2)と大勝し、決勝へ進みます。 隣のコートでは、もう一方の準決勝(帯広緑園中 vs 札幌大谷中)が行われており、熾烈な点の取り合いになっています。
決勝の相手はどっちになるんんだ?・・勝ち名乗りを受けた力士が、土俵下で残りの取り組みを見守るような感じです。 後方では、アンフィニが3位の表彰を受けています。
隣の準決勝は、2ピリまでで(3-3)の同点、延長前半(1-1)、後半(3-1)、トータル(7-5)で帯広緑園中が決勝に勝ち上がりましたが、時間がかかったのと疲労回復のために、決勝の開始時刻が30分繰り下がりました。
決勝:コンサ札幌(赤黒) vs 帯広緑園中(白)コンサにとっては都合の良いことに、準決勝も決勝も疲れている(であろう)相手と対戦することになったので、不覚を取る訳にはいきません。 ところが1ピリの中ほどで失点ですよ。(0-1)
1ピリの終盤に相手を外して久保田が打ち込み、同点としました。(1-1)
2ピリも半分くらいを過ぎて、川尻の右クロスを久保田が押し込みます。(2-1)
終盤には本塚が打ち込んで突き放し(3-1)、
続けて左クロスを沼田が打ち込んで(4-1)、決勝も勝ち取りました。
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表彰式が行われて、コンサが優勝カップと賞状などを受けます。三森くんは負傷中なのか、この大会のGKは北原くん一人でした。 続いて、準優勝の帯広緑園中も表彰されます。
記念写真を撮影しました。
今日は明るいうちに帰れると思ってたのに、自宅に着く頃には暗くなってしまいました。
2012年02月23日
2月18日(土)・19日(日)に「厚別区体育館」と「南区体育館」で、全道フットサル選手権(U-14の部)が行われました。 この大会には、コンサ札幌とコンサ旭川が共に出場しています。 全道大会に先立って1月に行われた札幌地区予選(5枠)では、コンサ札幌は好成績で勝ち上がっています。→地区予選結果 全道大会は、各地区から出場する24チームを8グループに分けて予選リーグを行い、各グループ1位だったチームで2日目に決勝トーナメントを行います。 予選リーグで2位・3位だったチームはフェニックストーナメントを行い、このうちの1回戦だけは1日目の夜に行われ、2回戦以降は2日目に行われます。 →開催要項、組合せ日程、結果(いずれもPDF)
結果を先に言うと、コンサ札幌U-14が優勝しました。 今回の記事では1日目の結果を報告し、次回には2日目の結果を報告します。(いずれも簡単に)
1日目の会場となった厚別区体育館地下鉄の新さっぽろ駅から歩いてすぐなので楽です。ここは5年前の大会の予選リーグで来たことがあります。→記事 トイレのスリッパというより、オーバーシューズと呼ぶべきか・・
「シューズのままお履きください」と書いてあり、選手達がいちいちシューズを脱がなくて済むから便利。 予選リーグは、8分ずつの2ピリオド制になりました。 コンサ札幌はBグループ、コンサ旭川はGグループに属しています。 予選リーグBグループその1:コンサ札幌(白) vs 帯北アンビシャス(灰橙)
コンサ札幌U-15の2年生のうち、U-15日本代表候補の合宿に行ってる杉山くんなどを除いた、大部分の選手が来ており、1年生の菅くんも出場していました。 1ピリの本塚の先制点(1-0)
しかし、2ピリに同点にされました。(1-1) 右奥から鋭いクロスを入れたけど、2人とも触れずにガラ空きのゴール前を横切って流れてしまいます。
このFKは撥ね返されました。
久保田が追加点を上げました。(2-1)
相手GKのオーバータイムによるFKもありましたが生かせず。 終了間際に磯見が追加点を上げて突き放し(3-1)、まずは1勝を確保しました。 次の試合までの空き時間が長いので、近くにある札幌市青少年科学館に行って学習しました。
とっくに青少年じゃないだろ、という非難は無視して・・勉強は復習が大事ですから。
予選リーグGグループその1:コンサ旭川(赤黒) vs 根室柏葉中(緑)旭川のメンバーは半分くらいしか分かりません。今年の2年生の試合はあまり見ていないので。 隣のコートでも同時進行で試合が始まります。
旭川が攻撃に移るらしいシーン
1ピリの早い時間帯に2点を上げてリードしたものの、2点を失って同点になりました。(2-2) 2ピリはなかなか得点できません。 ビッグチャンスが続いたけどブロックされます。
ついに決勝点・・のシーンを撮ったはずなんだけど、ボールが写っていません。
結局(3-2)で、旭川もまず1勝を上げました。
予選リーグBグループその2:コンサ札幌(白) vs 新十津川中(青)またもや本塚が先制点を上げます。(1-0)
続いて島田が2点目を上げ(2-0)、柴田が3点目をゲットします。(3-0)
さらに島田が4点目を上げて(4-0)、1ピリが終了しました。
2ピリに久保田が追加点を上げました。(5-0)
畳みかけるように沼田、川尻、菅、沼田と打ち込んで、
最終スコアは(9-0)、2勝したので文句なく決勝トーナメントに進めます。
予選リーグGグループその2:コンサ旭川(白) vs 札幌大谷中(赤)札幌大谷中のGKは攻撃的な選手で、フツーのGKならばクリアランスは手で投げるか転がすかして味方に渡しますが、彼の場合は自分でドリブルして攻め上がって来ます。 ついに、ハーフウェイライン付近から彼に打たれたシュートで失点しました。(0-1)
よく見たら彼は、うちのU-12チームにいた坂くんでした。(参考:1昨年の全道フットサル選手権(U-12の部)札幌予選の記事) 旭川のGKも対抗して出て行きます。
1点ビハインドのまま2ピリに入り、早めの時間帯に倒れ込みながらやっと同点弾を打ち込みました。(1-1)
しかし追加点を上げることは出来ず、引き分けで終了しました。(1-1)
残念そうなベンチ・・コンサ旭川も札幌大谷中も1勝1分ですが、得失点差が多い札幌大谷中がグループ1位となって決勝トーナメントへ進み、コンサ旭川はフェニックストーナメントへ回ることになりました。
フェニックスリーグ1回戦:コンサ旭川(白) vs 旭川緑が丘中(青)フェニックスリーグの試合数は決勝トーナメントの2倍だけあるので、1日目のうちに1回戦の8試合を消化しておかなければなりません。 まるで残業というか罰ゲームですよ。決勝トーナメントに勝ち上がったチームは楽しく晩御飯を食べてる頃だというのに。 ベンチに座る尽監督はラモスのような髪型で・・
1ピリと2ピリに1点ずつ失点して、(0-2)で敗退しました。
コンサの二チームとも決勝トーナメントに残れば早めに帰宅できたんだけど、フェニックストーナメントに付き合ってたもんだから、すっかり暗くなってしまいました。明日の準備もせねばならんのに。
なお、全道フットサル選手権(U-12の部)も2月18日・19日に帯広市と音更町で行われましたが、コンサ札幌U-12は札幌地区予選どころか東区予選で敗退しているので出場していません。→地区予選結果、全道大会結果(PDF)
2012年02月20日
前々報の「札幌市スポーツ少年団フットサル大会」は、全市大会の1日目で全学年とも途中敗退して全滅となり、2日目の準決勝・決勝を見に行く必要も気力も無くなってしまいました。 お陰で(嬉しくないよ)、かねてより気になっていたコンサートを聴きに行くことが出来ました。 道立近代美術館では、2月3日~26日の「北海道銀行コレクション」展に連動して、(財)道銀文化財団による「創立20周年記念祝奏コンサート」が毎週末に1階ロビーで催されています。(入場無料) →近美の案内、財団の案内 ほとんどの演奏家が、「道銀芸術文化奨励賞」の受賞者だそうです。
会場のロビー:寒い日の朝だし、まだ午前の部の演奏開始まで時間があるので、疎らにしか埋まっていません。午前の部は11時から40分間で、最新(第21回)の受賞者によるピアノ演奏でした。 午後の部は14時半からの40分間なので、途中に中途半端な間があります。 その間に昼食を食べて展覧会の方も鑑賞せよ・・という配慮かも知れませんが、無料とはいえ何度も観るほどの興味が湧かないので、2階で紅茶のテイクアウトを飲みながら持参した昼食を食べた後は、図書コーナーで過去の図録を鑑賞していました。 美術館へ頻繁に行ったとしても、落ち着いて図録を眺める時間的(精神的)余裕って有りそうで無いものなので、良い機会でした。 以前に説明した、結露水の吸い取りパッド・笑
何か、他に良い方法は無いものなんでしょうか。 窓のコーナー部分にも置いてあります。
貴重で繊細な芸術作品を保護する目的もあって館内はいつも湿度を保ってあり、外から入った途端に眼鏡が曇るのでしばらく歩くことも出来ません。 ソファーに座って寛いでいたら居眠りしそうになって、気がつくと午後の部が始まるのに丁度良い時刻となりました・・ところが油断してて満席になってしまい、最前列のパイプ椅子しか空いていません。背もたれがあるから楽なんだけど。 演奏者が入場します。
演目はバイオリン、ピアノ、チェロのピアノ三重奏曲(ブラームス)で、バイオリンとチェロの演奏者は第1回目の受賞者でした。 ソー ミー ソー 笑
さすが第1回の受賞者で札響の演奏にも加わっているだけあって、退屈しませんね。予め休養しておいたせいか眠くならなかったし。
展示室内の床に塗ってある滑り止めのワックスが、つや消し仕様に変わったのかな? 以前はピカピカ(というかギラギラ)に光ってて、しかも靴底でキュッキュッという音が出やすかったように記憶しています。 鑑賞には少し耳障りだった空調機の運転音が静かになったかも知れません・・これも改修工事の成果なんでしょうか。
2012年02月17日
2月11日は、所用があって地下鉄で東札幌へ向かいました。 目的地はここ「SORA」・・緊張するなぁ。
以前に国家試験を受けたのはいつだったのか調べたら、17年も前の話でした。 ただしその時は、医師とは似て非なる裏稼業の医師、つまり裏な医師(=うらないし)の試験でしたが・・。 以来、「SORA」を見上げて空気を読む仕事をしてるようなもんです。 建物の中に入って試験室に辿り着きました。・・え? ここは違うの? 笑 昔は育成のコーチをしていた輝道さんと、社長とのプチバトルが面白かった。 ドニチカキップだから帰りにバスセンター前で途中下車して、展示替えした「500m美術館」を鑑賞しました。 川上りえ さんの「Expanding」という作品です。
平面上に鉄棒を組み合わせてあるんだけど、左奥へ向かってるトンネルのように見えます。 説明によると、「幾何的な構成に、感性という不規則な要素を織り交ぜて行くことによって、空間の中にダイナミックな生命感を表現したいと思います。」だそうです・・生命感か。 それにしても、地上に出たら世間の風は冷たかったのぉ。
2012年02月14日
2月4日から12日まで、「札幌市スポーツ少年団フットサル大会」(6年、5年、4年)が行われました。 全市大会に先立って行われた東区予選(4枠)では、コンサU-12の各学年とも好成績で勝ち上がっています。 全市大会は、学年別にそれぞれの会場で準々決勝まで行われますが、準決勝と決勝だけは全学年とも同じ日に同じ会場で行われます。 大詰めの対戦が行われる日はサポーターズ集会の日程と重なる場合が多く、今年も見に行かなかったので結果だけをまとめておきます。
まず、2月4日に4年生の全市大会が行われ、2回戦までは1点差で勝ち上がったものの、3回戦でTFCジュントスと(1-1)のイーブンとなり、PK(2-3)で敗退しました。ベスト8という成績になります。 続いて5日に6年生の全市大会が行われ、1回戦は札幌シーガルに(5-0)で勝ったものの、2回戦でCASCAVEL相手に(2-2)、PK(4-5)で惜敗しました。 2月11日には5年生の全市大会が行われ、1回戦は澄川JFCに(4-2)で勝ったものの、2回戦でTFCジュントス相手に(3-4)で逆転負けを喫しました。 結局、全学年とも途中敗退してしまい、12日の準決勝・決勝へは進めませんでした。 過去には、全学年制覇に近い成績を収めたこともありますが、今年は残念な結果に終わりました。 メンバーとか試合内容が分からないので、これ以上の説明は出来ません。 各学年の上位チームは下記のようです。 6年:①サッポロボーイズ、②北郷、③大麻ジュニア、CASCAVEL 5年:①アンフィニ、②NORTE、③新発寒、TFCジュントス 4年:①TFCジュントス、②SSS、③若葉ボンバーズ、西野第二 重複しているチームはTFCジュントスだけで他はバラバラ・・ということは戦力が拮抗していたんでしょうか。
2012年02月11日
幕末に蝦夷地を探検して詳細な報告書を書いたり、「北海道」という名前を提唱するなどした、松浦武四郎(1818~1888年)のことはご存じだろうと思いますが、今日は彼に縁のある木彫作品を紹介します。 武四郎本人が彫った作品ならば自慢も出来るだろうけど、ちょっと遠回しに縁があるという程度の話ですから、ガッカリ(というか叱責)しないで下さい。
この木彫りレリーフは、弟子屈町屈斜路の磯里博巳(いそりひろみ)さんの作品です。横幅は15cmくらい、題材はピエロで、実は黒い目と涙の部分は裏まで刳り抜かれています。 お店の説明には「磯里ひろみ」としか書いてなくて、名前と作風とから「女性の木彫り作家がいるものなのか?・・まぁ、仏像を彫る女性もいるくらいだから不思議じゃないしな・・」と考えた程度で、それ以上は調べませんでした。 自分としては、この素晴らしい作品を入手できただけで満足でしたから。 下から見ると、これだけの厚みがありますが、
顔の部分を彫り上げてから台座に貼り付けたのではなくて、厚い板から彫り下げて台座を残してあるのです。 日付は '91.8.28 と刻まれており、裏には 1994.7.15 に道の駅「しらぬか恋問館」で購入したと、(自分で)書いてあります。結構な値段だったんですが、それなりの価値があります。 タイトルは「○風」と彫ってあるらしいけど、残念ながら「○」の部分が何の字なのか判読できません。 いずれ屈斜路のお店を訪れる機会があったら、本人に尋ねてみようかと。 裏から見ると、穴を彫り下げて表面の目と涙まで貫通しているのが分かります。
トンネル工事の中ほどで食い違いが生じたり、トンネルのつもりが海底をぶち抜いてしまったりしないように、見当となる十字線を引いておいて慎重に彫り進んだようです。
芸術鑑賞はこれくらいにして、これがなんで松浦武四郎と関係があるの? という本題に移ります。(以下の事実を知ったのは近年になってからなんだけど) ほとんどの探検に共通しますが、探検家が自分一人で新発見などを成し遂げるのは難しいもので、現地のガイドやポーターなどのサポートが必要です。 松浦武四郎の場合、現地のガイドといえばアイヌ民族でした。 「探検だ」とか「新発見だ」とか言ったところで、よそ者の訪問者にとっては「探検」や「発見」であったとしても、現地人にすれば「昔から知ってたこと」に過ぎない場合がほとんどですが・・。 安政5年(1858年)に武四郎が幕命を受けて6回目の蝦夷地調査を行った道中で、仰せつかったのか買って出たのかはともかく屈斜路湖へ舟を漕ぎ出す時に水先案内を務めたのが、当時の屈斜路コタンに住んでいた「イソリツカラ」という名のアイヌ人で、武四郎が記した日誌にその名が載っているそうです。 江戸時代以前から、和人はアイヌ人を呼ぶ時にアイヌの実名だと呼び難いから、和人風の名前で呼んでいました。 例えば「カリキ」というアイヌ名だったら「柿ヱ門」などと呼び替え、「モエ」だったら「茂作」などと呼び替えたりしました。 明治になって和人はアイヌ民族を同化させる政策を取り、その一環として和人風の姓名を名乗らせて戸籍を作ることとし、アイヌ名が「イソリツカラ」だったから漢字で「磯里主税」という名前を当て(られ)たのでしょう。 時代が激動の昭和から平成に変わり、20年前に彼の曾孫が木彫りの作品を作って、その作品が旅行中の私に気に入られて買われた、という巡り合わせなのです。 これもひとえに、私の審美眼が成せる導きなのでしょう。え? 2008年は松浦武四郎の生誕190年(および没後120年、6回目の蝦夷地調査から150年)に当たり、出身地の三重県松坂市ではその記念事業が催されましたが(参考:松浦武四郎記念館)、蝦夷地でガイドを務めたイソリツカラの子孫を代表して、磯里博巳さんが招かれました。 逆に武四郎の足跡を訪ねる見学ツアーが、北海道の各地を巡ったんだとか。
アイヌ民族は昔から熊の木彫りを作っていた訳ではなくて、あれは日本人農家の冬期間の副業として始まったのです。→詳しくはこちら アイヌは狩猟や畑作や調理などの生活上の必要から木彫りが得意だった訳で、ならば日本人もすなる熊の木彫りも作ってみようかと、器用さを生かして(神と崇める)熊の木彫りを作るようになっただけの話です。 近年の作であるイタ(盆):30cm×24cm裏に「藤谷作」と彫られているので、二風谷の藤谷憲幸さん(故人)の作品かな。 かなり以前に阿寒方面を旅行してた折り、民芸品店の店頭に素晴らしい作品が置かれていました。 杖をついたエカシ風なアイヌの立像だったんですが、気に入ったので「これはいくらですか?」と尋ねたら、「それは売らない。」と言われました。 その像に彫られた顔の表情や威厳のある風格が、年輩の店主に似てる気がしました。 なるほど、これを売ることはアイヌの魂を和人に売るようなもんだな・・まるで店主の分身のような、店の看板のような作品を金で奪ってはいけないな・・と納得して、いい物を見せてもらった気分で次の目的地へと向かったのでした。 その老店主はもうこの世にはいないだろうけど、あの彫像はどうなったのかなぁ。
2012年02月08日
開館から34年経った道立近代美術館が改修工事を終え、リニュアルオープンしました。どこが新しくなったのか気になるので、オープンの翌日に訪れてみました。
風邪気味とはいえ立春の寒さにも負けず、ぱみゅぱみゅな気分で美術館に到着すると、工事用の塀やネットも取り外されてスッキリしました。・・が、どこが新しくなったのか外見上は分かりません。 内装にも変化が無くて不思議に思っていたら、窓ガラスとフレームとの間を埋めるコーキングが新しくなっていました。 黒いシーラントなので目立ちませんが、間違いなく新たに埋め直したようです。 なんだ、それだけの工事だったのかと思ったし、黒いから写り難いので写真には撮りませんでした。 確かに以前は、窓ガラスに結露した水分が伝い落ちて窓枠の下の方に溜まるので、タオルを置いて水分を吸い取っていました。 美術館としては何とも美しくない光景だったし、それが元で窓枠が錆びる原因にもなったんじゃないかと想像します。 他にも、来館者の目には見えない部分で色々と改修工事を施した(というか工事中)らしいです。 特別展も常設展も存分に鑑賞し終わって外周を歩いていると、屋根に積もった雪の層が面白かったので写真を撮りました。
ここでやっと気付いたんですが(←遅過ぎ)、外壁のタイルの損傷した部分を貼り替えたのでしょう。貼り替えたタイルは少し色が違っています。 納得した後、ついでだから三岸好太郎美術館にも寄りました。
三岸黄太郎の作品を重点的に展示してありました。→チラシ(PDF) 黄太郎(2009年没)は好太郎の長男で、両者とも「コウタロウ」と読むから紛らわしいです。(ワタシの祖父もコウタロウだし) 好太郎と節子さんと黄太郎の、三者三様の画風の違いや共通点が分かって面白かったです。
2012年02月05日
今頃になって、変な夢を見るんですねぇ。 今年は妖しい初夢を見なかったのに(見たけど覚えていないだけかも)。 何の用事か知らないけど、旅行に行くことになったんですよ・・と思ったら、もう機上の人になってました。 搭乗してからでさえまだ目的地が分からなかったんだから、まるでミステリーツアーですね。
途中で乗り替えて、2機目に乗った便の座席がなんと、機長の左横なんですよ。どうやったらそんな特等席を選べるのか・・裏ワザを知ってたら教えて下さい。 左側の壁際にはさらに別の客席が並んでて、機首でさえこれだけ幅広いのなら後方の胴体はどんだけ太いの? でも目の前には窓が無くて、機長の前方にも窓が無いんです・・ブラインド状態の計器飛行訓練じゃあるまいし、ラインの旅客機であり得るの?? 機長はしきりに何かを気にしてて、「ミラーが曇ってる。」とつぶやきました。 左の窓から外を見ると、確かに機体の外側に突き出てるミラーに霜が付いてて見難いです。 飛行機にそんなミラーが付いてるかっ! というお怒りはごもっともですが、何しろ夢の中での話ですから、デコトラのようなクロームメッキのミラーが付いてたんです。 機長は、近くの空き地に緊急着陸するつもりのようです。 なにも、ミラーが曇っただけで不時着なんかしなくたって、最寄りの空港まで飛んで着陸すれば済む話だろうと思うんだけど、全権を委譲してる機長には逆らえません。 さすが機長になれるだけあって、几帳面な性格なんでしょう、きっと。 ひょっとして、乗務員の故郷が近くにあったりして・・「ほら、君の村が見えるよ。」とか言いながら低空で旋回したいだけなのかも。
森林地帯の上空から探したら、それなりに広い草地が見つかりました。 広いと言っても大型機が滑走できるほど広くはないんですが、他に選択の余地は無い(らしい)です。 とっくに失速してるはずだと思うほどのゆっくりした速度でアプローチし、何のショックもなく胴体着陸して停止しました。 機外に脱出して、どういう機転なのか「トラメガを機長に渡せ!」と叫んだことは覚えています・・近所から苦情が来なければいいんですが・・。 都合が良過ぎることに、乗客全員が避難できる建物が近くにあって、テーブルに美味しそうな食事が出てきました。
多分、ギャレイの中に入っていた機内食を取り出して調理したんだろうと思います。 もしかしたら、「お客様の中に、調理師さんか家政婦のミタさんはいらっしゃいませんか?」と呼び出して手伝わせたのかも知れません。 でも、悠長に機内食なんか食べてる場合じゃないですよ。 捜索隊や救助隊を呼ばなきゃならないでショ? ・・と思っていたら、ここはイギリス中部のなんとか地方だという話が聞こえてきました。 その「なんとか」が聞き取れなかったけども、そんなことは機長がダッシュ400も承知のはずだし、警察でも救急車でも携帯で呼び出せるだろうから焦る必要は無くて、救助隊が到着するまでの間に落ち着いて腹ごしらえしておくのもサバイバルの基本的な心構えでしょう。
自分が無事に救助されたのかどうかは不明なんですが、とにかく滅多に出来ない
機長貴重な体験(のシミュレーション)が出来ました。 これで、飛行機や船の事故に遭っても生還できるだろうし、地球温暖化どころか隕石衝突のような天変地異にさえ生き延びられそうです。←いつまでっ!
2012年02月02日
「雪あかり」と言えば、真っ先に北海道産のジャガイモ(←それはキタアカリ)じゃなくて、「小樽雪あかりの路」を思い浮かべます。→公式HP 近年は他の色んな地域でも、ポリバケツで作った氷をひっくり返してキャンドルを並べるイベントが行われているようです。 札幌市南区の芸術の森地区では「雪あかりの祭典」が開催され、芸術の森や常盤、石山、真駒内などの地区でイベントが行われています。
日程は地域ごとに、1月28日や2月4・5日、2月11日などとなっており、駒岡小学校では平日の2月2日に開催されます(ました)。それぞれの会場では、道路脇にアイスキャンドルを並べたり、コンサートやダンスのパフォーマンスがあったり、暖かい飲物が振舞われたり、子供向けの工作体験や雪中遊びなどが用意されています。 手作り感たっぷりな、地域の交流イベントを目指しているんでしょう。 最近はクリスマス時期に限らず、自宅をイルミネーションで飾ってるお宅も多いですから、キャンドルが加わるだけでかなり華麗な通りができます。 芸術の森や関口雄揮記念美術館では、工芸館や美術館の開館時間を延長して夜間まで入場できる「ナイトミュージアム」が催され、さながら夏場に行われる「カルチャーナイト」みたいな雰囲気です。 まず、18時で閉館する関口雄揮記念美術館を先に訪れました。 西の空には三日月が冴えています。
雪に窪みを作ってキャンドルを立ててあります。
キャンドルを並べた小路を低いアングル(犬の目線)から
植木の枝のような冬囲いのような物も芸術作品であって、根元にキャンドルを置いてあります。
そのキャンドルに火をつけて回る人達(←怪しい言い方)
美術館のエントランスに設置された作品
関口雄揮の作品って、死ぬ間際に眺めるのに合ってる風景だと思いました。 この世の見納めの風景として静かに眺め、全てを悟って心残りなく浄土(?)へ旅立つのに相応しいような感じがします。 最初に彼の作品を見た時には、何を描いてあるのか分かるし意味も分かるんだけどそれだけ、という感想でしたが、最近はしっくり入ってきて落ち着く感じがします・・やはり死期が近いんでしょうか。 館内のカフェではジャズのライブ演奏をしてました。 試みとしては悪くはないけれど、彼の画風とはちょっとミスマッチな雰囲気でした。 帰る頃には真っ暗になり、キャンドルが足元を照らしています。
![]()
続いて芸術の森へ向かい、ここも通路にはキャンドルが置かれています。 ペットボトルを半分に切って、底にキャンドルを置いてあります。
クラフト工房のロビー(左下)で、暖かいキャラメルマキアートを飲みながら夕食を食べようと思って持参したのに、そこは閉まってて残念。
美術館の展示は以前に見たから遠慮して、園内をあちこち歩き回るつもりだったけど、冷え込みが厳しくて戦意を喪失しました。
やっぱり夏場のカルチャーナイトの方が良いかなー。
いよいよ道立近代美術館が改装を終えて、2月3日(金)にリニュアルオープンします・・なぜ平日の節分の日に? まぁ、関係者や報道陣を招いて金曜日にお披露目し、翌日の土曜日から一般に公開する段取りなのでしょう。 再開最初の展覧会は「創立60周年記念 北海道銀行コレクション」というもので、これがなんと、入場無料だそうです。 さらに2月中は毎週末に、ロビーでコンサートが行われるそうです。→「道銀文化財団 創立20周年記念 祝奏コンサート」 こういうのを通年で毎週やってみたらどーでしょう・・音楽専攻の学生などに無料で発表の場を提供して、入館者も増えれば一石二鳥ではないかと。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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