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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2016年08月03日
昨年の10月以来になる、浜厚真の野原公園サッカー場へ行ってきました。 5月の末頃に北海道女子リーグのリラ・コンサの試合があり、7月にはU-18プリンスリーグの試合がありました。 公共交通機関で野原公園までなんて、どーやって行けばいぃんだろう?と思っていましたが、JR日高線の浜厚真駅は野原公園から歩いて10分程度の距離にあるんですねぇ。 千歳線と日高線を乗り継いで浜厚真駅から歩けばいいんだけど、日高線の列車本数は少なくて時間を有効に使えないのが辛いです。試合が終わったら速攻で帰らないと次の列車まで駅で2時間以上待つとかいう状況になり、乗り鉄にはたまらなく調べ応えのあるダイヤになっています。笑
浜厚真へ行くには、札幌-苫小牧の往復割引きっぷを買ってオプションの自由席特急券を買い足し、日高線の運賃は別に払うのが安上がりです。 行きは特急(すずらん or 北斗)に乗って苫小牧で日高線に乗り換え、浜厚真で札幌→苫小牧の乗車券と特急券、および日高線の運賃を運転手に渡して下車します。 日高線のワンマンカー車体には、日高山脈と馬の頭部をデザインしたマークが描かれています。 自宅を出て2時間ほどで無事に目的地へ到着
当初の駅名は「はまあづま」でしたが、国有鉄道に移管して「はまあつま」に変わりました。高校時代に厚真から汽車通していたクラスメイトは、昔ながらに「あづま」と言ってました。 浜厚真駅は、こんな車掌車を転用した駅舎です。
あまりにも簡単な時刻表
この駅舎は海抜5mに立っているので、津波時の避難経路が示されていました。
駅のホームから、野原公園の看板や売店が見える距離です。
ローカル線の車両を見送る長閑な風景
勇払原野を貫いてどこまでも続く線路
駅の近くに浜厚真八幡神社がありました。
振り返ると手前に「浜厚真小中学校」と書かれた門柱がありましたが、なぜか学校の敷地だったと思われる土地から外向きに立っています。
帰ってから調べると、線路の向こうに広がる原っぱの中に学校があったそうです。
昔の空中写真では、確かに駅舎の向かいに校舎と校庭が写っています。
右下に写ってる踏切には名前が残っていました。
駅から10分も歩けばサッカー場に着きます。 これはリラの全員ダンマク
キックオフが10時なのに8時過ぎに着く列車しか無いので、試合が始まるまで公園のベンチで横になってました。 プリンスリーグ第一高校戦では、CKから鈴木理久(背中6)がボレーシュートで先制
帰りに駅へ向かう途中で、カッコウが電線に止まっていました。 身を隠す枝葉が無い状態で囀っているなんて、何と無防備な個体でしょう。カメラを構えたら逃げられるだろうと思い、立ち止まって暫く眺めていました。 札幌の鳥であるカッコウも、郊外の雁来や石狩の辺りでは盛んに囀っていますが、中心部では鳴き声を聞けなくなってしまいました。カラスさえ駆逐して我が物顔で飛び回っているカモメのせいかも。 自分以外にこの駅から乗る客はいません。
7月下旬にはカブスリーグ(U-15、U-13)の試合が「日本製紙勇払グラウンド」で行われるので、地図上で位置を確認しておいて、日高線の車窓から場所を確かめました。 このグラウンドも隣の勇払駅から歩ける距離で、試合後はまた勇払資料館に寄ってこようかな・・と思っていたら、当日はU-18札幌ブロックリーグの試合と重なって行けなくなりました。
帰りに悩ましい疑問が発生。 日高線はワンマン運転とはいえ終点の苫小牧で降りるのだから、運賃は運転手ではなく苫小牧駅の改札窓口で払うことになります。 ところが乗り換えて札幌へ向かう各駅停車の列車は、既にホームに入って(私を待って)いるはずだし、乗り換え時間も長くありません。 となると、跨線橋を渡って改札に出入りする時間を省略して、乗り換え列車にそのまま乗ってしまいたいところです。 降車前のアナウンスでも、乗り換え時間が短い場合には乗り換えた列車の乗務員に日高線の運賃を払えば良い、と言ってました。 でも、特急列車に乗り換えたならば車掌が検札に回って来るけれど、各駅停車の列車では検札など来ません。 自分は乗り換える列車の乗車券を持っているのだから、下車する札幌駅でその乗車券だけを改札機に通せば、日高線の運賃を払わなくて済むような気がします。←耳許で悪魔の囁き とは言え、もし無賃乗車が発覚したら運賃の3倍を払わなければならないはずだし、(都知事でもない)元国鉄職員の息子がそんなセコいことをするほど厚顔(の美少年)でもありません。 止むなく急いで苫小牧の改札窓口に整理券と日高線の運賃を渡し、回れ右して札幌までの切符を改札機に通し、ホームに戻って各駅停車の列車に乗り込みました。 朝は早く起きたから、乗り換えた列車の中ですっかり眠り込んでしまい、たとえ車掌が回って来たとしても気が付かなかったと思います。 もし日高線の列車が遅れて、ホントに乗り換え時間が短かったら・・札幌駅か桑園駅で持ってる切符や整理券を全て出して精算するしか無いよね。 現在は鵡川から先なんてバスの代行運転だし、そのうち鵡川までの区間も廃止になるんじゃないかと心配しています。 どぉーしてもバスが嫌なら、トロッコを貸すから自分で漕いで行け・・とか。
昨年の10月に浜厚真へ行った時って、帰路に不慮の事故で右目を負傷した日です。 ちょうど10ヶ月が経過しました。 視力はかなり戻りましたが、明るい場所でも虹彩が閉じない症状は後遺障害と認定されました。 ただでさえ入院・治療費は全て保険で賄われ、病院には(診断書の発行を除いて)1銭も払っていないのに、保険会社からは負傷の部位や症状に応じた給付金の他に、後遺障害に対する保障金も出ます。 おまけに個人の生命保険からも入院期間や手術の種類に応じた給付金が出るんだから、当たり屋稼業を思い付く人の気持ちが理解できなくもない・・。 たとえ金を貰えるとしても不可逆的な怪我など負わないに越したことはないのですが、収入が無くてホントに困窮してる人ならば、そういう発想に到るのも不思議ではないかなぁ・・と想像を巡らせています。
2016年07月19日
先月のさっぽろ祭りの日に、函館市の沖で大きな地震がありました。 このニュースを聞いて、函館市の中心部で揺れが大きくて被害が発生したんじゃないか?と勘違いした人がいるかも知れません。 函館市内とは言っても、昔は南茅部町という他所の町だった地域が合併して函館市の一部になった、かなり外れにある地域なのに。 函館市の南茅部支所(旧南茅部町役場)では震度6弱の揺れだったようですが、地震計が地下室あたりに設置されている庁舎の前庭に、アメダス「川汲」があります。 ニュースでは、函館市の西方にある断層の位置を添えた地図などを紹介していましたが、なぜ熊本地震と一緒にしてしまうんでしょう。 その断層が関係した地震ならば、断層の周辺が一番大きく揺れるはずでショ? この地震の成因は、噴火湾に棲むホタテ達の一揆でもなければ、まんべくんのブログ記事に憤慨した毛ガニ達の反乱でもなく、かつて南茅部町の畑から中空土偶「かっくう」を掘り出したタタリに違いありません! ひょっとして、函館開催を祝福する打ち上げ花火が地下で暴発したのかも。
函館へ行ったついでに、冥土の土産として木古内まで新幹線に乗ってみるか、とも考えました・・新函館北斗で新幹線に乗り換えて木古内で降り、いさりび鉄道で函館まで戻れば良い訳で。 ただし新幹線の乗車時間はわずか15分のみだから、自分の席に辿り着いて座ったらもう降車する準備をしなければならず、そのために指定席券(or 特定特急券)を買わなければならないのはアホらしいです。 新幹線には立席特急券とか無いの? ←15分だけだから シートベルトは装備されているの? ←スピードが出るんでショ 座席の下に救命胴衣が入っているの? ←海底を走るんだもの 頭上から酸素マスクが下りてくるの? ←床下から煙が出てきた時に・・かえって危険だろ そう言えば昔、「ちよが隊」という女子のアイドルユニット(北斗夢学院 桜組)がいましたが、どうなったんでしょう。探したらあったけど、北海道新幹線の開業へ向けたPR活動を最後に、今年の3月末で活動を終了したようです。
函館市内の観光スポットも過去にほとんど見ているので、今回のオプション訪問は近年開館した旧相馬邸を考えていましたが、閉館時刻に間に合わないから諦めて、坂本龍馬記念館と北方民俗資料館を訪れました。 市電の「十字街」停留所の横にある北海道坂本龍馬記念館甘味処のような店構え・・日本刀がたくさん展示されていて良かったんだけど、刃こぼれしてるのや鞘で摺った跡が残ってる遺物もありました。あえて修整など施さない方が良いとも思いますが。 山岳画家の坂本直行さんが実は坂本家を継いでいて、龍馬の姉が嫁いだ高松家の子孫だから龍馬の直系ではない郷士坂本家の方なんだけど、姉の息子が勅命によって姓を高松から坂本に変えたというのも、明治政府ならではの方策ですね。 直行さん本人にとってはかなり負担に感じていたようで、「たくあん石を背負わされてるようだ」と言っていた心情は理解できます。 元町の旧函館区公会堂内には、貸衣裳を着てセレブ気分で記念撮影できるハイカラ衣裳館があって、
是非寄りたいと思ったんですが、この衣裳館も閉館時刻が早くて間に合いません。 次回(いつだ?)は必ず訪れて、こんな赤黒のドレスを着た写真を撮りたいものです。1000円払えば(20分間だけ)貴族になって宮廷で暮らせるんですよ。笑 1回1000円でマカタするのか気がかりではありますが。 ドレスを着てこの電車に乗ればベストフィット?
函館駅の海抜は1mだそうで、津波が襲来する恐れがある時は近隣のホテルの3階以上に避難するよう、距離と所要時間が書かれていました。
でも平地を走って逃げるより、取りあえず駅舎の屋上に登れる避難路を作った方が良いんじゃね? さすが港町だけあって、工事用のフェンスもカエルやサルじゃなくてイルカ仕様でした。
今回の旅行で使ったザック
もう十数年も前に買った古物なんだけど、偶然の産物ながらまるで合わせたような新幹線の配色です。笑
函館で買ったお土産を職場に渡したら、「函館に行ってきたんですか?」と問われ、「新幹線を見てきた」と答えました。 新函館北斗駅に停まっていた新幹線列車を見たのは確かだし、千代台で新幹線(の張子)を見たのも確かですが・・恐らく、函館まで「新幹線を見に行った」と解釈されたでしょう。
2016年06月29日
もう1ヶ月以上も前の話ですが・・。 北海道女子リーグに参加しているリラ・コンサの第3節の試合が、岩見沢市の岡山スポーツフィールドで行われるとのこと。 当日の第一試合だからキックオフ時刻が朝早くてしんどいけど、他に見学する物もあるので、自宅近くから朝7時発のバスに乗り、8時発のスーパーカムイに乗って岩見沢駅に着きました。
岩見沢の駅舎は、火災で焼失した駅舎をレンガと古レールで建て替えたようなもので、日本建築学会賞やグッドデザイン大賞など、14種類も受賞しているらしいです。(参考記事)建築物だけじゃなくて、コンセプトや活用方法などを称える様々な賞も受賞していて、
右上は高橋はるみ(北海道知事)、左下は鳩山由紀夫(内閣総理大臣)と書かれています。 ドイツ・クルップ社1890年製の最古参級レールや、
八幡製作所製のレール(皇紀2601年=1941年製)が展示されていました。
さて外に出ると、おぉ、リラの花が咲いている。縁起は良いぞ。
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岩見沢駅横のターミナルから、三笠方面か美唄方面へ向かうバスに乗り、「三笠入口」停留所で降ります。 ここが岡山という地区で、国道12号から三笠方面へ曲がる交差点であり、三笠ICへの標識も出ているので分かり易いです。北海道で第1号に認定された道の駅「三笠」やイオンSCがある辺りから、1kmほど南に位置しています。 三笠はジオパークの町ですが、今日はそんな寄り道はしてられません。
でもちょっとだけ寄り道して、国道12号に架かる「岡山橋」を見学します。
実はこれは新しい方の岡山橋で、向こうの旧国道12号に架かる古い方の岡山橋が見えます。
下を流れているのは、桂沢湖の上流から流れてくる幾春別川です。 古い橋なので、車高3.8mと重量8.0tの制限があります。
これが国道だったんだから、8.0tより重い車両はどうしてたんだろう?・・他に迂回できるような橋は(長良川にしか)架かってなかったし。 上流側の堤防から見た眺め・・虹のようで、いいね。
表面はかなり錆びてますが、北海道で最初に架設されたソリッドリブ・タイドアーチ橋であるため、日本土木学会の選奨土木遺産に選ばれています。→選考委員会の説明 右から左に「をかやまはし」と書かれていて、いとをかし。
老巧化のため一時期は通行止めになっていましたが、補修して平成24年に再開通しました。欄干を作り直した際に、古い銘板を切り取って貼り付けたような感じ。 昭和11年6月の竣工だそうで、ちょうど築80年になる骨董品ですよ。 コンビニの玄関前で:こんなの初めて見ました(北海道すきやき隊)・・過疎の町だから人口を増やそうと?
ここの三角地帯に、昔は潰れたパチンコ屋があったように記憶しています。 向かいに神社があったので、勝利を祈願。
岡山神社の住所は三笠市岡山ですが、撮影者が立っている住所は岩見沢市岡山町で、境になってる道路が旧国道12号です。
徒歩ならば、バス停に近いジオパークの看板や「岡山工業団地」の看板がある交差点から曲がれば良いですが、クルマなら次の交差点で左折します。サッカー場とテニスコートがあるらしい。 サッカー場は広い天然芝で、2面分のピッチを取れます。
芝を刈った後の枯草が縞状に残っていて、当番の子供達が枯草を拾い集めていました。
試合開始までに終わらないんじゃないか?と心配してたら、やっぱり間に合わなかった。笑 リラ・コンサの全員ダンマク
今年はメンバーが10人分増えて(上の段)、下の段に被さらないように裾をたくし上げています。 試合前の整列
クラブフィールズ・リンダ(オレンジ) vs リラ・コンサ(赤黒) 試合結果は(1-4)の負けで、リンダが強いのは分かっていたけれど、想定の範囲よりも差が開いたなぁ。
2015年09月19日
日本クラブユース選手権U-15に伴う帯広遠征Part2として、ノックアウトステージに宛てていた3日間のうち、2日目で敗退してしまったため、翌日も費やしてゆっくり帰宅することにしました。 今回は十勝地方と日高地方の観光地などを紹介します。 太平洋に突き出た襟裳岬を巡るルートを「とんがりロード」と表現することは最近知ったんですが、他に「日勝半島」という言葉も創られたらしいです。 新しい物を創ったつもりでも、実は模倣だった・・という場合もありますが。
旧国鉄広尾線の広尾駅には、広尾線鉄道記念館という資料室があるけれど、以前に「国道が途切れた先は渡し船」という記事の折に訪れた時には朝早過ぎて開いてなかったので、今日はリベンジです。 軌間ゲージなどの鉄道用品が展示されていました。
旧駅舎の向こうに見える大丸山森林公園には展望台があるので、
久し振りに(車で)登ってみることにします。 展望台からは、こんな景色が見えるはずで、
左下の中腹に見える三角屋根は「サンタの家」です。 今日はちょっと霞んでましたが、広尾市街と十勝港を見下ろせました。
日頃の行いが良いから晴れる・・のであれば天気予報はいりません。笑 黄金道路をひた走って、襟裳岬まで来ました。
日高山脈は北海道の背骨に喩えられるので、ここは尾底骨に相当するんでしょう、きっと。 世の中を明るく照らす襟裳岬灯台も、今は昼行灯状態
アメダス「えりも岬」・・傾いてないか?
この岬には「風の館」という施設があって、結局、南極、「風極の地」とされています。
襟裳岬って、風と岩と波と灯台が見物だろうと思うんだけど、なんだかアザラシが主役になっているようで、変な感じ。 捕獲されることになったんだから、のんびり岩の上で寝そべってる場合じゃないのに。 恐怖じゃなくて、強風を体験する風洞室
風速25m/sって、そんなに極端な強風じゃないけれど、この扇風機を回すようになってから、反作用で地球の自転速度が少し早くなったとか。←ウソです。 ガラス壁に描かれているマリリン・モンローのようなキャラは何者か? を調べたら、説明がありました。 「岬 襟萌」(みさき えりも)と、「千島 霧夏」(ちしま きりか)という女子中学生だそうで・・「襟萌」ちゃんの方は何でスパッツ姿なの? と思ったら、ラクロス部(部員2人)に所属してるんだそうです。 えりも町の「郷土資料館」「水産の館」に寄りました。
昔の道具を展示してあるし水槽で魚を育ててるしで、資料館と水族館がゴッチャになったような施設ですが、地元の歴史や産業を学習するには良いと思いました。 アポイ岳の麓・様似町にある「アポイ岳ジオパークビジターセンター」を訪れました。
背後に聳えるアポイ岳には大昔に登ったことがあります。 施設名を刻んだ緑色のモニュメントは「かんらん岩」で出来ていて、普通は地球内部のマントルでしか見られない「かんらん岩」が、日高山脈の造山運動によってこの辺では地表に露出しています。 日高山脈という背骨が圧迫されて軟骨が飛び出した「椎間板ヘルニア」のような現象かも。 周辺の地形や地質に関する展示はユニークだし、近隣のジオサイトには説明板が立っていて分かりやすいです。 かんらん岩は、北大総合博物館のモニュメントなどにも使われています。
三石まで来て夕方になったので、みついし昆布温泉「蔵三」に浸かって旅の疲れを癒し、道の駅で眠りました。
昔は坂の上にあった温泉ですが、平地に移転してきました。 翌朝に明るくなって間もなく、蓬莱山(ほうらいさん)を巡検しに行きました。
三石川の傍に屹立した小山が取り残されています。 麓には漢詩を嵌め込んだ石板と、北海道文化財百選「蓬莱山の岩」という碑があり、
岩山の基部には祠もありました。
この岩山は珍しい岩石で出来ているそうで(北海道地質百選「三石蓬莱山の角閃岩」)、北大構内にある「聖蹟碑」は、わざわざ三石から(三っつの?)石を運んで作ったらしいです。
この後、苫小牧から札幌へ向かわずに、室蘭で行われるノルディーアのチャレンジリーグの試合を見に行きました。
選手と手をつないで入場するはずの女の子が嫌がってしまい、仕方なく母親が引率して入場したという・・GKだけユニの色が違うもんねぇ・・頭を撫でられても近寄らない。笑 試合は(1-0)でリードしていたのに、後半のロスタイムに失点して同点となってしまいました。(1-1) しかも天候は霧雨で寒かった。 この看板の背景画は、ライトアップされた測量山の写真だということに気が付きました。←今ごろ
この2・3日後、火災になったフェリーが曳航されてきて、しばらく埠頭に繋留されていました。 帯広から札幌の自宅まで帰るだけなのに、540kmも走ってやっと辿り着いたという・・まぁ、アジア人が北米を経由して南米まで到達したグレートジャーニーに比べればミニトリップですけど。
2015年09月07日
前回の記事に書いた日本クラブユース選手権U-15の折に、十勝地方や日高地方などを探索してきました。 二回に分けた紀行文のうちの第一弾として、今回はグループステージの試合の合間に見聞した、十勝地方の歴史的建造物などを紹介します。
定宿である道の駅「しかおい」の前にいたシカ朝早く清水町へ向かう途中で、どう見ても駅逓の雰囲気なので寄ってみました。
「クックガルデン」という特産品販売所で、甘味処でもあるらしいです。 ここは「クテクウシ駅逓」があった跡に駅逓を模した建物を再現したらしく、東ウリマク駅逓の看板(の写真)も見えます。
周囲には「鹿追発祥の碑」もあり、この辺が鹿追町発祥の地なんだそうです。 「ク・テク・ウシ」とは「仕掛け弓でいつも鹿を捕る処」という意味らしく、それが鹿追の地名になったとか。 芽室町の奥にある「松久園」(まつひさえん)の建物を見学
この家は、岐阜県より渡ってきた松久さんが大正7年に住宅として建て、現在はニジマス料理店として古民家をほぼそのままの形で転用しています。
夕方に大樹町の海岸へ向かい、生花苗沼の近くに晩成社跡入口がありました。この藪をこいで進む訳ではなく、 車が通れる道を進むと「晩成社史跡公園」があります。
十勝開拓の祖・依田勉三の晩成社は、こんな配置になってたそうです。 物置のような開拓小屋が建っていました。
「依田勉三翁住居」と書かれた標柱が寄り掛かっています。
依田勉三は大正4年までここに住んでいたそうですが、今は豚もいません。 玄関正面の台所と風呂場・・流しの下に置かれているのが、ひとつ鍋でしょうか。
その右手には四畳の居間と茶ぶ台
開拓初期は生活が極端に苦しく食事も粗末で、客人が豚の餌と勘違いするほどだったとか。 ここは井戸の跡
そして天然の省エネ冷蔵庫である室の跡
現在の牧場・・豚も成長して牛になったようです。
などと見学して車に戻ったら蜂が飛び回っていたので、急いで乗り込んで窓を閉め、退散しました。
日中に暑くて汗をかいたから、海岸にある晩成温泉に浸かります。向かい(手前)に晩成の宿「原生花園」という安い宿泊施設もあるし、キャンプ場もあります。 眼前に太平洋を眺められます。浴室はもっと海に近いですが、さすがに防水じゃないカメラを浴室までは持ち込めません。
いい気分で風呂から上がると・・最速で降格した2012年の防火ポスターを貼ってありました。
食堂があったので海鮮の丼を食べてると、珍しい知人に遭って互いに「なんでこんな所で・・」と。 彼は仕事で来てて晩成社史跡公園の近くでスズメバチに刺され、病院で点滴を受けたそうです・・まさか、あの蜂じゃあるまいな。
翌日の早朝に、♪花咲く六花亭の「六花の森」に寄ったら、入場券のスタンプが前日の日付のままでした。 「マルハナバチ」が花粉を集めていました。こんな図体のデカい蜂が飛んで来たら大抵の人は逃げますけど、この蜂は花を愛する優しい蜂であって、掴んだりしない限り刺しません。 夕方に訪れた「士幌町発祥の地記念公園」にも開拓史跡があります。
「美濃の家」と呼ばれる岐阜様式の屋敷
以前に見た田守邸(富山様式)などと似ており、松久園が岐阜で川西町の川原家と中札内村の開拓記念館が富山となると、十勝って中部地方からの流れ者が多いのか・・? 時間外なので玄関の外から土間とカマドと台所を写す
窓の外から覗く居間と茶箪笥
庭に井戸がありました・・依田勉三の住居と同じ展開。
「この公園内での洗車はご遠慮願います」と書かれています・・そんな人がいるんだぁ。 隣に「伝統農業保存伝承館」という体験学習館?もありました。
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帯広市の電信通りの商店街には面白い建物が多いです。大正2年に建てた旧岩野商店
モダンな銭湯の「櫻湯」・・営業再開しないかな。
広告にしては目立たないデザインと色だなぁ・・と思ったら、
芽室町の「高嶋コンクリート工業株式会社」の広告で、コンクリート打ちっ放しの壁面を表現してるようです。会社のHPには、このバスの写真も出てきます。
なかなか開館時間が合わなくて未訪だった「本別町歴史民俗資料館」に来れました。通常は本別町の歴史的な資料を展示していますが、この時期だけに広島原爆の遺物を展示してあり、特別展として本別空襲の資料もありました。 昭和20年にホントは帯広を空襲する予定だったんだけど雲に遮られていたので、代わりに雲の隙間から見えた本別を空襲したんだそうです。爆撃した本人達もそこは隣の池田だと勘違いしていたとか。 1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルをもらった「バロン西」こと西竹一の貴重な資料もあります。 彼は軍馬補充部十勝支部に配属されて、本別町に滞在していたことがあるそうな。 暗くなる前に、急いでナイタイ高原牧場へ行きましたが、予想通り濃霧の中でした。 ここは行き止まりにある「レストハウス」
晴れていれば景色が良いらしいですが・・ 「家畜感謝の碑」が立っていました。
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以前にふざけて「十勝ではケーキを鍋で買う」と書いたことがありますが(記事)、ホントにカレーライス用のカレーを(タッパーじゃなくて)鍋で売ってくれるんですよ。 半信半疑でしたが、「鍋で売ります」という表示をコンビニで確かに目撃しました・・おでんだったかな。 考えてみれば、家族4人分のおでんをスチロール丼に分けて渡すなんて、合理的じゃないですよね。 具材を必要なだけ鍋に入れてもらい、帰宅してそのまま火にかけて温めれば良いんですから。
2015年03月16日
穏やかな晴天になった先月のある週末に、然別湖へ行ってきました。 毎年冬になったら(人工的に)出現し、春になったら湖に沈んで消えるしかりべつ湖コタンという幻の村があります。 今年で34回目になるイベントだそうで・・確か過去に3回は訪れたことがあるけれど、直近でも20年ほど前の話だから記憶も薄れて来つつあります。
鹿追町から西ヌプカウシ山と東ヌプカウシ山を望む然別湖へ通じる道路は、西ヌプカウシ山の山麓を登って両山の間を抜けて行きます。 2009年まで、西ヌプカウシ山にアメダスがありました。 上士幌町にピリベツ岳という山と西クマネシリ岳という山があり、両方を合わせて「オッパイ山」と呼んでいるどころか、「オッパイ山祭り」まで行われるそうです。←興味津々 こっちの東・西ヌプカウシ山もなかなかの姿をしていますが、元祖よりも標高が低い他に決定的な違いがあるため、地元の鹿追町では同様の祭りを行おうとはしていません。具体的に何がどう違うのかは・・自由研究の課題とします。 しかりべつ湖コタンの入口から湖面(に積もった雪)を眺める
イグルーというかパビリオンの建築資材は、圧雪した雪塊や然別湖の湖水が凍って出来た分厚い氷板を切り出して利用しています。製氷機で作った人造の氷塊と違って、中心部まで濁らず透明なままなのが秀逸。 春になったら、そのままの姿で然別湖の澄んだ水の中へ戻るんですから、冬の間限定の厳しい自然環境からの借り物と表現することも出来ます。大雪山国立公園の中だから、余計な物を湖に沈めてはいけないし。 春になって沈む時ってどんなんでしょう・・ダム湖に沈んでしまう廃屋を見送るような感じでしょうか。 急に深くなっているそうで、長年の住民で湖を知り尽くしているオショロコマが言うんだから間違い無いんでしょう。
夏場には湖面に姿を映す唇山(天望山)を背景にして、アイスチャペルとなるイグルーが一番奥にあります。
夜になると内部にキャンドルが灯されるらしい。
湖畔の温泉街を振り返った景色・・街と言えるほどの軒数は無いけれど、
左奥がホテル福原で、右手前がホテル風水です。 アイスロッジに宿泊する体験も出来ます。(要予約)
でも氷のベッドは固くて冷たそうだし、湖の上にはトイレが無いんですよ。夜中に目が覚めてトイレに・・という場合は、湖岸にある観光トイレまで歩かなければならないんですね、寒い夜中に。 ここはアイスバー(昼間はアイスカフェ)
夜中に侵入されないよう、ドアの横にあるチェーンで封鎖するんでしょう。 結構賑わっているカウンター
温かい抹茶オレを買って、丸窓のある中二階で飲みます。
ドリンクは500円ポッキリ、氷のグラスで飲みたければ500円追加です。 お一人様~お二人様用のテーブル席
コースターを使わないとテーブルが融けてしまいます。 グループ用のボックス席もあります・・カラオケは無いのかな?
丸窓からカウンターを見下ろす景色・・深窓の令嬢になった気分←誰がっ!?
他の部屋にはステージがあって、コンサートも行われるとか。
サンタ姿のドールズが登場(願望)・・シロクマも座って眺めています。 半地下になった薄暗い部屋にはシアターがあり、ナキウサギなど然別湖の四季の風景や、イグルーを製作する過程のドキュメンタリーが上映されていました。
大きな氷の板の裏側に白い布を貼って、その背後から映像を投影してるようです。 これは型枠に氷材を載せている段階
外形が出来たら内装工事に取りかかります。
ここは氷のグラスや彫刻を作る体験工房で、左後方がアイスバーの外壁です。
内部には作業テーブルがあり、作品が並べられていました。
あっちに氷上露天風呂があるようで、
朝から夜まで無料で入浴できますが、男性専用と女性専用の時間帯も設定されています。 湖の方から眺めた露天風呂(男湯に入浴中)
湖岸の温泉からお湯を引いて浴槽に満たしており、お湯をあふれさせ過ぎると、氷が融けて湯船ごと湖に沈んでしまうことになります。 後で発見された時には、氷の祭典などで見るような氷に閉じ込められた人間の標本が出来てるはず。(しかも全裸で) パンフレットには色々な注意書きがあって、約束を守れなかった人は強制退去・・かと思ったら「強制労働」してもらう、と書いてありました。どんな労働なんでしょう。 然別湖という地名も、内地の人には読み難いんだろうなぁ。 読めなくても全然オッケー・・の「ぜん」には違いないけれど・・さりとて、初めて見る人なら当惑するのもしかり。 十分に心の底まで美しく透明になったし、夜になるまで待ってるのも手持ち無沙汰だからほどなく引き上げましたが、帰りに高速のトンネル内で事故があってトンネルは進入禁止、トンネルの手前で1時間も待たされました。
2014年12月05日
先月の中頃、白老・登別方面を巡ってきました。 白老町の「アイヌ民族博物館」は今年で開館30周年を迎え、11月30日まで特別展「共生の世界へ、松浦武四郎とその時代展」(PDF、2MB)が開催されました。 今年は松浦武四郎が蝦夷地を踏査してから150年に当たり、10月には三重県松阪市の「松浦武四郎記念館」と姉妹博物館の締結を行ないました。
博物館の敷地に踏み入ると、昨年見たピウスツキの像の隣に、松浦武四郎の石碑が建てられていました。碑には「民族共生の人 松浦武四郎」と刻まれています。 展示室には、松浦武四郎が記した日記や地図、所持品などが並べられており、床には「東西蝦夷山川地理取調図」の写真が貼られていました。
普段は目に触れない資料が多くて、わざわざ行った甲斐がありました。 2020年には、民族共生の象徴となる国立博物館がポロト湖畔に開設されることが決定しています。→資料(PDF) 形がある施設を建てるだけではなく、「イオル」と呼ばれる伝統的な生活空間も再生することが大事です。食糧を得たり祭祀を執り行ったりする、里山とか川とか海とかもひっくるめた環境・空間も再現しないと、仏作って魂入れずになってしまいます。
道央道のICに近い「仙台藩白老元陣屋資料館」は、久し振りに見学しました。前回は陣屋の入口だけ見て帰りましたが。 蝦夷地の警備を命じられた仙台蕃が元陣屋を築いた場所で、道東などに出張陣屋(でばりじんや)も築きました。 いきなり勝手の分からない寒い土地に来たもんだから、冬を越して生きていくだけでも大変なのに、外国からの侵略に備えて広い蝦夷地を守るなんて難儀な話だったに違いありません。
白老の奥に旧飛生(とびう)小学校があります。ここは國松明日香さんがアトリエとして使っていた時代があり、現在は「飛生アートコミュニティー」として、息子の希根太(きねた)さんが仲間と共に芸術活動の拠点としています。
校庭にはアート作品が展示されていました。 参加したことは無いけれど、「飛生芸術祭」という風変わりなイベントを開催しています。 今年は9月10日頃に豪雨に見舞われ、道路が冠水して一時孤立してしまいましたが、イベント自体は開催できたようです。 その豪雨で水浸しになった「フォーレ白老」を遠くから見てきました。
飛生川の氾濫によって、キノコ栽培のハウスが水没してしまった光景が何度も報道されましたが、水没したハウスはもう少し低いレベルに建っていたようです。 このキノコ工場では、年間に1,000トンの椎茸が生産・販売されているそうで、キノコが年間1,000トンということは1日に3トン・・ちょっとイメージし難い量ですが・・押入を開けたらサルマタケが崩れ落ちて下敷きになるとか。
登別市の幌別地区にある「登別市郷土資料館」も、久し振りの再訪です。この町は仙台蕃の片倉家が白石から入植した地で、よくある古い民具の他に、片倉家ゆかりの文物が展示されています。 以前は3階が展望室になっていて見晴らしが良かったんですが、現在は3階も展示室として活用され、知里真志保関係の資料が展示されていました。
2014年11月23日
前回の網走に続き、阿寒湖畔と阿寒町を訪ねます。 美幌峠を通るのは何年振りかな・・少なくとも、峠の売店と駐車場が道の駅になる前の話で・・大昔から、車中泊するのに便利な場所でしたが。(風が強いこと以外は)
屈斜路湖畔を通って弟子屈で食料を買い込み、阿寒横断道路を通って阿寒湖温泉に着きました。 温泉街に阿寒アイヌコタンがあります。ご尊顔を拝し恭悦至極に存じます、と守り神に訪問の挨拶を済ませた後、
コタンに並ぶ土産物屋のうちの、「熊の家 藤戸」に寄りました。 この民芸店の地下には、「アイヌ民俗資料館」があるんです。これが今回の旅行の最大目的である、と言えなくもない。 アイヌの民具が並べられている他に、以前に紹介した藤戸竹喜さんが彫った作品が展示されており、美術館と名付けても構わないくらいのレベルです。→参考(北海道ライカーズの記事)
圧倒される迫力を持つ彫像群
このモデルは旭川の川村カ子トさんか
太平洋を挟んだ地の先住民族であるインディアン
阿寒湖には、鶴雅グループのホテルが色々とありますが、「あかん遊久の里 鶴雅」に行きました。 このホテルと「あかん湖 鶴雅ウイングス」とは繋がっており、ロビーやギャラリーや連絡通路には、秀逸なアイヌの木彫作品が多数展示されています。 たとえ高級ホテルに宿泊しないで車中泊してる観光客であっても(←誰?)、これらの作品を鑑賞したり売店で土産物を買うだけなら入館無料です。 館内には「ふくろう神社」というコーナーがあったので、
ご神体に拝謁して賽銭を奉納し、J1昇格を祈願してきました。
・・賽銭が足りなかったのか、願いは叶いませんでした。 夜になって、「阿寒湖アイヌシアター イコロ」で催されるアイヌ古式舞踊を見学しました。
開演前のシアター内部
自分の他には女性客2人しかいませんでしたが、後で中国人観光客と思われる団体客が押し寄せました。 ビジョンの説明文も、英語と中国語とハングルで書かれていました。 ストロボを使わなければ写真撮影は構わないとのことでしたが、何となく撮る気にはならなかったもんで。 その夜は道の駅「阿寒丹頂の里」に逗留し、翌朝は早起きする必要が無いと思ったせいか、夜明けが遅くなったとはいえ7時半まで惰眠を貪ってしまいました。 まずは、道の駅の隣にある阿寒国際ツルセンター「グルス」を見学します。
この施設名は、タンチョウの学名である "Grus japonensis " から命名されているそうな。 タンチョウは千円札の図案になったこともあります。
原画として使われた写真の撮影者は林田さんで、真ん中の透かしの部分は卵を表してるなんて知りませんでした。 館内にはタンチョウの生態などに関する展示があり、野外飼育場も備えていました。 これは「ムック」と名付けられた個体で、柵はありますが天井は出入り自由です。
観察コーナーのような柵の一部だけ赤くなってるのが何故か不思議で、帰ってから写真をよく見たら、柵がタンチョウの姿のように塗り分けられているデザインでした。 隣に「タンチョウ観察センター」があって冬の間(11月~3月)だけ(裏口が)開いており、「ツルセンター」の入館料を払えば遠回りで「観察センター」にも入れます。
この日は3羽のタンチョウが飛来していました。(備え付けの望遠鏡にて)
よく見ると、天敵であるキタキツネも徘徊しています。
観察センター内に展示されていた酒瓶の数々
寒い日に体を温める目的ではなく、千歳鶴とか賀茂鶴という、鶴に因んだ銘柄でした・・というか、イソップ童話にあった「狐と鶴のご馳走」を思い出します。 道の駅の向かいは、阿寒自然休養村「あかんランド丹頂の里」というレジャースポットで、「赤いベレー」という施設があります。 ここに泊まればタンチョウを観察するのに便利でしょう。もちろん道の駅でも可ですが。 前夜から、フクロウとツルのヘビーローテーションで、羽ばたけば飛び上がれそうな気分です。 すぐ近くに「佐々木榮松記念 釧路湿原美術館」があり、2012年に亡くなった画家・佐々木榮松さんの作品を集めて昨年6月にオープンしました。
その前は、釧路駅のステーション画廊に展示していたそうです。 以前に「北緯43°美術館」だった建物を利用しており、アプローチに並ぶゲートのようなモニュメントが赤・白・黒の色使いで、思わず背筋が伸びてしまいます。
館の正面に描かれているマークは、絵画のサインに使われた「榮」という字です。 湿原の風景を描く時には、地平線を描いてしまうと広大な湿原の広がりを表現し切れなくなってしまうので、地平線を描かないことにしたそうです。 その狙い通りに、地上の湿原と空とが連続的に繋がった空間を感じられます。 帰り道に白糠で買ったボディタオル「魚網美人」
石鹸の泡立ちが良いそうで、材料はモロに魚網で出来ています。
このタオルで体を洗えば、美人になるようです。(まれに、体質や気質によっては効果が現れない場合があるかも知れませんけど) 濡れ手に粟、一網打尽、一攫千金・・を狙ってはイケナイ、という教唆か・・。
2014年11月17日
11月初旬の連休に、網走方面と阿寒方面を訪問しました。まずは網走の話から。 目的地は「道立北方民族博物館」で、お目当ては11月30日まで開催されている「北方のナイフ~暮らしを支える道具」展です。 この催しは、北方民族博物館が所蔵する資料の中から29点を展示するものであり、ロビー展なので無料です。 ただしこの週は芸術週間とかで、常設展の観覧料も無料でした。
道立北方民族博物館の所在地は網走市の潮見で、分かり易く言えば天都山の道立オホーツク公園内にあります。 アイヌやインディアン、イヌイット、サ-ミ、中国大陸の少数民族など、北極を囲む地域に暮らす緒民族の生活用具や歴史、文化などをまとめて学習できる施設です。 昨年に訪問した際の正面外観エントランスは北方民族のテントを象ってあり、館のシンボルマークもテントです。 前庭には実際にテントが復元されていました。
昨年は無かったような・・天都山に立つテント さて展示品の紹介ですが(写真撮影は可)、北海道やサハリン、アムール川流域、カナダ、スカンジナビア半島などの少数民族が使っているナイフが並んでいました。 アイヌのマキリはお馴染みでしょう。
ウィルタは昔、オロッコと呼ばれていました。
ニヴフは昔、ギリヤークと呼ばれていました。
コリヤークはカムチャツカの北方、ナーナイはアムール川周辺の民族です。
イヌイト(=エスキモー)は、カナダ北部やグリーンランドに住んでいます。
「ウル」と呼ばれる女性用の万能ナイフは、石器時代からこの形をしてました。 これらもイヌイトのナイフながら刃が湾曲していて、凹面も削ることが出来ます。
サミ(サーミ)は、スカンジナビア半島でトナカイなどを飼育しています。
インディアンにも色々な種族がいます。
さて翻って、日本の民族に特徴的なナイフとは何だろう?と考えても、イメージが浮かんできません。 上に挙げた民族は、狩猟も料理も裁縫も工芸も、全て一種類のナイフで用を足す場合が多いですが、日本ではそれぞれの用途に特化した道具を発達させたため、包括的で特徴的なナイフが浮かばないのかも知れません。 それは果たして器用なのか不器用なのか・・ ロビー内に、モンゴルの「ゲル」や民族衣装、帽子、靴などを置いてあって、扮装できるようになっていました。
チンギス・ハーンになったつもりで屋内から天井を見上げると、屋根を支える棒(オニ)に施された装飾が綺麗でした。
窓際の衝立の後ろに隠してあるのか、カヤックの骨組みが置いてあったので覗いてみました。
図録に載ってる「ベーリング海型カヤック骨組」と同一の資料のようです。 目当にしてた訳じゃないんだけど、常設展では最近のニュース記事に載ってる「トナカイ角製品」も見学できました。
桂台駅に近い丘の上に、網走市立郷土博物館があります。皇太子殿下(=平成天皇)御誕生記念事業として建設され、博物館として建てられた北海道最初の建築であり、設計は田上義也が担当しました。 赤い屋根のドームは、「北辺の文化的な灯台」をイメージしたとか。そこに登るらせん階段が素晴らしいのに使用禁止で残念。 歴史が古い施設で、元々は米村喜男衛が収集したモヨロ貝塚からの出土品を展示するため、住友財閥からの寄付を仰いで「北見郷土館」として昭和11(1936)年にオープンしました。
今年の春に訪問したモヨロ貝塚館は、ここの分館として位置付けられています。 ここを最初に見学したのは二十数年も前の話ですが、ほとんど変わっていません・・床板の軋み方まで昔のまんま。
2014年10月30日
前回の渡島地方に続いて、檜山地方(の主に南部)で気になる箇所を巡ってきました。
まず最初に寄ったのは、去年は朝早くて開いていなかった上ノ国の「勝山館跡ガイダンス施設」です。スタッフから「ここは初めてですか?」と聞かれたので「去年は外の遺跡を見て回りました。」と答えたら、「じゃぁ、改めて説明する必要は無いですね。」と言いながらも、ほとんど観覧者が来ない時期なので色々と説明してくれました。 続いて江差に移動し、昨年は(ここも)朝早くて開いていなかった旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)を見学しました。
かなり昔に、古ぼけた佇まいだった頃の建物を外観だけ眺めたことがありますが、こんなに綺麗になるとは想像もしませんでした。 江差町郷土資料館に変わってから見学するのは初めてです。 郡役所とは今でいう支庁(振興局)のような行政機関であり、警察の業務も兼ねていたので裏手に留置場が併置されていました。
謝らなくたって、誰も入室なんかしたくないよ。
床下からの脱獄を謀った受刑者の仕業ではないようです。
これは
チケット売り場面会室でしょう。明らかにトイレと思われる部屋があったので覗いてみましたが、内部の調度品までは復元されていませんでした。 正面2階のバルコニーから見下ろした江差港と鴎島
いにしえ街道の家並みと熊石方面の海岸
天守閣のように見晴らしは良いですが、海から冬の季節風が吹き付けたら堪らないから、後にバルコニーを囲ったのではないかと推測。 江差港のフェリー乗り場に寄って奥尻島へ渡る船の便を調べてから
開陽丸を見学しました。
かなり昔にも見学したことがありますが、改めて砲弾の多さに呆れてしまい、砲弾の重みで船が沈むんじゃないかと思うほどです。 沈没した海底から引き揚げられた遺物が、艦内や前庭に展示されており、
開陽丸の管理棟は「えさし海の駅 開陽丸」にリニューアルしています。 甲板上からの景色:揺れないけど風が強くて足元がふらつく
艦内は(軍事上の機密保持のため?)撮影禁止なもんで。 マストは(よじ登りたくなるほど)かなり高いです。
開陽丸の沈没と運命を共にした旧幕府軍の落日を象徴するシーン
現在の船体はコンクリート製で、船のくせに浮かないし動かないから固定資産税がかかるんだと、どこかで読んだ記憶があります。 道の駅「江差」まで戻ったところで、ちょうど日没となりました。
日没時刻が16時54分とは、ずいぶんと日が短くなったもんです。 お天道様に向かって今日一日の行ないを懺悔し、さらに4時間走って帰宅しました。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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