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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2014年10月24日
ホントは寒くならないうちに利尻・礼文へ探訪の旅に出掛けたかったんですが、土・日に試合はあるし天候が芳しくなかったしで、まだ行けてません。 雨が降るのは(さほど)構わないんだけど、風が吹くと桶屋が海が荒れて船が揺れるとか、欠航するとかいう事態になる恐れがあるのがネックです。 博物館や郷土資料館が10月いっぱいで閉館してしまうから、今年は既に諦めムードです。 北がダメなら南へ、と渡島半島で気になる地点を巡って来ました。奥尻島行きも、今年は無理かな・・船の運航ダイヤが不便だし、冬になると便数が少なくなって。
最初の目的地は、鷲ノ木遺跡です。→かなり詳しい説明 ここは道央道の建設に先立って調査された遺跡で、道内最大規模のストーンサークルが発掘されました。 国道脇には遺跡への入口を示す標識がどこにも立ってなくて、多分、ここだろうと思った砂利道に入り、しばらく進んだ分岐点に初めて粗末な看板が立っていました。渡島半島にはヒグマがいますからねぇ。 その先にも分岐点が幾つかあり、動物的な勘と人間GPSの指示に従って進むと、遺跡の説明板がありました。
しかし遺跡内は立入禁止で、柵の外から撮影しても「鷲ノ木遺跡」と書かれた看板しか写りません。
仕方が無いから3つ前の分岐点まで戻って反対側に回り、車止めが立ってる道を歩いて進み、藪をこいで斜面を登り、(人間を含む)動物よけのフェンスの隙間からストーンサークルを撮影しました。
遺跡の真下に道央道の「鷲ノ木遺跡トンネル」が通っているから、道央道は墓場の地下を走ってることになります・・道理で涼しい訳だ。 これがサークルの左半分で、石の円が二重になってることが分かります。
こっちが右半分で、さっきの看板が向かいに立ってます。
周囲には足の踏み場も無いほど栗の実が散らばっていて、縄文時代から聳えてた木じゃないにしても栗の木が育ち易い環境だということは、古代人の食糧が豊富で住み易かったということでしょう。 鷲ノ木といえば、箱館戦争の折に旧幕府軍が上陸した地ですが(記事)、前を走ってた車の運転手が土方さんでした。
五稜郭は今年が築城150年目に当たり、「五稜郭おもてなし隊」という長期間のイベントが開催されたようですが、このストーンサークルは4千年前の建造物ですから。 その次に横津岳レーダーを見に行きたかったんだけど、旧スキー場へ通じる道路が災害復旧工事中で、「尖った石ころでタイヤがパンクするかもよ。」という看板が立ってたので素直に退却しました。
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次は恵山へ向かいます。旧椴法華村の突端にある恵山岬灯台の周辺は公園になっていて、
その一角に、灯台資料館「ピカリン館」があります。
館内の中央に古い恵山岬灯台の模型が立っていました。
灯台の仕組みやら歴史やら、色々と勉強になります。 すぐ傍にホテル「恵風」(けいぷ)があるので寄ってみたら、フロントにピカリン館の無料入館券がありました。(大失敗)
3階の窓に目隠ししてあるのは、宿泊客用の浴場があるからです。 日帰り客用の浴場は1階の左側にあって、一応は塀のような仕切りがあるんですが、露天風呂が表側にあるのも珍しい。 廃船にお湯を張った足湯だそうで・・これがホントの「湯船」
火山が目の前に迫り、温泉としてはありがちな立地です。
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次は函館の北大水産学部に寄り、水産科学館を見学しました。ここは北大総合博物館の分館と位置付けられており、ホルマリンに浸けた魚類の展示だけじゃなくて、海鳥や海獣、漁船、漁法、漁具など多岐にわたり、面白くてたまらない施設でした。 11月3日まで北大総合博物館で、練習船「おしょろ丸」関係の企画展が行なわれている最中なので、「貸出中」と書かれたカードがあちこちの展示物(があった場所)に置かれていました。 こっちが正面入口かと思ったら後に増築された別館で、前庭にはカッターや錨が展示されています。
左がおしょろ丸III世の錨、右がIV世の錨です。
洞爺丸事故を受けて国鉄が錨の形を改良し、「国鉄型錨」と呼ばれる特徴がこの錨にも見られるそうです。 いつだったか函館で試合があった折に、何かの用事で中央埠頭に行ったら、おしょろ丸(IV世)がちょうど出航するところでした。出航といっても、向かいのベイエリアに向かっただけのようですが。
横津岳に寄らなかったせいか1日目のミッションが順調に進み過ぎてしまい、翌日に回ろうと思っていた檜山地方も今日のうちに回れそうなので、峠を越えて檜山へと向かいました。(つづく)
2014年09月18日
帯広と中札内で行なわれたクラセンU-15は準々決勝で敗退してしまったので(記事)、取りあえず甘味で胃と精神を落ち着かせた後、1泊しながら三国峠経由で帰って来ました。 どうせ、翌日の試合が無くなったのだから、急いで帰る必要も気力もありません。
まずは翌朝、ぬかびら源泉郷にある「ひがし大雪自然館」を見学します。屋根自体がソーラーパネルで覆われていて、地中の熱や冷気を利用する空調システムも採用しているそうです。 7月・8月なら開館時刻が朝6時という、とんでもない便利さです。おまけに駐車場があるし、トイレがあるし、蛾がいるしで。 ここは、「ひがし大雪博物資料館」と「ぬかびら源泉郷ビジターセンター」とからなる複合施設で、入館は無料です。 資料館は、集落の奥にあった旧「ひがし大雪博物館」の収蔵物を引き継いでいて、目玉は昆虫の展示でしょう。 岩場の上で瞑想するナキウサギ(の剥製)
小鳥(の剥製)が包帯を巻かれて修理中のまま展示してありました・・これも大事な啓蒙活動。
ただ収蔵品を並べてるだけじゃなく、展示方法を工夫したり来館者にも考えさせるところが、今時の博物館らしいです。 昔の「ひがし大雪博物館」にも寄って外観だけを鑑賞
現在は「ひがし大雪自然ガイドセンター」に変わり、熱気球の搭乗体験やコンクリートアーチ橋の見学ツアー、スターウォッチングなどの拠点となっています。
昔は砂利道だった三国峠を快適に越え、大雪ダムを横目で見ながら走り、トンネルばかりになった層雲峡を通過して、層雲峡ビジターセンターに寄ろうと思ったら、その手前に「大雪山写真ミュージアム」の看板があったので訪問してみました。温泉街から離れて奥まった場所にあり、開館時刻より早かったのかも知れませんが、快く迎えて頂きました。(600円払うんだから) 明け方の4時から起きてると、世間はまだ朝でも自分では昼近くになった感覚に狂います。 この写真ミュージアムは、「北海道山岳写真の殿堂」とか「日本最大級の規模」と主張するだけあって、確かに展示スペースは広大です。 何しろ、旧層雲峡小学校の体育館を含む校舎全体を写真ギャラリーにした施設ですから。 写真家の市根井考悦さんが大雪山系を歩き回って撮影した大判の写真パネルを、所
狭し広しと季節別に展示してあり、作者による説明文も添えられています。(作品の販売にも応ず) 写真に見入ってると、自分が山の上から景色を眺めてるような錯覚になり、縦走の如く館内を何度もぐるぐる回って一日中でも眺めていたいくらいでした。 大雪山のように芒洋としたBGMが良かったです。ケルト音楽なんだそうで。 この施設は地区の避難所にもなっており、教室や体育館、トイレ、厨房が揃っていたら、避難所としては申し分ない設備です。 ところがその背後では砂防工事が行なわれており、土砂崩れが起こるんだとか。確かに、ホテルの従業員宿舎が土砂崩れで埋まったことがありましたが(1975年)、土砂災害が起こる場所に避難所があるという・・。 層雲峡ビジターセンターやロープウェイの駅で勉強して、のんびり帰って来ました。
層雲峡温泉街の建物って、統一されたデザインのようです。 雨降って地固まると言うけれど、帰る途中の旭川新道では大雨で法面が崩れていました。
一度訪れたかった砂川の「ソメスサドル」
商品は想像した通りの値段なので、何も買わずにトイレだけを見学。笑
実は・・「ひがし大雪自然館」が朝6時から開いてるということで、3日前にも喜び勇んで朝早く向かったんですが、その日がちょうど休館日(水曜)であることを知らずに(調べずに)行ったもんだから茫然としてしまいました。同じ道を戻るのは気が滅入るので、幌鹿峠を越えて然別湖経由で帯広へ戻ったのでした。 然別湖から鹿追へ下る途中の扇ヶ原展望台にて並んで飛び跳ねてるような雲・・絶景かな
これでダメージ回復←現金なヤツ
2014年09月12日
日本クラブユース選手権のため帯広へ行ってた際に、周辺の市町村を探索してきました。まず今回は近場から。 帯広市内の信電電信通の方にある双葉幼稚園の建物を見学したら、近くに面白い公園がありました。 鉄道線路の跡のような道路が斜めに交差していて、転轍機を模した車止めが何とも可愛らしいです。
音更町に「水の神殿」という構築物があるとか。 それは初耳なので探索してみたくなります。→参考:水の神殿計画 ここは深層地下水「大雪な水」が採れたところだそうです。 音更町の浄水場がある交差点(中音更西3線)まで来ました。ここも大切な水を供給する施設には違いないだろうけど。 向かいは中音更会館です。十勝では、大きな看板じゃないと風景に負けて見過ごされるのでしょう。
この角を曲がって両側に牧場が広がる道を進み、途中からは砂利道へ入ります。 その先に立っていた「開鑿之地」という看板
大雪山系の深層地下水を250メートル掘って汲み上げたとか。 草に覆われたコンクリート製の
怪しい神々しい?構築物が現れました。このドームは掩体壕を模しているとか・・なぜ? これをくぐって突き当たりまで進むと、 確かに、水が湧き出しています。
神聖な水源?を取り囲む、鳥居のような門と船の肋材のような結界
湧水は樋を流れ下り、
神殿?へと導かれます。
大雪な水は神殿?の中央部に穿たれた穴に入りますが、
この地下が水琴窟になっているらしく、水の滴る音がよく響きます。
妙なる水の音色に聴き入るためのベンチも備えられていました。
地面に敷いた砂利を均すためのトンボも置いてあって、枯山水のように手入れしてるらしく、よっぽど自分の足跡を消そうかと思いましたよ。←犯罪者か ここに辿り着いて神殿と主張する建造物を見た時には騙された気がしましたが、ここの地面に毛氈を敷いて琴を奏でるとか、室内四重奏のコンサートを催すとか・・医院じゃ内科と思いました。 わざわざ見に来る価値がある代物かどうかは微妙だなぁ~と思いながら、近くの牧場にて
家畜が歩く通路と、それを監視する搭のようで・・刑務所とか自動車教習所を思い起こします。
最近読んだ雑誌によると、幕別町に「新田の森記念館」という施設があるとか・・これも初耳だ。 こちらは「しんでん」ではなく、普通に「にった」です。 帯広から釧路へ向かう国道38号線は、幕別町で三叉路があります。普通は左手から来て右手へ進みますが、ここで手前(糠内・忠類方向)へ曲がり、 踏切を渡って幕別駅の裏へ出ると
刑務所のような塀に囲まれた「新田の森(と記念館)」があります。
森の中の遊歩道は昼なお暗く(夜はもっと暗く)、枯れ落ちた枝もそのまま放置されていました。
大体、通路自体があまり踏まれてなくて草に隠れそうな状態。 展望櫓があって、蔵もあって、神社もあって、
怪しい記念館がひっそりと佇んでいました。
元々は倉庫だったらしく、テラスの床板が抜けてたりしました。 館内には、会社の歴史や創業者に関する文物が展示されています。 現在は「ニッタクス」という会社ですが、古くは皮ベルトやベニア板を生産していた会社で、私自身も「新田ベニヤ」や「ニッタベルト」という名前は昔に聞いた記憶があります。
合板を使った椅子が皇居にも納められたとか。 現在の主力商品はパークゴルフのクラブなのか、工場の入口にクラブの販売・修理を承る小屋があり、工場はお休みなので門の外から撮影しました。←門外漢
敷地内には、古い建物とか共同浴場とかが草に埋もれて立っていました。 商品の開発・改良に役立つのか、工場の前にはパークゴルフ場があります。
幕別町はパークゴルフ発祥の地で、町内に国際パークゴルフ協会があるんだとか。 この会社の何が凄いかって、歴史を紐解くと・・ ベルトを作る皮をなめすためにタンニンが必要で、タンニンを採る原料として十勝に多いカシワの樹皮に目を付け、タンニンを採った後の材木で合板や枕木を作り、皮ベルト製造の過程で出る副産物からニカワやゼラチン(写真乳剤)を開発し、広い土地で牧場を経営してバターやコンデンスミルクを作り、競走馬まで生産するという・・無駄なく何でも利用するという発想なんでしょうか。 地域にも多大な貢献をして表彰されています。
鹿追町に「福原記念美術館」があることは以前から知っていましたが、商売で大儲けした社長さんが金に任せて美術品を買い漁ったような印象があって、やや敬遠していました。 十勝地方では「フクハラ」というスーパーが到る所にあり、現在は「アークスグループ」に入っています。 創業者の福原治平さんが食料品の商店から出発して、現在はスーパーを50店舗くらい展開し、然別湖畔でホテル福原を経営しており、そこの「ミネルバ美術館」を見学したことがあります。 福原記念美術館の全景と前庭美術館ながら(ストロボを使わなければ)写真撮影は自由なので、何点か撮影しました。 神田日勝の作品:ザルやビクが彼らしい描き方ですが、
この作品はちょっと意外・・紙袋がそれらしいかも・・
黄金道路・・完全に想像の範囲を超えています。
東山魁夷の版画(然別湖と唇山)
色使いが確かに・・白馬はいないけど。 作品を見て回ってると、ここの美術館に対して抱いていたネガティブなイメージは払拭されました。 館内のカフェから眺める庭園は開放感たっぷり
もうすぐ閉館時刻なので食事できず残念 最後にトイレを探索:この便器、上部と下部に付いてる番号が違います。
隣の便器に付いていた番号と、上下を取り違えた組み合わせになっていました。 陶器というものは焼く時に収縮するので、予めその収縮を見越して粘土の型を少し大きめに作っておきます。 それでも不均等に収縮したりして、設計通りの寸法や形になるとは限りません。 なので収まりが良いパーツの組み合わせを選んで、貝合わせのように番号を振って出荷しているはずです。 施工業者がそれを知らないとは考え難いので、後でメンテナンスのために分解した人が無頓着だったということでしょうか。 それとも、取り違えた方がフィットしたから、わざと組み合わせを変えたままにしてあるとか・・。 某所で慌てて撮ったピンボケの写真:これが正しい組み合わせ。
10万個も売れたということか・・トイレ見学は楽しい。笑 十勝管内を探索して回ってると、どこに行っても「中川ゆうこ」という看板が立てられていました。もしかしたら、信号の数より多いかも知れません。 帯広近郊ではなく少し遠い地域の探索結果は次回以降に。
2014年07月17日
もう、何の用事で訪れたのか忘れてしまいましたが(笑)、6月に室蘭へ行ったついでに、追直(おいなおし)漁港の沖合いに出来た人工島を見学してきました。 この人工島は「Mランド」と呼ばれ、昨年出来たことは知っていましたが、見物しに行った11月には既に夏場の公開期間(5月~10月)を過ぎていました。Mは室蘭のMですよね、当然。
室蘭駅の近くから、追直漁港へ向かう道を進みます。生まれ故郷なので、地図を見なくても適当に曲がれば行き着けるから便利。 島へ繋がる橋の入口が漁港の傍にありました。
まるで自動車専用道に入るような気分です。 こんな橋を渡って進みますが、橋上での停車は禁止なので途中の写真を撮れません。
セントレア空港や長崎空港へ向かう感じ 島にある駐車場から、今来たこの道を振り返ってみます。
これが追直漁港の防波堤ですが、
追直漁港の沖合いと言うよりも、室蘭人にしてみれば「電信浜」の沖合いと言った方が適切です。
島の正面に測量山が見えて、景色が良いです・・こんな景色は船の上からしか楽しめなかったのに。
参考→北海道地質百選の「測量山」 測量山から見ると、Mランドは↓こんな感じに見えるらしいです。 http://www.geosites-hokkaido.org/images/lightboxphoto/0711sokuryouzan4.jpg 形としては、MではなくてJに見えますが。 駐車場の先に、漁網を干してありました。
陸上の浜には網を干すスペースも無くなってしまったということか。 フェンスの頂部には、鳥除けと思われる針金が植えられていました。
鳥にとっては・・針の筵かも知れません。 照明だって、これほど防御しなければ止まり木(=トイレ)にされてしまうことは必定
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続いて、御崎駅に寄りました。御崎に住んでいた時期がありますが、この駅で乗降したことはほとんどありません。 ここの駅の近くに「室蘭線発祥の地」という標柱が立っているはずなんですが、マジメに下調べをしなかったので発見できませんでした。でも、その後の調べで場所は分かりました。(遂に倒れたらしい)
ホームの脇で勾配標が草木に隠れていて・・いーんでしょうか。
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さらに、東室蘭にある中嶋神社に寄りました。手水の使い方を教えなければならない時代です。
本殿の前に丸い輪が見えますが、これに火を点けてライオンがくぐるショー・・ではなく、これは「茅の輪(ちのわ)」と言って、半年間の穢れを祓う「茅の輪くぐり」神事に用いられる輪らしいです。→参考
横に立ててあった説明看板を読んで、よっぽど、今年前半の試合成績の厄を祓ってもらうためにくぐろうかと思いましたが、(清廉な身の)私がくぐってもご利益は期待できませんから。 本命のミッションは、境内に保存されている「輪西屯田兵旧火薬庫」(明治19年建設)を見学することです。
室蘭市の指定有形文化財第2号で、火薬庫だからというより、木造だから火気厳禁というのが心細いです。江別の火薬庫はレンガ造りだったけど。←江別だけ特別? 裏に回ると、不審者を検知する人感センサーらしきものが。
これは床下の換気口のようです。
近くに輪西屯田兵記念碑が立っていました。明治42年建立で、こっちの方が新しいのに有形文化財第1号です。(指定日は火薬庫と同じ)
この碑は青銅製で、断面が三角形の鉾の形をしています。屯田兵△ そもそも、明治20年に屯田兵が入植した頃に、この神社の基となる兵村社(円山神社)が建立されたそうな。 開拓期には湿地の中に小高い丘があって、海に浮かぶ島のように見えたのが「中島」の由来だとも言われています。
2014年07月11日
タイトルに深い意味はありません。 昔、仕事で羽幌に滞在してた時、仲間が虫歯になって困ってたので「歯ボロのタタリだ」と言ったことがあります。←薄情なヤツ 1か月ほど前に焼尻島と天売島を探訪した折り、朝早く起き過ぎたので、苫前と羽幌の周辺を散策してきました。 苫前といえば、開拓期に起きた羆の事件が知られていますが、そもそもあんな山奥まで開拓したら羆の生活領域を侵略することになるのだし、食事の仕度で美味しそうな匂いを振り撒いていたら、餌不足で空腹の羆はたまりませんよ。 一方の羽幌といえば、羽幌炭砿とか築別炭砿を擁する炭鉱の町でした。 それぞれ、オロロンまっぷの「苫前」と「羽幌」を参考にして下さい。
まだ朝5時前・・高台に登って、苫前漁港を見下ろしてみました。右手に見える白い建物が道の駅「風W(ふわっと)とままえ」です。 海岸は海食崖になっていて、風力発電の風車が並んでいます。
天売・焼尻の両島も見えたんだけど、霞んでて写りが悪いので省略。 手前に見える防波堤まで行ってみました。
ここの防波堤は2段の構造になっています。 港の近くに「岡田番屋」が残っているらしく、内部は公開していないので外見だけでも・・と思って探したところ、やっと見つかりました。
岡田商店の水産加工場の奥にありましたが、かなり失望しました。 気を取り直して、三毛別ヒグマ事件が目玉展示の「苫前町郷土資料館」へ向かいます。
この施設は苫前町役場として建てられましたが、役場新庁舎の完成に伴って郷土資料館に変わりました。 まだ開館時刻前だし、かな~り昔に見学したことがあるし、三毛別の事件現場まで行ったこともあるので、羆の案内には応じず裏手へ回ります。 資料館の裏には「古代資料館」が繋がっていて、
裏庭には「古代の里」として復元住居が並べられています。 これは縄文文化の住居で、
時代別にモデルハウスの特徴が説明されています。 こちらは擦文文化の住居で、
入口には現代の鍵がかかっていました。(昼間は公開) さらにアイヌ文化のチセ、
初期の開拓小屋(屋内展示を窓の外から撮影)と時代は流れます。
資料館へ向かう道路は「古代ロマンロード」と名付けられ、
埴輪とか「かがり火」形の街灯が並んでいたりします。
何でもかんでも一緒くた・・と感じなくもない。
このまま真っ直ぐ羽幌へ向かってもフェリーの出港時刻には早過ぎるので、先に奥地の炭鉱遺構を見学しました。 かつて羽幌の奥地には炭砿があって栄えていましたが、今は昔の話、現在は廃墟のみが残っています。 これは羽幌本砿の遺構で、後方に櫓が見えます。煙突がポツンと立っていました。
ホッパーの廃墟に近付いてみます。
その横に説明看板が並んでいましたが、誰も立ち入りたくはないよ。
築別炭砿は遠回りになるので寄りませんでしたが、時間的には周って来れる余裕があったみたい。 旧羽幌炭礦鉄道の線路跡とか橋も残っていました。 炭鉱が閉山になったら学校も閉校になるもので、特に探した訳でもないのに道路脇に次々と現れるんです。 これは北辰中学校
曙小学校
幌北小学校
築別中学校
さらに光洋小学校もあったけど、さほど古くはなかったし、写真を撮るのに飽きてしまいました。 炭砿関係の資料については、「羽幌町郷土資料館」に展示されています。→以前の記事
2014年06月23日
以前の記事に関連して調べ物をしていたら、野幌の屯田兵中隊本部にも被覆庫が残っているということを知ったので、見学に行きました。 野幌の屯田兵第二中隊本部の建物は以前に訪問したことがありますが、その時には被服庫に気が付きませんでした。 春になって雪が融け切る前に下見しに行ったら、記憶の場所には中隊本部がありませんでした。
地図をよく調べて5月にリトライしたら、建物は見つかったものの、以前に立ってた場所とは明らかに違って、錦山天満宮の隣に移転したようです。内部は屯田資料館として公開され、調度品や兵屋の模型などが展示されています。 急な階段ですね、と解説員に言ったら、仕切りを外して二階に登らせてくれました。
二階から見下ろすと天守閣の階段のようです。 武器の貯蔵庫だった二階の屋根裏部屋
四角い蓋を開けて武器を上げ下ろししたと推定されています。 古くなった棟飾りが保存されていました。
当時の窓は上下に上げ下げするギロチン式が多かったけれど、これは違って斜めの切り込みがあります。
向こうに見えるトイレの窓も同じ構造です。 こんな風に回転して開閉する方式の窓でした・・これは珍しい。
お約束ですから
本屋の後方に被服庫がありました。
良い感じのフォルムですが、
内部は物置として使われています。
周辺ではエゾエンゴサクが満開でした。
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ちょっと足を伸ばして江別市に行くと、 北電江別火力発電所の専用線路跡地を活用して遺物を展示した「四季のみち」という遊歩道がありました。→参考石炭を運ぶ貨車とディーゼル機関車 石炭から電気を発生させる仕組みを説明した看板もありました。
長大な蒸気タービン
巨大な軸受けかと思ったら、粉炭に砕く機械だとか。
そう言えば昔(30年ほど前)、発電所の構内にお邪魔したことがあり、粉炭や石炭ガラが山積みになってました。 産業廃棄物として厄介物だった石炭ガラは、セラミック材の原料として再利用する方法もあるんだとか。 とある場所の公衆トイレ
MとWの文字を巧に使ってあります。
2014年06月11日
千歳市の蘭越に「さけの里ふれあい広場」という施設があるとどこかで見たので、ついでがあった時に寄ってみました。 この施設は「千歳サケのふるさと館」とは違って、「千歳中央孵化場」だった施設に併設されています。
千歳市内から支笏湖に向かって千歳川沿いに支笏湖公園線を遡り、もうそろそろかと思った頃にそれらしい施設があったけど、パンフレットに載っていた写真とは少し雰囲気が違います。ここは千歳市の「蘭越浄水場」でした。この周辺は「名水ふれあい公園」になっています。 トイレに寄ったついでに施設内を覗くと、ロビーに飛行機が展示されていました。
「北海1号機」の原寸大模型だそうで、元々は千歳空港に展示されていた再現機体が、持て余されて千歳市に寄贈されたそうです。余ったから譲るというのは、少し失礼な話かと感じますが。笑 前庭では雨量と気温を測っているようです。
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さらに支笏湖方面へ進んで「烏柵舞橋」(うさくまいばし)から右手に入り、サイクリングロードに沿って進みます。 川の傍に「さけの里ふれあい広場」があり、展示館と体験館(背後)という建物がありました。 こちらが展示館
最近、水産試験場が統合されて、水産総合研究センター北海道区水産研究所・さけます資源部の「千歳さけます事業所」と変わったようです。 歴史的なお勉強は、サケの増殖事業3「千歳ふ化場の建設」あたりを参考にして下さい。 展示館のロビー中央にあった混種水槽
魚種別の水槽もありました。
ショーケースに収まっていた、字体からして古い時代物の看板
新しい標板も展示されていました。
これは和人が作った法律であって・・
体験館の方は、時期外れなので特に面白い仕掛けはありませんでした。 前庭には、「鮭鱒人工孵化発祥記念碑」が立っています。
川沿いに立つ孵化施設群
これは下流側の半分で、上流側にも色々とありました。 雨量や水位などを測っていました。
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これが目当てじゃなかったんだけど、近くの道沿いに「ウサクマイ遺跡群」の看板が立ってたので見学しました。ウサクマイ遺跡群は、千歳川支流の内別川周辺と千歳川沿いに広がっており、孵化場があるくらいだから昔から遡上する鮭が採れたんでしょう。 しかし内別川の周辺は、名水100選に選ばれている「ナイベツ川湧水」という水源地(蘭越浄水場の上流)なので立入禁止になっており、見学できるのは千歳川沿いのウサクマイC遺跡だけです。
遺跡の大部分が内別川の流域にあって、見学できるのはウサクマイ遺跡群の、ごく一部に過ぎません。 プチ原始林のような佇まいで、あまり人工的な手が加えられていない様子。
苔むした倒木もあちこちにあります。
遺跡群の一部といっても、かなりの数の住居跡が分布しています。
ここも別の住居跡
写真では分かり難いですが、案内板が立っていなくても住居跡だと分かる窪みがたくさんありました。←土地家屋調査士か?
オオバナノエンレイソウとか、ニリンソウとか、春の花が満開でした。
2014年06月05日
先月、後述の用事で日高の平取町・二風谷(にぶたに)へ行きました。 ここには「二風谷アイヌ文化博物館」があり、この博物館については以前に「馬と木彫りの里に春の訪れ」という記事で紹介しました。 今回は「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の方を訪問しました。 そもそも、「萱野茂資料館」に展示してあった収蔵品を平取町に寄贈して「文化博物館」が開館したという経緯ですから、こちらの方が先輩というか本家に当たります。
交通費・宿泊費の10万円に比べたら、入館料の400円は安いもんだと・・大昔にここを訪れた時には、こんな看板は無かったような・・その頃は、受付に萱野さん本人が座ってました。 萱野茂さんは、アイヌ初の国会議員となりました。
そのお陰か、アイヌ民族を取り巻く環境がずいぶんと変わった気がします。国際的に先住民の権利が認められるようになったことにも後押しされているんでしょう。 萱野さんの言葉なんですが、 『アイヌ民族の考えでは、天から役目なしに降臨した物は一つもない。虫でも、鳥でも、どんな生き物であっても、食べ物を奪い合うことをせずに分け合って食べていたものでした。しかし、今生きている人たちは、その心を忘れてしまいました。その挙句に、原子力と言う悪魔の火。これは人類全部が天に向って唾を吐き続けている様なもの。その唾が、私共の顔に戻るであろう事を案じています。』 と案じながら7年前に亡くなって、(3年前に原発事故が起こって、)現在は息子さんが資料館を継いでいます。 館内の写真撮影は自由なので自由に撮影していると、次第に写真を撮るのが面倒になってきました。
もっぱら個人的に興味がある種類:マキリ(小刀)・タシロ(鉈)
ゴザで囲まれた小屋の中で、熊が昼寝をしてるのか、死んだフリをしているのか
資料館の二階には、世界の珍しい(怪しい)文物が展示されていました。何か珍しい物があったら当館に寄贈して下さいとも・・ 上は2mほどの大きなチョウザメですが、下は中国に棲む世界最大の淡水魚で「鰉魚:ホアンイユ(エンペラーフィッシュ)」と呼ばれる魚だそうです。
チョウザメと似てますが、口が下を向いてて、サイのような角が出ています。 資料館と続いてる別棟の建物は「顕彰記念館」的な広い部屋で、萱野さんの功績とか足跡とかを記したパネルが貼られ、壁にはスクリーンがあったので、ビデオなども上映するのでしょう。 蝦夷鹿の角を組み合わせて作った椅子とテーブル・・座り心地を確かめてみれば良かったかな。
資料館の横には丸木舟が三艘重ねてあり、裏には怪しげな小屋が保管されていました。
想像するに、これは「奉安殿」ではないかと・・後述の小学校が建て替えられた時に、捨てるに捨てられなくて資料館に寄贈されたのかも。
さて今回の主目的ですが、以前の記事で紹介したイタの作者である藤谷憲幸さんが6年前に亡くなって、その奥さんがご主人の作品を手許に集めておきたいと言っていた、という話をどこかで読んだので、このイタは奥さんにお返しした方が良いのではないかと考えていました。 私が持っていても宝の持ち腐れになる恐れがあるし、必要とする人の手許にあるのが一番良いだろうと思われます。 そうは思い立っても暦がなかなか吉日にはならず(笑)、伸び伸びになっていました。 憲幸さん(木彫り)と奥さん(機織)は、萱野茂資料館の裏にあった「ポロチセ」という小屋でアイヌ工芸の実演をしていたんですが、その小屋は火事で焼失してしまったので、現在はどこで作業をしているのか分かりません。 萱野茂資料館の受付でポロチセがどの辺にあったのかを尋ねたところ、藤谷さんの居場所を教えて頂きました。 二風谷の中心街というか工芸品店が集まる「匠の道」に沿った、「藤谷民芸」で作業しているとのことなので、お邪魔して奥さんに事情を説明しました。 かなり驚かれましたが(そりゃそうでしょう)、間違いなくご主人が彫った作品でした。 以前は作品に自分の名前を入れてなかったそうですが、萱野さんに言われて名前を入れるようになったそうです。「名前を入れたお陰でこうして戻って来た」と喜ばれました。 何だか、肩の荷が下りた気がします。 イタと引き換えに、ご主人の作品を掲載した写真集を頂いたのですが、
私自身もこの写真集を発行したことは知っていたので、どこかに売ってないか(あるいはネット上で閲覧できないものか)と探していたけれど、自費出版のような非売品なので見つかるはずもなく、大きな図書館などには納入されている程度でした。 私としては、この写真集は頂いたのではなくお預かりしたもので、全ページをスキャンしたらお返ししようかと考えています。発行部数も少ないので、また別の人に見てもらえる方が役に立つだろうと。 昨年、二風谷の工芸品「二風谷イタ」(盆)と「二風谷アットゥシ」(樹皮糸の反物)が、北海道で初めて経済産業省の「伝統工芸品」に指定されました。 以前からそういう申請はしていたんですが、「日本は単一民族の国家だ」とか言う政治家がいるほどの国ですから、日本の伝統工芸品は指定されてもアイヌ工芸品は指定されていませんでした。 アイヌ工芸品はやっと日の目を見る時が来たけれど、憲幸さんは間に合わずに59歳で亡くなってしまいました。 写真集の中に古い建物が写ってたので、どこにあるのか教えて頂いて見てきました。
明治44年に二風谷尋常小学校が新築されるのに伴って建てられた、「旧二風谷青年会図書館」だそうです。 後で調べると、北海道で2番目に建てられた図書館とのことで、それがこの町にあること自体が驚きなほどですが、かなり傷んでいます。 この玄関の屋根に跨っている棟飾りも、後に藤谷憲幸さんが彫ったそうです。
2014年05月30日
網走地方はそう頻繁に来れる訳でもないから、去年見過ごした場所や新たにリストアップした箇所を訪問しました。 今回の宿営地は、津別町にある道の駅「あいおい」にしました。 昔は近くのチミケップ湖にアメダスがあったし、湖畔の佇まいも浮世離れしてて良い雰囲気で眠れるのですが、湖に通じる道路が通行止めになることもあるので避けました。
ここは、旧相生線の終着駅だった北見相生駅の跡地で、「相生鉄道公園」となっています。
線路を挟んで駅舎と反対側に道の駅があるのは珍しいかも。 客車をライダーハウスとして無料開放している他、
構内除雪車や貨車・緩急車なども展示してありました。
正面側から見た駅舎
機関庫も残ってはいるんですが、扉が倒壊して向こうを見通せるくらい、無残な姿を曝しています。
ターンテーブルの跡が分かるけど埋められています。
トロッコも漕いで動くのかどうか・・
官舎も残されてますが、人が住まないと荒れるものです。
津別町営バスの待合室に変わった駅舎内から事務室を撮影
時間外で店じまいしてた道の駅には「クマヤキ」という幟が立ってて、クマヤキとは・・くまモンでも焼いた物なのか・・と思ったら、黒い羆と白熊の色・形をした「たいやき」のペアで、ここの名物らしいです。 2日後にドームで熊本と引き分けたのは、このたいやきを食べなかったせいに違いない・・熊本には羆も白熊もいないけど。
翌朝は早い時間に津別峠からの眺望でも・・と思ったら、展望台へ登る道路はまだ冬期間の通行止めでした。 寄り道が無くなったもんだから網走に早く着き過ぎて、世間が活動を開始するまでの時間を利用して小清水の原生花園駅へ行きました。 童話チックな原生花園駅この駅はSTVのライブカメラ「小清水原生花園」によく写っています。 オホーツク海の手前に広がる砂丘地
内陸側には花と野鳥があふれる(←想像)涛沸湖
網走へ向かう列車を見送ったのに、戻る途中で追い抜いてしまいました。笑
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能取湖の南岸にあった旧湧網線・卯原内(うばらない)駅の跡地も交通公園になっています。保存状態は良好で今にも走り出しそうなSL(49643号)
これは多分、線路跡だろうと思います。
バス停が「網走市鉄道記念館、卯原内小・中学校資料館」となっていましたが、入館できないし、内部を撮影した写真を見せるほどの価値はありません。(参考)
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サロマ湖南岸の幌岩山に、「サロマ湖展望台」があります。 新車だったら走りたくないような、細くてカーブと傾斜がきつい砂利道をしばらく登ると、展望台に着きます。常呂方面とキムアネップ岬
砂洲が切れた湖口部分
漁港と道の駅「サロマ湖」を見下ろす光景
道の駅はちょうど(というか運悪く)お祭で混雑してました。
湧別町の旧湧網線・計呂地(けろち)駅の跡地も交通公園になっています。屋根を掛けられて静かに余生を送っているSL・C58139号
ナンバープレートはオリジナル品じゃないみたい 対称的な構造の跨線橋がオシャレっぽいです。
ホーム側から見た駅舎も塗り直されたようです。
駅舎内部の展示品を窓越しに撮影
駅舎の隣に「駅長の家」(not官舎)という小屋がありました。元は保線区の詰所だった建物で、大人500円で泊まれるらしいです。 道の駅「愛ランド湧別」は観覧車もある遊園地そのもので、黒山の子供だかりに辟易して早々に立ち去りました。
北見方面には危険なトラップ(notネズミトリ)が何ヶ所かあって、迂闊に入り込むとしばらく脱出できなくなるし、何も買わずに店を出ると警察に通報されそうな気がするし。笑 まずは置戸のオケクラフトセンター(森林工芸館)門柱に立ってるのはフクロウのような・・。 工房の内部を見下ろすことが出来ます。(今日の作業は終了)
他にも色々あって、丸瀬布の木芸館は、道の駅「まるせっぷ」そのものです。 津別の「木材工芸館」には今回は寄らなかったけど、建物の中に大木が聳えています。 遠軽の「木楽館」(もくらくかん)は初めて訪れましたが、建物自体が遊んでる感じで面白いかも。
2014年05月24日
本命のミッションとしてアメダスの佐呂間と置戸常元を探索するついでに、遠軽町や網走市、北見市の周辺にある遺跡を見学してきました。 ほとんどの施設は、かな~り昔に見学したことがあるんですけど、予習・復習は(老化防止のため)大切ですから。 昔はぐにゃぐにゃだった北見峠を越えて、天狗岳にあった北大雪スキー場まで何度も行ったし、高山植物が多い平山に登ったこともあります。
直線になった分、退屈にもなった旭川紋別道を白滝ICで降りて、遠軽町の白滝地区(旧白滝村)にある「白滝ジオパーク交流センター」を訪れました。ここは昨年オープンした遠軽町役場白滝総合支所で、2階に「遠軽町埋蔵文化財センター」があります。 白滝地区の周辺には古代に黒曜石を採取していた露頭があり、黒曜石(主成分はSiO2)の石器工場や石材の一大産地だったから、文字通り「シリコンバレー」と呼ぶべきハイテク地域だったはずで、ここの黒曜石はサハリンや新潟県にまで運ばれているくらいです。 他にも、地質鉱物や地理、文化などを現地学習できるジオサイトがたくさんあります。
露頭から黒曜石を採取するのは禁止されているけれど、河原を歩けばいくらでも黒曜石が転がっています。それが黒曜石だと見分けられれば、の話ですが。 玄関前の柱は表面に黒曜石を貼り巡らしてありました。白滝産の黒曜石には、茶色の石も多いのが特徴です。
道内では他にも、有珠山や三笠、アポイ岳にジオパークが設けられています。 館内を巡ってると、見覚えのあるポスターが。笑
これは一昨年の防火ポスターですが、幸いにもここに写ってる選手達は今期も在籍しており、背番号も同じなので違和感なく使えています。(祝!J1昇格!・・という文字は見て見ぬフリ) 当然ながら石器時代の遺跡がたくさんあって、膨大な石器が出土しています。右奥の山頂部に描かれているのが黒曜石の露頭だろうと思います。
しかし川の中州のようなぬかるみは、重たい象ならば足を取られて歩けないはずで・・そんな恰好の獲物を見過ごして石槍なんか作ってる場合ぢゃないですよ。 溶岩が噴き出して冷え固まり、黒曜石が出来る様子を説明する映像が、壁と床をスクリーンにしたシアターに投影されます。
展示室の床に作られた黒曜石の道
出土した石器の破片をジグソーパズルのようにつなぐと、元の石の形を復元できます。
気が遠くなるような作業ですけど、どうやって石の塊から石器を打ち欠いたかが分かり、地域によって技法が異なります。 遠間栄治氏が発掘した資料を展示していた、私設の遠軽郷土資料室の看板が残っていました。
そもそもここに展示されている遺物は、遠軽町の「太陽の丘えんがる公園」にあった資料館で見た気がします。
そこで、遠軽まで足を伸ばして「先史資料館」に行ってみると、閉館していました。やはり、展示していた資料は白滝の埋蔵文化財センターへ移管したとのことで、資料が出土した白滝村へ里帰りした形になります。 以前は、白滝村で出土した遺物を隣の遠軽町で展示していたことになりますが、現在の白滝地区は市町村合併で遠軽町の一部になったし産地のジオパークに近いし、という理由なんでしょうか。 ついでに、遠軽町の郷土館も見学しました。
背後の大岩は遠軽のシンボルである「瞰望岩(がんぼういわ)」で、アイヌ語の「インカルシ」(見晴らしの良い所)という呼び名が遠軽町の地名になったという由来だそうです。 田舎町の古い郷土館にしては(という言い方は失礼なほど)、丁寧に説明を付して整然と展示してありました。これで入館料150円では安過ぎる。 JR関係の工具:上の2本は、レールの間隔を測る軌間ゲージです。
元々は精密なゲージなんですが、それを使う人間が40mmの違いを放置しておいたんだから・・。 戦争中の遺物:かなり揃ってるし、今でも使えそうな保存状態。
町内の医師が使っていた医療器具
器具の名称を読むだけで怖いです。笑
町外れに、「六號野上驛逓跡」という碑があり、その隣に「愛馬四號之碑」という墓もありました。 瀬戸瀬(せとせ)地区の国道脇に、「山神」と刻まれた石碑が立っていて、
屋根まで設けられている石碑は珍しいです。 「山の神建立の由来」と書かれた碑文によると、
ここも前報で紹介した中央道路(囚人道路)ですから、突貫工事による犠牲者が多く出ました。 後に駅逓の管理人として入った人物が旧囚人宿舎を住居にした時には、裏手に67本の墓標があったとか。 夜毎に「助けてくれ」という声やうめき声が聞こえるし、洪水で墓標が流されてしまったので、山から運び出した石で碑を建てて供養しているそうな。 夜は道の駅「あいおい」で寝てましたが(続報)、そんな声は聞こえませんでした。霊感の無い人間ですから。
翌日は朝早く起き過ぎたので、時間調整を兼ねて方々に寄った後、昨年リニュアルした網走市の「モヨロ貝塚館」を見学しました。ここは「網走市立郷土博物館」の分館という位置付けですが、旧貝塚館は昭和40年に開館しています。 本館の方は「北見郷土館」として昭和11年に開館し、モヨロ貝塚からの出土品などが基礎になっています。設計は田上義也で、当時は画期的な建築だったんでしょうが、以前の訪問時には歩くと床がギシギシ言ってました。 「貝塚館」自体が貝塚の上に立っているので、周囲には遺跡が残っています。
奥に見えるのは復元住居で、オホーツク文化と類似したニヴフ人に依頼して建てたとか。 竪穴住居の発掘跡
右隅に集合しているのは熊の頭骨で、オホーツク文化人が熊を崇拝する精神が、アイヌ文化に継承されたとも言われています。 竪穴住居の跡地は、埋まり切らずに窪みが残ります。
これは墓地を再現したもので、
オホーツク文化では仰向け・屈葬の姿勢で埋葬し、頭に甕を被せます。その甕の底だけが地表に出て、墓の目印になっていたとか・・。 貝塚館で買った書籍などを入れてくれたビニール袋には、「モヨロ座」というシールが貼られていました。
どうみてもカシオペア座の形ですが、その並びを「M」に見立て、背景にはオホーツク式土器に貼り付けられた「ソーメン文」と呼ばれる特徴的な文様を描いてあります。
続いて、北見市常呂(旧常呂町)にある常呂遺跡も見学しました。 これは「ところ遺跡の館」で、外観は竪穴住居をイメージしています。周辺の「ところ遺跡の森」の中には、埋蔵文化財センターや復元住居が配置されています。
なぜに立入禁止なのかと思ったら、崩壊していました。
こっちの住居から古代人が出てきたと思ったら現代人でした。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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