カレンダー

プロフィール

作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

JFAプレミアカップ北海道大会

2014年04月30日

4月19日(土)・20日(日)に東雁来公園と札幌アミューズメントパークで、JFAプレミアカップ2014 supported by NIKE(U-15) の北海道大会が開催されました。→開催要項結果(いずれもPDF)

この大会は世界大会が頂点で、その前に日本大会があって、さらに北海道大会があります。文字通り「北海道とともに、世界へ」という標語を手短かに実現できる(かも知れない)、稀な大会です。

北海道大会に出場できるのは、前年の高円宮杯(U-15)北海道大会で上位だった4チームです。
昨年の高円宮杯ではコンサ札幌U-15が優勝し、準優勝がアンフィニ、3位がスプレッド・イーグル、4位が札幌ジュニアとなって、この4チームでトーナメントを行います。

決勝が行われた20日はトップチームの試合があったので、19日に行なわれた準決勝しか見ていません。



コンサ札幌U-15の横断幕(左)とNIKEのバナー(右)
赤黒と白黒

準決勝@東雁来公園・東ピッチ(2014/4/19)

札幌ジュニア(紫) vs コンサ札幌U-15(赤黒)
晴天だけど寒い
コンサ札幌のスタメンは、GK:櫻庭、DF:加藤・佐藤有・山本・宮崎、MF:佐藤大・原田・菅野・飯野、FW:山保・大屋 でした。
試合時間は40分ハーフです。

雁来の寒さを忘れてた訳ではないけれど、雲は無いながら北西の向かい風が冷たく、目から涙が出てきます。

7分に大屋が打ったシュートの跳ね返りを、佐藤大が余裕のヘディングで押し込んで先制しました。(1-0)

10分にCKを与えたものの、当方のCKとなるチャンスが少なくとも5回ありました。
16分のCKにファーからヘディング
CKは多い

ゴール前で弾んだボールが惜しくもバーを越えたりしましたが、前半の得点は1点のみで折り返します。(1-0)

 
後半に向けて交代は無く、7分には右サイドから突破を許したピンチは、打たれたシュートが右ポストに当たって助かりました。

直後に飯野が左を突破して深い位置からシュート、右隅に入って追加点となりました。(2-0)
2点目は鮮やかに

13分に、加藤に代わって船戸が入り、22分には原田に代わって大古場が入りました。

27分に船戸が右を突破してシュート、これは弾かれたものの左から佐藤大が押し込んで点差を広げます。(3-0)
はじかれて押込む

この後で、飯野に代わって鹿内が入り、山保に代わって馬場が入りました。

後半もCKのチャンスが多く、32分に得た右CKでタイミングが外れたように弾んだボールがGKの頭上を越えて入った・・と思ったらオウンゴールだったようです。(4-0)
オウンゴールのおまけ

ここで櫻庭に代わって西が入り、菅野に代わって福田が入ったようで、さらに終盤には、宮崎・佐藤大・大屋がアウトして宮下・竹本・田中が入ったようです。

無難に勝って決勝へ進みました。

20日に行なわれた決勝は見てませんが、コンサ札幌U-15が(3-0)でスプレッド・イーグルを降して優勝し、5月3日から5日までJ-GREEN堺で行われる全国大会へ出場します。


東雁来公園の東側(豊平川の方向)で、市営住宅の建設が始まりました。
塀の向こう
ここは、「東雁来団地」(仮称)と呼ばれるようです。H28年までに3号棟まで建設し(各5階40戸)、そのうち今年の秋までに1号棟と集会所が完成する予定らしいです。→1号棟の完成予想図

市の資料(PDF)によると、「子育て支援住宅」という位置付けだそうで、就学前の児童がいる世帯が、小学校を卒業するまで入居できるそうです。
雪の降る頃に完成
やっぱり地下鉄を延伸せねば・・「雁来団地」という(当てずっぽうな)名称も当を得ていたんですねぇ。笑

病院の向こうでは、排水ポンプ場の建設も始まりました。
サッカー場ならともかく、市営住宅が水に浸かったら大変ですから。



post by 雁来 萌

20:24

闘う若梟 コメント(2)

空港巡り@新千歳・函館・旭川

2014年04月24日

昨年の秋に新千歳空港と函館空港を訪問し、最近になって旭川空港を訪問しました。
海外旅行に行くとか、飛行機の写真を撮影するとかの目的ではなくて、単にアメダス探訪です。


アメダス探訪「千歳」の巻(2013/10/26)

アメダス千歳は新千歳空港の「新千歳航空測候所」にありますが、緯度・経度を基に地図上で探したりGoogleの写真で調べると、送迎デッキからは遠過ぎて見難いはず・・ならば、国道から入った方が撮影しやすいだろうと思って某所に行き、フェンス越しに撮影しました。
みっけ
ここはSTVライブカメラの「新千歳空港(滑走路側)」という地点で、航空機写真の撮影家が集まる「生コンポイント」です。たまに脚立を使ってフェンス上から撮影してるシーンもライブカメラに写ってたりします。

双眼鏡を通して写した観測器群と鶴丸のJAL機
親方鶴丸

ロビー内から札幌方向を眺めると、政府専用機の格納庫と気象レーダーが見えます。
政府専用機ハンガーと気象レーダー

まるで、サッカーボールかモスクのような外観をした気象レーダー
灯台かW杯トロフィーか

国際線のロビーにて:良いアイディアだな
投げ込み式募金箱
どうせ、持ってたって自国の通貨に換金できないんだから、身ぐるみ置いていけと?・・紙幣まで入ってるよ。


アメダス探訪「高松」の巻(2013/10/29)

アメダス高松とは、函館空港出張所のことです。
函館へ行かねばならない用事が急に発生してしまったので、ついでに空港へも寄りました。
はるばる着ぬる旅をしぞ想う

ここが観測サイトのようです。
翼よ、あれがアメダスだ

双眼鏡でズームアップすると、
ちょっと遅れたタイミング
奥は海上保安庁の格納庫で、到着したHAC機が横切っています。

右遠方には函館山が望まれます。
まるで島・・陸繋島なんだからアタリマエ

 
空港内には、アイヌのニマ(鉢)などの彫刻作品がディスプレイされていました。貝澤徹さんの作品です。
ヒグマが提供する食事
左はフクロウがトンボの尻尾を咥えている構図のようです。

逆光だから見難いけど、エムシ(刀)とマキリ(小刀)
腰の大小・・とは少し違う

函館らしいと言えばらしいヒラメ
生きてるような・・動き出したら怖い
この空港も北海道の玄関口ですから、新千歳空港や札幌駅のようにイランカラテ仕様になっています。


函館まで行くんだから、昨年は暗くなって周囲の状況がよく分からなかった八雲をリトライしました。

アメダス再訪「八雲」の巻(2013/10/29)
駅裏の侘しい雰囲気
駅裏のマーケットの駐車場の脇にあります。

そこに停めないで駐車場の仕切りの中に停めて欲しいのですが。
環境は良好

JR八雲駅の跨線橋と測器
交通至便

風向風速計と日射計と超音波式積雪深計
太平洋側といえども日本海側と同じくらい積もる
太平洋側なのに、平年の最深積雪は80cmも積もるんですねぇ。

 
ついでに「木彫り熊」発祥の地・八雲町の郷土資料館に寄りました。→参考(音が出ます)
熊の発祥地・・ではない
展示品を撮影できないのが残念ですが、ここのコレクションがすごいです。
徳川さんが欧州旅行の折に現地で買い集めた土産物品や、木彫り熊のモデルとなった民芸品などが並んでいて、垂涎物でした。

しかしなまじ入場無料なせいで、付近の幼稚園から大挙して散歩にやってきて、展示室まで入ってきて喧しいしまとわり付くしで、折角の価値あるコレクションを落ち着いて見ていられません。やっぱり有料にすべきだと思いました。

 
森町の鷲ノ木にも寄りました。
箱館戦争の時に榎本軍が上陸した地点(の近く)は歴史公園になっており、石碑が立っています。
史跡公園となっている

詳しい説明文ですが、
教育委員会による説明
例えば、かつて城郭とか陣屋が有ったけど今は無い・・のであれば「跡」という表現も適切だろうけど、「上陸地」自体は昔も今も同じ位置なのだから、「跡」は不要なのでは?

上陸した海岸には着船の図もありました。こっちは「上陸地」のみ。
町による説明

ここの近くに津波堆積物の層が見える崖があるらしいですが(北海道地質百選)、近付けませんでした。
次回は鷲ノ木で発掘されたストーンサークルも見学せねば。


アメダス探訪「東神楽」の巻(2014/4/13)

アメダス東神楽とは、旭川空港出張所のことです。
旭川なんだから木造が相応しい

送迎デッキから見て右の方にあるだろうと思っていたら、左の方にありました。
積雪深がちょうど0cmになった時刻
向こう側の外周を回る道路があるようだから、次回は近くから確かめてみようかと。

駐車場の横にある空港レーダー(not気象用)
伸び縮みする訳ではない

 
東神楽まで来たら、隣町・東川町のコンサフィールドに寄りますよ。
何年ぶりかな
まだ雪が残っていて、練習に使える状態ではありませんでした。

名峰・大雪山の勇姿・・まだまだ滑れる
山は大雪山、酒は男山

大雪アリーナや道の駅、旭川市博物館の前を通る道路は行き止まりだったのに、新しい橋(クリスタル橋)が出来てJR旭川駅の横へ出られるようになりました。
川を越え、線路を越えて
この橋の上からは、JR駅と忠別川と大雪山とが並ぶ素晴らしい景色が見えたんだけど、橋の上で止まる訳にもいかないし、駐車場に入れて橋まで歩いて戻るのもなぁ、と思ってるうちに撮影の機を逃してしまいました。

なんとなくクリスタルな橋だから、略して「なんクリ橋」と呼ばれるんだそうです。(滝川クリステル談)←大ウソ


これで、道内に残ってる未踏のアメダス地点は、離島の6ヶ所を合わせて9ヶ所のみとなりました。
生きてる間に「日本百アメダス」踏査は難しいかな?などと思っていたのに、既に200ヶ所をかなり超えてしまいました。

最後まで残るであろう日高地方の1ヶ所は立入禁止だからどうしようもなく・・まぁ、敷地が広い施設内だから観測に支障があるとも思えないし、観測要素は雨量だけだし・・。

現代はリモコンのヘリを飛ばして上空から撮影する、という奥の手もありますが、牧場内で寛いでいる動物を驚かせてはマズいだろうし。


ブラジル人DFのパウロンが不用意なパスから先制点を許し、おまけにオウンゴールも献上して自ら交代を申し出たとか・・うちのチームの話かと思ってしまいましたよ・・夢に出てきそう。



post by 雁来 萌

20:17

気象細事記 コメント(2)

知里幸恵 銀のしずく記念館

2014年04月18日

昨年の秋に、小樽市総合博物館で開催された「ロシアが見たアイヌ文化」という展示を観覧してきました。

小樽市総合博物館の旧手宮機関庫(鉄道車両保存館)
機関庫
鉄道記念物で国の重要文化財です。



この展覧会は、ロシア・サンクトペテルブルク市のピョートル大帝記念人類学民族学博物館のコレクションから約140点のアイヌ工芸品を展示するもので、日本初公開の展示だそうです。→参考記事

展示品を見て回ると、ほとんどがポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキによって収集された品物でした。

ピウスツキと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、「ピウスツキの蝋管」です。
蝋管というのは古い時代のレコード(というかテープレコーダー)のような物で、円盤形をしたレコードを円管形に丸めたものだと解釈して下さい。
羊羹ではない蝋管
録音する時は円筒を回転させながら振動する針で外側に溝を刻み、再生する時は円筒を回転させながら溝をなぞるピックアップで振動を拾うという原理です。

参考:それらしい器械に組み上げたエジソン蝋管蓄音機
エジソン・・という選手がいたなぁ

古い時代の蝋管資料は表面にカビが生えたりしてるので、クリーニングした上で(溝をすり減らさないよう非接触式の)レーザー光の反射を検出して音を再生させます。

 
ピウスツキは樺太(サハリン)へ流刑になったんですが、流刑といっても幽閉されていた訳ではなくて、樺太でアイヌ民族の生活用具を収集したり、北海道に渡ってアイヌのユーカラを録音したりしました。樺太アイヌや千島アイヌは、北海道アイヌと言語や用具が少し違います。

そのアイヌ語録音コレクションが「ピウスツキの蝋管」な訳です。

ピウスツキの功績を称えて、ポーランド政府から白老のアイヌ民族博物館に彼の記念碑が寄贈されたというので、昨年の初冬に見物してきました。

ポロトコタンの敷地内に巨大なアイヌ像が立っていますが、その脇にピウスツキの記念碑がありました。
ひっそりと佇む
正直言って目立たないけど、分かる人が分かれば良いのかも。

台座には、ポーランド語(多分)、日本語、アイヌ語、英語で説明が書かれています。
マルチリンガル
ロゼッタストーンのように解読できそうな・・。

記念碑の除幕式の様子がYou Tubeにあります。

ピウスツキについて詳しく知りたい方は、北海道大学学術成果コレクションの『ポーランドのアイヌ研究者 ピウスツキの仕事』あたりを参考にして下さい。18MbのPDF資料もあります。


ついでに登別まで足を伸ばして、2010年に開館した「知里幸恵 銀のしずく記念館」を見学しました。

登別で1903年に生まれた知里幸恵(ちり ゆきえ)は、アイヌのユーカラを日本語に訳した「アイヌ神謡集」を著作したんですが、心臓病のため19歳で夭折しました。

その業績を紹介する施設を建設しようという構想が持ち上がり、記念館を建設するために2002年から募金を集めて、2010年9月に開館できました。→参考
シロカニペ ランラン
彼女が書いた日記やノート、金田一京助からの手紙、関連文書、木像などを展示してありました。

ちょっと分かり難い場所にありますが、記念館の裏手に知里幸恵の生家があったからここに建てたんだと説明してくれた館長さんは、知里幸恵の姪に当たります。

観光シーズじゃないので館内をじっくり観覧した後に、お茶のおもてなしを受けました。
添えられていた紙に書かれた説明を読むと、アイヌ民族が飲む「エント茶」というハーブだそうです。

えっ・・それって、さっき白老で買ったのと同じ物じゃないの?
薙刀の形をした香る草
ポロトコタンの土産物屋で初めて見たから、試しに買ってみたのでした。
「ナギナタコウジュ」という草を乾燥させたお茶で、香りに少し癖がありますが、慣れると良い感じです・・二日酔いや風邪の時に飲むんだとか・・効用を確かめるために酒を飲まなきゃ。

登別市内には、幸恵の弟でアイヌ言語学者である知里真志保の碑もあります。
銀のしずく 降れ降れ まわりに

 
さらに登別温泉へ向かい、温泉街の手前に立つ「のぼりべつ分化交流館 カント・レラ」を見学しました。
天空の風
ここは閉校した登別温泉中学校だった建物で、近隣で発掘された遺跡の出土品を展示したり、勾玉作りや火起こしの体験学習が出来る施設です。

何しろ、今年の最終開館日の午後に訪れたもんだから、歓待はされなかったけどゆっくり見学できました。


所変わってここは新千歳空港・国際線の2階にある「アイヌ文化展示コーナー」です。
ルウンペ
アイヌの民族衣装やタペストリー、テクンペ(手甲)、マタンブシ(鉢巻)、イタ(盆)、マキリ(小刀)などを展示してあります。
目が回りそう

空港内のエレベーターの扉にもアイヌ模様があしらわれている他、国内線の4階にはアイヌ工芸品店「アイヌモシリ」もあります。

新千歳空港に降りたら、『ここは先住民族の土地なんだ』と意識する仕組みになっています・・イランカラテ。


空の玄関ばかりでなく、札幌駅にも今年の2月に観光客を迎える木製モニュメントが設置されました。
まるで生きてるような
この木像は、アイヌ民族彫刻の第一人者である藤戸竹喜(ふじと たけき)さんが札幌大学の「ウレシパクラブ」からの依頼で彫り上げた作品で、制作・維持費は全て寄付で賄われます。

像は弓の舞(ク・リムセ)を象っており、1年ほど前に近代美術館で開催された工芸品展「風のかたりべ AINU ART」に展示されていた藤戸さんの彫刻に感銘を受けました。→アイヌ工芸品&難波田龍起

木像の足元に並ぶ巨大な「イクパスイ」(捧酒箆)は、6名の木彫家に依頼した作品です。
ほどいてみたくなる
紐を結んだ模様を彫るのが得意な貝澤幸司さんの作品など。

一日中、マジマジと眺めていたいなぁ。←ホームレスと勘違いされそう


雁来練習場の横にある分譲地のモデルハウスに空き巣が入り、家具などが盗まれる被害が相次いだそうな(記事)・・私の仕業じゃないですから。



post by 雁来 萌

21:22

雑念 コメント(0)

港町の資料館と博物館

2014年04月12日

昨年の11月に、小樽築港にある「おたるみなと資料館」を見学してきました。

ここは小樽港湾事務所に併設されていて、港湾事務所自体は一昨年の冬を含めて何度か訪れたことがあります。


左が小樽港湾事務所で、右が「おたるみなと資料館」です。
港湾事務所と資料館
おたるみなと資料館は、冬場なせいもあって鍵がかかっていましたが、申し出れば見学できて説明もしてくれました。

小樽港には北防波堤、南防波堤、島防波堤があり、北防波堤は土木遺産に指定されている他、「小樽みなとと防波堤」は北海道遺産に選定されています。

水を飲む時には井戸を掘った人の苦労を考えなければならないし、フェリーに乗る時や魚釣りをする時には、防波堤を作った人の苦労を考えなければならないもんです。
はるか手宮・高島まで

資料館の前に、巨大なコンクリート塊が置かれていました。
100年前のコンクリート塊
港湾工学の父と言われる廣井勇氏(初代の小樽築港事務所長)が、明治30~41年に「斜塊ブロック」という方式で小樽港の北防波堤を建設した時のコンクリートブロックです。

当時はコンクリートという物がどの程度長持ちするか分からなかったので、長期耐用性試験を続けるために沢山の供試体(モルタルブリケット)を作りました。
配合を書いてある
最終的には6万個作って、100年経った現在は4千個が残っており、今でも定期的に試供体を破断させて強度を測定しています。

これがその抗張力試験機で、
八百屋の台秤ではない
梃子に鉄球の錘を載せて供試体を上下に引っ張り、ちぎれた時の荷重から強度を測るという方式です。

 
資料館の前には「ケーソン」を滑らせる斜路(後述)があります。
要するに滑り台
現在は稼動していませんが。

運河公園には廣井勇の銅像があって、小樽港(と防波堤)を見守っています。
河童公園ではない

後方は旧日本郵船(株)小樽支店の建物(臨時休館中)です。
小樽港繁栄の礎

右奥に3代目の小樽築港事務所長「伊藤長右衛門」の銅像もあります。
各地の港湾を建設
この所長は「ケーソン式」で南防波堤などを建設しました。

背後から見ると、はるか右前方に廣井勇の銅像があって、
日出ずる方角
三歩どころか「30m下がって師の影踏まず」という位置関係になっています。
師の背中を見ながら精進して歩む、という姿勢にも見えます。

伊藤長右衛門の遺骨(の一部)は、延長した北防波堤の先端に埋められているとされているので、案内係の職員に尋ねてみたところ「そう言われております。」との返答でした。「誰も確かめた人はいませんが・・」そりゃぁ、そんな畏れ多いことを出来る職員はいないでしょう。


同じ頃に「苫小牧市美術博物館で開催された、苫小牧開港50周年記念企画展「夢を形に~砂浜と原野にいどんだ時代~」を観覧してきました。→参考
美術館と博物館の取り合わせ
博物館の左横に、いかにも後から建て増した感じの美術館が併設されています。

苫小牧港は内陸掘込み式の港で、1951年に工事が始まって1963年に開港しています。
その工事を行うことになった経緯や、掘削作業に使われた道具などが展示されていました。大型の作業機械の実物は無理ですが。

工事の進捗状況などを撮影した航空写真のパネルがたくさんあって、写真測量に使うゴツいカメラも置かれており、そのほとんどは「志方写真工芸社」が提供していました。
苫小牧に住んでいた頃(1967~1970年)、駅前通りに「志方カメラ店」があったことを思い出しました。

企画展のパンフレットに載っていた1962年の苫小牧市内
国道36号と市役所でっせ
整然と並んでいるのが王子製紙の社宅です。王子の城下町ですから。
右上に太平洋があり、放課後に砂浜へ行ってサッカーをしてたなぁ。笑

苫小牧には他にも「苫小牧市科学センター」という博物館系の施設があって、こちらは主に宇宙系の展示が多いです。

昭和45年の設立当時は「青少年センター」という名称だったんだけど、「青少年センター」だけならば、青少年の「ゲームセンター」なのか「補導センター」なのか分からないよね。


札幌市内にある某美術館の入口
控えめな正面入口
ここが入口だとは思えず、通り過ぎてしまいました。
まるで社員通用口のような素っ気ない造りで、この扉を開けて入るには勇気が要ります。

展示を一通り観覧してからトイレに入ると、引き戸を開けたら自動的に照明が点いた・・だけなら驚かないけど、続いて便座カバーがカパッと開いたのには参ったね。
熱烈歓迎
身障者用を兼ねてるからそういう仕掛けなんだろうか。

壁に取り付けられたステンレス製の操作盤
全ての機能を確かめたくなる
ボタンが多過ぎて、どれを押せば良いのか分からないよ。笑
日本語を読めない人はどうするんだ?

それにしては「音姫」が見当たらない・・まぁ、広い空間に一人だけだから必要は無いだろうけど、「マッサージ」とか「ムーブ」と書かれたボタンを押したら何が起こるのか興味津々、漬物はしんしん。

先日は食事をしながら「しまふく寮通信3」を見ていたら「トイレ掃除」の話。笑
専門分野なだけに食が進みました。



post by 雁来 萌

23:24

雑念 コメント(0)

内田錬平くん@旭川U-15

2014年04月06日

旭川U-15の一期生だった内田錬平くんが、旭川実業高校、金沢星稜大学を経て、今年J2のカターレ富山に入団しました。→選手紹介

2004年にコンサ旭川U-15チームが創設されて10年、初めてのプロサッカー選手が誕生しました。

既に昨年の8月から特別指定選手としてカターレ富山に登録されており、登録直後のJ2第32節となる愛媛FC戦に先発でJリーグ初出場を果たしています。そして12月にカターレ富山への入団内定が発表されました。


過去の写真を探したとしても、オフィシャルの選手名簿に載っていた顔写真は面白くないから、2004年秋の新聞記事に載っていたヌード写真を選びました。←をぃ
コンサド-レ倶楽部
オフシーズンの間の体力増強トレーニングとして、プールの中でシンクロダンベル体操をしています。(内田くんは左手前)

錬平くんの旭川U-15時代はセンターバックが本職で、当時の監督は三浦雅之さんでしたが、失点すると直ぐに交代させられていました。

彼のミスが原因という場面ではなくても(私が見た印象)、とにかく彼が交代させられてしまうのは気の毒ではありましたが、まぁ、センターバックというのは後ろにGKしかいない訳で、そのくらい責任を持ってプレイしろという意味なんでしょうか。

背が高いので、ヘディングでクリアするのが得意だったし、たまにCKからのヘディングシュートで得点したこともありました。

2005年のオフィシャルガイドブックに載っていた錬平くん(左)
由基と巧か
冬期間の夜間雪中トレーニングの様子です。

詳しくは、コンサドーレ旭川U-15 2期生ブログの記事も参考にして下さい。
 コンサ旭川からJリーガー
 錬平の記事
 内田錬平横断幕 !!

今のところ出場機会は無く、チーム成績も讃岐と最下位争いをするほど低迷しているようです。(今年は他人事のように言える)

考えてみれば、カターレ富山とは6月21日に厚別で対戦する予定で、その日は松山光くんの誕生日ではないですか。光・・光る東芝・・


3月30日、ノルディーアの2014年のメンバーが発表されたので、メンバーを確認した後にチーム紹介のページを見ていたら、同じく旭川U-15の一期生だった箭原駿くんがコーチになっていました。

そしてなんと、(私的に)消息不明だった蛯沢元寮監(兼アカデミーGKコーチ)が、ノルディーアのGKコーチに就任していましたよ。

昨年からコーチになっている服部コーチと合わせて、こちらもコンサOBが多くなってきました。
なんとなく、将来は「コンサドーレレディース」チームになりそうな妄想が・・。

栄養アドバイザーの小松信隆さんは、月刊コンサドーレにジュニアアスリートのレシピシリーズを書いている方ですよね。


背が高いDFのヘディングクリアといえば・・紅白戦の要員だから表舞台には姿を現わさないものだと思っていた外国人DFが、遂にそのベールを脱いで札幌ドームに見参、松本山雅との試合前に彼の告白映像が流されました。
怖い笑顔
本人曰く(ウリさん訳)「私は今までずっと、○○選手のゴーストプレイヤーとして練習してきましたが、このまま世間を欺き続けるのは心苦しく感じ、かなり迷いましたが公の場に出ることにしました。本当は、○○選手の中に入っていたのは私です。申し訳ありません。」

試合では並外れた長身を生かして、相手ボールを跳ね返す時などに文字通り両軍のプレイヤーの頭上にその頭角を現わしました。

ただ不安材料としては、ジャンプした時にドームの天井を突き破ってしまったら補修費用を支払わねばならないことです。


可愛がってくれていた、敬老仲間の?おっちゃんが亡くなってしまいました。

骨は拾ってやるけど、こればっかりは順番通りにいくとは限らないからねぇ、などと悪態を言い合っていたのですが、今年になってから姿を見かけていなかったんです。

次は自分の番だと思っています。(←そんなヤツに限って世に憚るモンダミン)



post by 雁来 萌

21:42

OBの闘い コメント(0)

毒ガスで生きる化け物

2014年04月01日

新年度 明けまして おめでとうございます。 今年も・・

地球の大気中に二酸化炭素が増えることに伴って、地球が温暖化することが問題になっていますが、それってホントに異常なことなのかどうかを地球史的に考えてみます。

今日はウソを書いても構わない日らしいけど、(さほど)大それたウソは書かないつもりです。


地球が温暖化すると言っても、長い目で見れば過去にもそんなことは実際に起こっていた訳です。
比較的最近の話としても氷河期と間氷期とが繰り返していて、現在は間氷期に入り始めた時代に過ぎません。
縄文時代は現代より温暖で海水面が上昇し、海岸線がかなり内陸まで進入していた結果、当時の遺跡は内陸側の台地の麓などに残っています。

氷河期には高緯度地方に大陸氷河が成長して海水面が下がり、氷塊が乗った重みで陸地が沈み込んでいましたが、それらが融解した現在は重石が取り除かれた状態だから、陸地が少しずつ浮き上がってきています。

高緯度地方が氷に覆われていたどころではなくて、地球全体が雪や氷に覆われてしまう「スノーボールアース(Snowball Earth:全球凍結)」と呼ばれる状態になった時期が、少なくとも3回生じたとも考えられています。
スノーボール

 
今回は、地球の大気中に酸素が豊富に含まれることが、果たして尋常なことなのか異常なことなのかを考えてみます。
そして、現在の地球上で生活しているほとんどの動物は、酸素を吸って二酸化炭素を放出している訳ですが、これが尋常なことなのか異常なことなのかも考えてみます。

地球の大気組成を学校で習った時には、窒素が78%、酸素が21%、アルゴンが1%、二酸化炭素が0.03%・・だと覚えていたのに、現在の二酸化炭素濃度は0.04%に増えています。
昔は330ppmだったのが現在は400ppmに近づいていて、四捨五入した最初の桁が3から4に増えたんだけど、1万分の1とはいえ結構な増加でしょう。

他山の石というか他星の空気として、比較のため太陽系に属する他の地球型惑星の大気組成を調べると、二酸化炭素が主成分で95%以上を占めており、残りは窒素が2~3%加わる程度で、酸素はほとんど含まれていません。
従って地球の大気は、非常に特異な組成をしていると言えるから、この時点で既に尋常ではないことが分かります。
碧い地球は誰のもの

 
こんな組成になった原因を推定するには、地球の誕生以来の歴史を振り返る必要があります。(地球の歴史を見てた訳じゃないけど)

他の惑星と同じように地球の大気だって、太古の昔には二酸化炭素が主成分だったに違いありません。
その頃に発生した初期の生物(無酸素生物)は、二酸化炭素を糧にして生きるエネルギーを得ていたはずで、そのような生物が(細々とながら)次第に繁殖していったと考えられます。

ところがある時代、豊富な二酸化炭素を効率的に消費して、こともあろうに酸素を放出するという新しい生物(要するに植物の祖先)が出現しました。

酸素は非常に活性的な元素で、何とでも反応してしまう厄介な代物です。
金属を腐食させるし、もっと急激な反応だと他の物質を燃やしたり、場合によっては爆発させたりします。

現在の動物は、このような過激な反応によって生じるエネルギーを、活発な運動のために活用している訳ですが、当時のか弱い原始的な生物にとっては、酸素は猛毒な気体だったはずです。
何しろ酸素は消毒薬(例えばオキシドール)として使えるくらい、微生物にとっては致命的なダメージを与えるほど強力な元素ですから。

それほど強力な毒ガスを発生させる新生物は、それまで平和に暮らしていた生物から見れば、自分達に必要な二酸化炭素を大量に浪費する一方で、毒ガスである酸素をどんどん排出する新種の生物(というか化け物)に見えたことでしょう。(見える目が有ったら、の話)
Magic Dragon

 
このような植物による「大酸化イベント」に伴って毒ガスを浴びせられた原始的な生物は、どんどん死滅して絶滅するのも時間の問題となりました。

そこで苦し紛れに無酸素生物が考えたことは・・何とか植物に復讐したいものだ・・この恨みをいつの時代にか晴らさなければ・・このまま植物が蔓延ってしまったら地球は破滅してしまう・・たとえ我が身が滅びようとも、植物を道連れにするための方策は無いものか・・

などと考えても名案など浮かぶはずも無く、毒ガスの前に無力な無酸素生物は成す術なく駆逐された末に絶滅してしまいました。
しかし、無酸素生物もただ死滅した訳ではなくて、自らの死骸と共に無形の怨念をも残しました。
その怨念とは、植物に取って代わるべき次の世代の生物が繁殖した頃、植物を絶滅させるような本能的性質が突然に顕在化するような遺伝子を残したのです。

そんな遺伝子を取り込みながら、植物が放出する酸素を利用してエネルギー源とする生物(要するに動物の祖先)が出現し、危険な遺伝子が密かに組み込まれているとも知らずに繁殖してきました。

上には上があるもので、毒ガスを吐き出す化け物が現れたと思ったら、今度はその毒ガスを吸って生きる化け物さえ現れるんだから・・人間はその化け物の末裔な訳ですが・・。
城春にして草木深し

 
無酸素生物が絶滅してから五劫の擦り切れほどの時間が経過して時代は新生代第四紀完新世となり、一世を風靡した植物を凌駕するほどの動物が地球上に繁殖するに及んで、無酸素生物の恨みを晴らす機会が遂に到来しました。

数多ある動物の中でも頂点に立つ存在だと勘違いしている人間は、危険な遺伝的性質を如何なく発揮して盛んに植物を切り倒しては燃やし、無酸素生物の好物だった二酸化炭素を増やしていきます。

地表に繁茂している植物を焼き尽くすだけでは満足できず、固体や液体に姿を変えた植物の死骸までも、地下からあばき出して燃やし続けます。

植物が放出した毒ガスである酸素を利用して植物自体を葬り去り、その結果として二酸化炭素も増やそうとすることは、一石三鳥の名案と言わざるを得ません。
数少ない現役

そのような行動が無酸素生物の怨念を引き継いだ先天的な性質だとは知る由もないし、やがては自分自身が窮地に追い込まれる事態を惹起することにも考えが及ばず、祟り神となった人間は無節操に植物を殺戮し続けています。

 
人間が花を見て摘みたくなるのも、焚き木が燃える炎を見て心が安らぐのも、全ては無酸素生物の怨念に支配されている潜在的な心理現象なのでしょう。

紀伊半島の神宮で大規模な社殿を定期的に建て替えるのは、大量の大木を合理的に伐採するための方便だとは誰も気付いていません。

中部地方の神社では、山から切り出した大木に馬乗りになって坂から落とす祭まで行われて民衆が大喝采する・・これは植物に対する怨恨を昇華させるための集団リンチに見えます。

かつて学校で行われていた棒倒し競争とか、クリスマスに木を切ってきて死に装束を飾り付けるとか、桜の樹の下でジンギスカンを焼いて煙で燻すとか、・・傍から見れば不合理としか思えない行為も、植物を虐待したい衝動に駆られた無意識な所業であると納得できます。
蜜柑・羊羹・仁義好かん

 
人間が八面六脾の活躍をしたお蔭で植物がどんどん死滅するのに伴って、酸素の生産量が次第に減少すると共に、二酸化炭素の含有量が急速に増加してきます。
現在は既にその兆候が現れ始めている、と解釈すべきなのかも知れません。

やがて人間のせいで植物が絶滅し、酸素を吸えなくなった動物も窒息して同じ運命を辿った暁に、地球の大気が再び二酸化炭素で満たされると、かつて地球上に遍く広がっていた楽園が蘇るのです。カムバック・カーボン

その状態を無酸素生物のパラダイスと見るか、破滅的な復讐の果てに残された焼け野原と見るかは重要ではなく、そこからまた無酸素生物が発生し、次いで植物(のような生物)が発生し、続いて動物(のような生物)が発生して再び焼け野原を作る、という同じ過程を何度も繰り返す可能性もあり得ます。
そして誰もいなくなった

人間はただ、そんな輪廻転生のストーリーの中で、一つの端役(というか、迷惑な役の名脇役)を演じているだけに過ぎない・・のかも知れません。



post by 雁来 萌

22:22

雑念 コメント(0)