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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2013年12月28日
静止気象衛星「ひまわり」は、ひまわり画像を撮影するために使われるのは当然ですが、他に通信衛星の役目も果たしています。 アメダスの観測データは公衆回線を使って送信しますが、気象官署の観測データや予報データなどは、気象衛星を経由して気象庁と送受信しています。 なぜなら、災害時には公衆回線が使えなくなる場合があり、そういう時にこそ防災情報は確実に伝達されなければならないからです。 他にも、外洋航路の船舶が位置情報を得る場合などにも使われています。
気象衛星から送られてくる画像データを処理・解析するのは、東京都清瀬市にある「気象衛星センター (MSC)」ですが、データ通信そのものや衛星の管制作業は、埼玉県にある「気象衛星通信所(CDAS)」が行っています。 この地上通信基地が埼玉県内の主局1ヶ所だけだと、雷雨や大雪、および大規模な災害時には不安なので、非常時のバックアップ施設として北海道に副局が初めて設置されました。 北海道では台風などの自然災害が少ないことも考慮されたようです。 で早速(と言っても11月)、隣接する江別市の某所に設置された施設を、外側から眺めてきました。 送受信用のアンテナは直径9mで、2基あります。こちらは管制施設などが入った制御棟
侵入者を監視中らしいです。←侵入してないから
現在のひまわり6号・7号に代わって、2014年にひまわり8号、2016年にひまわり9号が打ち上げられる予定で、地上設備は2015年に運用を開始する予定だそうです。 現在の静止気象衛星システムや気象衛星のあゆみやひまわり8号・9号の運用計画は、それぞれのページを参考にして下さい。 ひまわり8号・9号に搭載される「可視赤外放射計 (AHI: Advanced Himawari Imager)」はこんな性能だそうで、波長が多くなるし観測の分解能や時間間隔が細かくなって、詳細なデータが得られそうです。
例年、石屋製菓様のクリスマスケーキを買っており、今年もノエル・ショコラ(4号)を所望しました。内部に隠されているバナナジュレが美味でしたが、チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出るから、気を付けながら3日間かけて消費しました。 最近、半額セールで買ったワインボトルカバ-
ワンコインで買えて、しかも色使いが最高です。 今年は、柳月の「和風クリスマス」という和菓子も買ってみました。
左から、サンタ・聖夜・ツリーというテーマだそうです。 和菓子だから、ワインよりも甘酒な雰囲気・・デパートにはもう雛人形が並んでますからねぇ。 今から雛人形を陳列しておいたら、お雛様の美白な顔さえ煤けてしまうだろうに・・復元する為に変な化粧品を塗ったら
みだらにまだらに白くなるだろうし・・色の白いは七難去ってまた一難、と痛感。←こら
2013年12月24日
紋別の道の駅で昼食を食べてからしばらく経ち、おやつの時間になったけど空腹を我慢して遠軽へ向かいます。
アメダス探訪「遠軽」の巻(2013/9/29) アメダスは自衛隊の駐屯地へ向かう道の脇にあるらしく、その道路は「連隊通り」と呼ばれているようです。もちろん愛称なんですが、自衛隊が何をするにもこの道路を通らなければならず、確かに自衛隊車両や自衛官が通っていました。 この道の左側にスポーツ公園があり、武道館の奥に見つかりました。
でも、低い屋根の下に砂の斜面があって横に長い建物とは・・ やっぱり弓道場ですよね・・こちらは射場。
ということは・・右下に見えてる白い物は何ですか? アロウことか、立て看板には「弓道の矢が飛んでくるゾ~ 立入禁止」と書かれています・・マジかよ。
観測所の全景・・左側に見える緑色のカーテンは、流れ矢が住宅地まで飛んで行かないように・・って怖いよ~。
三十三間を射通せる人ならば、たやすく飛び越えますよね。 矢さえ飛んでこなければ、立地に問題は無いんですけどぉ。
佐呂間や生田原に寄ってると帰宅が遅くなるから諦めて、次は丸瀬布へ向かいます。
アメダス探訪「丸瀬布」の巻(2013/9/29) そろそろ帰路に就くのを兼ねて西へ進み、丸瀬布の市街から森林公園や丸瀬布温泉へ向かう道道に入ります。 予想通りの場所にありました。太陽も山陰に隠れようとしています・・もう少し待ってよ。 さけますふ化場だそうです。→施設の案内
「ふ化」って、漢字で書かないのかな?←読めない人がいるから? 反対側から眺めた光景
左側に入口があるようなので入ってみます。 御免下さい・・誰もいません。
門のタイルがかなり剥れています。 ここでは雨量だけを測っています。周囲の樹木は影響なし。
横に古い百葉箱が立ってましたが、白ペンキも痕跡しか残っていません。
長年のお勤め、ご苦労様でした。←鍵がかかってるから、まだ現役?
アメダス探訪「白滝」の巻(2013/9/29) いよいよ、今回の探訪も最終地点となる、白滝へ向かいます。 本来は西南西へ向かう道路の脇(の神社?)にあるらしいんだけど、どうやら南西へ向かう道を進んでるようなので、途中から本来の道へ出ようと曲がったら目的の道に合流する寸前に立ってました。伝書鳩のように方向感覚が良い・・んだか悪いんだか・・。 何ですかね、ここは・・地図上では丘の上(林の中?)に神社の印があったけれど、寄り道して登る気にはなりません。
手前の看板には「日本神宮御嶽神社 御嶽教豊受教会 原田天象」と書かれていますが、錆びてて読み難いです。
背後には「原田安五郎翁頌徳碑」という石碑が立っていました。 観測所の敷地から眼下に、開拓した農地が広がっています。
測器は問題なし・・周囲には草も生えていません。
風向風速計と日射計、積雪深計の投光部
ちょうど夕暮になったし、紋別地方の2ヶ所を残してるけど今回の探索予定箇所は全て回ったので、あとは帰るだけです・・でも自宅は遥かに遠い銀色の道。
旭川紋別道が開通したから良いようなものの、北見峠のぐにゃぐにゃ道を越えて帰るんだったら気が滅入りますよ。 思えば宗谷地方の沼川から始まって、2日間で20ヶ所のアメダスを調査したので、頭の中がカオス状態になっています。 帰宅してから調べると、原田安五郎とは地区の民生委員を務めた方で、原田家は代々この神社の神主だそうです。 教会自体は、もっと街に近い場所にあるらしいけど。
2013年12月20日
湧別から遠軽へ向かう途中で、中湧別にある道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」に寄ります。 ここはJRの名寄線・湧網線の旧中湧別駅だった場所で、旧駅構内を「中湧別百年記念公園」として整備し、さらに道の駅として温泉も併設してリューアルされ、鉄道施設や鉄道資料を展示しています。
跨線橋の下に緩急車、ラッセル車もいます。踏切と信号・・がこんな場所に立ってるはずは無いけれど。
昔の保線区といえば、軌間ゲージや、犬釘を抜く長い鉄棒のバールというか金梃子、ハンマーで犬釘を打ち込む光景を思い出しますが、現在は電動の工具を使うんだとか。
一列に並んで「せーの!」でレールをズラしてましたな。 近くに「文化センターTOM」(トム)があり、ロビーに鉄道グッズを展示してありました。 こちらは時刻表と駅名標、駅名板
駅舎かホームに掲げる時計と、タブレットホルダー、レール
今はタブレットケースとかタブレットホルダーと言うと、別の品物を指しますが。
上湧別へ向かう道路の途中で「チューリップ館」に向けて曲がります。敷地の角に「北湧尋常高等小学校跡」と刻まれた古い石碑が立っていました。 湧別村は屯田兵が入植・開拓した土地で、後の上湧別側は「南兵村」(第四中隊)、中湧別側は「北兵村」(第五中隊)と呼ばれ、入植した明治30(1997)年5月から1年もしない翌年2月に、それぞれ簡易教場を設けました。 さらにその年の12月には両教場を統合し、中間の位置に北湧尋常高等小学校を開校しましたが、校舎は残念ながら火災で消失しています。 湧別町郷土博物館「上湧別町ふるさと館JRY」(ジェリー)
文化センターと両方合わせて「TOM & JRY」だそうです。 この奇抜なデザインの建物は渡辺豊和氏による設計で、2000年に第7回公共建築賞を受賞しています。→You tubeに空撮映像があります。(8分25秒) 内部は「屯田歴史館」になっており、内壁の構造も呆れるほど面白くて、中央に屯田兵屋が展示されている他、力作のジオラマなど、ちょっと勿体ないくらい珍しい展示品が並んでいます。 子供向けの簡単な解説書を入手したんだけど、収蔵品の図録などを出版してはどうかと思います。 無機的な建築の横には兵屋を復製した「屯田生活体験館」があり、
薪割りや火起こし、屯田兵の服装や食事など、開拓期の衣食住を体験学習することが出来るようです。 開道百年と言われてから結構な年月が経ったとは思っていましたが、100年前は明治時代だと認識していたのに大正時代なんですね・・昭和も遠くなって当然だわさ。
2013年12月16日
アメダスがある上藻別から南に入った地域は「鴻之舞」で、ここには東洋一の金産出量を誇った鴻之舞鉱山がありました。 1916(大正5)年に金鉱が発見されて鉱山が開発されて以来、かつては1万人以上も人が住んでいた町があったんですが、1973(昭和48)年の閉山と共に寂びれてゴーストタウン化してしまいました。
鉱山の跡には石碑が色々と並んでいて、奥には鉱山関係の遺構も見えます。 「鴻之舞鉱山跡」の碑
開発にあたった住友鉱山(株)が建立した慰霊碑
右下の碑には「鴻紋軌道記念碑 銀色の道 誕生の地」と刻まれています。
鴻之舞地区に住む1万3千人以上の住民の生活物資を運搬する目的で、1940年に紋別から鴻之舞まで「鴻紋軌道」という鉄道の建設に着工したものの、1943年に完成した後も本来の目的にはほどんど使われず、1948年に廃止されました。 ダークダックスやザ・ピーナッツが歌っていた「銀色の道」という歌がありますが、作曲者の宮川泰さんによると、土木技術者の父親が「鴻紋軌道」の建設に携わった頃に鴻之舞に住んでいたことがあり、後にここを訪れた時にレール跡の水たまりに月の光が映る姿を見て、「これこそ銀色の道だと確信した」んだそうです。→Wikipedia 閉山30周年を記念して「銀色の道」歌碑が建立され、紋別駅にも同様の碑が立っているし、今年の春には閉山40周年の記念事業が行われたそうです。 道道脇のあちこちに、かつての街の位置を示す看板が立っています。
この看板が無ければ、生い茂った樹や草薮の中に住宅や商店が立ち並ぶ街があったとはとても信じられません。 それぞれの街ごとに駅があったそうです。 廃墟となった住宅跡
高い煙突が残っていました。
これは小学校の跡で、
こっちは中学校の跡です。
寮の跡は門も壊れかかっています。
こんな街があったんだよ、という説明板
紋別鴻友会のメンバーによって看板や説明板が立てられています。 橋脚だけ残った橋
この橋は送水の為に現在も使われているそうです。
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上藻別には「旧上藻別駅逓所」の建物があり、上藻別駅逓保存会の方々によって修復されています。右側にあるのが正面玄関です。 なかなか堂々たる構えの屋敷で、こちらは脇玄関。
1926(大正15)年に官設の駅逓所として建築され、1934(昭和9)年に2階建て部分が増築されました。 室内に掲げてあった標識
1940年に駅逓業務を廃止した後は旅館として営業し、その後は住宅として使われました。 内部には鴻之舞鉱山関係の資料が収集・展示されており、郷土資料館のように開拓に使ってた古い資料も展示されています。 個人などがあちこちに収集してあった物を、駅逓所の公開に合わせてここに集めたんだそうです。 金色に光る鉱物を含んだ石も展示されており、本物の純金かと思って有難く撫でて行く人もいるらしいですが、金鉱石ではなくて黄鉄鉱か黄銅鉱だと思います。 駅逓所の周辺には、鉱山で使われていた車両とか、
何に使ったのか分からない遺構も展示されています。
サイロの中も展示室になっています。 元々は灰色だったサイロを赤く塗ったのは余計だと思いますが。 2010年には、駅逓を修復・公開・活用している保存会に対して、国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」が授与されました。
2013年12月12日
滝上から紋別へ向かう途中で脇道に入り、上藻別を目指します。 この脇道は、ひょっとしたら初めて通るのかも知れません。 海岸や内陸のアメダスを効率良く回るためには、なるべく一筆書きになるようなルートを辿りたいんですが、ここだけは盲腸のような寄り道になります。
アメダス探訪「上藻別」の巻(2013/9/29) かなり番号が大きな道道の脇に立っていました。向こうに見える赤い屋根は、「旧上藻別駅逓所」(次回に紹介予定)の横にあるサイロです。 ここでは雨量しか測っていないはずで・・廃屋らしい建物が・・。
立入禁止だけじゃ驚かないけど、随分と荒れてる様子。
もしかして、それが雨量計ですかっ?!
かろうじて、草葉の陰から出てますよ。
こんな場所は初めて見ました。 離農したらしく、崩れそうな廃屋が残っています。
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アメダス探訪「紋別」の巻(2013/9/29) ここは旧測候所だった観測所ですから、簡単に見つかります。手前の土地に庁舎があったんでしょうか。 無人になったせいか、いずれ売りに出される雰囲気。
露場の周辺に高い建物はありません。
車を撮るつもりは無いんだけど、標板がピカピカ過ぎて、回りの景色を映しています。
流氷を見下ろせる露場の測器達
標石は厳重に守られています。
測風搭と風速計、日射計、通信アンテナ
背後の建物は確か、保健所でした。 紋別には「流氷科学センターGIZA」という科学館があって、何度か見学したから飽きちゃった・・現在は道の駅にもなっています。 最近まで北大低温研究所附属の流氷観測施設もあったんだけど、2004年に廃止されてしまいました。 流氷の時期に漁師番屋に泊まって、凍える暮らしを体験出来るんだそうで、いかが?
アメダス探訪「紋別小向」の巻(2013/9/29) アメダス「紋別小向」とは「オホーツク紋別空港」のことです。「小向」はコムケ湖と同じ語ですが、地域名は「こむかい」と読みます。 ターミナルの前に立つ、くねくねしたモニュメント
「とかち帯広空港」、「たんちょう釧路空港」ときたら、「クリオネ紋別空港」だろうし、考えればいくらでも湧いてくるよ・・たまねぎ丘珠空港、だいせつ旭川空港、サハリン稚内空港、おおぞら女満別空港、サーモン中標津空港、うにまる奥尻空港、ひなげし利尻空港、あつもり礼文空港、イカめし函館空港、さっぽろ新千歳空港←まんま 送迎デッキに上って測器を探すと、斜めの方角に見つかりました。
双眼鏡で拡大します。
空港では、滑走路の両端に吹流しがあります。
アメダス探訪「湧別」の巻(2013/9/29) 目印になるような施設が無くて、国道の曲がり角から北東の方角へ、老人ホームの南・・という感じで辿り着きました。畑の中に立ってます。 付近で農家が(多分)息子と一緒に作物を運搬するためのケージを組み立てていたので、邪魔しないように遠くから撮影するのみ。
どうせ、周囲には何も無いし。 反対側から見ると逆光になって見難く、隣にある小屋は浄水場らしいです。
次は再び内陸に入って、遠軽へ向かいます。
2013年12月08日
噴火湾といえば、ホタテや毛ガニ・・ぢゃないですよ。 噴火湾の沿岸には縄文時代の遺跡が多数あり、一昨年の秋には函館市(南茅部)にある大船遺跡を見学しました。→渡島東部の自然と歴史 続いて今年の春に、中空土偶などを展示している南茅部の「縄文文化交流センター」を見学しました。 今回(11/16)は、洞爺湖町にある「入江・高砂貝塚」と、伊達市にある「北黄金貝塚」を見学してきました。いずれも開園期間が4月~11月で、現在は冬休み中です。(公園内を散歩するのは可能かも) 室蘭市から豊浦町にかけての地域には貝塚を伴った遺跡が多い(全体の3分の1ほど)一方、渡島半島の沿岸に分布する遺跡には貝塚がほとんど無い、という特徴があるそうです。
入江・高砂貝塚公園の案内(パンフレット)貝塚館の入館料は150円で、隣にある虻田郷土資料館も見学できます。ただしオフシーズンだから、見せてくれと言えば鍵を開けてくれるんですけど。 郷土資料館はスペースが広くなくて無料なのも相応ですが、昔の虻田町の写真なども展示してありました。 珍しかったのは、昭和10年代の自動寫真館(左)と自動菓子販売機(右)です。
要するに、プリクラとガチャポンの元祖(or本家)なのですが、菓子販売機には「新案特許」と書かれていたから、この頃から出回ったのかも。 高砂貝塚の現地に立つ案内板
貝塚館から200mほど歩いた入江貝塚公園の入口
住居の骨組みと、屋根を葺いて土を被せた完成形
背景は有珠山で、ここは火山灰に埋もれてたお陰で保存状態が良いのだとか。 古墳のような復元住居に入ってみます。
焚き火の跡というか、実際に煙かったです。体験学習でもしてたみたい。
敷地の端にトンネルのような通路がありました。
内側がガラス張りで貝塚の断面を観察できるようにしてあり、
フゴッペ洞窟とか手宮洞窟のような造りです。 地層の中に入江式土器の破片が挟まっていたり、
エゾシカの骨もあるし、
光って文字が読めないけどイルカの骨だとか。
床下にも埋蔵状況が見えるようにしてあります。
ここの遺跡に埋葬されていた人骨のうち、ポリオに罹患した骨があって、肢体が不自由ながら少なくとも十年以上は介護を受けて生き長らえていたことが分かるんだそうです。
所変わってこちらは北黄金貝塚公園で、北海道遺産に選ばれています。右上の地表が白っぽく見えるのは、貝殻で覆われているからです。 復元した住居群:左下に見える沢状の窪みに水場があります。
ここは結構な高さの丘ですが、縄文時代は現在より温暖だった時期があって海面が高く、海岸線も内陸側に入り込んでいたので、「縄文海進」と呼ばれます。 地球温暖化に伴って大陸の氷床が融けると、海面が上昇して同様な現象が起こるとされています。 水場にたくさんの石器が散らばっていました。
これらは石皿とか擂り石でしかも壊れており、意図的に壊された土器もあるので、一種の針供養のように使わなくなった道具を葬る「道具墓」としての祭祀場所だったのかも。 貝塚からは人骨も発掘されるので、貝塚というのは単なるゴミ捨て場ではなくて、人骨、貝殻、魚骨、獣骨など、全て命あるものとして祀った精神が窺えます。 公園内に「北黄金貝塚情報センター」があり、入場無料です。
出土した遺物を展示したり、体験学習などに利用されます。 傑作だったトイレの扉
遺跡から掘り出された女性の骨と一緒に首飾りが出土したような・・。 トイレの内部を調査してこなかったのが悔やまれます。 どんなんだろうね・・便器は素焼きの土器に縄文模様が施されていて、脇に木の葉っぱが置いてあったりしたら・・。
2013年12月04日
雄武から南下して昨夜と同じ道を再び進み、アメダス興部を探索します。 地図上では興部川の左岸にある長い丘陵の麓に当たるんだけど、目ぼしい施設は何も見当たりません。
アメダス探訪「興部」の巻(2013/9/29) 丘の麓に沿って伸びる道を進むと見つかりました・・が、懸念した通り農家のようです。やっぱり農家の私有地ですね、これは。
倉庫の屋根の向こうに立ってて、かなり遠いです。
脇から覗いてもこの程度で、敷地が見えません。
向こうに見える川の土手に渡れば見晴らしが良いだろうと思ったけど、土手の入口は通行止め・・牛を放牧してるようでした。 多分、土地は開けてるんだろうし、風速計は屋根より高いし、熱の発生源なんて無いだろうから、これで退散します。 欲を言えば、背後の丘陵の陰になって北西風が弱まるかな。
アメダス探訪「西興部」の巻(2013/9/29) 内陸へ進み、西興部の市街地を少し過ぎて、国道の脇に見つかりました。左横に電子基準点も立っています。 どうやら滞在型の体験農園らしく、その奥にあります。
周囲に支障となる物体は特にありません。
草も枯れる時期になりました。向こうに国道が見えます。
農園の入口近くに管理棟があって、宿泊用のコッテージも何棟かありました。
国道から川に向かって左方向へ緩やかに傾斜しています。 風速計と日射計と積雪深計の投光部
電子基準点の写真を撮ってみます。
西興部村には「赤岩の滝」と「黒岩の滝」とがあるそうですが、沢を入った奥にあるらしいのでスルー。 次の滝上へ向かう途中にウェンシリ岳方向へ分かれる道があり、ウェンシリ岳の沢に残った雪渓が底から融けて、真夏に「氷のトンネル」が出来る場所があります。
昔はトンネルの中を自由に歩けたのに、そのトンネルが崩れたことがあったせいで、年に一度の開放日以外は立入禁止になってしまいました。→参考 かなり昔に、トンネルへ向かう途中でスズメバチが2匹寄ってきたことがあります。 ただ追い払うつもりで帽子を振り回したら1匹の蜂に当たってしまい、もう1匹が向かってきたもんだから止むなく叩き落としました。 手前のキャンプ場では、村祭りとして焼肉パーティーなんかやって騒ぐのだから、蜂にとっても迷惑な話です。
アメダス探訪「滝上」の巻(2013/9/29) 北見滝ノ上駅の跡地はバスターミナルになっています。街外れの一本道の脇に立ってました。
風速計と同じような高さの樹がたくさん立ってます。 手前は草薮が深いけど、廃屋らしい屋敷に向かう道は歩けました。
人が来ないから柵は必要なさそうだけど、草が倒れかかっています。
まだ朝早いから内陸から吹き出す南風
・・などと考えていたら、蜂が哨戒しに飛んできました。 戦意は無いから遠くに退却して・・樹が高いよなぁ。
この屋敷の軒下あたりに蜂の巣があるのかも知れません。 市街地へ戻る途中の道端に「滝上北特別教授所跡」という石碑が立っていました。
明治43(1910)年に「渚滑第二教育所所属滝上北特別教授場」として開所し、5年後に白鳥尋常小学校へ昇格したようです。→町のあゆみ 住所が「滝上原野三線」で、その3年前に「滝上」の地名が初めて北海道地図に載ったばかりという開拓初期に学校を作ったとは、教育熱心だった証拠でしょう。 次は上藻別へ向かいます。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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