2016年03月29日
ハスカップとスケートの街
3月中旬に観たい展覧会があって、JRで苫小牧へ行きました。 苫小牧駅の跨線橋から見た、王子製紙の工場の煙突 最近は苫小牧も工場夜景を観光に売り込んでいるようです。
posted by 雁来 萌 |22:22 | 思い出話 | コメント(2) |
2015年06月13日
脛に傷持つ身となった事件
水戸納豆じゃないですよ。 昔々、親や知人と一緒に洞爺湖へ行った(連れて行かれた)ことがありました。 温泉街に並んでた土産物屋の前で、鎖に繋がれた子熊が箱の中に座ってたんです。 箱には蓋が無いから、檻にはなってません。 その子熊に近付き過ぎたのか、子熊の前足で脛を引っ掻かれてしまいました。
posted by 雁来 萌 |22:18 | 思い出話 | コメント(0) |
2014年03月08日
内山裕貴くん・前寛之くん
みんなで自分たちのクラブを作ろう! コンサドーレ札幌『松山 光プロジェクト』・・「みなつくプロジェクト」か。 今シーズンは、U-18から内山裕貴くんと前寛之くんの2名がトップチームに昇格しました。 最近入手した今年のオフィシャルガイドブックには、二人で先輩のゴメスをいぢくってる様子が存分に窺えます。 その対談の前に載ってる、ヒロ・拓郎・ミツの対談も面白いけど、うっち・ゴメス・ヒロくんの対談は退屈しない内容でした。
posted by 雁来 萌 |22:17 | 思い出話 | コメント(0) |
2013年07月14日
ノルディーアの服部コーチ
女子チームの「ノルディーア北海道」に、新しいコーチが就任しました。→新コーチ就任のお知らせ 服部くんはコンサ札幌U-15の出身で、2001年~2003年に在籍していた選手です。 2001年と2002年のコンサ札幌U-15の監督は、現ノルディーア監督の三浦(タマ)さんだったので、そういうつながりだろうと想像します。
posted by 雁来 萌 |18:23 | 思い出話 | コメント(0) |
2013年02月02日
幼少の頃に受けたセクハラ
「純貴と彰吾がオメデタ」なんて書いてあるもんだから、 ・・おまいら、そんな関係だったのかっ? と変な誤解をしてしまいました。 ここでは散々に、正午をお知らせする彰吾くんのことを「女の子みたいだった」などと紹介していますが、これはワタシ自身の感想だけではなくて、ある史実?に基いています。 彼がコンサU-12にいた頃、試合中に他のチームの子達が話してるのを聞いたことがあります。 「あいつ、女だよな」 「でも、ショウゴって呼ばれてるぞ」 「彰吾って書いてショウコって読むんじゃないのか?」 ・・これ、創作ではなくて実際の話なんです。まぁ、女の子の名前に「吾」という漢字は使わなくて、使うとすれば「湖」あたりでしょうけども。 今年のCPPでグァムドールズに扮したりしたら、さぞ似合ったんじゃないかと想像する訳ですが・・仮にそんな構想が実現していたら、ワタシは多分、ニトリ文化ホ-ルの2階席から転げ落ちていただろうと思われます。
posted by 雁来 萌 |21:44 | 思い出話 | コメント(0) |
2012年11月30日
計算尺は聞いたことがある
11月23日(金・祝)の14時から宮の沢サッカー場で、Jユースカップ決勝トーナメントの2回戦となる、コンサ札幌U-18とアルビレックス新潟ユースとの試合が行われました。 ・・と書くつもりだったんですが、会場が変更になったのか(最初からその予定だったのか)、ホームゲームどころか中立地とも言い難い愛知県刈谷市で行われることになり、せっかく空けておいた3連休の初日がフリーになってしまいました。→オフィシャルのニュース しかも、その試合に勝ってしまった(ニュース)上に、11月25日に行われた準々決勝でセレッソ大阪U-18にも勝ってしまったんですから(決勝トーナメント表、オフィシャルのニュース)、こうなったらもう、空想で試合の展開をレポするしかないですね。←おぃ
posted by 雁来 萌 |07:20 | 思い出話 | コメント(0) |
2012年01月27日
コンサマニアな時代の遺物
最近は休日でも、遠出せずに自宅の中を片付けてることが多いんですが(←死期が近い?)、捨てるに捨てられないモノが出てきて困ります。 なるべく形あるモノを新規に買わないようにして、古い物から順に捨てていかなければ財産が増えるばかり・・とは思うものの、古い物ほど捨て難いもんです。どうせ、二度と使いもしないのに。
posted by 雁来 萌 |21:13 | 思い出話 | コメント(2) |
2012年01月23日
貧乏人のコダクローム
まぁ、「高嶺の花」という意味ですから。 昨年までは、フィルムを使って写真を撮影していました。 ディジタル写真に対して、アナログ写真とは言わずに「銀塩写真」と呼んで区別することを知ったのは、近年になってからです。銀塩って・・明治時代の乾板写真か? こんなワタシでさえディジタル写真に切り替えたことが、きっとコダック社を凋落させる原因になってしまったのでしょう。←?
posted by 雁来 萌 |21:57 | 思い出話 | コメント(0) |
2011年05月05日
全国リーグの旧友対戦
高円宮杯・プレミアリーグの第3節の試合結果を見ていたら、見覚えのある名前が目に止まりました。 静岡学園高校 DF 2 平沖 卓真 彼は確か、2004年の途中からコンサU-12に入団して来ました。 つどーむで最初に練習を見た時には、シェフチェンコのユニを着ていたと記憶しています。 顔がふっくらしてるせいか太めに見えましたが、動きは悪くなかったです。 コンサU-15には上がらなかったけど、チーム紹介ページを見ると静岡学園中学校に進んだんですね。 前貴之くん・小山内貴哉くんと同期で、今年高校3年生のはずです。 全国リーグになると、こういう対戦も起こるんだなぁ・・と。 静学サッカー関係者専用のブログに選手別の写真が載っていました。 以前は↓こんな感じだったんですけど、面影は・・頬や目がそのまんま。 他に、青森山田高校にはU-15出身の松浦くんや林くんもおり、彼らOBがコンサのホームゲームに帯同して来るのが楽しみです。
posted by 雁来 萌 |20:46 | 思い出話 | コメント(2) |
2010年06月05日
「駅・復権!」岩見沢複合駅舎
先週の週末に旭川へ行った帰りに、岩見沢駅に寄ってきました。 もう何十年前なのか数えたくもありませんが、学生時代に2年間だけ岩見沢に住んでいたことがあり、札幌まで「汽車」で通学してました。 しかし引っ越した後は、国道12号線の周辺とか「いわみざわ公園」内の郷土科学館くらいしか訪れたことが無くて、何となく通過するだけの街になっていました。遠くへ行く場合は、275号線を通ることが圧倒的に多かったし。 当時(3代目)の、牧舎のようなマンサード屋根だった駅舎が2000年に火災で焼失してしまい、暫定措置だと思っていたプレハブの仮駅舎で営業を続けていながら、なかなか改築されないので気がかりでした。 それが最近になってやっと新しい駅舎が建設されると、昔の駅舎に馴れ親しんだ人間にとっては異様に映る建物に変わりました。 新しい駅舎は、一般公募型の「岩見沢駅舎建築デザインコンペ」で最優秀賞となったデザインを採用し、2009年3月30日に全面開業しました。 2009年度のグッドデザイン賞の大賞(内閣総理大臣賞)を受賞した他、建築関連を中心に様々な賞を受賞しています。