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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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他人のフンドシを外す技

2010年05月01日

相撲の反則技を想像した人は、見当違いです。笑

高校時代の話ですけど、試験になるといつもカンニングをするクラスメイトがいたんです。
実力は全く無いのにカンニングで点数を稼いでいたので、成績はそんなにドンジリではなかっただろうと思います・・何しろ、私の答案をかなり写していたんですから。(←?)

 
その高校では、普段の机の並び方って特に決まりは無かったけど、定期試験の時だけは出席番号順に並んでいました。答案を回収して重ねるのに都合が良いからです。

だから、いつも机の配置が同じで、前後左右の席に座るのはいつも同じメンツになります。
私は答案用紙をなるべく隠して書いていたのに、隣のワルがいつも盗み見て書き写してたんですね。

 
業を煮やした私は、ある時の試験でわざと全て嘘の答えを書きました。
そのままだと共倒れになってしまうから、隣の輩が写し終わったのを見計らって終了間際に全部消し、素早く答えを書き直したんです。
隣の彼は焦ったでしょうね。でも自業自得です。


・・ここでフンドシの写真が出てくると予想したアナタ・・期待外れです。

トラドシ
今年はフン・・じゃなくて、トラドシですから。

 
案の定、後で返された彼の得点は低く、確か8点でした。
私は勘違いした部分があって80点だったので、ちょっと残念でしたが目的を果たせたのは満足です。(←その点数で満足するなよ)

休み時間に彼が「萌(仮名)、何点だったのよ!」と聞くので、少し悔しそうな顔をしながら含み笑いして「80点しか取れなかったんだ。」と答えました。(どっちがワルだか)

得意な科目ならこんなことしてられるけど、苦手な科目ならミイラ取りがミイラになってます。

 
彼は卒業してからも、いいかげんな事ばかりして世の中を渡っていたようです。
バブルの頃は良かったかも知れませんが、最近になって彼の勤務先は吸収合併されました。それは本人の行状とは関係ないとは思うものの、HFCのスポンサーになってるのが何とも・・。

 
「ならぬカンニング するがカンニング」というジョークを見たことがありますが、屋根に登った状態で梯子を外されることがあるかも知れません。

カンニングについては他にも思い出があるんですが、思い返すと不愉快になるのでやめておきます。



post by 雁来 萌

21:55

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90年前から50年前まで

2008年06月17日

先日、プリンスリーグの試合のために室蘭へ行き、朝早く目が覚めたので、あちこちを回って歴史を探訪してきました。
過去を振り返るようになったら、先が長くないらしいですが・・。

私は室蘭(母恋)生まれで・・わ、笑うな!  小林亜星・・
下ぶくれし過ぎてないか




出生地は室蘭新道の真下になってしまいました。
萌え出ずる生誕之地
・・いや、ここに捨てられてた訳じゃなくって、生家があったんです。
「萌ちゃん生誕の地」という石碑・・はまだ建っていません。

現在の母恋駅は、当時とあまり変わっていませんね。
駅弁「母恋めし」販売所
私は貝類が嫌いなので、ホッキを混ぜた飯なんて食べたいとは思いません。

待合室に入ったら、管理を委託されている職員が事務室におり、怪訝な目で見られた気がしました。
見たことあるポスター
入場券を買う観光客がたくさん来るんだろうから、別に怪しくも何ともないだろうに・・入場券を買わないから怪しいのか・・大体、私の父はそこで出札をしていたのだ。

東室蘭方面のホーム
ぷらっとフォームへ
ホームの後ろに宿直用の小屋があったんですが、宿直と言っても翌朝まで暇ですから、夜は同僚が集まってマージャンをしていました。
そこへ夜食を届けたついでに、マージャンを見ていたことがあったような・・父の後ろに立って、覚え立ての数字を読み上げていったら、何面待ちの手かバレてしまうわな。

御前水にある某小学校に入学した頃・・賢そうなお坊っちゃまだこと。
いちねんせい
この校章に見覚えのあるブロガーが、少なくとも1名はいると思われます。

この学校は歴史が長く、開校90周年の式典が昨年行なわれたんですが、私は卒業した訳ではないので案内が来ませんでした。(中退ではなくて転校)
90年前といえば・・大正時代が始まった頃ですよ。

校名の由来は、学校の下の方にある泉です・・バレバレ。
この湧き水が流れ下って「天の川」になる

現在の生徒数は百数十名だそうで、驚いてしまいました。
私が在学していた頃は、各学年に10~13クラスあって、全校生徒は2千7百人もいたんです、ホントに。

信じられないでしょうけど、学芸会って毎年は出れないんです。在校生全員が登場してたら、夜になっても学芸会が終わりません。なので、「去年出た人は、今年はお休み」というルールがありました。今時そんなルールを行使したら、父母が怒鳴り込んで来ますよね。
田舎に転校したら生徒数が少なくて、1回登場するだけだと午前中で終わってしまうので、衣装を替えて1人で何回も登場しました。

「映画会」というのが月に1回程度あり、みんなで体育館に座って、天井から吊るされたスクリーンに映される映画を鑑賞するんです。
「キューポラのある街」も、確か学校で観たと記憶しています・・若かったんです、さゆりちゃんが。当時の川崎の街は煙っぽくて、何だか室蘭に似ていました。

図画の時間には、校舎の裏山へ登って写生をしましたが、
変わり映えのしない景色
手前に見えるのが校舎(当時は木造)で、視界には港と船と工場しか見えないんですから、構図は毎回決まっていました。
最近、左端の小山の裏側でサッカーの試合とかやってるらしいです。
昼になると、工場でやかましいサイレンを鳴らしますが、それはかつて空襲警報に使われたサイレンだと思われ・・。

お昼は給食が出たけども、コッペパンとおかずと脱脂粉乳・・なんて覚えてる人はどの程度いるのか・・マズくて飲み難かったです。これが原因で牛乳嫌いになった人も多いのではないかと。

大体、脂肪分を除いた粉乳を溶かして温めるだけですから、美味しいはずがありません。その原料は、ドラム缶のような形をした、ボール紙のような材質の容器に入って学校に届くんですけど、表面には英語が書かれていて、アメリカから届いたことは子供でも分かります。

今でいう「グミ」のような、鯨の「肝油」という物を定期的に食べさせられて、栄養失調を防ぐための対策だったのではないかと想像します。味は良かったんですけど。

校歌の歌詞が難しくて・・「ばんだのさくらさくところ」で始まるんですけど、いきなり冒頭から、小学生には理解不能な日本語を発声させられます。
この歌詞を音で聴いた子供が、どんな漢字を思い起こせばいいのか・・正しくは「万朶の桜咲くところ」なんですけど、こんな漢字を卒業までには習わない・・どころか、今でも書けませんよ。

途中で、この機関車を置いてある地域に引っ越しました。
鐡原(←製鐵原料=コークス)
ほとんどサービスショットだな。
夜中に「イワシが上がった」と叩き起こされて、バケツやら籠やらを持って浜でイワシを拾ったことがありました。

当時は自宅の横に防空壕があって、夏場は湧き水でスイカを冷やしてました。
防空壕
数年前の春先にはベニヤ板で塞いでありましたが、草が生い茂った現時点では壕が有ったこと自体を想像できません。



post by 雁来 萌

07:56

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郷土の誇り

2005年12月17日

毎年、正月の高校サッカー選手権の時期になると思い出すことがある。20年も経ってしまったが。

父は室蘭出身だが、親の転勤や自身の転勤であちこちに引っ越したらしい。退職して落ち着いたので故郷の室蘭に家を建てたけれど、現役中から病気がちで、退職後も自宅よりは病院に入院していた時間の方が長かった。

ある日、見舞いに行ったら父はテレビを見ていた。テレビを見ることや眠ることは病人の仕事だから気にもしなかったのだが、やおらテレビに向かって何か言っている。
「よしっ、行け、ザイゼン!」

病室の小さなテレビを覗き込むと高校サッカーの試合を放送しており、室蘭大谷高校の財前恵一選手がボールを運んでサイドを突破しようとしていた。
父は若い頃から野球ばっかりやってて、サッカーの「サ」の字も知らないくせに、なんで急に高校サッカーよ。しかも財前の名前を知ってるとは、どーゆー知り合いなんだよ?

父が在学していた、旧制・室蘭中学(=現在の室蘭栄高)の卒業アルバムを見たことがある(父の年令が知られることは、私の年令も知られてしまう心配がある)が、部活動紹介のページに蹴球部のセピア色の写真も載っていた。足にはストッキングじゃなくてゲートルを巻いてる!ことは、大日本帝国のローカルルールだったとして容認するしかない。
そんな時代から、室蘭はサッカーの街だったのかぃ?・・サッカー以前に、軍港を抱えた軍事工場の街であり、「鉄の街」であるのだが。

その室蘭で育った父は、当然大谷高校を応援するから、地元のヒーローである財前選手を知っていても不思議ではないのだな。後で知ったのだが、室蘭市民であれば、サッカーは知らなくても財前兄弟の名前は知っていた。

その財前(兄)さんが、うちのチームでペレイラやアルシンドと一緒にプレイし、引退してユースチームの監督になろうとは、お釈迦様 はちまんさま(室蘭八幡宮のこと)でもご存知なかっただろうに。



post by 雁来 萌

00:09

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