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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2016年03月29日
3月中旬に観たい展覧会があって、JRで苫小牧へ行きました。 苫小牧駅の跨線橋から見た、王子製紙の工場の煙突最近は苫小牧も工場夜景を観光に売り込んでいるようです。
駅から暫く歩いて、苫小牧市美術博物館に着きました。ここでは企画展の「ハスカップ-原野の恵みと描かれた風景-」と、コレクション展「タマサイ-つながりの美」を見学しました。 道民なら知ってるだろうけど、ハスカップは「クロミノウグイスカグラ(黒実鶯神楽)」のことで、スイカズラ科スイカズラ属の植物、苫小牧市の木の花に指定されています。 ついでに苫小牧の街中を歩いて、はるか昔を懐かしんでみることにしました。 その節はお世話になりました:王子総合病院
クラスメイトの見舞に行ったことはあるけれど、まさか自分が最近になって・・この辺一帯には、王子製紙の平屋の社宅が並んでいました。もう半世紀近い昔の話ですが。 苫小牧警察署にもお世話になったんだけど、お礼参りはしないでおこう。 倉庫のような体育館は、王子製紙vs岩倉組の熱い試合が行われた王子スポーツセンターでしたが、老巧化のため2012年に閉鎖されました。→新聞記事
通ってた高校のハス向かいに野球グラウンドがあったんですが、その跡地に白鳥アリーナが立っています。
王子ホールディングス株式会社がネーミングライツを取得して、「白鳥王子アイスアリーナ」という名称になったようです・・「とまチョップアリーナ」の方が良いかも。 ここを王子イーグルスの本拠地として使用できるんだから、スポーツセンターは無くても構わないということか。 この中学校を卒業しました・・と言っても、3年生の時に在籍していたというだけなので、卒業したという実感がありません。
苫小牧市科学センター:黒っぽい部分はプラネタリウムです。
玄関前に日時計がありました。
鶴丸デパート時計部が寄贈したようです。鶴丸デパートと言えば、苫小牧では老舗の百貨店でした。(過去形) 屋上の天文台で天体望遠鏡を使わせてもらったことがあります。
前庭にSLが展示されていました。(C11 133)
このSLは「たるまえ号」と呼ばれているらしいです。 後方はソ連の宇宙ステーション「ミール」を展示してある「ミール館」で、科学センターに増築された部分です。 市民会館の前に、本郷新が製作した「勇払千人同心」の像があります。→参考記事
苫小牧で気取った食事をするなら第一洋食と決まっていて、
大人になりそうな子供を連れて行って、テーブルマナーを教えるお店です。 駅前にある総合ショッピングセンター「egao(エガオ)」は
色々と騒がせた末に閉店しています。駅裏のエスタも閉店したんだとか。 駅前通りから近いアカシア公園にSLと車両が保存されています。
王子製紙軽便鉄道の「山線」で使われていた1935年製の機関車4号機で、重量は8.394トン、最高速度は26.46km/hだそうです。 こんな小さい車輪ですから。
山線は苫小牧から支笏湖畔まで、さらに千歳の発電所まで走っていた鉄道で、支笏湖の脇に架かっている「山線鉄橋」は良く知られており、支笏湖へ向かっていた線路跡はサイクリングロードになっています。 連結されている貴賓車には、昭和天皇(皇太子時代)が視察する時に乗ったそうです。
柵の片隅にある出入り用の扉には鍵が掛かっていなかったんですが、車両の周囲に防犯用のセンサーが設置されていました。光路を横切ると毒矢が飛んで来るかも知れないので、柵の中には入りませんでした。 駅前通りに面した街のど真ん中に「足湯・手湯」スポットがありました。
苫小牧信用金庫の「まちなか交流館」と呼ばれる施設だそうで、道産カラマツのみで構成した建築物です。 「冬季に暖かく落ち着いて足湯を楽しみ、地域の人々の憩いの場となり、交流のきっかけとなること」を目指してるそうですが、トライする気にはなりませんでした。 駅前にこんな作品がありました。スケートの街ですから。
歩道のガードには・・アイスホッケーの街ですから。
これも本郷新が製作した、人間環境都市像「緑の環」の一つです。→新聞記事
苫小牧市が開基100年となった1973年に人間環境都市宣言を行い、苫小牧を緑の環で囲むシンボル像として市内5ヶ所(苫小牧駅、市役所、樽前、美沢、静川)に建立されており、国道36号沿いの海岸に立っている像は目に付きます。
今年はプリンスリーグの会場となる浜厚真までJRで行こうと時刻表を買ったら、3月26日のダイヤ改正に伴って信じられない現象が起こっています。 苫小牧までの自由席特急料金は、「すずらん」オプションだと往復割引乗車券+330円で済むけど、「北斗」オプションだと+1,130円という大きな格差があります。 これが東室蘭までなら、+360円と+1,800円の違いですよ。往復で2,880円も違うなんて、何を根拠に料金を設定してるんでしょう? そもそも、途中の停車駅が多い「すずらん」と停車駅が少ない「北斗」とが、ほぼ同じ所要時間で運行されるのも不思議です。 柳月から「三方六」の新幹線パッケージが出まして、ネーミングが「三二六」というんですよ。笑いが止まりません。
2015年06月13日
水戸納豆じゃないですよ。 昔々、親や知人と一緒に洞爺湖へ行った(連れて行かれた)ことがありました。 温泉街に並んでた土産物屋の前で、鎖に繋がれた子熊が箱の中に座ってたんです。 箱には蓋が無いから、檻にはなってません。 その子熊に近付き過ぎたのか、子熊の前足で脛を引っ掻かれてしまいました。
これが、その下手人下手熊です・・美味しそうにミルクなんか飲みやがって。周囲に写ってる人物は、私の知らない人達です。 あれ以来、残念ながら脛に傷持つ身となってしまいました。 いつか、あの熊に復讐しようと思っていたものの、彼はもう生きちゃいないですよね。 登別に送られたのか白老に送られたのか、あるいは定山渓に送られたのか、はたまた上川方面に送られたのか・・どこの熊の骨になったんだか・・。 最近、熊の爪が付いたキーホルダー(というか、キーホルダーが付いた熊の爪)を買いました。(上の方)
まだ根に持っているらしい。 いずれも前足の爪で、下の方はずっと以前に買ったものですが、相当デカい熊だったに違いないです。 この爪の垢でも煎じて飲めば、足柄山の金太郎にも勝てそうな気が・・。
先日の昼頃、白石区内の国道12号線の横断歩道を渡っていたら、目の前を車が横切って轢かれそうになりました。 ドライバーは、横断歩道があることも、歩行者が歩いていることも、信号が赤だったことも見落としていたようです。 昼間から酒を飲んでいたとは思えないけれど、携帯でも見ていたんでしょうか。 せっかく今日まで世に憚って生きてきたのに・・。 ♪そして今、私は思っています。 明日からもこうして生きて行くだろうと。←明日のことは分からない
2014年03月08日
みんなで自分たちのクラブを作ろう! コンサドーレ札幌『松山 光プロジェクト』・・「みなつくプロジェクト」か。 今シーズンは、U-18から内山裕貴くんと前寛之くんの2名がトップチームに昇格しました。 最近入手した今年のオフィシャルガイドブックには、二人で先輩のゴメスをいぢくってる様子が存分に窺えます。 その対談の前に載ってる、ヒロ・拓郎・ミツの対談も面白いけど、うっち・ゴメス・ヒロくんの対談は退屈しない内容でした。
その二人の若かりし?時代の写真を探してきました。これは、2007年6月に滝川の河川敷サッカー場で行われた、「全日本少年(U-12)サッカー大会」の北海道予選で優勝した時の記念写真です。 前列中央のトロフィーの後ろが岡田洋平くんで、その右で賞状を立ててるのが内山くん、左隣のカップの後ろが前くんです。 コンサU-18まで進んだ選手では、鈴木くん・輪島くん・平川くん・井端くんなども見えます。 中央部を拡大した図
さて、オフィシャルガイドブックの58ページに載ってる寛之くんは、他の選手と違ってわざとらしいポーズを取っていませんが、奇しくもこれが60ページの松山光のポーズに最も似てるように見えます。 さらにU-15チームの名簿を見ていたら、コンサU-18出身(3期生)でクラブフィールズのコーチを務めていた中村拓朗くんが、コンサ札幌U-15のコーチになったようです。 先週末に行われた「全道フットサルU-14」の大会でも見かけました。 クラブフィールズU-15からコンサU-18に入団した濱くんの
お目付け役介添え役なのか・・という冗談はさておき、これも一種のサーモンでしょう。 アカデミーのスタッフも着々と道産子率が高まっていますが、トップチームも含めると今年はタクローが3人になりました。 ずいぶん前に、村田コーチが東京ヴェルディへ移籍する話が発表されましたが、こういうことだったんですね。 しかし、今年のアカデミーのスタッフの全容はまだ発表されていなくて、例年より発表時期が遅れています。
ドールズのメンバーも新しくなって、もうじき引退かも知れないとは思っていたものの、そのメンバーが実際にいなくなると寂しいですな。 代わりに入ったメンバーの「ふわふわsmile」とは言い得て妙で、笑ってしまいました。 今年の新人はドールズOGの誰かに似てるなぁ・・と思いつつ、古新聞を片付けてる時に出てきた2003年の新聞記事を眺めてたら、ディレクターの上田(旧姓・渡部)藍さんがこの年のキャプテンだったんですね。結婚して子供を持ってるOGもいるそうだから、そろそろドールズOGの二世がドールズになってもおかしくないほど歴史が流れたのだと・・。 「親子二代でドールズですっ!」って言えたら、すごい事だよね。
2013年07月14日
女子チームの「ノルディーア北海道」に、新しいコーチが就任しました。→新コーチ就任のお知らせ 服部くんはコンサ札幌U-15の出身で、2001年~2003年に在籍していた選手です。 2001年と2002年のコンサ札幌U-15の監督は、現ノルディーア監督の三浦(タマ)さんだったので、そういうつながりだろうと想像します。
2003年の選手名鑑に載っていた服部くんの写真10年前の写真ですから、現在はかなり変わっているでしょうけど。 当時、月寒練習場で行われていたトレーニングの様子を覚えています。 三浦監督が居残って服部くんの方にボールを転がして、「足を動かそうとするんだ。動かなくても動かそうと繰り返し意識することで、だんだん動くようになってくるんだ。」と言いながら練習を続けていました。 そういう不思議な現象は、今になると理解できます。 例えば人の名前を思い出せない時(←最近よくある)、そのまま思い出そうと頑張っても思い出せないけど、諦めてしばらく間を置いてから再び思い出そうとすると、すんなり出てくるもんです。 しばらく間を置いている間も、過去につながっていた記憶のコネクションを復活させようと、脳が働いているんでしょう。 よく「電気が走る」と言うけれど、動物の神経は電線でつながっているのではなくて、神経細胞同士の隙間に化学物質が流れることで情報が伝達されます。 何もしていないように思える間にも少しずつ神経伝達物質が放出されて、神経細胞間の隙間を徐々に充満していくのだろうと解釈しています。 彼はコンサU-15を退団した後(調べたら翌年の2004年)、コンサU-18チームのマネージャーとしてお手伝いすることになりました。 古いユースサポ仲間と「服部くんもサッカーに関わる仕事が出来るようになって良かったね。」と話し合っていたのです。 コンサU-18の練習や試合でピッチ脇に水ボトルを運んだりしていましたが、後に見かけなくなったので、どうしたのか気になっていました。 今回はマネージャーではなくてコーチですから、ノルディーアの選手達にサッカーそのものを教える立場になるんでしょうね。 コンサのアカデミー出身者が、札幌や周辺のサッカーチームのスタッフに就任する例が多くなってきて、だんだんとコンサOB色が濃くなってきてる感じがします。 先日のプレミアリーグの試合でも、クラブフィールズU-18の監督をしている中村拓朗
くんさんが観戦に来てて、智樹くんさんと立ち話をしてたのが時の流れを感じさせない光景でした。
2013年02月02日
「純貴と彰吾がオメデタ」なんて書いてあるもんだから、 ・・おまいら、そんな関係だったのかっ? と変な誤解をしてしまいました。 ここでは散々に、正午をお知らせする彰吾くんのことを「女の子みたいだった」などと紹介していますが、これはワタシ自身の感想だけではなくて、ある史実?に基いています。 彼がコンサU-12にいた頃、試合中に他のチームの子達が話してるのを聞いたことがあります。 「あいつ、女だよな」 「でも、ショウゴって呼ばれてるぞ」 「彰吾って書いてショウコって読むんじゃないのか?」 ・・これ、創作ではなくて実際の話なんです。まぁ、女の子の名前に「吾」という漢字は使わなくて、使うとすれば「湖」あたりでしょうけども。 今年のCPPでグァムドールズに扮したりしたら、さぞ似合ったんじゃないかと想像する訳ですが・・仮にそんな構想が実現していたら、ワタシは多分、ニトリ文化ホ-ルの2階席から転げ落ちていただろうと思われます。
かく言うワタシ、実は他人の事は言えない立場なのです。 今を去ること数十年前、昭和天皇の御代に誕生したワタシが母親に抱かれているのを見た人達は、「んまー、カワイイお嬢ちゃんだこと!」と言いながら撫で撫でする訳です。 それでうちの母は「ぃやぁ、男の子なんだよー」と答えます。 「ぅっそー!女の子でないのぉ?」 「ほれ、●●●●付いてるっしょ」 「ぁらー、ほんとだゎー!・・なんてカワイイ男の子なんでしょー!」 幼少の頃からそんなセクハラを受けて育った身ですから、自分が女子なのか男子なのか分からなくなり、倒錯した禁断の世界へ足を踏み入れることに違和感を感じなくなってしまうのですよ。笑
ショッピングセンターで・・「♪泳法まきまき」という歌が流れてるのは何のことかと思ったら、「恵方巻」が並んでました。 のり巻きの隣には、方角を間違えないようにとの配慮(お節介)からか、方位磁石まで売ってました。 朝出勤する時に「方違えのため遠回りしたので遅刻しました」と言う人はいないだろうに。
2012年11月30日
11月23日(金・祝)の14時から宮の沢サッカー場で、Jユースカップ決勝トーナメントの2回戦となる、コンサ札幌U-18とアルビレックス新潟ユースとの試合が行われました。 ・・と書くつもりだったんですが、会場が変更になったのか(最初からその予定だったのか)、ホームゲームどころか中立地とも言い難い愛知県刈谷市で行われることになり、せっかく空けておいた3連休の初日がフリーになってしまいました。→オフィシャルのニュース しかも、その試合に勝ってしまった(ニュース)上に、11月25日に行われた準々決勝でセレッソ大阪U-18にも勝ってしまったんですから(決勝トーナメント表、オフィシャルのニュース)、こうなったらもう、空想で試合の展開をレポするしかないですね。←おぃ
・・正気を取り戻して・・職場で組織替えと模様替えがあり、私の机を置く階も変わりました。 机を運び上げたり下ろしたりするのは大変だし、机の規格が同じなんだから、文房具や書籍を入れたまま引き出しごと引き抜いて自分で運び、移動先の机に差し替えます。 今回の模様替えは規模が大きいので共有備品も整理し、古くなって使わなくなったり傷んだオフィス用品や作業道具などは、当然ながら捨てることになります。 使いそうもない道具類をまとめたダンボール箱の中に、36色の色鉛筆セットや、三角定規や特殊な製図道具も入ってて、それらに混じって大きな計算尺が見つかりました。 これが、そんじょそこらの計算尺とは違って、幅は自宅にあるヘンミ計算尺の1.5倍くらいあり、両端の固定金具やカーソルも頑丈だし、三角関数も含めて表も裏も10種類ずつの目盛りが並んでいます。裏側の目盛りの隅には「MADE IN GERMANY」と刻まれていました。 萌:「こ~れは、すんげぇ高級な計算尺だっ!」 と叫んだら、 あまり若くない女性社員H:「これが計算尺という物ですか?」 だって。 萌:「あぁ、計算尺を知らないか・・だろうなぁ。」 H:「計算尺という名前の道具があるという話は聞いたことがあります。」 萌:「むぅ・・」 Y:「どうやって使うんですか?」 萌:「こうやって使うんだよっ。」ボカッ! Y:「いってぇ~・・」 (一部に妄想というか願望?が含まれています) そうだよねぇ・・自分が学生の頃に電子式卓上計算機が世に出てきたんだから、それより若い世代は電卓しか知らないのも当然だよな。 そう言う私だって、タイガー計算機は見たことがあるし回して仕組みを調べたことはあるけれど、計算する目的で使ったことはありませんから。 某博物館に展示してあったタイガー計算機
横に使い方の説明書も置いてあり、実際にハンドルを回して動作を確かめられます。 昔は商店に手回しレジスターという代物があって、金額のボタンを押し下げてハンドルを回すとチーンという音がしたなぁ・・タイガー計算機と似たようなメカなんだろうな。
2012年01月27日
最近は休日でも、遠出せずに自宅の中を片付けてることが多いんですが(←死期が近い?)、捨てるに捨てられないモノが出てきて困ります。 なるべく形あるモノを新規に買わないようにして、古い物から順に捨てていかなければ財産が増えるばかり・・とは思うものの、古い物ほど捨て難いもんです。どうせ、二度と使いもしないのに。
今は亡き「北海道テレメッセージ」の商品「コンサマニア」の広告チラシ一世を風靡していたポケベルの機能を利用して、試合速報を流してしまおうという代物でした。 今では、オフィシャルの試合速報もあるし、携帯にチャオ!コンから届いたりして試合経過を追うのに困らないけど、昔は情報を得る手段が無かったんですから。
でも、裏情報って何ですか? これは、1997年のファンクラブ入会案内書です。
懐かしい人達がいますね。 厚別のゴール裏が芝生だった時代ですから、ちゃんと緑色に写ってます。 当時は北陸銀行の隣にあったオフィシャルショップ
HFCの事務所は、丸井の立体駐車場がある小路に面したビルの中にあって、狭い通路とエレベーターが印象に残りました。 その後に東区の工場跡へ移り、さらに札幌ドームの敷地内へ移って・・現在に至る。
2012年01月23日
まぁ、「高嶺の花」という意味ですから。 昨年までは、フィルムを使って写真を撮影していました。 ディジタル写真に対して、アナログ写真とは言わずに「銀塩写真」と呼んで区別することを知ったのは、近年になってからです。銀塩って・・明治時代の乾板写真か? こんなワタシでさえディジタル写真に切り替えたことが、きっとコダック社を凋落させる原因になってしまったのでしょう。←?
高校時代に天体写真を撮り始めたころから、リバーサルフィルム(ポジフィルム=スライド用)を常用していました。 リバーサルの方が、ネガフィルムよりはるかに発色が正確だからです。 その流れで、観光写真にも全てリバーサルを使っていたんですが、往時のスライド発表にはリバーサルの方が便利だったものの、最近のプレゼン方式には却って不便になりました。 仕方なくネガフィルムを使うようになり、コンパクトカメラとかレンズ付きフィルムを使っていた時代もありましたが、やっぱり中途半端なので一眼レフに戻った経緯があります。 コダクロームの発色は、確かに鮮やかで良かったです。でもその鮮やかさが、何となく不自然に感じたので国産のフィルムを使っていました。この辺は、日本人の感性に基く選別だったのでしょうか。 モノクロフィルムの「Tri-X」(トライ・エックス)はよく使っていたけど。 今でも、イ○ンに持って行けばフィルムを現像・同プリしてくれるし、街中のあちこちにも「カメラのキ○ムラ」などの写真(現像)屋さんがあるから、今のところ現像に不自由はしません。 最近になって、コダックのフィルムをを投げ売りのような安価で売っていました。 期限切れが近い品物でもないから、何度か試してみて特に問題は無いので、店頭に在庫があった時には使っていました。コダックのパトローネ ディジタル写真の場合、背景になってる空などのハーフトーンの部分に、色調の段差が出来てしまうことがあります。 まるで迷彩色に塗り分けたような境界が目に付いて不愉快だけども、どうすることも出来ません。 銀塩写真ならばそんな現象は起こらずに、スムーズに色調が変化していくんですけどね。 3原色の組合せの階調が1段階違うだけで、地図の等高線ごとに色分けしたような帯になってしまうんです。 例えば、ホームページの背景を滑らかなグラデーションにしようと思って苦労したらしいけど、縞々模様に見えてしまうサイトがありますね。 オートマでも変速時のショックがあるようなものかと。 (写真家が使う大判のフィルムは別として)たとえ現像の作業は無くなったとしても、プリントの作業は(当分は)無くならないだろうと思います。 携帯で撮影したデジタル写真でも、最後はどうしても紙に印刷しないと気が済まない(最近はフォトフレームというモノあるけれど)とか、知人にあげる時も有形の紙じゃないと物足りないとか。 官庁や企業の書類は全て電子化して保管すると言っても、最後は紙に印刷して読まないとあずましくない場合もあるようなもんですかね。 「ディジタル」で検索すると、「デジタルではありませんか?」と聞いてくる・・アホらし。
2011年05月05日
高円宮杯・プレミアリーグの第3節の試合結果を見ていたら、見覚えのある名前が目に止まりました。 静岡学園高校 DF 2 平沖 卓真 彼は確か、2004年の途中からコンサU-12に入団して来ました。 つどーむで最初に練習を見た時には、シェフチェンコのユニを着ていたと記憶しています。 顔がふっくらしてるせいか太めに見えましたが、動きは悪くなかったです。 コンサU-15には上がらなかったけど、チーム紹介ページを見ると静岡学園中学校に進んだんですね。 前貴之くん・小山内貴哉くんと同期で、今年高校3年生のはずです。 全国リーグになると、こういう対戦も起こるんだなぁ・・と。 静学サッカー関係者専用のブログに選手別の写真が載っていました。 以前は↓こんな感じだったんですけど、面影は・・頬や目がそのまんま。他に、青森山田高校にはU-15出身の松浦くんや林くんもおり、彼らOBがコンサのホームゲームに帯同して来るのが楽しみです。
最近になって部屋の中を片付けていたら、古い新聞が出てきました。 2006年7月26日の道新スポーツ紙で、翌日から七飯町のトルナーレで始まる「道新スポーツ旗・北電カップ」(U-12)を紹介した記事があり、1面に掲載されている写真は前年の同大会での試合風景です。 ここで相手のGKと競って大写しになっているのが、その前貴之くんと小山内貴哉くんなんです。ちなみに同大会での前年の成績はコンサが優勝、当年はベスト16でした。
2010年06月05日
先週の週末に旭川へ行った帰りに、岩見沢駅に寄ってきました。 もう何十年前なのか数えたくもありませんが、学生時代に2年間だけ岩見沢に住んでいたことがあり、札幌まで「汽車」で通学してました。 しかし引っ越した後は、国道12号線の周辺とか「いわみざわ公園」内の郷土科学館くらいしか訪れたことが無くて、何となく通過するだけの街になっていました。遠くへ行く場合は、275号線を通ることが圧倒的に多かったし。 当時(3代目)の、牧舎のようなマンサード屋根だった駅舎が2000年に火災で焼失してしまい、暫定措置だと思っていたプレハブの仮駅舎で営業を続けていながら、なかなか改築されないので気がかりでした。 それが最近になってやっと新しい駅舎が建設されると、昔の駅舎に馴れ親しんだ人間にとっては異様に映る建物に変わりました。 新しい駅舎は、一般公募型の「岩見沢駅舎建築デザインコンペ」で最優秀賞となったデザインを採用し、2009年3月30日に全面開業しました。 2009年度のグッドデザイン賞の大賞(内閣総理大臣賞)を受賞した他、建築関連を中心に様々な賞を受賞しています。
「駅前広場」という呼び方は似合わず、「プロムナード」とでも呼ぶべきか・・競馬場のスタンドを連想してしまうのは何故でしょう。そう言えば、かつて岩見沢でも「ばんえい競馬」が行われていました。 ガラス窓を仕切っている鉄骨は、古い「レール」だそうです。
ホームの屋根を支える柱として古いレールが活用される例はよく見かけますが、リユースもここまで来ると芸術に昇華しています。 しかもこのフレームの間隔が、軌道のレール間隔に近いんだとか。 駅舎の壁や歩道には、岩見沢レンガプロジェクト(通称「らぶりっく!!いわみざわ」)に参加して寄付した市民の名前と出身地が刻印された、4777個のレンガが嵌め込まれています。
さしずめ、宮の沢のレストラン「梟巣」の壁面タイルのようなもんです。 駅舎が復活するだけではなくて、石炭輸送の交通拠点だった岩見沢が斜陽から復活することにもつながるため、市民などが岩見沢複合駅舎と「まち」の再生へ向けて活動し、その記録が「駅・復権!-JR岩見沢複合駅舎誕生とまち再生への軌跡-」という本になりました。 この本はネットでも買えるようになりました。 駅舎の1階に入ったあたりは狭くて、少し暗い感じがしました。
周辺を明るくするため? うちの選手達が「かよエール」を宣伝しています。
駅から少し西寄りに、月形や新篠津へ通じる道路があって、昔は踏切だったけど今はアンダーパスになっています。 最近はアンダーパスを通ると、壁に「水没注意」と書かれている場合が多くなりましたね。 水没せず無事に通り抜けた場所にある、このアパートに住んでいました。親の職業がバレバレですが。以前は列車が出入りするのに加えて入れ替えもあったりしたため、踏切がなかなか開かずに困ることもありました。当時は北海道のJRも電化するとかいう時代で、幌内線や万字線が残っててSLも現役で走っていました。 駅裏の操車場の一角にあったこの建物は「機関区」だか「客貨車区」と呼んでいたと記憶しており、廃虚のように見えなくもないですが、「レールセンター」という名称で現在も稼動しているそうです。
壁を飾っているのは、どう見ても北炭のマークのようだな・・と思ったら、元々は「北海道炭礦汽船鉄道岩見沢工場」だったとか。→そらち 産業遺産と観光 文字通り歴史の重みを感じる、レンガを積んだ重厚な造りで、新しい駅舎の壁に使われているレンガとは雰囲気がまるで違います。
鉄道関連の遺産として、2008年に経済産業省がまとめた「近代化産業遺産」のリストに盛り込まれています。 周辺にあった操車場も、今は必要無くなったので原っぱになっていました。
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