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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2014年01月27日
昨年の元日に投稿した年頭所感?「アクセス変遷と将来予測」という記事で、このブログの2013年以降の投稿記事数の予定やアクセス数、および記事あたりアクセス数の予想を公表しましたが、その頃にオフィシャルブログのサーバーが移設されて、データの均質性が失われてしまいました。
これが昨年の年頭に目論んだ、投稿記事数の予定とアクセス数の予想で、2012年までは実績値、2013年以降は予想値を示します。 それから1年の月日が流れた後に、2013年分の実績も加えてプロットし直してみると、
投稿記事数はほぼ予定通りに減らせたものの、アクセス数の方は全く似ても似つかない(というか、煮ても焼いても食えないほど)マズい結果になりました。 この原因はひとえに、サーバーの移設に伴ってアクセス数が減ったことに因っているものと解釈するのが妥当でしょう。 アクセス数をカウントし始めた2005年5月9日以来(足かけ8年間)のアクセス数を藤色でプロットしましたが、変動が大きいので平滑化した線(紺色)を眺めてみると、一昨年の年末に大きなギャップが生じています。(回帰曲線は3次関数)
これを見せるために1年間のデータが蓄積されるまで待っていたとも・・ただし「減った」というのは見当違いで、それまで不自然に増えていたのが「元に戻っただけ」だろうと考えました。 他にも、突然にアクセス数が急上昇しているように見える時期が何ヶ所かありますから。 それらのタイミングを境にして何らかの補正を施せば、ギャップが目立たなくなってスムーズに繋がるのではないかと思えます。 そこで、2006年から2012年までのアクセス数にある係数を掛けてみて、スムーズに繋がるような係数を探しました。 何種類か試行錯誤した後、2006年から2012年までの補正係数として、それぞれ 1.0、0.8、0.6.0.5、0.4、0.4、0.4 を採用して補正した結果を示します。
これなら不自然なく連続しているように見えます。 仮にこれらの補正係数が正しいとすると、近年は真値の2倍以上の大きな値に水増しされていたことになります。 ならば次の段階として、それらの係数を用いて年間のアクセス数も補正してみてはどうか、と考えを発展させた結果が下図で、
ちょっと補正し過ぎたかも知れませんが、滑らかな変化になりました。 2014年と2015年の予想値は改めて設定し直しましたが、今年は記事の投稿間隔を7日程度に設定しており、玉置宏の如くご無沙汰する予定です。 ついでに、投稿した記事の文字数も調べてみました。 文字を一々数えるのは大変なので、原稿を保存したテキストファイルのバイト数(の半分)を目安にします。 全角と半角の文字が混じっているから半分よりは多いかも知れないけれど、画像のファイル名とかリンク先のURLなども原稿に含まれているので、両方の効果を打ち消せば大雑把に半分だと捉えて構わないと思います。 年間に打った文字数と、記事一題あたりの文字数の変遷を見ると、
これは補正の必要が無い(誤魔化せない)数値だし、特に不自然な変化は見られません。
最近困ったのが、昨年11月26日号の週間アクセスランキングで、アクセス数が正しくない上に、アクセス数と順位との関係が乱れています。 面倒だから翌週の集計作業と一緒に直すのかと思ってたら、いつま~で待っても直らない・・♪犬の~お巡りさん 困ってしまって ワン ワン ワワン・・。
2014年01月22日
根室・網走遠征の2日目(10/12)の夜は、開陽台で宿営しました。 ここは昔からトイレも完備していて、泊まりやすいポイントでした。 ただ駐車場まで通じる一本道だった道路は、観光バスがスムーズに行き来できるように上りと下りのルートが別々になりました・・そんなに賑わうのか。
昨夜は予想通り冷え込み、上標津や根室中標津では明け方の最低気温が5℃ほどまで下がりました。ベンチコートを持ってきて正解です。こんな時期にテントで泊まってるライダーもいましたが。 開陽台のキャッチフレーズとして「地球が丸く見える」という表現があるけれど、地球は元々丸いのだから「丸く見える」のはアタリマエ。 四角い物体が丸く見えるとか、丸い太陽が日出時に四角く見えるのなら意味があるけど。
言うとすれば、「水平線が湾曲してる」とか「地球の丸さを実感できる」という表現が妥当なはずで、開陽台に立っただけで地球全体を見渡した気になってはイケナイ。 冒頭にリンクした中標津町のページには「地平線が文字どおり丸く見え」と書かれているのに、そこに掲載されている写真でも地平線は湾曲せず直線に写っています。(他にもツッコミ所が満載) 昔はただ材木を組んだ櫓が立ってるだけだったのに、今は電気も通ってて2階建ての展望台の中にはレストランや土産物屋もあるし(営業は夏場の昼間だけ)、周囲にアンテナが林立して隔世の感を禁じ得ません。 ・・と半ば呆れながら屋上のテラスに上って待っていたら、根室海峡から太陽が昇ってきました。(←四角くは見えない)
今日も順調に調査が進むような気がします。(←気がするだけ) 標津岳方面の山肌がモルゲンロートになりました。
寝心地が良いマトモな宿に泊まってたら、こんな景色にはお目にかかれません。 ところでこの展望台は、円柱形をしてて南側に入口があり、北側の階段を上って周囲のテラスに立つんですが、あたかも
札幌ドームコロシアムのような雰囲気の構造です。中央のステージで
コンサドールズ天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊るような。(←天の岩戸) 階段の手摺の延長上に、こんな突起物がありました。天文をやってた人間ならすぐに見当が付いて、根元にあるV字形の溝から先端にある針の頂点を狙えば、その延長上に北極星が見えるカラクリになっています。
まるで、ライフル銃の照門と照星の関係だ・・明るいから星は見えなかったけど、間違いないね。 だとすると、テラスへの上り口が真北を向いていて、ステージへの入口が真南を向いてることになります。 ・・じゃぁ東西は?・・と思って見回してみると、テラスの縁に避雷針が2本立っていて、それらが真東と真西を向いてるんですねぇ。ふむぅぅ。
さらに想像を逞しうするならば、展望台の直径が地球の直径の100万分の1の寸法になってるとか、コロシアムの傾斜がこの地点の緯度(43°36′49.0”)に等しく、夏至の日に南中した太陽の光線がステージの中央を照らすとかいう、凝った設計になってるのかも知れません。 そうかっ!・・この構造物は、現代人が作ったストーンサークルに違いない!・・とガッテンし、頭の中で渦巻いていた全ての疑問が腑に落ちる音が聞こえました。(←ストーン)
この辺の道路って、直線が続く上に風を遮る樹木なども少なく、地吹雪が起こると視界が悪くなるし吹きだまりも出来るしで、昨冬の3月には中標津町の5名を含む計9名が死亡しました。 道路管理者は以前から吹きだまりの状況などを調査して対策を講じており、今年も防雪柵の新設や道路標識の改善などを進めていますが、何しろ広大な平地を網の目のように走ってる道路ですから、全ての危険箇所を一気に片付けるのは無理な話でしょう。 「北の道ナビ」というサイトでは、今冬から「吹雪の視界情報」を提供することになりました。 視界の悪い地域を色分けして示すもので、このようなサイトを有効に活用したいものです。 視界の状況によって目的地までの所要時間が変わる状況をシミュレートできるのが、個人的には面白いと思いました。 気象台から発表される気象情報も、「見通しがきかない猛ふぶき」とか「車の運転が困難」などという表現に変えていましたが、今冬からは「数年に一度の猛ふぶき」とか、「外出は控えてください」などのキーワードを使うこともあるそうです。(報道発表資料:PDF) でも、自然現象から自分の身を守って長生きしたいならば、他人に頼るよりも臆病になることが一番です。
2014年01月17日
根室半島のアメダス探索も無事に終えることが出来たので、根釧原野に戻って別海を目指す途中、春国岱の傍にある道の駅「スワン44ねむろ」に寄りました。GONではなくSWAN44ですと。
入口ではカムイチカップ(神の鳥)であられるシマフクロウがお出迎えしてくれたので、思わず跪いて礼拝してしまいました。(一部に脚色あり)そっと触れると幸福が訪れるらしいですが、そんな大それた不敬な行為は出来ません。 背後の窓ガラスに写ってる鳥の影は、衝突防止用のシールです。 目の前に広がるラムサール条約登録湿地「風蓮湖」には、道の駅の名となった白鳥を始めとしてカモやシギなど様々な野鳥が飛来しており、全面ガラス張りの窓はバードウォッチングに最適です。暖かい部屋の中から鳥見するなんて邪道かも知れませんが。 道の駅にはオリジナルキャラクターである「しまちゃん」のパネルが立っててギョッとしましたが、ショップで一押しの「しまちゃんクッキー」にそそられてしまい、
収益の一部が「シマフクロウ基金」(日本鳥類保護連盟釧路支部)としてシマフクロウの保護に役立てられるとあっては、車に積み込めるだけ買い占めたい衝動に駆られます。(一部に・・) 箱の蓋は、本の表紙みたいに左側に開きます。 積み込めるだけとか言いながら、他のお土産も買うんですけど・・これは「エトピリカのたまご」
タマゴ用のパッケージに6個入ってて(詳しいレポート)、卵だけをさらって行くのも気の毒だから、生みの親であるエトピリカ(ぬいぐるみ)まで一緒に引き取ることにしました。買って財布の緒を締めよ。←手遅れ 何しろ納沙布の探索に手間取って昼食を食べ損なってしまい、併設のレストランも込んでたので、クッキーや卵を食べ比べながら野鳥を眺めていました。 たとえ菓子であるとはいえ、絶滅危惧IA類(CR)に指定されているエトピリカの卵を、日本野鳥の会の会員が食べるというのも不謹慎な話ですが、背に腹は代えられません。(北海道RDBでの呼び名は「絶滅危機種」)
厚床を経由して別海までの中ほどにある奥行臼(おくゆきうす)に寄りたいんですが、腹と気分が落ち着いて安心したせいか注意力が足りなくなり、通り過ぎてしまうところでした。 ここは「旧奥行臼駅逓所」で、別海町内に9ヶ所あった駅逓所のうち現存する唯一のものです。明治43(1910)年に設置されて以来100年以上の年月が経ち、平成23年には国指定史跡となりました。
右側に増築された2階部分の客室は凝った造りで良かったな。 こちらは勝手口と台所
裏手にあった倉庫と馬小屋2棟も、北海道指定有形文化財になっています。 この施設は毎年5月~10月の間だけ公開していましたが、この年の10月末まで公開した後は改修工事のため5年ほど休館するんだそうで、ギリギリなタイミング(10/12)に見学出来てラッキーでした。 確かに、土台が腐ってきて床や壁が傾いたり軒が波打ってるし、歩くと床板が軋むどころか沈みました。5年後にどう変わっているか楽しみです。←失望する場合が多い。 近くに、旧標津線の奥行臼駅が残っています。(参考記事)
駅舎だけではなくて、構内全体が別海町の指定文化財として保存されています。 待合室を通って改札を抜け、指差確認してからホームへ渡りました。
向こうに面白い建物が見えます。 これは宿直室のようでもあるけれど、宿直室ならば駅舎につなげて建てるはずだし、屋根に乗ってるのは湯気抜きに見えます。
春別駅で使用されていた共同風呂を移設したんだそうな。
アメダス探訪「別海」の巻(2013/10/12) 街外れの運動公園(町営パークゴルフ場)へ向かう道路の脇にありました。周囲に障害は無く、後方の建物は「別海ファミリースポーツハウス」という室内ゲートボール場だとか。
内部にゲートボールコートが3面あって、「寒い冬でもゲートボールを楽しむことができる施設」とのこと・・そうまでしてゲートボールをせねばならんのか?とも思いますが、冬の間は他にすることが無いんでしょう。 逆光だから、指で太陽を隠しながら撮影して後でトリミングするという、高等なのか原始的なのか分からない技術。
超音波式の積雪深計:多い年は80cm以上積もるらしい。
風速計:南南東くらいに見えるなぁ。
日も傾いてきたので、暗くなる前に次の上標津に着かねば。
アメダス探訪「上標津」の巻(2013/10/12) 上標津は10年前に計根別から移転してきた比較的新しい観測点で、別海から50km以上も離れてて釧路地方との境界に近いです。 地図上には何の建物も記されていなくて、一体どんな土地にあるのか見当が付きません。 緯度・経度値に基く┼印が落ちた地点へ向かう道順が複雑で、分かりやすい道は遠回りになって暗くなる恐れがあるから近道を進むと、標識もあまり出ていません。根釧原野って距離感が狂うから地図上で距離を測って曲がるんですが、やっぱり一つ手前で曲がっていたと気付きました。 いい加減に暗くなってしまい、今日のうちに見つからなくても明日改めて探せば済むだろうと思った頃、シマフクロウが訪れるという養老牛温泉へ向かう道路の脇に見つかりました。これも道の駅で礼拝した、シマフクロウの神様のお導きでしょう。 どうやらここは浄水場のようで、この程度の建物なら地図に載っていなくても不思議はありません。
浄水場のアメダス地点は5ヶ所目かな。 施設内に立ち入る必要は特に無くて、
敷地に巡らされた柵の外側を回り込み、
観測エリアに着きました。
風向風速計は西を向いていて、風は弱いです。
17時過ぎに今日のミッションが辛うじて終了し、雲一つ無い空に上弦の月が煌煌と輝いています。
こんな原っぱで晴れた夜に風が弱かったら、明日の朝は冷え込むに違いない。 今夜は養老牛温泉に泊まれば良いかな・・でも翌朝は早く起きたいのに寝心地の良い宿に泊まってると寝過ごす恐れがあるから、夕食の後に開陽台へ向かいます。
2014年01月12日
アメダス厚床の次に根室へ向かう途中で、太平洋に向かって盲腸のように突き出ている落石岬に寄りました。 続いて西和田や花咲にも寄って歴史を勉強し、さらに根室市近郊の遺構なども探索してきました。
落石岬の灯台を見物する訳でもなく、サカイツツジの群落を鑑賞するためでもありません。車止めからしばらく歩くと、こんな廃墟があります。
石碑には開局時(明治41年)の名称である「落石無線電信局之跡」と記されていますが、読み難いので木製の標柱の方を載せます。
こちらには後の名称:「落石無線送信所跡」と書かれています。 この無線送信所は、1929年にヤクーツクを飛行中だったドイツの飛行船ツェッペリン号と日本初の交信に成功したとか、1931年にアラスカからカムチャツカ半島、千島列島を経て根室に向かっていたリンドバーグ機の不時着を知って救助要請を通報したとか、1939年には太平洋無着陸飛行中のリンドバーグ機を無線によって誘導した、とかいう由緒のある施設です。 現在は根室出身の版画家・池田良二氏の個人スタジオとして使われているそうで、玄関の上にイニシャルの「R・I」をデザインしたマークが掲げられています。
2011年はリンドバ-グ来日80周年に当たり、この廃墟の内部に版画の作品や銅版を展示するなどの企画展「落石計画」が開催されて、リンドバーグ夫妻の二女であるリーヴ・リンドバーグさんからお礼の手紙が届いたそうです。 これは無線用鉄塔の台座だったのではないかと思われます。
裏から眺めるとこんな佇まい
訪問時は時期外れなため、窓なども閉ざされていました。 周囲には送信所の付属施設の土台などが残っています。
これは専門分野だ・・換気扇用の穴まであるし。
残雪を踏み抜いて、こんな穴には落ちたくないもんだな・・。 車止めの横にバイオトイレがあって、研究対象ですから調査しました。
使用後にスイッチを押すと、除雪機のようなブレードが回転して試料がオガクズと一緒に攪拌され、微生物によって分解されるそうです。 あいにく、実証用の試料を投入できる体調ではなかったのが残念ですが、室内は全くの無臭でした。 便座の下でブレードが回転してる場面も撮影したんですけどぉ・・。
昆布盛の先に西和田という地区があり、ここに「和田屯田兵村被服庫」があります。屯田兵関係の遺構はあちこちに残ってますが、現存する被服庫はここだけです。ただし、野幌の第二中隊本部の裏手にも、小さな被服庫が修復・保存されているとか。(未確認) 和田屯田兵が入植する前年の、明治18年頃の建造らしいです。
アメリカ開拓時代の建築様式を、お雇い外国人が北海道に導入したもので、バルーンフレーム構造は時計台と同様の様式だと説明されるよりも、モデルバーンに似てると言われた方が納得します。 普段は無人で、見学希望者は電話しろと書かれていましたが、時間が無いので窓から内部を撮影します。
かなり年季が入った建物で何度か移設されているしで、土台は腐りかけています。
隣には和田小学校の校舎と古い校門がありましたが、
平成18年に閉校しています。→学舎の風景
続いて花咲にある「根室市歴史と自然の資料館」を見学するために花咲の街を通過しようとしたら、ちょうど祭りの日だから通るべき道路に屋台が並んで通行止めになっており、見知らぬ街で迂回させられると方向感覚が狂ってしまいます。 北方領土に近いだけあって、ロシア語の看板がかかった店(会社?)もあるし、ロシア人(多分)も街中を歩いていました。 左奥が「根室市歴史と自然の資料館」で、右が花咲港小学校です。この資料館は旧海軍大湊通信隊の根室分遣所だった建物で、終戦後は花咲港小学校としても利用されていました。 ここにはラクスマンの根室来航関係の資料や、樺太の北緯50度に設置されていた旧日露国境の標石などの資料が展示されています。 しかし樺太に立っていた国境標石が、稚内じゃなくて根室にあるというのも相応しくないような・・。 国境関係の文書類の展示には力が入っていました。個人的には、奥にある収蔵展示室(というか物置)のような部屋の方が面白かったです。
ここにお目当てのケーブルがありました。
スキー場のリフトに使われていたケーブルのようにも見えますが、これは明治33年頃に根室市と国後島との間(距離30km以上)に敷設された海底ケーブルで、当時は電信回線が択捉島の北端近くまで繋がっていました。 1945年の旧ソ連軍侵攻の際も緊迫した島の状況がリアルタイムで根室側などに伝えられましたが、旧ソ連軍に占拠された択捉島との通信が同年9月に途絶え、間もなく国後島とのケーブルも切断されたそうです。
その海底ケーブルの根室側の上陸地点を見てきました。 根室市内を流れるハッタリ川の河口(ハッタラ浜)に陸揚庫が残っているので、駐車スペースに車を停めてどこかなぁ?・・と思ったら目の前にありました。ここが海底ケーブルの出口(というか入口)でした。 鉄筋コンクリート製で造りは頑丈なんだけど、ホントに「跡形が残っている」という程度の廃墟です。
ケーブルが切断されて陸揚庫の役目を終えてからは荒廃が著しく、近くの漁家の倉庫に使われたこともあるとか。
根室市が買い上げて保存する方針を決めたらしいですが・・。
根室市の郊外・友知の近くで国道から逸れて砂利道を進むと、ケーソンのようなコンクリートの塊が並んでいます。→根室半島のトーチカ群についてこれも当然、造りだけは頑丈で銃眼も残ってましたが、草が深かったので近付きませんでした。
向こうの丘の上には自衛隊のレーダーが設置されていて、対照的な光景でした。
日いずる町というか国境の町・根室市を後にして「穂香」(ほにおい)まで来ると、北海道立北方四島交流センター「ニ・ホ・ロ」がありました。ここに寄る予定は無かったんだけど、再び訪問することは無いかも知れないので寄ってみました。 道立だけあって建物は立派ですが、展示はイマイチ・・2階の北方資料館の展示室が面白かった程度です。(規模は小さいけど) 無料の展示観覧よりも、貸し室を有料で利用されることを期待している施設のようです。 ウズベキスタンの民族衣装を着て記念撮影できるコーナーがありました。
お約束のトイレ探査
二か国語の併記ならともかく、ロシア語の表記だけでした。
意味は「トイレを汚さないようにしなさい。」←最後の単語だけは分かるでショ。笑 「穂香」という地名も好きだけど、昔この辺を走ってた時に場違いと思えるほど上品なレストラン(オーベルジュ)があって印象に残っています・・ここみたい。 でも「ニ・ホ・ロ」で時間を食って急いでたせいか、今回は気付かずに通過してしまいました。
2014年01月08日
厚床から国道を離れて道道1127号に入り、落石や花咲を経て日いずる町・根室へ向かいました。 アメダス以外の途中の寄り道については、後日の記事で紹介します。
アメダス探訪「根室」の巻(2013/10/12) 根室合同庁舎:信号待ちのタイミングに撮影露場は庁舎裏の駐車場の隅にありました。
根室では高層観測をしてましたが、測候所ではなくなってしまいました。
居住まいを正して並ぶ測器達
視程計と根室湾
屋上の風速計など
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根室市の郊外で寄る所があって、砂利道(というより砕石の道)に入ったら思いっ切り腹を擦ってしまい、車体も精神もダメージを受けましたが、気を取り直して先へ進みます。 ここは珸瑤瑁(ごようまい)小学校で、明治32年に開校した日本最東端の学校です。正確には「でした」と言わなければならず、後に出てくる温根元小学校などと統合してこの年の3月に閉校したため、統合先の歯舞小中学校が最東端の学校に代わりました。→47ニュース、朝日新聞 北方領土から、距離にして5kmほど後退したことになります。 北海道地図の根室半島に記された赤丸の位置は、もう少し先端に近いはずですが。
校歌の歌詞は、一番から四番まで全て「東の東」で始まっています。
因みに最後のフレーズは、それぞれ「強く正しく育つのだ」、「明日をめざして進むのだ」、「世界の海は続くのだ」、「うまずたゆまず磨くのだ」と結ばれています。 校舎の脇に、古い校門が残っていました。
校庭から東の東を望めば、2km先にある納沙布岬に立つ「望郷の搭」がよく見えます。
こんな東の果ての地から、2009年の全道フットサル選手権(U-12)の根室地区予選を勝ち上がって、珸瑤瑁FCチームが全道大会に出場してきました。→ブログ記事 一生に一度の修学旅行みたいなもんですかね。 納沙布岬まで来ました。
目の前に珸瑤瑁水道が広がって、世界の海へと続いています。 今回の調査旅行では、アメダス地点を発見できないと再び出直して来るのが大変なので、天体観測に使う視界が広くてクリアな双眼鏡も持って来ました。 国後島も撮影したけど見栄えが悪いので、貝殻島灯台だけを掲載します。
参考として北方領土の地図を(笑
納沙布岬にある交番の屋根に、見張台が乗ってました。
次なる目的地のアメダス納沙布へ向かう途中、廃校となった温根元小学校(前述)の校舎がありました。
![]()
アメダス探訪「納沙布」の巻(2013/10/12) 勘違いされやすいけど、納沙布のアメダス地点は納沙布岬にあるのではなくて、5kmほど西に離れたトーサムポロ岬へ向かう途中にあります。 この交差点(会館のバス停)で曲がって岬へ向かえば見つかるはず・・だったのに、これが難儀しました。 岬を巡る道をぐるっと一回りしてもアメダスは見つからず、正午を過ぎたけど昼食どころではありません。 周辺を行きつ戻りつして「こんな東の果てまで再び出直して来るなんて、真っ昼間ごめんだよ・・」などと、悲壮なのか空腹でハイなのか分からない状態でさ迷ってるうちに、やっと見つかりました。
道路よりかなり低い土地にあるんだもの、いくら風速計のポールは高いったって見えませんよ。 砂利道に入って進むと、魚網置き場のような土地の脇に立っていました。
出漁の可否を示すのか赤旗(not某機関紙)と、右方向に望郷の搭も見えました。 でも何となく、処遇が悪くて虐げられている感じ・・。
場所が場所なだけに、雨滴なんか入り難いだろうなぁ。
まぁこの地点は、風さえしっかり測ってもらえれば。
プロペラが止まって見えるけど、昼過ぎには10m/s近い風が吹いていたもよう。 一安心して根室に戻り、寄り道しながら内陸に進んで次の別海を目指します。 この日、「今日は試合会場で見かけなかったから、体調でも悪いのかと心配しています。」というメールが携帯に届いたので、「納沙布岬からロシアに亡命しようかと思って、根室方面を放浪しています。」と返信しておきました。笑
今年のCPPは・・Zepp Sapporo の会場に1,800人も入った状況を想像し、そこで2時間も立ちっ放しな拷問観覧には堪えられないので申し込みません。探さないで下さい。
2014年01月02日
こんな名前の新たな外国人選手を獲得する、とかいう類の話ぢゃないのでオットセイ(アシカにあらず)。←正月からこれだもの。
10月半ばの連休に、最後まで未調査で残っていた根室地方や網走地方のアメダス地点を探索してきました。
あちらの方面で残っているアメダス地点は21ヶ所あり、往復する距離が長いから1泊2日の旅を2回繰り返しても効率が悪いし、そう頻繁に行ける地域ではないから色々な文物をゆっくり見聞したいしで、2泊3日かけて一筆書きのように回ることにしました。
調査漏れを生じないように、しかも時間的ロスの少ない行程を考えるのも大変だけど。
寄り道が多いとなると、1日に見て回れるアメダス地点は6~8ヶ所でしょう。
この調査旅行さえ順調に終われば、道内(本土)のアメダス地点をほとんど踏査したことになり、離島の6ヶ所を加えても未調査地点は10ヶ所程度に減る目論見です。
金曜日の夜に自宅を出発し、十勝の浦幌まで駒を進めて眠りました。 アメダス探訪「茶内原野」の巻(2013/10/12) 野外生活の基本として明るくなったら行動開始、とは言っても秋分を過ぎて夜明けが遅くなったから、浜中町の茶内に着いたのは6時半です。 JRの駅とは反対側に曲がって内陸へ向かって進み、原野というくらいの地名だから、どんな寂しい場所に立ってるのかと思ってたら、確かに僻地でした。ここは浜中町の「茶内第三小学校」です。 「茶三」というデザインの校章が付いた学校の玄関
校庭の向こうに教員住宅らしい家が見え、庭先にアメダスもありました。
柵も何も無いけれど、校長先生の官舎の前で悪い事をする子供はいないだろうし。
校舎よりも高く聳える雨量計(笑)
道路の脇に、古い校門が残っていました。
実はこの学校、平成21年に閉校しています。(開校は大正13年) 学校へ曲がる角に地区の案内板が立っていました。1軒ずつ、世帯主の氏名が書かれています。
なんでルパン三世が案内するの?と思ったら、作者のモンキー・パンチ氏は浜中町の出身だそうで、JRなどではルパン三世のラッピング車両も走らせてるらしいです。→ラッキーな例 踏切で信号待ちしてた時に通った列車は普通の車両でしたが、街中でタクシーのラッピング車両とすれ違いました。 次なる目的地へ向かう途中、霧多布湿原を見下ろす高台にある「霧多布湿原センターに寄りました。
霧多布湿原ナショナルトラストの会員になってるから入館無料なんだけど、朝7時半から開いてる施設など有るはずもなく。 茫洋たる湿原を眺めながら周囲を散策してると、あら。
鹿とイルカですか?
アメダス探訪「榊町」の巻(2013/10/12) 湿原を横切る「MGロード」という道路を通って海岸に出ると、予想通り「榊町小学校」(の向かい)にありました。134年の歴史を誇りますが、この年の3月に閉校しました。(ここもかっ!) アメダス地点の内陸側には、教員住宅やグラウンド、バックネットが残っています。
こちらは旧体育館と校舎(背後)
似たような電柱も立ってますが、特に立地上の問題はありません。
校舎の前に、百年記念碑と閉校の碑が立っていました。
右端に見える小さな碑には、「競進小学校之跡」と刻まれています。(経緯)
元々この学校は1879(明治12)年に開校し、最初は「競進小学校」という名前だったけど、明治39年に榊町尋常小学校と改称したそうです。 これで釧路地方のアメダスは全て踏破しました。続いて根室地方へ向かいます。
アメダス探訪「厚床」の巻(2013/10/12) 予想通り、厚床中学校(の教員住宅の横)にありました。周囲に高い物体はありません。
積雪深計は超音波式です。
この辺に積もる雪の量は知れてますけど。(平年の最深値は46cm) 珍しく、測量用の標石と電子基準点とが同居していました。
校舎は平屋で、校門の横に立ってる相当な樹齢の丸太の方が看板として貫禄があります。
その隣に「厚床家畜市場跡」という標柱が立っていて納得しました。
最初は校舎の隣にあるこの敷地に入ってしまい、何だろう?と思ったのです。
黒い石碑に綴られた由来によると、「クロッケル號之碑」、「馬頭観世音菩薩像」、「畜産功労者之碑」とのこと。 「クロッケル號」とは明治17年にアメリカから輸入した種雄馬で、品種改良の基礎となったそうです。 馬頭観音像はあちこちにありますが、これだけ大きくて文字通り馬の頭上に三面観音が載っているのは初めて見ました。元々は昭和5年に競馬場に建立されたもので、偶然か必然かその年は午年です。 畜産功労者(7+21名)の氏名は省略します。 さて本日のメインテーマ(笑)、このバス停は何と読むのでしょう・・「アットコック・ヒューガッコ」としか読めません・・もしかしてロシア語?でもないし。
中学生ならばローマ字を読めるはずで、直されずにそのまま残っているということは、古い物を大切にして先人を敬う精神の現れなのでしょう。
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