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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2014年05月24日
本命のミッションとしてアメダスの佐呂間と置戸常元を探索するついでに、遠軽町や網走市、北見市の周辺にある遺跡を見学してきました。 ほとんどの施設は、かな~り昔に見学したことがあるんですけど、予習・復習は(老化防止のため)大切ですから。 昔はぐにゃぐにゃだった北見峠を越えて、天狗岳にあった北大雪スキー場まで何度も行ったし、高山植物が多い平山に登ったこともあります。
直線になった分、退屈にもなった旭川紋別道を白滝ICで降りて、遠軽町の白滝地区(旧白滝村)にある「白滝ジオパーク交流センター」を訪れました。ここは昨年オープンした遠軽町役場白滝総合支所で、2階に「遠軽町埋蔵文化財センター」があります。 白滝地区の周辺には古代に黒曜石を採取していた露頭があり、黒曜石(主成分はSiO2)の石器工場や石材の一大産地だったから、文字通り「シリコンバレー」と呼ぶべきハイテク地域だったはずで、ここの黒曜石はサハリンや新潟県にまで運ばれているくらいです。 他にも、地質鉱物や地理、文化などを現地学習できるジオサイトがたくさんあります。
露頭から黒曜石を採取するのは禁止されているけれど、河原を歩けばいくらでも黒曜石が転がっています。それが黒曜石だと見分けられれば、の話ですが。 玄関前の柱は表面に黒曜石を貼り巡らしてありました。白滝産の黒曜石には、茶色の石も多いのが特徴です。
道内では他にも、有珠山や三笠、アポイ岳にジオパークが設けられています。 館内を巡ってると、見覚えのあるポスターが。笑
これは一昨年の防火ポスターですが、幸いにもここに写ってる選手達は今期も在籍しており、背番号も同じなので違和感なく使えています。(祝!J1昇格!・・という文字は見て見ぬフリ) 当然ながら石器時代の遺跡がたくさんあって、膨大な石器が出土しています。右奥の山頂部に描かれているのが黒曜石の露頭だろうと思います。
しかし川の中州のようなぬかるみは、重たい象ならば足を取られて歩けないはずで・・そんな恰好の獲物を見過ごして石槍なんか作ってる場合ぢゃないですよ。 溶岩が噴き出して冷え固まり、黒曜石が出来る様子を説明する映像が、壁と床をスクリーンにしたシアターに投影されます。
展示室の床に作られた黒曜石の道
出土した石器の破片をジグソーパズルのようにつなぐと、元の石の形を復元できます。
気が遠くなるような作業ですけど、どうやって石の塊から石器を打ち欠いたかが分かり、地域によって技法が異なります。 遠間栄治氏が発掘した資料を展示していた、私設の遠軽郷土資料室の看板が残っていました。
そもそもここに展示されている遺物は、遠軽町の「太陽の丘えんがる公園」にあった資料館で見た気がします。
そこで、遠軽まで足を伸ばして「先史資料館」に行ってみると、閉館していました。やはり、展示していた資料は白滝の埋蔵文化財センターへ移管したとのことで、資料が出土した白滝村へ里帰りした形になります。 以前は、白滝村で出土した遺物を隣の遠軽町で展示していたことになりますが、現在の白滝地区は市町村合併で遠軽町の一部になったし産地のジオパークに近いし、という理由なんでしょうか。 ついでに、遠軽町の郷土館も見学しました。
背後の大岩は遠軽のシンボルである「瞰望岩(がんぼういわ)」で、アイヌ語の「インカルシ」(見晴らしの良い所)という呼び名が遠軽町の地名になったという由来だそうです。 田舎町の古い郷土館にしては(という言い方は失礼なほど)、丁寧に説明を付して整然と展示してありました。これで入館料150円では安過ぎる。 JR関係の工具:上の2本は、レールの間隔を測る軌間ゲージです。
元々は精密なゲージなんですが、それを使う人間が40mmの違いを放置しておいたんだから・・。 戦争中の遺物:かなり揃ってるし、今でも使えそうな保存状態。
町内の医師が使っていた医療器具
器具の名称を読むだけで怖いです。笑
町外れに、「六號野上驛逓跡」という碑があり、その隣に「愛馬四號之碑」という墓もありました。 瀬戸瀬(せとせ)地区の国道脇に、「山神」と刻まれた石碑が立っていて、
屋根まで設けられている石碑は珍しいです。 「山の神建立の由来」と書かれた碑文によると、
ここも前報で紹介した中央道路(囚人道路)ですから、突貫工事による犠牲者が多く出ました。 後に駅逓の管理人として入った人物が旧囚人宿舎を住居にした時には、裏手に67本の墓標があったとか。 夜毎に「助けてくれ」という声やうめき声が聞こえるし、洪水で墓標が流されてしまったので、山から運び出した石で碑を建てて供養しているそうな。 夜は道の駅「あいおい」で寝てましたが(続報)、そんな声は聞こえませんでした。霊感の無い人間ですから。
翌日は朝早く起き過ぎたので、時間調整を兼ねて方々に寄った後、昨年リニュアルした網走市の「モヨロ貝塚館」を見学しました。ここは「網走市立郷土博物館」の分館という位置付けですが、旧貝塚館は昭和40年に開館しています。 本館の方は「北見郷土館」として昭和11年に開館し、モヨロ貝塚からの出土品などが基礎になっています。設計は田上義也で、当時は画期的な建築だったんでしょうが、以前の訪問時には歩くと床がギシギシ言ってました。 「貝塚館」自体が貝塚の上に立っているので、周囲には遺跡が残っています。
奥に見えるのは復元住居で、オホーツク文化と類似したニヴフ人に依頼して建てたとか。 竪穴住居の発掘跡
右隅に集合しているのは熊の頭骨で、オホーツク文化人が熊を崇拝する精神が、アイヌ文化に継承されたとも言われています。 竪穴住居の跡地は、埋まり切らずに窪みが残ります。
これは墓地を再現したもので、
オホーツク文化では仰向け・屈葬の姿勢で埋葬し、頭に甕を被せます。その甕の底だけが地表に出て、墓の目印になっていたとか・・。 貝塚館で買った書籍などを入れてくれたビニール袋には、「モヨロ座」というシールが貼られていました。
どうみてもカシオペア座の形ですが、その並びを「M」に見立て、背景にはオホーツク式土器に貼り付けられた「ソーメン文」と呼ばれる特徴的な文様を描いてあります。
続いて、北見市常呂(旧常呂町)にある常呂遺跡も見学しました。 これは「ところ遺跡の館」で、外観は竪穴住居をイメージしています。周辺の「ところ遺跡の森」の中には、埋蔵文化財センターや復元住居が配置されています。
なぜに立入禁止なのかと思ったら、崩壊していました。
こっちの住居から古代人が出てきたと思ったら現代人でした。
萌
とかち鹿追ジオパークも
2014/06/04 21:01
鹿追町の周辺に、火山生成物や凍土地形、希少な生態系などを特徴とする「とかち鹿追ジオパーク」も設定されているようです。 http://www.shikaoi-story.jp/
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