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2014年05月18日

リベンジ佐呂間・置戸常元

昨年は発見できずに積み残してあった、アメダスの佐呂間と置戸常元をリトライしました。→ルクシ峠の事故と竜巻災害鹿ノ子ダムと旧武華駅逓

冬の間に十分な下調べをしておいたから確信を持てるし、峠道の雪も融けたので北見峠を越えて網走地方へ向かいました。

遠いとは言えたった2ヶ所だけだから1泊すると行程に余裕が出来てしまうので、ついでに他の地点もフォロー調査し、周辺の文化施設も見学してきました。

アメダス探訪「佐呂間」の巻(2014/5/3)

町の中心部に近い西富地区の研修所が立つ角を曲がり、畑地になった丘の上で並木の先に立ってました。
丘を越えて行こうよ

ただし並木からは十分に離れていて、ほぼ畑に囲まれています。
何の畑か、まだ分からない

逆光になってるけど敷地の全景
丘と林
雪が積もったら美瑛や富良野のような景色になるかも。

オホーツク海側だというのに、積雪は90cmくらい積もるようです。
温度計はまだ高い位置
住宅地が迫ってきているけれど、当分は大丈夫か。

風向風速計など:並木との距離はこの程度
向こうはルクシ峠

 
前回は通過した、竜巻災害の慰霊碑に寄りました。
7年半経ちました

裏に立つ碑文と犠牲者9名の名簿
自然災害の猛威

向かいの丸太を積んである空地に、プレハブの工事事務所がありました。
何事も無かったかのような

被災現場を峠の方向から:右端に写ってる柱とは別物ですが、道路の向かい側に立ってた道路標識の柱が、暴風で根元からポッキリ折れました。
田園地帯の平穏な光景
直径が30cm近くあるポールなのに、引きちぎられるように折れていて衝撃的な写真でした。

 
置戸へ向かう急勾配な丸山峠の手前に、傾いた怪しい案内柱が立っていて、
35度ほど傾いている
広い空地の端に碑が立っていました。

中央道路とは旭川から北見へ向かう道路のことで、昔は白滝・遠軽を経由して、生田原を通らずにこの峠を通って留辺蘂から北見に通じていました。
亡霊の影が写ってるよ←それは自分の姿
別名「囚人道路」とも呼ばれ、網走監獄の囚人を使役して過酷な土木工事を行なったため、多くの犠牲者が出ました。
北見地方には、この種の慰霊碑があちこちにあります。中には「鎖塚」とか「山神」と名付けられた碑もあります。


アメダス探訪「置戸常元」の巻(2014/5/3)

旧鹿の子温泉の少し手前で、道道から北側へ入る道があって、
白樺の道
既に正面の突き当たりにアメダスが見えています。

突き当たった広場に立つアメダス
ひっそりと佇むアメダスと碑
左側には石碑が立っています。

ここに置戸町の常元小学校がありました。→参考
50年以上も前の話
昭和37年に廃校となっています。
上にリンクしたページには教員住宅と思われる家屋が写っていますが、今回はありませんでした。

ここに校庭があったのかなぁ?
周りは全部グラウンドのようなもの

さてアメダスですが、ここでは雨量だけを測っています。
こっちが本命のミッション
北見地方って全般に雨量が少なく、北見や網走では年間800mm前後しか降りません。(札幌では1100mm、胆振中部では2000mm前後)

地形図に記されていた神社がここにあったんでしょう。
鎮守の森というか林
この地域の鎮守だったはずです。

 
道路に近い場所に廃屋が残っていました。
間もなく倒壊
でも、近くに新しい生ゴミが散乱していたりで不可解な光景。
鹿の子という地名になるくらいだからか、鹿の糞も落ちていました。

園芸植物が生えているのは明らかに人間が生活していた痕跡で、
自然には生えない植物
周囲には洗面器や湯呑茶碗、水道管、電柱などが残っていました。


翌日に、前回はあずましく写真を撮れなかった湧別に寄りました。

アメダス再訪「湧別」の巻(2014/5/4)
地震計と隣り合わせ
左横にある建物は地震計でした。

周囲は畑地で開けています。
畑ばかり・・タマネギか

風向風速計など
薫風香る爽やかな天候


さらに帰宅途中に、旭川空港にも寄りました。

アメダス再訪「東神楽」の巻(2014/5/4)

ターミナルビルの向かい側からアメダスに接近しました。
発着便も無く暇な時間帯

左側が雨量計と温度計など、右側が風向風速計(ダブル)で、
やはりここだった

これでも十分に近いけれど、双眼鏡で拡大します。
雨量計も2種類

大雪山を背景に左が視程計、右は計器着陸誘導装置(ILS)です。
仰角3度のグライドパス


posted by 雁来 萌 |07:11 | 気象細事記 | コメント(0) |

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