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2006年12月15日

湯明日田城への進軍

前編に続き、この話は妄想の産物ですから、お忙しい方は読む価値がありません。

当初は、本編と続編だけで終わるつもりで書いていましたが・・・チーム事情により終われなくなってしまいました・笑。
いつまで続くのか、誰にも分かりません。

さて去る9日、福蟻城を受け取りに向かった魂娑藩の軍勢が領地境に差し掛かると、市原藩の領地を横取りしようと企む越後の有備藩の兵が待ち伏せていました。
しかし、彼らの目的は当方の軍勢や戦闘能力を推し量るのが狙いのようで、直ちに攻撃してくる様子はありません。
警戒を怠らずに緊張しながら行軍しましたが、福蟻城に到着するまで市原藩士による抵抗もほとんど無く、門前で手形を簡単に確認しただけで入城することができました。
城内に入ると、先に入城していた有備藩の主力部隊は、弓矢が届かない距離を保って対面の城内に陣を張っておりました。

城内に送り込まれた市原藩の忍びの者どもによる徹底抗戦も懸念されましたが、隅の方に篭って両軍の戦況を窺っているだけで介入もせず、寒さに震えながら傍観しておりました。

金属的な音色を発する笛の合図によって合戦が始まると間もなく、有備藩に雇われている伴天連の部隊長・江地味嘘氏の不意打ちを食らい、魂娑藩は一気に不利な情勢に陥りました。

遊撃隊である砂川隊の奮戦によって形勢は逆転しましたが、切り込み隊長・富貴氏が手傷を負って戦列から離脱した途端に、防戦一方になってしまいました。
当方の戦術は部隊間の統一性が乏しく、連携した攻撃が出来ないので敵方に有効な打撃を与えることが出来ません。
ついには、近衛隊の佐藤氏が敵に内通しているかのような失態を犯してしまい、有備藩・矢野氏が魂娑本陣へ突入して総大将に打ちかかる場面もありましたが、小姓・大伍郎がこれを鉄扇で打ち返して事無きを得ました。

戦況は膠着して日も暮れかかってきたため、両軍による協議の結果、一騎打ちにて雌雄を決することになりました。しかし、相打ちが続いて双方互いに一歩も譲らず、なかなか決着が付かずに時間ばかりが過ぎていきました。
結局、魂娑藩・西嶋氏と有備藩・矢野氏との対決では、佐藤氏の加勢もあって矢野氏を討ち取り、ようやく魂娑藩が勝利を収めることができました。

佐藤氏は内通の疑いや失態の汚名を濯ぐことができ、魂娑陣内から発せられた勝ち鬨と共に、手荒い祝福を受けたのです。
城内では蝦夷の郷土を称える歌声と共に大旗がちぎれんばかりに打ち振られ、藩士達は気が狂ったように飛び跳ねておりました。

多くの犠牲を払ったものの、首尾よく福蟻城を確保することができ、これで城受け取りの大役を果たせたと胸を撫で下ろしたのも束の間、捕らえた有備藩の隊士を詰問してみると、実は奥州の仙台藩が、陰で有備藩を操っていたことが判明したのです。

かくなる上は、幕府に対する忠誠を示すためにも、仙台藩をも討伐せねばならなくなりました。しかし、仙台藩の本拠・青葉城は堅固な造作になっている上、金満な伊達家の軍備は我が軍とは比較にならぬほど強力であるらしく、易々と攻略できるとも思えません。止むなく、まずは仙台藩の北方の出城である湯明日田城を攻撃することにしました。

仙台藩に送り込んでいる「くの一」から届いた密書によると、湯明日田城内に潜入して探索した結果、既に魂娑藩が進攻して来ることを予想して、外敵を撃退する仕掛けなどを造り始めているとのことです。

かつて、その城が魂娑藩の出張陣屋だった頃には賤巣田陣屋と呼ばれており、御三家・水戸藩の安虎家を招いて蹴鞠の御前試合が行われたことが懐かしく思い出されますが、軍備を増強した伊達家による襲撃を受けて奪取され、湯明日田城と改名されてしまいました。
ここは青葉城から見て鬼門の方角に当たるため、この城を落とせば仙台藩にとっては精神的な打撃が大きい筈で、何としても攻略せねばなりません。

(まだつづく・・のか)

posted by 雁来 萌 |00:32 | 雑念 | コメント(0) |

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