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2011年07月14日

さわらの神に祟りなし

わざとじゃないけど、今回の記事番号は9と4の組合せですね、奇しくも。

もう半月以上前に去った6月26日(日)は、10時から夕張で北海道クラブユース選手権U-18の試合があり、14時からはドームでトップチームの試合(富山戦)がありました。
クラセンの試合が終わった後に急いで夕張から帰って来れば、余裕でトップチームの試合も見れるだろうと思って、ドームの駐車券を買っておきました。

ところが金曜日の夜になって、函館の親類が亡くなったとの知らせが入りました。
葬儀は月曜日だから日曜日のクラセンの試合は見れるし、ドームの試合まで見ていられるだろうから、なるべく時間をロスしないで済むような最短(距離じゃなくて時間)のルートを複数考えておきました。

何しろ、たまに避けられない用事があってトップチームの試合を休んだりすると、「また具合が悪くなって入院したんだべか?」とか「偉くなって転勤したのか?」とか、果ては「遂にくたばったか?」などと面と向かって(じゃなくても陰で)言う人がいるかも知れないから、オチオチ欠席していられないのですよ。

たとえキックオフまでは留まれなくても、ワンタッチパスをかざしてチケットを切れば入場者数にカウントされるから、それだけでも意味があるだろう・・

・・などと無い知恵を散々に巡らしておいたのに、悪い事(←何が?)は出来ないもんですねぇ・・夕張でクラセンの試合を待ってる間に、富山戦のチケットもドームの駐車券も持たずに出て来てしまったことに気付きました。爆

すっかり観念して自宅に直帰し、落ち着いて函館に持って行く荷物を整えてから暗くなる前に自宅を出ました。

翌朝:昨夜のお宿では、朝になるとチャイムが鳴りました。
サハラ砂漠のような砂原
モーニングコールもあるとは知らなかった。笑

かつての砂原町は森町と合併して、「森町字砂原」と呼ばれるように変わりました。
その砂原地区にある道の駅「つど~る・プラザ・さわら」・・の神に・・

同じ町内には他にも道の駅(YOU・遊・もり)があり、しかもこんな近くに位置していたら両立するのか?と心配にもなりますが、何分にも砂原は幹線から外れた場末なので、交通量が少なくて静かです。

 
亡くなった親類というのは父の弟である叔父さんなんですが、その自宅を訪れる前に、道路を挟んで向かいの北斗市七重浜7丁目にある「台風海難者慰霊之碑」(1955年8月建立)に寄りました。
慰霊碑:棺を象ってあるとか
これは昭和29(1954)年9月の台風15号(洞爺丸台風)による遭難者を弔う慰霊碑(通称:洞爺丸慰霊碑)で、横幅は11.6mあります。

周辺は公園になっており、それぞれの船が沈没した方角が示されています。
古墳時代には、カラスは黄泉の国への水先案内を務めていたとか

叔父さんは昔、旧国鉄青函局に勤めていて、連絡船の乗務員をしていました。
洞爺丸台風の日も初代の「大雪丸」という船に乗務してて、青森から函館に着いて貨客を積み替えた後は、洞爺丸の次の便として再び青森に向かって出港する予定になっていました。

函館港外に停泊していた連絡船7隻のうち、車両を積載していた5隻が沈没し、空船だった第十二青函丸と大雪丸だけが沈没を免れています。(でも機関と舵が故障して航行不能に)
別の船に乗っていたから遭難せずに済んだだけであって、同僚がたくさん殉職しています。(遭難の経過はこちらの記事に)

だから、退職した後は慰霊碑のすぐ近くに家を建てて住んでいたんですよ。毎日、慰霊碑と津軽海峡を眺められます。

何事もなく出港していくフェリー
海原は広い・・千里万里

 
「函館では先に火葬を済ませてから葬式をする」ということを、たまに叔父さんと会った時などに聞いていました。

仮通夜は先に親族で済ませておいて、当日はまず昼前に出棺して、火葬場へ行きました。
お骨が上がってきてから、会葬者と共に明るいうちから通夜を行い(1時間ほど)、続いて親類で告別式を行って別室で会食という、あまりメリハリ(一夜明けての切り替え)を感じない葬儀でした。

札幌オリンピックの聖火を運んだ連絡船「大雪丸」(2代目)の模型
サウンド銅鑼ック
出棺に際し、模型のスイッチを入れると汽笛とドラが鳴って、かつて連絡船が出航する時に放送されていた「蛍の光」が流れるのですよ。
なるほどねぇ・・これか。

火葬場へ行く霊柩バスの運転手さんから、「途中で故人にゆかりのフェリーターミナルに寄ります。」と告げられました。
でも、現在のフェリー乗り場は昔の連絡船の桟橋とは違うだろ・・と不審に思っていたら、貨物船の有川桟橋だった隣の埠頭で遺影を持った遺族だけがバスから降りて、対岸に停泊してるメモリアルシップの連絡船「摩周丸」を遺影に見せるんですよ。
見えたか イェ~イ
なるほどねぇ・・見えたかな。

想像の産物(画像はイメージです)
海峡の女王

 
しかし・・葬儀の前夜に走って函館まで行き、当日の夜にまた走って来て夜中に帰宅したから疲れましたね。
函館に1泊して翌日は観光しながら帰るという選択肢もあったけど、どっちみち雨天だし下調べもしないで来たから諦めました。
こんな企画展が行われていたなんて知らなかったよぅ・・どうせ8月にまた函館へ行くし・・その時も雨天だったりして。


明るい話題を一つ:以前から待ち焦がれていた通り、室蘭市と森町との間に「内浦湾横断大橋」を建設する方向で検討されているようです。
た・の・し・み~(←完成するまで生きてるつもりか?)

参考記事:室蘭―森間に内浦湾横断大橋建設へ


posted by 雁来 萌 |07:29 | 雑念 | コメント(0) |

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