カレンダー
プロフィール
作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
最新のエントリー
リンク集
コメント
検索
2011年06月09日
宮の森にある本郷新記念札幌彫刻美術館では、「抽象彫刻30人展-北の作家たち-」という展覧会が開催されています。 当館は2011年で開館30周年を迎えるため、その記念展の第1弾として7月10日までは「抽象彫刻30人展」が開催され、第2弾として7月16日から9月4日までは「具象彫刻30人展-北の作家たち-」が開催されます。 私自身は絵画にしろ彫刻にしろ、なぜか具象よりも抽象の方が好きでして、水曜日の通院が見込みより早く終わったので出掛けてみました。 ここは何度か訪れたことがあるので、大雑把な感覚に頼って走っていたら盤渓へ行きそうになり(笑)、それでも懲りずに地図を見ないで適当に走ってれば辿り着いてしまったというのも、神の導きなのでしょう。(おぃ)
展覧会のパンフレット名前が通った作者もいるし、イメージとは違う作品を出展してた作者もいるし、作風に見覚えがあるけど名前を知らない作者もいます。 何の素材を使ってるのかとか、どうやって作ったのかを想像するのも楽しいです。 受付で記名してからロビーに展示されている作品を眺めていたら、スタッフが慌てて寄ってきて「○○さん、65歳以上じゃないですよね?」と問われました。 65歳以上は今年から割引料金になるそうですが(以前は無料)、「いえ、まだそこまでは。△△歳です。」と答えてから・・そうだよな、平日にのんびり美術館に来るのはリタイアした年寄りくらいだもんな、と納得しました。 この美術館は、寄贈されたアトリエを記念館とし、隣接地に後から本館を建設しました。 本館では特別企画展などが開催され、今回の抽象彫刻の作品も本館の方に展示されています。 もちろん、展示室の内部は撮影できないので・・本館の前庭に置いてある出展作「あの日のケモノ道」は、中を歩いて通り抜けることができます。
地面に敷いたロープで水流を表現しているのでしょう。 右奥の作品は本郷新の作品「砂」で、その右奥のレンガの建物が記念館です。 記念館の内部には、彼の作品の石膏原型や制作道具、日用品、家具などが展示されており、2階の窓からの眺めは素晴らしいです。 吹き抜け部分に立っている石膏原型たちは、圧倒的な迫力があります。 モデルの美しさを形に写すのではなくて、美しい形を見出していくというか、美しいポーズを取らせる時点が勝負の第一段階なんだと感じました。 遺品の中に「彫刻十戒」という原稿があり、彫刻作品を製作する上での十ヶ条の心構えを書いた文章なんですが、彫刻だけに限らずどんな作業にも通ずると思いました。 本館の前庭に置いてある本郷新の作品「裸婦」と電柱と円山(借景)
電柱は彫刻作品ではありませんが(笑)、景観に配慮したデザインになっています。てっぺんのアームの取付け部が素晴らしいし、街灯まで芸術的です。 トランスを含めた電柱全体が一つの作品のようにも見え、落ち着いた薄茶色に塗られています。
美術館に通じる石畳の道路は「宮の森モール・彫刻の道」と呼ばれ、路上の樹の根元に本郷新の作品が据えられていたりして、1989年の札幌市都市景観賞に選ばれました。 宮の森には、建築費を邪推したくなるような邸宅ばかりが並んでいて、よそ者の庶民が門の前を通り過ぎるのは申し訳ない気になったりしますが、どのお宅もセキュリティーは厳重なようです。(笑) 今日は6月9日だから「ロック」、つまり家のカギを見直す日なんだそうです。 ・・ならば、毎月6日が「鍵の日」になるだろうし、毎月26日は「二重ロックの日」だろう・・と思ったら、実際にそういう引き合いに出されてるんだとか。 しまいには、5月6日を「語呂合わせの日」にし兼ねない??
2011年06月03日
先週の土曜日は、雨が降る前にと思って午前中に北大植物園の中を歩いてきました。 元々はその前の週末に企んでいたんだけど、ガッツリ雨降りで服も靴も濡れるから挫けてしまったのです。 かなり広い園内を歩き回ったので、相当のカロリーを消費したに違いありません。(←思うだけだったりして) ここの正式な名称は、(国立大学法人)「北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園」に変わったそうです・・・勘弁してくれぃ。 名詞のパーツを繋げて長ったらしい名前を付けるのなら誰にでも出来る訳だから、簡潔で、唯一性があって、名は体を表すような、知性を感じる素敵な名称を考え出すことにも知恵を絞って欲しい、と思うのですが。
管理棟:ずいぶんとモダンな建物だこと2階にある北方民族資料室には、アイヌなどの北方民族関係の資料を展示してあります。 こういう古臭い感じの方が好きなんだけどなぁ。
門衛所:これは国指定の重要文化財になっています。
宮部金吾記念館(旧植物園庁舎):これは登録有形文化財です。
折りしもライラックの季節で、市内ではライラックの花をよく見かけますが、
この株は北星学園のスミス女史が持ち込んだ、現存する中では最古のライラックだそうです。 虫食いが激しい樹・・虫歯を連想
コブだらけの樹・・コブ取りじいさんを連想
空洞化現象?の樹・・骨密度検査を連想
林内の樹木は、街中で普段見ている街路樹などよりも背が高くて、枝ぶりも伸び伸びと雄大に育っています。 これが本来の姿なんだよなぁ・・と思いながら、ここが札幌市の中心部であることを忘れてしまいそうです。 オシャレな葉っぱ:カメムシでも乗ってるのかと思いました。
中央部の建造物群が残るエリアに、「博物館」(旧開拓使札幌博物場) があります。
現役の博物館としては国内最古だそうで、重要文化財になっています。 入り口の横に置いてあるのは、明治6(1873)年にアメリカから輸入した機械製粉用の石臼(複製)だそうです。
これは蒸気機関を使ったんだろうけど、当時の民需用の製粉は水力を利用したはずで・・水車町という地名は、豊平川の支川の水力を利用した水車で製粉などをしてたことに由来するんだとか。 館内には、絶滅したエゾオオカミの剥製とか、色々と貴重な標本が収蔵・展示されています。 探しても撮影禁止という表示は無かったけれど、普通は撮影禁止だし写真に撮っただけじゃ役に立たないから撮りませんでした。 バチェラー記念館(右:登録有形文化財)と博物館事務所附属便所(左:重要文化財)
トイレの方が格上だよ(笑)・・建物を展示してるだけだと思ったら、後でHPを調べると実際に使用可能(水洗)なんだそうで、「是非とも重要文化財のトイレを利用されることをお勧めします。」と書いてありました。 そんな畏れ多いことを・・と思いながら、トイレ評論家としては差し迫った必要が無くても使い勝手を調査すべきだったと後悔。(またの機会にリトライせねば) 倉庫(重要文化財):屋根は新しそうです。
鳥舎(重要文化財):植物園なのに動物園の雰囲気
北大の施設だけあって、林床に咲くエンレイソウも立派です。
草本分科園:馴染みのある植物が種類ごとに栽培されています。
左上の区域がトリカブトのコレクションで、それぞれの枠内に別々の種のトリカブトを栽培しています。
北方民族植物標本園:アイヌやニブフ、ウィルタなどの北方民族が食料や薬用に利用した植物とか、生活(衣料・縄・ゴザ・屋根など)に利用できる植物を集めてあります。
ずいぶんと失礼な用途ですな:
大畑閉まらん大葉竹縞蘭白い花や赤い実が小さく垂れて可愛いんだけどな。 植物の名前って、時々呆れてしまう命名もあります・・「ヘクソカズラ」とか「ママコノシリヌグイ」とか、命名者の品格が問われますぜ。 奥まった一角に、非公開の実験園がありました:いわば「秘密の花園」
交雑を避けるために隔離して育てているんでしょう。 バラ園の中の池に咲くミツガシワ
北米産の高山植物を集めた、カナディアン・ロックガーデン
背が低くて可愛いアイリスを激写していました。
いずれがアヤメか・・笑 ヒダカミセバヤ:葉が肉厚なので乾燥に強くて岩場でも育ち、秋に小さな赤い花が密集して咲きます。
「この美しい花を誰に見せばや」が名の由来 キリンソウ:似た仲間で黄色い花が咲きます。
お花畑をイメージしてデザインしたエリア
チングルマ(右下)が咲き誇っていました。 アツモリソウ:平敦盛に因んだ命名
クマガイソウ:熊谷直実に因んだ命名
レブンアツモリソウの見ごろはもう少し先だな~
久し振りに、山にでも登って高山植物を眺めたような気分になりました。 のんびり歩いたんだけど、ちょっと歩き過ぎた感じでくたびれてしまい、普段からもっと歩かなきゃな、と痛感した次第です。
2011年05月28日
「カネは天下の回り物」と言いますが、床下の甕の中に貯めてるだけじゃ回りませんよね。 寝かせておいても熟成する訳じゃないし分裂して増える訳でもないから、貯めたカネを使って天下を回さナイト。 最近になって部屋の中を片付けていたら、積んでおいた資料などの下に埋もれていた千円札が何枚も出てきて、しまいには五千円札まで出てくる始末です。千円札の一部は夏目漱石でした。 ひょっとしたら全てキツネの仕業であって、明日になったら葉っぱに戻ってしまうのか?とも考えたほどです。 合計すると1万5千円ほども発掘され・・これだもの、金欠病になるはずだわな~。 これを有効に使って天下を回さなきゃ。←その程度で回るか?
この調子で押入の中まで大掃除したら埋蔵金が一体いくら出てくるのか? と想像しながらてワクワクしてると、こんな代物まで出てきてビックリ!!実体は帯封を巻いたメモパッドなんだけど、買った記憶すら無いから本気で焦りましたよ。 表向きになって出てきたら驚きはしなかっただろうに。
途中まで食べて「ほったら菓子」にしておいたらしい、クッキーも出てきました。 賞味期限はとっくに過ぎているけれど、賞味期限なんて余裕を見て半分くらいの長さに設定してあるはずだから、かなり過ぎてても気にしません。 金があれば物を買えるという信仰が、実は幻想というか勘違いであったことを、今回の震災で体験したり見聞したりして痛感した人が多いでしょう。 人間は、余るほど大量に買ったモノを使って楽をしようとするし、楽になるかどうかは別にしても、基本的にモノを集めようとする本能があるんでしょう、きっと。 限られた食料を無駄なく使って長持ちさせるとか、少ない道具を工夫して色々な用途に役立てる、というテクニックの方が大事なはずです。 「モノ」は無くなったら終わりだけど、「知恵」があれば「モノ」を増やせる訳だから、「モノ」ではなくて「知恵」を蓄積することの方が、例えば探検などのサバイバルとか、登山・キャンプ・旅行にも役立ちます。 昔はみんなそういう工夫をしていたはずなんだけど、便利な生活にドップリ浸かっているうちに忘れてしまったんでしょうか。 都会で暮らしていると、腹が減ったらコンビニで食料を買えば良いと考えるし、駅で待っていれば電車が来ると考えてしまいがちで、それがアタリマエだと思い込んでしまう・・。 ところが田舎に行ったらそうはいかなくて、いくら金を持っていても店が閉まっていたら何も買えないし、商品が入荷しなかったら高額紙幣だって紙切れ同然です。(だから埋もれてた?) もっと辺鄙な土地に行くと誰も助けに来てくれないから、札束を抱えたまま餓死してしまうことさえ起こり得ます。 そんな環境では、懐中の金貨よりも目の前の魚一尾の方が、自分の生命を繋ぐのに役立ちますよ。 普段の便利な生活が、いかに不安定な土台の上に乗っているのかを、半年に一度でいいから考え直してみたらどうかな~と。
2011年04月07日
2011年版の「理科年表」(国立天文台編・机上版)に、「年次別・年齢別・性別平均体位(日本人)」という項目がありました。 このデータは、厚生労働省による「平成19年国民健康・栄養調査報告」に基づく資料で、1970年から10年ごとに身長と体重とを調査した結果が掲載されています。 ただし1970年だけは、同じく厚生省による「昭和61年国民栄養の現状」に基づくものです。 掲載されているうちの、最新(2007年)のデータと最古(1970年)のデータとを比較して、(物好きにも)37年間における日本人の体形の変化を比較してみようと思った次第です。
理科年表に載っているのは数値だけなので、グラフ表示してみないとイメージが湧きません。 まず、1970年の身長と体重の年齢別変化を図示します。 幼児の頃は時代・性別による違いが少ないので、8歳以降の経過を拡大してあります。男の身長は16歳あたりで頭打ちになり、30代あたりから減っています。 女も同様に、14歳あたりから平坦になって30代あたりから減っています。 体重も男は16歳あたりで頭打ちになり、50代あたりから減っていきます。 女の体重は14歳あたりで上昇が鈍りますが、30代~40代にはむしろ増える傾向があって、60代から急減しています。 次に、2007年の身長と体重の年齢別変化を図示します。
男の身長は17歳あたりで頭打ちになり、50代あたりから目に見えて減っています。 女の身長は早めに13歳あたりから平坦になり、男と同様に50代から減っています。 体重は男が17歳あたりでいったん頭打ちになりますが、23歳から急に増えて、50代あたりになると減っています。 女の体重は14歳で平坦になり、20代後半から60代の間に増えた後、70代になって減っています。 両年を比較すると、生まれたての身長は1970年も2007年もほとんど違わないのに、2007年の8歳以降は背が高くなって、成人では1970年よりも5cm前後高くなっています。 2007年の女の体重は1970年とほとんど変わらなかった一方、男の体重は20代~40代で1970年よりも10kg前後増えています。 つまり、女は少し身長が増えたけど体重が変わらなくて「スマートになった」のに対し、男は身長の増加を上回るほど「顕著に太った」と言えそうです。 ただしこれは「体積と重さとは比例する」という仮定に基いているのであって、もしかしたら軽い脂肪の比率が増えて重い筋肉が減ったとか、その逆なのかも知れません。 身長と体重を個別に見比べただけでは分かり難いので、次に「BMI」値を用いて比較してみます。 BMI値とは、体重(kg)を身長(m)の二乗で割った値で、22あたりが「標準」と言われています。 長さを表す身長を二乗した値は人体の表面積を表す目安になり、体重は重さの指標だから人体の体積を表す目安になります。 体積を面積で割った値が一番大きくなる形は球形なので、BMI値が大きいほど「丸っこい」体形、小さいほど「尖った」(or 凹凸が多い)体形だと見なせます。(ここでも、脂肪と筋肉との比率は変わらないと仮定して) そのBMI値の年齢別変化を比較します。
1970年には、成人のBMI値は男女とも21ほどで、ほぼ同様に変化した後、20代後半から増えて60代から減っています。 思春期と中年以降は女の方が太っているのも、感覚的に納得できます。←異議あり? これが2007年になると、男は23歳から急に増えてBMI値が24に迫り、70代でやっと減少しています。 他方、女は20代後半まで一定で、しかも1970年よりも小さい値になっています。ところが30代以降の増加は急激で、最終的には男にほぼ追い付いています。 少し穿った見方をすると、男は若い頃は貧乏で痩せているのに、就職したら飲み食いの機会が多い上に運動不足で太ってしまう・・ということかも。 一方の女は、若いうちはダイエットに努めて無理に痩せた体形を保っているけれど、結婚・出産した後はホルモンも変化して一直線に・・。 次に、身長と体重とを軸に取った散布図で、両者の成長の経過を比較してみます。
このグラフは言うなれば、[体重/身長]の比が年齢と共にどう変化するか、を辿るような経路です。 左下が出発点(8歳)で、時代・性別の違いにかかわらず小学生までは順調に身長や体重が増えていった後、途中からは身長の伸びが鈍って体重だけが増えていきます。 さらに歳を取ると身長も体重も減りますが、増える年代の経路とは違って体重が多い側にシフトした経路を通っています。 往復の経路の違い(隔たりというか、シフト幅)が大きいほど、太ったまま歳を取ることを意味します。 1970年の男(水色)は経路の隔たりが小さかったのに、2007年の経路(紺)は隔たりが大きくなり、女の経路(ピンクと赤)の隔たりは時代に関係なくもっと大きな幅になっています。 結論として(非難を恐れずに言えば)、女は「元々太る素質を持っている」(から努力しても無駄だ?)けれど、男は「生活習慣が変わって太った」(から努力すれば戻る?)のかも知れません。
噂には聞いていたけど、こうやって図示してみると衝撃的なほどの変化だと実感します。わずか37年間の出来事ですから。 なお、データ中で時々不連続な値を示す年が見られますが、統計を取るサンプル数が少ないことが原因のようです。 2008年の報告は最近になって発表され、こちらに載っています。 「国民栄養の現状」という表現が示す如く、当初は「戦後の食料不足の状況下で栄養が足りているか」という調査から始まったんでしょうけど、近年では「体重を管理しているか」とか「朝食を食べているか」、「睡眠は取れているか」、「余暇の過ごし方は」、「ストレスの対処法は」などという点に主眼が移ってきているようです。 それだけ、近年は油っこい食べ物や生活習慣が健康に影響を及ぼしている、ということなのでしょう・・耳が痛いや。
2011年03月28日
HFCから示された数字に基き、今年の観客動員数と興行収入およびグッズ売上げの目標値を考察してみました。 それらの目標値が良いとか悪いとかいう類の議論をするつもりはありません。 2010年までの実績と2011年の見込みについて、年ごとに、試合数と、観客動員数(人)、1試合あたりの観客動員数(人)、興行収入(千円)、1人あたりの収入単価(円) を以下に並べてみます。 年 試合 動員数 1試合 興行収入 単価 2009 26 265,376 10,207 355,113 1,338 2010 18 193,280 10,738 305,385 1,580 2011 19 210,000 11,053 345,000 1,643
2009年から2010年にかけてどう変わったかを比べると、 観客動員数は 72,096人減って、これを率にすると -27.2% になります。 興行収入の方は 49,728千円減って、率にすると -14% になります。(しか減ってない?) チケットの販売にも原価がかかるから簡単に計算してはいけないんだろうけど、減った観客数で興行収入の減少額を割ってみると、1人あたり 690円 という値になります。 つまり目安として、690円の入場料を払っていた客が 72,096人減った、という計算になり、「安い客が減った」と見なせる気がします。 誤解を恐れずに言い方を変えると、招待券をもらって見に来てた一見さんが減っただけであって、コアな客は減ってないんじゃないの? と言えなくも・・。 2010年から2011年にかけてどう変わる(予定)かを比べると、 観客動員数は 16,720人増えるので、これは率にすると +8.7% になります。 興行収入の方は 29,615千円増えて、率にすると +13% になります。 増える観客数で興行収入の増加額を割ると、1人あたり 1,771円 という値になります。 単純に言うと、去年は 690円の客が 72,096人減ったけど、今年は 1,771円の客を 16,720人増やす、という目標を掲げていることを意味します。 マトモに金を出して見に来るような人を増やすんだから、これは相当な努力が必要になるでしょう。 去年までの観客動員数の数え方は、ハーフタイム終了時までにもぎったチケット(の半券)を集計して、その数字にシーズンチケット保有者の人数を足していたんだろうと思います。(もし違ってたら教えて下さい) 「シーズンチケットを持ってる人は(当然)全ての試合に来ている」と見なして加算していましたが、今年はワンタッチパスが導入されるので、来場履歴が白日の下に曝されます。 シーズンチケットを持ってるけど実際には試合会場に来なかった、という人が多ければ、ただでさえ苦しそうに見える観客動員数の目標値が、風前の灯火になってしまいます。 ただ、ハーフタイム終了以降に入場した人も計数される(かも知れない)、という期待はありますけど・・焼け石に雀の涙かも。 ではサポーターは何をなすべきか? と考えるに、サポートシップスポンサー(件数)と、パーソナルスポンサー(口数)と、グッズ売上げ(百万円) を並べてみます。 年 サポスポ パソスポ グッズ 2009 201 711 70 2010 202 844 65 2011 210 850 70
サポートシップスポンサーの件数は、ほとんど変化がありません。(1千万円程度) この制度は、一度入ったら足抜けし難いのではないかと想像します。店の売上げが減るというよりも、仕返しが怖い?(と脅す・笑) パーソナルスポンサーの口数は、かなり健闘して増えています。(800万円前後) これも、一度入ったら足抜けし難いのではないかと・・オフィシャルガイドブックに実名が載ってたりしますから。(以下略) グッズ売上げは、やや減りました。(6千5百万円程度) これは反省すべき費目でしょう。金額は1桁大きいけれども、グッズには原価がかかってるので純益は少ないですから。 2010年の予算では 8500万円のグッズを売上げる見込みだったのに、6500万円余(77%)しか売れませんでした。しかも原価が 6900万円余かかったので、グッズに関しては 370万円余の赤字になっています。 アレも作れコレも作れ、と口で言うほどには購買力を伴っていないから、シーズン終盤になって叩き売りしなければならないのでは? 今年はグッズを買ってもファンクラブのポイントが付かないので、購買意欲をそそられないことも予想されます。 クラブ創立15周年記念グッズなども作るらしいけど、最低限の数量だけに絞ってよほど安く仕入れ、催眠商法を使ってでも高く売りつけない限り、マカタしないべさ。
育成の世代では、楽に勝てる相手と試合をしても成長しないから、1つ上のカテゴリーのチームと試合をすることがあります。 たとえ相手が強敵であっても、最初から(0-5)で負けることを目指して試合を始めることなど、あり得ません。 「うちのチームは弱くて下手だから、5点の失点は覚悟して下さい。」と断って始める試合だったら、誰も応援しないでしょう。 試合はいつも、(2-0)や(3-0)で勝つつもりで始めるのが当然で、最悪の場合でも(1-0)で逃げ切って勝点3を稼ぐことを目指すでしょう。 もし途中でリードされたとしても、ロスタイムで同点に追い付いて引き分けに持ち込み、あわよくば逆転を狙うものです。 この相手には敵わないと思っても、試合を放棄して逃げる訳にはいかないのは、選手もサポーターも同じでショ。 うちのクラブは、難しい目標を達成するために努力して、借入金を返済していかねばならない身の上にあります。 その目標値は無理だ、と言って放り投げるだけでは何も解決しないのは明白です。 HFCの広報資料なのかな?「"札幌"という名の"北海道"のチームです」と書かれています・・そのチーム名が五大陸に轟いているという意味なのか、世界中から安上がりな選手を発掘してくるという意味なのか・・。 「希望という名のあなたをたずねて~」by 岸洋子 を思い出してしまいました。
2011年03月24日
3月21日(月・祝)の午後に北大の総合博物館で、「ポプラチェンバロ演奏会 Vol.10 ~チェンバロのある風景~」と題したチェンバロ主とするコンサートがありました。 この演奏会は、3月19~21日に行われる「博物館まつり」に伴う企画演奏会だったのに、15日になって「一旦中止のお知らせ」が発表されました。 この時期に、「まつり」という名称のイベントを開催する訳にもいかなかったのでしょう。 これで、チェンバロのコンサートも延期されてしまった・・と落胆していたら、
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。被害のあまり及ばない地域の方々におかれましても心安く過ごすことが難しい中、このような時にこそ音楽が求められると考え、演奏会を実施いたします。
というアナウンスが書かれていてホッとしました。 音楽で元気をもらって働き、たくさん稼いで、たくさん募金せよ・・と。
主役のポプラチェンバロ・・個人的には「ハープシコード」という呼び名の方が好きなんですけど。表面は塗装していないのか、木の肌がそのまま見えます。 このチェンバロは「ポプラチェンバロ」と呼ばれ、2004年に襲来した台風18号に伴う暴風で倒された、ポプラ並木やハルニレの木材を再利用して作られています。 →横田ハープシコード工房の製作過程、チェンバロアカデミーのコンセプト ポプラって、成長が早いから並木として植えられるはずなので、そんなスカスカな木質が楽器の骨組みとして適材なのかどうか疑問でしたが、意外にも『北大のポプラは軽さと固さのバランスが楽器用材として理想的な感触、往時のヨーロッパの名工達が好んで使ったポプラと大変よく似た材』なんだそうです。 床には、水琴窟かと思うようなバケツが並んでいます・・保湿効果?
チェンバロはピアノと違い、湿度の変化によって弦の張りが狂うので、演奏家自身が調律もこなすそうです。 考えてみれば、ほとんどの弦楽器は自分で調律して使うんだけど。 演奏会に備えて天板が開かれています。
弦は細い真鍮で作られていました。 椅子の座面は優佳良織のようです。
演奏は3部からなって全部で2時間近く、各部の合い間に休憩(調律を兼ねる)が挟まります。 チェンバロのみならず、リコーダーやビオラ・ダ・ガンバ、バイオリンなどが加わる他、声楽や朗読もありました。 昔、NHK-FMに「バロック音楽のたのしみ」という番組があって聴いていたけど、朝早いせいで随分と遠ざかっていましたが、しばらく振りに再会した気分です。 休憩時間には、内部の構造や音を出す仕組みを解説してくれました。 「弾いてみてもいいですよ。」と言われましたが、下手なのがバレるから遠慮しました。
白鍵の材料は柘植、黒鍵は黒檀だそうで、ここは流石に倒木ポプラを使う訳にはいかないでしょう。 倒木でチェンバロを作ってしまったことも凄いですが、その「モノ」を飾っておくだけじゃなくて、「動態保存」するための演奏ボランティアが組織されており、札幌以外に旭川や釧路、足寄から駆け付けるというのも驚愕(ハイドン)です。 台風18号の被害状況の写真集「烈風一過 北大キャンパスの樹々」
当時は、市内のあちこちで色んな被害がありました。 →道新の写真集「台風18号 道内での被害」 倒木ポプラの木材を再利用して作られた作品は、他にも色々とあります。 壺、ラブフルート、額縁、トレイ、ペン立て、造形作品・・
とぼけた顔をした梟の彫刻:これはハルニレ
ミュージアムショップでは、携帯ストラップになったプレートや黒板消しも売っています。 当日は春分の日でした。
暖かくなった陽射しがエルムの幹を(向こうから)照らしています。 北大の「すべり止め」ですから、効果は覿面ですよ、きっと。
・・でも、油断は禁物です。
2011年03月19日
3月21日(月・祝)の午後に北大の総合博物館で、チェンバロのコンサートが行われます。 →案内 当日は、3月19~21日に行われる「博物館まつり」(実は一旦中止)の期間中だから込むだろうと思って、一足先に「豊平川と私たち その生いたちと自然」という展示などを見に行きました。
地震に伴って、英語のテストが中止されていました。総合博物館(旧・理学部本館)の正面に掲げられた横断幕
イベントの看板が左右に立てられています。 肝心の「豊平川」関係の展示の写真はありません。 資料に見入っていて写真を撮るのを忘れていたし、展示室の中は撮影し難いですから。 代わりに、パンフレットの裏側をお見せします。
明治6年の風景で、藻岩山、砥石山、円山、百松沢山、三角山、手稲山(とわずかの市街地)が識別できます。 海底から噴出した藻岩山の成り立ちや、石狩低地帯の形成とか、支笏湖火山の噴火に伴う火砕流とか、札幌周辺の扇状地の形成などを、パネルをたくさん使って分かりやすく説明されていました。 歴史的にかなり下って、豊平川の流路の変遷とか、市街地の変化とかも面白かったです。 特に古い札幌市街の地図を見ると、由緒ある古い建物などが描かれていて、現在の情景と比較すると隔世の感があります。 因みに、雁来練習場の北方にある豊畑神社は、大正初期の地形図には既に記されていました。 札幌監獄(参考)は、もっと昔から苗穂村にあったし。 館内の一室に、鈴木章先生が受賞したノーベル賞の、メダル(右下)と賞状(左)が展示されていました。→案内(展示期間は21日まで)
3個作られた公式レプリカのうちの1個ですから、本物のメダルであるような、ないような・・。 見えない振りも出来ない注意書きがあったので、
残念ながら、メダルに接近した写真は撮れません。 代わりに、これ・・はメダルじゃなくって、一等重力点です。
近くの床下に、地球の重力を測る基準点(の一つ)の「札幌GS」があります。→全国マップ
重力加速度は、大まかに9.8 m/sec^2 と覚えているでしょうけど、細かく言えば場所によって変わります。 ここでの重力値は、980.47757 Gal(ガル=cm/sec^2)だそうです。 梟が止まる「アインシュタインドーム」の北壁
朝は果物、昼は向日葵、夕方は蝙蝠、夜は梟が象徴してるんだとか。(1日4交代勤務?) 正門近くの歩道に、こんな表示がありました。
発熱する布を「カーボンナノチューブ」を用いた技術で作った・・らしいですが、気付かず足げにしてしまいました。 ヨドバシカメラの斜め向かい(北東)の一角にあるビルの中に、石川啄木の下宿があったことを示すコーナーが設けられています。
昔はこの位置に「北七条郵便局」があって、局舎の前に「石川啄木の下宿跡」という看板が立っていました。 昔の郵便局の局舎がここに写っていて、懐かしいです。 鈴木先生が今月11日に母校で受賞記念講演を行っていたら、その最中に先日の地震が来たそうです。
2011年03月18日
最近、自宅でパソコンに向かっている間、BGMとしてゴスペルや賛美歌を聞いています。 声楽は好きじゃないんだけど、何となくしっくりくるので。 元々私はテレビというものを全く見ないし、真冬でも暖房を使わないし、天体観測をしてたから暗がりも平気だし、野宿もするし・・という、かなり省エネな人間なので、今さら改めてエネルギーの使用量を減らす余地はあまり思い付かなくて困ります。 まるで、地獄の苦行のような災難に襲われている地域もあります。 以前に「他力的に本願寺展を鑑賞」という記事で書いたように、今年は「世のなか安穏(あんのん)なれ」という年だったはずですが、安穏どころか(Unknown な)暗澹たる状況に陥っています。
予告もなく突如として、こんな状況に置かれた被災者の境遇を慮るに、HFCのスローガンロゴ決定のニュースを見直すと皮肉に見えなくもないですが、そこは考え方次第でしょう。
説明文によると、「中央の縦に“11 for 12”と並べることで、クラブを支えるサポーター(12)のために、選手たち(11)がチャレンジをするということを表しています。」という意味らしいので、選手の皆さんには募金でも何でもチャレンジしてもらいたいところです。 ところで最近、この「11」が「11日」に見えてきました。 3月11日に遭遇した試練に立ち向かい、安堵の笑顔で迎えられる(であろう)復興の日に向けてチャレンジする、という意味にも解釈できるかな?と。 被災の当事者にしてみれば、他所の自治体の知事から「天罰だ」と言われるのに等しいかも知れませんが、当分の間は、前向きな強い気持ちで(たまには力を抜いた方が良いけど)堪えて頂きたいと、遥か遠くからもどかしく念じています。 山口百恵の歌にありました・・「秋桜」でしたっけ。 「苦労はしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらない」 過酷な運命の下で起こった事は元に戻せないけど、復興した後になってから現在の苦境を思い出して笑えるかどうか(スマイル for チャレンジ)、それは現在の努力にかかっているかも知れません。 高校時代に、よりによって地学の授業中に震度5という地震に遭いました。(当初は震度6と発表されたけど、後で修正された) 教室が1階だったからみんな窓から飛び出したんだけど、真っ直ぐに立ってられないし、夜は余震であまり眠れなかったし、校舎は傾くしで散々な目に遭いましたが、その経験がクラスの結束力を強めたと思います。 試験勉強が好きな人って、そんなに多くはいないだろうと想像します。 勉強してる時は「こんな苦労して、一体、何の役に立つのか」と思うけど、将来になって役に立ちます。←立ってない? これは元々、こちらの記事を読んで作った紛い物なんですけど・・
そろそろカウンセリングも必要だろうと思っていたら、メンタルケアのスタッフも派遣されたらしくて、被災者は心強いでしょう。 香山リカさんによる「私たちができること」というアドバイスは、(今は)被災していない我々にも役立ちます。 天皇が映像で国民にメッセージを発したそうで、被災者や支援活動に携わる人達を励ましたいという希望からだとか。 真っ先に連想したのは、 「・・しきりに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所まことに測るべからざるに至る・・職域に殉じ非命に倒れたる者及び其の遺族に想いを致せば・・時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び・・任重くして道遠きをおもい総力を将来の建設に傾け道義を篤くし志操を固くし・・」(現代の文字にアレンジ) という「終戦の詔勅」でした。 なんか、惨状や呼びかけの内容が、デジャ・ヴュのように似通っていると感じるんです。 それなのに残念ながら、やっぱりこうなるんですか? それこそ、 「・・やたらと事件を起こしたり、仲間を押しのけたり陥れたりして互いに世情を混乱させ、人の道を誤って世界の諸国から信頼を失う・・」(現代語訳) ような事態になりかねませんが。 買い物に行って荷物をたくさん運べるような人は、2・3日食べなくたって飢え死になんかしないのにね。
自分は被災していないと思い込んでいたら、勤務先の給料が連休明けまで遅配する見込みだそうです。 営業成績が悪いのでもなく、地震の直接的な影響でもなく、義援金の振り込みが集中したために銀行でシステム障害が発生したんだとか。 災害ってホントに、いつ・どこで・何が起こるか予測できません。
被災地での放射線被曝検査に大勢の住民が殺到したそうで、この様子を見て、いずれ「放射線」と「放射能」と「放射性物質」との違いを説明しなければならないかな・・と思っています。 あの検査は、個人がどの程度「被曝したか」という検査ではなくて、どの程度「放射性物質を身に付けているか」、つまり「放射性物質がどの程度飛散したか」を測る検査になってます。 検査の時点で「放射性物質が付着していない」ということと、過去に「放射線を浴びなかった」ということとは、全くの別問題です。 付着していたら洗い流す(その必要は無かったらしい)けど、過去に浴びた放射線量を「無かったこと」には出来ません。
2011年03月15日
ちょうど半年前に仙台空港を利用した時には、綺麗で近代的な空港施設だったのに、今は泥の海に覆われてしまいました。 国土地理院が撮影した空中写真などを見ると、あれまぁ・・と呆れても、これが現実ですから逃げられません。 仙台近郊に住むサポ友は「命は無事」と伝え聞くので、それ以外の事は二の次、という状況なんだろうと想像されます。 今の自分は、来るべき支援活動に備えて体力と財力を蓄えておくとか、次に訪れる災害に備えて防災の知識を提供することに努めています。 災害は必ずやってくるし、災害は(子供の誕生日や親の命日のように)忘れてはいけない事柄ですから。
「船頭多くして船山に登る」と言いますが、船頭がいなくても船が山屋根に登ってしまったようです。元々、船(や車や飛行機)は水の上に浮く乗り物ですから、津波に流されるのも道理ではありますが。 車に乗ってて川や海に落ちてしまった場合でも直ぐには沈まないし、居住空間が水で満たされない限り逆さまにはなり難いはずだから、慌てないで安全に脱出する方法を考えるべきでしょう。 窓を開けて脱出する・・バッテリーが水に浸かったらパワーウィンドウは使えなくなりますが、室内に水が入ってきてからの方が、ドアは開けやすくなるはずです。 パニックになったら、そんな理性は吹き飛んでしまうんでしょうけど、予備知識や覚悟があるのと無いのとでは慌て方も違うはずだろうし。 北大の地震火山研究観測センターの「地震・火山イベント速報」のページに、今回の津波の伝播をシミュレートした画像がありました。 ちょっと重たい(838kB)gifアニメですが、敵を知り己を知るために役立つと思って紹介します。
震源域から広がった津波が海岸ではね返り、海上へ戻る波と震源域から来る波とが複雑に重なり合っていることが分かります。 こういうシミュレーションは、各地で観測された津波の波形をうまく説明できるように、断層モデル(断層面の大きさや向きや傾きや、ズレの移動量など)を色々と仮定して、その震源域で起こったズレによって海水が押され(引かれ)て生じた波の伝播を計算するものです。 画像のオリジナルURLは↓こちらです。 http://www.sci.hokudai.ac.jp/isv/assets_c/2011/03/tohoku-thumb-200x283-357.gif どんな船よりも速いスピードで、高さ10メートルの水の壁が押し寄せてくるんですから、この敵にはちょっと敵わないな・・というのが正直な感想ですけども。
2011年03月13日
取りあえず自分の役目として、金曜・土曜は地震そのものの資料や報道記事などを収集していましたが、発表される情報の頻度が少しずつ下がって余裕が出てくるに連れ、どうにも「腑に落ちない感」が強くなりました。 今回の地震は、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名されました。 →気象庁の報道発表資料 ところが報道機関などでは、「東日本大震災」とか「東日本巨大地震」などと記されています。 大きな被害をもたらした地震の名称は、震源の位置や被害状況などを総合的に判断して決められるんだろうと思いますが、気象庁と報道機関とでの呼び方の不一致について以下に考えます。
まず「震源地」について: 気象庁が地震情報で用いる「震央」の地名は、地域ごとに呼び方が決まっています。 「震央」とは、「震源」を真上に移動させて地表とぶつかった地点(=深さ0km)なので、その緯度・経度は震源と一致します。 「震央」の地名のうちの、東北・関東・北陸・東海地方の地図がこちらにあり、今回の震源は北緯38.3度、東経143.3度(牡鹿半島の東160km付近・深さは約10km)だから、震央は「三陸沖」とされました。(後の詳報ではそれぞれ、38.1度、142.9度、120km付近、20kmに変更) 「三陸沖」とは、「青森県東方沖の南部と、岩手県沖と、宮城県沖とを合わせた地域」の東方海上です。 さらに、「三陸沖と、福島県沖とを合わせた地域」の東方海上は、「東北地方東方沖」と呼ばれ、青森県から福島県までが東北地方なんだから、震源については「東北地方太平洋沖地震」で何も矛盾を生じないはずです。 次に「被災地」について: 今回の地震や津波による被害が最も大きかったのは、疑いなく宮城県でしょう。 日本国内の地域名も呼び方が決まっていて、宮城県は当然ながら東北地方に含まれます。 原発が被害を受けた福島県も、東北地方です。 その東北地方は、「北日本」(=北海道+東北地方)に含まれます。 それなのになぜ、「東日本大震災」とか「東日本巨大地震」と呼ぶんでしょう?? この「東日本」というのは、関東甲信地方と、北陸地方と、東海地方とを合わせた地域名です。 「関東甲信地方」には、東京都、および栃木、群馬、埼玉、茨城、千葉、神奈川、長野、山梨 の各県が含まれます。 ・・どこにも宮城県がありません。 最も被害が大きかったと思われる宮城県が含まれていなくて、地震の震源や壊滅的な被害が、関東地方を中心に起こったかのような呼び方になっています。 茨城県沖でも地震が起こったのは事実ですが、規模は1桁以上小さな地震であり、宮城県沖の「つっぺ」が外れてしまった為に、茨城県沖の断層面も動かざるを得なかった・・ようにも思えなくも・・。 こんな、余りにも我田引水的で間違った印象を与えるような呼称を使われたら、東北地方の被災者は憤慨するんじゃないでしょうか。 被災の当事者はそんなクレームを言ってる余裕が無いだろうから、自分に出来る事として(北日本に含まれる)北海道から言ってる訳ですが。 復旧のための融資を受けるにしても、地震の名称に自分の地域名が含まれていなかったら不利になるだろうし。 救援物資が東北地方を通過して関東地方に届くとか・・外国からの援助物資だって、まずは東京に着くんだろうから、ちょっと心配になりました。 羽幌港の験潮所(2008/4/24)験潮所で観測した潮位の記録から、津波の高さを読み取ります。
以下も自分の役目として: プレート地震の巣とも言える日本に住んでいる以上、同じような大地震が歴史的に繰り返し起こることは避けられず、「生まれて初めて体験した惨事」とか「観測史上最大の地震」とかいうのは、歴史の中のほんの一部分しか見ていないために生じる錯覚なのでしょう。 北海道の太平洋岸の地層中には、大津波によって押し寄せた砂の層が何層も残っており、今後も(何度でも)津波は押し寄せるものだと想像されます。 災害というものは、いつ、どこで、何が起こるか分からないので(分かっていて必要な対応を取れば災害にはならないから)、普段から(ほとんど起こり得ないと思われる事態まで)かなりの想像力を働かせておく必要があります。 試合が中止(延期)になることまでは、考えが及ばなかったんですけど。
カレンダー
プロフィール
作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
最新のエントリー
リンク集
コメント
検索