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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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書くことは考えること

2007年05月18日

北海道新聞の「おじさん図鑑」というコラムに面白い話が載っていました。その一部を紹介させて頂くと:
・・書くことによって頭の中が整理できるし、新しい語彙も獲得できる。「書く」ことは「考える」こと。そして「考える」ことは、感情を整理し、自分を分析することだ。さらに「書く」ことは「相手の気持ちを推し量り、思いやる」ことにも通ずる。・・

元々の記事は「電話よりも手紙を書こう」という主旨の提案なんですが、確かに、文章を書くことは考えることのようで、「ブログを書くことによって・・」と読み替えても通じそうです。
最後の「相手の気持ちを推し量り、思いやる」部分を実行できているかどうかは甚だ疑問でありますが。

書くことは他にも効能があります。右手(指)を動かすことによって、左脳にある言語中枢に刺激を与えれば、事故や病気で失った言葉が回復しやすくなるそうで、言葉を取り戻す訓練のために字を書く、という話を聞いたことがあります。

単に「言語中枢」と言っても、言葉を話す機能と、聞いた言葉を理解する機能、文字を読み書きする機能、の3種類に領域や分担が分かれているとか。
さらに最近知ったことですが、脳の中に漢字の読み書きを制御する、辞書のような領域があるらしく、この領域が圧迫されたりすると、仮名の読み書きや会話には支障が無いのに、漢字の読み書きだけが出来なくなるそうです。

ということは、言語中枢は4種類の領域に分かれていることになり・・じゃぁ、漢字を使わない民族では、辞書の領域は働いていないのかい? という疑問が湧いてきます。
逆に外国人から極東人を見れば、あんな暗号のような複雑な記号を駆使する民族なんて、気味悪くてしょうがない、と思われてるかも知れませんけど。

マヤ文明で使われた絵文字には表音文字と表意文字とがあって、これらを混ぜて使っていたらしい、と解釈されているようです。
西欧人は表音文字であるアルファベットしか使わないので、マヤ文字を解読するのが難しいけれど、表音文字と表意文字(漢字)とを併用している日本人ならば、マヤ文字を簡単に解読できるアイディアが浮かぶのではないか?という説を読みました。

文字を持たない民族の場合はどうなるんでしょう。文字によって記録を残すことが出来ない分、全てを記憶しておかなけれならないというのも、特殊な能力が無ければ出来ない芸当のようにも思えます。
「日本書紀」は、稗田阿礼という語り部が暗唱したことを口述筆記した書物である、とされています。その説には異論もあるようですが、もし自分にそれほどの記憶力が備わっていれば、苦労が少なくて済んだ筈なのにな、と。

凡人は、考えれば考えるほど、頭の中が整理できなくなります。笑


post by 雁来 萌

14:02

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歴史的石造建築群見学ツアー?

2007年04月24日

先週末に、うちの墓地へ行ってきました。私にとって、墓地はマイホームと同じです。
今は電気・ガス・水道・電話の設備がある家に住んでますが、死んだらそんな設備は不要になるので、霊園の中にある石造りの「別荘」に引っ越します。

霊園に並んでいる他所様の墓石を見て回るのも、霊園に行った際の楽しみの一つであり、郊外の住宅地に並んでいる瀟洒な邸宅を見て回るのと同じ感覚です。
建築する必要が生じてから考え始めても良い案は浮かばないものなので、機会があったら見ておいた方が慌てなくて済みます。満足できるものを作れるまで、墓を3回も建て直す訳にはいかないし。

ほぼ一月前とは別世界のように、雪が融けてしまいました。

藁人形
↑出たな妖怪、↓こうしてくれるっ!
帽子

周辺を散策すると、あちこちに春が見つかります。ついでに、墓地の風景なども紹介します。

蕗の薹
蕗の薹・・採ってきて食べる気はしません、さすがに。

チューリップ
チューリップと・・確かここは、クロッカスが咲くお庭です。

佐藤昌介
北大の初代総長であった佐藤昌介さんのお墓が近所にあり、ここは結構知られています。

サッカー
サッカーが好きだったんでしょう。こんなボールを蹴ったら骨折しますが。

野球
野球が好きだったんでしょう。

銘石
故人が生前に集めたらしい、メノウやら黒曜石やらが並んでいます。

工事
棹石が無いのは修理中なのか、登録する住人が増えたのか・・。

空き地
墓守がいなくなって数年経つと、敷地は没収されて「さら地」になります。

観音扉
墓石も、だんだん工夫されて便利になっています。
このお宅の灯明立ては強化ガラスの風防付きで、物入れの扉は透かし彫りが施され、観音開きになるようです。・・あれ、線香はどこに?と思ったら、供物台の下に納まってるんですね。

引き戸
見難いですが、こちらのお宅は引き戸になっています・・天の岩戸
春先の黄砂が雪の表面に積もり、雪が融けると墓石の上に残ります。
これは札幌で黄砂が観測された日より前の写真で、たとえ「黄砂である」と観測されるほど濃くなくても、雪の表面には少し積もって、溜まっていきます。

東屋
あずまやの柱に「お持ち帰りください」と書いてありますが、こんな大きな物をどうやって持ち帰ろと(笑)・・「供物は」か「生ゴミは」と書いてあったのでしょう、きっと。

椅子
こういう物こそ持ち帰って欲しいです。それとも、前衛的な野外芸術なのでしょうか。

他にもユニークなお墓が沢山あるんですけど、どこのお宅か分かってしまうので、なかなか写真に撮り難いんですよ。「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねても留守で返事が無いし・・墓石の下から返事されたら怖いですけど。

石ドーレ
里塚霊園の手前にある石材屋さんに、こんなの立ってます。


大きな地震が起こった際には地震学者が現地に入って調査しますけど、まず最初に墓地へ行くそうです。
細長い石ほど倒れやすいので、倒れた墓石の底辺と高さとを測ると、震度(正確には揺れの加速度)を推定することができます。
さらに、倒れた方角を調べれば、「初動」(地震の最初の強い揺れ)の方向が分かり、震源(震央)からの方角を考慮すると、初動が「押し」だったのか「引き」だったのかも分かります。
壊れた住宅は直ぐにでも修理しますが、墓石を直すのはしばらく経った後なので、墓地には地震動の記録が手付かずの状態で保存されています。親切心で余計なお節介をするお坊さんがいなければ、ですが。



post by 雁来 萌

07:30

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室蘭水族館の想い出

2007年04月03日

以前に書いたことがあったかどうか記憶が定かではありませんが、室蘭は私の生まれ故郷です。
誰も住んでいない親の家があるし、親戚も何軒かあるし、サッカーの試合やらホッケーの試合やらで、1年に何回も往復してるので、今では室蘭へ行く事に何のトキメキも湧かなくなってしまいました。

「室蘭港に橋を架ける!」と騒いでいたのは50年も昔の話で、完成するのに随分と時間を費やしたもんですね。
その白鳥大橋の入口というか出口になっている対岸の陣屋町の辺りは、今は石油精製基地になってますけど、昔は砂浜の海水浴場だったんです。
道の駅「みたら室蘭」の横に水族館がありますが、昔は水族館の先は海だったんです。水族館の駐車場も道の駅も、ぜ~んぶ海中だったなんて・・信じ難いでしょうけど、水族館の横で岩の下に手を入れてウニを採ったこともあるんですよ。

室蘭水族館
室蘭水族館の遊園地(昭和30年頃) ※画像はイメージです。
すぐ後ろは海で、対岸が陣屋町とか崎守町の辺りです。(この頃から暴走してたらしい)


・・・ 一気に○十年の歳月が流れ、再び(何度?)室蘭の地に立った私はサッカーの試合を見ていました。
前半を終わって、「攻めてもどうせ点取れないんだから、引き分け狙いで守ろうよ~」と思ったのは秘密です。
一番の圧巻シーンはこれでした。
ソダン攻撃
セットプレイ以外でソダンが攻撃参加すること自体が珍しいし、右サイドでオーバーラップする姿なんて、滅多に見られるもんじゃありません。
ただし追い付けない・・。

次の見せ場はこれでした。
決勝点
右ポストに当たってスローモーションのようにゴール内に転がって行くボールを、息で吹き押したかったですね。

試合終了後にバックスタンドへ挨拶に来ながらも・・、
挨拶
ヒーローになり損ねて落胆する曽田(左端)

BF畳み
 大風呂敷 ビッグフラッグを広げて片付けます。
CVSの皆さん、ご協力ありがとうございました。

BF2
そんなに群がると、却って畳み難いかも。

入江運動公園の敷地内には14体の野外彫刻があるらしく、その中で帰りがてら目に付いたのが、↓これ。
萌
顔
 顔の部分をアップしてみます。


台座には銘板が貼ってあり、斎藤一明さん作の「(ほう)」という作品だそうです。
銘板
この方は釧路の作家だそうですが、失礼ながら存じませんでした。他の作者のうち5名は知ってる名前でしたが。 野外彫刻についての説明は→こちらを参考にして下さい。 フェリーターミナルに寄り道して買い物したら、茨城県限定販売の商品がありました。大洗からのフェリー航路が通じているからでしょうか。茨城といえば・・水戸ですね。(謎) 道の駅にも寄りましたが、何となくあの辺はあずましくないんです。海の中に立ってるという意識が残っていて、急に足元が沈んで元通りに水没してしまうような不安を拭い去れません。



post by 雁来 萌

07:43

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トップヲタ

2007年03月14日

やっとのことで、インフルエンザ星から戻ってきました。
普段は風邪などひかず、この前風邪をひいたのは何年前だったかな?というほど無縁な体質なんですが、インフルエンザは別物です。

おかげで今年はドームの除雪にも行けませんでした。
自宅の周囲は除雪する必要がなくて、間に合わせ程度のスコップしか持っていなかったので、今年はドーム専用のスコップを買っておきました。柄に千社札を貼って準備してたのに(笑)・・無駄になってしまいました。18日に使えるかも知れませんが。
 

さて、世間には「ユースヲタ」という言葉(呼称)があるようですが、自分とは無関係らしいので使わないことにしています。

「ヲタク」と呼ばれるのは多分、特定の分野にのめり込んで狭く深く精通している人間のことだろうと思っています。

私の場合は、ユースもトップも同程度偏りなく関わっています。
トップチームの試合(ホームゲームに限る)は、(ユースの試合とカブらない限り)必ず出席するし、トップチームの練習は、休日であれば(ユースの練習や試合とカブらない限り)見学して、練習後のすいか作業もしています。
偏っていないのだから、「ヲタク」と呼ばれるような行動には当てはまらないことになります。

翻って、トップチームにしか関心が無くて、ユースに関する事情に疎い人達は、関心や知識が特定の分野に偏っているのだから、そういう人達こそ「ヲタク」と呼ばれるべきであり、「トップヲタ」という呼称が相応しいことになります。


post by 雁来 萌

23:15

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【妄想】 震災避難訓練

2007年01月28日

※この記事は、事情を知らない一市民がキックオフイベントを斜めから見た架空の物語ですから、真に受けないで下さい。
 

1月21日(日)に、北海道太平洋岸の○○地方沖を震源とするM=△の地震が起こり、札幌市中央区では震度5弱を観測した、という想定で避難訓練が行われました。

豊平区の札幌ドームは広域避難場所に指定されているので、着の身着のままで辿りついた市民でごった返していました。
訓練を開始する予定時刻のはるか前から、入場口には長い行列ができており、一体何が楽しくて避難訓練に参加するのか・・不思議です。


避難所に集まった市民達は思い思いの場所で休みながら、家族への連絡などをしていました。
これは訓練なので和やかな雰囲気ですが、もし本当の災害だったら、この先いつまで続くのか分からない避難生活を思って、先行きが不安になるはずです。


地震の振動による液状化現象が起こって、泥が混じった地下水が数ヶ所から噴き出してしまい、危険なので近付かないように柵で仕切られていました。


避難民に対して、ステージ上の地震学の専門家から今後の地震活動についての見通しが説明され、行政担当者や防災関係者からのアドバイスや連絡事項に聞き入っていました。
はぐれた家族などを探すために、場内には迷子案内コーナーも設けられていました。


災害時には、背中に背負える非常持出袋が重宝します。両手が空くので、瓦礫が散乱している不整地を歩く時でもバランスを取りやすいのです。これに帽子と軍手が加われば完璧かと。
背中に名前が入っていれば探す時に便利です・・が、大伍くんの後援会ですか。


床に100円玉が落ちていたので拾・・う前に、すいか隊の習性として敷かれている人工芝の写真を撮りました。普段は立ち入れない場所ですから。


はぐれた場合に備えて、家族の写真を撮っている人達もいましたが、それは家族ですかっ?
ブログに載せる記念写真でも撮っているのでしょうか・笑。←注:追記参照

気分転換を兼ねてボール遊びをするコーナーが設けられていたり、ダンスチームによるアトラクションも披露されて、とかく退屈になりがちな避難民の気を紛らわせようとします。
衣類や菓子などを販売するワゴンもあって、不自由な避難生活への便宜が図られていました。

身分証明書を持って来なかった人のために、300円を出してその場で名札を作る機械も供用され、順番を待つ列が出来ていました。
避難訓練を受講したことを証明する修了証が参加者に発行されるので、サッカーチームのスタッフなどが総出で修了証にサインしていました。


避難所の目印として夜間でも遠くから分かりやすい標識があり、ストレスが多い避難生活の疲れを癒すデザインになっています。
ここは大規模な炊き出しが可能な設備もあり、十分な数のトイレや空調、照明、放送設備が備わっているので、長期の避難生活にも対応できる施設のようです。

供え餅あれば憂いなし、天才は忘れた頃に「やぁ!」って来る。


追記(2007.1.30)
何だか気になって調べたら、ありました。
例えば→えぞりす地球放浪記

ちょっと拝借して、コペンハーゲンの人魚姫の左右を入れ替えるとこうなります。



post by 雁来 萌

10:58

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恥ずかしながら(6)

2007年01月12日

入院5日目で点滴も終わり、6日目(大晦日)からは投薬だけになりました。
1月5日に退院することも決まり、院外へ買い物に出かけても構わないことになりました。まるで、鎖から解き放たれた犬ですよね。

病院内の売店は年末年始が休業なので、外のコンビニへ買い物に行けないと、かなり不便な状況に陥りますが、その事態だけは避けられました。
銀行も年始は営業していないので資金を調達できませんが、大金を使えるような施設など病院内にあるはずも無く、「年越しの銭は持たない」という、質素で穏やかな正月を迎えることになりました。

6人部屋の同室の患者さん達は、退院したり外泊するために少しずつ減っていき、大晦日まで残っていたのは2人だけでした。その片割れも元日から外泊し、正月3が日を一人ぼっちで過ごしました。
まるで隔離病棟にいるような、独房にいるような気分ですが、他の部屋では家に帰れないお年寄りの患者さんが結構残っていました。


大晦日の晩餐(年越しそばと尾頭付きの鯛)

正月の献立には、おせち料理(らしき物)が少しずつ添えられていました。栗きんとん、黒豆、なます、田作り、昆布巻なども出てきました。
明らかに雑煮の具が入ったお汁なのに、餅が入っていません。お年寄りが喉に詰まらせると危険だから入っていないんでしょうけど、餅好きの私にとって餅のない雑煮なんて・・「けんちん汁」と同じです。


初日の出(2007.1.1:札幌市内の某病院)
まさか、こんな所で見るとは思いも寄りませんでしたよ。

世間の正月が終わった1月5日に退院し、連休明けの9日から出社していますが、自分の頭の中ではまだカレンダーがめくれておらず、相変わらず2006年の暮れのような感覚のままです。
10泊11日の入院でしたが、会社を休んだのは4日間だけで済みました。
 

今回のみならず、入院時にいつも世話になるのは妹です。
彼女はベテランの看護師であり、電話で「病院に担ぎ込まれた」と伝えても、慌てふためいて飛んで来る訳ではなくて、入院生活に必要な物を揃えてから来る人です。
医師からの病状の説明でも、私が聞くよりも妹に聞いてもらった方が、互いに話が通じるのです。

以前、彼女が整形外科の病院に勤務していた時代に、職場のレクリエーションのソフトボールでアキレス腱を伸ばしてしまい、自分の勤務先に入院したというツワモノでもあります。
婦長の手に点滴の針を刺す、新米の看護婦の心境や如何に。

(終わり)



post by 雁来 萌

07:47

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恥ずかしながら(5)

2007年01月11日

入院4日目は、朝から脳内の血流の検査を受けました。
血管に造影剤を注入しておいて、モニターを見ながら途中で筋弛緩剤を入れて血管を緩めてみて、それでも広がらなかったら血管が硬直してる(動脈硬化)ってことです。

左肘の静脈から薬剤を入れて右手首の動脈(脈を取る場所)から回収(採血)するんですが、手首の血管が細くて場所が分かり難いらしく、針を刺し直して・・後で見たら3ヶ所に刺し傷がありました。

この検査も、結構退屈な上に体を動かせない辛さがあります。1時間以上かかって、もう、ミイラになったと思って我慢するしかありません。
体がジワジワ暖かくなる感じがして、温泉地の砂風呂に浸ってる気分に似てるかも。

検査が終わって、午後に天皇杯の試合を見ていたら、雑用係のおばさんが「コンサドーレの選手がこの辺に入院してたんだよ、あぁ、この人さ。」と、テレビに映った選手を指差しました。へぇ~。
取りあえず、ボロボロに負けなくてホッとしました。
 

毎日、色々な検査を受けるため、その検査を受けること自体で具合が悪くなってしまう気もします。
翌日に、一連の検査結果を総合して、主治医から説明がありました。こういう時代ですから、質問した事には丁寧に答えてくれます。

それによると、「主因は脳内の血管が細いことで、これは多分、先天的であろう。脳への血流が少なかったのに、ストレスが加わって血流がさらに減ったために気を失ったのであろう。」ということでした。
脳への血流が少ないって、頭の血の巡りが悪いってことですよね?(不安的中)

従って、日常生活においては「血圧が下がる原因を避ける」よう注意すべきだそうで、普通の成人病とは逆のような印象を受けました。自分はまだ成人していないのか??
危険な状況としては、睡眠不足の状態で仕事を頑張り、夜に酒を飲んで血管を広げておいて、急にトイレに立つ・・と、血圧が一気に下がって倒れる恐れがあるとか。

私の血管には、まだ緩むだけの弾力があったそうですが、それでも一般人よりは細いそうです。
神経だけじゃなくて、血管まで繊細だったのだな・・。
子供の頃から手足の末端が冷える体質だったしな・・。
夜中まで起きててブログを更新するのは良くないのだな・・。

でもね、病院だって夜通し大声でわめくお年寄りの患者もいて、あまり眠れないんですよ。


post by 雁来 萌

07:29

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恥ずかしながら(4)

2007年01月10日

入院3日目の朝の回診で、主治医の先生から病状の説明があり、「元々、血管が細かっただけで、急に狭くなったり詰まったりした訳ではないようだ。少し無理をしたのではないか?」という見解を聞かされて、大いに納得しました。
結論:仕事の無理がたたった(自己満足)。

病名は「椎骨脳底動脈閉塞(狭窄)症」と言うらしく、平たく言えば、脳へ行く血流が少なくなって失神した、ということのようです。
病室から出歩いても良いことになりました・・と言っても、点滴が付いているのでエレベーター前の自販機に行くだけの狭い世界ですが。

午前中に「心エコー」の検査があり、これは人間ドックの超音波検査と同じような器械を病室に運んできて、心臓の検査をしました。
画面を見て、「おぉ、心臓が動いてる!・・でも、あまり強そうな心臓じゃないな。」などと自己中心的な見方をするのが病人の特徴です。それにしても、よくまぁ休まないで動いてるもんです。
1日に約10万回×365日×年令=??
記録された信号を音声として再生して聴く機能が面白くて、まるで何かを喋っているように聞こえました。

午後に病室が変わって、病院の中枢部から離れた神経内科の病棟へ移りました。
主治医によると、「もう一度MRIで検査し、血流の検査もして、異常がなければ年内に出れるかも知れない。」とのこと・・・「えっ? 最初に聞いた1ヶ月って、何だったの?」と、夏休みを急に短縮されたような、雨で遠足が中止になったような、一種の落胆を感じました。

夕方に2回目のMRIの検査を受けました。MRIは「頭の中にキツツキがいる」と表現した人がいますが、私にとってはそれほど不快ではなく、コンサートホール「Kitara」のパイプオルガンが鳴ってると思えば心地よく聴いていられます(ただし音量は大き過ぎる)。

院内ならばどこを歩いても構わないとのことなので、売店やロビーをプチ探検してみました。蛙にとっては、井戸の中だって大宇宙ですから。

明日は、多分最後の検査になる(ことを切望する)、脳内の「血流の検査」を受けるらしいですが、その検査が、天皇杯の準決勝の時間帯とカブらないことを祈るばかりです。

card
テレビや冷蔵庫に使うプリペイドカード
テレビは1000円で20時間、冷蔵庫は100円で24時間の割で減っていく勘定になり、退院時に残額は払い戻されます。



post by 雁来 萌

07:16

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恥ずかしながら(3)

2007年01月09日

入院2日目には、色々な検査を受けました。

【脳波】
ラグビーの防護帽のようなヘッドギアを被って電極をたくさん固定し、まるでオ●ム真理教の信者が洗脳を受ける光景です。
光を遮るアイマスクを付けて横たわっているだけなので、眠くなります。どんな オーラ 脳波が出ていたのか、興味があるところです。

【心電図】
人間ドックでの検査と同じで、胸に吸盤の電極、手足にクリップの電極を付けて寝てるだけの、身体的に全くストレスの無い検査です。

【血管造影】
頭の中の血管を調べるのに、足の付け根の大動脈からカテーテルを入れて造影剤を流し込むという、いささか遠回りな感じがする方法ですが、ここの血管が一番刺し易いらしいです。

カテーテルの進行経路(副作用を説明する資料から抜粋)

カテーテルを刺す場所の周囲の体毛を剃らなければなりませんが、右脚を予定してはいても、血管が曲がったりしていると左脚に変更する場合もあるので、念のため両側を剃るそうです。「そんな面倒なことしないで全部剃ればいいのに」と言いかけて飲み込みました。「自分で剃ってもいいですよ」と言われましたが、「餅は餅屋」なのでお任せしました。←餅肌の私。

頭の近くまでカテーテルが進んだところで造影剤を注入しますが、「顔の左側が熱くなりますよ~」と言われれば、確かにその部分が熱くなります。「頭から血の気が引く」のとは全く逆の感覚で、頭に血が上るというか、お湯が上って行く感じです。

困ることは、何しろ動脈に孔を開ける訳ですから、カテーテルを抜いた後で出血します。止血のために傷口をバンドで押さえるんですが、術後4時間は足(腰)を伸ばしたまま寝ていなければならず、これが結構シンドイです。
 

検査漬けの一日が終わったのが午後7時頃で、それから夕食を摂った後は直立不動(?)の姿勢でじっと寝てるだけ、午後11時にやっと固定バンドを外されて眠りました。



post by 雁来 萌

06:41

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恥ずかしながら(2)

2007年01月08日

救急車が年末の車の流れを蹴散らしながら病院に到着すると、検査準備室のような部屋に運ばれ、そこで家族に連絡したり、検査前の準備をしたり、所持品の確認をしました。刑務所の入所時みたいな・・って、もちろん未体験ですよ。

まず、MRICTスキャン、レントゲンなどで頭の内部を調べた結果、脳底動脈という血管の一部が細くなっていることが分かりました(患者本人がそれを知ったのは後日ですが)。
自分としては、頭の中が空っぽである事実が判明することが一番不安だったのですよ(笑)。でも、「のうていどうみゃく」って、何??

通常、太い動脈が詰まって血流が止まったり、動脈瘤ができて破裂したりすると大事に至りますが、私の場合は上記の動脈が元々細かったので、血液の流量が酸素の消費量に追い付かなくなったようです。
スポーツカーは燃費が悪いとか、高速処理の計算機は電気を食うとかいう傾向はありますが、自分の頭脳の性能をそれらと同列に論じていいものかどうか、甚だ疑問ではあります。

検査が一通り済むと、ICU(集中治療室)のベッドに寝かされました。ここは常時監視が必要な患者を集めておく部屋で、婿養子のように大事に扱われる極楽ですが、立って歩くこともできないし、脈拍や血圧や呼吸などのモニターがあちこちでピーピー鳴るので、とても熟睡できる環境ではありません。
ここの要員は淡々と、しかも機能的に働いている印象を受けました。人間の臓器で喩えるならば肝臓かなと。

この時点では、重篤な状態に陥る危険性もあるため、1ヶ月ほど入院する必要がある、という説明を受けました。
退院して職場に復帰したら何て言おう・・「恥ずかしながら、生きて帰って参りました!(敬礼)」ってか。

夕食を食べる時間が無かったので、翌朝の食欲はありましたが、かなり質素な献立で・・栄養になるのは米くらいかな?という感じでした。食欲旺盛な患者がいるはずのない部屋ですから、これでいいんでしょう。

朝の回診の後で、院長先生と主治医との打合せの結果、「血管造影」の検査を行うことになり、切迫した危険が無さそうなので一般病棟へ移りました。ただし、種々の検査を受けやすいように、検査室が集中している階のすぐ下の階でした。


追記(2007.1.8)

病院からもらった説明シートの一部:
見えるはずの血管が 「←見えない!!」と書いてある



post by 雁来 萌

07:42

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