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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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恥ずかしながら(1)

2007年01月07日

甚だ唐突なことですが、勤務中に気を失って倒れ、年末年始を病院で過ごすことになりました。

既に退院しましたが、初めて倒れたままあちらの世界へ行ってしまう人もいるし、後遺症で体験談を書き記せなくなる人もいるので、滅多にできない体験を数回に分けて報告しようかと思います。
これは「闘病記」ではありません。私の場合、病状は大したことないので、闘う相手は「病気」ではなくて、種々の「検査」でした。
入院2日目にして、こんなことを考え始めたブロガーですが、何か。
 

2006年も押し迫り、(義理で買った)大型のX-mas ケーキを少しずつ食べながら過ごしていた頃の、火曜日のことでした。
会社での仕事もそろそろ切り上げようかと考えていた午後6時頃(と記憶している)、データ処理のプログラム作成中に、貧血のように視野がにじんできたので、それまでの前かがみの姿勢から少しくつろいで、椅子の背にもたれて楽にしました。
記憶があるのはそこまでで、次に目に見えたシーンは、床に横たわっている自分を周囲の同僚が見下ろしている(「みくだしている」ではない)光景でした。

起き上がろうとしましたが、「安静にしてた方がいい」と言われるし、既に救急車を手配したらしいし、起きている間に意識を失ったのは初めてのことだったし・・で、観念しました。
自分で歩けるんですけど、両腕を同僚に掴まれて拉致され、白い車に押し込まれ、ベルトで固定されたまま連行されました。

実は、救急車で運ばれたのは今回が2度目です。20年ほど前に、交通事故で背骨の横に出っ張っている突起(鮭や鯨の背骨を思い浮かべて下さい)を3ヶ所折って搬送されたことがあります。
腰椎横突起骨折って、G大阪の播戸選手が試合中に骨折した箇所と同じです。
 

気を失っている間に、霊界は見えませんでした。私は元々、霊感なんて全く無い人間だし、「お前のような中途半端な人間には見せられない!」と門前払いされたのかも知れません。
もし丹波哲郎に会ったなら、生前に何度か見えた(らしい)霊界と、最終的に見たホントの霊界とが同一だったのか否か、確かめたかったのにな~。


post by 雁来 萌

11:48

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越すに越されぬ大井川

2007年01月06日

前編中編後編に続き、この話は妄想・・を文章にするのも疲れますね。

都合により、このシリーズはこれで終わります。


魂娑藩の軍団が湯明日田城へ向けて三方から進軍を開始すると、次第にその軍勢が増えて大名行列のような規模になり、我が軍を城の外で撃退するのは無理と見てか、守備側の武田方は砦から退却して城内に篭りました。
合戦の指揮を取る仙台藩は、もはやこの戦に勝ち目は無いと判断し、武田方の軍勢をうち捨てて密かに逃走してしまいました。噂の通り、仙台藩は泰平な生活に慣れ過ぎて、かなり堕落している模様です。

湯明日田城の門までは難無く進めたものの、城門がなかなか開かないため、入城を待つ魂娑藩の隊列が数珠繋ぎになり、しまいには城を一周するほどの長さになりました。

やっとのことで城内に入ると、武田方の軍勢は予想よりも少なく、戦意も感じられません。仙台藩にうまく利用された末に裏切られたという、忸怩たる思いもあるでしょう。
武田家の武具は青と赤との色使いであり、江戸近郊の江伏藩の武具と見間違えそうになることもあります。一方の魂娑藩は、討ち死に覚悟でこの戦に臨んでいるため、全員が白装束に身を包んでおります。

仙台藩が置き去りにした牛の舌の焼物や、ずんだ餅を頬張りながら開戦の刻を待っていると、武田方の陣内から一人の武者が騎馬に跨って走り出て来て、敵陣からはやんやの喝采を受けました。一騎打ちを望んでいるのかと思って名乗ったのを聞いてみると、「堀井岳之輔」と申す名のようです。当方からも、その勇猛な武者に向かって扇や手拭を振って囃していました。

武田家の内情に詳しい者の話によると、彼は元々は甲斐の出でありながら、諸国を回って諸藩の用心棒役に取り立てられておりましたが、剣術に勝てたとしても寄る年波には勝てず、今年限りで用心棒暮らしから隠居するそうです。今後は、故郷で剣術道場を開き、後進の指導に当たるらしいですが、そう言えば、魂娑藩にも一宿一飯の義理があったような気がします。

彼は何やら当方に向かって伝えたいことがあるようで、耳を欹てて聞いてみると、「伴天連の兵などの助太刀を求めるのは卑怯である。ここは日本人同士で雌雄を決しようではないか。」という主旨のようです。
どうやら敵方には、当方の富貴氏が戦線を離脱しているという情報は伝わっていない様子で、これは渡りに船と、承知の旨を返答しました。
 

さて開戦の法螺貝が鳴り渡ると、そのような音を始めて聞いた武田方の雑兵は慌てふためき、当方が放った矢に対抗して攻め返すべきところを、味方の陣内に向けて矢を放つ始末で、その内の一本が武田方の武将に命中してしまったのを切っ掛けとして混乱に陥りました。

武田兵は敏捷な者が多いながら、あまり戦には慣れていないように見受けられます。当方の本陣近くまで寄せて来ても、そのまま突撃して来るのかと思いきや、直前で互いに先陣を譲り合うなど、およそ武士の風上にも置けない軟弱な振舞いが目に付きます。やはり、百姓どもを俄に徴用した雑兵は、戦の役には立ちません。

戦が終わってみれば当方の損害は軽微で、目覚しい戦功を上げた加賀氏が、大将からお褒めの言葉を頂きました。

思い起こせば昨年の暮れ、帆立城に篭って武田家を相手に戦を構えたことがありましたが、我が藩が勝利を手中に収めようとする寸前に、相手の逆襲を食らって味方が総崩れとなり、総大将の家友様に大恥をかかせてしまいました。
魂娑藩士達は皆、その屈辱をいつかは晴らさねばならぬと肝に命じ、家友様の家紋が染め込まれた手拭を懐に忍ばせて此度の戦に馳せ参じたのです。

何とか汚名を濯ぐことができ、幕府からの恩賞も頂けることになりましたが、天下を制するまで戦に休みは無く、次は大坂の岩馬藩が戦を挑んできております。

敵は、遠江の掛川宿の近くの恵古波城に陣を張っている模様です。ここならば、上方から見て大井川を渡る手前なので、いつでも故郷へ逃げ帰れる地の利があります。
当方としては、大井川を渡った所で陣形を整え直さなければならず、その隙に急襲を受ける恐れもあって、かなり不利な状況です。

湯明日田城の戦で深手を負ったために恵古波城の戦には参戦できない者や、武士に相応しくない振舞いを重ねたために参戦を許されない者も多く、当方に利する材料はあまりありません。
さらに心配なのは、佐藤氏は敵方から飛んで来た矢に対して目測を誤ることが多く、傍から見ていても危なっかしくて肝を冷やします。視力が落ちているのか、ただ単に前へ出たい性格なのかは分かりませんが、武田家の事情について妙に詳しいのも気になり、敵方に内通しているという疑いも完全には拭えません。

(終わり)


post by 雁来 萌

20:27

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風鈴火山の旗印

2006年12月21日

前編中編に続き、この話は妄想の産物ですから・・(以下略)


福蟻城を出立した魂娑藩の伊達討伐軍は、半月ほどの行軍の後に、仙台・湯明日田城を眼下に望む丘へ到着しました。
途中、蝦夷地から小船に乗って馳せ参じた武者どもが合流しましたが、長い船旅のせいか頬が痩せこけており、足元がおぼつかない様子に見えました。

城の周囲には伊達の友軍勢が堅固な陣を張っており、容易に城へ接近することもできません。
さすが、領内で金が産出する富裕な仙台藩の布陣かな・・と呟きながら遠眼鏡を城に向けてみると、伊達家の旗印ではなく、甲斐の武田家の旗印である「風林火山」の文字が目に飛び込んできて度肝を抜かれました。

そんな筈はないと、気を落ち着けてよく見れば、「風鈴火山」と記してありました。虎の威を借りて敵を欺く姑息な手段を用いているようです。
 

仙台藩では、かつて「舞乱目留」と呼ばれる品種の稲を栽培しておりましたが、この種は寒さには滅法強いものの、味が落ちることから評判が悪く、他藩に売却することは無理なので領内だけで消費しておりました。
近年、「笹西季」と名付けられた種の稲を採用し、新たに開発した「辺軽田」と呼ばれる作付け法を用いることにより、収量を大幅に増やすことが可能になった結果、一気に藩内の経済状況が好転したと聞いております。

藩士達の暮らし振りもたいそう豊かになり、楽をして安泰に生活できる水準にまで達したため、藩士達の間にも不満を抱く者がいないそうです。
従って、戦という手段を用いて覇権を競ったり領地を広げたりする必要は無く、武士でありながら戦そのものに嫌気がさしてしまう者が多くなるのも頷けます。
他藩との争い事が生じた場合には、巧みな交渉術や金銭で解決するのが仙台流の慣わしらしく、藩内では「銭は城、銭は石垣、銭は堀」が合言葉のように言い交わされているとか。

そうなると、城や砦は無用の長物と化してしまうので、固定資産の有効活用という観点から、戦をしたい藩に城を貸し出して賃貸料を徴収し、その収益で城の損傷部分を補修する仕組みを考え出しました。
賃貸の城を利用すれば、自前の城を持たない藩でも戦を構えることができ、自ら城を築くよりも賃借した方が安上がりに済むため、好戦派の諸藩からは有難られております。
月単位や旬単位で繰り返し借用する上得意の藩もあって、何年も先まで予約が詰まっている城もあります。

この仕組みを試行していた当初には、戦を見物しに来た者どもから見料を集める程度でしたが、次第に見世物化して商い事の対象に変わってきました。
昨今では、藩内の富豪な商人達を半ば強制的に戦場に招き寄せ、法外な観覧料を藩に献納させることが常態化しています。その見返りとして、見物に来る商人達が自家の宣伝を行うために、戦場に隣接した見晴らしの良い小山などに家紋入りの陣幕を張ることを黙認しています。

一体、どこが戦場でどこが見物席なのかも判別が難しい有様で、稀に敵陣と間違われて矢が飛んで来るという、笑えない体験もできるそうです。
用心深い見物人達は、身の安全のために煌びやかな鎧を着て花見弁当を広げる始末で、なおさら敵陣と間違えられる原因を作っているようにも見受けられます。まことに、金の亡者につける薬は有馬温泉。
 

おそらく、仙台陣の最前列に並んでいる「風鈴火山」の軍旗は、伊達家に金で雇われた武田の落ちこぼれ武者が掲げているに相違ありません。いくら落ちこぼれとは言っても、流石に「風林火山」の軍旗を掲げることは武田本家に憚られるのでしょう。「其喧如鈴」とは、よく考えたものです。
・・とすれば、戦陣を構えている軍団は、全て雇われ武者の寄せ集めなのでしょうか。もしそうだとすると、恐れるに足る武者達ではありません。大方は、食うにも事欠く百姓どもが、兵糧を与えられて胴丸を着ているだけなのでしょう。
 

魂娑藩の切り込み隊長である富貴氏は、福蟻城の戦で手傷を負って止むなく戦列を離れましたが、その後の傷の回復が思わしくないのか、湯明日田城へ向かう途中で故郷へ引き返してしまいました。
彼は切支丹大名の血筋を引く武者であるためか、年末に行われる栗栖神社の鱒際りの頃になると、役目を放り出して自宅で家族と共に過ごすことは毎度の慣わしであり、里心がついたとか仮病だとか囁かれたりもしますが、本人は一向に頓着しない様子です。

残る兵で頼りになりそうなのは中山小隊長と相川進之介くらいで、その他は狙撃兵の正也、伝令の謙伍郎、斥候の征八、お小姓の大伍郎くらいです。
いくら財前守による鍛錬の成果があったとしても、お小姓が一人前の戦力になるとは思えません。

縁起でもない話ながら、万一この戦に不覚を取るようなことがあれば、幕府からの恩賞を貰い損ねるどころか、湯明日田城の賃借料まで払わされる恐れもあります。参戦する道中で陣形を整えるために逗留した、磐城村での旅籠賃も踏み倒さざるを得ません。

(終編?へつづく)


post by 雁来 萌

23:23

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湯明日田城への進軍

2006年12月15日

前編に続き、この話は妄想の産物ですから、お忙しい方は読む価値がありません。

当初は、本編と続編だけで終わるつもりで書いていましたが・・・チーム事情により終われなくなってしまいました・笑。
いつまで続くのか、誰にも分かりません。


さて去る9日、福蟻城を受け取りに向かった魂娑藩の軍勢が領地境に差し掛かると、市原藩の領地を横取りしようと企む越後の有備藩の兵が待ち伏せていました。
しかし、彼らの目的は当方の軍勢や戦闘能力を推し量るのが狙いのようで、直ちに攻撃してくる様子はありません。
警戒を怠らずに緊張しながら行軍しましたが、福蟻城に到着するまで市原藩士による抵抗もほとんど無く、門前で手形を簡単に確認しただけで入城することができました。
城内に入ると、先に入城していた有備藩の主力部隊は、弓矢が届かない距離を保って対面の城内に陣を張っておりました。

城内に送り込まれた市原藩の忍びの者どもによる徹底抗戦も懸念されましたが、隅の方に篭って両軍の戦況を窺っているだけで介入もせず、寒さに震えながら傍観しておりました。

金属的な音色を発する笛の合図によって合戦が始まると間もなく、有備藩に雇われている伴天連の部隊長・江地味嘘氏の不意打ちを食らい、魂娑藩は一気に不利な情勢に陥りました。

遊撃隊である砂川隊の奮戦によって形勢は逆転しましたが、切り込み隊長・富貴氏が手傷を負って戦列から離脱した途端に、防戦一方になってしまいました。
当方の戦術は部隊間の統一性が乏しく、連携した攻撃が出来ないので敵方に有効な打撃を与えることが出来ません。
ついには、近衛隊の佐藤氏が敵に内通しているかのような失態を犯してしまい、有備藩・矢野氏が魂娑本陣へ突入して総大将に打ちかかる場面もありましたが、小姓・大伍郎がこれを鉄扇で打ち返して事無きを得ました。

戦況は膠着して日も暮れかかってきたため、両軍による協議の結果、一騎打ちにて雌雄を決することになりました。しかし、相打ちが続いて双方互いに一歩も譲らず、なかなか決着が付かずに時間ばかりが過ぎていきました。
結局、魂娑藩・西嶋氏と有備藩・矢野氏との対決では、佐藤氏の加勢もあって矢野氏を討ち取り、ようやく魂娑藩が勝利を収めることができました。

佐藤氏は内通の疑いや失態の汚名を濯ぐことができ、魂娑陣内から発せられた勝ち鬨と共に、手荒い祝福を受けたのです。
城内では蝦夷の郷土を称える歌声と共に大旗がちぎれんばかりに打ち振られ、藩士達は気が狂ったように飛び跳ねておりました。

多くの犠牲を払ったものの、首尾よく福蟻城を確保することができ、これで城受け取りの大役を果たせたと胸を撫で下ろしたのも束の間、捕らえた有備藩の隊士を詰問してみると、実は奥州の仙台藩が、陰で有備藩を操っていたことが判明したのです。

かくなる上は、幕府に対する忠誠を示すためにも、仙台藩をも討伐せねばならなくなりました。しかし、仙台藩の本拠・青葉城は堅固な造作になっている上、金満な伊達家の軍備は我が軍とは比較にならぬほど強力であるらしく、易々と攻略できるとも思えません。止むなく、まずは仙台藩の北方の出城である湯明日田城を攻撃することにしました。

仙台藩に送り込んでいる「くの一」から届いた密書によると、湯明日田城内に潜入して探索した結果、既に魂娑藩が進攻して来ることを予想して、外敵を撃退する仕掛けなどを造り始めているとのことです。

かつて、その城が魂娑藩の出張陣屋だった頃には賤巣田陣屋と呼ばれており、御三家・水戸藩の安虎家を招いて蹴鞠の御前試合が行われたことが懐かしく思い出されますが、軍備を増強した伊達家による襲撃を受けて奪取され、湯明日田城と改名されてしまいました。
ここは青葉城から見て鬼門の方角に当たるため、この城を落とせば仙台藩にとっては精神的な打撃が大きい筈で、何としても攻略せねばなりません。

(まだつづく・・のか)


post by 雁来 萌

00:32

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福蟻城の攻防

2006年12月08日

※この話は妄想の産物ですから、お忙しい方は読む価値がありません。


もう、一箇月以上も前の話ですが、上総の国で珍しい果たし合いがありました。
市原藩の武術指南役である、尾占家の道場の門を叩き、身のほども知らずに他流試合を申込んだ浪人がおりました。

どうやら蝦夷地から流れてきた者らしいのですが、かつて仕えていた魂娑藩は、諸国に武勇の名を轟かせるほどの軍団を抱えていたにも拘らず、藩の財政が逼迫して藩士達を養えなくなり、藩主自身が行方不明になったのを始め、多くの藩士が流浪の生活を強いられることになったと聞き及びます。

その浪人の風体たるや、髭や髪は伸び放題、身に纏った着物は継ぎ接ぎだらけで裾は摺り切れており、細い帯にて腰の大刀をやっと留めている有様にて、咳き込んだ弾みにでも滑り落としてしまうかに見えました。

奥州を経て陸路を歩いてきたのか海路を辿ってきたのかと問えば、「翼から火を吐くの背に乗って飛んできた」などと戯けたことを申す始末で、窮乏した生活の所為か思考までもが冒されてしまったように見受けられます。

詳しい事情は判然としないものの、その浪人は何やら市原藩に遺恨を抱いている模様で、道場に乱入した折には意味不明な言葉を発していた、という証言もございます。

市原藩では犬をたいそう大事に扱い、態々犬のために調理した朝食が夜明けと共に家々の門前に並べられる様は、一見の価値があるほど見事な光景だそうです。
犬を粗末に扱ったり苦しませたりした飼い主は、厳罰に処されるとも言われており、あるいは浪人の親類等がそのような仕打ちを受けたが故に、恨みを抱いているのでしょうか。

さて果たし合いの刻限が近づくと、城下の姉崎の海岸には物見高い者どもが集まり、遠巻きに事の成り行きを見守っていましたが、太鼓の音が鳴り響いて果し合いが始まりました。

お世辞にも洗練された太刀筋とは言い難く、腰を落として走り回る様は見物人の失笑を誘うほどなのですが、正統的ではない剣法なるが故に尾占氏も処し難い様子です。
天下に名を馳せた剣術指南役との対決なれば、哀れな田舎侍が一刀両断にされるものと誰しもが思っていましたが、あに図らんや、近寄れば下がられ、退けば詰められるという戦法で、次第に尾占氏には焦燥感が見え始め、額には汗も浮かんできました。

にじり寄った尾占氏が打ち下ろした切っ先を寸前でかわしたかと思うと、浪人はそのまま尾占氏の懐に飛び込み、足を取って尾占氏を仰向けに倒してしまったのです。運悪く砂の下には小さい岩が隠れており、後頭部を打った尾占氏は不覚にも気を失ってしまい、難無く浪人に討ち取られてしまいました。

蝦夷地では、羆に襲われた時には逃げずに懐へ飛び込むという風説があるようです。その方法で首尾よく助かった者はいないのですが、逃げれば確実に食い殺されてしまうことを考えれば、万に一つの可能性に賭けるのも、あながち間違いではないのかも知れません。

大方の予想に反した結末に、しばしの静寂があった後、見物人の間からはどよめきとも歓声ともつかぬ声が湧き上がりました。
今年になって、尾占家では先代の当主である揖斐茶公が隠居し、家督を継いだ尼留公の代に替わった頃からは、武術の鍛錬を疎かにしていることが傍目にも分かるほどで、先行きを悲観して道場を去る者も出たとか。

この果たし合いの顛末は幕府重鎮の耳にも入り、浪人相手に不甲斐ない負け方をした市原藩には重い罰が下されました。
指南役の尾占家はお家断絶となったのはもちろん、市原藩は領地を召し上げられ、福蟻城を明け渡すこととなったのです。

一方、単身で見事に市原藩の指南役を打ち負かした浪人は、武士の鑑として賞賛を受け、仕えていた魂娑藩までもが恩恵を浴することになり、福蟻城を受け取りに出向く大役を仰せ付かりました。この役目を無事に果たせれば、さらに恩賞や仕度金が授けられることも期待できます。

師走の9日、魂娑藩を出発した本隊と江戸詰めの警護隊とが合流して、総数二千人の軍勢が福蟻城へと向かったのですが、領地境の峠に差し掛かった所で、市原藩の領地を横取りしようと企む越後の有備藩の兵が待ち伏せていました。

さらに、幕府による厳しい処置に承服できない市原藩士達も多く、藩主からの密命を帯びた刺客や不穏分子が領地内に潜んでいる上、城内に送り込まれた忍びの者どもは、城を受け取に来る魂娑藩士に対して徹底抗戦する構えであるとも噂されております。

(つづく・・かも)


post by 雁来 萌

23:57

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ファッションコンテストのライバル?

2006年07月25日

7月29日(土)の湘南戦において、「サポーターズファッションコンテスト」という催しが行われるそうです。

私は女性部門に応募・・ウソです、何をする予定もありません。赤黒のビキニとか、メイドとか、ゴリエとか、セーラームーンとかを期待してる方は諦めて下さい。(爆)

代わりに、私のライバルと思える、厚別競技場で見かけたご家族を紹介します。ただ、私が勝手に「ライバル」だと感じただけであって、先方は相手にもしてくれないと思いますが。
 

お嬢ちゃん2人とお母さんの3人で競技場に来て(るように見え)ますが、去年から数回見かけました。ドームではまだお見にかかっていません。

最初に目に付いたのはお姉ちゃんで、スタイルも良く、見事な赤黒ファッションを身に纏っています。小学校の中~高学年あたりでしょうか。

続いて目に入るのが、ベビーカーに乗せられてる(クセに・笑)、これまた赤黒の衣装に身を包んだ妹さんです。自分では歩かないのに、両足には赤と黒のスパッツを付けていて、お姉ちゃんとお揃いになってます。
妹さんの方はまだ「衣装に着られてる」感じがしますが、お姉ちゃんの方は見事に「着こなして」いて、彼女の周辺は空気まで華やかになっているように感じます。

そして最後に、この姉妹を連れている(多分)お母さんですが、どこのモデルさんか?と思うほどの・・大人だからシックですが、見応えのあるファッションをしています。この親にしてこの子あり・・と言うか、お母さんの手作りだと思われる衣装を見事に着て(着せられて)います。

お嬢ちゃん達は、去年は確かハンチングっぽい帽子を被ってましたが、今年はカウボーイハットになりました。おそらくドールズの帽子に合わせて変えたんだろうと思います。
もしかしたら、お姉ちゃんの方はドールズジュニアなのかも知れません。妹さんも、今年は自分で歩けるようになりました。

いずれはドールズになるのでしょうか。萌えちゃいますぅ・爆。


記念写真を撮ってます  ちっちゃな手でVサイン
 

犬が来たので歩み寄って行きます  なぜに4番?
 

右足の靴底がたまりません
 

※ご本人のご希望があれば、写真は削除します。
撮影はいずれも厚別競技場です。(2006.5.3)



post by 雁来 萌

22:53

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チームのふるさとへ

2006年03月21日

コンサドーレのホームタウンは札幌に決まっとるだろうが、と言われそうですが、私的にはなんとなく室蘭じゃなくて栗山が第二の故郷のように感じます。室蘭生まれの人間でさえ、そう思うんですから。

「栗山町ふじスポーツ広場」のベンチにのんびり座っていると、季節によっては雲雀が鳴いてたり、蝉が鳴いてたり、トンボが飛んでたりで、はるか高い所を飛んでる飛行機さえも、鳥に見えたりします。
札幌にいる感覚とはまるで違って、仕事のことなどすっかり忘れてくつろいでしまい、頭の中を漂白剤で洗われてるような?感じがするんです。(そのままミイラになれるかも)
夏でも肌寒いことがあるし、霧雨が降りやすいし、凍ってるんじゃないかと思うほどの冷たい雨に打たれることもあって、札幌に比べれば気候が少し厳しめなんですけど、それもあまり苦にならないです。

かつて、トップチームは栗山で練習していたことや、ユースの生徒が栗山高校に通っていたこともあるせいか、栗山へは「行く」のではなく「帰る」ような感覚に近いです。
サッカー場は「レオスパーク」と呼ばれるようになりましたが、今でも小学生や中学・高校・大学の大会などは、栗山や夕張で行われることが時々あって、普段はほとんど会わない、遠い親戚に会いに行くような感じがします。
栗山に着いた途端に急に若返った気分になれれるから不思議です。浦島太郎に教えてあげたいと・・
 

栗山や夕張への往き帰りには、必然的に長沼町を通ります。
ベートーベンの交響曲が聞こえてきそうな田園地帯の真ん中に、風景とはちょっと不釣り合いなレストラン「CRESS」が建っています。
本来はゴルフ場用のレストランかも知れませんけど、「ファームレストラン」と名乗っているだけあって、ハーブ畑や野菜畑に囲まれており、取れたての有機野菜を使ったパスタのメニューは、都会人の疲労と空腹を癒すのに最適です。(一応、都会人のつもり)

鉢植えのハーブを売っていたり、畑の中を通って池を巡ったりする小路もあって、食事の後に散策してると時間が経つのを忘れてしまいます。
札幌の方角に沈む夕陽は、映画の中の世界にでも入り込んだかのような錯覚を起こさせます。

このお店に寄るのも、栗山に行く楽しみの一つになっていますが、難点を言えば・・花には虫が集まることです。虫にも優しい有機農業だから、夏場に窓を開けて食事をしていると、虫が飛んでくるのが心配です。
しかし、戸や窓はネットのサッシで隙間なく塞ぐことができるので、開放的な空間でそよ風を感じながら、しかも虫を気にしないで食事ができる環境を実現しています。

お店のインテリアやウェイトレスさんの服装も、センスを感じる清楚さがよろしいです。このお店は冬期間(1月・2月)は休業するので、開店するのが待ち遠しかったんですが、最近夏期の営業を始め、ホームページもリニュアルされました。
 

※このレストランの姉妹店と思われるお店が清田にあります。こちらは「フランス厨房CRESS」という名で、食事の空間として素敵なだけではなく、身内や友人を集めてミニ披露宴を催す会場としても利用できます。(今からでもやり直せる?)

このお店の食材として使う野菜は長沼町から取り寄せていることからも、両店のつながりが分かります。特に、「お冷や」に加えられたハーブの香りが口の中に広がる瞬間は、虫歯の痛みをも鎮静させる麻薬の効能があります・笑。



post by 雁来 萌

01:07

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障がい擬似体験

2006年03月12日

先週の日曜日は、札幌ドームのホバリングステージの除雪をしました。
除雪と言っても、新雪を投げるのとは違ってほとんど「雪割り」に近い労力を要し、普段の運動不足がたたって、当日の午後から腰の曲げ伸ばしが不自由になってしまいました。

月曜日は物につかまって立ち上がる始末で、水曜日ころから少し楽になり、通常の状態に戻ったのは金曜日でした。その間、知人には「イナバウアーの練習をし過ぎた。」と説明しておきました・爆。

今年に比べたら、去年はかなり楽だったですね。雪の深さも浅かったし、かなり融けかかっていた状態なので、軽く押し運べる箇所もありました。雪の色とは思えないほど汚かったし。

今年の雪は硬くて厚くて、見るからに手間がかかりそうでした。作業時間も半ばになって休憩を取ろうかという頃に、ドームの職員さん達が「時間内に終わらなかったら・・」という話し合いをしていました。それを聞いたので、周囲を見渡して除雪が済んだ面積と未完の部分の面積とを比較し、「意地でも終わらせてやる!」という気になったのです。

ドリンクを飲んで一息入れた後は、急にペースが上がったように感じました。太陽高度も高くなり、緑色の面積が次第に広がってくると、隅の方に残った雪に向かって集まり、みんなで寄ってたかって 虐待 排除するんです・・まるで親の仇ででもあるかのように。雪に恨みがあるんでしょうかね、やはり。

無事に時間内に全面の除雪が終わり、緑色のビリヤード台ができました。
芝の色は去年より良かったかも知れません。一度暖気が入って融けた時期があったからでしょうか。
人海戦術の威力は凄いな・・中国には勝てないだろうけど・・などど、のぼせた頭で考えていました。これで帰宅してビールでも飲めれば最高なんですが、次の用事が待っていました。


かつて、トップチームの練習が月寒で行なわれていた時代(また回想だよ)、春先に月寒グラウンドの雪割りが行われて、その頃はホントにスコップを持って長靴で地下鉄に乗りました。

ヒーティングも何もしていない、グラウンドに積もったまんまの重たい雪を、人力によるスコップで除雪するのは到底無理な話でした。
細長い溝(塹壕)を掘って雪融けを早めるだけの作業でしたが、穴を掘るということは、自分より下にある雪を持ち上げることです。すなわち、重力に逆らって雪塊に位置エネルギーを加える作業になるので、融けかかった雪を水平移動させるだけの作業とは、力学的(=肉体的)な負担がかなり違います。

当日は用事があって午前中しか作業できなかったんですが、それでも腰が抜けたように立てなくなりました。歩く途中でも、地下鉄の中で立ってる時でも、腰がカクンと落ちてしまいます。(眠たい時に膝が折れる感じ)
乗り心地が良いはずの札幌の地下鉄でさえ、わずかな揺れがあんなにも負担になるとは、思いもよりませんでした。健常者には気付かれない不具合が、世の中の至る所にあるんでしょうね。

障がい者用の駐車場をつぶして部屋に作り直したり、強い揺れには耐えられない住宅を作ったり・・思いやりとか良心といったものの価値は??



post by 雁来 萌

09:45

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うれしさもちぅくらい

2006年02月23日

先週だったか、HFCから宅急便が届きました。
かなり先だって、ファンクラブから航空便が届いた時には「ナニゴトか?」と焦りましたが、プレミアム会員の会員証やらプレゼントやらが入っていました。このプレゼント品とほとんど同一のグッズを、既に持っているので困っています。欲しい人がいたら・・という意味ではありません。

今回は12.net のポイント抽選の景品として、フェイスタオルが届きました。
このシリーズのデザインは好みだけれども、スポーツタオルを買っただけで、フェイスタオルはわざわざ買うほどの欲求が湧かなかったので、持っていないブツでした・・プチ幸せ。

およそ、抽選とかギャンブルとかの運には縁の無い生活をしているので、こういう役に立つ物が当たるのは珍しいことです。毎月10名×7種類しか当たらないのだから、そんなに確率が高い抽選とも思えません。
当たったことは嬉しいには違いないですが、よく考えると「自分の運なんて、良くてこの程度だよな」と自虐的になってしまいます。

幸運に頼って人生を設計するのも危険ですから、浮かれ過ぎないように、という戒めかも知れませんね。
「自分のベストを出せればメダルは確実」な~んて、いつでも誰でもベストを出せるんなら、競技する意味が無いでしょうに。
欲張らずに、謙虚に生きたいもんです。



post by 雁来 萌

23:43

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善意の献血

2006年02月01日

:今回の話は、実生活に全く役に立たない可能性があります。(いつもは役に立っているのか?)
 
その1
試合会場に献血車が横付けして、輸血用の血液を集めていることがありますが、あの車って、「献血車」という呼び方で正しいんだろうか?と悩んでしまいます。

善意の市民が献血するのであって、クルマが献血するわけじゃないです。
クルマの呼び方は、「ゴミ収集車」や「検診車」、「除雪車」、「保冷車」、「移動販売車」、「照明車」、「護送車」・・などと、クルマ自体の作業を表すように命名されています。
それに倣うと、採血するクルマだから「採血車」か「血液収集車」もしくは「吸血車」と呼ぶのが正しいのではないかと。
クルマに乗り込んでベッドの上に横たわると、「チョット痛いですよ。」と気休めの暗示をかけといて、金属製のパイプを血管に刺してポンプで血液を「吸い出す」んですから。

後部の窓にドラキュラ人形がぶら下がっている「献血車」が走り去るのを見たことがあって、「ジョークの好きな看護婦さん(当時の呼称)もいるんだな」と笑ってしまいました。
 

その2
日本野鳥の会・札幌支部の会報に、献血を趣味にしている会員の話が載ってました。彼は時々野原に行って、献血してくるそうです・・野原??
鳥はもちろんのこと、虫も好きな人物だそうで、自分の腕に蚊を止まらせて、血を吸わせながら蚊を観察するんだそうです。
それって、インセクトウォッチング
それとも、手乗りヤブカ

彼の言い分は:
人間にとっては、少しぐらい血を吸われても命に別状は無いけれど、蚊にとっては、生きるために人間の血を吸うことが必要なのだから、蚊に献血してあげてもいいんじゃないか。
蚊を育てることは、それを食べている野鳥を育てること、さぁ、みんなで野原に行って献血しよう!
あなたの善意が野鳥を救うのです!
・・だそうで、善意も勇気もある方だと尊敬してしまいます。

腕に蚊がたかって、おいしそうに血を吸っている光景を思い浮かべると、わくわく ざわざわ してきますよね。
(森山良子 談)



post by 雁来 萌

00:46

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