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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2010年10月17日
天人峡の被災地を視察するついでに途中の東川町に寄って、「旭川電気軌道」(あさでん)の東川駅跡も見学しました。 相変わらず「電気軌道」という社名ながら、現在は電線も軌道も無いんですけど。 駅の跡に建てられた記念碑:逆光で見難い
複線だった線路跡と、残ってるホーム(右) →往時の写真(堀越さん)駅裏倉庫って感じで、JAなどの倉庫が旧線路脇に並んでいます。
旧町役場の建物を利用した「東川町郷土館」には、電車が保存されています。
堀越さんの写真集に載っている「101」の車両が館内に展示されていました。無理に押し込まれてる感じで窮屈だけど、風雨は凌げます。 私が最初に東川を訪れた(通過した)のは、東川線の電車がバスに変わって2年ほど経った後なので、電車が走ってるのを実際に見たことはありませんが、道路脇に「電車が走ってたんだなぁ」という痕跡はありました。 今でも、見る人が見れば当時の線路や施設の痕跡が分かるらしいです。 東川町は、国内外から写真作品を集めてコンテストを開催しているほどの「写真の町」で、「東川町文化ギャラリー」という、発表の場に相応しい施設があります。
絵画や彫刻や写真の展覧会が催されていました。 入口を入ったロビーの冷凍ケースに、氷の彫刻がありました。
オートバイに跨った氷人・・いつ、どこで製作したんだろう。 市街地の北方にある羽衣公園
天人峡に舞い降りた天女が、温泉に入る時に羽衣を架けた岩・・ではないそうです。 練習場の「コンサフィールド」の横にいつも旭川のユースバスが停まってて、以前から気になっていたんですが、ここは旭川U-15のクラブハウスのようです。
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お約束のアメダス探訪「東川」の巻隣は運動公園になっていて、観測の障害になる樹木や建物などは無いようです。 注意書き:イタズラすると罰せられます。
公園の駐車場にあったマンホール
大雪山の麓にある写真と米の町ですから、カメラとフィルムと稲穂と旭岳が描かれています。 続いて、アメダス探訪「志比内」(しびない)の巻
校庭の反対側から:校庭の隅というか教員住宅の庭先にあり、どう見ても背後の樹木の方が高いです。
風の観測には、やや不都合かも知れませんが、卓越風向の風上側ではなかろうと。 サッカー用のゴールらしい。
二宮金次郎(というより「金太郎」という体形)の像
「皇紀2600年」を記念して建てたらしく、銅像を供出させられたため石材で再建したようです。 志比内アメダスは2001年に移転した観測所でして、以前は「忠別」という地点名で、対岸の(旧)江卸(えおろし)発電所の構内にありました。 そこへ行く途中の、(旧)忠別発電所があった付近に立つ標柱
ここから少し上流にあった(旧)江卸発電所に通じる導水トンネルや遊水池を建設する際に、中国人や朝鮮人が働かさせられたそうです。 その(旧)江卸発電所は、実は忠別ダム(前報を参照)の直下にありました。
樹木を切り開いた部分に導水管が設置されていて、その下に発電所があったんですが、取り壊されてもっと上流に移設(新築)されました。 鉄塔が立ってる右側の建物は、忠別ダムのダム管理所です。 ダムや発電所に限らず、道路や鉄道、飛行場の建設、鉱山の採掘などの工事に中国人や朝鮮人が使役されて、多くの犠牲者が生じている上、マトモに葬られていない遺体もあるようです。 この種の標識は道内のあちこちにあり、慰霊碑が建てられて毎年供養している所もあれば、標識すら無い所もあります。
旭川に戻って、市街地の西側に架かる旭川大橋の近くに復元された「忠別太駅逓」の建物を見学しました。かなり以前にも見に来たんだけど、その時には見つけられませんでした。 元々は「上川郡農作試験所事務所」」の官舎だった建物で、上川地方に現存する最古(1886年:明治19年)の建造物であり、旭川市の指定文化財になっています。
板壁は屯田兵屋に似てて、裏側に回ると兵屋そっくりな造りでした。 後に「樺戸監獄署・忠別太出張事務所」も兼ねて、一室には「上川二等測候所」が設けられ、さらに「忠別太駅逓第一美瑛舎」としても利用されて、「忠別電話局」も設置されたそうです。→参考
「農作試験所」は何度かの変遷の後に「上川農業試験場」となって現在は比布町にあり、「測候所」は「旭川地方気象台」に変わって現在(2004年~)は宮前通東の合同庁舎内にあります。 道の駅で買った「蔵生」:生チョコしっとりサブレ
反対に読んだら「なまくら」で・・ブラックチョコを挟んだ柔らかいサブレです。 ホワイトチョコの方が好きなんだけど、そっちは包装紙が白っぽかったので、ほとんどデザインだけで選んだようなもの。
2010年10月15日
今年8月23日から24日にかけての前線による大雨で、旭岳温泉へ向かう道路に架かる橋の付け根部分が陥没し、通りがかった車が川に転落しました。 また、天人峡へ向かう道路が土砂崩れなどで寸断されて天人峡温泉が孤立し、宿泊客などがヘリコプターで救助されました。 川に転落した2名が死亡し、2名が負傷する災害となりました。 道路はだいぶ前に復旧してるし、色々な理由もあって被災現場を視察して来ようと思った次第です。 半月ほど前に予定していたけど都合がつかなくて先送りになり、先週末になって実行できました。 旭岳温泉は回数が分からないほど何度も訪れていますが、天人峡温泉は確か1回だけ訪れたことがあって、渓谷を見下ろす露天風呂に浸かった記憶があります。
運命の分かれ道:左が旭岳温泉、右が天人峡温泉徐行の標識の先に、臨時の信号が設置されており、
その先の土砂崩れ現場では、1車線の片側交互通行になっていました。 天人峡の駐車場:ガードマンではなくて道警の職員でした。
ドン詰まりの駐車場はまだ工事中で使えないので、手前の駐車場に停めさせられました。 紅葉狩りの時期の連休でもあり、なおさら混雑しています。 七福岩:紅葉を見に来た訳じゃないけど、景色は確かに良かったです。
帰り道の片側交互通行箇所:天人閣の送迎バスが来ました。
途中で河原に下りてみると、流木がたくさん残っていました。
対岸にも、流木がたくさん押し寄せられています。
水位が上限まで高かったことが分かります。 立ち木を押し倒しながら、道路の近くまで迫っています。
根こそぎ抜かれて流されて積み上げられた感じ。
上流で立ち木が倒れて流されて、流量が多くて流速が速くて橋の付け根が洗掘されたし、崖崩れも生じたので、上流からかなりの雨量だったと推定されます。 あまり寄り道してると暗くなって足元が危なくなるから、先を急ぎます。 旭岳温泉へ通じる道路は、忠別川に架かる橋を渡ります。
この橋の向こう側の付け根の路面が陥没して、車が転落しました。
黒っぽい部分が補修部分と思われます。
付け根部分・・このロープで車の落下を防ごうとしている訳ではなかろうと。
コーヒー缶を置いてありました。 この先に、「大雪旭岳源水」という水汲み場があって、岩に開けた穴から水が出ています。
ケースで持ち込んだペットボトルに水を詰めて、商売でもするんでしょうか。 旭岳温泉のホテル「ベアモンテ」
昔は「えぞ松荘」というホテルで、皇族が宿泊する度に「○○殿下御宿泊」とかいう、柱のような看板を作って玄関に掲げていました。 仕事とか登山とかスキーに、よく来たもんです。 仕事で近くのユースホステルに滞在してた時に、まだ外にいるのに勘違いでじょっぴんかられてしまい、冬の夜に暖房の無いプレハブ物置で眠ることになってしまったという(笑)・・その頃から寒さには強かったですから。 2007年に完成した「忠別ダム」
手前(左岸)の部分が「重力式コンクリートダム」、奥(右岸)の部分が「フィルダム」という珍しい複合形式のダムです。
構造などについて、詳しくは→こちらを見てね。 ダム湖である「忠別湖」には散策路や展望台がありました。
ダム直下に、(新)忠別発電所があります。
発電所などのこぼれ話については、次報に続きます。
2010年07月10日
十勝地方から手裏剣が飛んで来そうなタイトルですが、先週末はプリンスリーグの連戦のために帯広へ行きました。 1週間くらい前から週間予報の資料などを見ていると、試合の当日は暑くなるとか、涼しくて雨が降るとか、様々に変わって服装に迷いました。 雨が降った場合に備えて長袖シャツとカッパと長靴を考える一方、暑くなった場合に備えてTシャツと短パンとサンダルを考えるなど、チグハグな荷物を色々と揃えるハメになりました。 1泊目の金曜の夜は車中泊なので、フリースジャケットとベンチコートも積まなければならないし。 帯広へ行ったついでにどこに寄ろうかと考え、古い遺跡などを調べているうちに、十勝川の河口近くにある「十勝太」(とかちぶと)を検索しようと入力したら、「とか恥部と」と変換されました。 ・・北海道の恥部だったのか? 十勝地方って・・。
金曜日の夜中に降った雷雨のせいで土曜日は朝早く目が覚めたので、帯広に着いたのは6時前でした。 まず、国道の脇にある「帯廣発祥の地」の碑を詣でます。帯広って、こんな草むらから発祥したのか・・(←違) 三叉路の分離帯になってる三角形の土地に建っています。
この木に鍋が吊るしてあって豚が繋がれてたら面白いんですけど。 少し離れた、十勝開拓の先駆者である「依田勉三」の像も表敬訪問せねば。
帯広市民にとっては、札幌市民がクラーク先生に抱く尊敬の念よりも大きいのでしょう、きっと。 この像は「中島公園」の中に建っており・・というか、依田勉三の銅像を建立して土地ごと寄贈した「中島武市」氏を称えて、公園にその名が付けられています。
中島武市氏は帯広の政財界の実力者で、シンガーソングライターの「中島みゆき」は彼の孫に当たります。 国道を挟んだ向かいに「帯廣神社」があるので、車の中から拝みます。
これだけ善行を積んだのだから、試合にも勝てるはず。 次いで、西の方に残る古い民家の「田守邸」を見に行きました。
北海道固有の建築には見えないのも道理で、
昨年に訪れた、川西町の「川原家」と同じ「ワクノウチ造り」になっています。→記事 縁起が良い名前ですね・・シュートは「枠の内」へ。 近くで見かけた別の家屋や納屋?・・も似ています。
「ワクノウチ」というのは内部の構造であって、外壁の造作じゃないんですけど。 開拓の村にある「旧樋口家農家住宅」も同じ造りだそうです。 白樺通を走っていると・・白樺の切り株に乗ってるリスは何?
・・あった!→正面から見た図・・砂箱の番兵なの?
今年のプリンスリーグに参加してるのは8チームだけで、試合数が少なくて早い時間帯に終わってしまうので、土曜日の夕方に北の方へ行ってみました。 まず、何度も訪れている道の駅「しかおい」に寄ります。町民ホールの前に座ってる、パンダに似た緑色のタワシのような人形は何ですか? 後ろには、梟の形をしたタワシもありました・・これが「しかおい花フェスタ」の「トピアリー」という代物なんでしょうか。 こっちは蝶ですか? 蜂ですか?
後方の建物は「神田日勝記念美術館」です。 そう言えば、一昨年にも中札内で似たようなモノを見ました。(2008/7/6)
次に、道の駅「うりまく」を音ズレました。(←音痴)
ここの施設は新しく、訪れた目的は怪しいグッズを調達することですが、ほぼ所期の目的を達成しました。 乗馬体験が出来る「ライディングパーク」もあります。
本物の馬が怖い人は、デパートや遊園地にあったような「ライディングシミュレーター」に乗れます。(貸衣装あり) 霧が濃くて、この先の然別湖まで行く気がしませんが、神様は無事にお出ましになったようです。→鹿追町のトピックス 鹿追町は長崎県の鹿町町(しかまちちょう)と姉妹都市の締結をしているとかで、白蛇の舞が「くんち」に見えるのも納得しました。
日曜日のコンサの試合開始は13時過ぎなので、朝早くに足寄まで行ってきました。 子供の頃から大好きだった理科の実験じゃなくて社会科の実験って何? と思った「高速道路無料化の社会実験」が行われており、この実験に参加すると北海道が狭くなったように感じます。 当然ながら交通量(利用頻度=収入)が多い路線は対象にはならず、並行する道路があって高速料金を払ってまで通ろうとは思わない路線などが対象になっているようです。 運が悪ければ、一般道の方が早く着いたりしますから。 道の駅「あしょろ銀河ホール21」は、旧「ふるさと銀河線」の足寄駅があった跡に建っています。ここは朝8時から開いているので、時間を有効に使えます。 足型を作ってくれる工房のようです・・警視庁鑑識課指導?
足型を作れるのなら「デスマスク」を予約しておこうか・・。 観光案内の看板・・の支柱まで足の形になっています。
横に置いてある橇に乗せて運んできました。(をぃ) 急な階段を登ったてっぺんに展望室があり、眺めは素晴らしいです。
国道と並行して、左側に線路跡が続いているのが分かります。 足寄高校を卒業した知り合いによると、2つ年下だった松山千春は学校祭でもギターを弾きながら歌っていたそうで、確かに歌は上手かったと言ってました。 帯広へ戻る途中で、道の駅「ステラ★ほんべつ」に寄りました。 ただし、足寄ICから本別ICへは直行出来ないので、一般道を通ります。 ここも、旧「ふるさと銀河線」の本別駅があった跡で、誇線橋が残っていました。
線路は続いてないけど、線路跡は続くよ。
ホームや信号の高さが全然低いから、この線路は後で嵩上げしたような。 本別の隣には、甘納豆の会社「岡女堂」が工場の敷地内に自腹で建設した駅(跡)があって、なぜか痛快ですね・・経営は破綻して身売りしたらしいけど。
無料化社会実験の結果、道東道の音更帯広IC-池田IC間の交通量は前週比で2.86倍と大きく増えて、この伸び率は全国で8位だったそうです。 でも「前週比」と言ったって、翌週から無料になるのが分かっていたら利用を控えるのが普通で、「前週」はその前の週よりも交通量が減っていたはずです。 減っていた値を分母にして割り算し、2.86倍に増えたと言われてもな・・定価を値上げしておいて値引き率を大きく見せるようなもんじゃね? 増やすことに貢献した本人が言う言葉じゃないけども。 道東道は「高速自動車国道北海道横断自動車道黒松内端野線」と呼ばれる道路の一部らしいと最近知ったんですが、その始点と終点とが繋がっているなんて、普段はとても意識できません。 今後も恒久的に無料になったら通行料収入が無くなるのだから、道路の補修費用などはどうやって捻出するのか心配になったりします。
2010年06月17日
♪函館には、もう何度も行きましたね~ ・・と、軽い調子で書き始めて美流渡・万字炭山。 コンサドーレが最初に千代台競技場のピッチに立ったのは、1999年の夏でしたか、へぇ~・・月日が経つのは早いもので。 2000年からJリーグの公式戦が開催されるようになったのに、よりによってその最初の試合は都合がつかなくて行けなかった、という痛恨な出来事がありました。 それから10年、毎年の函館開催に泊りがけで行ってましたが、昨年の函館開催はプリンスリーグの日程と重なってしまったため、止むを得ず欠席しました。 コンサドーレ時代以前にも何度か函館を訪れているので、次第に見たい場所も少なくなってきて、札幌から千代台まで往復しただけの年もありました。 今年は、12日(土)にカブスリーグU-15の試合を見た後、芸術の森を散策してから、のんびりと寄り道しつつ函館へ向かいました。 中山峠の売店で買ったチョコレートインパクトが弱く、イマイチ中途半端なデザインですな。
函館到着は19時頃かと見積もっていたら、1時間ほど遅くなりました。 日中だから道路の流れが悪いし、海岸部では霧がかかってたし、急ぐ旅でもないと思うから、どうしても時間を費やしてしまいます。 洞爺湖芸術館にも寄ったし開館時間が終わりそうな時刻だったのに、展示してある作品の一つをスタッフが解説してくれました。 数年前まで開催されていた彫刻ビエンナーレは、初回から毎回見てるのでそのカラクリは知ってるんだけど、知らないフリして驚いてみせたり。(笑) 函館の中心部を抜けて電車通りを走っていると、「ゆうすけ」という飲食店があってビックリ・・よく見ると「ゆうすげ」でした。 湯の川温泉に並ぶ高層旅館などを眺めながら通り過ぎ、今回の宿は行き当たりバッタリで「函館空港」にしました。 空港内にはホテルなんか無い?・・駐車場に車を停めて素泊まりすれば、駐車料金が1時間当たり150円(5時間以上なら1日800円の定額)だとすると、ホテルに泊まる費用の10分の1で済みます。 温泉は体質に合わないし、美味しい物を食べたいとも思わないので、高い温泉宿に泊まる理由が無いのです。 夜に車の中でカブスリーグの写真を整理してたら眠るのが遅くなった上、翌日も朝早く目が覚めたので睡眠時間は少なかったものの、1泊750円を払っただけのエコ宿泊でした。
翌日の早朝は、まず函館山に登って朝日を拝みました。 函館に来たから、という理由で「うに丼」や「いかめし」や「チャイチキ」や「やきとり弁当」を食べても、腹は満たされるけど脳みそは満たされませんから、興味がありません。 霞がかかって景色が見難かったので風景写真は省略し、シマフクロウの学名(ketupa blakistoni)にも使われている「ブラキストン」先生に謁見しました。「ブラキストンライン」となった津軽海峡を見下ろしています。 函館山に登る場合、いつも立ち寄る場所があります。
国鉄連絡船「洞爺丸」に乗っていた遭難者の慰霊碑は七重浜にありますが、こちらは連絡船に乗務していて殉職した職員の慰霊碑です。 あまり知られていないんですけど、連絡船が戦争中に空襲を受けて沈没した時や、洞爺丸台風で沈没した時などの殉職者をまとめて合祀しています。
洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)に伴う荒天では、連絡船5隻が沈没して379名が殉職しています。
乗客が乗っていたのは洞爺丸だけなので、一般には洞爺丸しか知られていませんけども。 「洞爺丸」と刻まれた石碑の右下には、海底から引き上げた北見丸の船底の一部を嵌め込んであります。
「洞爺丸」の裏側は「第十一青函丸」になっています。
第十一青函丸はいったん出港したものの荒天のため引き返して乗客を降ろし、乗員90名が乗務したまま停泊していましたが、船体が真っ二つに折れて沈没したため、生存者は1人もいなくて全員が死亡(半数は行方不明のまま)となり、遭難の状況を証言出来る人さえ誰もいなかったんです。 国鉄青函局が昭和40年にまとめた「洞爺丸台風海難誌」という、B5・312ページの報告書(のコピー)を持っています。 連絡船の図面や運航ダイヤ、遭難時の状況、救助や捜索の状況、犠牲者の葬儀や補償、後日の海難審判などについても詳しく書かれています。 これは当日(1954/9/26)の実績の運航ダイヤで、途中から遅れが出て遂には欠航になったことが分かります。
各船の海難推定図(上が南)で、オレンジの線が「洞爺丸」の経路、青い線が同型の姉妹船「大雪丸」の経路です。
洞爺丸は貨車や乗客を満載した状態で港外に投錨・停泊していましたが、錨が効かずに流されて七重浜に座礁・転覆しました。 一方の大雪丸は、貨客を積載する前に港内で停泊しており、「このままだとヤバい」と判断して沖へ逃げました。 大雪丸はエンジンが生きていたから逃げられましたが、洞爺丸は満載状態なので喫水が深くて波をかぶり、蒸気機関のエンジンルームにも浸水して機関が停止したため、風や波に押し流されるままになったのです。
函館山から下りて、五稜郭に行きました。 五稜郭を訪れた目的は、桜の開花状況を調べる「標本木」を観察するのと、建築中の箱館奉行所を見物することです。 五稜郭の中には函館博物館の分館があって、箱館戦争の資料などを展示してありましたが、現在は奉行所の普請が行われているため、主要部分に立ち入ることはできません。工期ごとに立入禁止の区域が変わります。(現在は左下の状態) 朝もやに煙る奉行所・・現代でいえば支庁(振興局)や警察署や裁判所のようなものだから、なるべく近付きたくはありません。笑
7月29日から公開されるそうで、現在は外観を遠くから眺めるだけです。 でも、直接このページに飛んだら、既に開館していて見学できるような誤解を受けそう。 葉桜を眺めながら園内を歩きます。
これは多分、土塁が地滑りした跡ですね。
五稜郭に限らず、あちこちでツツジが満開になっていました。
藤棚も綺麗で、いい匂いがしました。 天邪鬼ですから、濠の水面に映った五稜郭タワーを撮ります。
市の北部に急造された「四稜郭」も見に行ったことがありますが、合戦の役に立つとは思えない簡素な構築物でした。 そもそも千代台競技場のあたりさえ、かつて仙台藩や津軽藩の「陣屋」があった訳で、函館は北海道支配の現地拠点であったし、さらに北方の民族との国境地帯でもあったのだから、昔から諸勢力が衝突する前線だったと考えると、蝦夷のチームと伊予のチームが対戦して痛み分けになるのも不思議ではありません。
函館空港の近くにある史跡「志苔館(しのりたて)跡」も見てきました。ここの地名は「函館市志海苔町」で、古くは「志濃里」とも書かれました。 室町時代というか「もののけ姫」の頃に和人豪族の館があった場所で、「コシャマインの乱」というアイヌの武装蜂起(和人の暴挙に対する反乱)があった舞台(の一つ)とされています。
土塁と堀に架かる橋 砦を構築するには理想的な眺望です。(遠方は函館山)
空が霞んでいない日にも訪れたことがあり、素晴らしい景色でした。立地条件としては、道内各地にあるアイヌの「チャシ」に似ています。 これは「もんぜき」と読まれそう・・。
屋敷跡や井戸跡(の標石)もありましたが、こんな丘の上から井戸を掘り下げたとしても、地下水脈まで届くのは難しいんじゃないかと思われ・・不思議です。 この近くに「銭亀」という土地があって、古銭が詰まった大きな甕3個が発掘されました。 そのうち2個の甕はかなり損壊した状態だったのに、中に詰まってた貨幣は回収されただけでも37万枚余という膨大な数だそうで、重量は(甕も合わせると)1.6トンにもなるなんて、開いた甕の口が塞がりません。 主に中国製の貨幣37万枚を、種類ごとに分類して数える作業を続けたかと思うと、気が遠くなりそうです。 これを埋蔵した理由や人物がまだ分かっていないんですから、「道南七不思議」の一つですよね。(←いつ制定したんだ?)
2010年06月12日
そろそろシリーズ化してきた「本願寺道路」ですが(その1、その2)、今回は札幌市南区簾舞(みすまい)の周辺に少しだけ残っている古い道路を、徒歩で実際に歩いてみました。 多分、これがシリーズ最終回だろうと思います。 「簾舞」って、学生の頃に地質巡検で行った頃から馴染んでたので気にせずに読んでたけど、北海道の難読地名の一つなんですか? 言われてみれば確かに、「簾」は「す」または「すだれ」としか読まないし、「みす」と入力すれば「御簾」という字が出てきて平安朝の屋敷を思い起こします。 「簾舞」の語源は、アイヌ語で「渓谷にある川」を意味する「ニセイオマップ」を基とし、それが「ミソマップ」と訛った音に漢字を当てたそうです。 後で出てくる「簾舞川」が、この辺の地名の起源となっているんでしょう。 後志の「ニセコアンヌプリ」という山は、「ニセコ・アンヌプリ」じゃなくて「ニセイ・コ・アン・ヌプリ」であって、層雲峡を挟んで黒岳の向かいに聳える「ニセイカウシュペ」の「ニセイ」と同じなんですね。 簾舞の旧道沿いにある「簾舞通行屋(旧黒岩家住宅)」は過去に何度か見学したことがあるし、今回は徒歩の旅なので立ち寄りませんでした。
夜明けに平岸を出発し、半日ほど歩き続けてここまで来ました。・・ウソです。平日だというのに結構な頻度で走っている「じょうてつバス」を「簾舞団地」で降りて、ここから歩き始めます。 ガソリンスタンドの向こうに、国道230号線(右側)と並行している道が既に見えます。 この坂を登ると、道はさらに続いています。
やがて、(車は)行き止まりであることを示す標識が立っています。
右手の民家の門には「KUROIWA」と書いてありました。 ここから先は車が通れませんが、昔は「馬も通れる」という触れ込みで開通した道路です。
道の先が隠れて見えないところが、なおさら探究心を高揚させます。 こんな未舗装の狭い道だけど、かつては幹線道路だったというか、これしか無かったというか。
道を下ると、前回お見せした標識がある交差点に出ました。
消失した部分(点線)の本願寺道路はここから右奥に入っていましたが、
その道路跡は民家の私有地を通るので遠慮し、並行して通っている公道を歩きます。 後ろを振り返ると、藤野の山が見えます。
さすがに昔はスキー場など無かったけれど、山の形は変わっていないだろうから、明治初頭の旅人も同じ(ような)景色を見たはずです。 いったん国道に出て、向かい側を見下ろします。
簾舞通行屋は、最初はこの辺に建っていましたが、後に旧道脇の現在地へ移転しました。 この先の道路は、標高200mほどの山(というほどもなく、標高差は50mくらい?)の手前を回り込んでいるものの、途中で学校のグラウンドに行く手を阻まれます。
この山は「二星岱」と名付けられており、前出の「ニセイ」に因んでいます。 藪をこいで歩くのは嫌なので、学校の敷地をぐるっと回って校舎の裏に出ると、案内標識がありました。
石ころだらけの、獣道のような道筋が伸びています。
この道さえもローマに通じているなんて、とても信じられません。 途中に、「本願寺街道跡」と刻まれた石碑が建てられていました・・これでも「街道」ですか・・。
林が結構な木陰を作っていて、夏場なら少し薄暗いほどです。
これは「ヒトリシズカ」で、あちこちで群落を作って咲いていました。 山裾を迂回するにしても少しは上り坂になってる部分もあるし、岩場に木の根が張って崖が崩れた箇所もあります。
これは「オオアマドコロ」で、実や根茎が食用になります。
丘の反対側に回ったのか、かなり急な下り坂になってきました。
やっと道が開けて平地に降り、明るい未来が見えてきました。
この橋は去年あたりに架け替えられた新しい「二星橋」ですが、昔からここに架かっていました。
簾舞川の下流側には、国道が渡る「簾舞橋」も見えます。
その先には柵で囲んだ雨水貯留池があって、柵の中に不自然に道路跡が残っているのは、昔の道路の名残りなのかなぁ・・と。 帰りは国道沿いに歩道を戻ります。
これが「二星岱」で、本願寺道路はこの山の右裾を巻いています。 山の左側は切り開かれて、片側2車線になった国道が走っています。
切通しの山肌は柱状節理の岩だらけで、これを切り崩して真っ直ぐな道を作ろうとは思わなかったのも道理です。 その麓に看板やら石碑やらがあり、ここは霊場なんだそうです。
三十三ヶ所もあるのなら大儀だな・・と躊躇しながらも、どんな霊場なのか確かめたいですよ。 十番までの距離が長くて「この3倍あるのか」と諦めたくなったものの、その先は一番ごとの間隔が短くなって拍子抜けしました。
これは何番だったかな・・土台は古いけど石像は新しいです。 山頂には観音堂が建っており、沿革が書かれた碑もありました。
大正2年に菩薩が設置された後、新国道の開削などで消滅した石像を昭和52年に地元の有志が復元し、観音堂を新築して参道も改修したそうです。 道端で見つけた「エンレイソウ」は、花が終わっていました。
「イチヤクソウ」と思われる草は蕾が付いていました。 毎年6月と10月の2日がこれら観音像の祭祀日だそうで・・今日は偶然にもその日に当たり、国道脇の駐車スペースに参詣用の案内幟が林立していた理由も納得しました。 国道との合流点に戻って振り返ると、たったこれだけの山をよけるために、曲がりくねった道を上り下りしなければならなかったんですから、苦労したもんです・・直登するよりは楽ですけども。
現代人はここからバスに乗って帰りますが、今回はわずか2・3kmを歩いただけなのに、普段の運動不足のせいか、かなりくたびれました。 これじゃぁ、中山峠を越えて本願寺道路の全線を歩いた人に笑われますから、今度は全ルートを踏破してみようか・・とは思いません、とても。笑
2010年06月04日
5月29日(土)にカブスリーグU-15の試合があって旭川に行きましたが(記事)、その前に、以前に展覧会で見て面白かった絵を展示してある、「後藤純男美術館」(上富良野)に寄りました。 札幌から富良野へ行くんだから、当然ながら桂沢湖を通る国道452号線と道道135号線を通って、島ノ下で38号線に合流するルートを通れば、2時間ほどで着きます。上富良野まではもう少しかかりますが。 景色としては、樹や花や岩以外にあまり見る物の無い路線(シーニックナイウェイ?)なのに、中国語で観光案内を書いた看板が道路脇に立っていました。 このルートって裏道だと思っていたけど、中国人観光客も通るんですか? 曲がりくねってアップダウンが多くてトンネルもある細い道路なのに、大型観光バスが通るんですか? キタキツネも歩いてましたよ・・観光客が来るからこそ歩いているという可能性も否定できないけど。
後藤純男美術館は、上富良野の市街から十勝岳(の登山口)に登る道路の近くにあります。 富良野から上富良野へ通じる国道を通るよりも、東側にある農道を通った方が走りやすいかも知れません。(特にラベンダーシーズンは) 国道と平行に、広域農道がはるか先まで真っ直ぐ走っています。(奥の山は芦別岳と富良野スキー場)目的地を探しながら向こうから走って来たので、こんな景色は見えませんでした。 美術館の全景
右側が展示室やレストラン、左側がアトリエ(非公開)などになっています。 十勝岳連峰には雲がかかっていました。
手前は畑ばかりです。 2階のレストランに併設されているテラスから見た方が景色は良いんですが、写真を撮るには電線が邪魔でした。 反対側の市街地の方を見下ろすと、こっちにも畑が広がっています。
この辺も、かつて十勝岳の泥流が流れ下ったのでしょう。 美術館の案内パンフレットをスキャン
日本画の画家で元々は古都の風景を題材にしていましたが、北海道の自然風景を描くようになりました。(一番上が十勝岳連峰、その左下が流氷) 絵の特徴としては、水平な線が何本も走っています。 他の美術館で彼の作品を最初に見た時には、それこそ手前に電線が走ってるようで違和感がありましたが、そのうち感じなくなります。 オリジナルグッズのクリアファイルをスキャン
『塔映』三部作のうちの「花」という作品で、奈良・斑鳩の「法起寺(ほっきじ)」の三重塔を題材にしているようです。 複製でも50万円します。 関心がある方は→カタログ(PDF:942kB)または楽天市場をご覧下さい。(私にはクリアファイルしか買えません。) ずっとここに留まりたい気分を振り払って旭川に向かうと、深山峠を越えた辺りから渋滞してたので脇道に入ったんだけど、かなり時間をロスしてしまいました。 ラベンダー観光や丘巡りの最盛期には、こんなもんじゃ済まないでしょうけど。
2010年05月21日
桜の時季になったので、日曜日は花見に出かけました。 かつて企んでいたように、伊達市長和町にある本願寺道路の起点に建てられた碑を訪ねて、その道路を辿ってみる旅を実行するには、絶好の日和となりました。 ついでに、有珠の善光寺の境内に咲く由緒ある桜でも愛でに寄ろうか、と考えていたんです。 まず、ゴーストタウン化しかけた室蘭市輪西町の街から坂を登った所(言い方を変えれば「山の手」か・・「山手町」は室蘭駅の近く)にある、親の家に用事があって寄りました。左奥が測量山で、左端に半分だけ見えてる丸っこい山が、たまに怪しいダンマクを張られる「茶津山」です。
その後、白鳥大橋を渡って有珠に向かおうとしたら、なぜか入江運動公園に花見の屋台が並んでるじゃありませんか。露店商からショバ代を取り立てて回る、元締めらしい旦那も偶然に写ってしまいました。(←わざとだろ)
山肌に散立する桜がせっかく花を咲き誇っているというのに、それを油ぎった煙で燻すなんて、何というむごい事をするんでしょう。 花粉を媒介するために寄って来ようとした虫だって退散してしまい、樹の精霊のバチが当たりますよ。 追い討ちに夜間のライトアップまで加えようものなら、桜が日照時間を勘違いしたり、宵っ張りになったりしません? そんな仕打ちをしておいて、開花時期が早まったりしたら地球温暖化のせいにするんですから、身勝手もいいところです。 美しい花は美しいままに、遠くから眺めてる(眺愛でる?)だけじゃ不足なんでしょうか・・樹や花を見ないで肉や酒だけを見てる宴がそんなに楽しいのか、理解に苦しみます。 同郷の知人と、「港まつりよりも賑わってる」などとふざけ合っていたのは内緒ですけど。
イベントを楽しむ可愛い子供とドーレくん 昔は、自宅があった母恋駅前から歩いて仏坂を登り、今でいう「NHK」の辺りの道端から花火大会を眺めたもんです。 ・・という懐古談はさておき、入江を後にして白鳥大橋を渡り、伊達の道の駅で食料を買い込んでから長和に向かいました。こうなったら有珠の善光寺はまた今度・・って、いつになるんだか。 長和の街の北方に立つ「東本願寺街道起点」の碑は、平岸に立っていた「終点の碑」よりも大きくて立派でした。
この碑は、「伊達郷土史研究会が発見した古い地図を元に起点を確定し、平成3年(1991年)長和住民の協力により碑が建てられました。」と、資料に書いてあります。 碑は、国道(453号線)と脇道との分岐点に立っています。
・・と言うより、左側の細い脇道の方が元々の道路だったのに、スムーズなルートに改修された右側の太い道路の方がメインに代わりました。 従って古い道路マップや航空写真には、左側の道路しかありません。 背後に見えるのは有珠山で、右奥で尖ってる山が昭和新山、その手前が高速道路としては日本一長い「長流川橋」です。 ここから札幌まで、延長120kmの道路を作ろうと考えたんですから、車で走るだけの人間にとっては気が遠くなるようなプロジェクトです。(ここで、中島みゆきが唄う「地上の星」が流れる。) 分岐した脇道が元の道路に再び合流する地点に「長和小学校」が建っており、
ここがかつて「長流小学校」(おさるしょうがっこう)と呼ばれた学校です。 この先の本願寺道路は洞爺湖の北岸を通っていたらしいですが、私は以前に住んでいた伊達市大滝区(北湯沢)の方を通りました。 直感的には信じ難いけども、こっちの方が遠回りになるとか。 胆振線はとっくの昔に廃止されたものの、国道に沿う線路跡は「平成ふるさとの道」になったり桜並木になったりして残っており、記憶や地形からルートが分かってレールさえも見えます。(←幻覚)
昔はこの先が踏切でしたが、今は車の方が上を渡っています。 お約束のアメダス探訪「大滝」の巻
遠方の山は「徳瞬瞥山」(その裏側が「ホロホロ山」)です。 防災科学技術研究所の「強震観測施設」も隣に設置されていました。
胆振を流れて太平洋に注ぐ「長流川」と分かれる山地を越えると、後志を流れて日本海に注ぐ「尻別川」が見え始めます。
夕暮の尻別川と尻別岳(左)と羊蹄山(右) 花見に時間を費やしたせいで札幌に着く前に暗くなってしまったし、この後は見慣れた風景なので写真はありません。 明治の初めの頃なら、いったい何日かかって札幌まで辿り着いたんでしょう。 本願寺道路が開通した2年後(1873年)には室蘭・苫小牧を経由する「札幌本道」が建設され、本願寺道路はいったん使われなくなりました。 1877年にクラーク先生が帰国する際に、生徒達と別れたのが島松だったのは「札幌本道」が既に通っていたからであって、これがもし開通前だったら、簾舞通行屋あたりで「Boys, be Ambitious.」と言った可能性もある訳ですね。 その場合、クラーク像は羊ヶ丘じゃなくて真駒内あたりに建てられていたかも知れません。(エドゥイン・ダンさんと並んで)・・またもや「羊顔か」が出てきて情けないよぉ。
追記(2010/5/22) ある展覧会の図録に「東蝦夷地屏風」というのが載っていました。 その一部に有珠から室蘭にかけての地域が描かれており、右端が白鳥湾と絵鞆岬で、左端に有珠山と有珠湾、善光寺も描かれています。 その右隣の河口に「ヲサルベツ」と書かれており、柵を設けた牧場と馬が描かれています。 ↓左側3分の1の拡大図
この屏風は文化4年(1807年)の作らしく、その頃は松前藩を移封して西蝦夷地を幕府直轄地としたり、ロシア船が侵入して北方の脅威が増大していた時期で、翌年には間宮林蔵が樺太を探検しています。 馬の牧場と言えば、現代なら競走馬の育成しか思い浮かびませんけど、当時の馬とは農耕馬と軍馬であり、牧場は戦車を作る軍事工場に相当する重要な施設だった訳だから、わざわざ描かれているんですね。
2009年09月26日
シルバーウィークの最中に、室蘭へ観光旅行に行ってイベントも見てきました。と言っても生まれ育った街ですから、いまさら観光というほどの物珍しい場所も無いんですけど。 それにしても、お年寄りを敬うフリして「シルバー」と呼ぶのはけしからん、ローン・レンジャーじゃあるまいし・・プラチナと呼べ! と思ったら、ゴールデンウィークより短いからシルバーウィークなんだそうで・・年寄りのヒガミですか?
イベント会場の前に停まってた車の横にてホントに在中してるんでしょうか。 車の陰に隠れて、中の人が休んでいました。
かなりダメージを受けたようです・・さぞ暑かったろうね。 トイレの前に球形のミラー?があり、必然的に撮影者本人も写ります。
トイレの中を写してる訳じゃないからっ! サミット会場として使われた「ザ・ウィンザーホテル」が、イベント会場から見えることに気付きました。(携帯のカメラを双眼鏡の接眼部に直結して撮影)
写真中央に写ってるクレーンの奥が、ウィンザーホテルです。 マスクを装着した人達が、隔離された部屋に収容されながらイベントを見ていました。(同上)
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どうせ急いで帰ろうとしたって駐車場から出るまで時間がかかるし、眠くもなってきたので駐車場で眠ってました。 道路だって、連休の真っ只中だし陽気も良いしで込むだろうから、少し寄り道して帰りました。 室蘭は港町ですから、国道が走っている海岸部の高度はほぼ海抜0mです。 市内には山もあって、それなりの高さがあります。 それらが細い陸繋島の中に共在している訳なので、両者をつなぐ道は必然的に急な坂道になります。 積雪が少ない地域だから良いようなものの、坂道が凍結してしまったら、自宅まで登って戻るのが難しくなるほどの勾配があります。 小樽も坂の町ですけど、冬場に車が登れない場所にはさすがに住めないから、自ずと居住地には限界が生じます。 ところが雪が(ほとんど)積もらない室蘭だと、かなりの勾配でも登れてしまうので、とんでもない場所にまで家を建てられます。 室蘭市内には、「急傾斜地崩壊危険区域」という看板が所々に立っていますが、平らな土地が少ないからそんな場所にも住宅を建てざるを得ないんですね。 入江競技場の近くにある急な坂を登ると、標識が出ていました。今日の目的地は「室蘭地方気象台」です。
観測機器が並ぶ露場(ろじょう)
車の排気によって測器が暖められる影響を受けないように、フェンスの横は駐車禁止になっています。もちろん立入禁止で、風向きによっては人間の体温も影響しますから、なるべく離れます。 ここは崖の上にある馬の背のような地形なので、雨が雨量計に入り難いかも知れません。風は庁舎の屋上で観測しています。 隣の土地が売りに出されていました。先着1名様ですよ!
4340平米の土地が1030万円、と書いてあるような・・。 駐車場からは、測量山が額に入ったように見えます。
半島部分の外側は険しい崖になっており、これが絶妙な景観を作っていて、「室蘭八景」と呼ばれる景勝地になっています。 そんな崖の上から噴火湾を眺めると、対岸に聳える駒ケ岳が手に取れるような近くに見えます。
崖の上から写真を撮ろうとして、滑落した漫画家もいるらしいけど。 もう少し札幌方面へ進むと、室蘭港と白鳥大橋を眺められます。
この道路は、細い上にヘアピンカーブと急な登り下りが繰り返す厳しい道で、耳がキーンとするほどです。(ウソだろ) そろそろ日も暮れてきました。 この日は室蘭へ日帰り、翌日は旭川へ日帰りでした。
2009年07月31日
海の日の祝日に岩内町長杯へ行ったついでに(というか、小学生の大会は朝早く始まって早く終わってしまい、陽が高い時刻に開放されて手持ち無沙汰になるので)、周辺地域を徘徊してきました。 道の駅いわないの向かいにある木田金次郎美術館は趣味に合わないし、岩内岳山麓の荒井記念美術館や、場末のマニアックな岩内町郷土館も既に何度か訪れているので、今回は隣町の共和町方面を巡ってみました。
うっかり見過ごしてしまいそうな宇宙との交信基地アメダス「共和」かつて、アメダス「岩内」と呼ばれていながらも、実際は共和町内の西稜小学校の近くにあった観測点が移設され、現在の地点は名実ともに「共和」に変わりました。 周辺には障害物もなく、観測条件は良いように見えます。
積雪深を観測するために、レーザー光を下向きに出しています。
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かかし古里館は以前にも見学したことがありますが、繰り返し学習することが大切ですから。ここは、共和町幌似地区の郷土学習のための施設で、旧国富鉱山の資料なども展示されている他、「かかし祭」で入賞した「かかし」も展示されています。 入館料が100円というのは、公設の資料館ならではの価格です。 旧幌似小学校の校舎も収蔵展示室として再活用しており、昔の農機具や民具の展示とか、小学校の生活を再現した教室もあります。
普段は公開していない収蔵室の方が、面白いモノが沢山あるんだけども。 稲作地帯なので、街灯が「かかし」の形をしており、
この町のカントリーサインまでかかしです。 マンホールの蓋のデザインは「米」と「らいでんスイカ」と「らいでんメロン」ですね。(JAきょうわ)
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この資料館の近くに「北のあじさい寺」とも呼ばれる「明善寺」がありますが、今回は素通りして、山すそに建つ西村計雄記念美術館を訪れました。 この美術館は以前から気になってはいたものの、何となく画風が合わなくて敬遠していました。かかし古里館の入館券を持っていれば入館料が割引かれる、という誘惑に負けたのが実情です。 今年は西村画伯の生誕100周年と開館10周年の記念すべき年だそうで、その記念展示が行われていました。記念展のパンフレットのデッサンは、尾長鶏に見えます。 ただ、しっくり馴染む完成度が高い(と自分が感じる)作品と、(文章でいうと推敲不足のような)何となく中途半端に感じる作品とが混在していました。この辺は好みの問題ですけど。 美術館のガラス窓に映る山並み(と自分の下半身・笑)
展望室から眺める田園風景は長閑でしたが、隣がパークゴルフ場になっているのは興醒めです。
丘を降りて、「幌似鉄道記念公園」に寄りました。ここには旧国鉄岩内線の幌似駅の駅舎が残されており、客車や車掌車(有蓋緩急車)もレール上に並んでいます。
線路跡と羊蹄山の遠望
あまり寄り道してると、海へ遊びに行った人達が帰って来て道路が込むので、夕方にならないうちに帰途に就きました。 途中の街ごとに、高速のICが近くなるとICに入る側の車線が渋滞していました。 こんな渋滞に時間をかけてから高速を走るよりも、素直に一般道を走った方が早く着いて安上がりな気もします。(ETCを付けたいとは思わない田舎者の発想) おぉ、ここから入るのか。
制服のモデルになったとか・・。
2009年07月13日
前記事に続き、今回は十勝らしい大平原チックな風土の中を散策した3ヶ所を紹介します。
まず、十勝川に架かる「十勝大橋」の袂に佇む「十勝川インフォメーションセンター」を訪れました。「川の駅」ってのもあるんですか。 ここは、十勝川の治水と十勝大橋の建設に関する広報・学習のための施設で、「STVライブカメラ」の帯広の画像に写っていることが多いので、一度は見学したいと思っていました。昨年は場所が分かったものの、時間が足りなくて諦めていました。
塔の部分の3階は展望室になっています。 先代の十勝大橋は10数年前に解体されて架け替えられ、
まるで「トカチの竪琴」のような印象を受ける現在の形式は「三径間連続PC斜張橋」と呼ぶんだそうで、斜めに張ったケーブルで支える橋という意味なのでしょう。データは古いかも知れませんが、国内最大級のコンクリート橋で、幅が広いため橋の「面積」は日本一だとか・・十勝の大平原に架かる橋に相応しく、スケールの大きな話です。 1995年に、土木学会の田中賞(作品部門)を道内で初めて受賞したので、記念の品々を展示してあります。
河川敷を見下ろすと親水空間になっていて、水遊びができます。
春先には、河川敷にビニールシートを敷いて宴会の場所を確保している光景も見られるし、花火大会の会場にもなるようです。 古い橋の一部が保存されており、銘板が十勝御影石に埋め込まれていました。
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少し南下して、川西町にある「とかち大平原交流センター」に行ってみました。右端に一部が写っているのが交流センターです。 十勝地方の帯広市、芽室町、中札内村にある農村部の風景や歴史的建築物などを「作品」に見立て、55ヶ所の施設・名所をまとめて「とかち田園空間博物館」という概念を創出しています。 既に開館時間を過ぎていることが分かっていたので、隣地に最近オープンしたばかりの「農機具歴史館」の方がお目当てです。
看板が鍬の形をしています。 外観は、農家の倉庫を少し大きくした感じです。
横からみた図:周囲の景観と違和感がありません。
入口は閉まっているので、通用口の窓から中を覗いてみると、
農業機械が並んでいます・・ただそれだけ。 隣村では「国際トラクターBANBA」という催しも行われるほどで、農業機械は捨てるほどありますから。 上富良野町の「土の館」などとは大違いで、期待はしてませんでしたけど、勿体ない気がします。 交流センターと農機具歴史館との間に、富山県から入植した「川原家」の屋敷を復元してありました。
敷地内の芝生の手入れが見事で、サッカーが出来そうでした。 説明パネルによると床の間や襖が素晴らしい部屋もあるようですが、
玄関から覗ける部分だけを見て、他は想像を巡らします。
雨戸の戸袋にまで彫刻を施す余裕に驚嘆。
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翌日は、中札内村に昨年オープンした「六花の森」を散歩してみました。 昨年も大樹から帯広へ戻る途中で寄ってみたけれど、開館時刻まで待っていたら試合に間に合わなくなるので、場所を確かめておいただけでした。 枕木に無数の犬釘を打ち付けたベンチがあります。全身の筋肉が弛緩するほどの、長閑な風景が展開しています。
かつて美術村の方に展示してあった坂本直行さんの絵画を、こちらに移して展示しています。
直行さんが好んだ?山小屋風な雰囲気です。 展示棟は3棟あり、テーマ別にまとめられていました。
建物の外壁は、120年ほど前に建てられたクロアチア古民家のオーク材を再利用しているそうです。 他に、児童詩誌「サイロ」の50周年記念館などもありました。 六花亭の看板である「はまなす」が咲く脇を小川が流れていて、
遠くの丘の上には芸術作品が置かれています。 入園は有料(500円)ですが、休憩棟には無料のクッキーとドリンクが用意されていました。今日のような暑い日に歩き回った後では、極楽のもてなしですな。
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プロフィール
作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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