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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2015年11月10日
自分でも何がなんだか分からないまま、あちらの世界に引き込まれてしまった事故の翌日に、苫小牧の救急病院で言われた通り、某大学病院の受付にCDと紹介状を提出して外来を受診しました。 入院しなければならないのは明らかだから、生活用具なども準備してきました。
診察室で目の状態を正面から撮影すると、水晶体は角膜や虹彩と同心円上に位置してるはずなのに、円の中心位置が2割程度ズレてました。天文現象に親しんでいる身としては、「これは月食だ」と思いました。 即日入院して、翌日には手術の内容について説明を受けました。病名は「右)水晶体脱臼、硝子体出血」と言うらしいです。こんな場合も脱臼って言うんだねぇ。 (多分、ハンドルにぶつかった)衝撃で水晶体が奥に押し込まれ、周囲から支えている毛様体の一部も切れてしまったため、少し下がった位置に移動しています。 メガネの右レンズが割れて、フレームも曲がったくらいの衝撃ですから。 このまま放っておくと水晶体が腐るので摘出する必要があり、手術の内容は加齢によって水晶体が白く濁った場合(白内障)と同様の手順になります。 眼球内で出血してて眼底の様子を見れないので、水を循環させて洗浄してから眼底の状態を調べます。 もし網膜の一部が剥離していたら(右上の波形部分)、眼球内にガスなどを注入して網膜を眼球の内側に押し付けて癒着させますが、癒着するまでの2週間程度はうつ伏せの姿勢を保って寝てる必要があり、患者にとってはこれが一番つらいんだそうです。←想像しただけでつらそう 医師から「医者は手術で頑張るので、患者さんはうつ伏せ寝に頑張って下さい。頑張りましょう!」と言われたら、一希くんのように「僕は元気なので大丈夫です。頑張ります!」と答えざるを得ませんよ。 前途を祝福するのか、病室から虹が見えました。
どこの病院なのかバレバレですが。 入院当時は顔の右半分が傷だらけで、眼窩は腫れてるし瞼も腫れてて、まるでお岩さんの顔みたいだったらしいです。 直ぐに手術を行うことも可能ですが、皮膚の傷がジュクジュクしてる状態で目の手術を施すと感染する危険があるので、それらの傷が固まった4日後に手術を受けました。 手術は1時間~1時間半程度で終わるけれど、顕微鏡下で行う手術中に体や眼球が動いたら大変なので、全身麻酔になります。 術後の説明によると、幸いにも網膜剥離は無かったそうですが、そんなこと医者は手術前から分かっていたし、私も勘付いていました。 たとえ眼球内で出血してて眼底の様子を見れなくても、瞼の上から超音波を当ててエコーを見る装置があり、網膜の状態は分かるんですね。 ただ患者に対しては、最悪の状況まで説明しておかねばならないものでしょうから。 手術の翌日に眼帯を外したら、右目でも景色が見えました。 ただし、レンズの無いピンホールカメラで撮影した写真のように大ボケな画像で、オブラートを通して眺めてるような景色でした。 水晶体を取り除いたのだから、もし「オマエの目は節穴か?」と問われたら、「ハイ、その通りです。」と答えるしかありません。 節穴であることを隠すために眼帯を付け、金属の保護板も装着します。
自分は独眼竜政宗か、カリブの海賊か 上瞼から下瞼にかけて、割れたメガネレンズで切れた傷が縦に伸びてました。 まるで丹下左膳のような傷で、もしこれが横向きの傷だったなら・・(右だけ)二重瞼になってたかも知れないのに。笑 病院の食事にデザートとしてライチが付いてくることがあり、きれいに皮を剥くと、自分の目玉を食べるような錯覚を感じました。 「大目玉を食らう」とは、このことか。←違 ベッド脇の床頭台には、テレビの他にDVDプレイヤーも備わっていたので、雑誌の付録として付いていたCDを聴きながら眠りに付こう・・
・・としても無理です、21時に就寝なんて。 手術後の数日間は、1日に4~6回も看護師が点眼して回りました。 感染を防ぐためにまず両手を消毒して、使い捨てグローブをはめて、眼帯を外して目の回りを清浄綿で拭いて、所定の点眼薬を入れて、新しい眼帯をテープで貼って、グローブを捨てます。 次の患者に移ると、また両手を消毒して(以下、同様)・・つまり、患者の数だけグローブを捨てるから、それに1日の点眼回数を掛け算すると、恐ろしい数の廃棄物が発生します。 次のステージとして、患者自身が点眼を行えるように訓練が始まりました。
時刻別にどの目薬を使うかというスケジュールで、取り違えないようにキャップの色を塗ってくれます。 自己点眼するのは廃棄物を減らす意味もありますが、受動的に治療を受けるのではなくて、自分自身で治すんだという自覚を持ちつつ能動的な姿勢で治療に取り組む効果があると思います。 私の場合は普段から疲れ目の目薬を使っていたので点眼は難しくありませんが、初めての人には意外と難しくて、結構厳しい教育的指導を受けてました。 感染を防ぐための訓練だから厳しくて当然なのですが、普通は目薬を入れない方の目を閉じるもので(しかも余計な口まで開ける)、目薬を入れる方の目がよく見えないんだから狙いを定めるのが難しくて、うまく目の中に落ちません。 夜寝る前に鏡を覗き込みながら、目の回りを丹念に拭いて目薬を入れ、眼帯を貼り付ける作業は、あたかもナイトメイク。笑 やがて眼帯を付けなくても良い許しが出ましたが、まだ右目が十分に開きません。
目を閉じた状態を続けてると、瞼を開く筋肉も衰えるそうです。へぇー・・ということは、瞼の筋肉を鍛えれば、お目目パッチリになるのかも。 凸レンズである水晶体を取り除いた代わりに虫メガネを通して景色を見てみたら、結構ハッキリ見えました。 かなり瞼を開けるようになってきました。目力もアップ?
兎の目のように赤かった白目も、だいぶ色が引けてきました。 途中で眼圧が上がったりして、退院が少し先延ばしになったようです。 眼圧が上がると網膜の神経細胞が圧迫されて壊死していき、網膜の神経細胞は再生しないので、そのまま失明する危険があります。 もしかして、ゴーストライターになれるかも・・次回へつづく
2015年09月30日
ウチから出たマコトが、岐阜戦で挨拶して回ってました。 CONSA BASE でリラ・コンサの公式マスコットを売ってたので、喜んで買ってきました。 差し当たって1個だけですけど。 リラックマ・コンサドーレのキーチェーンえ? 公式マスコットじゃないの? 他に無いっショ。
以前に冗談で「リラ・コンサのマスコットはリラックマだ」と書いたことがありますが、そんな見当違いの熱望を斟酌してリラ用に新しいマスコットを作ってくれたようです。←違 横に並んでたドーレくんの羽根でひっ叩かれたら、ひとたまりも無くブッ飛ばされそうなクマですが・・。 リラ・コンサは「Lira」だし、リラックマは「Rila」だという違いはあるけれど、そこはそれ、「L」と「R」の区別がつかない日本人ですから。 そのリラ・コンサは、札幌なでしこリーグを2位で終えました。→結果 優勝した北斗高校は7戦全勝し、リラ・コンサは北斗高校に負けただけで残り6勝、しかも北斗高校の唯一の失点はリラ・コンサが奪ったものだから、負けたとはいえ一矢を報いたどころか先制したんだもの。
【仁義好かん ぬいぐるみ】 シースペースで、ジンギスカンのジンくんのお友達である、ギスくん、カンくんのぬいぐるみを予約販売するとのこと。 道民なら、この御神体を神棚か仏壇に飾らなきゃ。 うちには(コンサバージョンじゃない)ジンくんが既にいるので、もう一体を養子にしようと思って予約しました。 ユメミを選ぶかゴメスを選ぶか、だな・・どっちかと言うと、持ってるキャラが逆のような気もするけど・・案外違うのかも。 どっちの子を予約したかはナイショなの。 どうせなら、ジンギスカン鍋を象って肉や野菜を乗せた帽子を作って欲しいな。←笑われるよ
【新監督就任記念コラボ商品】 ハーフタイムパーティーで入手した宮の沢銘菓その名も「コンサドーレせんべい」
厚別でも追加販売ぃ~!・・即完売かと思ったらドームでも売ってて、毎試合限定200箱なんでしょうか。 オフィシャルのせんべいを作るのなら・・四方田新監督の就任を記念して、ローソン様あたりから新商品など出ないもんかなぁ。 小野伸二バージョンの抹茶シュークリームに似せて緑色に変わりは無いけれど、抹茶じゃなくてヨモギを使ったシュークリームとか作らないかなぁ。 ネーミングは当然・・「よもシュー」がいいな。←怒られるよ
【何かが起こる天皇杯】 天皇杯の1回戦では、ゴールネットが外れるアミューズメントハプニングがありました。 この間、主審はロスタイムが何分になるのか分からなくなってしまったような・・。 2回戦で、雨上がりの空を背景にしてバックスタンドのポールに翻る旗たちでも、NHKの旗が何か変だな・・ロシア語なら「インク」と読めそうだ。 左右逆かと思ったら上下方向にひっくり返されてて、つまり逆さ吊りにされてるような・・これって嫌がらせ? 大会プログラムの表紙に「ジャイアント・キリングを起こせ」と書いてあるけれど、籾井会長が怒って暴言を吐きそうな・・。 ハーフタイムにトイレへ行って席に戻って来たら、正しい向きに直ってました。 せ、千円札も落ちてたんですってぇ? 3回戦でも、忘れられないほど強烈で試合内容より記憶に残るような、楽しいパフォーマンスを期待します。
【和風のしょうゆ】 先日、ショッピングセンターでパック入りのサラダを買ったら、底の方にドレッシングの小袋が入ってました。(いらないのに) その小袋には「和風しょうゆドレッシング」と書かれていました。でも・・しょうゆって、元々が和製の調味料じゃないの? 和の調味料の頭にさらに「和風」を付け加えるって、どういうことなの? これが例えば、洋辛子やサラダオイルなんかを混ぜてあったら「洋風しょうゆ」という言い方もあろうけど・・。 ドレッシングの小袋を開けてみると、オイルが混じっててドロドロしながら出てきました。 一体、これのどこが「和風」なんだか・・これこそ「洋風しょうゆ」と呼ぶべきであるし、精々「しょうゆ風味ドレッシング」あたりしか妥協できないけどなぁ・・。
秋ですねぇ。(ハローウィン)→パンプキンンパイ・・ぢゅる。秋ですねぇ。(山ぶどうの実)→ワイン・・ぢゅる。
秋ですねぇ。(栗のイガ)→モンブランケーキ・・ぢゅる。
秋は食べた分だけ燃焼させなければ太る、と分かってはいるのですが、食欲に勝る運動なし。
王子様がシンデレラ姫を探しておられます。可及的速やかにお城までお越し下さいませ。
2015年08月14日
最近になって少しだけ世間を賑わせた話題として、刺青を入れてる人は入浴を断わる原則に従い、タトゥーを入れてる外国人が温泉に入ろうとして拒否された、ということがありました。関西の自治体でも、職員が刺青を入れてるかどうかを申告させる、ということが行われたようです。 そんな報道に接して、「自慢じゃないけど、刺青なら自分にもあるぞ、どうする?」と思ったのです。
根が几帳面な性格ですから(?)、図面書きの仕事とかは大好きなんです。 今はもう無理になったけど、眼がキンキンするような細い線や小さな字を描くのが快感なんです。 学生時代に図学の講義があって、刃物砥ぎも好きなもんだから、製図用の烏口の先を砥ぐなんてお得意の作業でした。 課題として出された図を描き終わったら、黒インクを使った烏口とか細い「丸ペン」と呼ばれる製図用具を洗わなければなりません。 水道をジャージャー流してペン先を洗おうとしたのに、そのペン先を自分の手の平にブッ刺してしまったんです。 細くて鋭いペン先だから大して出血もせず、しばらくして傷も治りました。 ところがところが、そのペン先を刺した位置だけ、皮膚の下が青黒く変わっていたんです。考えてみれば、製図用の黒インクだって墨と似たような成分だから、黒インクが付いたペン先を刺したら、そりゃぁ刺青を入れたのと同じアート効果になりますよね。 自分の手を広げると、まるで白魚のような細い人指し指の付け根に(←異議は却下)、ちょうど白魚の眼が出来てしまいました。笑 画龍点睛を欠く・・というか、欠かないとは、正にこのことです。 一回で懲りれば良いようなものの、忘れた頃に同じ失敗を繰り返して両目が揃ってしまうところが情けないのですが・・。
手の平を返したように
態度が色が変わってしまう。白魚どころか・・まるでカレイの表裏のようだな。笑 この程度の刺青で入浴を断られたことは勿論ありませんが、何となく後ろめたさを感じるのも日本人だからでしょう。
2015年08月02日
今日は平成27年8月2日、日曜日・・大安らしい。 かなり前に手帳のカレンダーで今日の日付を見て、何だか見覚えのある日付だなぁ・・と思ったら、自分の誕生日でした。 誕生日だから月日が同じなのはアタリマエなのに、いつもの誕生日とは雰囲気が違って、忘れていた記憶が蘇るように例年よりも親近感を強く感じました。 なぜかと思ってよく考えたら、役所などに提出する書類に記入する、書き慣れた生年月日と同じ日付なんです・・月と日どころか年まで同じで・・←それじゃぁ、今日が0歳か? 年号だけは昭和じゃなくて平成に変わってたんですけど、数字の並びが同じもんだからインプレッションが強かったんですね。 生年月日をパスワードに使いたくなる人が多いのも自然の法則。
昭和27年といえば・・昭和25年に設置された「警察予備隊」が「保安隊」に改編された年で、これが昭和29年には自衛隊に変わるという時代です。 そして、出来たての戦車が大地を揺るがしながら自宅の前を走って行く、という時代になるんです。←実話 こんな季節に生まれたくせに、暑さに対してはまるっきり耐性も順応も無いから、頭が過熱するしぼーっとするし(←年中?)、最近のように蒸し暑かったらアセモまで出てきて、まるで温泉の浴室で拷問を受けてるような毎日です。 「熱中症ゼロへ」というサイトに載ってる熱中症の予防・対策 <こんなことで熱中症を予防>
パンフレットに載ってた<こんなとき熱中症に注意>![]()
観戦で・・のイラストに笑ってしまいます。 正直言って、子供の頃はこんなに長生きするとは思ってなかったから、21世紀に生きてる自分の姿なんて想像も出来ませんでした。 でもここまで来たのならば、どうせだから今日が還暦だと思って、22世紀の世の中を覗いてみたい気もします。←仙人かっ!?
2015年07月07日
前回は栗山の泉記念館と小林家、今回は美唄の桜井家と札幌の山鼻記念会館を紹介します。 以前に美唄へ行った時には、桜井家に寄るのを忘れてしまって。
先月に旭川へ行った途中、今度は通り過ぎないように注意して、美唄の桜井家を見学しました。ここは、明治34年に屯田兵として沼貝村(現美唄市)に入植した桜井良三氏が、昭和8年に兵屋の位置に建てた母屋と離れ座敷などを、ご子息の桜井省吾氏の遺族の方が敷地と共に美唄市へ寄贈したものです。
逆光になって母屋の構造はよく分かりませんが、昭和初期の和風建築を基本として、洋風の技術も取り入れています。 植木が多くて、屋敷全体の姿を撮影するのが難しいですが、左側の離れ座敷が良い感じです・・流石に床が傾いていたりしますけど。
内部には、豪華な染め付け陶器製の便器が残されており、「美唄市立公民館桜井邸分館」として利用できる部屋もあって、一般公開されています。 庭には、桜井良三氏と省吾氏の胸像が並んでいました。
屋敷の裏へ回ると、周辺を巡るフットパスになっていました。
北海道指定有形文化財「美唄屯田兵屋」が保存されています。
ただしこれは、二軒分の用材を用いて一軒の兵屋を復元したもので・・以前は他の場所にあったように記憶しており、移設したようです。 隣に美唄市指定文化財「美唄屯田騎兵隊火薬庫」も残っています。
火薬庫って防火のためレンガで造られることが多いですが(参考)、ここは木造で火事や洪水を考えるとちょっと心許ないです。
先月の20日、東光ストア行啓通店の隣にある、山鼻屯田記念会館を訪れました。とんがり屋根がメルヘンチックで、一階にはケーキ屋さんが入居しています。 これは1876(明治9)年に入植した山鼻屯田兵村(240戸、1114人)を記念する会館で、2階の資料室には屯田兵に関する資料や写真類を展示してあります。土曜日と日曜日の限られた時間帯にしか開館しないのが難点ですけど。 東屯田通と西屯田通の両側に並ぶ兵屋の配列(左の方が北)
かなり精巧に作られた兵屋の模型で、屋根も横に置いてありました。
壁に掲げられた屯田兵司令官・永山武四郎の「論告」を見上げる
行啓通と東屯田通の交差点を挟んだハス向かいに、広々とした「山鼻公園」があります。
この公園のあたりに第二中隊本部があって、現在の山鼻小学校の場所は練兵場だったそうな。 兵村開設20周年を記念して明治27(1894)年に建立された「山鼻兵村開設碑」
題字は永山武四郎の揮毫です。 街路樹の2倍もあるようなプラタナスが何本も聳えています。
公園の隅に石碑があり、野口雨情が作詞した「赤い靴」の歌詞が刻まれていました。
「♪赤い靴はいてた女の子」・・この女の子の母親と野口雨情が共に山鼻に住んでいたそうで、母親から娘の話を聞いたことが童謡誕生のきっかけになったというのが「定説」だそうな。(定説があれば「異説」もある) 歌詞のモデルとなった「きみちゃん」という女の子は、横浜から船に乗ってアメリカへ連れて行かれることもなく、結核のため東京の孤児院で世を去ったんだとか(9歳)。 「♪今では青い目になっちゃって」・・異人さんに連れられてアメリカへ行っただけで眼の色が青く変わるなんて・・カラーコンタクトか、それとも遺伝子操作かっ!?・・当時は、キリスト教の洗礼を受けると眼の色が青く変わるとも噂されていたとか。 石碑の外形は藻岩山の稜線を象っているらしく、全く知らなかったんですが、この前日に除幕したばかりらしいです。
2015年06月25日
先日、札幌駅へ行ったついでに「どさプラ」でジンギスカン用の鹿肉を買って、夕食のおかずにしました。
翌6月14日、北海道クラブユース選手権(U-18)の試合のため夕張の「サングリンスポーツヴィレッジ」へ行くと、今年も鹿が好き放題に遊んでいるらしく、陸上競技場に沢山の足跡や落し物がありました。これも鹿肉を食べたタタリか・・。 この公園のネーミングライツを取得した、「サングリーン」ではなく「サングリン太陽園」という会社はあまり名前が通っていないかも知れませんが、太陽と水と土から作ったこんなものも売っています。 今年の対戦相手は、昨年に続いてサンクFCくりやまU-18でした。 前半の得点は、高嶺の2点と仁科の1点でした(3-0)が、いずれも遠いサイドだったので写真は撮ってません。 後半の右CKを高嶺が蹴り入れて濱がヘディング(4-0)
FKのチャンスから下田が強烈なシュートを打ち込む(5-0)
今年は(5-0)と少なめの得点でしたが、完封したから良しとしよう。 菅もたくさん打ったんだけど一つも決まらず。
この鬱憤を全国大会で
暴発爆発させて欲しいところです。
帰りは栗山に寄って、久し振りに「開拓記念館」と「泉記念館」を見学しました。(→HP) 他に観覧者もいないので開拓記念館の中をじっくり見て回っていたら、よほどの物好きに見えたのか(実際に物好きなんだけど)、係員が「展示してない物を保管してある部屋も見ますか?」と案内してくれました。 「収蔵室が一番面白いんですよね。」と有難く見学させてもらいました。 萱葺きの「泉記念館」は近年になって屋根を葺き替えたそうで、土台も修復されていました。ここの子孫の方は知り合いで、子供の頃はこの屋敷に住んでいたそうです。 次いで、2・3度目の訪問となる小林酒造に寄って、「蔵元 北の錦記念館」や「酒道具の館」などを見学しました。 このポスターが素晴らしい。
徳利と杉玉はすぐ分かる・・お猪口の底に描いてある二重丸模様? 記念館で買った土産「北の錦 甘酒餅」
てっきり小林酒造が作った商品だろうと思ったら、谷田製菓の製品で、確かに、きびだんごの食感でした・・餅は餅屋だと。 「北海道の栗山という町で偶然にもご近所さんだった 双方歴史ある造り酒屋さんときびだんご屋さん。互いに手をとって ひとつの餅菓子を作り上げました。」と書かれています。いいね。 実のところ最大の目的は、本宅である「小林家」が昨年から一般公開されることになったので、屋敷の内部を見学したかったのです。(特にトイレを)
しかしながら、小林家の見学は予約制なんだそうで諦めました。 ところが帰宅して小林家のHPを見ると、予約人数に空きがある場合は飛び入りでも構わないんだそうで、そんなら受付で尋ねてみれば良かったと後悔・・まぁ、夕張へ行く機会は何度もあるから、後の
祭りお楽しみ。 「KAI」という雑誌で読んだのですが、2011年に三代目の米三郎さんが他界した後、屋敷の維持管理にかかる経費が負担となってしまったそうです。 この小林家で育った長女の千栄子さんが実家に戻ってきて、屋敷を取り壊すのは簡単だけど、内部を一般公開することで維持費を捻出して屋敷を残そう、と考えたんだとか。 そして弟さん2人のお嫁さんたちが「お姉さんがやるなら私達も手伝う」と協力しているんだとか。いいね。 塀の前で長年の風雪に堪えた植栽は龍にも見え、盆栽のような風格がありました。屋敷の見学には「文化財保存協力費」として1,000円かかりますが、茶菓のサービスがあります。
2015年06月01日
最近になって知ったんですが、5月18日は「国際博物館の日」だそうです。→日本博物館協会 私にとっては一年中が博物館の日だから、お日柄に関係なく前日の17日に「いしかり砂丘の風資料館」を再訪しました。以前にも見学したことがありますが、今回は石狩湾で撮影された蜃気楼の写真展が目当てです。 石狩湾を挟んで小樽の方から見える蜃気楼は有名ですが、対岸の石狩からも蜃気楼が見えます。
資料館の玄関前に、2007年に退役した護衛艦「いしかり」の主錨が展示されていました。石狩市民の郷土の誇りとして交流を重ねた証に置かれているとか・・弁天歴史公園内に設置されるという話で物議を醸し、ここに落ち着いたようです。 その向かいに一世を風靡したホテル「番屋の湯」がありますが、「違反建物の疑いで休館中」でした。
近くに「石狩浜海浜植物保護センター」があり、植物の保護活動や啓蒙を行っています。 展望搭からの眺めは良かったです。
実はこの日、カブスリーグの試合が終わった後に、石狩スポーツ広場で行われている「会長杯女子サッカー大会」の1回戦に間に合うと思って、リラ・コンサを見に石狩まで行ったのが主目的でした。 当日は北西の冷たい風が強く、砂埃が観戦エリアを襲っていました。そんな所に座ってるのは嫌なので風上に立って後半だけ見てたんですけど、砂埃と言うより砂嵐に近いです。
そう言えば、この辺は「紅葉山砂丘」という丘が出来たほどの地理的条件だから、砂が飛んでも不思議ではないです。 リラ・コンサはテクニックはあるんですけど、体格(というか、お尻と腿の太さ)がまるで違うので、F=m・a の式に従って力の差が生じるのは宇宙の法則。
太り過ぎたら動きが悪くなるけれど、トップレベルの選手はちゃんと体が絞られています。 試合後は報道陣が密着取材してました。
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順序よく紹介すると、2月に訪問した「本郷新記念 札幌彫刻美術館」から。 佐々木仁美さんの作品「帰る場所」(撮影可)こういう着色のブロンズが好きです。 こちらは「寝落ち」という作品・・笑
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次に、3月下旬に訪問した「北広島市エコミュージアムセンター知新の駅」←名前が長過ぎ廃校になった旧広葉小学校の校舎を再利用しています。 展示室は奥まった場所にあって見学し難いかも知れませんが、内容は面白いです。何と言っても、稲作に成功した中山久蔵が郷土の誇りです。 他にも色々な施設が同居していて、全体を「北広島市広葉交流センター”いこ~よ”」と呼ぶらしいです。
続いて、雪が融けるのを待って訪れた網走方面の博物館などを。 まずは、網走市にある「北方民族博物館」のエントランス北方民族のテントを象ったガラス室を下から見上げた景色です。 「白い食べ物・赤い食べ物」という展示から、これは白い食べ物である乳を搾る容器など
左上は「さるぐつわ」だったかな・・左下は、搾乳時に子供トナカイの首に付ける道具です。 子供が乳を飲もうとすると、ギザギザが親トナカイの腹に当たって痛いので、親が子を嫌って遠ざける・・あずましく搾乳するためとはいえ、人間は何と残酷な仕打ちをするのでしょう。 いわば「曲げわっぱ」製のバター容器
こちらは赤い食べ物である肉を盛る皿と調味料入れ
白樺のこぶの部分を削って、水筒のような形をした塩の容器を作り、角に彫刻を施したアクセサリーを象嵌してあるのがオシャレ。
さらに、美幌町にある「美幌博物館」(美博:びはく)網走方面は雪が多かったので、玄関で職員が雪割りをしてました。 かなり昔、1987年にオープンして間もない頃に訪れたことがあり、以前は「美幌農業館・博物館」という名称でした。 最近リニュアルして、寄贈された美術品も展示するようになりました。 農業館だった頃から展示してある農業機械の手入れが良かったです。車体の塗装や錆止めはもちろん、タイヤまで綺麗に磨いてあって、慈しみが感じられます。 空飛ぶ円盤のような「物見塔」からの眺めは良いはずなんですが、当日は霞がかかったようで見通しが悪く、壁に貼ってあったパノラマ写真に写ってる山はほとんど見えませんでした。
博物館の類ではないけれど、旧斜里町立図書館現在は新しい図書館に移転して、ここはお休みしています。 昔は斜里町役場の庁舎だった建物で、屋根に乗ってる望楼は戦時中に物見櫓として使われたとか。
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札幌芸術の森と関口雄揮記念美術館とを結ぶ近道に架かる吊り橋昨年9月の豪雨によって支柱が立ってる河岸が削られたとかで、通行禁止になっています・・危ない橋は渡りたくない。
近代美術館前の歩道にある植栽「ART」と、「MUSEUM」←画面に入り切らない
樹を回り込んでいる「U」の字が苦心の作
札幌市資料館で洪水と土砂災害のお勉強をしました。前庭に「一石を投じる」という芸術作品が据えられています。 道庁前のアカプラに展示されていた作品で、その保存方法にも一石を投じました。この場所にはちょっと合わないと感じます。
北広島市にある「旧島松駅逓所」このサイトのデフォですから。
鳥居のような形をした部分に着物の裾を掛けて用を足したから、この部分は「きぬかけ」と呼ばれ、それが「きんかくし」に変わったという・・ここのブログってためになるでショ?笑 現在も赤毛種を栽培している見本田
この駅逓所は、明治14年に明治天皇が北海道を巡幸した折の休憩所として利用されたそうで、昼食時に使われた食器が保存されていました。
いかにも奉安殿のような造りですが、食器は既に朽ちて残ってはいません。
北海道開拓記念館は改装され、「北海道博物館」に変わりました。施設のロゴマークは、建物の外観をそのまま使っています。 愛称の「森のちゃれんが」って、「赤れんが」の赤を茶に変えただけじゃないかっ!と思ったら、「チャレンジャー」の意味も含んでいるとか・・確かに、 Challenger を「ちゃれんがー」と読めなくもない・・「博物戦隊チャレンガー」なのか。 内部の展示物は基本的に既存の物品を踏襲していましたが、展示方法がかなり変わっています。 ただし間違ってるところは間違ったままだったので、そのうち指摘せねば。
2015年05月20日
スーパーなどに行くと、棚に並んでる牛乳などの商品を掻き分けながら、一番後ろに並んでる商品を苦労して引きずり出してカゴに入れてる人を見かけます。 古い商品は手前の方に並んでいて、新しい商品は奥の方に並んでいるからなんでしょう。
でも良く考えてみると: 市場に出回った商品の中には、陳列されるまでに品質が落ちてしまう可能性が無い訳でもないと思うんです。輸送中にエアコンが故障してたとか、吹雪で立ち往生してたとか・・。 仮に、品質が低下した商品を知らずに買ってしまって体調が悪くなったとすると、(通報があれば)その時期に入荷した商品は直ちに店頭から回収されるでしょう。 従って店頭に並んでしばらく経った商品は、そういうランダムなスクリーニング?を通過した商品なのだから、安全が保証されているようなものです。 わざわざ新しい商品を探して毒見してくれる人が世の中にいるお陰で、私は安全な食品を買うことが出来ます。 子供の頃、近くに牛乳工場があって、集乳缶をトラックに積んで集められた牛乳を加工する前に、窪みが沢山並んだトレイに一缶ずつのサンプルを取って色を見た後、係の人が口に含んで官能検査をしていました。 味が悪い牛乳はバケツに吐き出して、使わずに缶ごと全て捨てるんです。母牛には申し訳ないけれども。 奥に並んでる商品を買う人って、自分の危険を顧みずに牛乳検査官の役目をしてくれているので、いつも尊敬の眼差しで眺めています。 そんな奇特な消費者の力を借りて、♪私は今日まで生きてきました。(by 吉田拓郎)
先日の磐田戦に爆勝した帰り、オーロラタウンの「わしたショップ」に寄って沖縄物産を買物してるうちに、「ルートビア」をカゴに入れてしまいました。←万引きではない 帰宅して飲んでみると、元々ビールが好きじゃない自分にとっては、「これは悪魔の飲み物かっ!?」と思いました。 親切な忠告に従えば良かったと後悔しても阿蘇の火祭り。 ノンアルコールだから、子供から年寄りまで一緒に楽しめるって言うけれど、アメリカ人の味覚はホントにヤバいよ。 味覚が発達する年令の頃に色々な味を覚えないと、繊細な味覚が備わらないんだろうな・・日本でも、戦時中に子供だった年令層の人達は味覚がなんか変だと感じます。 ルートビアの味を再現しようと試行錯誤する人もいるらしいですが(コーラをルートビアにする)、私だったら途中で気を失ってしまいそうです。 教訓として、試合に勝った日は浮かれないように気を付けねば、と。
2015年05月08日
3月の下旬にヤボ用があって時計台の近くへ行ったついでに、付近の史跡を見学してきました。
まずは、札幌3大失望スポットとしてミシュランガイドにも載っているらしい(←ウソです)時計台から。入場券が雪ミクになってました。
クラーク先生が見たら何と言うか・・ 内部2階のホールに掲げてあった「演武場」の扁額
1階に、札幌ドームや羊、熊、大通のブラック・スライド・マントラなどを象った彫刻を飾ってありました。
石膏の作品かと思ったら大理石で、上の方に石狩湾、右に馬追丘陵、左下に支笏湖など、かなり精巧に作られた労作です。 昔は北2条通にあった時計台を現在の位置まで曳家で移動したそうで、古い位置に記念碑が立っています。
精密な大時計が付いたまま曳いて来たなんて意外ですけど。 よく見ると「傷跡」に見えなくもない。
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かつて近くに豊平館が立っていました。この碑は昔、市民会館の玄関先にありましたが、現在は市民ホールの庭に置かれています。 こんな環境だったんだよ、という説明図
その庭に植えられていたハルニレの大木が残されています。
樹齢が三百年と推定されている、市内でも最も古い部類に属するハルニレのようです。 昔は大気汚染の指標として二酸化炭素とか窒素酸化物の濃度を表示していましたが、関心の的が放射線量に変わってしまったとは・・。
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続いて札幌の創成の地である創成橋へ最初は札幌本陣へ通じる木製の橋として明治2年に架けられ、明治43年に石造で架け替えられた橋を2011年に再建したものだそうです。 橋という言葉から思い浮かぶイメージとはほど遠く、長さよりも幅の方が何倍も大きいという、言わば「ずん胴」な体形をしています。 これが「大友堀」と呼ばれていた創成川・・がこんな姿になろうとは。
創成川に架かる橋だから「創成橋」と名付けられたのではなくて、創成橋が架かっている川だから「創成川」と名付けられた、という順序です。 傍に、大友亀太郎像や由来を記した碑があります。
創成橋の袂に「北海道里程元標」が立てられており、右隣には「札幌市建設の地」碑も並んでいます。
全ての道はこの橋の東詰から始まると・・札幌市道路元標は道庁赤れんがの前にありますが。 橋の前に置かれていた車止めの石材や擬宝珠が保存されています。
この擬宝珠や札幌市建設の地碑などは、2011年までこの一角に置かれていて、
わざわざ一等地にあるビルの角地を凹ませるほど、大事に保存されていました。 開拓の村へ移設された南一条交番(旧札幌創成交番→札幌警察署南一条巡査派出所)なども再現されて、「歴史の広場」と命名され、一帯は創成川公園になっています。
昔からある漢方薬のお店
向かいに、こんな商店もあったそうです。
2015年04月26日
動物界では、頭から尻尾へ向かう線に平行な縞模様を「縦縞」と呼び、直交する縞模様を「横縞」と呼んでいます。
従って、シマウマの縞は「横縞」であって、これも横縞(イシダイ)、いつもは開いた内側しか見ない魚も横縞で(シマボッケ)、
こっちが縦縞です(シマゾイ)。
だから、これも当然、縦縞です。
場内放送では「横縞のようにも見える」と言ってましたが、上から見れば一目瞭然で縦縞だと納得するはず。 このユニフォームをよく見ると、胸当てとマント?をマジックテープで貼り合わせてるようでした。 オンラインショップでコンサモデルのキーホルダーやカン馬ッジも売ってるらしく・・早まったか。 しかも、既に「残りわずか」という商品があるじゃないか。
妄想の産物と思われる横縞赤黒ユニに、紐を付けてみました。紐であれば赤くなくても構いません。なんなら、ヘスティア様の「例の紐」でも。 まず右脇の紐を結んで、エプロンのように首の後ろに掛ける
次に左脇の紐を、腰の後ろに回してエプロンのように結ぶ
これで立派な?赤黒縦縞のユニだ。笑 横の物を縦にもしないのがモノグサの発想ですが、これも横縞を縦縞にした例(チョコファクにて)
しかも裏返しだし・・。 縦の物を横にもしないのがうちのチームでして・・単に見る方向が違うだけに過ぎないんですけど、「どっちでもいいから決めてくれ!」という訳にもいかんでしょう。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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