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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2014年03月28日
今回のアメダス調査旅行も、4日目の午後となりました。 予定していた21ヶ所のうち、残るは置戸町の「境野」と「置戸常元」、北見市の「留辺蘂」だけになり、時間的には順調に進んでいますが・・。
アメダス探訪「境野」の巻(2013/10/14) 生田原からちょっとした峠を越えて留辺蘂に下り、さらにちょっとした丘を越えて境野に着きました。 地図上では大きな道路から少し離れてくねくねした道の近くにあるらしいですが、目印になるような建物はありません。 頼るとすれば端野町と北見市との境界や、名前が分かってる橋くらいだけど、その橋も車が無事に渡れるのか?と思うほどの簡素な橋で、ランドマークとしては役に立ちませんでした。 少し手間取ったけど、置戸町立境野小学校の隣にありました。いかにも教員住宅という佇まいです。 敷地の全景:向こうに校舎が見えます。
測器の配置:自然の植生の延長という感じ
創立百周年(平成19年)の記念碑が立っており、
左側に、境野小学校七十周年と境野中学校三十周年の記念碑も立っていました。(昭和52年の建立で、この年に中学校が閉校しました。) 小学校は平成21年に閉校したから、102年の歴史という勘定になります。 校歌の一番は「青い山垣 匂う土」で始まるからいいんだけど、三番なんて「冴える北風 凍る路 吹雪は狂う 冬の夜も」ですから・・今冬は暴風雪が多かったかな。 校舎の全景:中央部だけ2階建てという趣きのある校舎です。
境野駅の跡地が、バスターミナルというか集会所のようになっていました。
境野駅、永遠に・・網走本線、池北線、ふるさと銀河線の駅として、95年の歴史に幕を閉じたそうです。(平成18年)
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アメダス探訪「置戸常元」の巻(2013/10/14) 置戸常元は最近(2006年)から観測を始めたばかりで、近くの「北見中山」から移転してきた観測所です。 地図上では、鹿の子温泉か、向かいの神社か、という選択肢が考えられましたが、電源や電話線の使用を考えたら温泉しか考えられない状況です。しかし温泉は廃業していて、この橋も通行禁止でした。 無理して橋を渡ったら、常呂川が三途の川になりそうだし。 この場所が違うのならば神社に向かおうとしたけれど、神社にある可能性は少ないと考えていたので、入口をマジメに調べておかなかったから入口が見つかりません。 アメダスは諦めて上流へ進み、「鹿ノ子ダム」が作った「おけと湖」を見物しました。
このダムは「鹿の子ダム」と書かれる場合も多いけど、正式には「鹿ノ子ダム」なんだそうです。 周辺はちょうど紅葉の時期で、紅葉狩りに良いはずなのに人影も無く・・
帰宅してから調べ直したら、某サイトにアメダスの雨量計が写ってる写真がありました。今度行ったら簡単に見つかるはずです。
アメダス探訪「留辺蘂」の巻(2013/10/14) 「ルベシベ」とは「峠を下りて平地に出たところ」という意味らしいです。 道の駅があって賑わう地区から少し石北峠側に登り、大和小学校の裏にありました。校庭(だった場所)から見た観測サイト:ここも教員住宅
後ろは牧場なので、牛が歩いています。
峠に近いけど北見側だから、積雪は60cmくらいしか積もりません。
牛が寝そべっています・・食事して直ぐに寝たんでしょう。 風向は北東くらい・・ならば峠へ向かって吹き上げる風です。
大和小学校の校舎の全景:比較的新しい感じ
手前に立つ校門には小学校と中学校の名前が書かれており、
その横には大和小中学校の閉校記念碑が立っていました。
平成23年(って今から3年前)に閉校したばかりだそうです。 あらまぁー、看板まで打ち捨てられて・・
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北見地方で2ヶ所が未調査のまま残ってしまったのは思わぬ誤算でしたが、今日の予定箇所を全て回り終えたこともあり、少し寄り道して帰ります。 近くにある旧武華駅逓(留辺蘂町開拓資料館)の建物標準型なので、最近訪れた「上藻別駅逓所」の造りにそっくりです。 武華の読みは「むか」で、ここは何度も寄っているし写真も撮っていますが、改めてじっくり調査します。
横から見てもそっくり
1階の台所と勝手口と応接室、2階は客室でしょう。 裏に回ると、土台は自然石を使っていました。
勝手口から内部を覗いてみると、資料館として当時の道具などを展示してありました。
まるで当時から時が止まっていたかのような光景です・・時計が止まっていたし。
これで(時間も距離も)長かった調査旅行が終わり、北見地方に2ヶ所を残してしまったけど帰宅します。 道内(本土)の未調査地点は6ヶ所となり、離島の6ヶ所を加えると12ヶ所が残りますが、昨年中にこの内2ヶ所の調査が済んだので、今年への積み残しは10ヶ所となりました。 今年は離島をどの程度片付けられるかなぁ・・。 昨年は、夏タイヤだけで1万km以上走ってしまいました。 数年前から帯広まで3回も往復する用事が続いてるし、北海道の南西端・北端・東端まで走り回った上に、1回だけの予定だった函館まで行く用事が2回も発生してしまったし。 その結果、今年の1月には走行距離が10万kmに達しました。![]()
マイカーは車令11年になるし不具合も生じているので、今年の車検を取りたいとは思わないけれど、気に入った車種が無いんですよ。 スポンサー様のディーラーから乗り換える訳にもいかないしで、悩ましい限りです。 バッテリーも突然へたバッテリーになってしまい、再起を試みたけど救済できず、タクシーで最寄りのホ○マッ○まで買いに行きました。 あと3ヶ月だけ頑張ってくれれば良かったのに・・。
2014年03月14日
常呂アメダスの次は、佐呂間へと向かいます。 北見市仁頃のハッカ御殿に立ち寄った都合上、山間部の仁頃トンネルと新佐呂間トンネルを経由する国道333号を通って佐呂間町へ抜けることになりました。 昔は、仁頃トンネルの次にサロマトンネルを通ってルクシ峠を越えるルートでしたが、2001年にルクシ峠で土砂崩落が起こって2名が死亡しています。 峠付近には同様な地質が残っているため旧ルートを放棄し、仁頃トンネルの先に別の「新佐呂間トンネル」を掘削するルートに変更されました。この新しいトンネルは全長4,110mで、当時は道内の国道で2番目の長さになる長大トンネルでした。(現在では黄金、穂別、野塚の各トンネルに次いで第4位) 新佐呂間トンネルの工事は2004年に着工して2007年に貫通する予定で、両側から掘削を進めて中央部の1,000mほどを残していた2006年11月7日、オホーツク海側の地域としては珍しい竜巻が佐呂間町若佐地区に襲来しました。 トンネルの工事事務所や宿舎となっていた2階建てのプレハブが跡形も無く崩壊し、工事関係者9名が死亡しました。 トラックが横転したり車が空中を飛んだほどの激しさで、竜巻の強さを示すランクである「藤田スケール」は「F3」と判定されました。→気象庁の竜巻災害データベース、札幌管区気象台の調査報告 死者の他にも重症6名、軽傷25名、住宅被害25棟となり、被害のほとんどが若佐地区に集中しています。飛散物は15km以上先まで運ばれて落下していました。(その先はサロマ湖だから落下地点が分からない) たまたま他へ移転したばかりだった旧若佐小学校跡の校舎に工事事務所・宿舎が間借りし、空き家となっていた教員住宅で被災住民が避難生活を送りました。
これがまず「仁頃トンネル」の入口(というか出口)続いてちょうど5年前の3月14日に開通した「新佐呂間トンネル」の入口(同上)
トンネルの右側に旧道が伸びています。
アメダス探訪「佐呂間」の巻(2013/10/14) ここが街の復旧とトンネル工事の再開に役立った、旧若佐小学校です。学校の前には大木があり、この辺は同じ町内でも竜巻の被害が少なかったようです。
竜巻が起こる年の春に若佐中学校が閉校し、夏にはその跡地へ小学校が移転していました。 大樹の陰には開校百年の記念碑などが立っていました。
この左側に教員住宅も残っていました。 工事事務所となった校舎の玄関と校章
その後、校庭に新事務所・宿舎を建ててトンネル工事は1ヶ月後に再開され、予定より2ヶ月ほど遅れた2007年秋に貫通し、遺族などが参加して慰霊式や貫通式が行われました。 アメダスはこんな感じで立っているはずでしたが、
グラウンドは災害の廃棄物集積所として使われた後、現在はメガソーラー発電所のパネルが広がっています。
アメダスは太陽光パネルの右寄りの奥に見つかるつもりが結局は発見できず、アメダス佐呂間は翌年への積み残しとなりました。 竜巻は若佐地区の中心部を通過した後、奥の山麓に立つ若佐神社の方へ向かったそうです。
この日は折りしも神社の祭礼日、屋根が飛ばされたコミュニティーセンターの駐車場(左)も賑わっていました。 毎年11月7日には慰霊式が行われており、日本風工学会主催による「強風災害フォーラム」もここで開催されたそうです。 昨年12月付けで気象庁から発表された位置データには変更されたアメダス佐呂間の位置が載っているし、佐呂間町の街中を2時間ほど捜し回って土地勘もできたので、次回は簡単に見つかるだろうと思います。
アメダス探訪「生田原」の巻(2013/10/14) 佐呂間でかなり時間を費やしてしまい、昼近くになってしまったけど気を取り直して先へ進み、オモチャの町・生田原へ着きました。 地図上では、街外れに造成した運動公園のような場所にあるらしく、途中の道はくねくねしてたけど無事に辿り着けました。奥は野球場のようです。 田舎町の郊外だけあって、障害物などもありません。
道路の向かいに並んでるのは公務員住宅のような雰囲気です。
風向計は南を指していました。
さて次は、置戸町のアメダス「境野」へ向かいます。
2014年02月21日
越川橋梁から斜里の市街地に向かい、アメダス探訪を続けます。 小雨が降って薄暗いし見通しも悪いので、今日の探索地点はあと1ヶ所か2ヶ所で終わりかも。 遂に、時間差が四ヶ月遅れ以上まで広がった投稿になっていますが、鮮度が問題となる記事ではないので気にしない。
アメダス探訪「斜里」の巻(2013/10/13) 予想通り、斜里の市街地に入る手前の学校にありました。ここは以久科小学校で、平成20年に100周年を迎えました。 越川橋梁が渡っている「幾品川」と同じ語ですが、こっちの地名の方は「以久科」という字が宛てられています。 教員住宅(多分)の横に立っていました。
卓越風向の風上は、何kmも先まで畑地が続いていて理想的。
積雪は、このターゲットの上にほぼ1mくらい積もるらしい。
風速計は西北西か
校舎の屋根にも風見鶏が乗っていました。趣きのある建築です。
学校の横に以久科天満宮があって、「野外ステージ」という舞台がありました。
勝利の舞斜里の舞でも奉納するのでしょうか。斜里町には「知床博物館」があり、精力的にユニークな活動を行っています。
ほとんど訪問できないのに、昔から協力会の会員になっています。 隣に「姉妹町友好都市交流記念館」の建物が増えていて、2階が博物館と繋がっていました。 沖縄県竹富島との姉妹町盟約20周年、弘前市との友好都市盟約10周年を記念して平成5年に建てられたそうで、赤瓦の民家や「津軽ねぷた」の展示がありました。
北の果てと南の果てとの交流になります。 斜里の町って、どうしても方向感覚が狂ってしまいます。 駅前広場が南側に広がってるような印象を受けるけど、実際には北を向いています。斜里を最初に訪れた時以来ずっと狂ったままなので、死ななきゃ直らないでしょう、多分。 次の小清水に着く頃には暗くなってしまいました。 それでも場所は大まかに分かっているから探したんだけど、暗いし雨降りだしで発見できませんでした。 道の駅「はなやか小清水」に行って夕食を食べていたら、風が強くて車体が揺すられるほどで、とても熟睡できそうもありません。仕方が無いので斜里町の「パパスランドさっつる」まで戻って、併設されている温泉に浸かってから眠りました。
アメダス探訪「小清水」の巻(2013/10/14) 翌朝に小清水へ出直して探索し、雨上がりの丘の上に立っているのが見つかりました。昨夜は、向こうに見える防風林から手前に抜けて来たんだけど、こんな畑の中にある訳ないと思って引き返したのが惜しかった。
丘の上だから障害物は無くて環境は良好なんだけど・・
地図上でも懸念していた通り向かいは墓地で、「小清水霊園」だそうです。
昨夜のうちに発見できなくて良かったのかも。笑 今まで見てきたアメダス地点のうち、石狩が寺院に隣接する霊園で、初山別が火葬場(斎場)と墓地、津別が霊園だったので、墓地はここで4ヶ所目になりました。 厚田も寺院の境内だから墓地のようなもんだし、芽室も霊園の向かいだから似たようなもんですけど。 草も(さほど)生えていなくて良い感じ
ここも西北西に向いています。
まるで山火事が起こっているような墓地の夜明け(5時半)
右奥が秀峰・斜里岳で、この山も登ったことがあります。 墓地の向かいには、セットの小清水町葬斎場がありました。
後で観光ガイドを見たら、墓地が載っていました・・先に見れば良かった。
温泉やサッカー場もあったんだ・・少年サッカーチームに「小清水エスパルス」というチームがあったよな。
アメダス探訪「常呂」の巻(2013/10/14) 常呂遺跡から少し南下した場所なんだけど、地図上では農業試験場から距離があるし、目印になる建物が何も無い所なので不思議でした。確かに位置は合っていますが、何ですかここは。 工事現場の事務所だとか・・なんでここに?
周囲は開放的で良好なものの、疑問はつのるばかり。
ダンプにでも引っ掛けられそうで心配です。
西風で6m/sほどだったらしい。
今回の調査旅行も残り地点が少なくなってきました。果たして予定通り完了するのか・・次の地点へ向かう前にちょっと寄り道します。
2014年02月07日
アメダス糸櫛別の敷地は何だったのか納得できないまま、単調な道路を海岸に向かって(スピードを出し過ぎないように)下り、標津に着きました。 上標津の次が中標津で、その次が根室中標津、さらに糸櫛別を経て、今度は標津ですから、全て「シベツ」が続いています。 いくら似てるからって、悲別なんていう地名を作らないで欲しいもんだなぁ。
アメダス探訪「標津」の巻(2013/10/13) 国道からも見える役場の駐車場の脇にありました。仕切りの目的で生垣を巡らせているのか、生垣の中に観測所を設けたのか・・。
柵が無くても測器までは近付き難いです。
海からの風が吹いています。今日も天候は好ましい感じ・・だったのに。
左奥が役場で、右手前が裁判所です。
裁判所の建物って、どこもシンプルというか、清楚な感じがしますね。 その中間に、気になる木が聳えています。
樹下にある案内板によると、標津町の「記念の木」に指定された樹木で、推定樹齢が80年のハルニレ、元標津小学校にあったとのことです。 標津町には「ポー川史跡自然公園」があって、内陸に向かって湿原の木道をしばらく歩いた丘に「伊茶仁カリカリウス遺跡」がありますが、今回は素通りします。 ずっと昔に歩いて行ったことがあり、白樺の樹皮で壁や屋根を葺いた復元住居が珍しかったです。
アメダス探訪「羅臼」の巻(2013/10/13) 根室海峡を右手に見ながら知床半島の海岸を進み、羅臼まで来ました。 アメダスは、知床峠へ向かう「熊越橋」の袂にありました。ホントにそんな川の側に立ってるのかと心配でしたが、確かに地図通りの場所にありました。 何の敷地か分かりませんが、隣はアパートのような雰囲気です。
海岸にある市街地方向を振り返った図
右手の山にあった町営のスキー場を滑ったことがあります。 超音波式の積雪深計・・1mくらいは積もるらしい。
11:28には南南西を向いていました:びったり
ここは羅臼川の沢に沿って行き来する風が吹きやすいはずです。 道の駅には苦手な海産物しか無くて購買欲が湧かず、騙されたと思って買ってみましたが・・騙されました。
峠へ向かう途中にある「羅臼ビジターセンター」にて
こんな哀れなお姿で衆目に曝されるなんて・・。 これで根室地方のアメダスは全て踏破したので、世界自然遺産に指定された知床半島を越えて網走側へ移動します。 日中は小雨が降る天候になり、峠では何も見えませんでした。まぁ、ここは何度も来たことがあるし、羅臼岳に登ったこともあるので惜しくはないんですけど。
アメダス探訪「宇登呂」の巻(2013/10/13) 昔はホテルが一軒しか無かったのに、平地だけじゃ足りなくて山肌まで立ち並ぶホテル群に呆れながらウトロ高原へ向かう道を進むと、見当通りの畑の中に見つかりました。昔のアメダス「宇登呂」は、斜里町長となった午来さんの家にありました。 ジャガイモの収穫中でしょうか。
柵は無いけど、人間よりも熊の心配をせねば。 畑の中には入れないからズーム写真を撮って退散します。
周囲には背の高い樹もありますな。 ウトロの道の駅の前で、海岸(というか海中)に大掛かりな建築物を造っていました。
海上に道路を作るんでしょうか・・昨年は土砂崩れでウトロ地区が孤立したこともありました。 道の駅の隣にある「世界自然遺産センター」で、鹿の角を植え付けたヘルメットを置いてありました。
鹿になったつもりで林の中を歩くと、角が木の枝に引っかかる鹿の苦労が分かる、という体験ツアーの道具かと。 斜里から通じる道路も昔は未舗装だったのに(←いつの時代?)、道幅が広くなって快適になったし観光スポットには駐車帯まで設けられているんだから、津波のように観光客が押し寄せるんでしょう。 シリエトク(地の果て)という地名が相応しいほど、秘境と呼ばれた時代は遠くなりにけり。
2014年02月02日
根室・網走方面のアメダス調査旅行の3日目は、前夜のうちに暗いながらも下見しておいた中標津から探査を始めます。 夜だから暗くて観測サイトは識別できなかったんだけど、この施設以外に考えられないという状況ですから簡単に見つかりました。
アメダス探訪「中標津」の巻(2013/10/13) 広くて平らな草地の中にポツンと立っています。ここは、「地方独立行政法人北海道立総合研究機構農業研究本部根釧農業試験場」(ちほうどくりつぎょうせいほうじんほっかいどうりつそうごうけんきゅうきこうのうぎょうけんきゅうほんぶこんせんのうぎょうしけんじょう)の農産試験圃場のようです。短歌と同じく、ミソヒトモジある長~い名称です。 農業試験場の農地だから、周辺一帯にな~んにも無いし・・ジャックと豆の木のような作物でも育つのならともかく。 農地に立ち入る訳にもいかないので、遠くからズーム写真を撮って終わります。
こんな恵まれた立地条件なんて、そうそう無い話だから問題ないし。 敷地の片隅に面白い雰囲気の建物がありました。
奥に見える庁舎の建物も良い感じなのですが、現在は使われていない様子。 こっち側から見ると、左に北海道立根釧農業試験場(旧北海道農事試験場根室支場)の農具庫、右に同じく種苗倉庫が並んでいます。
現在の試験場の本庁舎は、国道を挟んだ向かいの広大な土地に立っています。 空港へ向かう途中の少し高台になった土地に役場があり、その前に地震計が据えてありました。
向かいの丸山公園には、SLのC11209号が保存されていました。
遠くに見えるのは雪印(メグミルク)のタンクのようです。これらのタンクを満杯に出来るほど牛が多くいるということだものなぁ・・。 公園の一角に中標津町郷土館がありますが、まだ朝6時半で開店前。
街外れに運動公園があり、ここで「チビリンピック(U-12)」の全道大会が開催されている最中です。
うちのU-12チームも参加してるんだけど、入口に鍵がかかってるし、まだ誰も集まっていません。 試合を見てたら先に進めないから後ろ髪を抜かれる思いで立ち去りましたが、結果は見事に優勝しました。
アメダス探訪「根室中標津」の巻(2013/10/13) 根室中標津とは、その名の通り中標津空港のことです。 役場の横を登って台地を進むと、公園の奥に長閑な空港施設が見えてきました。あまりインパクトを感じないターミナルビルですが、これが凄い。
分離帯に立ってた歓迎標識によると、「秘境・海峡・酪農郷」なんだそうです・・確かに。
ここの空港のシンボルは、当然ながら牛です。 駐車場は8時半に開いたんだけどターミナルビルは閉まったままなので、仕方なくフェンスの外から観測サイトを撮影しました。
航空会社の職員が出勤してきたので「何時に開くんでしょうか?」と尋ねたら、「もうすぐ開きますよ。」と(職務上の?)笑顔で教えてくれた上に、カウンターの職員にも
通報連絡したらしく、外のベンチに座ってたら呼ばれて入れてくれました。 さすがに自動ドアは時計仕掛けでロックされてるから、脇にある通用口のドアを開けてくれて恐縮しました。 ほとんど手ぶらだから、とても始発便に搭乗するような客には見えなかったはずなのに・・でも正直言って助かった。 外で待ってるとホントに「酪農郷の臭い」がキツくて閉口しましたよ・・閉じるのは口だけじゃなく、鼻も閉じたかったくらいで。 晴れて送迎デッキの上から測器を撮影できました。遠くに吹流しも立っています。空港の必須施設ですから。
飛行機は風上に向かって離着陸するので風向が重要なのは当然ですが、気温が高いと空気が薄くて揚力が減るから滑走距離が長くなるので、気温も運行に重要な要素です。 航空標識の手前に風速計がダブルで働いています。
フェンスの向こう側に管理用の周回路があって、向こう側からも観察しました。 正面には武佐岳が聳えています。
その左寄りを探すと、昨夜の宿営地である開陽台が見えました。
ここの特徴は国内初となる木造の空港ターミナルビルで、フレームさえ木で出来ています。
小学校の頃の体育館もこんな造りだったなぁ。 2階の搭乗待合室に置いてある椅子や天井、床も木製です。
出発ロビーには入れないのでガラス越しに覗くと、やっぱり木の椅子。
乗り込む飛行機も木製・・なはず無いだろ!
戦時中の木製戦闘機じゃあるまいし・・キ-106の一部は江別にあるけど。 これ、実は「翼とふれあいのゾーン」という公園のベンチで、翼(notキャプテン)の上に座れます。 右翼の下に説明が書いてあって、旧中標津空港(元々は旧海軍標津第一飛行場)の旧滑走路だった跡地を公園にしたそうです。
これがその旧滑走路で、現在の滑走路と斜めに交差しているため、途中で分断されています。→参考
公園の駐車場の横にあるトイレは管制塔を模してあり、
公園の方から見ると管制塔が2つ重なって見えます・・内部を撮影してこなかった。
アメダス探訪「糸櫛別」の巻(2013/10/13) 猛吹雪で死者が出た道道を走って国道に抜け、ちょうど朝9時に発見しました。根北峠への登り口にあたる位置なので、悪天候時には通行止めになることもあります。 こんな藪を漕いで行きたくはないので、少し先から回ります。
ここは何の土地なんでしょう?
糸櫛別では雨量のみを測っています。
枝の無い材木が立ち並んでいる不思議な光景
木登り競走? 耐候試験? 宗教施設? などと考えてみても納得には到らず。 原材料とは何の材料?・・まさかこれで中標津空港のターミナルビルを建設したとか・・
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近くの川北には「標津第二飛行場」(川北海軍航空基地)の跡があって、掩体壕も残ってるらしいけど探すのに手間取るから寄る予定じゃなかったんですが、ここだという案内が出てるのなら寄ってみるか・・でもメロディーロード(試験施工箇所)って何ですか?これが航空基地の滑走路だったんじゃないよね?
小型機なら十分に滑走路として使えると思うけど。 ト音記号の交通標識が出現!
教則本に載ってなかったから意味不明です・・カラオケ注意? ここには八分音符が・・腹八分目?
いくら北海道でも、オタマジャクシは道路を横断しないだろうし。 走ってみて分かりました:「音が出ます」・・しかも音楽が。 空港の滑走路や交差点前の下り坂などでは、制動を効かせるため横方向に細い溝を切ってありますが、同様の加工(グルービング)を施してありました。しかもその間隔(ピッチ)を場所によって変えているので、ロードノイズの音程が変わってメロディーとして聞こえます。 ここの曲は「知床旅情」でした。法定速度で一定に走らないと、酔っ払いが歌うカラオケのようになってしまいますが。 →施工者の篠田興業と施工の紹介 根室地方には不思議な構築物が多いですな・・ひるまず先へ進み、標津・羅臼に寄って知床半島を横断します。
2014年01月17日
根室半島のアメダス探索も無事に終えることが出来たので、根釧原野に戻って別海を目指す途中、春国岱の傍にある道の駅「スワン44ねむろ」に寄りました。GONではなくSWAN44ですと。
入口ではカムイチカップ(神の鳥)であられるシマフクロウがお出迎えしてくれたので、思わず跪いて礼拝してしまいました。(一部に脚色あり)そっと触れると幸福が訪れるらしいですが、そんな大それた不敬な行為は出来ません。 背後の窓ガラスに写ってる鳥の影は、衝突防止用のシールです。 目の前に広がるラムサール条約登録湿地「風蓮湖」には、道の駅の名となった白鳥を始めとしてカモやシギなど様々な野鳥が飛来しており、全面ガラス張りの窓はバードウォッチングに最適です。暖かい部屋の中から鳥見するなんて邪道かも知れませんが。 道の駅にはオリジナルキャラクターである「しまちゃん」のパネルが立っててギョッとしましたが、ショップで一押しの「しまちゃんクッキー」にそそられてしまい、
収益の一部が「シマフクロウ基金」(日本鳥類保護連盟釧路支部)としてシマフクロウの保護に役立てられるとあっては、車に積み込めるだけ買い占めたい衝動に駆られます。(一部に・・) 箱の蓋は、本の表紙みたいに左側に開きます。 積み込めるだけとか言いながら、他のお土産も買うんですけど・・これは「エトピリカのたまご」
タマゴ用のパッケージに6個入ってて(詳しいレポート)、卵だけをさらって行くのも気の毒だから、生みの親であるエトピリカ(ぬいぐるみ)まで一緒に引き取ることにしました。買って財布の緒を締めよ。←手遅れ 何しろ納沙布の探索に手間取って昼食を食べ損なってしまい、併設のレストランも込んでたので、クッキーや卵を食べ比べながら野鳥を眺めていました。 たとえ菓子であるとはいえ、絶滅危惧IA類(CR)に指定されているエトピリカの卵を、日本野鳥の会の会員が食べるというのも不謹慎な話ですが、背に腹は代えられません。(北海道RDBでの呼び名は「絶滅危機種」)
厚床を経由して別海までの中ほどにある奥行臼(おくゆきうす)に寄りたいんですが、腹と気分が落ち着いて安心したせいか注意力が足りなくなり、通り過ぎてしまうところでした。 ここは「旧奥行臼駅逓所」で、別海町内に9ヶ所あった駅逓所のうち現存する唯一のものです。明治43(1910)年に設置されて以来100年以上の年月が経ち、平成23年には国指定史跡となりました。
右側に増築された2階部分の客室は凝った造りで良かったな。 こちらは勝手口と台所
裏手にあった倉庫と馬小屋2棟も、北海道指定有形文化財になっています。 この施設は毎年5月~10月の間だけ公開していましたが、この年の10月末まで公開した後は改修工事のため5年ほど休館するんだそうで、ギリギリなタイミング(10/12)に見学出来てラッキーでした。 確かに、土台が腐ってきて床や壁が傾いたり軒が波打ってるし、歩くと床板が軋むどころか沈みました。5年後にどう変わっているか楽しみです。←失望する場合が多い。 近くに、旧標津線の奥行臼駅が残っています。(参考記事)
駅舎だけではなくて、構内全体が別海町の指定文化財として保存されています。 待合室を通って改札を抜け、指差確認してからホームへ渡りました。
向こうに面白い建物が見えます。 これは宿直室のようでもあるけれど、宿直室ならば駅舎につなげて建てるはずだし、屋根に乗ってるのは湯気抜きに見えます。
春別駅で使用されていた共同風呂を移設したんだそうな。
アメダス探訪「別海」の巻(2013/10/12) 街外れの運動公園(町営パークゴルフ場)へ向かう道路の脇にありました。周囲に障害は無く、後方の建物は「別海ファミリースポーツハウス」という室内ゲートボール場だとか。
内部にゲートボールコートが3面あって、「寒い冬でもゲートボールを楽しむことができる施設」とのこと・・そうまでしてゲートボールをせねばならんのか?とも思いますが、冬の間は他にすることが無いんでしょう。 逆光だから、指で太陽を隠しながら撮影して後でトリミングするという、高等なのか原始的なのか分からない技術。
超音波式の積雪深計:多い年は80cm以上積もるらしい。
風速計:南南東くらいに見えるなぁ。
日も傾いてきたので、暗くなる前に次の上標津に着かねば。
アメダス探訪「上標津」の巻(2013/10/12) 上標津は10年前に計根別から移転してきた比較的新しい観測点で、別海から50km以上も離れてて釧路地方との境界に近いです。 地図上には何の建物も記されていなくて、一体どんな土地にあるのか見当が付きません。 緯度・経度値に基く┼印が落ちた地点へ向かう道順が複雑で、分かりやすい道は遠回りになって暗くなる恐れがあるから近道を進むと、標識もあまり出ていません。根釧原野って距離感が狂うから地図上で距離を測って曲がるんですが、やっぱり一つ手前で曲がっていたと気付きました。 いい加減に暗くなってしまい、今日のうちに見つからなくても明日改めて探せば済むだろうと思った頃、シマフクロウが訪れるという養老牛温泉へ向かう道路の脇に見つかりました。これも道の駅で礼拝した、シマフクロウの神様のお導きでしょう。 どうやらここは浄水場のようで、この程度の建物なら地図に載っていなくても不思議はありません。
浄水場のアメダス地点は5ヶ所目かな。 施設内に立ち入る必要は特に無くて、
敷地に巡らされた柵の外側を回り込み、
観測エリアに着きました。
風向風速計は西を向いていて、風は弱いです。
17時過ぎに今日のミッションが辛うじて終了し、雲一つ無い空に上弦の月が煌煌と輝いています。
こんな原っぱで晴れた夜に風が弱かったら、明日の朝は冷え込むに違いない。 今夜は養老牛温泉に泊まれば良いかな・・でも翌朝は早く起きたいのに寝心地の良い宿に泊まってると寝過ごす恐れがあるから、夕食の後に開陽台へ向かいます。
2014年01月08日
厚床から国道を離れて道道1127号に入り、落石や花咲を経て日いずる町・根室へ向かいました。 アメダス以外の途中の寄り道については、後日の記事で紹介します。
アメダス探訪「根室」の巻(2013/10/12) 根室合同庁舎:信号待ちのタイミングに撮影露場は庁舎裏の駐車場の隅にありました。
根室では高層観測をしてましたが、測候所ではなくなってしまいました。
居住まいを正して並ぶ測器達
視程計と根室湾
屋上の風速計など
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根室市の郊外で寄る所があって、砂利道(というより砕石の道)に入ったら思いっ切り腹を擦ってしまい、車体も精神もダメージを受けましたが、気を取り直して先へ進みます。 ここは珸瑤瑁(ごようまい)小学校で、明治32年に開校した日本最東端の学校です。正確には「でした」と言わなければならず、後に出てくる温根元小学校などと統合してこの年の3月に閉校したため、統合先の歯舞小中学校が最東端の学校に代わりました。→47ニュース、朝日新聞 北方領土から、距離にして5kmほど後退したことになります。 北海道地図の根室半島に記された赤丸の位置は、もう少し先端に近いはずですが。
校歌の歌詞は、一番から四番まで全て「東の東」で始まっています。
因みに最後のフレーズは、それぞれ「強く正しく育つのだ」、「明日をめざして進むのだ」、「世界の海は続くのだ」、「うまずたゆまず磨くのだ」と結ばれています。 校舎の脇に、古い校門が残っていました。
校庭から東の東を望めば、2km先にある納沙布岬に立つ「望郷の搭」がよく見えます。
こんな東の果ての地から、2009年の全道フットサル選手権(U-12)の根室地区予選を勝ち上がって、珸瑤瑁FCチームが全道大会に出場してきました。→ブログ記事 一生に一度の修学旅行みたいなもんですかね。 納沙布岬まで来ました。
目の前に珸瑤瑁水道が広がって、世界の海へと続いています。 今回の調査旅行では、アメダス地点を発見できないと再び出直して来るのが大変なので、天体観測に使う視界が広くてクリアな双眼鏡も持って来ました。 国後島も撮影したけど見栄えが悪いので、貝殻島灯台だけを掲載します。
参考として北方領土の地図を(笑
納沙布岬にある交番の屋根に、見張台が乗ってました。
次なる目的地のアメダス納沙布へ向かう途中、廃校となった温根元小学校(前述)の校舎がありました。
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アメダス探訪「納沙布」の巻(2013/10/12) 勘違いされやすいけど、納沙布のアメダス地点は納沙布岬にあるのではなくて、5kmほど西に離れたトーサムポロ岬へ向かう途中にあります。 この交差点(会館のバス停)で曲がって岬へ向かえば見つかるはず・・だったのに、これが難儀しました。 岬を巡る道をぐるっと一回りしてもアメダスは見つからず、正午を過ぎたけど昼食どころではありません。 周辺を行きつ戻りつして「こんな東の果てまで再び出直して来るなんて、真っ昼間ごめんだよ・・」などと、悲壮なのか空腹でハイなのか分からない状態でさ迷ってるうちに、やっと見つかりました。
道路よりかなり低い土地にあるんだもの、いくら風速計のポールは高いったって見えませんよ。 砂利道に入って進むと、魚網置き場のような土地の脇に立っていました。
出漁の可否を示すのか赤旗(not某機関紙)と、右方向に望郷の搭も見えました。 でも何となく、処遇が悪くて虐げられている感じ・・。
場所が場所なだけに、雨滴なんか入り難いだろうなぁ。
まぁこの地点は、風さえしっかり測ってもらえれば。
プロペラが止まって見えるけど、昼過ぎには10m/s近い風が吹いていたもよう。 一安心して根室に戻り、寄り道しながら内陸に進んで次の別海を目指します。 この日、「今日は試合会場で見かけなかったから、体調でも悪いのかと心配しています。」というメールが携帯に届いたので、「納沙布岬からロシアに亡命しようかと思って、根室方面を放浪しています。」と返信しておきました。笑
今年のCPPは・・Zepp Sapporo の会場に1,800人も入った状況を想像し、そこで2時間も立ちっ放しな拷問観覧には堪えられないので申し込みません。探さないで下さい。
2014年01月02日
こんな名前の新たな外国人選手を獲得する、とかいう類の話ぢゃないのでオットセイ(アシカにあらず)。←正月からこれだもの。
10月半ばの連休に、最後まで未調査で残っていた根室地方や網走地方のアメダス地点を探索してきました。
あちらの方面で残っているアメダス地点は21ヶ所あり、往復する距離が長いから1泊2日の旅を2回繰り返しても効率が悪いし、そう頻繁に行ける地域ではないから色々な文物をゆっくり見聞したいしで、2泊3日かけて一筆書きのように回ることにしました。
調査漏れを生じないように、しかも時間的ロスの少ない行程を考えるのも大変だけど。
寄り道が多いとなると、1日に見て回れるアメダス地点は6~8ヶ所でしょう。
この調査旅行さえ順調に終われば、道内(本土)のアメダス地点をほとんど踏査したことになり、離島の6ヶ所を加えても未調査地点は10ヶ所程度に減る目論見です。
金曜日の夜に自宅を出発し、十勝の浦幌まで駒を進めて眠りました。 アメダス探訪「茶内原野」の巻(2013/10/12) 野外生活の基本として明るくなったら行動開始、とは言っても秋分を過ぎて夜明けが遅くなったから、浜中町の茶内に着いたのは6時半です。 JRの駅とは反対側に曲がって内陸へ向かって進み、原野というくらいの地名だから、どんな寂しい場所に立ってるのかと思ってたら、確かに僻地でした。ここは浜中町の「茶内第三小学校」です。 「茶三」というデザインの校章が付いた学校の玄関
校庭の向こうに教員住宅らしい家が見え、庭先にアメダスもありました。
柵も何も無いけれど、校長先生の官舎の前で悪い事をする子供はいないだろうし。
校舎よりも高く聳える雨量計(笑)
道路の脇に、古い校門が残っていました。
実はこの学校、平成21年に閉校しています。(開校は大正13年) 学校へ曲がる角に地区の案内板が立っていました。1軒ずつ、世帯主の氏名が書かれています。
なんでルパン三世が案内するの?と思ったら、作者のモンキー・パンチ氏は浜中町の出身だそうで、JRなどではルパン三世のラッピング車両も走らせてるらしいです。→ラッキーな例 踏切で信号待ちしてた時に通った列車は普通の車両でしたが、街中でタクシーのラッピング車両とすれ違いました。 次なる目的地へ向かう途中、霧多布湿原を見下ろす高台にある「霧多布湿原センターに寄りました。
霧多布湿原ナショナルトラストの会員になってるから入館無料なんだけど、朝7時半から開いてる施設など有るはずもなく。 茫洋たる湿原を眺めながら周囲を散策してると、あら。
鹿とイルカですか?
アメダス探訪「榊町」の巻(2013/10/12) 湿原を横切る「MGロード」という道路を通って海岸に出ると、予想通り「榊町小学校」(の向かい)にありました。134年の歴史を誇りますが、この年の3月に閉校しました。(ここもかっ!) アメダス地点の内陸側には、教員住宅やグラウンド、バックネットが残っています。
こちらは旧体育館と校舎(背後)
似たような電柱も立ってますが、特に立地上の問題はありません。
校舎の前に、百年記念碑と閉校の碑が立っていました。
右端に見える小さな碑には、「競進小学校之跡」と刻まれています。(経緯)
元々この学校は1879(明治12)年に開校し、最初は「競進小学校」という名前だったけど、明治39年に榊町尋常小学校と改称したそうです。 これで釧路地方のアメダスは全て踏破しました。続いて根室地方へ向かいます。
アメダス探訪「厚床」の巻(2013/10/12) 予想通り、厚床中学校(の教員住宅の横)にありました。周囲に高い物体はありません。
積雪深計は超音波式です。
この辺に積もる雪の量は知れてますけど。(平年の最深値は46cm) 珍しく、測量用の標石と電子基準点とが同居していました。
校舎は平屋で、校門の横に立ってる相当な樹齢の丸太の方が看板として貫禄があります。
その隣に「厚床家畜市場跡」という標柱が立っていて納得しました。
最初は校舎の隣にあるこの敷地に入ってしまい、何だろう?と思ったのです。
黒い石碑に綴られた由来によると、「クロッケル號之碑」、「馬頭観世音菩薩像」、「畜産功労者之碑」とのこと。 「クロッケル號」とは明治17年にアメリカから輸入した種雄馬で、品種改良の基礎となったそうです。 馬頭観音像はあちこちにありますが、これだけ大きくて文字通り馬の頭上に三面観音が載っているのは初めて見ました。元々は昭和5年に競馬場に建立されたもので、偶然か必然かその年は午年です。 畜産功労者(7+21名)の氏名は省略します。 さて本日のメインテーマ(笑)、このバス停は何と読むのでしょう・・「アットコック・ヒューガッコ」としか読めません・・もしかしてロシア語?でもないし。
中学生ならばローマ字を読めるはずで、直されずにそのまま残っているということは、古い物を大切にして先人を敬う精神の現れなのでしょう。
2013年12月28日
静止気象衛星「ひまわり」は、ひまわり画像を撮影するために使われるのは当然ですが、他に通信衛星の役目も果たしています。 アメダスの観測データは公衆回線を使って送信しますが、気象官署の観測データや予報データなどは、気象衛星を経由して気象庁と送受信しています。 なぜなら、災害時には公衆回線が使えなくなる場合があり、そういう時にこそ防災情報は確実に伝達されなければならないからです。 他にも、外洋航路の船舶が位置情報を得る場合などにも使われています。
気象衛星から送られてくる画像データを処理・解析するのは、東京都清瀬市にある「気象衛星センター (MSC)」ですが、データ通信そのものや衛星の管制作業は、埼玉県にある「気象衛星通信所(CDAS)」が行っています。 この地上通信基地が埼玉県内の主局1ヶ所だけだと、雷雨や大雪、および大規模な災害時には不安なので、非常時のバックアップ施設として北海道に副局が初めて設置されました。 北海道では台風などの自然災害が少ないことも考慮されたようです。 で早速(と言っても11月)、隣接する江別市の某所に設置された施設を、外側から眺めてきました。 送受信用のアンテナは直径9mで、2基あります。こちらは管制施設などが入った制御棟
侵入者を監視中らしいです。←侵入してないから
現在のひまわり6号・7号に代わって、2014年にひまわり8号、2016年にひまわり9号が打ち上げられる予定で、地上設備は2015年に運用を開始する予定だそうです。 現在の静止気象衛星システムや気象衛星のあゆみやひまわり8号・9号の運用計画は、それぞれのページを参考にして下さい。 ひまわり8号・9号に搭載される「可視赤外放射計 (AHI: Advanced Himawari Imager)」はこんな性能だそうで、波長が多くなるし観測の分解能や時間間隔が細かくなって、詳細なデータが得られそうです。
例年、石屋製菓様のクリスマスケーキを買っており、今年もノエル・ショコラ(4号)を所望しました。内部に隠されているバナナジュレが美味でしたが、チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出るから、気を付けながら3日間かけて消費しました。 最近、半額セールで買ったワインボトルカバ-
ワンコインで買えて、しかも色使いが最高です。 今年は、柳月の「和風クリスマス」という和菓子も買ってみました。
左から、サンタ・聖夜・ツリーというテーマだそうです。 和菓子だから、ワインよりも甘酒な雰囲気・・デパートにはもう雛人形が並んでますからねぇ。 今から雛人形を陳列しておいたら、お雛様の美白な顔さえ煤けてしまうだろうに・・復元する為に変な化粧品を塗ったら
みだらにまだらに白くなるだろうし・・色の白いは七難去ってまた一難、と痛感。←こら
2013年12月24日
紋別の道の駅で昼食を食べてからしばらく経ち、おやつの時間になったけど空腹を我慢して遠軽へ向かいます。
アメダス探訪「遠軽」の巻(2013/9/29) アメダスは自衛隊の駐屯地へ向かう道の脇にあるらしく、その道路は「連隊通り」と呼ばれているようです。もちろん愛称なんですが、自衛隊が何をするにもこの道路を通らなければならず、確かに自衛隊車両や自衛官が通っていました。 この道の左側にスポーツ公園があり、武道館の奥に見つかりました。
でも、低い屋根の下に砂の斜面があって横に長い建物とは・・ やっぱり弓道場ですよね・・こちらは射場。
ということは・・右下に見えてる白い物は何ですか? アロウことか、立て看板には「弓道の矢が飛んでくるゾ~ 立入禁止」と書かれています・・マジかよ。
観測所の全景・・左側に見える緑色のカーテンは、流れ矢が住宅地まで飛んで行かないように・・って怖いよ~。
三十三間を射通せる人ならば、たやすく飛び越えますよね。 矢さえ飛んでこなければ、立地に問題は無いんですけどぉ。
佐呂間や生田原に寄ってると帰宅が遅くなるから諦めて、次は丸瀬布へ向かいます。
アメダス探訪「丸瀬布」の巻(2013/9/29) そろそろ帰路に就くのを兼ねて西へ進み、丸瀬布の市街から森林公園や丸瀬布温泉へ向かう道道に入ります。 予想通りの場所にありました。太陽も山陰に隠れようとしています・・もう少し待ってよ。 さけますふ化場だそうです。→施設の案内
「ふ化」って、漢字で書かないのかな?←読めない人がいるから? 反対側から眺めた光景
左側に入口があるようなので入ってみます。 御免下さい・・誰もいません。
門のタイルがかなり剥れています。 ここでは雨量だけを測っています。周囲の樹木は影響なし。
横に古い百葉箱が立ってましたが、白ペンキも痕跡しか残っていません。
長年のお勤め、ご苦労様でした。←鍵がかかってるから、まだ現役?
アメダス探訪「白滝」の巻(2013/9/29) いよいよ、今回の探訪も最終地点となる、白滝へ向かいます。 本来は西南西へ向かう道路の脇(の神社?)にあるらしいんだけど、どうやら南西へ向かう道を進んでるようなので、途中から本来の道へ出ようと曲がったら目的の道に合流する寸前に立ってました。伝書鳩のように方向感覚が良い・・んだか悪いんだか・・。 何ですかね、ここは・・地図上では丘の上(林の中?)に神社の印があったけれど、寄り道して登る気にはなりません。
手前の看板には「日本神宮御嶽神社 御嶽教豊受教会 原田天象」と書かれていますが、錆びてて読み難いです。
背後には「原田安五郎翁頌徳碑」という石碑が立っていました。 観測所の敷地から眼下に、開拓した農地が広がっています。
測器は問題なし・・周囲には草も生えていません。
風向風速計と日射計、積雪深計の投光部
ちょうど夕暮になったし、紋別地方の2ヶ所を残してるけど今回の探索予定箇所は全て回ったので、あとは帰るだけです・・でも自宅は遥かに遠い銀色の道。
旭川紋別道が開通したから良いようなものの、北見峠のぐにゃぐにゃ道を越えて帰るんだったら気が滅入りますよ。 思えば宗谷地方の沼川から始まって、2日間で20ヶ所のアメダスを調査したので、頭の中がカオス状態になっています。 帰宅してから調べると、原田安五郎とは地区の民生委員を務めた方で、原田家は代々この神社の神主だそうです。 教会自体は、もっと街に近い場所にあるらしいけど。
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プロフィール
作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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