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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2014年02月25日
お隣・当別町のスウェーデンヒルズに、今年から「アイスヒルズホテル」という建造物が出来たというので、10日ほど前に見物してきました。 ※上にリンクしてあるページの大部分の写真は「イメージ」です。 本場?のスウェーデンには本物のアイスホテルがあって泊まれるんですが(参考)、こちらは・・申し込めば滞在体験が出来るようです。(プラン一覧) 陸別町ではイグルーに泊まるイベントもありますが(トマムではやめた?)、山で雪穴を掘って寝たこともある人間としては、わざわざ好き好んでそんな事にトライする意義を感じません。 ノルウェイで泊まったホテルは寒かったなぁ・・という体験を思い出しました。
ホテルはあっちだよ奥はレストランがあるクラブハウスです。 立ち並ぶ氷の建物群:夜は綺麗だろうね。
ゴルフ倶楽部の駐車場に雪山を作ってあって、ソリ遊びやスノーモビル試乗体験(有料)も出来ます。 ICE HILLS HOTEL と刻まれています。
ここがアイスホテルの一室(の入口)・・恐る恐る・・
氷のベッドの上にマットと毛皮を敷いてありますが、寒さが苦手な人なら見ただけで拒否反応を起こすかも知れませんね。
氷の荷物置きなのかベンチなのか・・あ、イスだ。
それぞれの部屋をアーティストが担当してデザインしてあります。
藤沢レオさんて、鉄を溶接する造形家なんですけど・・氷の表面を融かして接着する作業は同じ話か、と納得。 別の部屋:何度見ても、白熊が寝てるように見えるなぁ。
こっちから光が入ればステンドグラス的で綺麗だと思うのだが・・夜は綺麗らしい。 正面は氷だけど壁や天井は雪で覆われており、別の一室では壁に草花の装飾が施されていました。
まるで襖絵のような雰囲気 ユキウサギか?
ここが「ROYCE' ICE BAR」←探偵はいなかった
当別町に工場がある某チョコレートメーカーが、アイスバーを営業しています。 カウンターも椅子も氷で出来ており、椅子には毛皮を敷いてありましたが、長く座る気にはなりません。
アルコール類やホットコーヒー、スープなどを提供し(もちろん有料)、製作過程の映像を雪の壁に映して音楽も流していました。
使用済みのグラス(氷を削った器)を重ねたオブジェ?
ぬるま湯で洗えば再使用可能かも メニューを見て・・この寒さの中で飲むとすれば・・ウォッカを飲んだら運転できなくなるし・・ここはアイスクリームだな。(笑)
冬の北海道だったらアイスでショ、当然。←天の邪鬼 これで500円はどうかとも思いますが、「生乳&雪みつ」と書いてるだけあって、ねっとりしてて美味しかったです。腹は冷えたけど。 クラブハウスのレストランではランチバイキングやディナーも営業してるらしいけど、バイキングは食べ過ぎるのでパスしました。 2月1日から3月15日までの11:30~20:00の時間帯のみで、悪天候時にはクローズすることもありますが、冬の間にゴルフ場のレストランと駐車場を活用する方法としては面白いと思ったのです。 今年は初めての試みなので他所を模倣した部分が多いですが、来年は期待できるかも。 ここんところの暖気で壊れてないか心配ですが。 スウェーデンヒルズから帰る下り坂はカーブがキツいので慎重に下り、当別駅前の「ふれあい倉庫」で白いたいやきを一匹食べました。(熱いミルクティーと一緒に)
自分で「アイスだ」と言っておきながら・・コンビニでは氷菓子類をストックするフリーザーが真冬も大きなスペースを占めていますね。 そんなに売れるんでしょうか・・冷凍食品だから腐る心配が無くて廃棄せずに済むんでしょうけど、どう考えても電気の無駄使いに見えます。 もしかして、フリーザーが発する熱で店内を暖めるため?
2014年02月21日
越川橋梁から斜里の市街地に向かい、アメダス探訪を続けます。 小雨が降って薄暗いし見通しも悪いので、今日の探索地点はあと1ヶ所か2ヶ所で終わりかも。 遂に、時間差が四ヶ月遅れ以上まで広がった投稿になっていますが、鮮度が問題となる記事ではないので気にしない。
アメダス探訪「斜里」の巻(2013/10/13) 予想通り、斜里の市街地に入る手前の学校にありました。ここは以久科小学校で、平成20年に100周年を迎えました。 越川橋梁が渡っている「幾品川」と同じ語ですが、こっちの地名の方は「以久科」という字が宛てられています。 教員住宅(多分)の横に立っていました。
卓越風向の風上は、何kmも先まで畑地が続いていて理想的。
積雪は、このターゲットの上にほぼ1mくらい積もるらしい。
風速計は西北西か
校舎の屋根にも風見鶏が乗っていました。趣きのある建築です。
学校の横に以久科天満宮があって、「野外ステージ」という舞台がありました。
勝利の舞斜里の舞でも奉納するのでしょうか。斜里町には「知床博物館」があり、精力的にユニークな活動を行っています。
ほとんど訪問できないのに、昔から協力会の会員になっています。 隣に「姉妹町友好都市交流記念館」の建物が増えていて、2階が博物館と繋がっていました。 沖縄県竹富島との姉妹町盟約20周年、弘前市との友好都市盟約10周年を記念して平成5年に建てられたそうで、赤瓦の民家や「津軽ねぷた」の展示がありました。
北の果てと南の果てとの交流になります。 斜里の町って、どうしても方向感覚が狂ってしまいます。 駅前広場が南側に広がってるような印象を受けるけど、実際には北を向いています。斜里を最初に訪れた時以来ずっと狂ったままなので、死ななきゃ直らないでしょう、多分。 次の小清水に着く頃には暗くなってしまいました。 それでも場所は大まかに分かっているから探したんだけど、暗いし雨降りだしで発見できませんでした。 道の駅「はなやか小清水」に行って夕食を食べていたら、風が強くて車体が揺すられるほどで、とても熟睡できそうもありません。仕方が無いので斜里町の「パパスランドさっつる」まで戻って、併設されている温泉に浸かってから眠りました。
アメダス探訪「小清水」の巻(2013/10/14) 翌朝に小清水へ出直して探索し、雨上がりの丘の上に立っているのが見つかりました。昨夜は、向こうに見える防風林から手前に抜けて来たんだけど、こんな畑の中にある訳ないと思って引き返したのが惜しかった。
丘の上だから障害物は無くて環境は良好なんだけど・・
地図上でも懸念していた通り向かいは墓地で、「小清水霊園」だそうです。
昨夜のうちに発見できなくて良かったのかも。笑 今まで見てきたアメダス地点のうち、石狩が寺院に隣接する霊園で、初山別が火葬場(斎場)と墓地、津別が霊園だったので、墓地はここで4ヶ所目になりました。 厚田も寺院の境内だから墓地のようなもんだし、芽室も霊園の向かいだから似たようなもんですけど。 草も(さほど)生えていなくて良い感じ
ここも西北西に向いています。
まるで山火事が起こっているような墓地の夜明け(5時半)
右奥が秀峰・斜里岳で、この山も登ったことがあります。 墓地の向かいには、セットの小清水町葬斎場がありました。
後で観光ガイドを見たら、墓地が載っていました・・先に見れば良かった。
温泉やサッカー場もあったんだ・・少年サッカーチームに「小清水エスパルス」というチームがあったよな。
アメダス探訪「常呂」の巻(2013/10/14) 常呂遺跡から少し南下した場所なんだけど、地図上では農業試験場から距離があるし、目印になる建物が何も無い所なので不思議でした。確かに位置は合っていますが、何ですかここは。 工事現場の事務所だとか・・なんでここに?
周囲は開放的で良好なものの、疑問はつのるばかり。
ダンプにでも引っ掛けられそうで心配です。
西風で6m/sほどだったらしい。
今回の調査旅行も残り地点が少なくなってきました。果たして予定通り完了するのか・・次の地点へ向かう前にちょっと寄り道します。
2014年02月17日
ウトロから斜里へ向かう途中で内陸の方へ進み、朱円周堤墓と越川橋梁を見学しました。 「朱円」の現在の読みは「しゅえん」だけど、元々の地名は「シュマ・トゥカリ」で、朱(シュ)+円(マドカ)というトンチ的な組合せになっています。 川の名前だった「シュマトゥカリペッ」の発音は残っていますが、漢字で「島戸狩川」と記されると元の意味が分からなくなってしまいます。
斜里の近くで国道から少し内陸へ入ると、「朱円周堤墓」(環状土籬)の遺跡があります。以前は「朱円ストーンサークル」とも呼ばれていましたが、「土籬」だったら「アースサークル」の方が正確だと思うし、「~サークル」という呼び方は遺跡の形態に基く命名であって、遺跡の使用目的から考えると「周堤墓」が相応しいのだとか。
出土した土器は栗澤式土器と呼ばれます。(栗澤喜重郎氏に因む) 手前のA号土籬では石を何ヶ所かに分けて敷いてあり、
奥のB号土籬では中央にまとめてあります。
その地下に土坑墓があったそうな。 「周堤墓」は野花南(芦別市)やキウス(千歳市)にも残ってるし、「ストーンサークル」は忍路(小樽市)・西崎山(余市町)や音江(深川市)、最近発掘された鷲ノ木(森町)にもあります。一説では開陽台にも。(嘘)
さらに内陸へ進んで根北峠へ向かう途中に、「旧国鉄根北線第一幾品川橋梁(通称:越川橋梁)」の残骸が残っています。斜里に来たら、ここを見ない訳にはいきません。
戦前に作られた10連のアーチ橋で、鉄筋を使わず(使えず)にコンクリートだけで出来ています。 雨降りだったので、落ち着いて写真を撮って回る気にならなかったから、かもめさんのブログ記事や、Wikipediaも参考にして下さい。
斜里町の知床博物館協力会が発行した郷土学習シリーズ・第20集「斜里・知床の近代化遺産」(1998年)というハンドブックの中に、
橋脚が健在だった頃の写真が載っていました。
こちらは橋脚を撤去する工事中の写真
まるで石橋を叩いて壊す?工事だったようです。 橋脚2本を壊したりしないで、上りと下りを分けて片側1車線ずつを別々のアーチに通す方法もあっただろうに。 当時は、どうせ使わない邪魔な橋という認識だったんでしょう。 橋を渡った先には、標津方面へ続いていた線路(予定)の痕跡が延びています。
この道を進んでみたかったけど私有地のようだし、雨降りだし石だらけで路面状態も良くないので、諦めました。
昨年から、腰を痛めることが時々あり、現在も1月からの不具合が完治していない状態・・今年のドーム除雪は無理っぽいので自重します。 決して、全道フットサルを観戦するためではありません。
2014年02月12日
カムバック・サーモンなどと、他人事だから気軽に言うけれど、鮭は重要な使命を帯びて川と海とを往復しているのだとも解釈できます。 内陸の土壌で生成された養分が川に流れ込んで、水中に棲んでる魚や昆虫を育てることは分かりやすいです。 さらに海へ流出した養分が、今度は海の生物を育てることになります。山の森が海の昆布を育てるように。 その海へ流出した養分を取り返しに行ってるのが鮭であって、養分が多い海洋で大きく育った後に母川へ戻って上流まで遡り、その死体が鳥や川に養分を供給して森を育てる、という生態系の循環を担っているとも言えます。 鮭はな~んにも考えないで長旅をしてるように見えるけれど、何も考えてないのは人間の方かも知れません。 海へ流出してしまった放射能を、追っかけて行って回収する方策は無いもんでしょうか。
標津町には「標津サーモンパーク」があります。正面のモニュメントは、イクラにしか見えないんですけど。
当館の目玉である大水槽で様々な魚が泳いでいます。
確か、真駒内のさけ科学館で鮭を回帰させた学芸員が標津に移って、この施設の構想・企画に携わったと記憶しています。 こちらは魚道水槽で、流れる川の中を横から眺める方式です。
学芸員ならば鮭の雌雄を見分けられるそうですが、雄のような顔付きの雌もいるし雌のような雄もいるんだそうな・・考えさせられる。 その魚道を上から眺めるという興醒めな趣味
以下は水槽を巡りながら・・威圧する貫禄があるイトウさん
パーマークが綺麗なヤマメさん
キャビアを生産するチョウザメさん
これは
寿司詰めさしずめ、板前さんチョウザメには歯が無いから、
口パク指パクしても大丈夫だと書かれていますが、チョウザメに病気を伝染させてはマズいし、隣にいる熊の牙を見たら指を咥えさせる気にはなりません。←本音 上から見ると、館内の人の流れというか、水の流れがよく分かります。
大水槽の舞台装置を上から見下ろす図
お約束のトイレの壁に、塩分濃度の学習資料が貼ってありました。
魚の腎臓の仕組みを解説しています。
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五里霧中の知床峠を越え(天候が悪いことは承知の上だから気にしない)、網走側に下って知床自然センターに着きました。 ここには「しれとこ100平方メートル運動ハウス」という建物があります。列島改造による土地投機や開発が進んで、離農した原野が切り売りされたため、昭和52(1977) 年に当時の藤谷斜里町長が「しれとこ100平方メートル運動」を提唱し、土地を買い取るための募金を全国に呼びかけました。 屋内には、その募金「100平方メートル運動の森・トラスト」への参加者の氏名がプレートに記載されて、四面の壁全体に貼られています。
昔は募金をする度にプレートが増えたんですが、プレートを貼るスペースが足りなくなったので、途中からプレートは1人1枚のみとして集約し、以後の募金者は名簿に記入することになりました。 これがその名簿で、年ごと都道府県ごとに五十音順に列記されています。
今年はこれだけの募金者が増えました、と年ごとにまとめてフエルアルバム式に綴じ足していき、そのアルバムも2冊目になりました。 ・・なんだか、原爆による死没者名簿の追加分を毎年奉納するような・・。 はるばる知床まで出かけていって植樹作業に参加したこともありますが、現在は植樹した樹をどうやって鹿の食害から守るか、という作業に苦労しています。 鹿と争うことになろうとは想像もしませんでした。 熊の目撃情報をお寄せ下さいと。
虎は死して皮を残すと言いますが、熊だって毛皮や熊の胆を残します。
見ると、「素通り厳禁!」「絶対にさわってください」という注意書きは珍しいです。
この熊がなぜ死なねばならなかったのかを考え、「彼の生きたあかしを、ぜひ触って感じてみてください」とのことです。 こちらは冬眠中・・というか尻に敷かれます。
小熊の耳に穴を開けて付ける発信機だそうで・・熊ピアスか。
ドラム缶で作った薪ストーブにも見える熊用の罠
仕切り戸というか蓋が曲げられて外れそうになっているような・・腕力は十分にあります。 キャンプなどの食料を保存する、フードロッカーとフードコンテナ
熊が開けられない構造になっていて、こんな容器に入れておかないと、熊を餌付けすることになってしまいます。民家の冷蔵庫だって開けるんですから。 やっと人里に下りてきた気がします。
熊の崇りなのか荒れた天候になって、雨粒だか波飛沫だか分からない水滴が顔に当たります。 ウトロの街やオロンコ岩、ゴジラ岩などが見えてきました。
この後、宇登呂のアメダス(前報)を経由して、斜里方面へ旅を続けます。
2014年02月07日
アメダス糸櫛別の敷地は何だったのか納得できないまま、単調な道路を海岸に向かって(スピードを出し過ぎないように)下り、標津に着きました。 上標津の次が中標津で、その次が根室中標津、さらに糸櫛別を経て、今度は標津ですから、全て「シベツ」が続いています。 いくら似てるからって、悲別なんていう地名を作らないで欲しいもんだなぁ。
アメダス探訪「標津」の巻(2013/10/13) 国道からも見える役場の駐車場の脇にありました。仕切りの目的で生垣を巡らせているのか、生垣の中に観測所を設けたのか・・。
柵が無くても測器までは近付き難いです。
海からの風が吹いています。今日も天候は好ましい感じ・・だったのに。
左奥が役場で、右手前が裁判所です。
裁判所の建物って、どこもシンプルというか、清楚な感じがしますね。 その中間に、気になる木が聳えています。
樹下にある案内板によると、標津町の「記念の木」に指定された樹木で、推定樹齢が80年のハルニレ、元標津小学校にあったとのことです。 標津町には「ポー川史跡自然公園」があって、内陸に向かって湿原の木道をしばらく歩いた丘に「伊茶仁カリカリウス遺跡」がありますが、今回は素通りします。 ずっと昔に歩いて行ったことがあり、白樺の樹皮で壁や屋根を葺いた復元住居が珍しかったです。
アメダス探訪「羅臼」の巻(2013/10/13) 根室海峡を右手に見ながら知床半島の海岸を進み、羅臼まで来ました。 アメダスは、知床峠へ向かう「熊越橋」の袂にありました。ホントにそんな川の側に立ってるのかと心配でしたが、確かに地図通りの場所にありました。 何の敷地か分かりませんが、隣はアパートのような雰囲気です。
海岸にある市街地方向を振り返った図
右手の山にあった町営のスキー場を滑ったことがあります。 超音波式の積雪深計・・1mくらいは積もるらしい。
11:28には南南西を向いていました:びったり
ここは羅臼川の沢に沿って行き来する風が吹きやすいはずです。 道の駅には苦手な海産物しか無くて購買欲が湧かず、騙されたと思って買ってみましたが・・騙されました。
峠へ向かう途中にある「羅臼ビジターセンター」にて
こんな哀れなお姿で衆目に曝されるなんて・・。 これで根室地方のアメダスは全て踏破したので、世界自然遺産に指定された知床半島を越えて網走側へ移動します。 日中は小雨が降る天候になり、峠では何も見えませんでした。まぁ、ここは何度も来たことがあるし、羅臼岳に登ったこともあるので惜しくはないんですけど。
アメダス探訪「宇登呂」の巻(2013/10/13) 昔はホテルが一軒しか無かったのに、平地だけじゃ足りなくて山肌まで立ち並ぶホテル群に呆れながらウトロ高原へ向かう道を進むと、見当通りの畑の中に見つかりました。昔のアメダス「宇登呂」は、斜里町長となった午来さんの家にありました。 ジャガイモの収穫中でしょうか。
柵は無いけど、人間よりも熊の心配をせねば。 畑の中には入れないからズーム写真を撮って退散します。
周囲には背の高い樹もありますな。 ウトロの道の駅の前で、海岸(というか海中)に大掛かりな建築物を造っていました。
海上に道路を作るんでしょうか・・昨年は土砂崩れでウトロ地区が孤立したこともありました。 道の駅の隣にある「世界自然遺産センター」で、鹿の角を植え付けたヘルメットを置いてありました。
鹿になったつもりで林の中を歩くと、角が木の枝に引っかかる鹿の苦労が分かる、という体験ツアーの道具かと。 斜里から通じる道路も昔は未舗装だったのに(←いつの時代?)、道幅が広くなって快適になったし観光スポットには駐車帯まで設けられているんだから、津波のように観光客が押し寄せるんでしょう。 シリエトク(地の果て)という地名が相応しいほど、秘境と呼ばれた時代は遠くなりにけり。
2014年02月02日
根室・網走方面のアメダス調査旅行の3日目は、前夜のうちに暗いながらも下見しておいた中標津から探査を始めます。 夜だから暗くて観測サイトは識別できなかったんだけど、この施設以外に考えられないという状況ですから簡単に見つかりました。
アメダス探訪「中標津」の巻(2013/10/13) 広くて平らな草地の中にポツンと立っています。ここは、「地方独立行政法人北海道立総合研究機構農業研究本部根釧農業試験場」(ちほうどくりつぎょうせいほうじんほっかいどうりつそうごうけんきゅうきこうのうぎょうけんきゅうほんぶこんせんのうぎょうしけんじょう)の農産試験圃場のようです。短歌と同じく、ミソヒトモジある長~い名称です。 農業試験場の農地だから、周辺一帯にな~んにも無いし・・ジャックと豆の木のような作物でも育つのならともかく。 農地に立ち入る訳にもいかないので、遠くからズーム写真を撮って終わります。
こんな恵まれた立地条件なんて、そうそう無い話だから問題ないし。 敷地の片隅に面白い雰囲気の建物がありました。
奥に見える庁舎の建物も良い感じなのですが、現在は使われていない様子。 こっち側から見ると、左に北海道立根釧農業試験場(旧北海道農事試験場根室支場)の農具庫、右に同じく種苗倉庫が並んでいます。
現在の試験場の本庁舎は、国道を挟んだ向かいの広大な土地に立っています。 空港へ向かう途中の少し高台になった土地に役場があり、その前に地震計が据えてありました。
向かいの丸山公園には、SLのC11209号が保存されていました。
遠くに見えるのは雪印(メグミルク)のタンクのようです。これらのタンクを満杯に出来るほど牛が多くいるということだものなぁ・・。 公園の一角に中標津町郷土館がありますが、まだ朝6時半で開店前。
街外れに運動公園があり、ここで「チビリンピック(U-12)」の全道大会が開催されている最中です。
うちのU-12チームも参加してるんだけど、入口に鍵がかかってるし、まだ誰も集まっていません。 試合を見てたら先に進めないから後ろ髪を抜かれる思いで立ち去りましたが、結果は見事に優勝しました。
アメダス探訪「根室中標津」の巻(2013/10/13) 根室中標津とは、その名の通り中標津空港のことです。 役場の横を登って台地を進むと、公園の奥に長閑な空港施設が見えてきました。あまりインパクトを感じないターミナルビルですが、これが凄い。
分離帯に立ってた歓迎標識によると、「秘境・海峡・酪農郷」なんだそうです・・確かに。
ここの空港のシンボルは、当然ながら牛です。 駐車場は8時半に開いたんだけどターミナルビルは閉まったままなので、仕方なくフェンスの外から観測サイトを撮影しました。
航空会社の職員が出勤してきたので「何時に開くんでしょうか?」と尋ねたら、「もうすぐ開きますよ。」と(職務上の?)笑顔で教えてくれた上に、カウンターの職員にも
通報連絡したらしく、外のベンチに座ってたら呼ばれて入れてくれました。 さすがに自動ドアは時計仕掛けでロックされてるから、脇にある通用口のドアを開けてくれて恐縮しました。 ほとんど手ぶらだから、とても始発便に搭乗するような客には見えなかったはずなのに・・でも正直言って助かった。 外で待ってるとホントに「酪農郷の臭い」がキツくて閉口しましたよ・・閉じるのは口だけじゃなく、鼻も閉じたかったくらいで。 晴れて送迎デッキの上から測器を撮影できました。遠くに吹流しも立っています。空港の必須施設ですから。
飛行機は風上に向かって離着陸するので風向が重要なのは当然ですが、気温が高いと空気が薄くて揚力が減るから滑走距離が長くなるので、気温も運行に重要な要素です。 航空標識の手前に風速計がダブルで働いています。
フェンスの向こう側に管理用の周回路があって、向こう側からも観察しました。 正面には武佐岳が聳えています。
その左寄りを探すと、昨夜の宿営地である開陽台が見えました。
ここの特徴は国内初となる木造の空港ターミナルビルで、フレームさえ木で出来ています。
小学校の頃の体育館もこんな造りだったなぁ。 2階の搭乗待合室に置いてある椅子や天井、床も木製です。
出発ロビーには入れないのでガラス越しに覗くと、やっぱり木の椅子。
乗り込む飛行機も木製・・なはず無いだろ!
戦時中の木製戦闘機じゃあるまいし・・キ-106の一部は江別にあるけど。 これ、実は「翼とふれあいのゾーン」という公園のベンチで、翼(notキャプテン)の上に座れます。 右翼の下に説明が書いてあって、旧中標津空港(元々は旧海軍標津第一飛行場)の旧滑走路だった跡地を公園にしたそうです。
これがその旧滑走路で、現在の滑走路と斜めに交差しているため、途中で分断されています。→参考
公園の駐車場の横にあるトイレは管制塔を模してあり、
公園の方から見ると管制塔が2つ重なって見えます・・内部を撮影してこなかった。
アメダス探訪「糸櫛別」の巻(2013/10/13) 猛吹雪で死者が出た道道を走って国道に抜け、ちょうど朝9時に発見しました。根北峠への登り口にあたる位置なので、悪天候時には通行止めになることもあります。 こんな藪を漕いで行きたくはないので、少し先から回ります。
ここは何の土地なんでしょう?
糸櫛別では雨量のみを測っています。
枝の無い材木が立ち並んでいる不思議な光景
木登り競走? 耐候試験? 宗教施設? などと考えてみても納得には到らず。 原材料とは何の材料?・・まさかこれで中標津空港のターミナルビルを建設したとか・・
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近くの川北には「標津第二飛行場」(川北海軍航空基地)の跡があって、掩体壕も残ってるらしいけど探すのに手間取るから寄る予定じゃなかったんですが、ここだという案内が出てるのなら寄ってみるか・・でもメロディーロード(試験施工箇所)って何ですか?これが航空基地の滑走路だったんじゃないよね?
小型機なら十分に滑走路として使えると思うけど。 ト音記号の交通標識が出現!
教則本に載ってなかったから意味不明です・・カラオケ注意? ここには八分音符が・・腹八分目?
いくら北海道でも、オタマジャクシは道路を横断しないだろうし。 走ってみて分かりました:「音が出ます」・・しかも音楽が。 空港の滑走路や交差点前の下り坂などでは、制動を効かせるため横方向に細い溝を切ってありますが、同様の加工(グルービング)を施してありました。しかもその間隔(ピッチ)を場所によって変えているので、ロードノイズの音程が変わってメロディーとして聞こえます。 ここの曲は「知床旅情」でした。法定速度で一定に走らないと、酔っ払いが歌うカラオケのようになってしまいますが。 →施工者の篠田興業と施工の紹介 根室地方には不思議な構築物が多いですな・・ひるまず先へ進み、標津・羅臼に寄って知床半島を横断します。
2014年01月27日
昨年の元日に投稿した年頭所感?「アクセス変遷と将来予測」という記事で、このブログの2013年以降の投稿記事数の予定やアクセス数、および記事あたりアクセス数の予想を公表しましたが、その頃にオフィシャルブログのサーバーが移設されて、データの均質性が失われてしまいました。
これが昨年の年頭に目論んだ、投稿記事数の予定とアクセス数の予想で、2012年までは実績値、2013年以降は予想値を示します。 それから1年の月日が流れた後に、2013年分の実績も加えてプロットし直してみると、
投稿記事数はほぼ予定通りに減らせたものの、アクセス数の方は全く似ても似つかない(というか、煮ても焼いても食えないほど)マズい結果になりました。 この原因はひとえに、サーバーの移設に伴ってアクセス数が減ったことに因っているものと解釈するのが妥当でしょう。 アクセス数をカウントし始めた2005年5月9日以来(足かけ8年間)のアクセス数を藤色でプロットしましたが、変動が大きいので平滑化した線(紺色)を眺めてみると、一昨年の年末に大きなギャップが生じています。(回帰曲線は3次関数)
これを見せるために1年間のデータが蓄積されるまで待っていたとも・・ただし「減った」というのは見当違いで、それまで不自然に増えていたのが「元に戻っただけ」だろうと考えました。 他にも、突然にアクセス数が急上昇しているように見える時期が何ヶ所かありますから。 それらのタイミングを境にして何らかの補正を施せば、ギャップが目立たなくなってスムーズに繋がるのではないかと思えます。 そこで、2006年から2012年までのアクセス数にある係数を掛けてみて、スムーズに繋がるような係数を探しました。 何種類か試行錯誤した後、2006年から2012年までの補正係数として、それぞれ 1.0、0.8、0.6.0.5、0.4、0.4、0.4 を採用して補正した結果を示します。
これなら不自然なく連続しているように見えます。 仮にこれらの補正係数が正しいとすると、近年は真値の2倍以上の大きな値に水増しされていたことになります。 ならば次の段階として、それらの係数を用いて年間のアクセス数も補正してみてはどうか、と考えを発展させた結果が下図で、
ちょっと補正し過ぎたかも知れませんが、滑らかな変化になりました。 2014年と2015年の予想値は改めて設定し直しましたが、今年は記事の投稿間隔を7日程度に設定しており、玉置宏の如くご無沙汰する予定です。 ついでに、投稿した記事の文字数も調べてみました。 文字を一々数えるのは大変なので、原稿を保存したテキストファイルのバイト数(の半分)を目安にします。 全角と半角の文字が混じっているから半分よりは多いかも知れないけれど、画像のファイル名とかリンク先のURLなども原稿に含まれているので、両方の効果を打ち消せば大雑把に半分だと捉えて構わないと思います。 年間に打った文字数と、記事一題あたりの文字数の変遷を見ると、
これは補正の必要が無い(誤魔化せない)数値だし、特に不自然な変化は見られません。
最近困ったのが、昨年11月26日号の週間アクセスランキングで、アクセス数が正しくない上に、アクセス数と順位との関係が乱れています。 面倒だから翌週の集計作業と一緒に直すのかと思ってたら、いつま~で待っても直らない・・♪犬の~お巡りさん 困ってしまって ワン ワン ワワン・・。
2014年01月22日
根室・網走遠征の2日目(10/12)の夜は、開陽台で宿営しました。 ここは昔からトイレも完備していて、泊まりやすいポイントでした。 ただ駐車場まで通じる一本道だった道路は、観光バスがスムーズに行き来できるように上りと下りのルートが別々になりました・・そんなに賑わうのか。
昨夜は予想通り冷え込み、上標津や根室中標津では明け方の最低気温が5℃ほどまで下がりました。ベンチコートを持ってきて正解です。こんな時期にテントで泊まってるライダーもいましたが。 開陽台のキャッチフレーズとして「地球が丸く見える」という表現があるけれど、地球は元々丸いのだから「丸く見える」のはアタリマエ。 四角い物体が丸く見えるとか、丸い太陽が日出時に四角く見えるのなら意味があるけど。
言うとすれば、「水平線が湾曲してる」とか「地球の丸さを実感できる」という表現が妥当なはずで、開陽台に立っただけで地球全体を見渡した気になってはイケナイ。 冒頭にリンクした中標津町のページには「地平線が文字どおり丸く見え」と書かれているのに、そこに掲載されている写真でも地平線は湾曲せず直線に写っています。(他にもツッコミ所が満載) 昔はただ材木を組んだ櫓が立ってるだけだったのに、今は電気も通ってて2階建ての展望台の中にはレストランや土産物屋もあるし(営業は夏場の昼間だけ)、周囲にアンテナが林立して隔世の感を禁じ得ません。 ・・と半ば呆れながら屋上のテラスに上って待っていたら、根室海峡から太陽が昇ってきました。(←四角くは見えない)
今日も順調に調査が進むような気がします。(←気がするだけ) 標津岳方面の山肌がモルゲンロートになりました。
寝心地が良いマトモな宿に泊まってたら、こんな景色にはお目にかかれません。 ところでこの展望台は、円柱形をしてて南側に入口があり、北側の階段を上って周囲のテラスに立つんですが、あたかも
札幌ドームコロシアムのような雰囲気の構造です。中央のステージで
コンサドールズ天宇受売命(アメノウズメノミコト)が踊るような。(←天の岩戸) 階段の手摺の延長上に、こんな突起物がありました。天文をやってた人間ならすぐに見当が付いて、根元にあるV字形の溝から先端にある針の頂点を狙えば、その延長上に北極星が見えるカラクリになっています。
まるで、ライフル銃の照門と照星の関係だ・・明るいから星は見えなかったけど、間違いないね。 だとすると、テラスへの上り口が真北を向いていて、ステージへの入口が真南を向いてることになります。 ・・じゃぁ東西は?・・と思って見回してみると、テラスの縁に避雷針が2本立っていて、それらが真東と真西を向いてるんですねぇ。ふむぅぅ。
さらに想像を逞しうするならば、展望台の直径が地球の直径の100万分の1の寸法になってるとか、コロシアムの傾斜がこの地点の緯度(43°36′49.0”)に等しく、夏至の日に南中した太陽の光線がステージの中央を照らすとかいう、凝った設計になってるのかも知れません。 そうかっ!・・この構造物は、現代人が作ったストーンサークルに違いない!・・とガッテンし、頭の中で渦巻いていた全ての疑問が腑に落ちる音が聞こえました。(←ストーン)
この辺の道路って、直線が続く上に風を遮る樹木なども少なく、地吹雪が起こると視界が悪くなるし吹きだまりも出来るしで、昨冬の3月には中標津町の5名を含む計9名が死亡しました。 道路管理者は以前から吹きだまりの状況などを調査して対策を講じており、今年も防雪柵の新設や道路標識の改善などを進めていますが、何しろ広大な平地を網の目のように走ってる道路ですから、全ての危険箇所を一気に片付けるのは無理な話でしょう。 「北の道ナビ」というサイトでは、今冬から「吹雪の視界情報」を提供することになりました。 視界の悪い地域を色分けして示すもので、このようなサイトを有効に活用したいものです。 視界の状況によって目的地までの所要時間が変わる状況をシミュレートできるのが、個人的には面白いと思いました。 気象台から発表される気象情報も、「見通しがきかない猛ふぶき」とか「車の運転が困難」などという表現に変えていましたが、今冬からは「数年に一度の猛ふぶき」とか、「外出は控えてください」などのキーワードを使うこともあるそうです。(報道発表資料:PDF) でも、自然現象から自分の身を守って長生きしたいならば、他人に頼るよりも臆病になることが一番です。
2014年01月17日
根室半島のアメダス探索も無事に終えることが出来たので、根釧原野に戻って別海を目指す途中、春国岱の傍にある道の駅「スワン44ねむろ」に寄りました。GONではなくSWAN44ですと。
入口ではカムイチカップ(神の鳥)であられるシマフクロウがお出迎えしてくれたので、思わず跪いて礼拝してしまいました。(一部に脚色あり)そっと触れると幸福が訪れるらしいですが、そんな大それた不敬な行為は出来ません。 背後の窓ガラスに写ってる鳥の影は、衝突防止用のシールです。 目の前に広がるラムサール条約登録湿地「風蓮湖」には、道の駅の名となった白鳥を始めとしてカモやシギなど様々な野鳥が飛来しており、全面ガラス張りの窓はバードウォッチングに最適です。暖かい部屋の中から鳥見するなんて邪道かも知れませんが。 道の駅にはオリジナルキャラクターである「しまちゃん」のパネルが立っててギョッとしましたが、ショップで一押しの「しまちゃんクッキー」にそそられてしまい、
収益の一部が「シマフクロウ基金」(日本鳥類保護連盟釧路支部)としてシマフクロウの保護に役立てられるとあっては、車に積み込めるだけ買い占めたい衝動に駆られます。(一部に・・) 箱の蓋は、本の表紙みたいに左側に開きます。 積み込めるだけとか言いながら、他のお土産も買うんですけど・・これは「エトピリカのたまご」
タマゴ用のパッケージに6個入ってて(詳しいレポート)、卵だけをさらって行くのも気の毒だから、生みの親であるエトピリカ(ぬいぐるみ)まで一緒に引き取ることにしました。買って財布の緒を締めよ。←手遅れ 何しろ納沙布の探索に手間取って昼食を食べ損なってしまい、併設のレストランも込んでたので、クッキーや卵を食べ比べながら野鳥を眺めていました。 たとえ菓子であるとはいえ、絶滅危惧IA類(CR)に指定されているエトピリカの卵を、日本野鳥の会の会員が食べるというのも不謹慎な話ですが、背に腹は代えられません。(北海道RDBでの呼び名は「絶滅危機種」)
厚床を経由して別海までの中ほどにある奥行臼(おくゆきうす)に寄りたいんですが、腹と気分が落ち着いて安心したせいか注意力が足りなくなり、通り過ぎてしまうところでした。 ここは「旧奥行臼駅逓所」で、別海町内に9ヶ所あった駅逓所のうち現存する唯一のものです。明治43(1910)年に設置されて以来100年以上の年月が経ち、平成23年には国指定史跡となりました。
右側に増築された2階部分の客室は凝った造りで良かったな。 こちらは勝手口と台所
裏手にあった倉庫と馬小屋2棟も、北海道指定有形文化財になっています。 この施設は毎年5月~10月の間だけ公開していましたが、この年の10月末まで公開した後は改修工事のため5年ほど休館するんだそうで、ギリギリなタイミング(10/12)に見学出来てラッキーでした。 確かに、土台が腐ってきて床や壁が傾いたり軒が波打ってるし、歩くと床板が軋むどころか沈みました。5年後にどう変わっているか楽しみです。←失望する場合が多い。 近くに、旧標津線の奥行臼駅が残っています。(参考記事)
駅舎だけではなくて、構内全体が別海町の指定文化財として保存されています。 待合室を通って改札を抜け、指差確認してからホームへ渡りました。
向こうに面白い建物が見えます。 これは宿直室のようでもあるけれど、宿直室ならば駅舎につなげて建てるはずだし、屋根に乗ってるのは湯気抜きに見えます。
春別駅で使用されていた共同風呂を移設したんだそうな。
アメダス探訪「別海」の巻(2013/10/12) 街外れの運動公園(町営パークゴルフ場)へ向かう道路の脇にありました。周囲に障害は無く、後方の建物は「別海ファミリースポーツハウス」という室内ゲートボール場だとか。
内部にゲートボールコートが3面あって、「寒い冬でもゲートボールを楽しむことができる施設」とのこと・・そうまでしてゲートボールをせねばならんのか?とも思いますが、冬の間は他にすることが無いんでしょう。 逆光だから、指で太陽を隠しながら撮影して後でトリミングするという、高等なのか原始的なのか分からない技術。
超音波式の積雪深計:多い年は80cm以上積もるらしい。
風速計:南南東くらいに見えるなぁ。
日も傾いてきたので、暗くなる前に次の上標津に着かねば。
アメダス探訪「上標津」の巻(2013/10/12) 上標津は10年前に計根別から移転してきた比較的新しい観測点で、別海から50km以上も離れてて釧路地方との境界に近いです。 地図上には何の建物も記されていなくて、一体どんな土地にあるのか見当が付きません。 緯度・経度値に基く┼印が落ちた地点へ向かう道順が複雑で、分かりやすい道は遠回りになって暗くなる恐れがあるから近道を進むと、標識もあまり出ていません。根釧原野って距離感が狂うから地図上で距離を測って曲がるんですが、やっぱり一つ手前で曲がっていたと気付きました。 いい加減に暗くなってしまい、今日のうちに見つからなくても明日改めて探せば済むだろうと思った頃、シマフクロウが訪れるという養老牛温泉へ向かう道路の脇に見つかりました。これも道の駅で礼拝した、シマフクロウの神様のお導きでしょう。 どうやらここは浄水場のようで、この程度の建物なら地図に載っていなくても不思議はありません。
浄水場のアメダス地点は5ヶ所目かな。 施設内に立ち入る必要は特に無くて、
敷地に巡らされた柵の外側を回り込み、
観測エリアに着きました。
風向風速計は西を向いていて、風は弱いです。
17時過ぎに今日のミッションが辛うじて終了し、雲一つ無い空に上弦の月が煌煌と輝いています。
こんな原っぱで晴れた夜に風が弱かったら、明日の朝は冷え込むに違いない。 今夜は養老牛温泉に泊まれば良いかな・・でも翌朝は早く起きたいのに寝心地の良い宿に泊まってると寝過ごす恐れがあるから、夕食の後に開陽台へ向かいます。
2014年01月12日
アメダス厚床の次に根室へ向かう途中で、太平洋に向かって盲腸のように突き出ている落石岬に寄りました。 続いて西和田や花咲にも寄って歴史を勉強し、さらに根室市近郊の遺構なども探索してきました。
落石岬の灯台を見物する訳でもなく、サカイツツジの群落を鑑賞するためでもありません。車止めからしばらく歩くと、こんな廃墟があります。
石碑には開局時(明治41年)の名称である「落石無線電信局之跡」と記されていますが、読み難いので木製の標柱の方を載せます。
こちらには後の名称:「落石無線送信所跡」と書かれています。 この無線送信所は、1929年にヤクーツクを飛行中だったドイツの飛行船ツェッペリン号と日本初の交信に成功したとか、1931年にアラスカからカムチャツカ半島、千島列島を経て根室に向かっていたリンドバーグ機の不時着を知って救助要請を通報したとか、1939年には太平洋無着陸飛行中のリンドバーグ機を無線によって誘導した、とかいう由緒のある施設です。 現在は根室出身の版画家・池田良二氏の個人スタジオとして使われているそうで、玄関の上にイニシャルの「R・I」をデザインしたマークが掲げられています。
2011年はリンドバ-グ来日80周年に当たり、この廃墟の内部に版画の作品や銅版を展示するなどの企画展「落石計画」が開催されて、リンドバーグ夫妻の二女であるリーヴ・リンドバーグさんからお礼の手紙が届いたそうです。 これは無線用鉄塔の台座だったのではないかと思われます。
裏から眺めるとこんな佇まい
訪問時は時期外れなため、窓なども閉ざされていました。 周囲には送信所の付属施設の土台などが残っています。
これは専門分野だ・・換気扇用の穴まであるし。
残雪を踏み抜いて、こんな穴には落ちたくないもんだな・・。 車止めの横にバイオトイレがあって、研究対象ですから調査しました。
使用後にスイッチを押すと、除雪機のようなブレードが回転して試料がオガクズと一緒に攪拌され、微生物によって分解されるそうです。 あいにく、実証用の試料を投入できる体調ではなかったのが残念ですが、室内は全くの無臭でした。 便座の下でブレードが回転してる場面も撮影したんですけどぉ・・。
昆布盛の先に西和田という地区があり、ここに「和田屯田兵村被服庫」があります。屯田兵関係の遺構はあちこちに残ってますが、現存する被服庫はここだけです。ただし、野幌の第二中隊本部の裏手にも、小さな被服庫が修復・保存されているとか。(未確認) 和田屯田兵が入植する前年の、明治18年頃の建造らしいです。
アメリカ開拓時代の建築様式を、お雇い外国人が北海道に導入したもので、バルーンフレーム構造は時計台と同様の様式だと説明されるよりも、モデルバーンに似てると言われた方が納得します。 普段は無人で、見学希望者は電話しろと書かれていましたが、時間が無いので窓から内部を撮影します。
かなり年季が入った建物で何度か移設されているしで、土台は腐りかけています。
隣には和田小学校の校舎と古い校門がありましたが、
平成18年に閉校しています。→学舎の風景
続いて花咲にある「根室市歴史と自然の資料館」を見学するために花咲の街を通過しようとしたら、ちょうど祭りの日だから通るべき道路に屋台が並んで通行止めになっており、見知らぬ街で迂回させられると方向感覚が狂ってしまいます。 北方領土に近いだけあって、ロシア語の看板がかかった店(会社?)もあるし、ロシア人(多分)も街中を歩いていました。 左奥が「根室市歴史と自然の資料館」で、右が花咲港小学校です。この資料館は旧海軍大湊通信隊の根室分遣所だった建物で、終戦後は花咲港小学校としても利用されていました。 ここにはラクスマンの根室来航関係の資料や、樺太の北緯50度に設置されていた旧日露国境の標石などの資料が展示されています。 しかし樺太に立っていた国境標石が、稚内じゃなくて根室にあるというのも相応しくないような・・。 国境関係の文書類の展示には力が入っていました。個人的には、奥にある収蔵展示室(というか物置)のような部屋の方が面白かったです。
ここにお目当てのケーブルがありました。
スキー場のリフトに使われていたケーブルのようにも見えますが、これは明治33年頃に根室市と国後島との間(距離30km以上)に敷設された海底ケーブルで、当時は電信回線が択捉島の北端近くまで繋がっていました。 1945年の旧ソ連軍侵攻の際も緊迫した島の状況がリアルタイムで根室側などに伝えられましたが、旧ソ連軍に占拠された択捉島との通信が同年9月に途絶え、間もなく国後島とのケーブルも切断されたそうです。
その海底ケーブルの根室側の上陸地点を見てきました。 根室市内を流れるハッタリ川の河口(ハッタラ浜)に陸揚庫が残っているので、駐車スペースに車を停めてどこかなぁ?・・と思ったら目の前にありました。ここが海底ケーブルの出口(というか入口)でした。 鉄筋コンクリート製で造りは頑丈なんだけど、ホントに「跡形が残っている」という程度の廃墟です。
ケーブルが切断されて陸揚庫の役目を終えてからは荒廃が著しく、近くの漁家の倉庫に使われたこともあるとか。
根室市が買い上げて保存する方針を決めたらしいですが・・。
根室市の郊外・友知の近くで国道から逸れて砂利道を進むと、ケーソンのようなコンクリートの塊が並んでいます。→根室半島のトーチカ群についてこれも当然、造りだけは頑丈で銃眼も残ってましたが、草が深かったので近付きませんでした。
向こうの丘の上には自衛隊のレーダーが設置されていて、対照的な光景でした。
日いずる町というか国境の町・根室市を後にして「穂香」(ほにおい)まで来ると、北海道立北方四島交流センター「ニ・ホ・ロ」がありました。ここに寄る予定は無かったんだけど、再び訪問することは無いかも知れないので寄ってみました。 道立だけあって建物は立派ですが、展示はイマイチ・・2階の北方資料館の展示室が面白かった程度です。(規模は小さいけど) 無料の展示観覧よりも、貸し室を有料で利用されることを期待している施設のようです。 ウズベキスタンの民族衣装を着て記念撮影できるコーナーがありました。
お約束のトイレ探査
二か国語の併記ならともかく、ロシア語の表記だけでした。
意味は「トイレを汚さないようにしなさい。」←最後の単語だけは分かるでショ。笑 「穂香」という地名も好きだけど、昔この辺を走ってた時に場違いと思えるほど上品なレストラン(オーベルジュ)があって印象に残っています・・ここみたい。 でも「ニ・ホ・ロ」で時間を食って急いでたせいか、今回は気付かずに通過してしまいました。
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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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