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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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2015年11月10日
自分でも何がなんだか分からないまま、あちらの世界に引き込まれてしまった事故の翌日に、苫小牧の救急病院で言われた通り、某大学病院の受付にCDと紹介状を提出して外来を受診しました。 入院しなければならないのは明らかだから、生活用具なども準備してきました。
診察室で目の状態を正面から撮影すると、水晶体は角膜や虹彩と同心円上に位置してるはずなのに、円の中心位置が2割程度ズレてました。天文現象に親しんでいる身としては、「これは月食だ」と思いました。 即日入院して、翌日には手術の内容について説明を受けました。病名は「右)水晶体脱臼、硝子体出血」と言うらしいです。こんな場合も脱臼って言うんだねぇ。 (多分、ハンドルにぶつかった)衝撃で水晶体が奥に押し込まれ、周囲から支えている毛様体の一部も切れてしまったため、少し下がった位置に移動しています。 メガネの右レンズが割れて、フレームも曲がったくらいの衝撃ですから。 このまま放っておくと水晶体が腐るので摘出する必要があり、手術の内容は加齢によって水晶体が白く濁った場合(白内障)と同様の手順になります。 眼球内で出血してて眼底の様子を見れないので、水を循環させて洗浄してから眼底の状態を調べます。 もし網膜の一部が剥離していたら(右上の波形部分)、眼球内にガスなどを注入して網膜を眼球の内側に押し付けて癒着させますが、癒着するまでの2週間程度はうつ伏せの姿勢を保って寝てる必要があり、患者にとってはこれが一番つらいんだそうです。←想像しただけでつらそう 医師から「医者は手術で頑張るので、患者さんはうつ伏せ寝に頑張って下さい。頑張りましょう!」と言われたら、一希くんのように「僕は元気なので大丈夫です。頑張ります!」と答えざるを得ませんよ。 前途を祝福するのか、病室から虹が見えました。
どこの病院なのかバレバレですが。 入院当時は顔の右半分が傷だらけで、眼窩は腫れてるし瞼も腫れてて、まるでお岩さんの顔みたいだったらしいです。 直ぐに手術を行うことも可能ですが、皮膚の傷がジュクジュクしてる状態で目の手術を施すと感染する危険があるので、それらの傷が固まった4日後に手術を受けました。 手術は1時間~1時間半程度で終わるけれど、顕微鏡下で行う手術中に体や眼球が動いたら大変なので、全身麻酔になります。 術後の説明によると、幸いにも網膜剥離は無かったそうですが、そんなこと医者は手術前から分かっていたし、私も勘付いていました。 たとえ眼球内で出血してて眼底の様子を見れなくても、瞼の上から超音波を当ててエコーを見る装置があり、網膜の状態は分かるんですね。 ただ患者に対しては、最悪の状況まで説明しておかねばならないものでしょうから。 手術の翌日に眼帯を外したら、右目でも景色が見えました。 ただし、レンズの無いピンホールカメラで撮影した写真のように大ボケな画像で、オブラートを通して眺めてるような景色でした。 水晶体を取り除いたのだから、もし「オマエの目は節穴か?」と問われたら、「ハイ、その通りです。」と答えるしかありません。 節穴であることを隠すために眼帯を付け、金属の保護板も装着します。
自分は独眼竜政宗か、カリブの海賊か 上瞼から下瞼にかけて、割れたメガネレンズで切れた傷が縦に伸びてました。 まるで丹下左膳のような傷で、もしこれが横向きの傷だったなら・・(右だけ)二重瞼になってたかも知れないのに。笑 病院の食事にデザートとしてライチが付いてくることがあり、きれいに皮を剥くと、自分の目玉を食べるような錯覚を感じました。 「大目玉を食らう」とは、このことか。←違 ベッド脇の床頭台には、テレビの他にDVDプレイヤーも備わっていたので、雑誌の付録として付いていたCDを聴きながら眠りに付こう・・
・・としても無理です、21時に就寝なんて。 手術後の数日間は、1日に4~6回も看護師が点眼して回りました。 感染を防ぐためにまず両手を消毒して、使い捨てグローブをはめて、眼帯を外して目の回りを清浄綿で拭いて、所定の点眼薬を入れて、新しい眼帯をテープで貼って、グローブを捨てます。 次の患者に移ると、また両手を消毒して(以下、同様)・・つまり、患者の数だけグローブを捨てるから、それに1日の点眼回数を掛け算すると、恐ろしい数の廃棄物が発生します。 次のステージとして、患者自身が点眼を行えるように訓練が始まりました。
時刻別にどの目薬を使うかというスケジュールで、取り違えないようにキャップの色を塗ってくれます。 自己点眼するのは廃棄物を減らす意味もありますが、受動的に治療を受けるのではなくて、自分自身で治すんだという自覚を持ちつつ能動的な姿勢で治療に取り組む効果があると思います。 私の場合は普段から疲れ目の目薬を使っていたので点眼は難しくありませんが、初めての人には意外と難しくて、結構厳しい教育的指導を受けてました。 感染を防ぐための訓練だから厳しくて当然なのですが、普通は目薬を入れない方の目を閉じるもので(しかも余計な口まで開ける)、目薬を入れる方の目がよく見えないんだから狙いを定めるのが難しくて、うまく目の中に落ちません。 夜寝る前に鏡を覗き込みながら、目の回りを丹念に拭いて目薬を入れ、眼帯を貼り付ける作業は、あたかもナイトメイク。笑 やがて眼帯を付けなくても良い許しが出ましたが、まだ右目が十分に開きません。
目を閉じた状態を続けてると、瞼を開く筋肉も衰えるそうです。へぇー・・ということは、瞼の筋肉を鍛えれば、お目目パッチリになるのかも。 凸レンズである水晶体を取り除いた代わりに虫メガネを通して景色を見てみたら、結構ハッキリ見えました。 かなり瞼を開けるようになってきました。目力もアップ?
兎の目のように赤かった白目も、だいぶ色が引けてきました。 途中で眼圧が上がったりして、退院が少し先延ばしになったようです。 眼圧が上がると網膜の神経細胞が圧迫されて壊死していき、網膜の神経細胞は再生しないので、そのまま失明する危険があります。 もしかして、ゴーストライターになれるかも・・次回へつづく
2015年10月31日
はるか以前の話ながら今月初旬の10月3日と4日に、高円宮杯U-18プリンスリーグ北海道参入戦が、浜厚真野原公園サッカー場で行われました。 この参入戦には、札幌ブロックリーグで2位だったコンサU-18Bチームが参加しています。
浜厚真野原公園内にあった自販機厚真町の公式キャラクター「あつまるくん」が描かれています。 1回戦(2015/10/3) 北海道栄高校(オレンジ) vs コンサU-18B(白)
気圧の谷が通過した後で、大気の状態が不安定な時に出現する雲が見られます。 前半は圧倒的にボールを支配しながらも、相手GKがエリア外まで出てボールを触ったファウルで得たFKははじかれ、
岩崎のシュートもはじかれて得点にはなりません。
しかし後半に岩田の右クロスを佐藤が押し込んで先制し、
高野のドリブルシュートで加点して、
(2-0)で勝利しました。 試合後に相手の監督さんが「完敗だった」と話していたのが聞こえました。 また翌日の朝に早く出て来るのは面倒だから三石に泊まることにして、リニューアルした新ひだか町の博物館・図書館をのんびり見学した後、
台風からのうねリで被害を受けた春立海岸の護岸を視察しました。
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2回戦=準決勝(2015/10/4) 釧路北陽高校(白) vs コンサU-18B(赤黒)前半の早い段階で山田のミドルシュートがバーに当たって枠内のラインを越え(1-0)、
岩崎の左足シュートが上部に入り(2-0)、
佐藤が左から打ち込んでリードします。(3-0)
後半が始まるかと思ったら、どこかでデジャヴュな光景
ネットが外れてしまいましたが、背が高い櫻庭くんならゴールを傾けなくても届きそうな・・。 佐藤の左クロスを山田が押し込んで追加点を上げ、
(4-0)で快勝しました。 もう一方の準決勝は創成高校と北海高校との対戦になり、このカードは見応えがあるだろうし次週に行われる決勝戦の対戦相手はどこかいな?と高見の見物をしてました。 試合は延長でも決着が付かず(0-0)、遠くに虹が出るPK戦では北海(4-3)創成となって、北海高校が辛勝しました。
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2日間ともコンサU-18Bが楽勝だったのでハラハラなどしなかったし、日中は座って過ごしてたから何の疲労も無かったはずです。 帰りは厚真ICから日高道に乗り、沼ノ端東ICで一般道に下りて、国道36号を走って札幌へ戻るつもりでした。 道道235号から右折して国道36号に入ったところ、急に吐き気がしたので「何なんだ、この吐き気は?」と思ったことまでは覚えているのですが、その後の記憶がありません。 なんだか周囲が騒がしいなぁと思ったら、顔が痛いし血も出てメガネが壊れています・・あれぇ、エアバッグが膨らんでるってことは? 「煙が出てるから外に出た方が良いよ。」と言われて「いや、その煙はエアバッグを膨らませた火薬が燃えた煙だから・・」と言いはしませんでしたが、変に冷静な自分がいます。 促されたので外に出て、中央分離帯の切れ目の縁石に座りました。 どうやら、意識を失った状態でその中央分離帯に衝突したようです。(北海道開発局提供の写真を加工) 右目の視野全体が一様に黄色っぽくて、景色が映ってません。 「もう、なんにも見えねぇ」←水泳選手かっ? ほどなく警察が来て簡単な事情聴取を受け、救急車で苫小牧の救急当番病院へ運ばれました。 その病院でCT検査や眼底検査などを受けると、「水晶体がズレてるし眼球内で出血しているが、今すぐ処置は必要無いから、明日の朝一番で○大病院へ行きなさい。」と言われ、スキャン画像を収納したCDと紹介状を渡されて、迎えに来た妹の車で札幌へ戻りました。 CTスキャン画像の一枚(の一部を拡大)
右目の水晶体が、出っ張った角膜の位置から推定される中心線から確かにズレています。 いったい、私の右目はどうなるのでしょう・・次回へつづく
2015年09月30日
ウチから出たマコトが、岐阜戦で挨拶して回ってました。 CONSA BASE でリラ・コンサの公式マスコットを売ってたので、喜んで買ってきました。 差し当たって1個だけですけど。 リラックマ・コンサドーレのキーチェーンえ? 公式マスコットじゃないの? 他に無いっショ。
以前に冗談で「リラ・コンサのマスコットはリラックマだ」と書いたことがありますが、そんな見当違いの熱望を斟酌してリラ用に新しいマスコットを作ってくれたようです。←違 横に並んでたドーレくんの羽根でひっ叩かれたら、ひとたまりも無くブッ飛ばされそうなクマですが・・。 リラ・コンサは「Lira」だし、リラックマは「Rila」だという違いはあるけれど、そこはそれ、「L」と「R」の区別がつかない日本人ですから。 そのリラ・コンサは、札幌なでしこリーグを2位で終えました。→結果 優勝した北斗高校は7戦全勝し、リラ・コンサは北斗高校に負けただけで残り6勝、しかも北斗高校の唯一の失点はリラ・コンサが奪ったものだから、負けたとはいえ一矢を報いたどころか先制したんだもの。
【仁義好かん ぬいぐるみ】 シースペースで、ジンギスカンのジンくんのお友達である、ギスくん、カンくんのぬいぐるみを予約販売するとのこと。 道民なら、この御神体を神棚か仏壇に飾らなきゃ。 うちには(コンサバージョンじゃない)ジンくんが既にいるので、もう一体を養子にしようと思って予約しました。 ユメミを選ぶかゴメスを選ぶか、だな・・どっちかと言うと、持ってるキャラが逆のような気もするけど・・案外違うのかも。 どっちの子を予約したかはナイショなの。 どうせなら、ジンギスカン鍋を象って肉や野菜を乗せた帽子を作って欲しいな。←笑われるよ
【新監督就任記念コラボ商品】 ハーフタイムパーティーで入手した宮の沢銘菓その名も「コンサドーレせんべい」
厚別でも追加販売ぃ~!・・即完売かと思ったらドームでも売ってて、毎試合限定200箱なんでしょうか。 オフィシャルのせんべいを作るのなら・・四方田新監督の就任を記念して、ローソン様あたりから新商品など出ないもんかなぁ。 小野伸二バージョンの抹茶シュークリームに似せて緑色に変わりは無いけれど、抹茶じゃなくてヨモギを使ったシュークリームとか作らないかなぁ。 ネーミングは当然・・「よもシュー」がいいな。←怒られるよ
【何かが起こる天皇杯】 天皇杯の1回戦では、ゴールネットが外れるアミューズメントハプニングがありました。 この間、主審はロスタイムが何分になるのか分からなくなってしまったような・・。 2回戦で、雨上がりの空を背景にしてバックスタンドのポールに翻る旗たちでも、NHKの旗が何か変だな・・ロシア語なら「インク」と読めそうだ。 左右逆かと思ったら上下方向にひっくり返されてて、つまり逆さ吊りにされてるような・・これって嫌がらせ? 大会プログラムの表紙に「ジャイアント・キリングを起こせ」と書いてあるけれど、籾井会長が怒って暴言を吐きそうな・・。 ハーフタイムにトイレへ行って席に戻って来たら、正しい向きに直ってました。 せ、千円札も落ちてたんですってぇ? 3回戦でも、忘れられないほど強烈で試合内容より記憶に残るような、楽しいパフォーマンスを期待します。
【和風のしょうゆ】 先日、ショッピングセンターでパック入りのサラダを買ったら、底の方にドレッシングの小袋が入ってました。(いらないのに) その小袋には「和風しょうゆドレッシング」と書かれていました。でも・・しょうゆって、元々が和製の調味料じゃないの? 和の調味料の頭にさらに「和風」を付け加えるって、どういうことなの? これが例えば、洋辛子やサラダオイルなんかを混ぜてあったら「洋風しょうゆ」という言い方もあろうけど・・。 ドレッシングの小袋を開けてみると、オイルが混じっててドロドロしながら出てきました。 一体、これのどこが「和風」なんだか・・これこそ「洋風しょうゆ」と呼ぶべきであるし、精々「しょうゆ風味ドレッシング」あたりしか妥協できないけどなぁ・・。
秋ですねぇ。(ハローウィン)→パンプキンンパイ・・ぢゅる。秋ですねぇ。(山ぶどうの実)→ワイン・・ぢゅる。
秋ですねぇ。(栗のイガ)→モンブランケーキ・・ぢゅる。
秋は食べた分だけ燃焼させなければ太る、と分かってはいるのですが、食欲に勝る運動なし。
王子様がシンデレラ姫を探しておられます。可及的速やかにお城までお越し下さいませ。
2015年09月19日
日本クラブユース選手権U-15に伴う帯広遠征Part2として、ノックアウトステージに宛てていた3日間のうち、2日目で敗退してしまったため、翌日も費やしてゆっくり帰宅することにしました。 今回は十勝地方と日高地方の観光地などを紹介します。 太平洋に突き出た襟裳岬を巡るルートを「とんがりロード」と表現することは最近知ったんですが、他に「日勝半島」という言葉も創られたらしいです。 新しい物を創ったつもりでも、実は模倣だった・・という場合もありますが。
旧国鉄広尾線の広尾駅には、広尾線鉄道記念館という資料室があるけれど、以前に「国道が途切れた先は渡し船」という記事の折に訪れた時には朝早過ぎて開いてなかったので、今日はリベンジです。 軌間ゲージなどの鉄道用品が展示されていました。
旧駅舎の向こうに見える大丸山森林公園には展望台があるので、
久し振りに(車で)登ってみることにします。 展望台からは、こんな景色が見えるはずで、
左下の中腹に見える三角屋根は「サンタの家」です。 今日はちょっと霞んでましたが、広尾市街と十勝港を見下ろせました。
日頃の行いが良いから晴れる・・のであれば天気予報はいりません。笑 黄金道路をひた走って、襟裳岬まで来ました。
日高山脈は北海道の背骨に喩えられるので、ここは尾底骨に相当するんでしょう、きっと。 世の中を明るく照らす襟裳岬灯台も、今は昼行灯状態
アメダス「えりも岬」・・傾いてないか?
この岬には「風の館」という施設があって、結局、南極、「風極の地」とされています。
襟裳岬って、風と岩と波と灯台が見物だろうと思うんだけど、なんだかアザラシが主役になっているようで、変な感じ。 捕獲されることになったんだから、のんびり岩の上で寝そべってる場合じゃないのに。 恐怖じゃなくて、強風を体験する風洞室
風速25m/sって、そんなに極端な強風じゃないけれど、この扇風機を回すようになってから、反作用で地球の自転速度が少し早くなったとか。←ウソです。 ガラス壁に描かれているマリリン・モンローのようなキャラは何者か? を調べたら、説明がありました。 「岬 襟萌」(みさき えりも)と、「千島 霧夏」(ちしま きりか)という女子中学生だそうで・・「襟萌」ちゃんの方は何でスパッツ姿なの? と思ったら、ラクロス部(部員2人)に所属してるんだそうです。 えりも町の「郷土資料館」「水産の館」に寄りました。
昔の道具を展示してあるし水槽で魚を育ててるしで、資料館と水族館がゴッチャになったような施設ですが、地元の歴史や産業を学習するには良いと思いました。 アポイ岳の麓・様似町にある「アポイ岳ジオパークビジターセンター」を訪れました。
背後に聳えるアポイ岳には大昔に登ったことがあります。 施設名を刻んだ緑色のモニュメントは「かんらん岩」で出来ていて、普通は地球内部のマントルでしか見られない「かんらん岩」が、日高山脈の造山運動によってこの辺では地表に露出しています。 日高山脈という背骨が圧迫されて軟骨が飛び出した「椎間板ヘルニア」のような現象かも。 周辺の地形や地質に関する展示はユニークだし、近隣のジオサイトには説明板が立っていて分かりやすいです。 かんらん岩は、北大総合博物館のモニュメントなどにも使われています。
三石まで来て夕方になったので、みついし昆布温泉「蔵三」に浸かって旅の疲れを癒し、道の駅で眠りました。
昔は坂の上にあった温泉ですが、平地に移転してきました。 翌朝に明るくなって間もなく、蓬莱山(ほうらいさん)を巡検しに行きました。
三石川の傍に屹立した小山が取り残されています。 麓には漢詩を嵌め込んだ石板と、北海道文化財百選「蓬莱山の岩」という碑があり、
岩山の基部には祠もありました。
この岩山は珍しい岩石で出来ているそうで(北海道地質百選「三石蓬莱山の角閃岩」)、北大構内にある「聖蹟碑」は、わざわざ三石から(三っつの?)石を運んで作ったらしいです。
この後、苫小牧から札幌へ向かわずに、室蘭で行われるノルディーアのチャレンジリーグの試合を見に行きました。
選手と手をつないで入場するはずの女の子が嫌がってしまい、仕方なく母親が引率して入場したという・・GKだけユニの色が違うもんねぇ・・頭を撫でられても近寄らない。笑 試合は(1-0)でリードしていたのに、後半のロスタイムに失点して同点となってしまいました。(1-1) しかも天候は霧雨で寒かった。 この看板の背景画は、ライトアップされた測量山の写真だということに気が付きました。←今ごろ
この2・3日後、火災になったフェリーが曳航されてきて、しばらく埠頭に繋留されていました。 帯広から札幌の自宅まで帰るだけなのに、540kmも走ってやっと辿り着いたという・・まぁ、アジア人が北米を経由して南米まで到達したグレートジャーニーに比べればミニトリップですけど。
2015年09月07日
前回の記事に書いた日本クラブユース選手権U-15の折に、十勝地方や日高地方などを探索してきました。 二回に分けた紀行文のうちの第一弾として、今回はグループステージの試合の合間に見聞した、十勝地方の歴史的建造物などを紹介します。
定宿である道の駅「しかおい」の前にいたシカ朝早く清水町へ向かう途中で、どう見ても駅逓の雰囲気なので寄ってみました。
「クックガルデン」という特産品販売所で、甘味処でもあるらしいです。 ここは「クテクウシ駅逓」があった跡に駅逓を模した建物を再現したらしく、東ウリマク駅逓の看板(の写真)も見えます。
周囲には「鹿追発祥の碑」もあり、この辺が鹿追町発祥の地なんだそうです。 「ク・テク・ウシ」とは「仕掛け弓でいつも鹿を捕る処」という意味らしく、それが鹿追の地名になったとか。 芽室町の奥にある「松久園」(まつひさえん)の建物を見学
この家は、岐阜県より渡ってきた松久さんが大正7年に住宅として建て、現在はニジマス料理店として古民家をほぼそのままの形で転用しています。
夕方に大樹町の海岸へ向かい、生花苗沼の近くに晩成社跡入口がありました。この藪をこいで進む訳ではなく、 車が通れる道を進むと「晩成社史跡公園」があります。
十勝開拓の祖・依田勉三の晩成社は、こんな配置になってたそうです。 物置のような開拓小屋が建っていました。
「依田勉三翁住居」と書かれた標柱が寄り掛かっています。
依田勉三は大正4年までここに住んでいたそうですが、今は豚もいません。 玄関正面の台所と風呂場・・流しの下に置かれているのが、ひとつ鍋でしょうか。
その右手には四畳の居間と茶ぶ台
開拓初期は生活が極端に苦しく食事も粗末で、客人が豚の餌と勘違いするほどだったとか。 ここは井戸の跡
そして天然の省エネ冷蔵庫である室の跡
現在の牧場・・豚も成長して牛になったようです。
などと見学して車に戻ったら蜂が飛び回っていたので、急いで乗り込んで窓を閉め、退散しました。
日中に暑くて汗をかいたから、海岸にある晩成温泉に浸かります。向かい(手前)に晩成の宿「原生花園」という安い宿泊施設もあるし、キャンプ場もあります。 眼前に太平洋を眺められます。浴室はもっと海に近いですが、さすがに防水じゃないカメラを浴室までは持ち込めません。
いい気分で風呂から上がると・・最速で降格した2012年の防火ポスターを貼ってありました。
食堂があったので海鮮の丼を食べてると、珍しい知人に遭って互いに「なんでこんな所で・・」と。 彼は仕事で来てて晩成社史跡公園の近くでスズメバチに刺され、病院で点滴を受けたそうです・・まさか、あの蜂じゃあるまいな。
翌日の早朝に、♪花咲く六花亭の「六花の森」に寄ったら、入場券のスタンプが前日の日付のままでした。 「マルハナバチ」が花粉を集めていました。こんな図体のデカい蜂が飛んで来たら大抵の人は逃げますけど、この蜂は花を愛する優しい蜂であって、掴んだりしない限り刺しません。 夕方に訪れた「士幌町発祥の地記念公園」にも開拓史跡があります。
「美濃の家」と呼ばれる岐阜様式の屋敷
以前に見た田守邸(富山様式)などと似ており、松久園が岐阜で川西町の川原家と中札内村の開拓記念館が富山となると、十勝って中部地方からの流れ者が多いのか・・? 時間外なので玄関の外から土間とカマドと台所を写す
窓の外から覗く居間と茶箪笥
庭に井戸がありました・・依田勉三の住居と同じ展開。
「この公園内での洗車はご遠慮願います」と書かれています・・そんな人がいるんだぁ。 隣に「伝統農業保存伝承館」という体験学習館?もありました。
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帯広市の電信通りの商店街には面白い建物が多いです。大正2年に建てた旧岩野商店
モダンな銭湯の「櫻湯」・・営業再開しないかな。
広告にしては目立たないデザインと色だなぁ・・と思ったら、
芽室町の「高嶋コンクリート工業株式会社」の広告で、コンクリート打ちっ放しの壁面を表現してるようです。会社のHPには、このバスの写真も出てきます。
なかなか開館時間が合わなくて未訪だった「本別町歴史民俗資料館」に来れました。通常は本別町の歴史的な資料を展示していますが、この時期だけに広島原爆の遺物を展示してあり、特別展として本別空襲の資料もありました。 昭和20年にホントは帯広を空襲する予定だったんだけど雲に遮られていたので、代わりに雲の隙間から見えた本別を空襲したんだそうです。爆撃した本人達もそこは隣の池田だと勘違いしていたとか。 1932年のロサンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルをもらった「バロン西」こと西竹一の貴重な資料もあります。 彼は軍馬補充部十勝支部に配属されて、本別町に滞在していたことがあるそうな。 暗くなる前に、急いでナイタイ高原牧場へ行きましたが、予想通り濃霧の中でした。 ここは行き止まりにある「レストハウス」
晴れていれば景色が良いらしいですが・・ 「家畜感謝の碑」が立っていました。
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以前にふざけて「十勝ではケーキを鍋で買う」と書いたことがありますが(記事)、ホントにカレーライス用のカレーを(タッパーじゃなくて)鍋で売ってくれるんですよ。 半信半疑でしたが、「鍋で売ります」という表示をコンビニで確かに目撃しました・・おでんだったかな。 考えてみれば、家族4人分のおでんをスチロール丼に分けて渡すなんて、合理的じゃないですよね。 具材を必要なだけ鍋に入れてもらい、帰宅してそのまま火にかけて温めれば良いんですから。
2015年08月26日
真夏に行われた恒例行事の作文がなかなか進まなくて、まるで夏休みの宿題が捗っていないのに二学期が始まってしまうような心境です。笑 取りあえず試合の話からまとめて、旅の話を後回しに・・。 8月3日から12日まで、日本クラブユース選手権(U-15)大会が例年の如く帯広市と中札内村で行われました。 コンサ札幌U-15は、北海道第1代表チームとして大会に出場しました。 3日から5日までは4チームずつに分かれた「グループステージ」でリーグ戦を行い、各グループ内の1位・2位チーム24チームと、グループ内3位の上位8チームを合わせた計32チームで、7日から12日までの「ノックアウトステージ」を戦いました。 コンサ札幌U-15は、「オイスカFC」、「福山ローザス」、「鹿島アントラーズ」と共にDグループに入りました。 試合時間は40分ハーフです。
今年の帯広は暑くて、日ごとに気温が上がる予想になっています。内地から来た人達も「これなら北海道でやる意味無いじゃん」と言ってました・・いや、帯広には豚丼と挽曳競馬がありますから。笑 それにしても・・変な物、作るなよ。まずは初日の3日に、グループリーグ第1戦の試合が帯広市のグリーンパーク行われました。 グリーンパークを含む緑ヶ丘公園内にはエゾリスが多く棲息しており、市内の道路には「リスに注意」(not スリに注意)という標識も立っています。
鹿島アントラーズ(白) vs コンサ札幌U-15(赤黒)
初戦の相手は、昨年優勝した鹿島アントラーズジュニアユースとなりました。公式記録には気温が37℃と書かれていますが、暑いとはいっても27℃の間違いでしょう。海から吹く南東風が涼しく感じたし。 8分に西村が押されたファウルで得たFKを、中村(右端)が直接狙うとは・・でもこれが右上に入っちゃった。(1-0)
ところがスコアボードの得点が変わらず、前半中間の給水タイムに審判が指摘してやっと1点が加わりました。 37分のカウンターで福田が左をえぐって右へパス、山保が打ち込みました。(2-0)
前半は2点差で折り返し、後半も優勢ながら10分に中盤でボールを奪われたピンチで、倒れながら打たれたシュートが転がり込んでしまいました。(2-1) 後半14分には中盤での競り合いで中村がイエローカードをもらい、前半にもイエローカードをもらっていたので2枚目となって退場しました。 さぁ大変、FWを一枚下げてフォーメーションを整えるため3人を順次交代しました。 給水タイムの後は劣勢の時間帯が続き、後半32分に4人目の交代でFWの山保を中盤に下げて宮脇を入れました。 なんと34分にはその宮脇がカウンターから独走し、GKを避けながら打ち込みました。(3-1)
3分のロスタイムも凌ぎ切って、(3-1)で勝てました。 前年優勝した鹿島を破ったのは大きいですが、翌日の第2戦には中村が出場できなくなりました。
続いて翌4日に、グループリーグ第2戦の試合が中札内村の交流の杜で行われました。相手は中国地区の福山ローザス・セレソン(初出場)です。 福山ローザス(白) vs コンサ札幌U-15(赤黒)薄曇りで日陰は涼しいですが、日に当たるとやはり暑いです。 チャンスは余るほどあったんですが、惜しくも噛み合わずに失うばかりで、前半は得失点なく(0-0)で終わりました。 イケイケ状態なせいかオフサイドが多過ぎて、公式記録には前後半合わせて10本と書かれています。 後半12分に宮脇が突破してGKを越すループを打ち、そのまま入ったかも知れませんが右から山保が押し込みました。(1-0)
後半19分には山保が左を突破してクロス、西村が打ち込みました。(2-0)
後半25分には高島が出したパスを受けて本間がパス、西村が右に狙い打ちました。(3-0)
後半29分にはゴール前に浮かすボールを入れ、西村がトラップして打ち込みました。(4-0)
これで西村はハットトリックです。
さらに翌5日には再び帯広市グリーンパークに戻り、グループリーグ第3戦の試合が行われました。 帯広における今日の最高気温は、数日前までは33℃と予想されていましたが、直近になって37℃に変わりました。 熱中症の危険を感じながら恐る恐る会場へ向かったら、予想外に雲が多くて日射しは強くなく、風もあるので背中が涼しいです。おそらくフェーン現象に伴う昇温だから、湿度は低いはずだし。 ただし雲が切れて太陽が出たら加熱が厳しく、カメラも高温になったのか写真の色調までおかしくなりました。今日も逆光で撮影には適さないし・・。 オイスカFC(青) vs コンサ札幌U-15(赤黒)今日の相手は、東海地区のオイスカFCジュニアユース(創部4年目)です。 グループリーグで2勝して既にノックアウトステージへの進出が決まっているし、観てるだけでもボーッとするんだから走ってる方は堪らないに違いなく、なかなか得点出来ません。 前半のロスタイムに入って飯野が左クロスを入れ、山保がヘディングで合わせました。(1-0)
後半もなかなか追加点を上げられず、32分になって本間(多分、左端)が不意にロングシュートを打ち、GKの手をはじいて上に入りました。(2-0)
終盤に相手の選手が1人痛んでアウトしていた隙に、安田からパスを受けた宮脇がGKをかわして打ち込みました。(3-0)
相手が選手を補充しましたが、ロスタイムに入ると相手は足が止まっていました。 またも安田(右端)からパスを受けた山保が抜け出し、左へ転がしました。(4-0)
これでグループリーグは3戦全勝、失点わずか1点の好成績でノックアウトステージへと進みました。 休息日を1日はさんでラウンド32の試合が行われるので、夜にいったん帰宅して準々決勝までの荷物を造り直し、翌日は勤務先で仕事をしてから夜に自宅を出て帯広へ戻りました。←戻る? 何しろ、ノックアウトステージ初日の試合は10時キックオフになってしまい、当日の早朝に家を出たのでは間に合わない可能性もあるから。
1日休んだ7日に帯広の森・球技場で、ラウンド32の試合が行われました。 一昨日までの酷暑はどこへやら、霧雨が流れて寒いです。気温は10℃以上も下がりました。 グループリーグの頃は念のためフリースのアウターも持ってきてましたが、使う機会が全く無かったので今回は家に置いてきました。 皮肉なことに羽織る物が欲しい天候になるとは・・。 サガン鳥栖U-15(水色) vs コンサ札幌U-15(赤黒)今年は、まず手をつないで「かごめ」をしてからスクラムを組みます。
前半は互いに仕掛けますが、前夜の雨で芝が濡れてるせいかパスの精度が悪くて相手へのプレゼントになる場面が多く、スコアは動きません。(0-0) 後半23分、相手GKへのバックパスを山保が奪ったものの倒され、得点機をファウルで阻止した咎で相手にレッドカードが出て一発退場です。
ペナルティーアーク手前からのFKはバーを越えて行きましたが、数的優位は続きます。 後半30分に船戸が右を突破してクロスを入れ、山保が押し込みました。(1-0)
終盤は台風から伝わった土用波の如き怒涛の波状攻撃になりましたが、追加点を奪えず(1-0)で勝ちました。
十勝地方って、こんな形をしてるそうです。
トスカーナ地方にも似てるそうですが。
翌日に同会場で、ラウンド16の試合が行われました。 柏レイソルU-15(黄) vs コンサ札幌U-15(赤黒)今日も曇りで寒いです。降水が無いだけマシですけど。 前半13分に相手が抜け出してシュート、左ポストに当たって右側に転がり込みました。(0-1) これは事故だと思って反撃しますが、右CKから弾んだボールを山保が打つとバーに当たってしまいます。
後半の立ち上がりに左クロスを入れたけど、合わずに流れてしまいます。
後半27分には相手左サイドからの攻勢となり、対応する人数が足りない状態でループを打たれ、失点しました。(0-2) 右からゴールに迫ったクロスに合わせた飯野のヘディングは、GKにクリアされてしまいます。
船戸の右クロスに合わせて競ったけど、黄色い壁を破ることは出来ません。
捨て身の猛攻もゴールを割れず、(0-2)で敗れて今年の成績はベスト16で終わりました。 中村友哉くんは大会優秀選手に選ばれ、9月13日に名古屋で開催される「メニコンカップ」に出場することになりました。
2015年08月14日
最近になって少しだけ世間を賑わせた話題として、刺青を入れてる人は入浴を断わる原則に従い、タトゥーを入れてる外国人が温泉に入ろうとして拒否された、ということがありました。関西の自治体でも、職員が刺青を入れてるかどうかを申告させる、ということが行われたようです。 そんな報道に接して、「自慢じゃないけど、刺青なら自分にもあるぞ、どうする?」と思ったのです。
根が几帳面な性格ですから(?)、図面書きの仕事とかは大好きなんです。 今はもう無理になったけど、眼がキンキンするような細い線や小さな字を描くのが快感なんです。 学生時代に図学の講義があって、刃物砥ぎも好きなもんだから、製図用の烏口の先を砥ぐなんてお得意の作業でした。 課題として出された図を描き終わったら、黒インクを使った烏口とか細い「丸ペン」と呼ばれる製図用具を洗わなければなりません。 水道をジャージャー流してペン先を洗おうとしたのに、そのペン先を自分の手の平にブッ刺してしまったんです。 細くて鋭いペン先だから大して出血もせず、しばらくして傷も治りました。 ところがところが、そのペン先を刺した位置だけ、皮膚の下が青黒く変わっていたんです。考えてみれば、製図用の黒インクだって墨と似たような成分だから、黒インクが付いたペン先を刺したら、そりゃぁ刺青を入れたのと同じアート効果になりますよね。 自分の手を広げると、まるで白魚のような細い人指し指の付け根に(←異議は却下)、ちょうど白魚の眼が出来てしまいました。笑 画龍点睛を欠く・・というか、欠かないとは、正にこのことです。 一回で懲りれば良いようなものの、忘れた頃に同じ失敗を繰り返して両目が揃ってしまうところが情けないのですが・・。
手の平を返したように
態度が色が変わってしまう。白魚どころか・・まるでカレイの表裏のようだな。笑 この程度の刺青で入浴を断られたことは勿論ありませんが、何となく後ろめたさを感じるのも日本人だからでしょう。
2015年08月02日
今日は平成27年8月2日、日曜日・・大安らしい。 かなり前に手帳のカレンダーで今日の日付を見て、何だか見覚えのある日付だなぁ・・と思ったら、自分の誕生日でした。 誕生日だから月日が同じなのはアタリマエなのに、いつもの誕生日とは雰囲気が違って、忘れていた記憶が蘇るように例年よりも親近感を強く感じました。 なぜかと思ってよく考えたら、役所などに提出する書類に記入する、書き慣れた生年月日と同じ日付なんです・・月と日どころか年まで同じで・・←それじゃぁ、今日が0歳か? 年号だけは昭和じゃなくて平成に変わってたんですけど、数字の並びが同じもんだからインプレッションが強かったんですね。 生年月日をパスワードに使いたくなる人が多いのも自然の法則。
昭和27年といえば・・昭和25年に設置された「警察予備隊」が「保安隊」に改編された年で、これが昭和29年には自衛隊に変わるという時代です。 そして、出来たての戦車が大地を揺るがしながら自宅の前を走って行く、という時代になるんです。←実話 こんな季節に生まれたくせに、暑さに対してはまるっきり耐性も順応も無いから、頭が過熱するしぼーっとするし(←年中?)、最近のように蒸し暑かったらアセモまで出てきて、まるで温泉の浴室で拷問を受けてるような毎日です。 「熱中症ゼロへ」というサイトに載ってる熱中症の予防・対策 <こんなことで熱中症を予防>
パンフレットに載ってた<こんなとき熱中症に注意>![]()
観戦で・・のイラストに笑ってしまいます。 正直言って、子供の頃はこんなに長生きするとは思ってなかったから、21世紀に生きてる自分の姿なんて想像も出来ませんでした。 でもここまで来たのならば、どうせだから今日が還暦だと思って、22世紀の世の中を覗いてみたい気もします。←仙人かっ!?
2015年07月20日
日本クラブユース選手権(U-15)の北海道予選となる、北海道クラブユース選手権(U-15)が6月20日から7月12日まで開催されました。 コンサ札幌U-15とコンサ旭川U-15は、北海道カブスリーグの1部に属しているので、4回戦までシードされます。 この大会の上位2チームが日本クラブユース選手権へ出場できて、続く4チームがインターシティカップEASTへ出場できます。
クラセンU-15・4回戦(7/4) 4回戦は、夕張市のサングリンスポーツヴィレッジ(平和運動公園)で行われました。朝は雨がぽつぽつ落ちてきました。 多目的広場の芝生は見た目には綺麗ですが、左半分に剥げた部分が結構ありました。アプリーレ札幌U-15(水色) vs コンサ札幌U-15(赤黒)
ずいぶんと大胆なダンマクだこと・・意気込みは大事だ。
前半20分に得た右CKで、ニアから池田がヘディングで流し、味方か相手かに当たって入りました。(1-0)
後半3分に右クロスをパンチされたこぼれ球を西村が押し込んで1点を加え、(2-0)で勝ちました。 チャンスは沢山あったものの、ラストパスやフィニッシュの精度がムニャムニャ。
午後には第1球技場で、コンサ旭川U-15(赤黒)と帯北アンビシャス(グレー)が対戦しました。コンサ旭川9期生の保護者会が作ったダンマク
不思議な体勢の円陣で相手を幻惑します。←そうなのか?
惜しいチャンスもありましたが、前半は得失点なく折り返しました。(0-0) 後半にもFKがバーに当たって越えてしまいます・・が直後の21分、前線の谷口(明)へ出したフィードがオフサイドにならず抜け出し、GKの頭上を越えるシュートで先制しました。(1-0)
ところが30分に、GKが出ていた場面でDFがボールを奪われ、無人のゴールに打ち込まれてしまいました。(1-1) 後半もタイムアップとなって、PK戦が行われます。 旭川は順調に得点を重ねたのに対し、相手の1人目は左ポストに当てて外し、2人目はバーを越え、3人目のキックをGK山田が止めて、あっけなく終了しました。(3-0)
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翌日に行われた準々決勝は、プレミアリーグU-18の試合が宮の沢で行われたため夕張には見に行けませんでした。 コンサ札幌はスプレッド・イーグFC函館を(6-1)で降したものの、コンサ旭川はSSSジュニアユースを相手に(1-3)で敗れました。
7月11日の準決勝からは会場を札幌に移し、準決勝は東雁来公園・西ピッチで行われました。 暑くて風が弱いので、前後半とも半分の20分を過ぎたあたりで給水タイムを取りました。 この部屋で大会プログラムを売っている訳ではありません。ここはトイレですから。準決勝のコンサ札幌U-15(赤黒)の相手は、ASC U-15(白)となりました。 前半だけで山保の4点など合計6点を上げました。これは前半24分に得た右CKでファウルを取られた場面
後半にも5点を加え、(11-0)で大勝しました。 これでコンサ札幌は、8月3日から始まる日本クラブユース選手権(帯広市など)に出場することになりました。
準々決勝に勝って準決勝で負けた2チームは、既にインターシティカップへの出場が決まっていますが、準々決勝でSSSに負けたコンサ旭川U-15(白)は、インターシティカップへの出場権(残り2枠)をかけて、FC DENOVA(エンジ)と戦いました。 決定力が伴わずオフサイドも多くて、前半は得失点なく(0-0)で終わりました。 後半25分に右から石澤などが攻めるチャンス足が攣った渡部が中央に蹲っています。 後半の終盤にはCKが3回続いたものの得点できず(0-0)で終わり、またもやPK戦となります。 PK戦で先攻のコンサ旭川は3人目のキックがはじかれた他は全て決め、対するDENOVAも2人目のキックがバーに当たって越えた他は決めていきます。 DENOVAの9人目のキックをGK鴨川が足で止め、決着が付きました。(8-7)
これでコンサ旭川は、8月4日から6日まで茨城県で行われる、インターシティカップへ出場することになりました。
翌12日に行われた決勝では、準決勝でSSSに勝ったアンフィニが相手となりました。 アンフィニ MAKI.FC(白) vs コンサ札幌U-15(赤黒)前半5分、アンフィニの右クロスをファーでトラップして打ち込まれました。(0-1) しかし10分、船戸が右から切り込んで倒されたPKを、自身が右に蹴り込んで同点としました。(1-1) ところが32分、アンフィニの左から打ったボールが右ポストに当たって入ってしまいました。(1-2) さらに38分、アンフィニが右からのフィード受けて、右へ流れながら左へ打ち込まれました。(1-3) すかさず39分、宮脇がドリブルで深くまでえぐってシュート、1点差まで迫って前半を折り返します。(2-3) 1点を追う後半の2分、船戸の突破で得た右CKのこぼれ球をスルー、坂下が打ち込んで同点とします。(3-3) 9分には左CKから船戸が右クロスを入れ、左から西村が打ち込んで逆転しました。(4-3)
22分にDFが外されて失点しましたが(4-4)、23分にフィードを受けた船戸(右端)が出てきたGKの頭を越すループを打ち、ゴール中央の上部に入りました。(5-4)
さらに攻め続けたんですが、惜しいシュートは多いだけで追加点を上げられず、なんとか優勝できてホッとした・・という印象です。
2015年07月07日
前回は栗山の泉記念館と小林家、今回は美唄の桜井家と札幌の山鼻記念会館を紹介します。 以前に美唄へ行った時には、桜井家に寄るのを忘れてしまって。
先月に旭川へ行った途中、今度は通り過ぎないように注意して、美唄の桜井家を見学しました。ここは、明治34年に屯田兵として沼貝村(現美唄市)に入植した桜井良三氏が、昭和8年に兵屋の位置に建てた母屋と離れ座敷などを、ご子息の桜井省吾氏の遺族の方が敷地と共に美唄市へ寄贈したものです。
逆光になって母屋の構造はよく分かりませんが、昭和初期の和風建築を基本として、洋風の技術も取り入れています。 植木が多くて、屋敷全体の姿を撮影するのが難しいですが、左側の離れ座敷が良い感じです・・流石に床が傾いていたりしますけど。
内部には、豪華な染め付け陶器製の便器が残されており、「美唄市立公民館桜井邸分館」として利用できる部屋もあって、一般公開されています。 庭には、桜井良三氏と省吾氏の胸像が並んでいました。
屋敷の裏へ回ると、周辺を巡るフットパスになっていました。
北海道指定有形文化財「美唄屯田兵屋」が保存されています。
ただしこれは、二軒分の用材を用いて一軒の兵屋を復元したもので・・以前は他の場所にあったように記憶しており、移設したようです。 隣に美唄市指定文化財「美唄屯田騎兵隊火薬庫」も残っています。
火薬庫って防火のためレンガで造られることが多いですが(参考)、ここは木造で火事や洪水を考えるとちょっと心許ないです。
先月の20日、東光ストア行啓通店の隣にある、山鼻屯田記念会館を訪れました。とんがり屋根がメルヘンチックで、一階にはケーキ屋さんが入居しています。 これは1876(明治9)年に入植した山鼻屯田兵村(240戸、1114人)を記念する会館で、2階の資料室には屯田兵に関する資料や写真類を展示してあります。土曜日と日曜日の限られた時間帯にしか開館しないのが難点ですけど。 東屯田通と西屯田通の両側に並ぶ兵屋の配列(左の方が北)
かなり精巧に作られた兵屋の模型で、屋根も横に置いてありました。
壁に掲げられた屯田兵司令官・永山武四郎の「論告」を見上げる
行啓通と東屯田通の交差点を挟んだハス向かいに、広々とした「山鼻公園」があります。
この公園のあたりに第二中隊本部があって、現在の山鼻小学校の場所は練兵場だったそうな。 兵村開設20周年を記念して明治27(1894)年に建立された「山鼻兵村開設碑」
題字は永山武四郎の揮毫です。 街路樹の2倍もあるようなプラタナスが何本も聳えています。
公園の隅に石碑があり、野口雨情が作詞した「赤い靴」の歌詞が刻まれていました。
「♪赤い靴はいてた女の子」・・この女の子の母親と野口雨情が共に山鼻に住んでいたそうで、母親から娘の話を聞いたことが童謡誕生のきっかけになったというのが「定説」だそうな。(定説があれば「異説」もある) 歌詞のモデルとなった「きみちゃん」という女の子は、横浜から船に乗ってアメリカへ連れて行かれることもなく、結核のため東京の孤児院で世を去ったんだとか(9歳)。 「♪今では青い目になっちゃって」・・異人さんに連れられてアメリカへ行っただけで眼の色が青く変わるなんて・・カラーコンタクトか、それとも遺伝子操作かっ!?・・当時は、キリスト教の洗礼を受けると眼の色が青く変わるとも噂されていたとか。 石碑の外形は藻岩山の稜線を象っているらしく、全く知らなかったんですが、この前日に除幕したばかりらしいです。
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プロフィール
作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。
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