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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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最東端の旧珸瑤瑁小学校

2014年01月08日

厚床から国道を離れて道道1127号に入り、落石や花咲を経て日いずる町・根室へ向かいました。
アメダス以外の途中の寄り道については、後日の記事で紹介します。


アメダス探訪「根室」の巻(2013/10/12)

根室合同庁舎:信号待ちのタイミングに撮影
扁桃腺ではなく半島線

露場は庁舎裏の駐車場の隅にありました。
北側って珍しいかも

根室では高層観測をしてましたが、測候所ではなくなってしまいました。
庁舎はあるけど無人くん

居住まいを正して並ぶ測器達
平年の最深積雪は31cm

視程計と根室湾
年間の霧日数は100日ほど

屋上の風速計など
風は十分に強い


根室市の郊外で寄る所があって、砂利道(というより砕石の道)に入ったら思いっ切り腹を擦ってしまい、車体も精神もダメージを受けましたが、気を取り直して先へ進みます。

ここは珸瑤瑁(ごようまい)小学校で、明治32年に開校した日本最東端の学校です。
こんなに生徒がいたのか・・閉校時には36人
正確には「でした」と言わなければならず、後に出てくる温根元小学校などと統合してこの年の3月に閉校したため、統合先の歯舞小中学校が最東端の学校に代わりました。→47ニュース朝日新聞
北方領土から、距離にして5kmほど後退したことになります。

北海道地図の根室半島に記された赤丸の位置は、もう少し先端に近いはずですが。
300km離れたFarEast

校歌の歌詞は、一番から四番まで全て「東の東」で始まっています。
東の東、知床よりも地の果て
因みに最後のフレーズは、それぞれ「強く正しく育つのだ」、「明日をめざして進むのだ」、「世界の海は続くのだ」、「うまずたゆまず磨くのだ」と結ばれています。

校舎の脇に、古い校門が残っていました。
低めの校門

校庭から東の東を望めば、2km先にある納沙布岬に立つ「望郷の搭」がよく見えます。
打球が国後島まで届きそう

こんな東の果ての地から、2009年の全道フットサル選手権(U-12)の根室地区予選を勝ち上がって、珸瑤瑁FCチームが全道大会に出場してきました。→ブログ記事
一生に一度の修学旅行みたいなもんですかね。

 
納沙布岬まで来ました。
こちらは「本土」最東端
目の前に珸瑤瑁水道が広がって、世界の海へと続いています。

今回の調査旅行では、アメダス地点を発見できないと再び出直して来るのが大変なので、天体観測に使う視界が広くてクリアな双眼鏡も持って来ました。

国後島も撮影したけど見栄えが悪いので、貝殻島灯台だけを掲載します。
望遠鏡で望遠郷

参考として北方領土の地図を(笑
世界の海へ

納沙布岬にある交番の屋根に、見張台が乗ってました。
外国人に通じる「koban」

次なる目的地のアメダス納沙布へ向かう途中、廃校となった温根元小学校(前述)の校舎がありました。
ここも廃校して統合


アメダス探訪「納沙布」の巻(2013/10/12)

勘違いされやすいけど、納沙布のアメダス地点は納沙布岬にあるのではなくて、5kmほど西に離れたトーサムポロ岬へ向かう途中にあります。
この交差点(会館のバス停)で曲がって岬へ向かえば見つかるはず
曲がり角は分かりやすいのだが
・・だったのに、これが難儀しました。

岬を巡る道をぐるっと一回りしてもアメダスは見つからず、正午を過ぎたけど昼食どころではありません。
周辺を行きつ戻りつして「こんな東の果てまで再び出直して来るなんて、真っ昼間ごめんだよ・・」などと、悲壮なのか空腹でハイなのか分からない状態でさ迷ってるうちに、やっと見つかりました。
見えな~い
道路よりかなり低い土地にあるんだもの、いくら風速計のポールは高いったって見えませんよ。

砂利道に入って進むと、魚網置き場のような土地の脇に立っていました。
ゴミも捨ててある
出漁の可否を示すのか赤旗(not某機関紙)と、右方向に望郷の搭も見えました。

でも何となく、処遇が悪くて虐げられている感じ・・。
網を捨ててある訳ではない

場所が場所なだけに、雨滴なんか入り難いだろうなぁ。
向こうに納沙布岬

まぁこの地点は、風さえしっかり測ってもらえれば。
南西風は内陸から
プロペラが止まって見えるけど、昼過ぎには10m/s近い風が吹いていたもよう。

一安心して根室に戻り、寄り道しながら内陸に進んで次の別海を目指します。

この日、「今日は試合会場で見かけなかったから、体調でも悪いのかと心配しています。」というメールが携帯に届いたので、「納沙布岬からロシアに亡命しようかと思って、根室方面を放浪しています。」と返信しておきました。笑


今年のCPPは・・Zepp Sapporo の会場に1,800人も入った状況を想像し、そこで2時間も立ちっ放しな 拷問 観覧には堪えられないので申し込みません。探さないで下さい。



post by 雁来 萌

19:03

気象細事記 コメント(2)

アットコック・ヒューガッコ

2014年01月02日

こんな名前の新たな外国人選手を獲得する、とかいう類の話ぢゃないのでオットセイ(アシカにあらず)。←正月からこれだもの。

10月半ばの連休に、最後まで未調査で残っていた根室地方や網走地方のアメダス地点を探索してきました。

あちらの方面で残っているアメダス地点は21ヶ所あり、往復する距離が長いから1泊2日の旅を2回繰り返しても効率が悪いし、そう頻繁に行ける地域ではないから色々な文物をゆっくり見聞したいしで、2泊3日かけて一筆書きのように回ることにしました。
調査漏れを生じないように、しかも時間的ロスの少ない行程を考えるのも大変だけど。

寄り道が多いとなると、1日に見て回れるアメダス地点は6~8ヶ所でしょう。
この調査旅行さえ順調に終われば、道内(本土)のアメダス地点をほとんど踏査したことになり、離島の6ヶ所を加えても未調査地点は10ヶ所程度に減る目論見です。


金曜日の夜に自宅を出発し、十勝の浦幌まで駒を進めて眠りました。

アメダス探訪「茶内原野」の巻(2013/10/12)

野外生活の基本として明るくなったら行動開始、とは言っても秋分を過ぎて夜明けが遅くなったから、浜中町の茶内に着いたのは6時半です。

JRの駅とは反対側に曲がって内陸へ向かって進み、原野というくらいの地名だから、どんな寂しい場所に立ってるのかと思ってたら、確かに僻地でした。
人気(ひとけ)の無い所に学校は立たない
ここは浜中町の「茶内第三小学校」です。

「茶三」というデザインの校章が付いた学校の玄関
イチャン・ナイ(サケの産卵場のある川)

校庭の向こうに教員住宅らしい家が見え、庭先にアメダスもありました。
草が生えてきた校庭

柵も何も無いけれど、校長先生の官舎の前で悪い事をする子供はいないだろうし。
見るからに教員住宅

校舎よりも高く聳える雨量計(笑)
雨量のみ・・霧が多いんだろうな

道路の脇に、古い校門が残っていました。
どんな校舎だったのかな
実はこの学校、平成21年に閉校しています。(開校は大正13年)

学校へ曲がる角に地区の案内板が立っていました。1軒ずつ、世帯主の氏名が書かれています。
なぜにルパン三世?
なんでルパン三世が案内するの?と思ったら、作者のモンキー・パンチ氏は浜中町の出身だそうで、JRなどではルパン三世のラッピング車両も走らせてるらしいです。→ラッキーな例
踏切で信号待ちしてた時に通った列車は普通の車両でしたが、街中でタクシーのラッピング車両とすれ違いました。

 
次なる目的地へ向かう途中、霧多布湿原を見下ろす高台にある「霧多布湿原センターに寄りました。
逆光でなければ湿原の良い写真が撮れたはず
霧多布湿原ナショナルトラストの会員になってるから入館無料なんだけど、朝7時半から開いてる施設など有るはずもなく。

茫洋たる湿原を眺めながら周囲を散策してると、あら。
死して角を残す
鹿とイルカですか?


アメダス探訪「榊町」の巻(2013/10/12)

湿原を横切る「MGロード」という道路を通って海岸に出ると、予想通り「榊町小学校」(の向かい)にありました。
面白い構造
134年の歴史を誇りますが、この年の3月に閉校しました。(ここもかっ!)

アメダス地点の内陸側には、教員住宅やグラウンド、バックネットが残っています。
公民館の敷地らしい

こちらは旧体育館と校舎(背後)
四角い箱

似たような電柱も立ってますが、特に立地上の問題はありません。
電柱との争い

校舎の前に、百年記念碑と閉校の碑が立っていました。
道内でも古い方だ

右端に見える小さな碑には、「競進小学校之跡」と刻まれています。(経緯競って進むのか
元々この学校は1879(明治12)年に開校し、最初は「競進小学校」という名前だったけど、明治39年に榊町尋常小学校と改称したそうです。

これで釧路地方のアメダスは全て踏破しました。続いて根室地方へ向かいます。


アメダス探訪「厚床」の巻(2013/10/12)

予想通り、厚床中学校(の教員住宅の横)にありました。
ここも教員住宅・・閉校ではなさそう

周囲に高い物体はありません。
あずましいけどサッカーボールが飛んでくるか

積雪深計は超音波式です。
ほとんど雪は降らない
この辺に積もる雪の量は知れてますけど。(平年の最深値は46cm)

珍しく、測量用の標石と電子基準点とが同居していました。
石と電子

校舎は平屋で、校門の横に立ってる相当な樹齢の丸太の方が看板として貫禄があります。
風雪百年に耐えた樹

 
その隣に「厚床家畜市場跡」という標柱が立っていて納得しました。
家畜市場の跡に中学校

最初は校舎の隣にあるこの敷地に入ってしまい、何だろう?と思ったのです。
巨大な馬頭観音
黒い石碑に綴られた由来によると、「クロッケル號之碑」、「馬頭観世音菩薩像」、「畜産功労者之碑」とのこと。
「クロッケル號」とは明治17年にアメリカから輸入した種雄馬で、品種改良の基礎となったそうです。
馬頭観音像はあちこちにありますが、これだけ大きくて文字通り馬の頭上に三面観音が載っているのは初めて見ました。元々は昭和5年に競馬場に建立されたもので、偶然か必然かその年は午年です。
畜産功労者(7+21名)の氏名は省略します。

さて本日のメインテーマ(笑)、このバス停は何と読むのでしょう・・「アットコック・ヒューガッコ」としか読めません・・もしかしてロシア語?でもないし。
目を疑う間違い
中学生ならばローマ字を読めるはずで、直されずにそのまま残っているということは、古い物を大切にして先人を敬う精神の現れなのでしょう。



post by 雁来 萌

21:45

気象細事記 コメント(3)

ひまわり副局を江別に設置

2013年12月28日

静止気象衛星「ひまわり」は、ひまわり画像を撮影するために使われるのは当然ですが、他に通信衛星の役目も果たしています。

アメダスの観測データは公衆回線を使って送信しますが、気象官署の観測データや予報データなどは、気象衛星を経由して気象庁と送受信しています。
なぜなら、災害時には公衆回線が使えなくなる場合があり、そういう時にこそ防災情報は確実に伝達されなければならないからです。
他にも、外洋航路の船舶が位置情報を得る場合などにも使われています。


気象衛星から送られてくる画像データを処理・解析するのは、東京都清瀬市にある「気象衛星センター (MSC)」ですが、データ通信そのものや衛星の管制作業は、埼玉県にある「気象衛星通信所(CDAS)」が行っています。

この地上通信基地が埼玉県内の主局1ヶ所だけだと、雷雨や大雪、および大規模な災害時には不安なので、非常時のバックアップ施設として北海道に副局が初めて設置されました。
北海道では台風などの自然災害が少ないことも考慮されたようです。

で早速(と言っても11月)、隣接する江別市の某所に設置された施設を、外側から眺めてきました。

送受信用のアンテナは直径9mで、2基あります。
メタボリックではない、パラボリックアンテナ

こちらは管制施設などが入った制御棟
まだ工事中

侵入者を監視中らしいです。←侵入してないから
侵入者監視中

現在のひまわり6号・7号に代わって、2014年にひまわり8号、2016年にひまわり9号が打ち上げられる予定で、地上設備は2015年に運用を開始する予定だそうです。

現在の静止気象衛星システム気象衛星のあゆみひまわり8号・9号の運用計画は、それぞれのページを参考にして下さい。

ひまわり8号・9号に搭載される「可視赤外放射計 (AHI: Advanced Himawari Imager)」はこんな性能だそうで、波長が多くなるし観測の分解能や時間間隔が細かくなって、詳細なデータが得られそうです。


例年、石屋製菓様のクリスマスケーキを買っており、今年もノエル・ショコラ(4号)を所望しました。
毎度お馴染み、ノエル・ショコラ
内部に隠されているバナナジュレが美味でしたが、チョコレートを食べ過ぎると鼻血が出るから、気を付けながら3日間かけて消費しました。

最近、半額セールで買ったワインボトルカバ-
バトラー・赤/黒
ワンコインで買えて、しかも色使いが最高です。

 
今年は、柳月の「和風クリスマス」という和菓子も買ってみました。
和風クリスマス
左から、サンタ・聖夜・ツリーというテーマだそうです。

和菓子だから、ワインよりも甘酒な雰囲気・・デパートにはもう雛人形が並んでますからねぇ。
今から雛人形を陳列しておいたら、お雛様の美白な顔さえ煤けてしまうだろうに・・復元する為に変な化粧品を塗ったら みだらに まだらに白くなるだろうし・・色の白いは七難去ってまた一難、と痛感。←こら



post by 雁来 萌

22:19

気象細事記 コメント(0)

弓で射られる危険な探索

2013年12月24日

紋別の道の駅で昼食を食べてからしばらく経ち、おやつの時間になったけど空腹を我慢して遠軽へ向かいます。


アメダス探訪「遠軽」の巻(2013/9/29)

アメダスは自衛隊の駐屯地へ向かう道の脇にあるらしく、その道路は「連隊通り」と呼ばれているようです。
太陽の里えんがるの連隊通り
もちろん愛称なんですが、自衛隊が何をするにもこの道路を通らなければならず、確かに自衛隊車両や自衛官が通っていました。

この道の左側にスポーツ公園があり、武道館の奥に見つかりました。
葡萄缶の奥
でも、低い屋根の下に砂の斜面があって横に長い建物とは・・

やっぱり弓道場ですよね・・こちらは射場。
そろそろ正月の射初め式
ということは・・右下に見えてる白い物は何ですか?

アロウことか、立て看板には「弓道のんでくるゾ~ 立入禁止」と書かれています・・マジかよ。
白羽の矢が刺さる

観測所の全景・・左側に見える緑色のカーテンは、流れ矢が住宅地まで飛んで行かないように・・って怖いよ~。
たまに流れ矢も
三十三間を射通せる人ならば、たやすく飛び越えますよね。

矢さえ飛んでこなければ、立地に問題は無いんですけどぉ。
必的一本

佐呂間や生田原に寄ってると帰宅が遅くなるから諦めて、次は丸瀬布へ向かいます。


アメダス探訪「丸瀬布」の巻(2013/9/29)

そろそろ帰路に就くのを兼ねて西へ進み、丸瀬布の市街から森林公園や丸瀬布温泉へ向かう道道に入ります。
予想通りの場所にありました。
養鶏場?
太陽も山陰に隠れようとしています・・もう少し待ってよ。

さけますふ化場だそうです。→施設の案内
酒舛付加場
「ふ化」って、漢字で書かないのかな?←読めない人がいるから?

反対側から眺めた光景
くねくね道のカーブ
左側に入口があるようなので入ってみます。

御免下さい・・誰もいません。
浅野殿、門柱でござる
門のタイルがかなり剥れています。

ここでは雨量だけを測っています。周囲の樹木は影響なし。
雨量計は雨舛とも言える

横に古い百葉箱が立ってましたが、白ペンキも痕跡しか残っていません。
神社のような神々しさ
長年のお勤め、ご苦労様でした。←鍵がかかってるから、まだ現役?


アメダス探訪「白滝」の巻(2013/9/29)

いよいよ、今回の探訪も最終地点となる、白滝へ向かいます。

本来は西南西へ向かう道路の脇(の神社?)にあるらしいんだけど、どうやら南西へ向かう道を進んでるようなので、途中から本来の道へ出ようと曲がったら目的の道に合流する寸前に立ってました。
偶然に行き当たりばったり
伝書鳩のように方向感覚が良い・・んだか悪いんだか・・。

何ですかね、ここは・・地図上では丘の上(林の中?)に神社の印があったけれど、寄り道して登る気にはなりません。
上り坂の途中

手前の看板には「日本神宮御嶽神社 御嶽教豊受教会 原田天象」と書かれていますが、錆びてて読み難いです。
風見鶏ではない
背後には「原田安五郎翁頌徳碑」という石碑が立っていました。

観測所の敷地から眼下に、開拓した農地が広がっています。
苦労して開拓したんだろう

測器は問題なし・・周囲には草も生えていません。
麻雀用のマットみたい

風向風速計と日射計、積雪深計の投光部
山の方から吹き降ろす

ちょうど夕暮になったし、紋別地方の2ヶ所を残してるけど今回の探索予定箇所は全て回ったので、あとは帰るだけです・・でも自宅は遥かに遠い銀色の道。
ミッション完了
旭川紋別道が開通したから良いようなものの、北見峠のぐにゃぐにゃ道を越えて帰るんだったら気が滅入りますよ。

思えば宗谷地方の沼川から始まって、2日間で20ヶ所のアメダスを調査したので、頭の中がカオス状態になっています。

 
帰宅してから調べると、原田安五郎とは地区の民生委員を務めた方で、原田家は代々この神社の神主だそうです。
教会自体は、もっと街に近い場所にあるらしいけど。



post by 雁来 萌

21:05

気象細事記 コメント(0)

屯田歴史館と鉄道資料館

2013年12月20日

湧別から遠軽へ向かう途中で、中湧別にある道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」に寄ります。

ここはJRの名寄線・湧網線の旧中湧別駅だった場所で、旧駅構内を「中湧別百年記念公園」として整備し、さらに道の駅として温泉も併設してリューアルされ、鉄道施設や鉄道資料を展示しています。


跨線橋の下に緩急車、ラッセル車もいます。
跨線橋

踏切と信号・・がこんな場所に立ってるはずは無いけれど。
駅の構内に踏切

昔の保線区といえば、軌間ゲージや、犬釘を抜く長い鉄棒のバールというか金梃子、ハンマーで犬釘を打ち込む光景を思い出しますが、現在は電動の工具を使うんだとか。
保線の誇り
一列に並んで「せーの!」でレールをズラしてましたな。

近くに「文化センターTOM(トム)があり、ロビーに鉄道グッズを展示してありました。
こちらは時刻表と駅名標、駅名板
字体に違いがある

駅舎かホームに掲げる時計と、タブレットホルダー、レール
受ける時、痛いんだ
今はタブレットケースとかタブレットホルダーと言うと、別の品物を指しますが。


上湧別へ向かう道路の途中で「チューリップ館」に向けて曲がります。
立派な石碑
敷地の角に「北湧尋常高等小学校跡」と刻まれた古い石碑が立っていました。

湧別村は屯田兵が入植・開拓した土地で、後の上湧別側は「南兵村」(第四中隊)、中湧別側は「北兵村」(第五中隊)と呼ばれ、入植した明治30(1997)年5月から1年もしない翌年2月に、それぞれ簡易教場を設けました。
さらにその年の12月には両教場を統合し、中間の位置に北湧尋常高等小学校を開校しましたが、校舎は残念ながら火災で消失しています。

湧別町郷土博物館「上湧別町ふるさと館JRY(ジェリー)
城か教会か
文化センターと両方合わせて「TOM & JRY」だそうです。

この奇抜なデザインの建物は渡辺豊和氏による設計で、2000年に第7回公共建築賞を受賞しています。→You tubeに空撮映像があります。(8分25秒)

内部は「屯田歴史館」になっており、内壁の構造も呆れるほど面白くて、中央に屯田兵屋が展示されている他、力作のジオラマなど、ちょっと勿体ないくらい珍しい展示品が並んでいます。
子供向けの簡単な解説書を入手したんだけど、収蔵品の図録などを出版してはどうかと思います。

無機的な建築の横には兵屋を復製した「屯田生活体験館」があり、
開拓時代の生活を体験できる
薪割りや火起こし、屯田兵の服装や食事など、開拓期の衣食住を体験学習することが出来るようです。

開道百年と言われてから結構な年月が経ったとは思っていましたが、100年前は明治時代だと認識していたのに大正時代なんですね・・昭和も遠くなって当然だわさ。



post by 雁来 萌

21:39

蝦夷の細道 コメント(0)

鴻之舞金山と駅逓所復元

2013年12月16日

アメダスがある上藻別から南に入った地域は「鴻之舞」で、ここには東洋一の金産出量を誇った鴻之舞鉱山がありました。

1916(大正5)年に金鉱が発見されて鉱山が開発されて以来、かつては1万人以上も人が住んでいた町があったんですが、1973(昭和48)年の閉山と共に寂びれてゴーストタウン化してしまいました。


鉱山の跡には石碑が色々と並んでいて、
他山の石
奥には鉱山関係の遺構も見えます。

「鴻之舞鉱山跡」の碑
鴻之舞鉱山跡

開発にあたった住友鉱山(株)が建立した慰霊碑
慰霊碑

右下の碑には「鴻紋軌道記念碑 銀色の道 誕生の地」と刻まれています。
銀色の遥かな道
鴻之舞地区に住む1万3千人以上の住民の生活物資を運搬する目的で、1940年に紋別から鴻之舞まで「鴻紋軌道」という鉄道の建設に着工したものの、1943年に完成した後も本来の目的にはほどんど使われず、1948年に廃止されました。

ダークダックスやザ・ピーナッツが歌っていた「銀色の道」という歌がありますが、作曲者の宮川泰さんによると、土木技術者の父親が「鴻紋軌道」の建設に携わった頃に鴻之舞に住んでいたことがあり、後にここを訪れた時にレール跡の水たまりに月の光が映る姿を見て、「これこそ銀色の道だと確信した」んだそうです。→Wikipedia

閉山30周年を記念して「銀色の道」歌碑が建立され、紋別駅にも同様の碑が立っているし、今年の春には閉山40周年の記念事業が行われたそうです。

 
道道脇のあちこちに、かつての街の位置を示す看板が立っています。
バス停にはあらず
この看板が無ければ、生い茂った樹や草薮の中に住宅や商店が立ち並ぶ街があったとはとても信じられません。
それぞれの街ごとに駅があったそうです。

廃墟となった住宅跡
心霊スポットになりそう

高い煙突が残っていました。
夕張にもあった

これは小学校の跡で、
鴻之舞小学校跡

こっちは中学校の跡です。
鴻之舞中学校

寮の跡は門も壊れかかっています。
清明寮跡

こんな街があったんだよ、という説明板
末廣町跡
紋別鴻友会のメンバーによって看板や説明板が立てられています。

橋脚だけ残った橋
橋の端に箸

この橋は送水の為に現在も使われているそうです。
送水管


上藻別には「旧上藻別駅逓所」の建物があり、上藻別駅逓保存会の方々によって修復されています。
人馬継立所
右側にあるのが正面玄関です。

なかなか堂々たる構えの屋敷で、こちらは脇玄関。
昔ならリゾートホテル
1926(大正15)年に官設の駅逓所として建築され、1934(昭和9)年に2階建て部分が増築されました。

室内に掲げてあった標識
登録有形文化財
1940年に駅逓業務を廃止した後は旅館として営業し、その後は住宅として使われました。

内部には鴻之舞鉱山関係の資料が収集・展示されており、郷土資料館のように開拓に使ってた古い資料も展示されています。
個人などがあちこちに収集してあった物を、駅逓所の公開に合わせてここに集めたんだそうです。

金色に光る鉱物を含んだ石も展示されており、本物の純金かと思って有難く撫でて行く人もいるらしいですが、金鉱石ではなくて黄鉄鉱か黄銅鉱だと思います。

駅逓所の周辺には、鉱山で使われていた車両とか、
石と人

何に使ったのか分からない遺構も展示されています。
場違いな色
サイロの中も展示室になっています。
元々は灰色だったサイロを赤く塗ったのは余計だと思いますが。

2010年には、駅逓を修復・公開・活用している保存会に対して、国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」が授与されました。



post by 雁来 萌

21:16

蝦夷の細道 コメント(0)

空を飛びそうなクリオネ

2013年12月12日

滝上から紋別へ向かう途中で脇道に入り、上藻別を目指します。
この脇道は、ひょっとしたら初めて通るのかも知れません。

海岸や内陸のアメダスを効率良く回るためには、なるべく一筆書きになるようなルートを辿りたいんですが、ここだけは盲腸のような寄り道になります。


アメダス探訪「上藻別」の巻(2013/9/29)

かなり番号が大きな道道の脇に立っていました。
あったけど変
向こうに見える赤い屋根は、「旧上藻別駅逓所」(次回に紹介予定)の横にあるサイロです。

ここでは雨量しか測っていないはずで・・廃屋らしい建物が・・。
ここも廃屋か

立入禁止だけじゃ驚かないけど、随分と荒れてる様子。
雨量計はどこだ?

もしかして、それが雨量計ですかっ?!
えっ、まさか・・

かろうじて、草葉の陰から出てますよ。
♪頭を草の~上に出し~
こんな場所は初めて見ました。

離農したらしく、崩れそうな廃屋が残っています。
ハイオク遠人


アメダス探訪「紋別」の巻(2013/9/29)

ここは旧測候所だった観測所ですから、簡単に見つかります。
隣にある幼稚園の子供達が遊びそう
手前の土地に庁舎があったんでしょうか。

無人になったせいか、いずれ売りに出される雰囲気。
近ければ買うかも

露場の周辺に高い建物はありません。
長閑な広がり

車を撮るつもりは無いんだけど、標板がピカピカ過ぎて、回りの景色を映しています。
まるで鏡

流氷を見下ろせる露場の測器達
流氷を見下ろす露場

標石は厳重に守られています。
気象標石在中

測風搭と風速計、日射計、通信アンテナ
スカイタワー←別物
背後の建物は確か、保健所でした。

紋別には「流氷科学センターGIZA」という科学館があって、何度か見学したから飽きちゃった・・現在は道の駅にもなっています。

最近まで北大低温研究所附属の流氷観測施設もあったんだけど、2004年に廃止されてしまいました。

流氷の時期に漁師番屋に泊まって、凍える暮らしを体験出来るんだそうで、いかが


アメダス探訪「紋別小向」の巻(2013/9/29)

アメダス「紋別小向」とは「オホーツク紋別空港」のことです。
空港へは軽トラックで
「小向」はコムケ湖と同じ語ですが、地域名は「こむかい」と読みます。

ターミナルの前に立つ、くねくねしたモニュメント
目がある
「とかち帯広空港」、「たんちょう釧路空港」ときたら、「クリオネ紋別空港」だろうし、考えればいくらでも湧いてくるよ・・たまねぎ丘珠空港、だいせつ旭川空港、サハリン稚内空港、おおぞら女満別空港、サーモン中標津空港、うにまる奥尻空港、ひなげし利尻空港、あつもり礼文空港、イカめし函館空港、さっぽろ新千歳空港←まんま

送迎デッキに上って測器を探すと、斜めの方角に見つかりました。
遠いけど分かる

双眼鏡で拡大します。
吹流しは大事
空港では、滑走路の両端に吹流しがあります。


アメダス探訪「湧別」の巻(2013/9/29)

目印になるような施設が無くて、国道の曲がり角から北東の方角へ、老人ホームの南・・という感じで辿り着きました。
アバウトな位置感覚
畑の中に立ってます。

付近で農家が(多分)息子と一緒に作物を運搬するためのケージを組み立てていたので、邪魔しないように遠くから撮影するのみ。
右よし左よし
どうせ、周囲には何も無いし。

反対側から見ると逆光になって見難く、隣にある小屋は浄水場らしいです。
他所の小屋

次は再び内陸に入って、遠軽へ向かいます。



post by 雁来 萌

21:53

気象細事記 コメント(1)

噴火湾北岸の貝塚遺跡群

2013年12月08日

噴火湾といえば、ホタテや毛ガニ・・ぢゃないですよ。

噴火湾の沿岸には縄文時代の遺跡が多数あり、一昨年の秋には函館市(南茅部)にある大船遺跡を見学しました。→渡島東部の自然と歴史

続いて今年の春に、中空土偶などを展示している南茅部の「縄文文化交流センター」を見学しました。

今回(11/16)は、洞爺湖町にある「入江・高砂貝塚」と、伊達市にある「北黄金貝塚」を見学してきました。いずれも開園期間が4月~11月で、現在は冬休み中です。(公園内を散歩するのは可能かも)

室蘭市から豊浦町にかけての地域には貝塚を伴った遺跡が多い(全体の3分の1ほど)一方、渡島半島の沿岸に分布する遺跡には貝塚がほとんど無い、という特徴があるそうです。


入江・高砂貝塚公園の案内(パンフレット)
「資」という文字が土器に見える
貝塚館の入館料は150円で、隣にある虻田郷土資料館も見学できます。ただしオフシーズンだから、見せてくれと言えば鍵を開けてくれるんですけど。

郷土資料館はスペースが広くなくて無料なのも相応ですが、昔の虻田町の写真なども展示してありました。
珍しかったのは、昭和10年代の自動寫真館(左)と自動菓子販売機(右)です。
子供が売るから児童販売機
要するに、プリクラとガチャポンの元祖(or本家)なのですが、菓子販売機には「新案特許」と書かれていたから、この頃から出回ったのかも。

高砂貝塚の現地に立つ案内板
縄文後期・晩期

貝塚館から200mほど歩いた入江貝塚公園の入口
史跡入江貝塚

住居の骨組みと、屋根を葺いて土を被せた完成形
後方は古墳ではない
背景は有珠山で、ここは火山灰に埋もれてたお陰で保存状態が良いのだとか。

古墳のような復元住居に入ってみます。
これも古墳ではない

焚き火の跡というか、実際に煙かったです。体験学習でもしてたみたい。
火の不始末

 
敷地の端にトンネルのような通路がありました。
ボックスカルバートか

内側がガラス張りで貝塚の断面を観察できるようにしてあり、
遺跡の回廊
フゴッペ洞窟とか手宮洞窟のような造りです。

地層の中に入江式土器の破片が挟まっていたり、
ドキッ!

エゾシカの骨もあるし、
シカと相違無い

光って文字が読めないけどイルカの骨だとか。
他にもいるか?

床下にも埋蔵状況が見えるようにしてあります。
野菜貯蔵用のムロか

ここの遺跡に埋葬されていた人骨のうち、ポリオに罹患した骨があって、肢体が不自由ながら少なくとも十年以上は介護を受けて生き長らえていたことが分かるんだそうです。


所変わってこちらは北黄金貝塚公園で、北海道遺産に選ばれています。
黄金が埋まっている訳ではない
右上の地表が白っぽく見えるのは、貝殻で覆われているからです。

復元した住居群:左下に見える沢状の窪みに水場があります。
たとえ狭くてもマイホ-ム

ここは結構な高さの丘ですが、縄文時代は現在より温暖だった時期があって海面が高く、海岸線も内陸側に入り込んでいたので、「縄文海進」と呼ばれます。
地球温暖化に伴って大陸の氷床が融けると、海面が上昇して同様な現象が起こるとされています。

水場にたくさんの石器が散らばっていました。
整形されてるけど壊れてる
これらは石皿とか擂り石でしかも壊れており、意図的に壊された土器もあるので、一種の針供養のように使わなくなった道具を葬る「道具墓」としての祭祀場所だったのかも。

貝塚からは人骨も発掘されるので、貝塚というのは単なるゴミ捨て場ではなくて、人骨、貝殻、魚骨、獣骨など、全て命あるものとして祀った精神が窺えます。

 
公園内に「北黄金貝塚情報センター」があり、入場無料です。
学習の拠点、司会は巨泉
出土した遺物を展示したり、体験学習などに利用されます。

傑作だったトイレの扉
殿方用婦人用車椅子用
遺跡から掘り出された女性の骨と一緒に首飾りが出土したような・・。

トイレの内部を調査してこなかったのが悔やまれます。
どんなんだろうね・・便器は素焼きの土器に縄文模様が施されていて、脇に木の葉っぱが置いてあったりしたら・・。



post by 雁来 萌

20:21

蝦夷の細道 コメント(0)

農場の後は蜂に追われる

2013年12月04日

雄武から南下して昨夜と同じ道を再び進み、アメダス興部を探索します。
地図上では興部川の左岸にある長い丘陵の麓に当たるんだけど、目ぼしい施設は何も見当たりません。


アメダス探訪「興部」の巻(2013/9/29)

丘の麓に沿って伸びる道を進むと見つかりました・・が、懸念した通り農家のようです。
倉庫の向こう

やっぱり農家の私有地ですね、これは。
通りすがるだけです

倉庫の屋根の向こうに立ってて、かなり遠いです。
屋根の向こう

脇から覗いてもこの程度で、敷地が見えません。
北西側の丘が高い
向こうに見える川の土手に渡れば見晴らしが良いだろうと思ったけど、土手の入口は通行止め・・牛を放牧してるようでした。
多分、土地は開けてるんだろうし、風速計は屋根より高いし、熱の発生源なんて無いだろうから、これで退散します。
欲を言えば、背後の丘陵の陰になって北西風が弱まるかな。


アメダス探訪「西興部」の巻(2013/9/29)

内陸へ進み、西興部の市街地を少し過ぎて、国道の脇に見つかりました。
牧草地の横か
左横に電子基準点も立っています。

どうやら滞在型の体験農園らしく、その奥にあります。
見晴らしが良い

周囲に支障となる物体は特にありません。
入口から遠いけど

草も枯れる時期になりました。向こうに国道が見えます。
きけん はいるな

農園の入口近くに管理棟があって、宿泊用のコッテージも何棟かありました。
長閑な環境
国道から川に向かって左方向へ緩やかに傾斜しています。

風速計と日射計と積雪深計の投光部
南南東の風、曇り

電子基準点の写真を撮ってみます。
電子基準点

西興部村には「赤岩の滝」と「黒岩の滝」とがあるそうですが、沢を入った奥にあるらしいのでスルー。

次の滝上へ向かう途中にウェンシリ岳方向へ分かれる道があり、ウェンシリ岳の沢に残った雪渓が底から融けて、真夏に「氷のトンネル」が出来る場所があります。
トンネルは通行止め
昔はトンネルの中を自由に歩けたのに、そのトンネルが崩れたことがあったせいで、年に一度の開放日以外は立入禁止になってしまいました。→参考

かなり昔に、トンネルへ向かう途中でスズメバチが2匹寄ってきたことがあります。
ただ追い払うつもりで帽子を振り回したら1匹の蜂に当たってしまい、もう1匹が向かってきたもんだから止むなく叩き落としました。

手前のキャンプ場では、村祭りとして焼肉パーティーなんかやって騒ぐのだから、蜂にとっても迷惑な話です。


アメダス探訪「滝上」の巻(2013/9/29)

北見滝ノ上駅の跡地はバスターミナルになっています。
トイレが立派

街外れの一本道の脇に立ってました。
また農家かな
風速計と同じような高さの樹がたくさん立ってます。

手前は草薮が深いけど、廃屋らしい屋敷に向かう道は歩けました。
廃屋か

人が来ないから柵は必要なさそうだけど、草が倒れかかっています。
支障になるほどではない

まだ朝早いから内陸から吹き出す南風
あー私の恋は南の風に乗って走るわ←青い珊瑚礁
・・などと考えていたら、蜂が哨戒しに飛んできました。

戦意は無いから遠くに退却して・・樹が高いよなぁ。
遠くから眺める
この屋敷の軒下あたりに蜂の巣があるのかも知れません。

市街地へ戻る途中の道端に「滝上北特別教授所跡」という石碑が立っていました。
寺子屋のようなものか
明治43(1910)年に「渚滑第二教育所所属滝上北特別教授場」として開所し、5年後に白鳥尋常小学校へ昇格したようです。→町のあゆみ

住所が「滝上原野三線」で、その3年前に「滝上」の地名が初めて北海道地図に載ったばかりという開拓初期に学校を作ったとは、教育熱心だった証拠でしょう。

次は上藻別へ向かいます。



post by 雁来 萌

20:13

気象細事記 コメント(2)

オホーツク文化の海岸線

2013年11月30日

内陸の歌登から海岸を目指し、オホーツク海に出ると枝幸町です。
9月下旬だから日も短く、もう夕方だから今日の探訪は9ヶ所で終わりそうな見通し。


アメダス探訪「北見枝幸」の巻(2013/9/28)

ここは旧測候所だった観測所なので、迷いようがありません。
影が長~い
左手前に庁舎があったんでしょうか。

バス停にも名を残していますが、今は測候所ではなく「特別地域気象観測所」です。
3回唱えると・・たまには当たる

はがれ落ちた時刻表をフェンスに引っ掛けてあるなんて!
無人になったからって

海岸なせいか、標板もかなり腐食しています。
判読困難

雨量計は地面に置いてありますが、雪が積もる頃には支柱に乗せるんでしょう。
芝生の状態がよく分からない

測風搭の風向風速計と日射計
元測候所だから視程計もある

目立たないけど、測量用の標石
隕石ではない・・奥は雨量計

そこに落ちてるのは、鳥の死骸のような・・
風速計のプロペラによるバードストライクではなさそう
不吉ながら、これで宗谷地方(本土)のアメダスは踏破しました。

 
バイパス沿いに(写真で)見覚えのある面白い建物があったので、開館時間ギリギリだけど寄りました。(帰る時には17時06分)
展望搭に登るの忘れたオホーツクミュージジアムえさし」という博物館で、ここではオホーツク文化期の「目梨泊」遺跡から発掘された遺物などを展示しています。

オホーツク文化はオホーツク海を舞台に活動した海洋狩猟民族の文化なのですが、続縄文時代から擦文時代にかけて一世を風靡したのに忽然と消えてしまいました。大陸文化の影響も受けているせいか、他の地域の文化とはちょっと違っていてエキゾチックです。

ロビーには子供用の遊戯スペースが設けられていました。
甕棺かも知れないよ
土器の中で遊ぶなんて楽しそう。

 
次の雄武も旧測候所でしたが、枝幸からの距離が50kmほどと長くて、この間は海岸にも山間部にもアメダスが無い非観測地帯となり、いつも不便です。

途中にある道の駅「マリーンアイランド岡島」は建物が船の形をしてるから寄ろうと思ったけど、17時に閉まってしまいました。
ずいぶんと凝った造りだ

ようやく雄武に着いた頃にはすっかり暗くなって、今日のミッションは強制終了。
ここの道の駅「おうむ」は高い搭の途中にホタテ貝の形をした展望台が張り出していて面白いのですが、国道の横にあって騒々しそうだったので、翌日は逆戻りになることを承知で興部まで進みました。

途中の日の出岬にあるホテルで日帰り温泉に入ろうと思ったのに、大浴場の改修工事中(~11/30)で日帰り温泉は営業しておらず残念。


翌朝、興部の道の駅「おこっぺ」で目が覚めてトイレに行ったら隣に銭湯があった・・後の祭り。

道の駅には鉄道資料館もあるし、「ルゴーサ・エクスプレス」という客車が置かれていて、ライダーなどが無料で宿泊できるらしいです。 
改造車の雑魚寝ホテル
でも、自前のテントで寝てるライダーがいました。

SLの車輪も展示してあって、駅の跡は広い公園になっています。
レールの間隔は合っている

このお宅は「米田御殿」と呼ばれるらしく、興部町が指定した歴史的遺産の第1号だそうです。
庭も良い
1922年に、皇族の伯爵が当時の興部村を訪れる際に、実業家の米田常作氏が私財で迎賓館を建てたというから痛快です。建物のみならず庭も素晴らしかった。


雄武までの半分ほど戻った位置にある「日の出岬」での日の出の光景
確かに日の出岬だ

この岬に立つ展望台「ラ・ルーナ」はガラス張りで、異様と言えるほどユニークなデザインです。
月並みではないデザイン
夜間には照明を点けるんだそうですが、それじゃぁ外の景色とか漁火とか見えなくなるんじゃ・・

トイレも後から設置したように、不思議な構造と配置をしてました。
変なトイレ・・には慣れてるつもりだが

手洗いも間に合わせな感じの造作
建物の外観とはミスマッチ

向こうが日帰り温泉に入ろうとしたホテルで、
ホテル「日の出岬」・・まんま

手前の小山は、アイヌ民族の蜂起を通報するための烽火台だそうです。
蜂起だ~松前へ知らせろ~
1789年に国後島や根室地方で「クナシリ・メナシの乱」という事件が起こり、その影響なのか道内に6ヶ所の烽火台が設置されたそうですが、実際に使用された記録は残っていないとか。


アメダス探訪「雄武」の巻(2013/9/29)

橋の隣にあって分かりやすいですが、昨夜は暗くて気付かずに通過しました。
おこつない橋の袂

フェンスではなく小屋に貼ってあります。
富士山麓に雄武無く

お行儀よく並ぶ測器達
平年の最深積雪は60cmくらい

標石はご丁寧に守られていました。
なんか可愛い

朝日に輝く測風搭は神々しい雰囲気を醸し出しています。
今日も良い事ありそう

手前の草地に庁舎があったのかなぁ。
草葉の陰から

 
興部へと続く・・



post by 雁来 萌

21:49

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