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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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今年最後のすいか作業

2006年12月17日

宮の沢でのチーム練習が16日(土)で終わったのに伴い、すいか作業も自動的に16日(土)が今年の最後になりました。この時期まで宮の沢を使えたのは天の助けかも知れません。

その前の週の9日(土)にも作業に行き、作業後にグラウンドキーパーさんから「もし今日の試合で負けたら、今年の作業は今日で終わりです。」と言われて、何となく物足りないような寂しいような気分になりました。
そういう気持ちを察してなのかどうか、当日は綱渡りのような試合に勝ってしまったので、取りあえず終わりじゃなくなったのですが、今週いっぱいでここは使えなくなりました。
名残を惜しみながら、先週9日(土)の芝の様子を紹介します。


補修作業をするすいか隊員(2006.12.9:宮の沢)
山はすっかり冬景色、この日は手前側だけを使って練習しました。


融けきらずに残った雪が、芝の上に模様を描いています。

もうそろそろ、芝の上での練習は無理のようです。
寒いからではなく、雪が積もるからでもなく、芝が耐えられないからですね。人工芝じゃないので、雪かきをすれば練習場が使える、という問題ではないんです。

芝は生きてる植物なので、温度と日光(と水)が不足すると育ちません。育たないということは、痛められたら回復しないということです。夏場なら、多少痛められた程度であれば、放っておいてもかなり回復しますが、温度と日光が少ない冬場は痛んだままになります。


スライディングで痛めつけられた傷口


削がれた芝が脇に落ちてます。


こんな鋭い切れ方をするんだから、さぞかし鋭いシュート・・


作業に使う、すいかフォーク(長さは30cmくらい)
芝が可哀想な色をしています。

改修した効果か、今年の芝の状態は去年よりかなり良く、葉に元気があって、ふっくら育ってたように感じました。
この後、寒風に曝されるし、雪も積もります。しばらく休養して、来年の春にはまた育ってきてちょうだいねー、と思いながら宮の沢を後にしました。冬の間も何かにつけて来るんですけど。



post by 雁来 萌

00:26

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あっべつの歌

2006年11月17日

今年の(ユースの)公式戦も終わり、既にシーズンを振り返る気分になっています。

今年の厚別の試合で印象に残っているのは、ドールズが勢揃いした10月14日の山形戦(晴)と、その前の9月27日の平日ナイターの徳島戦(雨)でした。10月14日には、今日で厚別も最後か、と思ったもんです。

それ以前の試合はよく覚えていません・・ただ単に、時間が経った事柄ほど記憶が薄れていくだけとも言えますが。


ドールズ揃い踏み(2006.10.14:厚別)

最近、替え歌の権威の影響か、暗い歌ばかりが浮かんできます。



♪厚別の歌・萌バージョン
       作詞:永久 萌亜(トワ・モエア)
       メロディー:喝采(ちあきなおみ)

いつものように 着信が鳴り
速報を見てる携帯に 届いた報せは
黒い星取りが ありました

あれは三年前 止めるあなた駅に残し
連絡シャトルバスに ひとり飛び乗った

横断幕が 垂れ下がる
競技場の前に たたずみ
レプユニの わたしは
祈る言葉さえ 失くしてた

Goo Bee・・n Moo Darou・・
Woudinoo・・ Garra Minou・・

ネットからまる 白い枠
タオルマフラーを噛みしめ
みじめな わたしは
流す涙さえ 枯れ果てた

暗いナイター戦 寒く震えてる私の
上をコンサのシュートが 通りすぎてゆく

いつものように 笛が鳴る
降りそそぐライトも 消されて
それでも わたしは
今日も応援歌 歌ってる


post by 雁来 萌

22:03

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サポ予備軍招待企画

2006年09月11日

コンサドーレ関係のメーリングリストは色々ありますが、その中で「コンサドーレ札幌メーリングリスト」( Consadole.to )というMLでは、毎年たくさんの子供達をスタジアムに招待しています。 
「将来のサポーター予備軍を増やすため」という名目はありますが、必ずしもそういう目的だけではありません。

当初は、メーリングリストの発足を記念した行事でしたが、毎年続けて今年で6年目になります。
持株会などから送られてくる招待券をMLのメンバーから提供してもらって集計し、HFCと交渉し、学校や施設と打ち合わせ、応援グッズの用意や応援の説明、会場での案内などの労を惜しまず続けているサポーター達がいます。
秋の気配を感じる頃になると、今年もこの企画がおこなわれることを期待して、招待券募集のお知らせが届くのを待っています。

近年は、招待券予約用の認証番号を世話人とHFCとへメールで知らせる、という手続きでしたが、今年は招待券の実券が配られているので、招待券を実行代表者へ郵送する方法に変わっています。
招待券の券種も、従来のSB席から今年はSA席に変わったので、自分で消費しやすくなったため、集まる枚数が少なくなるかも知れません。

詳しくは募集要領をご覧になって、趣旨に賛同頂ける方はご協力下さい。

参考:昨年お手伝いした方のブログ記事


post by 雁来 萌

23:56

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函館戦争回顧(戦闘の段)

2006年04月25日

※この回顧談は妄想の産物であり、登場する人物・団体などの名称は架空のものです。
 

我らが魂娑闘霊教団およびその門徒達は、邪教を信奉する宗敵により度重なる迫害を受けて参りました。砂を噛む思いで不当な弾圧や蔑視に堪え、様々な職人の姿に身をやつして、人目を避けながら毎日つつましく暮らしていたのです。

加えて、豚肉を海鼠状に固めた生臭い食物を神体として崇めている、排他的な棒球教団によって、我々の約束された土地が侵略され続けており、崇高な我が教団に対するこれ以上の狼藉を許すことができません。

恨み重なる宗敵を排除して我らの大地と家族と生活とを守り、失われかけた栄光を復活させることを期して、おびただしい数の門徒衆が松前藩の出城に集結したのです。
聖戦に備えて、敵の好物である柏餅を絶やすために買い込み、地元の商家・長谷川家の謹製による携帯兵糧も携えて、篭城の準備を整えました。
 

この戦のために築かれた城内の野外講堂において、教団専属の歌舞団による華麗な舞を奉納しつつ盛大なる祭礼を執り行い、梟の化身である我らが教祖様への絶対的な忠誠を誓って、邪悪な侵略者どもを迎え撃つ聖なる闘いを、武者震いしながら待ち構えておりました。

十里四方にも轟く太鼓の音とともに合戦の火蓋が切られるや、門徒達は二本の棒で張った筵旗を両手で掲げたり、棹に帆を巻いて作った大旗を打ち振ったり、手に手に赤い手拭いやら褌やらを持って横に広げる者は数知れず・・と同時に、教祖様の御真影が描かれた「きんと雲」の如き巨大な風呂敷を、寄ってたかって頭上で波打たせて敵を威嚇し、我らが戦士達を勇気付けたのです。

柳の木の下にお住まいになる、やんごとなき将軍様の指揮に従って戦士達は奮戦し、一時は宗敵を打ち破って蝦夷地から放逐するほどの勢いを見せたのでした。
積年の艱難辛苦から開放されるであろう次の世を想い浮かべ、豆の蔓をよじ登って天に達する少年のように、爽快な気分に浸っておりました。
 

しかしながら、忠臣と見せかけて謀反の大罪を犯した戦士や、己の戦闘技術を過信した戦士の軽薄な振る舞い、鍛錬を怠った戦士達の見当外れな射的、古典的な軍装、慢性的な兵糧不足など、我が教団には不利な条件が多く揃っていました。

勝負は時の運と申しますが、我らは運にも見放されたのでしょうか・・津軽海峡の潮の流れと共に形勢が逆転するのに、さほど時間は要しませんでした。

わずかに一矢を報いることはできたものの、あろうことか、その射手が実は裏切り者だったのです。後になって冷静に考えれば、彼が敵陣地の方角に駆け寄って喜びを表わしていたことに気付くべきでしたが、我らは予期せぬ勝利の瞬間を空想して浮かれていたため、敵に内通しているとは疑いもしなかったのです。

おそらく敵の一味である忍びの者どもが、呼び子を鳴らしたり、懐から黄色い紙やら赤い紙やらを取り出して裏切り者に合図を送る一方、側方からは怪しい色の小旗を振って、我らが戦士達の目を眩ませておりました。
何分にも、愚直に正々堂々と闘うことを常としている我らが戦士達にとって、このような卑劣な戦法は想像だにできず、対抗する術など持ち合わせていなかったため、敵の術中にまんまと嵌ってしまいました。
 

勝敗が決して後、戦士達は法輪を前後に備えた箱形の馬車に飛び乗り、一目散に蝦夷地の奥深くへと落ち延びて行きました。
門徒達も散り散りに敗走したため、仲間がどうやって逃げ延びたのか、互いに知る由もありません。ある者は松前藩の親類を頼って福山城にかくまわれ、ある者は江差の豪商の使用人として身を隠しているとも聞き及びます。千軒岳の麓の切支丹部落に命からがら辿り着き、介抱されて切支丹に改宗してしまった者もいるとか。


げに、慢心とは人の心の常なれど、恐ろしき事かな。


post by 雁来 萌

00:48

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寒風の中の春耕

2006年03月27日

1週間前の日曜日に、宮の沢でトップチームの練習があったので行きました。
寒冷前線が通過したので気温が低く、始めのうちは晴れてましたが、次第に雲が多くなり、雪もちらつき始めて、しまいには風も強くなってきました。
今の時期には、こういう天候になることもあり得るので、十分に着込んで行きました。
練習内容はさておき(笑)、新加入の選手を識別したり、買い物をしたりして時間をつぶしていました。

居残りのシュート練習も終わる頃に、本来の目的である畑作業が始まりました。(私にとっては)今シーズン初の「すいか」作業です。
「選手達の調子はどうだろう?」と考えるより先に、「芝の育ち具合はどうだろう?」と考えるのがすいか隊ですから。春先は特に、弱々しい芝が痛めつけられると、なかなか回復しないので心配です。

宮の沢に最初に練習場ができた当時は、まだ芝の根が張ってなくて、かなり軟弱でした。用具で補修するにも腫れ物に触るように「おっかなびっくり」でした。
「こんな道具で刺していいんだろうか?」と躊躇しましたが、たまには刺激を与えた方が良いし、根の周囲に空気を通す作業も必要なんだそうです。横に伸びる根を切って縦に伸びるように仕向けたり(これは機械作業)、コア抜きという作業(機械+手作業)もあります。

グラウンドキーパーさんによる、芝に関する講習会に出席したことがあります。芝の種類や肥料とか、病気や害虫、管理作業などについて勉強しました。高校の生物の授業で習ったADPとかATPとかが出てきて、懐かしかったです。学校で習ったことは、意外なところで役に立つことがあるので、ちゃんと勉強しておいた方がいいですよ。(自戒)

去年、芝を張り替えた直後も、やっぱり柔らかい感じがしたし、今年も、つい最近までは雪の下で寝てたんだから、まだ元気が無いんだろうと思ってました。
でも、フォークを刺してみると意外にしっかりしてて安心しました。一時気温が上がって雪が融けた時期があったからかも知れないし、春先の成長は、気温よりも日照時間が重要だ、という話を聞いたこともあります。

手稲山
雪が残る山並みと観客席(2006.3.19)
 

梟巣スタンド
梟巣のスタンドの、ご熱心な観客や、すいか隊員(2006.3.19)
 

降雪
風を伴った雪が降ってます(2006.3.19)
 

以前はシフト勤務だったので、平日の日中とかにも作業に行けましたが、平日の9時~17時の真っ当な勤務に変わってからは、作業に行ける頻度が極端に減ってしまいました。

土・日にしか作業に行かない人間が言えた義理じゃないですけど・・すいか隊に登録してる人数は400人とか言われてますが、実際に作業する人数はかなり少ないです。サテの試合などがある日ならば20~30人程度、土・日で10人程度、平日は数人だけだなんて、どうしちゃったんでしょう?
土や植物の世話をするのって、楽しいんですけどね。



post by 雁来 萌

00:47

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裏口になった函館

2005年12月30日

トップチームの試合は、今年も函館で1試合開催されました。
試合に関する話はこれだけにして。(笑)

かつて、函館は紛れもなく北海道の玄関口でした。
内地から来る場合には青森から連絡船に乗り、しょっぱい川の津軽海峡を渡って函館に上陸すると、文字通り「北海道の地を踏んだ」ことになりました。

連絡船には数え切れないくらい乗りました。周遊券を買って、夜行列車で眠りながら全国を旅して回ることは、体力と時間がある年代ならば楽しいはずです。それでも、1週間くらい旅を続けると三半規管が異常を示すようになり、列車から降りても地面が揺れているように感じる頃が、家路につく頃合いです。

青函航路の途中で函館山が見えてくると、「北海道に帰ってきた」という実感が湧いたものでした。たとえ寒風の中に浮かぶ函館山が雪を被っていて、立ち木の薄墨色と混じってモノトーンの風景を見せていても、空気には暖かさを感じました。函館の桟橋に降りて、動かない地面を踏んだ時の安堵感は、どんなに高額な生命保険よりも有り難いものです。(船の揺れに強くない自分にとっては尚更です。)

ところが、青函トンネルが開通して連絡船が無くなると、函館はただの「途中下車駅」のような存在になってしまいました。
玄関口が函館から千歳空港に変わってしまったことが決定的ですが、寝台特急「北斗星」で帰って来るにしても、トンネルを出て目が覚めて、駅弁と朝刊を買うための駅(というか、単にホーム)でしかなくなりました。その駅が函館である必要はまるで無くて、停車時間が短いし、わざわざ降りて別の列車までの間に街を見て回る余裕が無いし、という生活様式に変わったことも一因です。

試合があって函館を訪れる機会が増えてくると、どうせ函館まで行くんだから、ついでにどこかに寄ってこよう、という企みを実行する余裕が出てきました。
大抵の場合、試合の前夜に札幌を発ち、夜中に函館に着く行程になります。朝まで眠っても、試合開始までには時間があるので、のんびり見て回れます。

前回は、隣町の上磯町七重浜にある「台風海難者慰霊之碑(いわゆる、洞爺丸慰霊碑)」を見てきました。心なしか、ゆったりと砂浜に寄せ返す波が、50年前の悲劇を洗い流そうとしているようにも感じますが、そう簡単に忘れてはいけない事故です。ここのすぐ近くに「慰霊碑前」というバス停があるので、場所は分かりやすいはずです。

今年は、函館山の登山道入口の脇にある「青函連絡船海難者慰霊碑」を訪問しました。ここはあまり知られていませんが、国鉄青函局の殉職者のための慰霊碑です。戦時中の連絡船空襲によって殉職した乗務員や、洞爺丸台風で沈没した連絡船(5隻)の乗務員を合祀しています。歴史の証言者として、沈没した船体の一部を石碑に貼り付けてあります。

函館を訪れたら「海鮮丼」や「やきとり弁当」を食べるっていうのも、一つの選択肢には違いないですが、歴史探訪も腹や脳を膨らませることができます。せっかく函館なんだから。


追記(2006-01-03 16:56)

【地名の変更】
洞爺丸台風の日にも連絡船に乗務していた叔父さん(上磯町七重浜在住)からの年賀状によると、上磯郡上磯町は亀田郡大野町と合併して、2月1日から「北斗市(ほくとし)」に変わるそうです。



post by 雁来 萌

22:42

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花嫁の父

2005年12月11日

例年のように、来季の契約を結べないトップチームの選手がいる、という憂鬱さを振り払うため(?)、ユースの選手がトップチームに昇格する話題で盛り上っているようです。

一般のサポーターの感覚としては、「ユースの選手がトップチームに上がって来る」ので、「若くて新しいメンバーが増える」と捉えるから嬉しいんでしょうが、私の場合はちょっと違います。
親しんできた「ユースの選手がトップチームへ去ってしまう」とか「送り出す」という感覚なんです。

ユースからトップへ昇格できる選手が1人もいなかったら、それはそれで困った事態なんですが、昇格するということを手放しで喜べる心境じゃないんです。
トップチームに上がるとなると、言うなれば「可愛がってきた娘を嫁に出す」ようなもんで、花嫁の父親になったような、変な感情なんですよ。「良かったね!」と言われても愛想の良い表情はできませんので悪しからず。

たとえトップチームに上がらなくたって、時期がくればユースを退団して進学やら就職する訳ですから、どっちみち彼らと別れなくちゃならないけども、その「別れる」という事実が先にきて、憂鬱になっちゃうんです。初冬に現われるこの症状を「ユースメランコリー症候群」と・・言いませんが、秋からジワジワっと、しかし着実に発症してきます。

その辛い時期を過ぎて春になり、彼らがトップチームに合流してしまうと、かえって楽になるような気がします(単に「木の芽時」だからかも)。
いったん嫁に出したら、「煮て食うなり焼いて食うなり、勝手にしてくれ」という感じで、自分の方から一線を引いてしまうようなところがあります。

トップに上がった選手の場合は、ユースへの「出戻り」はあり得ないので、「トップが辛かったら帰っておいで」とは言えません。一方通行の別れになってしまい、「もしかしたら帰ってくるかも・・」などという中途半端な期待が入る余地が無いからこそ、吹っ切れるのかも知れません。

ユース昇格1年目の選手を戦力外と判断したことに対してクラブへ抗議するのって、娘が出戻ってきた時に、実家の親や小舅(姑)が嫁ぎ先に苦情を持ち込むことに似てると感じるんです。「嫁の出来が悪かった」とは微塵も考えないのか?と。



post by 雁来 萌

11:25

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