2011年07月09日
全日本少年大会北海道予選
7月2日(土)と3日(日)に栗山町の「ふじスポーツ広場」で、「全日本少年サッカー大会」の北海道予選が行われました。 →北海道サッカー協会の開催要項、組合せ・日程(いずれもPDF)、HFCオフィシャルのニュース JFAの全国決勝大会、都道府県代表も参考にして下さい。 この大会は今年から8人制となり、審判は1名のみです。(4審の役目にもう1人) いくらコートが狭いとはいえ、オフサイドなんて正確には判定できないし、GKがエリアから出てボールを拾ったってバレません。(実際に見たもの・笑) なんだか展開がせわしなくて、サッカーじゃない感じもするし・・。
道内各地区からの代表16チームによる、ノックアウト方式のトーナメント戦が行われます。
試合時間は20分ハーフで、インターバルは10分です。
この大会には北海道コカ・コーラボトリング様が特別協賛しており、予め各チームに配られたスクイズボトル以外のボトルはピッチ内に持ち込めないことになっています。(大人の事情)
大会本部のプレハブに貼られていたポスター
会場内の大会幕
1回戦の相手は「長沼SC」で、空知地区代表だから地元のようなもんです。
コンサ札幌U-12(赤黒) vs 長沼SC(青)
雲が少なく、風も弱くて暑いです。
選手達は入場前に頭に水をかけたりして、途中で給水タイムもありました。
6年生の顔はほぼ分かるけど新顔(←いつから?)もいるし、5年生は自信がありません。
開始早々、右クロスに河辺がヘディングを当てて先制し、時計を見たら24秒でした・・カメラを構えていなかったので写真がありません。(1-0)
左CKをGKにパンチされましたが、高島が後方から低いシュートを打ち込みました。(2-0)
Pエリアの右角からFKを蹴る高島
ヘディングは左へ外れました。
後半に向けて5名を入れ替えました。
14秒に右CKを得て、宮﨑のヘディングで追加点(3-0)
こぼれ球を北村が押し込む(4-0)
PKを北村が決める(5-0)
中村太のシュートのこぼれ球を北村が打ち込む(6-0)
長沼の左寄りから打たれたシュートのコースをそらされて、お約束の1失点・・仕様ですから。(6-1)
緒戦を無難に勝ち上がりました。
2回戦の相手は、いつもコンサの前に立ちはだかる天敵の「FC DATE」(室蘭地区代表)でした。 FC DATE(白) vs コンサ札幌U-12(赤黒) 2年前の岩内町長杯を思い出します。この時のキャプテンがDFにいました。 コイントスが終わってエンドを交代しました。コンサが風と太陽を背にする側を選んだようです。 ところが2分、伊達の右クロスにファーで足を合わされて失点しました。(0-1) 更に与えたFKをこぼしてやっとクリアすると、ベンチからは「連続失点はダメだぞ~!」という檄が飛びます。 ダメだと言われるほど、なおさらやってみたくなるのが人情でして(笑)、伊達の右寄りから打たれたミドルが枠の左上奥のバーに当たって戻ってきました。(0-2) 10分になって、北村が打ったシュートは浮き気味ながら入りました。(1-2) さらに14分には、北村が右からクロス・・と思ったらそのまま上部に入ってしまいました。(2-2) 何とか同点まで追い付いて後半が始まります。 北村がドリブル突破してシュート、こぼれ球を池田?が左から押し込みました。(3-2) 苦しみながら逆転に成功して喜びます。 河辺の突破を止めた相手にイエローカードが出て、Pエリアの右角から高島がFKを蹴り入れます。 ファーから関あたりが頭で合わせました。(4-2) このシュートはキャッチされます。 GKが対応に出たけど奪われてピンチになったり、終了間際には波状攻撃を受けました。 コンサの右CKの場面で交錯し、GKが痛んだものの続行されました。 際どいながらも逃げ切ることが出来て、翌日の準決勝に進めました。 伊達としては、掴みかけた勝利を惜しくも逃した気分で悔しかろうと。 会場内で目に付いた横断幕 西御料地チームは旭川地区の代表です。 おぃ・・・
翌日に準決勝と決勝が行われましたが、プレミアリーグの試合と重なっていたため栗山へは行きませんでした。 準決勝は「フロンティアトルナーレ」に(3-1)で勝ちましたが、決勝は「クラブフィールズ」に(3-4)で敗れたため、全国大会へは進めませんでした。 2点のビハインドを逆転してリードしたのに、再びひっくり返されて負けたらしいです。 準決勝に進んだ4チームのうちの3チームは、昨年のチビリンピックU-11の北海道予選で準決勝に残ったチームでした。 さらに遡れば、2年前の岩内町長杯で準決勝に残った3チームが含まれています。 この年令ではこれらのチームが、将来もライバルとして鎬を削ることになるんでしょう・・注目されるクラブフィールズの躍進も、楽しみというか脅威というか・・。
ここからは、栗山町内の探索結果です。 廃校になった「雨煙別小学校」 開校は1899年で、この校舎は1936年に建てられて1998年に閉校したそうです。→改修前の校舎 昔の校舎の写真が中央の記念碑に残されていました。 現在は「コカ・コーラ環境ハウス」として、野外学習や環境教育に利用できる宿泊可能な施設に再生しています。(経緯) 地名の由来になった「雨煙別川」が校舎の脇を流れています。 ウエン・ベツとは「悪い・川」という意味で、どう悪いかというと、「難所が多くて険しい」とか「度々はん濫する」とか「水が飲めない」などの場合があるようです。 ここを見る限りでは、少なくとも飲めそうにありません。 小林酒造のレストラン「蔵」で昼食にカレーを食べた後、栗山高校に寄りました。(外観だけ) かつて、ユースU-18の選手達が通学していた高校です。 栗高のグラウンド 町役場の前には、栗山町の開拓の祖である「泉麟太郎」の銅像が立っています。 町内の角田地区には開拓記念館があり、その隣地に泉家の住宅だった茅葺きの「泉記念館」が保存されています。(泉記念館の隣に開拓記念館を建てた) 勤務先の知り合いが、子供の頃にはその家に住んでいたそうです。
posted by 雁来 萌 |00:20 | 闘う若梟 | コメント(0) |
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