2012年11月03日
校門にも橄欖岩を使う贅沢
記事のタイトルに使っている「橄欖岩(かんらんがん)」とは、地球表面の「地殻」の下にある「マントル」の上層を構成する岩石です。 マントルは地球内部で発生した熱によってゆっくり対流しており、その表層部が移動するため上に乗ってる地殻も一緒に移動し、大陸が移動する原動力になったり、大陸の縁辺でプレートが沈み込む(=地震が起こる)原因にもなったりします。 地球内部にある岩石だから普通は見ることが出来ませんが、激しい地殻変動(造山運動)によって地表に押し出されたりすると、稀に見ることが出来ます。 日高山脈ではそんな激しい地殻変動が起こったので、橄欖岩さえも所々で地表に露出しています。(*1) 日高中部・東部のアメダス地点が未踏のまま残っているから、いつかは襟裳岬を回るルートで十勝へ行かねばならないな・・と思っていたところ、意外に早くその機会が訪れました。 9月中旬に、北海道カブスリーグU-15の試合へ行く前日に途中の日高地方のアメダス4地点を調査し、帰りにも残った4地点を調査しました。 今回はまず、往路に寄った4地点を紹介します。
アメダス探訪「静内」の巻(2012/9/14) 今日の最終目的地は日高東部の目黒で、日が暮れる前に目黒へ着くには途中で余計な寄り道はしていられませんが、国道から近くて分かりやすい地点は先に片付けておきます。 自宅を出てから3時間ちょっと過ぎて静内に着き、静内中学校の隣に見つかりました。 左の白い箱形の建物には地震計が入っているようです。 電柱や街灯や信号が何本も立ってるけど、観測には支障が無いでしょう。 後方が中学校で、ここは積雪深が20cmにも達しない土地です。 高さを競うように立つポール類
アメダス探訪「幌満」の巻(2012/9/14) 浦河は測候所だった地点なので位置が分かり切ってるから復路に寄ることにして通過し、蝦夷三官寺の一つである様似の「等樹院」を横目で撮影して通り過ぎます。(ちょうど信号待ち) (※等樹院の正しい字は、「樹」のキヘンをサンズイに代えた字) その先にある幌満(ほろまん)まで来ました。自宅を出て5時間ほど。 アメダスは学校(幌満小中学校)の裏手にありました。 ここでは雨量だけを測っています。 学校は例によって閉校となり、「コミュニティーセンター」に変わっていました。 正面玄関の左横に石碑が立っていますが、これが橄欖岩を磨いた岩で出来ていました。 さらに離れて左側のアポイ岳ジオパークの説明板を貼ってある岩も橄欖岩です。 橄欖岩は黄緑色というかオリーブ色をしており、それを構成する橄欖石の英語名は「Olivine(オリビン)」です 校門に嵌められている石も、橄欖岩や、それが変成した「蛇紋岩」(*2)ばかりです。 右側の校門の銘板は中学校で、左側は小学校でした。 鹿が昆布干し場で餌を探していました。 こんなに近寄っても逃げず、シャッター音に振り向いただけでシカトされ・・少しは人間を恐れろよ。 今の国道はトンネルを通っていますが、昔は海岸縁の崖の下を通っていました。 今年の夏の大雨で、この崖の一部が崩れました。こんな危険な場所に駐車する人はいないと思うけどな。 道路が波を被ってるし、ずっと南風だったので、車の窓ガラスが塩で曇ってしまいました。 とてもこんなことをしてるヒマは無いから、先を急ぎます。
アメダス探訪「えりも岬」の巻(2012/9/14) 十勝へ行くなら天馬街道(野塚トンネル)を通る方が近いし早いけど、目的が目的ですから遠回りして襟裳岬に寄って行きます。 アメダスは襟裳岬灯台の横にありました。 ここはハンパ無く風が強いですから、風速計のポールにステーを張る都合上、敷地を広く取ってあります。 向こうの海岸が黄金道路になり、ここの次に黄金道路の真っ只中にある目黒へ向かいます。 雨はそれなりに多い場所なはずだけど、風に流されて雨量計に入り難いです。 でも、雨量計に風除けを付けると風除け自体が風に煽られて飛ばされてしまうから、最初から付けていないようです。 他の場所では、こんなステーは張らずに済むんだけど。 「寒極」などの言葉に倣って、倉嶋厚さんが「風極」と名付けたようです。 風の館も見学したかったけど、9月は17時に閉まるので間に合わず。 土産物屋も店じまいの準備をしていました。
アメダス探訪「目黒」の巻(2012/9/14) 自宅を出て6時間以上が過ぎました・・思えば遠くへ来たもんだ。 ここはいつも雨量が多くて悩ましい地点なんですが、南東に向いた沢の出口に位置しており、気圧の谷が接近する時の南東風が山地の斜面を上昇したり、気流が収束する(=集まる)ことによって、降水が増強されるものと説明されます。 地図上では郵便局の近くらしいですが、誤差を考慮しても離れ過ぎており、しかも河川敷に近いので疑わしいです。 どこに行っても廃校はあるものらしく、旧目黒小中学校があったので寄って行きます。 目黒小学校は17年前に開校百年を迎えたらしいですが、中学校共々平成17年度(開校110年)で閉校しました。 ここはアンコールワットかっ!と思うほど草に埋もれてて、近付けません。 校章は恐らく、山と波を表しているのでしょう。↓往時を偲ぶ写真 http://www.town.erimo.hokkaido.jp/meguro.jpg 「生活館」の前で曲がると、広大な昆布干し場がありました。 海岸は狭くて昆布を干し切れないので、集落内の河川敷に干し場を設けたようです。 少し戻るとアメダスが見つかり、日没サスペンディッドにならずに済みました。 こんな遠くまで、日を改めて探索し直しに来るのは御免ですから。 何の施設の前なのか分かりません。 夕暮になってから「今晩はぁ、ここは何ですか?」などと尋ねたりしたら怪しまれるし。←うろうろ探し回ってるだけで十分に怪しいって! ここでは雨量と積雪深を測っていて、平年値では雪が70cmほど積もります。 日高地方の沿岸部は一般に積雪が少ないんだけど、春先や晩秋に低気圧が北海道の南岸を通る場合には、十勝地方などで大雪になります。 ここは襟裳岬よりも東側だから、十勝地方と似たようなものかと。 これで今日のミッションを完遂したから、夜は大樹町でゆっくり休みます。翌朝の歴史探索話は次回に。
(*1):「橄欖岩」は、日高町の道の駅の後ろにある「日高山脈博物館」や、「北大総合博物館」などで標本を見られます。旭川の神居古潭あたりでも露出しています。 (*2):「橄欖岩」が地下の水分(熱水)と接触して変成すると、蛇の皮のような模様になるので、「蛇紋岩(じゃもんがん)」」と呼ばれます。夕張岳は蛇紋岩の山です。
posted by 雁来 萌 |08:15 | 気象細事記 | コメント(0) |
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