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2010年09月16日

縄文時代の次は弥生時代?

学校では「縄文時代の次は弥生時代」と教えられるもんだから、ほとんどの日本人はそう信じていて、常識化しています。

でも、北海道には「弥生時代」なんか無いんです。

学校で教える時代分け:
・縄文時代は狩猟・採集の生活で、大胆な様式の縄文式土器を使っていた。
・弥生時代は定住して稲作をし、薄手の弥生式土器を使っていた。鉄器も入ってきた。

・・だけど、その頃の北海道で稲作なんか出来る訳ないでショ?

 
北海道では、簡単に言うと「縄文時代」の次は「続縄文時代」で、その次が「擦文(さつもん)文化」という時代で、その後に「アイヌ文化」へと続くのであって、どこにも弥生時代なんか有りません。

広い北海道だから文化も一様じゃなくて、一部には「オホーツク文化」も混じったりしてるけど、「擦文文化」とか「オホーツク文化」なんていう用語を書いた教科書を見たことがありません。

大体、北海道で稲作が出来るようになったのは、ごく最近の話です。
・・ということは、現在が弥生時代の真っ只中であって、北海道の時計は内地よりも2千年遅れている?
収穫

内地の常識が北海道では通用しないことを示す典型例と言えますが、教科書に堂々と書いてあったことが実は北海道には当てはまらない、という事実にショックを受けて、北海道の古代史を研究するようになった学芸員もいます。

 
今でこそコメチェンした北海道米の評価は高い(らしい)けれど、かつては不味い米の代名詞として使われていたくらいで、とにかく収穫できて食べれれば味は二の次、という品種を栽培していたのだから仕方ありません。

北海道では梅雨期に雨が降らないし、山から雪融け水が流れてくるけど冷たいし、春は深水灌漑しないと寒くて稲が風邪ひいてしまうし、夏も寒いから穂が出なくて米粒が稔らないし、稔るまで待ってたら霜に当たる・・そんな土地でも育つのは、トウキビとイモくらいです。

稲を作る(無事に育てる)ことが悲願だった訳だから、道内のあちこちに「水田発祥の地」とか「稲作発祥の地」いう碑が立っています。
本来、「発祥の地」というのは1ヶ所だけなはずなのに、どこででも見かけます。

それらは「ここから稲作が始まって伝わった」という意味ではなくて、苦労した末に「ここで稲作が成功した」ことを記念する意味で碑を建てたのでしょう。

 
芸術の森・美術館に展示されていた作品「中庭住宅(分譲中)」の一部(2010/9/11)
長靴栽培
小学校ではバケツなどで稲を育てたりしますけど、長靴の中でたとえ稲が育ったとしても、そんな米は食べたくないですよね。(臭そうで)


posted by 雁来 萌 |23:23 | 雑念 | コメント(0) |

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