2010年06月19日
父の日に考える自分の寿命
アメリカ発祥の「父の日」が、いつの頃からか日本でも習慣になってきました。 日本での「父の日」は6月の第3日曜日なので、今年は6月20日になります。 母の日が5月10日で父の日が6月23日、と覚えていた私は古い人間ですかね。 5月10日は根拠があるとしても、6月23日の根拠は何なのか・・太平洋戦争中(1945年)のその日に、沖縄守備隊の司令官と参謀長が自決して組織的な戦闘が終わったため、沖縄では6月23日を「慰霊の日」と定めています。(最終的に武装解除して投降し終わったのは、終戦の詔勅が発表されて2週間経った8月29日)
父が幼かった頃の写真・・どれでしょう? 後ろに立っているのが祖父で、左から2番目が父です。 昭和4年10月に生まれた次女が祖母に抱かれているし、昭和6年12月に生まれた四男が(写って)いないので、昭和5年頃の写真だと思われます。 祖父は私が生まれる2ヶ月ほど前に54歳で亡くなり、祖母はその半年後に53歳で亡くなったので、どちらも私の記憶にありませんでしたが、この写真に写っている祖父は父に似ています。(←順序としては、父が祖父に似ているのだが) 父が小樽の某高等小学校に入学した頃(昭和9年4月)の写真・・どれでしょう? 私が中学生になってこの写真を見た時は、あまりにも自分にそっくりなので驚きました。(←だから、順序としては逆だって!) 諸事情により、父は英語を喋れたのです・・その話はまた別の機会に。 かなり嘘っぽい蹴球のポーズ(昭和12年6月) 頭に巻いた手拭の「中」の字に見覚えがある人は同窓生です。 千秋庵の「山親爺」かっ!(昭和32~33年) これは旅行先ですが、父は兄弟が集まって宴会などをしてると、酔って色々とおどけたことをしていました。 この親にして・・と思ったアナタ・・正解です。私は素面でも出来ますから。(爆) ついでに、50年前の函館山・・未舗装だよ。
父方の祖父母が54歳と53歳で亡くなり、母方の祖父母は64歳と95歳で亡くなりました。 父は70歳で亡くなり、母は来月で84歳になる予定です。 それらのデータを基に、私自身の寿命を推定してみます。 ①父はその両親の平均寿命より、16.5年長く生きました。 ②母はその両親の平均寿命より、(少なくとも)4年長く生きています。 ・・この等差級数を大胆に延長すると、 ③私は両親の平均寿命より10歳以上長生きする(はずだ)から、(少なくとも)87歳までは生き延びる計算になります。(計算式は省略) 私の寿命がどこまで延びるかは、母が今後どれだけ長生きするかにかかっています。(笑) 更にあと10年生き長らえたとすると、 ④私の寿命は97歳まで延びると計算されます・・そんなに生きていなきゃならんのか?(←義務は無い) しかし、この推定方法に無理があることは明白で、何代か前の先祖まで遡れば寿命がマイナスになってしまいます。 父方の曽祖父は69歳、曾祖母は71歳で亡くなりましたから、祖父の寿命が54歳だった時点で既に手法の信頼性が破綻しているし。
日本人の平均寿命は、どんどん長くなっています。 最近の医学(医術)の進歩は目覚しく、以前ならポックリ死んでいた病気も、とにかく一命だけは取り止める(手品のような)処置が施されます。 まさに「急死に一生を得る」とでも言えば良いんでしょうか。 従って寿命が延びる現象の内実としては、人間の体が丈夫になって長生きするのではなくて、簡単には死なせてもらえないから(結果として)長生きさせられている・・ようにも思えます。 極端に言うと、元気に暮らせる年数は変わっていないのに、寝たきりで過ごす年数が増えただけ・・かも知れないので、寿命が延びることを素直に喜んでいいものかどうか?
posted by 雁来 萌 |08:47 | 雑念 | コメント(0) |
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