2012年11月06日
豚毎をよくよく見たら勝毎か
9月中旬に行われた北海道カブスリーグU-15の試合日の朝に十勝地方を走ってて、ある建物の壁に「豚毎」と書かれていたので何だろう? と思いました。 ・・「豚丼を毎日食べよう!」ってか? ・・と考えながらよくよく見たら「勝毎」という字で、そこは十勝毎日新聞社の社屋でした。達筆だから似てたんだよぅ。 ↓これの一部を遠くから見たんだからさぁ・・ http://kachimai.jp/img/logo.gif 当日は早朝(というか夜明け前)から、十勝海岸(具体的には大樹町)の防御陣地を探索してきました。
戦時中の遺物であるトーチカが海岸に並んでいるそうなので探索する訳ですが、一般の人はあまり知らないだろうと思っていたら、道の駅にも案内が貼ってありました。(右側、夜なので暗い) ただしこれは、少し内陸側の防霧林の中で数年前に発見されたトーチカで、しかも、場所を知りたければ特産品カウンターで尋ねよ、と書かれています。 道順は大まかに調査済みだし海岸へ行く途中の防霧林にあるので、これも見学していくことにします。 東の空が焼けてきて、いい感じの風景になってました。 ご丁寧にも、主な曲がり角に案内標識が立っています。 「旭浜トーチカ」と呼ばれますが、防霧林の中からは浜が見えません。 牧草地の中に鹿が4頭いましたが、撃たれると思ったのか逃げられました。 車道からトーチカへ向かう歩道が整備されていて、歴史教育の目的で積極的に活用するようです。 内部構造の説明(道の駅に貼ってあった図と同じ) まぁ、当然ながら立入禁止ですよね。立ったままの姿勢で入るのは無理だし。 銃眼の縁は少し風化していますが、まだ使えそうです。←何に? 屋根に登ると防霧林を見渡せ、防霧林が無ければ海までも。(多分) 手前は植樹したばかりで背が低いですが、この中でも鹿が走り回っていました。だから、鹿を駆除するシャープシューティング用のシェルターとして使えそう・・ 隣接する広尾町の防霧林にも似たようなトーチカがあるそうだし(参考)、十勝地方の海岸には沢山のトーチカが残っています。→「十勝海岸の防御陣地」 大樹海岸の「旭浜トーチカ群」は全部で8基あるそうですが、そのうちの1基は最近になって崩れたらしく、行方不明だという記事も見られます。→参考 旭浜トーチカへ通じる道について詳しく書かれた資料が無いので、まずは旭浜漁港に向かってみます。 港を見下ろして海難慰霊碑が立っていました。 確かに説明し難い細い未舗装路(4駆向け)で、分岐する入口もよく分からなかったけど、自分の嗅覚は劣化していませんでした。 すれ違うのも難しい小道を進んで、海岸を見下ろせる広場に出たところ、漁の安全を願うため(と推定する)鮮やかな神社が立てられていました。 恐らく、沖からもよく見えるに違いない。 十勝海岸の夜明け:少し霧が漂っています。 この海岸からは朝日が見えるけど、夕日は見えないから旭浜なのか。 これは多分、番号でいうと6号のトーチカだろうと思われます。 こっちは7号と思われ、いずれも太平洋の荒波が押し寄せて足元が掬われています。 傾いている上に内部には砂利が入り込み、確かに積極的には公開したくないでしょう。 反対方向の海岸には残りの5基が並んでいて、釣り人の(と思われる)車が何台も海岸に停まっていました。 砂利の海岸に踏み入れられる車でなきゃ、途中の未舗装路を走る気にはならないでしょう。 でもね、海岸にトーチカを並べて機関銃を据えたところで、米軍なんか徹底的に艦砲射撃や空爆をした後で上陸して来るんだから、敵を機銃掃射するような事態に至る以前に、木っ端微塵にブッ飛ばされてしまいますよ。
朝飯前の散歩を終えて大樹町の市街地へ戻る途中に、廃校になったらしい学校がありました。 ずいぶんとモダンな造りですが、時代の流れには逆らえません。 中島小学校というそうで、開校から112年経った去年に閉校したばかりです。→大樹町内の学校一覧 大樹町の役場の前にある柏林公園には、SLが保存されています。 番号が「59611」の9600形(クンロク)です。 233万5千kmも走ったらしい・・毎年、地球を一回りしてた勘定。 いつもとは違う裏道を通って上札内へ向かう途中にも、廃校かと思った学校がありました。 尾田小学校という名前で、来春に閉校する予定だそうです。 砂金採りで有名な歴舟川沿いの集落にあります。 中央で屈曲している珍しい構造でした。 子供用のサッカーコートとゴールマウス ここもパークゴルフ場などに変わるんでしょうか。
posted by 雁来 萌 |07:46 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |
スポンサーリンク
スポンサーリンク