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作者の雁来 萌(かりき もえ)は、休日になると弁当と単語帳を持参して、札幌市東区にある「北海道コンサドーレ札幌・東雁来グラウンド」(通称:カリキ)で過ごしています。 コンサドーレの次代を担う(かも知れない)若者達が、しゃかりきにボールを追っている姿を眺めて癒されています。 性別:非公開 年令:非公開 特技:非行かい? 職業:占い師、トイレ評論家 住居:熊が出没する札幌市中央区 過去記事のリストを「記事一覧」カテゴリに載せています。 コメント欄に「今後の投稿予定」を記してあり、随時更新します。 オフィシャルブログ内であれば、このブログをリンク集に加えるのはご自由で、問い合わせも不要です。 深夜・早朝のコメント投稿はご遠慮下さい。

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プリンスリーグ第3節(1)

2006年05月19日

5月14日(日)に、プリンスリーグ(U-18)北海道2006の第3節の試合が行われました。
コンサU-18の試合が行われる会場は、浜厚真野原公園サッカー場でした。

事前の天気予報は安定していませんでした。北海道の南岸を低気圧が通過するんですが、その進路がどの程度北海道に接近するかによって、どの辺の地域まで雨が降るかが変わるからです。
最終的に、試合が行われる浜厚真方面では、前日の夜から当日の朝にかけて雨が降ると思われました。

当日の朝に目覚ましが鳴って、「さて起きるか」と思ったら携帯にメールが届きました。
プリンスリーグのために帯広近郊から来るお友達からですが、雪が降ってるとのこと。起きて「峠の道路画像」を見たら、日勝峠は通行止になってました。雨は考えていたけど雪とは・・峠の気温は-1℃で、アイスバーンと表示されています。
峠がいつ開通するか分からないから天馬街道(日高山脈)経由で来るそうで、狩勝峠経由よりも賢明な選択でしょう。でも路面はシャーベットだったそうな。
 

さて私の方は・・道央道は雨でしたが、走行に支障(=速度規制)があるほどではなく、第1試合開始の30分ほど前に着きました・・が、水はけが良いはずの火山灰の駐車場が水を含み、タイヤがハマるんじゃないかと思うほどでした。
車の中から様子を窺うと、ピッチは水浸しで、旭川実業のメンバーはアップしてるものの、帯広北高のメンバーはチームバスの中で待機してました。


試合開始前のピッチ状態(2006.5.14:浜厚真野原)
※雪ではありません、水溜まりです。
 

試合が行われるのかどうかも心配でしたが、両チームがアップを始めて審判団も出てきたので、間違いなく試合は行われます。
ピッチは、いたる所に水溜りができてて、ボールは止まるし滑って転ぶしで、チャンスがいきなりピンチに変わったりします。
帯北は足元でパスをつなぐ技術があるだけに、地上戦にこだわりますが、一方の旭実は、シンプルに放り込んで走らせたり、体格を生かして空中戦を挑んだりします。これはひょっとしたら旭実に分があるか、と思いました。

前半は0-0で終わりましたが、後半に旭実がゴール前の混戦から1点を取り、これが決勝点になりました。去年までの成績を考えれば、これは番狂わせと言っていいでしょう。
コンサも足元のパス回しで崩していくチームですから、うちも分が悪いなぁ、と思ったりしましたが、じきに雨は上がって、ピッチ上の水も次第に捌けてくるだろうから、何とかしてちょうだいね~という程度に考えていました。


旭川実業(白) vs 帯広北高校(橙)(2006.5.14:浜厚真野原)
わざわざそこを使わんでも・・
 

第2試合の途中から雨が上がって陽も射し始め、ピッチ上の水溜りは少しずつ減ってきました。
力の差があったためか、北海高校3-1駒大苫小牧高校を破りました。北海のGKはコンサU-15出身の高本くん、DFには同じく平野くんと高橋くんが出場しました。


駒大苫小牧(青) vs 北海高校(黄)(2006.5.14:浜厚真野原)
後半、北海の追加点(3点目)



post by 雁来 萌

00:07

闘う若梟 コメント(0)

練習試合・U-18 vs 北海高校

2006年05月16日

13日(土)の午後に、札幌ドームサブグラウンドでU-18のBチームと北海高校との練習試合がありました。

この日は午前中にトップチームの練習があるので、「午前はトップ、午後はユース」という連チャンができる、とほくそえんでいたのです。
朝9時頃に自宅を出て、途中のコンビニで昼食を買ってドームに着くと、今日は野球の試合があるとのことで、駐車場に入れませんでした。(泣)
途方に暮れながらよく考えると、携帯を自宅に置いてきてしまったことに気付いたので、スゴスゴと一旦帰宅することにしました。

ユースの練習試合までには時間があるので落ち着いて作戦を練り直し、地下鉄で行くことも考えましたが、今日は他にも用事があるので、やっぱり車で出かけざるを得ませんでした。
野球の試合があるんだからドーム周辺の駐車場は混んでるはずなので、かなり離れた駐車場に車を停めて、バスでドームまで行くことにしました。そこまでするか?と言われそうですが・・するんです・笑。
 

ドームに着いてサブグラウンドへ行くと、トップチームの練習が終わりそうでした。それは諦めていたのでどうでもいいんですが、人工芝の方にU-15のメンバーがおり、ちょうど練習が終わって着替えてる感じなのが口惜しかったですね。
トップチームの居残り練習を熱心に見学しているサポを横目に慌しい昼食(まただよ!)を済ませた頃、U-18のメンバーが集まってきました。
午後1時に集合して、2時半頃になって練習試合が始まったので、かなり待ちぼうけを食らったことになりますが、その間は雲雀の声を聞きながらAチームの練習を見てました。

35分ハーフの練習試合のスタメンは、GK:平加、DF:岩月・加藤(大)・鎌部・福田、MF:小川・伊東・能登・佐藤、FW:玉岡・打矢でした。(メンバーに誤記があったので修正しました:2006.5.17)
お互いに次の日にプリンスリーグ・第3節の試合を控えているので、練習試合に参加するのはレギュラーではありません。

前半29分頃、相手右サイドからの攻撃を止めるため、タッチへ逃げました。この相手スローインから右サイドを突破され、右からクロスを上げられた時点で、中央にフリーの選手がいて、ヤバいと思ったら案の定、そのまま落ち着いてシュートを決められました。

後半は平加に代えて曳地、小川に代えて竹内を投入し、少しフォーメーションを変えました。これで練習試合用のメンバーは全て出場しました。
19分頃、浅い位置でボールをもらった玉岡が、相手を倒しながらドリブルで進んでシュートを打ち、同点にしました。

選手達の動きはコンサの方が良く、プレスも早くて球を奪うことが多く、比較的良いデキでしたが決定力が伴っていませんでした。遠めからMFなどが何本かミドルシュートを打ちましたが、クロスバーを越えて行きました。ナイストライではありますが、逆にかな~り際どいピンチもありました。


コンサU-18(赤/黒) vs 北海高校(緑)(2006.5.13:ドームサブG)
柳下監督や城福さんが居残って視察しています。
 

終了後にバスで駐車場まで戻り、もう一つの用事を足すために墓地へ行きました。
そろそろ墓地の植木に新芽が出てくるので、枝の刈り込みをしなければなりません。植木と言っても小さい木なので大して手間はかからないんですが、形を整えるためには、2・3週間後にもう一度刈り込んだ方が良いみたいです。

墓地の中では、あちこちで桜が咲いていました。
場所によっては、通路の両側で桜が咲いて並木のようになっています。夕方なので他には誰もおらず、絶景を一人占めしてきました。

この墓地には夜に行ったこともあるんですが(私は平気です)、何だか白いモヤモヤした物が見える・・さすが墓場だ(笑)と思ったら、野生の鹿の尻毛でした。こっちに気が付いて振り向いてから去って行きましたが、あれはもしかしたら鹿じゃなかったんでしょうか・・後に付いて行かないで良かったのかも・爆。



post by 雁来 萌

23:52

闘う若梟 コメント(0)

風が吹けば誰かが儲かる

2006年05月13日

先日、東雁来の「札幌アミューズメントパーク」においてプリンスリーグの試合が行われましたが、当日は風が強くて砂埃が舞い上がり、不評だったようなので、少々考察してみます。(なるべく平易な言葉で)
 

【気象実況】
まず、当日の気象実況値をアメダスデータで調べてみます。
気象庁で観測した値は、気象庁のHPの中の「電子閲覧室」で見ることができます。
アメダス地点での昨日・今日の最新値を見たり、地点・要素・日付を指定した観測値を見るなどの方法があります。

2006年5月7日の「札幌管区気象台」と、東雁来に最も近い「アメダス石狩」での観測値を調べてみます。札幌管区気象台は札幌市中央区にあり、アメダス石狩は石狩市生振にありますが、イタズラされると困るので(笑)、詳しい場所は教えません。ちなみに、気象観測を妨害すると罰せられ、意外と重い罰です。

(文字幅が不揃いかも・試合時間帯を着色)
地点 要素 10時 11時 12時 13時 14時 15時 16時 17時 18時

札幌 風速  4.0   4.2   3.6   2.1   2.4   5.1   4.2   4.6   1.5
札幌 風向  東 南東 東南東 北北東 北西  南  北  北  東

石狩 風速   3    3    3    3    5    3    3    3    1
石狩 風向  東  東 東南東 北北西 北  北西  西 西北西 北北西

コンサの試合時刻は14時30分~16時15分でした。この時間帯では、石狩での風速は3~5(m/s)くらい、気象台での風速は2~5(m/s)くらいで、この日の中では最も風が強かった時間帯でした。
でもこの程度の風速ならば、特に強い風というほどではありません。10(m/s)程度になると風に向かって歩き難くなりますが。
一般に「風速」というのは10分間の平均風速のことであり、風には「息」と呼ばれる短時間の強弱があるので、瞬間的には平均風速の1.5倍~2倍の風が吹くことがあります。

風向の変化に特徴が見られます。12時までは両地点とも東~南東の風向でしたが、13時には北寄りの風向に変わっています。これはおそらく、「海陸風」という現象の影響かと思われます。海陸風というのは、晴天の日に陸地が暖められて昇温し、海上との温度差が原因になって午後には海から(この辺では石狩湾から北西の)風が吹く現象です。

試合途中の15時には、札幌では南風、石狩では北西の風になっており、単純に考えると、両地点の間で風の収束(ぶつかり合い)が起っていると解釈されます。そういう状況では、「つむじ風」のような現象も起り得ます。ただし、風というのは観測地点の周囲の地形や建物などに影響を受けやすい要素なので、短絡的な結論は危険です。
 

【気圧配置など】
この日はサハリン付近に高気圧があり、本州中部から低気圧が接近していて、天気はいわゆる「下り坂」でした。風(=空気の流れ)は高気圧から低気圧に向かって流れるので、こういう状況では南東の風が吹くのが北半球での常識です。(南半球では北東の風)

一般に南方から流れてくる空気は水蒸気を多く含んでいるので、暖かくて湿った南東風が吹き、やがて雨が降ってきますが、今回の風はあまり湿っていなかったように感じました。実際に日中の湿度は20%あるいはそれ以下で、これは北海道付近を覆っていた高気圧が大陸育ちであり、空気が乾燥していたし、低気圧はまだ遠くにあったからでしょう。
気温が上昇した(この時期としては珍しく20℃以上)ことも、湿度を下げる効果があります。

ホントに低気圧が接近してきたら、もっと強い風が吹きます。こんな時、練習を見学する側からは追い風になりますが、チームベンチ側は向かい風になり、スタッフや選手はしんどいはずです。脱いだ練習着などをわざとネットに張り付けて乾燥させて(いるように見せかけて遊んで)います。
あまり向かい風が強い時には、ベンチを見学者側に移すという、願ってもない?展開になったりします。
 

※疑問・質問のある方は・・基本的な疑問でも構いませんので、コメント欄に書いて下されば、答えられる範囲でお答えしようと思います。


現代は・・風が吹いても砂埃が立たないし、雨が降っても染み込まないコンクリートの地面、鼠を見たことが無いし、見つけても捕まえられない猫、鼠がかじれない桶、桶は修理しないで使い捨てる・・それがアタリマエだと思い込んでしまう世の中です。


post by 雁来 萌

00:38

気象細事記 コメント(3)

プリンスリーグ得点者など

2006年05月11日

プリンスリーグ(U-18)北海道2006が始まっています。
試合結果や出場メンバーなどは他のブログを見れば分かるでしょうから、ここでは得点したメンバーなどについて紹介します。以前のダラスカップの記事などで紹介済みの選手は省きます。
 

プリンスリーグ第1節の得点者は、1年生の鶴野太貴くんでした。
手許にある資料の中に、2002年の「東急グループ旗争奪UHB杯全道少年選抜選手権」の決勝戦の新聞記事があります。
札幌選抜Aチームのメンバーとして出場し、先制点をアシストした鶴野くんが紹介されており、得点した打矢和祈くんのコメントも載っています。他の紙面では、浦田習くんの3試合連続得点について書かれています。
これらの選手は、次の年にコンサ(U-15)に入団してチームで活躍し、鶴野くんと打矢くんはコンサ(U-18)に進みました。

鶴野くんは、近いところでは2005年3月にナショナルトレセンU-14[東日本]のメンバーに選ばれています。
彼の呼び名は、そのまま「ツル」とか「ツルちゃん」です。首から肩にかけて筋肉が盛り上っているのが特徴で、胸板も厚い感じがします。


東急グループ旗・UHB杯の新聞記事(北海道新聞:2002.8.10)
 

プリンスリーグ第2節の得点者は、門間勇介くん、鶴野太貴くん、岡揚一くん、大西洋平くんの4名でした。
門間くんは今年3年生になり、ユニオンJrユースから入団してきた選手です。呼び名は「モンちゃん」という可愛らしい名前です。(私にとっては、全ての選手が可愛らしいんですけど)

小柄な方ですが、チャンスを窺ってはDFの裏へ突破するタイプです。相手にとっては、イヤラシイ動きをするように感じるのではないでしょうか。
走る時の動作は、必要以上に腕を振らず、足だけが回転してるような感じで、(見てきたような嘘を言いますが、)忍者の走り方を想像させます。
 

チームメンバーの中に対照的な走り方をする選手がおり、後半の終盤に出場した2年生の岩月章太くんは、飛脚の走りだと感じます。まるで重力が半分になったかと思うくらい飛ぶように走ります。
右サイドの最後尾から最前列までを一気に駆け上がる姿は、(足が遅い私から見れば)カタパルトを使って急加速する艦載機のようでもあります。
練習中でも、走ることが楽しくてしょうがないように見えます。


上記の新聞記事の頃、J村で行われた日本クラブユース(U-15)選手権大会に北海道代表として出場したSSSチームが、藤田征也選手の2ゴール1アシストでガンバ大阪を下した記事もありました。



post by 雁来 萌

07:36

メンバー コメント(0)

夕張メロンカップ(U-12)

2006年05月08日

5月3日から5日まで、夕張市において「第18回夕張メロン旗争奪少年サッカーフェスティバル」(通称:メロンカップ)が行われました。

「メロンカップ」と言えば、U-18の大会が夏場にあり、夕張に合宿しているチームが参加して対戦し、コンサ(U-18)は例年、ある程度の成績を収めています。
この大会は、北海道サッカー協会が主催する公式大会ではなく、夕張市や夕張市教育委員会、夕張市農業協同組合が主催し、地区のスポーツ関係の協会の他に、夕張商工会議所や夕張観光協会などが後援する形になっています。

上位チームにはメダルなどが贈呈されるのはアタリマエとしても、大会に参加したチームには、協賛している夕張メロン組合から「夕張キングメロン3箱」が後日郵送されるという、当地ならではの特徴があります。
コンサ(U-12)は今年初めてメロンカップに参加しました。

全道から32チームが参加し、4チームずつの8ブロックに分かれて予選リーグ(3日の午後に1試合と4日に2試合)を行った後、ブロック別の順位によってグループ分けした順位トーナメント(5日)を行いました。
各ブロック1位の8チームによるトーナメントが、決勝トーナメントになります。その他、交流試合なども行われました。
試合時間は20分-5分-20分で、登録メンバー20人の中での交代は「出入り自由」です。

大会会場は「夕張市平和運動公園」の第1球技場と多目的運動広場で、ユース関係の試合でお馴染みの場所ですが、通常のピッチを半分に仕切って、各コート2面ずつを同時に使って試合が進行されました。
隣の陸上競技場は、試合前のアップ用と交流試合用に使われました。
 

5月3日は厚別でトップチームの試合があったので、(いくら私でも)夕張には行きませんでしたが、予選の第1試合は(3-0)で勝ちました。
4日の予選第2試合は(1-0)、予選第3試合は(2-1)で勝ち、ブロック1位で決勝トーナメントに進出しました。


予選第2試合:コンサ(白) vs 旭川GBB(黄/青)(2006.5.4)
FWは前線に張る、MFはスペースに出てもらう、DFは相手FWをマーク
小学生にもできることで、決してダンゴになどなりません。


予選第3試合:コンサ(白) vs 夕張ジュニア(青)(2006.5.4)
右サイドを走らせるか、PA前に浮き球かスルーパスか?

他チームの子供達が、試合会場を移動する途中でコンサの試合を見ながら通り過ぎますが、「なんだ、○○がいないじゃん!」とか「これはレギュラーじゃないわ」とか言ってます。確かに、U-12の他の大会もあるなどの事情で、コンサはベストメンバーではなく、はっきり言うとBチームです。
それを子供達は分かっているんですが、親御さん達は試合スコアを見て「コンサと1点差か・・あまり違わないんだ・・惜しかったな」などと言ってました。そうじゃないんですが・・。
 

5日は雨が予想されました。そんなことにメゲたりしませんが、決勝Tの1回戦の試合開始が8時半なので、6時過ぎには札幌を出発しなければならないことの方が辛いです。
1回戦の相手は「芽室」で、雨が断続的に降る中での試合でした。
テクニックには少し差があり、コンサがかなり攻めてます・・が、相手の体格が良くて跳ね返されることが多く、思うように進めません。絶好機を外したりもして、前後半で結局得点できませんでした。

延長戦は無くてPK戦になりますが、実は過去のPK戦にはあまり良い記憶が無いんです。GKは決して悪くはなく、チーム全体がPK戦に慣れていないのかも知れません。無得点で引分けに終わってしまった段階で、既にショックなんでしょう。
PKの4本目はコンサのキックが相手GKにはじかれ、5本目は相手のキックをGKが触ったけれどもゴールに入って(3-5)で敗れました。


決勝トーナメント1回戦:コンサ(白) vs 芽室(赤)(2006.5.5)
PK戦に向かう選手達
 

結局、優勝したのは芽室チームになりました。後で聞いた話では、芽室チームの指導者は十勝地方では知られた方で、指導するチームを強化して好成績を収め、その方が去るとチームが弱くなってしまう、というほどの有能な方だそうです。
 

今冬の夕張は雪が多く、市街地でも日陰には雪が残っていました。石炭の歴史村やメロン城がある奥の方は雪がたっぷりあり、雨天のせいもあって人影はほとんど見えませんでした。

来月には、クラブユース選手権(U-15)の試合(4日、17日)や、クラブユース選手権(U-18)の決勝戦(25日)があり、また夕張に行くことになっています。サテライトの試合もありますが。



post by 雁来 萌

23:59

闘う若梟 コメント(0)

雁木は「がんぎ」

2006年05月05日

ユースの聖地になった(←いつから?)東雁来練習場やアミューズメントパークが建っている辺りは、正確には「東雁来○○○-△△」という住所ですが、(私は)大雑把に「雁来」と呼んでいます。その「雁来」という地名について気になることを少々書いてみます。
 

付近を通る中央バスの路線には「雁来」という停留所があり、これが最寄りのバス停になります。でも、その2つ西寄りのバス停は「雁来東」という名前です。(西側にあるのに東ですよ)
市の中心部の方から来ると、「東雁来○条△丁目」と呼ばれる住所のあたりでは、バス停が「雁来西」→「雁来中央」→「雁来東」という順序になっていて、ここまでは地理上の法則に従っていますが、その先に再び「雁来」が出てくることになります。

最近、付近の農家が取り壊され、新しい住宅がどんどん建てられているので、将来は停留所の名前が変わるかも知れません・・「サッカー場前」とか「雁来パーク南」とか「雁来大橋西詰」とか・・個人的には「萌れ沼通東」を希望、「たまねぎ畑」は住民の反対により却下。(^-^;)
 

「雁来」を間違えて「雁木」と書かれることが時々あります。例→分家がこうだから、本家もこうなる。
「雁木」と書いたら「がんぎ」と読み、「こみせ」と同じ意味です(漢字では「小店」や「小見せ」と書く)。
これらは、雪が多い地方で歩道が雪に埋まるのを防ぐために、軒から庇(ひさし)を伸ばして雪をさえぎる構造物を指しますから、アーケードの走りのようなもんです。→この辺を参照。

明治時代から「雁来村」だった由緒ある地名のようで、その由来は「雁が飛んで来る」とかいう説もありますが、地名のことには深入りするとキリがないので止めます。間違っても「雁が鳴いて東の空へ飛んで行く」から「東雁来」じゃないことは確かでしょうけど。
旧暦の八月は「雁来月」とも書かれるそうですが、読み方は色々あるらしくて、「かりきづき」とは限らないようです・・これも深入りしたくない・笑。
 

「雁来」の地名が歌詞に出てくる歌があったそうです。
昭和40年頃にヒットした「484のブルース」という歌ですが、曲名の中の「484」とは、札幌刑務所の住所表示であった「苗穂町484番地」に由来しているらしく、歌詞では「ここはその名も雁来町」と歌われています。
番外地じゃないだけマシとしても、本当は「その名も苗穂町」とすべきところですが、「苗穂」だと実りの豊かさを感じさせるので、街外れの「うら寂しさ」を感じさせる狙いから「雁来」に替えたんだろうと想像します。
(↑2010/11/15追記:2番の歌詞の最後が「今宵わかれの苗穂町」らしいです。)

この歌は、雁来出身の「荏原」(エバラ)という渡世人がモデルになっていると言われており、彼は出身地と苗字とから「雁来のバラ」あるいは「枯木のバラ」と呼ばれていたようです。以前の記事を連想させるような呼び名ですね。

現在の札幌刑務所は、作業所で作った家具などを安く買える所、というイメージですが、昔は周囲が原っぱで狐や狸が出たんでしょう。
刑務所の話で締めるのは青少年向けじゃないので、イオン札幌苗穂ショッピングセンター内に「雁来街道・路地裏横丁」という飲食店街(主にラーメン屋)があるのを紹介することにします。練習場からの帰りに買い物に立ち寄るんですが、この薄暗い飲食店街は素通りしただけで試したことがありません。雁来街道は国道275号線のことです。


post by 雁来 萌

21:45

周辺環境 コメント(2)

児童虐待にあらず

2006年05月02日

雁来で、4月29日(土)の午前にユース(U-18)vs岩教大の練習試合があり、翌30日(日)の午前にはユース(U-18)vs道都大の練習試合がありました。
スコアや出場メンバーなど、詳しくは他のサイトに書かれているので、ここでは午後に行われたU-15やU-12の練習について書きます。


コンサU-18(黄ビブス) vs 道都大学(水色)(2006.4.29)
 

29日には、札幌選手権大会(U-15)のクラブブロック予選の1回戦が江別で行われたので、雁来に集まったU-15のメンバーは2年生と1年生だけでした。
この大会は、今年から日本赤十字社がスポンサーになって、「日赤アンリー杯」という冠が載りました。
クラブブロック予選(今年は21チームが参加)を勝ち上がったチームが全市大会へ出場できます。一方、86チームを4ブロックに分けた学校チームからは、4ブロック×各3チーム=12チームが出場でき、合計16チームでトーナメント方式の全市大会を行います。

人工芝ピッチの手前半分をU-15の練習に使い、奥側の残り半分をU-12の4年生が使って、U-12はSSSチームと練習試合をしていました。こういう日は観客が多く、駐車場やトイレが込み合います。
 

30日のU-18の練習の後は、やはりU-15とU-12が半分ずつ使いました。
U-15の3年生は昨日試合があったから今日はオフか?とも思いましたが、そうは問屋が卸しません。

ピッチの奥の方では、U-12の6年生とU-15の1年生が練習試合を始めました。
この対戦は、児童虐待に見えるほど反則的で、かなり厳しい試合でした。体格や馬力に相当の差があるので、小学生は飛ばされて転がるし、シュートのスピードも違います。
勝敗は明らかで、中学生が得点を重ねていきますが、小学生だって、ただ負けてなんかいません。テクニックはそんなに違わないので、何とかボールを運んで攻めようとします・・が、ほとんど潰されてしまいます。

どっちを応援したくなるかは明白で、見てるのも辛いんですが、ここは心を鬼にして見ていなければなりません。U-12はGWから大会が始まるので、鍛えておかなければタイトルを防衛できませんから、選手もスタッフも懸命です。
 

U-18チームはGW中に合宿し、帰って来てすぐの今週末には、プリンスリーグが始まります。
6日(土)の11時から第1節のvs札幌光星高校@厚別、7日(日)14時半から第2節のvs駒大苫小牧高校@札幌アミューズメントパーク、が行われます。

他のそれぞれのカテゴリーでも(と言うか、学年別に)、秋までほとんど休みなく大会が続きます。選手ばかりではなく、サポーターも年々衰えるばかりの体力と記憶力を鍛えておかなければなりません。



post by 雁来 萌

00:25

日々精進 コメント(2)

函館戦争回顧(敗走の段)

2006年04月28日

我らの魂娑闘霊教団が函館戦争で敗北を喫したため、宗敵の追手どもから逃れなければならなくなりました。

逃走の詳しい経路や日時を記すと、残党狩りの追手に潜伏先を察知される恐れがあるので、要所のみを説明するに留めます。途中までの経路は他の門徒と類似しているようなので、そちらの手記の前偏後編と比較しながら読まれることをお勧めします。
 

決戦の翌朝、どちらの方角に逃げれば良いのかを判断するために、星型をした砦の横に立つ物見櫓に昇ることにしました。
この物見櫓は、鋼鉄の「とも綱」と「つるべ車」とを用いて、方形の籠を上下させるからくりを用いており、妙齢な娘の案内に従って籠に乗り込むと、瞬く間に上層の物見台へと到着したのです。
物見台の 四方 五方は「ぎやまん」の板で囲まれており、雨風を防ぐとともに見通しが良い巧みな造りになっております。さらに、敵の動静を伺う遠眼鏡や、櫓をよじ登って来る曲者を発見する覗き窓も備わっておりました。

砦の構造・配置を記した見取り図や、諸派の兵法書なども供覧されており、深く得心すると同時に、万一これらが宗敵の手に落ちたりすれば、我が教団にとっては存亡の危機に陥るという懸念も感じました。
至る所に「どかた」と申す侍の肖像を描いた護符が貼られており、この蝦夷地にさえも彷徨っている平家の亡霊を近寄らせない目的なのでしょう。

下層の土間に降りると、蝦夷地の村々から献上された産物などが誇らしげに並べられており、篭城の折にはそれらを糧食として転用する備えと思われます。
ひもじさに堪え兼ねた門徒の中には、言われるままに多額の金子と引き換えて僅かな携行食を受け取り、その場にて食する者もおりました。戦とは田畑ばかりか民の心までも荒れさせるものであり、商人とは如何なる世でもしたたかに生きる術を備えているようです。

魔除けのためか、前述の侍の偶像や「誠」と記した護符・装身具などを娘どもが競って買い求めており、霊験あらたかな護符のようです。しかしながら娘どもの顔立ちを窺えば、必ずしも魔除けを身に付ける必要があるやなしや。

多くの門徒達は、噴火湾沿いに第五街道を北上し、あわよくば途中から早馬街道に移りて郷里を目指すものと思われます。しかしながら、手前の山越内に設けられた関所を通るのは危険であり、多少は遠回りになるものの、人家が少ない日本海側の海岸伝いに北上する経路が比較的安全であろう、という結論に至りました。

茂辺地を過ぎて渡島当別に近付き、山麓に築かれた女人禁制の切支丹城が見えてきましたが、異教徒の呪文が聞こえない距離を保って立ち去り、正月の寒中みそぎで知られる木古内の佐女川神社に詣でる時間も惜しいので、知内の駅逓所まで進んで一休みしました。
各地の駅逓所には、ご当地の名所旧跡や名産品を象った印判を備えてあり、自ら集印帳に押印して旅の記録を残すとともに、集めた印判の数を競う趣向もあるようです。まるで四国八十八箇所を巡る遍路旅において、霊場ごとに朱印を頂戴するような有難味を感じます。

山道に入って千軒に差し掛かると、残雪の量が多いことに気付きます。標高がやや高いことも一因ですが、この一帯は夏場でも雨量が特に多く、蝦夷地内でも有数の多雨地域として知られています。
福島の駅逓所には立ち寄りましたが、相撲道の聖地は参拝しませんでした。近在の村では「女相撲」などという、はしたない競い合いも奉納されるとのことですが、恐いもの見たさを押し殺して先を急いだのです。

我が教団と松前藩とは親交関係にありますが、それ故に敵方の探索も厳しいと察せられるので、福山城のご天守を遠くに望みながら、そそくさと通り過ぎました。
ここから先は右手に急峻な山地が迫る道が続き、左手には日本海から荒波が押し寄せています。道を踏み外せば、せっかく拾った命を失うことになるので、松前小島や渡島大島などの島影を愛でる余裕はありませんでした。

やっとのことで上の国の駅逓所に辿り着き、断崖の上に構えた茶屋で昼食を所望しました。丼に盛った飯の上に、雲丹や鮑、鮭とその魚卵、鮪、烏賊、海老などの切り身を乗せてあり、下の飯が見えないのです。この地では、年貢を軽くする工夫として、安価な魚介類を用いて高価な白米を隠す手法を編み出したようです。

街道に面している笹浪家に立ち寄りました。鰊漁が栄えた時代に普請された由緒ある屋敷は、ご当主が住まわれていた頃にも訪れたことがありますが、後に当主・奥方ともに他界されたため、屋敷や蔵を修復して旅人にも公開されています。
床の間には円空の作と伝わる煤けた木像仏が鎮座しており、この仏は、蝦夷地の首府において昨年開催された円空仏の展覧会に出展されたそうです。それを観覧したことを案内役のご婦人に伝えると、たいそう喜んでおられました。

上の国のすぐ先は、江戸をも凌ぐ栄華を誇った江差になります。甲高い声を張り上げる謡曲の競い会いは耳障りなので、街外れにある駅逓所まで足を伸ばして休みました。繁次郎(すぃげずろ)と申す知恵者を称えた像について地元の者に尋ねてみましたが、この辺りで使われる言葉は訛りが強く、まるで異人の話を聞くようで要領を得ませんでした。

脇街道に入って厚沢部の駅逓所に向かう途中、奉行所の役人や手下どもが集まって、不届き者を探知する怪しげな器具を道端に据えておりましたが、易々とそんな罠にかかる旅人などおりません。昨年、『寺子屋の師範が厚沢部の街道で26里(13里超)でお縄になる』という捕物があったせいでしょうか。

さらに進んで乙部の元名台という駅逓所に着きました。夏場ならば、このあたりの海辺は水遊びや魚釣りに興ずる人々で賑わうようですが、乙部と聞いてまず思い浮かんだのが葡萄酒でした。
知内でも見かけましたが、我らの門徒と思われる人物達とすれ違いました。身なりや所持品を見れば同胞であることは明白ですが、敗走の途中なれば名乗り合うことも叶わず、ただ互いの身を案じて目礼を交わすのが精一杯でした。

獣の形をした奇岩が立ち並ぶ海沿いの道をしばらく進むと大成に着き、駅逓所には・・何もありませんでした。ここも所詮、夏場の水遊びのための厠に過ぎないのでしょう。旅人に売るような品はほとんど無く、集印帳を売るためだけに滞在しているような看板娘が店を守っていました。

道がさらに険しくなったかと思うと急に山中に入り、再び海岸に出た地が瀬棚です。杉には見えないような太い岩塊が、確かに三本並んでいます。刀剣の刃紋にも「三本杉」と呼ばれる文様がありますが、それにも似ていない代物でした。
近くの海上では、巨大な竹とんぼのような白い羽根がぐるぐる回っておりました。あの羽根で風を起こしているのかと思いきや、逆に風の力で羽根を回す「かざぐるま」だとは思いも寄りませんでした。しかし一体、何の役に立つのでしょう・・沖を通る船の目印にする位しか思案が及びません。

狩場山の残雪を眺めながら茂津多の岬を越え、「よってけ!」と誘われた島牧の駅逓所に立ち寄ると、既に門は閉ざされていました。上の国での逗留が長過ぎたようですが、暗くなれば追手に発見される恐れも少ないので、この先は内陸の街道を進むことにしました。

その後は提灯も持たずにひたすら夜道を歩き続けたため、どこをどう通ったのか見当も付きませんが、追手や役人に捕えられることもなく、何とか郷里に帰り着くことができました。

これもひとえに、教祖様のご加護とお導きのお陰に相違ありません。


ということで(どういう?)、カテゴリーを増やしました。
「蝦夷の細道」というカテゴリーには、道内を旅行した際の紀行文を集めます。
今回のような文体にはなりませんので、ご安心を。


post by 雁来 萌

00:07

蝦夷の細道 コメント(0)

雁来に花を咲かせましょう

2006年04月26日

札幌アミューズメントパークの周辺に植樹して森を作ろう、という構想があるようです。さらに池を造ったりしてビオトープにしよう、という方向のようです。

児玉社長のブログコンサの森とビオトープにおいて、東雁来練習場の「道路側に植樹したことがあったといいますが、その後の道路工事もあって、今は樹木はほとんど見当たりません。」と紹介されているので、エントリーする予定だった話を膨らませて説明します。
 

ここに植えられているのはハマナスで、アカシアやプラタナスの並木を連想されると辛いです。ハマナスは「草」じゃなくて一応「木」ですが、背丈が低いので生垣にするのが精々で、あまり目立ちません。道路工事の影響で枯れてしまった株も確かにあります。

この植樹は、2004年当時にサポートシップスポンサーであった「ASA札苗」様から贈られたもので、「ASA札苗」様は、東雁来練習場に最も近い朝日新聞販売店です。

2004年は朝日新聞創刊125周年、朝日新聞北海道支社創立45周年に当たり、その年の朝日新聞グループによる「花おりおりin北海道」朝日&HTB花キャンペーン(長っ!)の一環として、ハマナスの苗木プレゼントを実施したところ、コンサU-15チームが当選しました。


プレートを囲んで並んだU-15の選手達(2004年当時)
(朝日新聞発行のチラシの一部をスキャン)

「ASA札苗」様からハマナスの苗木45株とプレートが贈られ、選手やご家族の手によって、粘土の中に砕石が混じっている固い地面に穴を掘り、肥料も施して苗を植えました。


プレートを拡大(2004.6.26)

元々、ハマナスは荒れ地にも耐えるバラ科の植物で、あまり世話をしなくてもある程度は勝手に育つんですが、東雁来の土壌は砂漠のような環境です。粘土に水をやっても地表を流れるばかりで、あまり地中に浸透していきません。親御さんなどが水をやったり囲いを作ったりしてるんですが、気付かずに踏まれたりもします。

冬場に積もる雪はどうしようもなく、春にはすっかり押しつぶされた状態で姿を現し、枝もかなり折れてしまいます。一応、地面から新しい枝は出てきて、花が咲いたり実がなったりしますが、毎年そんなサイクルを繰り返していては、大きく育つまでに時間がかかり過ぎます。

厚別公園競技場の周辺では、あちこちに立派なハマナスの株が植樹されています。「北海道の花」として指定されているし、「はまなす国体」が開催された競技場ですから当然で、競技場に通じる道路が「はまなすロード」と呼ばれているのはご存じの通りです。雁来のハマナスも、いつかは立派な株に育ってくれれば嬉しいんですけど。


越冬したハマナスの並木(の一本)(2006.4.8)
まだ葉は出ておらず、古い枝(細くてツルツル)と、
今年の新しい枝(太くてトゲトゲ)が共存しています



post by 雁来 萌

23:26

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函館戦争回顧(戦闘の段)

2006年04月25日

※この回顧談は妄想の産物であり、登場する人物・団体などの名称は架空のものです。
 

我らが魂娑闘霊教団およびその門徒達は、邪教を信奉する宗敵により度重なる迫害を受けて参りました。砂を噛む思いで不当な弾圧や蔑視に堪え、様々な職人の姿に身をやつして、人目を避けながら毎日つつましく暮らしていたのです。

加えて、豚肉を海鼠状に固めた生臭い食物を神体として崇めている、排他的な棒球教団によって、我々の約束された土地が侵略され続けており、崇高な我が教団に対するこれ以上の狼藉を許すことができません。

恨み重なる宗敵を排除して我らの大地と家族と生活とを守り、失われかけた栄光を復活させることを期して、おびただしい数の門徒衆が松前藩の出城に集結したのです。
聖戦に備えて、敵の好物である柏餅を絶やすために買い込み、地元の商家・長谷川家の謹製による携帯兵糧も携えて、篭城の準備を整えました。
 

この戦のために築かれた城内の野外講堂において、教団専属の歌舞団による華麗な舞を奉納しつつ盛大なる祭礼を執り行い、梟の化身である我らが教祖様への絶対的な忠誠を誓って、邪悪な侵略者どもを迎え撃つ聖なる闘いを、武者震いしながら待ち構えておりました。

十里四方にも轟く太鼓の音とともに合戦の火蓋が切られるや、門徒達は二本の棒で張った筵旗を両手で掲げたり、棹に帆を巻いて作った大旗を打ち振ったり、手に手に赤い手拭いやら褌やらを持って横に広げる者は数知れず・・と同時に、教祖様の御真影が描かれた「きんと雲」の如き巨大な風呂敷を、寄ってたかって頭上で波打たせて敵を威嚇し、我らが戦士達を勇気付けたのです。

柳の木の下にお住まいになる、やんごとなき将軍様の指揮に従って戦士達は奮戦し、一時は宗敵を打ち破って蝦夷地から放逐するほどの勢いを見せたのでした。
積年の艱難辛苦から開放されるであろう次の世を想い浮かべ、豆の蔓をよじ登って天に達する少年のように、爽快な気分に浸っておりました。
 

しかしながら、忠臣と見せかけて謀反の大罪を犯した戦士や、己の戦闘技術を過信した戦士の軽薄な振る舞い、鍛錬を怠った戦士達の見当外れな射的、古典的な軍装、慢性的な兵糧不足など、我が教団には不利な条件が多く揃っていました。

勝負は時の運と申しますが、我らは運にも見放されたのでしょうか・・津軽海峡の潮の流れと共に形勢が逆転するのに、さほど時間は要しませんでした。

わずかに一矢を報いることはできたものの、あろうことか、その射手が実は裏切り者だったのです。後になって冷静に考えれば、彼が敵陣地の方角に駆け寄って喜びを表わしていたことに気付くべきでしたが、我らは予期せぬ勝利の瞬間を空想して浮かれていたため、敵に内通しているとは疑いもしなかったのです。

おそらく敵の一味である忍びの者どもが、呼び子を鳴らしたり、懐から黄色い紙やら赤い紙やらを取り出して裏切り者に合図を送る一方、側方からは怪しい色の小旗を振って、我らが戦士達の目を眩ませておりました。
何分にも、愚直に正々堂々と闘うことを常としている我らが戦士達にとって、このような卑劣な戦法は想像だにできず、対抗する術など持ち合わせていなかったため、敵の術中にまんまと嵌ってしまいました。
 

勝敗が決して後、戦士達は法輪を前後に備えた箱形の馬車に飛び乗り、一目散に蝦夷地の奥深くへと落ち延びて行きました。
門徒達も散り散りに敗走したため、仲間がどうやって逃げ延びたのか、互いに知る由もありません。ある者は松前藩の親類を頼って福山城にかくまわれ、ある者は江差の豪商の使用人として身を隠しているとも聞き及びます。千軒岳の麓の切支丹部落に命からがら辿り着き、介抱されて切支丹に改宗してしまった者もいるとか。


げに、慢心とは人の心の常なれど、恐ろしき事かな。


post by 雁来 萌

00:48

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