コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2021年06月22日

気持ちの悪い言葉たち

昨日から「緊急事態宣言」から「まん延防止等重点措置」に移行したとかで、ニュースでは飲みに出かける人へのインタビューなんぞもあったわけだけれども、何だかなあ、という感想しかまず出てこない。

そうまでして飲みたいものか。

個人的には飲酒は不得手ではないけれども、そうまでしても飲まないといられない性質でもないし、なくても困らないから、こうした大騒ぎにはちょっと引いてしまう部分はある。


で長くなるとあれなので略するところの「まん防」。何と気持ちが悪い言葉か。
「緊急事態宣言」と比べれば、色々基準値が違うらしいけれども、根本は変わらない。

何だか無理な造語に辟易してしまうのだな。


そういえばコロナ禍の始まりの頃、今でも変わらないが「自粛要請」というのが盛んに出てきて、これなんかも矛盾する言葉であり、無理やり使うことで当たり前のようになってしまったけれども、当然ながら自粛は自らが行うものであって、要請されてすることではない。

言葉を壊すという部分では、あのフリップ芸もそうだけれども、補償も十分でないところで強制されるのではかなわないというだけであり、未だ苦難の人々の声は大きく伝わらない。


最近では「発出」とか「人流」という表現も出てきているが、これとてこうしてブログで変換しても出てこないくらいの造語であろうに。

いや何とも気持ちが悪いだけでしかなくて、これを平気で使う神経を疑うレベルであろう。


最たるものは「自宅療養」ということばだろうな。
一見不思議ではない表現でも実態は違うだろうということで、医療行為をしているわけではないのだから単なる「自宅待機」だろうと。

こうした何となくやっている風の表現が一番厭らしい。

毎日の感染者数や死亡者数のニュースが出るけれども、その増減で一喜一憂はしない。ただまあ言う方は何も感じないだろうが、個々の数字の中にはそれぞれの背景があるので単なる数字でというのも気味悪い。

ただかなり前になるが「自宅療養」という名の、実態は「自宅待機」で札幌市内だけで一日で4人が死亡というニュースを見た際には戦慄を覚えた記憶がある。
何も医療行為がされずに無視されたまま亡くなられたことは、本当に申し訳ない気分にしかならない。
その辺への追及は甘いよなあ、という当時の感想は今も残る。


まとまりがないが、コロナ禍での言葉の乱れを考え出すときりがないという話だけは主題である。

posted by akira37 |04:41 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)