コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2020年05月24日

こんな時に思い出す

昨日は結構な時間を断捨離に割いていたような一日ではあった。

そして夜になってBSではまた過去の試合の放送。
昨夜は20年前の天皇杯決勝で。

そうね、全てストイコビッチのための試合だったと。
いやああの華麗なプレイは今見ても凄いと言わしめるのだな。


とそこから昔のことを思い出す。

私が初めて行ったアウエイの試合のことを。
2001年のJ1第1ステージ第14節、場所は博多の森。ウイルの2発で快勝した試合である。

実はそれまで博多の森は相性が悪くて、未勝利であったように記憶しているのだが、これ以後はむしろお得意様のアウエイ会場となっていくのだな。

どんなきっかけでもいい。
現在我サポートチームがずっと苦手にしていた静岡県内でのアウエイ試合が逆にお得意様状態になるのは、2013年の磐田との天皇杯の試合だったな、とか。

話がそれた。
先述の博多の森の試合がどうストイコビッチにつながるかといえば、試合後知人に勝利の電話報告をしたら、彼は瑞穂にいて引退前最後のホームゲームを見ていたのだそうな。
その試合は延長Vゴールがストイコビッチで、あまりにも劇的な最後に興奮して話していたことも思い出したところである。

ついでながら名古屋のスタメンにはその後うちに来る西澤の名前があるのだが、そういえばフリューゲルス最後の試合になった1999年元日の天皇杯決勝の時には相手の清水にいたし、私が初めて道外で見たサッカーの試合である2000年のナビスコ杯決勝の時はフロンターレにいたし、何かと節目には縁のある選手だなと思った次第である。


この時間帯は本来であればJリーグの中継があるのだが、ずっと過去の試合をやっていて。
次の今月30日は2011年の女子W杯決勝をやるのか。
あの試合は生でも見ていたし、録画にも残しているけれども、また興奮して見るんでしょうなあ。

posted by akira37 |04:22 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(0)

2019年03月12日

あの翌日の記憶

昨日と言えば、勿論あの日であることを今更書くことではないのではあるが、その翌日のことの方がむしろ話題が多いことで8年前を振り返る。


3月12日という日は、あの「くまモン」の誕生日とされる日である。

あのプロジェクト自体は前年からあったわけであるが、この日が当てられているのは、当日がJRのダイヤ改正日で、2011年3月12日は九州新幹線の全通が最大の売りでもあったのだな。

しかし前日の地震発生で、直接的被害がない現地とはいえ、行事が縮小・中止になったのは致し方ない部分である。


2011年のJリーグはその前の週末に開幕していたのであるが、この地震を受けて第2節以降の試合中止を即座に決めて、12日に予定してたコンサのホーム開幕試合もなくなってしまったのだな。

あの時はイベントの一つに「ジャイアントキリング」に出てくるETUのマスコットの来場が予定されていたのだが、これも勿論なくなったと。


札幌市の大きな話題としては、のちに正式略称「チカホ」となる「札幌地下歩行空間」の開通日であったのだが、こちらも派手な行事は自粛となったと。

当初前日に帰蘭予定だった私は、JR・都市間バスとも運行中止になった関係で戻れなくなったから、その日の朝様子を見に行けることになったのではあるのだな。

ええ微妙な空気でしたと。


その日だけでなく、その後のことの記憶として、タイミングも何も書いて見たくなっただけのことではありますが。

posted by akira37 |04:41 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(0)

2018年11月13日

「11月12日」という日

いやあ、昨夜TL上が賑わっていると思ってみていたら、昨日はあの日だったんだなあと。

そう2年前、フクアリでアウエイ千葉戦があった日で。
今更繰り返すまでもないが、内村の後半アディショナルタイムでの逆転劇というのは、何度見ても興奮するものであるが、わずか2年前とも言えるんだよなあ、と。

当時緊急参戦を決めたものの、飛行機の便は当然直近でとなると高い。
ところがどなたがJAL様の成田便だと安く行けるという情報が出て、キックオフが13時だったから日帰り可能なダイヤでもあったので、そんなんで行ったのだな。

今や日帰り参戦は珍しいことではないけれども、成田経由は現在に至るまでこの時限り、実際他の用件もなく参戦オンリーというだけでも貴重な記憶であり、かつ記憶に残る価値あるものになったのではあるんだな。

もっとも劇的な割には個々の印象は薄いのであるが、前半リードされても不思議と負ける気はしなかったのは、今でも不思議ではある。


ちなみに日付で言えば、11月12日は平成2年に現在の天皇陛下の即位した日でもあったのだな。

個人的にはもっと身近な話題があって、私の一番上の姪の誕生日でもあって。
ということで昨日は28歳の誕生日だったのか。
もうそんなになるのかって、今や2児の母でもあって。

まあ、そういうことではある。


最初の話に戻れば、あれはわずか2年前だったことに驚く。

個人的には結構昔になってしまった感覚があって。
しかし、今年チームとしては初めてJ1を2年連続残留を決めただけの事実しかないわけで。

冷静になれば、不思議なことでもあるのだな。

posted by akira37 |04:41 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(0)

2018年11月09日

厚別での浦和戦に寄せて

まあいろいろ言われてきましたが、もう明日に迫ったわけです。

でふと思い立って振り返ろうとしたときに、ちょっと過去を調べてみて書きたくなった次第。


厚別での浦和戦と言えば、あの2000年の伝説とも言える試合以来になるわけですが、そもそも過去厚別でやったのはこの一試合だけなんですな。

コンサのJリーグ元年の1998年のホームは、仙台での試合でしたしね。

2000年のJ2リーグは11チームによる4回戦制でした。ホーム2試合のうち1試合は室蘭だったわけですが、この試合は有珠山噴火の影響で当初の予定から延期になったものです。

当時は奇数チームでしたから休みの節がありまして。
コンサ的には第1・2節がアウエイ、第3節休みで、第4節にしてようやくホーム室蘭開幕も平日の昼間という、恐らく今後もないであろう唯一の経験。その次のホームが浦和戦の予定でした。

また第2クールが終わった時点で一週間休みになりましたから、延期試合はその中断週に組み込まれ、かくして7月にホームで2試合浦和とやったのでした。

室蘭での試合は延長まで行ってのスコアレスドロー、相手のスタメンには小野がいたわけですが、わずか2週間後の厚別では小野は海外移籍でいなくて、河合が交代出場した記録があります。でも印象には残っていないんだよなあ。

で試合結果は改めるまでのないことでしたね。


まああの試合の記憶の一つとしては、アウエイゴール裏で発煙筒を焚いた事件があったことでしょうか。

またドーレくんがアウエイ側に挨拶に向かって危険な目にあいそうになったこともあったように記憶しています。

今日はこのあと雨の予報ですが、明日は雨マークが取れているので観戦上の荷物は減らせるでしょう。
また気温の方も奇跡的に低くはならない模様なので、極端な厚着も必要ないかと。


そして熱くなりすぎないように明日は励みましょう。

posted by akira37 |04:41 | アーカイブス | コメント(1) | トラックバック(0)

2018年03月12日

気の重い入り

「最高の週末」とはならなかった結果を受けての昨日であったので、まあ何とも微妙なことではある。

まあ単純に前向きにはなりにくいのは事実であるが。


昨日は「あの日」であった。

いつもは何事もなかったようにしていても、急に関連番組が増える。
忘れないようにしているのはいいのかもしれないが、迎えるたびにその時だけでいいのかとの思いは大きくなるのだが。


7年前の今時分のことは鮮明ではあるのだな。

承知の通り、Jリーグは早々に試合中断の決断を決断して。
本来であれば3月12日はホーム開幕戦日となるはずだったのも延期されて。

あの時はジャイキリのマスコットが来る予定だったのだよな、とか。

札幌でいえばチカホの開通日であったのだけれども、式典は中止になったし。

九州新幹線延長部分の開業日でもあったのだが、こちらも式典は中止になったと。

個人的には地震発生日の夜にJRも高速バスも運行しなかったから、帰蘭が無理になったのだが、幸いレンタカーは借りられたから、翌日それで戻ったとか。


あの年のリーグ開幕はアウエイ愛媛戦だったのだが、当時GKはホスンで、相手にはエヒメッシがいて、いいとこなく敗れて。

またしんどい年になるのかと思っていたけれども、最後はJ1昇格を果たすのだからわからないのである。

いやだから一昨日の試合結果があれで、また簡単に馬鹿阿保言うとか、絶望するとか、ネガティブになったところで良いこと無いのだよ、というこじつけではあるのだが。


とはいえ、やはり気分はしんどいか。

まあね、仕事的にはまた難関が待ち構えている部分があるので、安閑とはできないのでね。

しっかりと乗り越えましょう。

posted by akira37 |04:41 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(0)

2013年02月21日

2002年のシーズンパス

1361388205-2002.JPG

ちょっと上手く撮れていないけど、これが実物である。

コンサが旧JFL時代・J加盟時点では、私自身の勤務地が室蘭だったので、シーズンパスを所持はしていなかった。
2001年夏に札幌に転勤となったので、2002年から所持するようになり、これが自身第1号。以降今年で12シーズン目になる。


今回のネタは、あるときふと思い立っての理由がある。

改めるまでもなく、彼らはその後コンサを出てJ1でも主力なっていくのであるが、改めて見れば、今年はコンサがJ2なのに、彼らの所属チームと対戦するのだという事実を認識したからであって。

うーん何とも微妙な気分。


因みにこの裏には日程が載っているのであるが、今にしてみれば興味深い内容ではある。

まず開催地であるが、厚別はわずか3試合しかなくて。
こんなに少なかったのだろうか、というのが第一印象。
そして開場時間は、ドームの場合キックオフの3時間前だったということ。

まあ当時はまだ公が来ていなかったのだから、自由に使える機会は多かったのだから、観衆面での対応も必要だったということだろう。

今からすれば、当然に複雑な気分になってしまうのだがね。


2002年といえば、日本でW杯開催があった年で。
札幌ドームは前年開業していたのではあるが、その準備のためにシーズン当初は使えない。

W杯中断前の日程は、まずもってドームがないときと同じ状況であった。

ホーム開幕は前年同様に春野で。今ではありえないが、アウエイ3連戦があり、残りのホームは室蘭と函館のみ。

ナビスコはこの年からJ1のみで、予選リーグを4チームによるH&A6試合となったのだが、確か「ホット6」とか言って、すべて中2日、GW中心に集中開催したのだな。
コンサのホーム開催は、3試合とも違う場所、厚別は初の4月開催があって。という状況ではあったから、6試合すべて違う場所ということでもあった。

現在水戸の監督をしている当時のコンサの監督の顛末については、あえて触れない(苦笑)。


昨日スケジュールポスターが出てきた。

恒例により、私もポスターサポーターに参加する。

毎度思うことではあるのだが、デザインは贔屓目があるにしても他チームにひけをとらないと思っている。
それだけに奈良の背番号が昨年のままで見えてしまっているのは惜しい。


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2012年09月07日

初戦はいつも苦労する

昨夜の代表戦は、例によって音を消しながら時々見やる程度のお付き合いで。

まあ実にしょっぱい試合というか、UAEにはむしろちゃんとやってくれたことで感謝したいくらいで、別な面で言えば引き締める材料が出てよかったのではないのでしょうか。
コンササポ的にはマイク(勿論ハーフナーの表記は間違っていないのだが、我々にはディドもいたから、区別するにはこちらの方がピンと来る)のゴールがあったから、多少はおいしかったけれども、ならば札幌ドームでやった時にも出て欲しかったと考えるのは、自然の成り行きではある。


と今日のメインはそちらではない。

タイトルで察しがついたとすれば、長年のサポとも言えるのか、このことはコンサの天皇杯に関する表現ではある。

しょっちゅうレギュレーションが変わるから、単純な比較は無理であるのだが、少なくとも楽な試合にはなっていない。


個人的には道内でやる試合をちゃんと見るようになった2000年以降について触れてみる。

2000年-2試合目となる2回戦が入江であったのだが、数少ない爆勝ではあった。まあ高校生相手に8-0ですからね。リーグ戦では無得点に終わって、そのシーズン限りで引退した現熊本監督にゴールさせた、というほのぼのとした記憶ではある。

2001年-初戦は道外で見ていない。当時J2の川崎Fに延長Vゴール負け。

2002年-これも道外で見ていない。しかも当時J2の大分に0-5という大敗であったのだが、それ以上に屈辱的だったのが、他の試合の兼ね合いで11時開始という前座扱いにもされていたことではあった。

2003年-ホームでの初戦は2回戦の入江であったが、大学生相手に3-2の辛勝。寒い記憶しかない。

2004年-最終的にベスト8になるのだが、初戦となる3回戦が入江で、ホンダロック相手にようやく延長Vゴール勝。

2005年-初戦3回戦が入江で、当時JFLの佐川急便東京に0-2で完敗。入江での天皇杯連続勝利も途切れる。

2006年-最終的にはベスト4になるが、このときも初戦3回戦は新日鐵大分相手に延長でようやく勝ったわけで。確かPK戦覚悟までしたはずで、延長後半終了間際の2得点ではなかったかと。

2007年-厚別での試合は、JFLのTDK相手にPK戦の上の敗戦。あの時は最後有利だったのに現在北九州にいるGKのキックがあれだったために、ということだったのではある。

2008年-組み合わせの関係で初戦はニッパツであったのだが、まあ順当に敗戦。

2009年-厚別で当時JFLの鳥取と。2-1の辛勝。

2010年-厚別で盛岡と。まあスコアは4-1で数少ない大量得点ではあったが、失点シーンは見苦しかった記憶がある。

2011年-厚別で水戸相手に延長戦の上の敗戦。まあこの時は途中から予報外の雨が加わったり、2種登録のユース選手が大量登場とかの方が印象深いか。


だらだらと書き連ねていったのではあるのだが、まあこういこうことなので、過度の期待は無用でしょう。

相手は現在JFLで首位ですからね。

このくらいネガっておけば、安心して臨めるということでもあります(苦笑)。

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2011年09月02日

9月の人間ドック

いやあ困った天気ではある。
予報では雨マークは今日の午前0時以降にあったのだが、昨夜8時台に大雨があって、その後止んだまま現在に至っている。
この後も基本雨マークではあるが、常に降るような感じでもないので、外出時にはそうならないことを願うだけである。


今日この後に人間ドックが控えているのだが、9月に行くのは10年ぶりとなる。例年だと7月か8月にやるのだが、今年は明日アウエイ水戸戦に参戦するのに合わせて決めたのだな。

ちなみに10年前は異動直後ということもあって、例年と時期がずれたのではあるが、日付は正確に覚えている。その日は9月14日。

病院に行ってみると、たくさんいる中に見覚えのある顔があって。当時のHFC社長であった田中氏なのだな。
声をかけることも考えたのであるが、当時コンサはJ1の第2ステージでスタートから4連敗中であり、まあ気安くともいかない事情もあったのだな。

で翌日が第5節のドームでの清水戦で。試合結果は改めるまでもないところだが、一応記しておくと、山形からシーズン途中で移籍した堀井が途中出場し、延長でVゴールを決めたのだな。
これがドーム初勝利で。確か現地観戦では、隣の見知らぬ親父とハイタッチをした記憶もある。もうあれから10年なのね(遠い目)。

まあドーム元年の2001年は、結局ドームではこの1勝しかなく、90分での勝利となれば翌年10月のジェフ戦までなく、2002年はドームではそれまで6連敗中(2001年の最終戦も負けているので都合7連敗していたのでもあるが)と、何とも情けない数字しか出てこないのだな。


さて人間ドックまでは開始までまだ4時間近くあって、どうにも調子が狂う。

過去10回は病院までの行き来に雨にはあたっていないので、もし降ったなら初のケースになるのかな。

そして台風12号の行方も気にしつつ、明日・明後日の予定も気がかりと、気の抜けない時間が続くのではある。

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2011年05月06日

ドーレくん誕生日伝説

昨日午後はkitaraへ。
「こどもの日オルガンコンサート」を聴きに行っていたのだが、例年GWは室蘭に居ることが多いので、毎年ある企画ではあるが初参加であったのだな。
今年は専属オルガニストが震災の影響で急遽帰国となり、代替で演奏者を招請して行われたものではあった。
またポロクルを利用。今回は終演後創成川公園をようやくチェックすることにもなったのであるが、晴れても風は、まだ冷たい。

えっ?タイトルと関係ないって?いやそうでもないのであるが、このことについては後ほど。


TVのアナウンスでもあったことだが、ドーレくんの誕生日に試合をしたのは今回で4度目になる。
過去1度も負けたことが無い、いや正確には勝利した事しかない特異日でもあって、今回もそのジンクスは継続されたのだな。

一応過去を振り返ってみる。

その1-1997年は対NTT関東戦。現在で言えば大宮であるのだが、現地で見ているはずなのにあまり試合内容の印象は無い。ただドーレくん登場に微妙な気分であったことは確かであったのか。会場は室蘭だから、出生地は室蘭にするのが正しいのかね?

その2-2000年は対湘南戦。山瀬のデビュー戦にして、初ゴールがVゴールだった試合。厚別で確かアウエイゴール裏で見ていた記憶がある。ベルマーレとは97年に対戦があったのだが、当時はPK戦までやっていて、2度ともそれで敗戦だったから、この試合が初勝利でもあったのだな。

その3-2005年は対横浜FC戦。横浜FCとは2003年から対戦があるのだが、2003年は2分2敗、2004年は1分3敗だったから、9戦目にして初勝利だったのだな。このとき決勝点を上げたのは曽田で、これも記憶に残っている方ではある。

で今年4度目となったわけだが、実はすべてホームゲームでしかもすべて1点差の勝利というのも共通項となっている。
個人的にもすべて観戦しているということにもなっていて(シーズンパスの所持は2002年以降だから、それ以前はホームゲームにすべて参戦しているわけではない)。

今回これを書くに当たって調べていたら、もう一つ共通項があることに気がついた。
それはドーレくんの誕生日に試合があった年は、必ず日程に変更が生じているわけで。
1997年は当時J準会員だった関係でナビスコ杯に参加していたのだが、予選リーグを突破した関係で終盤の日程が変更なったのだな。
2000年は有珠山噴火の関係で室蘭での浦和戦が中止となり延期。
2005年はアウエイ山形戦が雷雨の関係で中止となり延期。
そして今年は説明するまでもない事態で推移しているわけで。

だからどうした、といえばそれまでではあるがちょっと書いてみましたとさ。


さて最初に書いたことが何の関係があるのか。
たまさかコンサート会場で気がついたことでもあるのだが、kitaraの開館は1997年なので、ドーレくんとは同級生ということになる。
kitaraの誕生日は7月4日とされているので、ちょうど2ヶ月違いになるのか。

まあこれもだからどうした、的なことではあるが、細かい知識として知っていても悪くはないかね?

posted by akira37 |05:01 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(1)

2010年06月12日

函館での試合といえば

ホームでありながら成績が芳しくない、というのがまず浮かぶ。

実際過去10年11試合(2002年は2試合)の戦績は、通算2勝2分7敗。
さすがに誇れるものではない。

私自身は最初の2000年の試合以外は現地観戦し続けているのだが、帰りの足取りが重いことばかりが印象に残っている。
皆さんもそうなのだろうが。


このようなことばかりでは重苦しいだけだが、ざっと思い出されることを並べてみたい。

最初2000年の試合は、堀井がいた当時の山形相手であったのだが、当人のゴールもあって見事な完敗。この年はJ1昇格を果たすのだが、この結果がむしろ薬になった、と言われるのは後付でもあるけど。

2001年はG大阪相手だったが、そこからレンタル移籍していた播戸のゴールで勝った試合。ゴール後に相手ベンチに向かって指を立てたパフォーマンスが忘れられない。

2002年はあまり思い出したくもないので、正確な記憶がないのだが、リーグ戦の方では現在湘南にいるFWが初ゴールを決めたのだったな。

2003年は福岡相手に負けたのだが、このときの相手はシーズン後半だけ見れば首位だったくらいの勢いがあったのだな。

2004年はまったくもって記憶にない。

2005年は2度目の登場になった山形相手に勝利した。この時期は前年から7連敗中であったところに終止符をうったのだが、この試合は来年やってくることになる大塚が累積で出場停止だったことも勝った一因とも言われていたのでしたっけ。ちなみこの試合ではシーズン途中で移籍してきた西谷が初ゴールを決めた試合としても印象が深い。

2006年は恐らく函館開催試合の中でも最も印象に強い試合である。昇格争いという部分では互いにターニングポイントになったとしかいいようがないものであった。相手だった柏は現在と違って苦しんでいたのだが、この試合で勢いを与えてしまったのだよな。改めるまでもなく、このときの相手監督が現在のコンサの監督ではある。

2007年は明日の試合の相手でもある愛媛だったのだが、西の初出場試合であり、惜しいシーンもあったのだが。ちなみに西の愛媛との因縁では、そのあとのアウエイで後半ロスタイムの初得点で現在のニンスタでも初勝利になった試合も印象深いわけだが、当時はブラジルに行かされていたところからの緊急帰国命令で戻され、「秘密兵器」などとも言われていたのだが、今の姿は想像もつかないことでもあったのだな。

2008年は最近のことなのにあまり印象にないのだな。ただMCに難があったことだけは強い記憶にある。

で昨年は草津相手に確かセットプレイ2発で同じような失点をして負けたような気がするのだが、やはり負け試合は昨年の試合なのに曖昧なままである。


まあ自身がパッとしていないので、こんな話題で茶を濁しているようなもので。

明日は室蘭開催同様にイベント満載の上に天気も申し分ない予報なので、期待したいところである、とでも言わないと頑張れないかな、とも。

posted by akira37 |05:25 | アーカイブス | コメント(0) | トラックバック(0)