2018年05月16日
25周年だったのね
5月15日と言えば、古くは「515事件」があり、沖縄が本土復帰した日でもあるのだけれども、そのことを取り上げるのではない。 TLを見ていて思い出したのだが、そう昨日は最初のJリーグの試合があった日。 で昨日はそれから丁度25年目にあたるということだったのだな。 折しもツイッター上では「もしJリーグがなかったら」というハッシュタグもあって、色々なコメントもあったものだから、個人的にも大雑把に振り返ってみる。
承知の通り、Jリーグ元年には道内にはチームがなかったから他人事の世界ではあった。 最も当時の熱狂的な雰囲気もあって、開幕戦はTV観戦していたし、新しもの好きとしては、今は紙媒体として無くなってしまったけれども公式のガイドブックも購入して認識していたし、室蘭的にはサッカー処の関係もあったし、当時の清水市と姉妹都市の関係でもあったから、当然にエスパレスというチームは認識していたし。 当時Jリーグのチームを作るべく、東芝誘致の話が出てきたときには、まさかと思っていたものがあれよあれよとなって。 当然地元で試合があると見に行くことになるけれども、当時はまだまだにわかで。 それがまさかのJリーグ加盟ということになれば、もっと観戦数は増えていったけれども、当時は室蘭勤務もあってそうたくさん試合を見れるものでもなかった。
契機となったのは、加盟翌年からJ2ができることによる降格危機であったのだな。 そうあの忌々しい「J1参入戦」。 当時のレギュレーションは理不尽なことだし、未だに許すことができないものだけれども、ここは今日の本筋ではない。 一方でフリューゲルス消滅騒ぎもあって、J1残留への組み合わせの変更が起きたことも運命なのかもしれない。 確かに最大4試合のうち、1試合でも勝利すれば残留できたものが、1勝もできなかったのは事実で、初の唯一の降格チーム、J2オリ10としてスタートした頃からが本格的になったのだろう。
2度目のJ1となった2001年7月には初アウエイ参戦があり、以後どんどんどん増えていって。 まあそこには飛行機が各段に安く乗れるようになった事情もあるのだが、それが今や全都道府県参上制覇、J1・J2のホームスタジアム(現状レベルの)制覇、ついでに全都道府県での宿泊体験達成、まで来て、今年の目論見は全都道府県でのサッカー観戦まで来ている。 ここまでくればもう意味不明だが。
「もしJリーグがなければ」の観点で言えば、少なくともこんなに道外に行くことはなかっただろうし、少なくとも四国などはきっかけとしてもありえなかっただろうし。 勿論費用がかかることだから、なければもっと貯蓄はあっただろうけれども、それ以上に体験できないようなことをしている方の価値の方が大きいだろうね。 別に何かと比較することではないだろうけれども、その分思考の上でも豊かになっている事実はあるから、無駄ではないだろうと。 まあこうしてしんどくても何とかやれている一端にはなるのかな。
posted by akira37 |04:41 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)
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