コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2012年05月16日

私の場合

まあ、昨日の続きみたいなことで。

当時の自分の状況から初期の頃について書いてみようかと。


J開幕当時は札幌勤務であったのだが、ほとんど関心はなかった。
コンサが出来る前には、厚別で何試合かJ公式戦をやっているけれども見に行ったことはない。

現在のJ公式の緑本に相当する選手名鑑については、初年度から購入してはいたのだが、興味がそれ以上に膨らんではいない。
それらは室蘭宅にあるので、すぐ中身について言及できないのだが、初期の頃は応援の仕方についてのページがあったりもするのだな。
コンサが誕生する前は、室蘭と姉妹都市の関係で清水については多少関心があったけれども、深入りするレベルでは勿論なかった。

コンサが誕生した頃は室蘭勤務のこともあって、室蘭での試合の大半は行っているが、まだサポとまでは言いがたく、旧JFL時代に厚別開催の試合は見ていない。

Jリーグ加盟初年の1998年になると、札幌にも何度か試合観戦には行っているのだが、所詮はファンの域を出ていないレベルではあった。

現状に至る原点を求めれば、その年の「J1参入戦」に求められ、「J初のJ2降格チーム」になった現実が、むしろ引きがねというのは皮肉なのかもしれないね。

格好いい言い方をすれば、自分も参画して支える気概の勢いがあったから、結果今の今に至るまで続いている感じではある。

ある意味金持ちでなくて良かったのかもしれない。

お金の心配がなければ、心配事は少なくなるのかもしれないけれども、ここまで熱心になっていたかは怪しい。


昨夜はニコニコ動画でJ開幕戦を中心にやっていて、まあ私の方は開始時間が遅い事もあって、最初の部分しか見ていなかったわけであるのだが、皆若かったのよね。

そうか松木はラモスより若いのか、とか知れば、現在カズよりも年下の監督というのも大変なんだろうな、と想いを馳せたことではありました。

posted by akira37 |05:01 | 雑記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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