2010年04月27日
簡単に信用しない、見せない部分を見る
多くの報道番組を音を出さないように対処するようになって、かなりの月日になる。 単純に耐えられないからではあるのだが。 冷静になるまでもないのだが、番組には「編集」が付きものだから、少なくとも「すべて」を伝えているなどという幻想は抱くべきものではない。 ということは、恣意的にすることも可能なのだから、伝えていないことは何かも、自分の頭で判断するくらいの心構えは必要なのではないのか。 時に表面的な部分をのみ取り上げて、批判する向きが出てくることに対しては、どんなものであれ「けっ」と感じることが多くなってきた。 見えている部分だけで(あるいは切り取られた部分だけで)、大上段に構えられ偉そうな御託ほど見苦しいものはない。 まあこれだけでは何を念頭に言っているかも不明であろうが、概して影響を与えている機会が多い、視聴率や聴取率が多い番組ほど勘違いが見られる、と書けば少しは見えるのかな。 とまあ、何だか朝から訳判らず重たいけど。
どうも水戸戦のあと、小難しく考えてしまっていていけないのかもしれない。 深夜2番組を見て、またあれこれと考えるのだけれども、案外あの試合の評価というのはその後に出てくるような気がしてならなくなってきている。 勿論それが○なのか×なのかは、現時点で判断不能なのだけれども。 いやはやまとまりがないのは、今頃になっても残っている春の陽気による普段以上の疲労感のためかねえ。
そうそう「月曜サポスタ」にビジュが出ていたのだな。 実のところ、企画としてグダグダに感じていた水戸戦、両チームに関係したビジュが出てくれば面白かったのだろうに、と思っていたのは私だけではあるまい。 試合前のMCブースから、スペシャルゲスト(あるいはシークレットゲスト)として出てくれば、相手チームとの関連としても意味あることだったのではないのかねと感じた次第。 とここまで書いて、こんなの問いかけはどうかと。 「宏太・ビジュ・デルリス」に共通することは何か。 答えは書くまでもない。
posted by akira37 |05:01 | その他 | コメント(0) | トラックバック(0)
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