カレンダー
プロフィール
札幌出身・東京在住(釧路に単身赴任していましたが2014/4月に東京に戻りました)のあきっくと申します。 生観戦デビューは1999年8月15日の大分戦@厚別。 夏休みに札幌に帰省したときでした。 以来「仕事のしわ寄せは平日に」をモットーに、週末にコンサを追いかけるための生活をしています。 2001年夏にJ村でユース(特に石郷くん)を見てユースに傾倒。 いわゆるユースヲタなんだろうと自覚するこのごろ。 詳しい自己紹介と私宛のメールアドレスは「ごあいさつ」のカテゴリから、シーズンごとのトップチーム関連、ユースチーム関連別の主なエントリの目次は「まとめ・目次」のカテゴリから、エントリーナンバー順の全エントリーリストは「全エントリーリスト」のカテゴリからどうぞ。 2010/02/07からツイッターを始めてみました。 ユーザー名は akikconsa です。ユースの試合を見に行ったときは気が向けばつぶやいているかもしれません。 コンサU-18選手の背番号一覧表を作りました(2015/4月版)。ユース観戦のお供に、こちらからご自由にお持ちください。 →http://www.evernote.com/l/APefpdtBmUJCBo1gGdT_yWpEMjGm6cvq_oQ/
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
コメント
検索
2006年02月26日
開幕が来週に迫ってきました。思い出話にひとまずけりをつけないと(汗)。
ということでとりあえず思い出話完結編。
ものすごく長くなってしまったんで恐縮です。どうぞお時間のある方だけおつきあいくださいませ。
前回までの思い出話はこちらから。
1999年のシーズン末は、福岡に住む私にとってラッキーなことがありました。
リーグ戦が終了してしまっても、天皇杯3回戦は博多の森でJ1のアビスパ福岡と対戦することになっていたのです。
コンサが福岡に来てくれる!
前年のJ1参入戦のことを思えばチームやサポにとっては複雑な思いがあったかもしれません。でも初心者サポの私にとっては福岡でコンサの試合が見れるのは単純に嬉しいことでした。
1回戦は11月28日(日)長居第2で阪南大学との試合。
ちょっと苦戦したようでしたが、無事勝ってくれました。
2回戦は12月5日(日)。ちょうどあの試合から1年後の同じ日に、再び室蘭での試合でした。相手はマインドハウスTC。三重県の教員チームが母体となったチームだそうです。
この試合はBS放送での中継があり、私は福岡市内の自宅でテレビ観戦でした。室蘭入江は小雪がちらついて画面越しにも寒そうで、なかなか点がとれずにハラハラしましたが、なんとか2回戦も突破して、コンサは無事博多の森に来てくれることになりました。
ここでもし敗退でもしたら私にとっては痛恨の一撃でしたからね、テレビで見ててほんとにホッとしたのを覚えています。
そしてこの博多の森での天皇杯は、コータファンサイト掲示板に集う人々にとっては、決して口には出さないけれど暗黙の共通理解となっていることがありました。
それは、この試合に負ければそれがコータの最後の赤黒ユニ姿になるだろうということ。
当時移籍先はもちろん、移籍するか否かということさえ公式には何も発表されていませんでしたけれどね。でもね。
それでというわけでもないのでしょうが、博多の森での試合の後、福岡市内での宴会が設定されました。当時「コータカメラマン」としてそのファンサイトにたくさんのコータ写真を提供してくれていた佐賀在住のFさんが企画してくれたものです。私はその掲示板でふだんから印象に残るような書き込みをしているわけじゃないので、誰も私のことを知らないだろうしと少々臆する気持ちがあったのですが、たまたま福岡在住と書いた私の書き込みを目にした主催者Fさんが直に案内のメールをくださったのに背中を押されて、勇気を持って参加してみることにしました。いつも(一方的に)親しく書き込みを見ている方々と会える最初で最後の機会かもしれないですしね。(夫にも行こうと誘ってみたのですが、試合は見に行くけど宴会まではいいや。と断られてしまいました。)
で、試合ですか?
ええ、負けました。0-1で。
コンサはとことん情けない姿でしたけど、アビスパも敵ながら「へったくそ・・」と思うようなダメダメ加減で、関係者以外は誰も見たくないだろうなあと思うほどしょぼい試合でした。
というわけで、はいこれでコータの赤黒ユニ姿の見納め!!
この試合、確かコータはキャプテンマークを腕に巻いていたように思うのですが、どうでしょう?おぼろげな記憶・・・。記念だったのでしょうかね。
試合後、博多駅近くの居酒屋に場所を移して宴会です。20~30人くらいいたでしょうか。今日の試合のこと、コータのこと、これまでのコンサのこと・・。話は盛り上がり、途中でひとりずつ自己紹介がありました。そこで私が驚いたのは、「闘魂継承者」を名乗っていつも男前な書き込みをし、急きょ代表に呼ばれたコータを見るために単身パラグアイまで行ってしまうかっこいい「いそやん」が若い女性(当時)だったこと!・・だけじゃなく、「アウェイは全試合行った」とか「ホーム全試合のほかアウェイもほとんど行った」などを普通に言ってしまう人が複数いたこと。だって、アウェイ全試合って・・と思わず想像してクラクラしましたよ。(その後の自分の姿も知らずに。ってか私は今までに「全試合」を行ったシーズンはありませんからね。)
そして、コータがきっかけでコンサを見るようになり、コンサにはまり、たとえコータがコンサを出ていくことになってもこれからも変わらずコンサを応援しますと決意表明をしていた人がかなりいたことは、同志を得たようで心強かったです。
宴会が終わり、店の外に出ました。知り合い同士で2次会へ繰り出す人たちもけっこういるようでした。私は2次会へは行かずに帰るつもりでしたが、わざわざ会に誘ってくださったFさんに一言お礼を言おうと思って外で待っていると、「福岡に住んでいるんですか?」と話しかけてきた方がいました。「福岡のどのあたりですか?」とか西新(にしじん)のラーメン屋さんの話とか、福岡ローカルな話にけっこう詳しいその人は、かの有名な高谷さんだったのでした。私はそのときはまだ高谷さんがどんな方か知らなかったのですが。メールアドレスを教えてもらい、このとき高谷さんと知り合いになったことは、その後コータの移籍と時期を同じくしてコータファンサイトが閉鎖になり、コンサ仲間との交流場所を失った私にとって、振り返ってみるととても大きな出来事でした。
年末に、コータの移籍の正式発表がありました。半ば覚悟していたはずでしたが、発表を聞いてどうしようもない悲しさがこみ上げてきました。夫が帰宅する前の誰もいない部屋で声をあげて泣いてしまい、涙を流しながら「応援するチームの選手がひとり移籍したくらいで・・。いい大人が、そんな・・・。」と自分の反応に自分でうろたえていました。
コータの移籍以上にショックだったのがコータファンサイトが閉鎖して「居場所」を失ってしまったことでしたが、仙台戦で会った人たちや高谷さんなどとメールのやりとりをして、次第に次のシーズンへ向けて気持ちの準備をすることができました。仙台で会ったメンバーとは、勢いでそのままOSCを作ったりして楽しく過ごしました。2001年のイヤーブックにちゃっかり写真まで載っちゃったりしてるのは、今では懐かしい思い出です。
そしていよいよ2000年のシーズンが開幕。
開幕戦は3月12日(日)鳥栖スタジアムでの鳥栖戦。4月から転勤で東京に引っ越すことが決まっていた私にとっては、開幕を地元で見てから転居できるという好都合なスタートとなりました。
開幕戦の前夜は、全国各地から集まったサポで博多で決起集会(という宴会)が開かれました。それまでにコンサ仲間の知人が増えていた私は自信満々(笑)、夫を引っ張り込んで勇んで参加しました。100名を越す(もっとか?)大宴会でした。ここで高校の同級生にばったり会ってびっくりしたっけ。「開幕戦は全国どこであっても行くことにしてるんだ」と言ってた彼とは、その後何度もスタジアムで会いました。
鳥栖での開幕戦の衝撃は、鮮明に覚えています。
お天気もよい日でした。前回の鳥栖戦のころとは違って、このころにはすっかり「試合中立ってコールする人」に混じりたくなっていた私は、結成したばかりのOSCのメンバーや天皇杯のときに知り合った人たちと一緒にゴール裏中心部に陣取りました。
2000年は前年と大幅に選手が入れ替わり、チームは遠くオーストラリアでキャンプをやっていたとあって、今年の選手を自分の目で見たことがある人はその場にほとんどいない。試合前にゴール裏で改めて選手の名前と背番号をみんなで再確認する始末(笑)。
選手のコールも決まっていなくて、エメのコールも何種類か候補があがってやってみたけれど、「これ」と決まったのはなかった。コールリーダーのいしもりさんが「まあ、始まったらなんとかなるっしょ」って感じでとりあえず試合に突入。そういえばこのとき健作のコールはまだ「けんさく!!」ではなくて「おおもり!」だったはずですね。確かこの後のアウェイ甲府戦かあるいはアウェイ水戸戦のときに「森と大森はややこしいから、どっちかを下の名前に変えよう」ということになり、以来アウェイでは健作の選手コールが「けんさく」になったはずので。(ホームでは翌年くらいからだったかな)
いざ試合が始まってみると、それはもう衝撃の世界。これがコンサ??! エメの速さもびっくりだけど、選手がピッチを生き生きと動き回ってすっごく強そう。
ゴール裏に集まったサポたちも思わず笑顔がほころび、「おいおい!どうなってんだ?まるで違うチームみたいだな!」「だって(選手が)違うチームだもの!」(爆笑)と軽口が飛び交います。
前半の早いうちにバンちゃんが先制ゴールを決め、「いいチーム」に仕上がっていることを確信させます。エメの惜しいシュートでいざエメのコールというとき、いしもりさんがクルッと後ろを振り向いて、ちょっといたずらっぽい笑顔で「じゃあ、『ビバ!エメルソン!』でいこうか」とみんなに声をかけ、あのコール「ビバ!エメルソン!」が始まりました。勝利の予感とこの先の期待に浮き立つゴール裏は、ノリのよいビバ!エメルソン!のコールにあっという間に呼応して、その後シーズン中何度となく私たちを酔わせてくれたコールがそのとき始まったのでした。
試合はエメのハットトリックを含む4-0で快勝し、終盤相手選手と交錯して背中を打ち担架で運ばれたバンちゃんは心配でしたけれど、サポは興奮状態でした。単にその日の勝利だけでなく、この先もよいシーズンになりそうな期待が何よりも嬉しいことでした。
興奮さめやらぬままさっそく仲間うち(←つい先日知り合ったばかりというのにもうすっかり仲間状態w)で祝勝会でしょ。夫は「今日はもう宴会はいいや」というので、博多駅に降りたところで夫と別れ、私は祝勝会に繰り出します。OSCを結成したメンバーのほか、天皇杯後の宴会で知り合い、ゆうべの決起集会で親しくなった関東在住の人たちやあの高谷さんなど。「4月から関東サポの仲間入りをしますのでどうぞよろしく~」と挨拶をしたり。
祝勝会では今日の試合について盛り上がり、おのずと次節のアウェイ甲府戦のことにも話が及びます。関東から来ている人が多かったので、当然みんな小瀬には行く前提です。私はとても羨ましくなりました。いいなあ、こんなふうにスタートしたチームがこの後どうなるのか、次もぜひこの目で見たい。そして私の胸の中でささやく声が。
「みんなこうやって関東から鳥栖に駆けつけているんだ。私はたまたま地元だったけど。でも開幕が甲府だったら私も甲府に飛んでいたはず。なら私も開幕戦の分と思って甲府に行って何が悪い?(爆)」
甲府戦は月曜日だから行けないと思っていたけど実は祝日です。羽田まで行けば、高谷さんを羽田から小瀬まで乗せて行ってくれることになっている知人の車に私も一緒に乗っていってもいいよと高谷さんが誘ってくれます。
ええい!行っちゃおうか!日帰りで。
(この祝勝会の席に夫がいなかったのが幸いしたのかどうか・・。)
家に帰って「来週、甲府に行くことにした」と告げたときの夫の反応は覚えていません。呆れてはいたかもしれませんが、別に不快感は示されませんでした。そしてそれが今に至るその後の私たち夫婦の生活パターンの始まりでした(笑)。
翌週月曜日、私はひとり羽田に降り立ち、高谷さんと合流して初対面の方の車に乗せていただきました。コンサ仲間というのは思えばずうずうしいですよね。この方にはその後あちこちのアウェイスタジアムに乗せていっていただき大変お世話になりました。しばらくお会いしていませんがお元気かしら。お子さん達も大きくなったでしょうね。
小瀬でも3-0の快勝。今年の強さは本物らしいと思えました。
勝つっていい気分。エメのゴールのたびに「ビバ!エメルソン!」ってコールするのもいい気分。
ところでその帰途ですが。3連休最終日の夕方の中央道は大渋滞で思ったように車が進みません。高谷さんは千歳行きの、私は福岡行きのそれぞれ最終便に乗る予定にしていたのですが、なんだか危うくなってきました。そこで途中で(今思えば大月あたりでしょうか?)JRに乗り換え急いで羽田に向かったのですが・・・。福岡行きの最終便のチェックインにはぎりぎり間に合いませんでした。orz
福岡空港は市街の住宅地にあるせいか発着できる時刻の制限があり、福岡行きの最終便は早いんですよね。翌日仕事のある私は一瞬青ざめましたが、福岡空港が市街地に近いということはいいこともある。翌日朝一便で帰ればなんとか仕事には間に合います。急きょ参戦を決めた甲府行きだったため普通運賃の航空券を買っていたのがよかったのか、ぎりぎりで最終便を逃したという状況に同情してくれたのか、JALのカウンターでそのまま翌日朝一便の予約に変更をしてくれ、無事翌日の早朝には帰れることになりました。
高谷さんがときどき使うという安いホテルを教えてもらい、早朝の空港行きの電車の時間を確認してから、夫に状況を報告し、ホテルに向かいます。
宴会のとき全国のスタジアムへ飛び回っている強者アウェイサポが言った「コンササポは飛行機に乗り遅れて一人前」という言葉を思い出し、こんなに早く「一人前」になってしまった自分に苦笑したのでした。
翌朝、午前5時台という私にとってはまさに非日常の時刻なのに駅にも電車にも大勢の人がごく普通にいるのに驚きながら羽田に向かい、無事福岡に戻って仕事にも間に合うことができました。やれやれ。
これで私の第1期「大冒険」はひとまず終わりです。
第3節はコンサがお休みで次の第4節新潟戦@室蘭(3/31)は転勤前の平日だから到底無理、第5節仙台戦@仙台(4/2)は引越当日で無理。第6節浦和戦は延期になり、第7節大分戦@大分(4/15)は九州から東京へ引っ越したばかりなのでさすがに自粛して、私の参戦は第9節水戸戦@ひたちなか(4/30)からになりました。そして以後は・・。まあご承知のとおりですわ(笑)。
今年は2000年と同じく開幕が鳥栖スタジアムで、チーム数が奇数でお休み節があるというのも同じ。なんかゲンがいい感じがしますよね。
チームをとりまく状況も私がコンサに求めるものも当時とはかなり変わっていますけれど、できればあのときのような幸先のよいスタートを切って楽しいシーズンになって欲しいなと思います。幸先のよいスタートが切れないと楽しいシーズンではなくなるかと言われればそうではないですけどね。(←保険かけてる?)
最後まで読んでくださった方、長い話におつきあいくださいましてありがとうございました。お疲れさまでした。
2006年02月19日
さて午後からは渋谷幕張高との練習試合です。 この週末の関東遠征練習試合の3戦目。 (本日午前の練習試合はこちら、前日(土曜日)の練習試合はこちら) まずは結果から。 2006年2月19日(日)13:30 @東大検見川グラウンド コンサユースU-18 vs 渋谷幕張高校 (35分×2) 0-2(0-0、0-2)
今日は午前午後ともにセカンドユニです。 主審は前半が渋谷幕張高のコーチ?、後半がコンサユースの赤池コーチ。 副審はそれぞれ選手が務めます。 コンサからの当番は誰でしょう?後ろ姿でも足元を見れば分かりますね。 この試合のゲームキャプテンは廣中くんでした。
「張り切っていきまっしょい!」「おー!」 「声出していきまっしょい!」「おー!」 …と言ってました(笑) さあ、前半スタートです。
午後からは3バックでした。 32 13大西 14長沼 24能登 12安藤 25伊東 6大野 15谷川 3廣中 7松本 16岩田 始まりはね、イケイケだったんですよ。 やっていたことは午前中の八千代高校戦と同じことなんでしょうけど、 それがうまくいってる感じで、パスはつながるし、こぼれ球は拾えるし、見てて楽しい、楽しい。 伊東くんの強くて低くて速いパスがパシッと通るのが爽快だし、廣中くんが危ないところの芽を摘む位置取りで、1対1で負けずに相手を抑え込んだりボールを奪ったり。 一試合通じてこれができれば楽しい午後になるなとワクワクしました。 もちろんコンサが一方的に攻めていたわけでもなくて、渋谷幕張高の攻め込むシーンもけっこうあったのですが、両チームとも攻守の切り替えが速くテンポよく進む楽しいゲームだったわけです。(試合中のひとこま) …と思ううちに、なんだかちょっと緩んできた?押され気味?と感じたあたりで前半終了。どうやら35分ハーフのようです。
後半始まるときに谷川くんに代わって詩音くん投入。 前の配置は変わりませんが後ろの3人の並びが変わりました。 32 13大西 14長沼 24能登 12安藤 25伊東 6大野 7松本 3廣中 19山川 16岩田 あと、後半途中で気がついたら、小川くんが入っていて32番くんがいなくなってしました。 14長沼 13大西 27小川 小川くんは午前中に引き続きトップ下ですね。 正直言って、どうして後半はうまくいかなくなってしまったのか、私にはよく分からないのです。なぜかは分からないけど、見ていてチームの網の目が大きくというか緩くなっている感じで、スカスカと渋谷幕張高に抜かれたり破られたりするシーンが多くなってしまいます。 最初の失点は後半16分ころでしたけど、これも流れの中できれいにDFラインまで破られて、きれいに決められてしまったという印象でした。 その後も試合終了まで、なぜかコンサゴールの前で緑色のユニの選手がやたらフリーでいるんですよね。岩田くんのファインセーブも何回かありましたけど、そればかりでは限界があります。2失点目は後半31分ころ。これも「あ、あ、あ、危ない・・、ああやっぱり。。。」という感じの失点でした。 後半終わり際に大西くんが相手ゴール前で倒れ込みながらオーバーヘッド気味のシュートを放ったところで試合終了。 終わってみれば0-2の結果でした。 あの前半の始まりは何だったんだろう?? まあ選手たちにとってはいろいろと課題も見つかっただろうし、練習試合だから勝ち負けでどうこう言う必要もないのですけどね。 単純に不思議でした・・。
それでもこの2日間、雨も降らず、検見川グラウンドでは風もほとんどなく、寒すぎもしない気候でしたから、ユースくんたちは久しぶりに思い切り走り回ってボールを蹴ってプレーできて有益だったことでしょう。 ビョーキの人にとっては眼福な2日間でした。 ダラスに行く前に、、、来月あたりにもう1回関東遠征はいかがです?(笑)>監督 (久松くんは午後はピッチ脇でストレッチをしながら試合を見ていました。 どこかちょっと傷めたかな?お大事に。)
(2007/8/3追記) 今となってはもう問題ないだろうから覚えているうちにメモ代わりに追記しておくと、このときの32番くんは鶴野太貴くんでした。
2006年02月19日
2006年2月19日(日)9:00~ @東大検見川グラウンド コンサユースU-18 vs 八千代高校 (40分×2) 2-1(1-1,1-0) 今朝は先月に引き続き八千代高校との試合です。 実は私が着いたのは試合開始後でありまして(汗)、前半25分ころまでの情報は伝聞情報です。 間違っているところがありましたら指摘してくださいませ。>Oさん
前半スタート時のメンバー
13大西 32 14長沼 24能登 6大野 7松本 11久松 3廣中 19山川 12安藤 21平加 先制点はコンサ。前半11分ころに大西くんのゴール。 ペナルティエリアの外、左側からのミドルシュートでゴールネットの内側から右上部に突き刺さったそうです。 その前だったか後だったか、割と早い時間帯に久松くんに代わって谷川くんがイン。 (交代の理由は不明。) それで安藤くんが左に移って最終ラインが次のようになりました。 13大西 32 14長沼 24能登 6大野 7松本 12安藤 3廣中 15谷川 19山川 21平加 前半22分ころに失点。後ろから長いパスが出て「オフサイドかな?」と迷ったようにコンサ選手の足が一瞬止まった感じだったところへ八千代の選手に抜け出され、GKとの1対1を決められたとか。 私が見たのは失点の直後からで、パッと見た感じコンサゴール前に集まっていたりシュートを打たれたりする場面が目に付き、押されているのかな??と思ったのですが、よく見てみるとコンサは攻め込まれても大きくクリアしないで、ボールをキープして相手選手を引きつけてスペースを作ろうとしたり、その間に他の選手が動いてパスコースを作って、パスでつないで攻めにつなげようとしているようでした。それに対して八千代高校はシンプルに攻める形でしたので、コンサゴール前に押し込まれる時間が長くなっていたのでしょう。 コンサの意図はあんまりうまくいかないことも多くて、なかなかシュートを打つまではいかなかったのですが、でも自分で考えながらプレイするのは今後の成長に必要なことなのだろうと思いました。 前半の終了間際に安藤くんからの?スルーパスが八千代DFの間にきれいに通って、抜け出した大西くんが完全にフリーでGKと1対1になり絶好機だったのですが、慎重に行きすぎたのか打ったシュートは前に出ていたGKの体にぶつかって止められてしまいました。残念!
そして後半がスタート。 メンバー交代なし。ポジションも前半終了時と同じです。 手元のメモを見ると、攻め込まれてピンチだったことばかり。 後半4分にゴール前でヘディングシュート打たれたけど、ボールがわずかにゴール右にそれて失点しなかったとか、10分ころバー上にきわどいシュート打たれたりとか。 後半10分に能登くんに代わって25伊東くんがそのまま能登くんに位置に入る。 後半18分ころにも八千代の選手にフリーでシュートを打たれ、平加くんがなんとか手に当ててCKに逃げるシーンがあり、そのCKからもゴール前に密集したあたりで危ない!!という状況になり、なんとか体に当たって守るという、胸をなでおろすシーンがありました。 先月の八千代高校戦は強風のせいで苦労したのかと思っていましたが、そうでもなくて八千代高校はなかなかいいチームのようです。 ボールを持っている選手に対してきっちりとプレスをかけ、選手みんなが声かけ合って常に2対1の状況を作ろうとする動きが徹底されているように思いました。コンサが後ろから組み立てていこうとするのを、そうはさせじと高い位置からボールを奪いにくるので、どうしてもコンサゴール前に押し込まれているようです。これを打開するには、やっぱり状況判断を早くして「みんなで同じ絵を描いて」いくようにするしかないのかしらね。 後半31分ころ、U-15の32番くんに代わって27小川くんがイン。小川くんのトップ下は初めて見た気がします。 13大西 14長沼 27小川 25伊東 6大野 7松本 押し込まれそうになりながらもなんとかボールをつないで組み立てようとする(が思いどおりにいかない)コンサと、決定機を何度も作りながら決めきれない八千代。 37分ころには中盤で伊東くんがカットしたボールが起点になり、ゴール前中央でパスを受けた大西くんが粘ってポストになって右へ抜けた小川くんにパス。小川くんがシュートを放つもGKに止められるという、鮮やかなシーンがありました。お、ようやくコンサにチャンスが?という一服の清涼剤。 そしてそのまま1-1で迎えた終了間際に、勝ち越し点はコンサに生まれました。終了の笛の鳴る直前のプレーでした。 伊東くんからのパスがゴール前右側にいた大西くんに渡り、大西くんがそのままドリブルで右をえぐってシュート! そのシュートはGKかそのすぐ近くにいたDFにはじかれますが、そこへ詰めていた長沼くんが押し込んでゴール! 「今の、入ったんだよね?」と思うのと同時に、続けて終了の笛が鳴ってそこで試合終了になりました。 負けた方はがっくりでしょうが、勝った方は爽快な気分の終わり方でした(笑)。試合中のひとこま
こうやって練習試合を続けて何試合か見ていると、ユースの選手はほんとにいろんなポジションで練習しているんだなあと感心します。 ふだんはなかなか公式戦でのできあがった姿しか見る機会がないだけに、雁来の練習風景はどんななんだろう?と興味をそそられます。 さて次の試合は1時半から。 次にいつまた見られるか分からない練習試合ですから、じっくり名残惜しく堪能しておこうと思います。
(2007/8/3追記) 今となってはもう問題ないだろうから覚えているうちにメモ代わりに追記しておくと、このときの32番くんは鶴野太貴くんでした。
2006年02月18日
今日はトップチームのキャンプを見に熊本に行く予定にしていたのですが、諸般の事情(汗)により行けなくなってしまい、それならばとユースくんたちの関東遠征の様子を見に行ってきました。 あああでも、素晴らしかったという征也のゴール見たかった・・。orz
2006年2月18日 14:00~ @東大検見川グラウンド コンサユースU-18 vs 順天堂大学 (30分×3) 1-2(0-1、0-1、1-0) 練習試合はセミナーハウス横の第1サッカー場で行われました。 相手のチームは、奈々子さんが順天堂大学と教えてくれているのでそう思っていますが、自分では確認できませんでした。大学サッカーの知識に乏しい私にはユニを見ても見分けがつけられないのですが、肩から袖にかけて青い線の入った白いシャツと青いパンツで、胸に JFC という文字がありました。間違いないですよね?茶色くなってしまっていますが天然芝です。奥に見えるのはセミナーハウス。
住宅地の中にありますが、駅からもそう遠くなく行きやすい場所です。
整列してまずは互いに挨拶
コンサのゲームキャプテンは長沼くん。順大のキャプテンは長身のCBでした。
キックオフ前の円陣は、ずいぶんと長い間口々に大きな声でかけ声をかけあって、気合い十分でした。
1本目のメンバーはこんな感じ
13大西 32 14長沼 24能登 12安藤 6大野 11久松 7松本 15谷川 19山川 16岩田 岩田くんの顔は覚えたからもう大丈夫です。自信をもって言えます(笑)。 FWの32番はU-15の選手。別に差し支えはないのかなあと思いながらもクラブに確認したわけではないので一応名前を挙げるのはやめておきますが、笠松でのJユース水戸戦には出ていなかった方の目元涼しい選手といえばお分かりになる方も多いかな。 試合は序盤から押され気味の展開になります。やっぱり相手が大学生だと1対1で勝てないことが多く、相手の強くて速いチェックになかなかボールをもたせてもらえません。ドリブルで前へ行こうと思っても、併走して追いつかれ体を前に入れられてしまうとなす術なく奪われてしまう感じ。ピッチ上に散らばる選手ひとりひとりが ユースくん vs 大学生 という存在感です。 順大の選手たちは、背番号はひとケタから20番台、30番台前半の選手が多く、3バックの左ストッパーが79をつけているのが大きな番号としては目立つ程度でした。あとGKが61をつけていたのですが、このGKはまさにピッチ上の監督でした。よく通る声で盛んにチームに声をかけてポジショニングの指示やマークの確認をしているのですが、その指示の細かいことと丁寧なこと!「相手が3枚で○○と○○の間に入ってこられているから、○○がもっと△へ行け」とか「○と○の間が離れすぎているから○、おまえはもっとこっちへ寄れ」「○○はもっとボールへ行け」とか理由付きで細かく指示をしていました。それを聞く79番くんの態度はいかにも下級生という感じで微笑ましかった。 そのような大学生たちに押さえ込まれそうになりながらも、ときどきは高めの位置でボールを奪ってパスをつないで攻め込んでいったり、詩音くんがドリブルでゴールラインそばまで駆け上がってCKを得たりなどのチャンスを作り、かと思えばDFの間をあっさりとパスを通され、抜け出られてクロスを上げられ、どフリーの選手にシュートを打たれるも岩田くんが横っ飛びで片手ではじくなどしたあと、25分ころにとうとう失点してしまいました。大きなサイドチェンジを交えたパス交換で左右に振り回されたあと、豪快なボレーシュートを打たれ、一度は左ポストにあたったけれどそのまま反対側のサイドネットの内側に吸い込まれた見事な得点でした。 個々の差はそんなに大きくはないのだけど、強さ速さの地力の違いが積み重なってチームとしての力には差があるかなあと思わされた1本目でした。
2本目が始まるときに、谷川くんと詩音くんがアウト、廣中くんと伊東くんがイン。安藤くんの位置が後ろに下がってこんな感じ。 13大西 32 14長沼 24能登 25伊東 6大野 11久松 3廣中 7松本 12安藤 16岩田 (21平加) そして2本目の途中から気がついたらGKが平加くんに替わっていました。 2本目は、なんかもう1本目よりもさらに圧倒されていました。やりたいことを全然やらせてもらえない感じ。疲れてくる時間帯になって体力の差がもろに出てきたのでしょうか。たとえば長沼くんなんてユースの中では決して小柄な選手ではないのに、それでも空中で相手選手と競り合うと吹っ飛ばされて地面に叩きつけられたりして、見てるだけでも大変です。ボールを持っているとあっという間に背後から相手選手が駆け寄ってきて、すっぱりとボールをカットされたりしちゃってます。こんな様相ではプレイの1個1個に渾身の力が必要で疲れるだろうなあと思いました。2本目は、25分くらいになってからようやく初めてシュートを打てた?というほどで防戦一方。それでもゴール前での体を張った粘りと偶然で無失点に抑えていたのですが、とうとう終了間際にカウンターからゴール前で伊東くんがひとりで大きな相手選手に対峙する形になり、飛び込んだところをフェイントで抜かれてしまい、あとは平加くんとの1対1。GKにとってはノーチャンスだよなあというほどの巧いシュートでしっかりと決められてしまいました。 順大、強いよ。(;´д⊂)
3本目始まるときに、32番くん、伊東くん、大西くんがアウト。 詩音くん、小川くん、谷川くんがイン。 24能登 14長沼 12安藤 27小川 6大野 7松本 11久松 15谷川 3廣中 19山川 21平加 3本目が始まってまもなく(2分ころ?)コンサにゴールが生まれます。なのに、なのに、私はよく見ていませんでした。・・・。 交代したメンバーの確認とポジションの確認に気を取られていたところ、順大のゴール前でドスッというボールを蹴る(当たる?)音がしてそっちを見たら、ふわっと高めにあがったボールがゴールに向かっていき、押し込もうと走り込んだ大野くんが触るよりも先にネットの中に入っていったところでした。状況から推測するに、能登くんか大野くんがループ気味にシュートを打ったのか、あるいはゴール前で誰か(相手DF?)の体にボールが当たってコースが変わってゴールになったのではないかと思われます。能登くんも大野くんもあんまり派手に喜んでいなかったので、よく分からないままでした。 (*追記 奈々子さんの情報によると、得点者は能登くんのようです。) でも3本目は、「なんだか盛り返してきた?」という感じです。少しずつコンサもボールを触れるようになってきました。そして、前目に位置する能登くんと長沼くん、安藤くんが生き生きとボールに絡んだ攻撃シーンが見られるようになってきます。 3本目の15分あたりで再び選手の交代。安藤くん、谷川くんがアウトして伊東くん、大西くんが入ります。 24能登 14長沼 25伊東 27小川 6大野 7松本 11久松 3廣中 19山川 13大西 ←!!! 21平加 トップ下の伊東くんも見ていて楽しかったです。ポジショニングのよさや視野の広さを見せつつ、能登くん長沼くんと生き生き動いていました。 3本目は全体に「一進一退」という感じで今日の一番楽しいセットになりました。1本目との違いは、ボールを受けるときや持ったときにターンを多用して、体を寄せられても奪われずにボールをキープできるようになったのが大きいのかもしれない。と素人は思ったりしました。 格上の相手との試合でしたが、きっと勉強になることも多かったでしょう。 明日はどんな試合になるかしら。楽しみです。 明日は今日と同じ検見川グラウンドで、9:00~と13:30~の2試合。 相手は奈々子さんによれば八千代高校と渋谷幕張高校だそうですね。 私は明日も見に行くつもりです。 ・・・で、試合終了後ピッチ脇でストレッチをする順大選手の姿を眺めつつ荷物を片づけて引き揚げようとした私たちの目に映ったのは・・。 四方田監督の指示のもと、グループに分かれてサイドからの攻撃練習?を今まさに始めようとするユースくん達の姿でした。 試合をやったあとなのにまだ練習するの?!!!Σ (゚Д゚;) まあ雪のないピッチ全面で練習できる貴重な機会ですものね。
ついでに補足の伝聞情報。 今日ビョーキ仲間に聞いた話によれば、先月の関東遠征のときにマリノスユースとの試合のあとやった法政二高との試合は、2-0でコンサの勝ちだったそうです。 なぜか法政二高のメンバーが揃うのが遅く開始時間が1時間半ほどずれこんで、実質35分くらいのが1本だけで終わったそうです。 得点は久松くんが自分でもらったPKを自分で決めた1点と、能登くんが蹴ったCKを長沼くん松本くんがヘッドで決めたものだそう。 出場メンバーは 24能登 13大西 25伊東 11久松 26岩月 22加藤 6大野 20鎌部 15谷川 7松本 1塚本
(2007/8/3追記) 今となってはもう問題ないだろうから覚えているうちにメモ代わりに追記しておくと、このときの32番くんは鶴野太貴くんでした。
2006年02月13日
思い出話の続きです。
この一連の話は、コンサの試合の思い出というより私がどのようにしてコンサにのめり込んでいったかの話になっていますね。私的なことで済みません。
1999年の夏、帰省した機会に厚別でコンサの初生観戦をした私は、その後鳥栖での鳥栖戦、大分の大分戦、江戸川でのFC東京戦、秋の厚別での川崎戦と全部で5回コンサの試合を見たわけですが、それはいずれも家族や同僚と一緒か、あるいは思い立って一人で出かけたものでした。
コンサを通じて知り合った人というのはそのときはまだいなかったのです。
ですがこのころ、コータファンサイトの掲示板を通じて、何人かメール交換をする知り合いができつつありました。自己紹介でもお話ししましたけれど、当時福岡に住んでいた私にとってほぼ唯一のコンサ情報源となっていたのがコータファンサイトの掲示板でありました。小心者(嘘だと思います?)の私は当時掲示板に自分で書き込みをすることができず、見ているだけでしたけれど、それでも掲示板上で行われている交流に「参加したい」気持ちが日に日に募り、あるとき思い切ってある人の書き込みに反応してメールを送ってみました。あのころは今と違って掲示板に書き込みをする際には自分のメールアドレスを載せるのが普通でしたから、掲示板上の書き込みを見て、メールを送ることも手軽にできたのですよね。
内容は札幌の街についての情報提供のような他愛のない話だったと思います。ふだんから書き込みを見て「感じのいい人だな」と思っていた人にコンタクトを取るきっかけが欲しかっただけで、ちょうど彼女が掲示板上に書いた質問に便乗したようなものでしたので(笑)。
でも、その私なりの小さな勇気がきっかけとなって時々メールのやりとりをするようになり、今度ぜひスタジアムで会いましょうということになりました。
彼女の仲介で、他にもその掲示板を通じて知り合いになった人合計6人が集まることになりました。その年の最終節、札幌から、関西から、関東から、そして私は福岡から、それぞれ仙台へ集まって、仙台スタジアムで女性6人が初対面となりました。
たいていの方が経験あると思いますが、コンサとコータという共通の関心事をもって集まった者同士ですので、こういう場面では初対面でもすっかりうち解けて話が盛り上がりますよね。私たちもたいへん楽しい時間を過ごすことができました。また、仙台スタジアムでは、他にも掲示板上で名前(ハンドル)を見ていた人と「この人が○○さんですよ」と紹介されたりして知り合いになることもできました。
試合内容は・・・。
それがよく覚えてないのです(爆)。
印象に残っていることといえば、しょっぱい内容で負けたってことと、仙台スタジアムが綺麗だったこと。
そして正面に位置していた仙台サポの「フォ~、ル~、ツァ!、フォルツァ仙台!」の手の振りです!
当時の仙台サポは今とは違ってゴール裏に陣取っていましたから、そしてアウェイサポ席も今のように半分に押し込められることなくふつうにアウェイ側ゴール裏中心部に固まることができましたから、私たちコンササポと仙台サポの中心部は真っ正面に向き合っていました。フォルツァ仙台のコールに合わせて、一斉に正面の黄色い人たちが両肘から先を胸の前でひらひら左右に振るさまは、一度見たら忘れられないほど度肝を抜くものでした。相手サポを脱力させる威力十分でした(笑)。脱力させるといえば、選手が「カーニートップ!」と言いながらボールを蹴る大型ビジョンに流れるCMも威力十分でしたけど。
ともあれ試合内容・結果はともかくとして、私にとってはその試合はコンササポとしてののめり込み度を1ステップ上げるものになりました。初対面だった私たち6人は、試合後それぞれの飛行機までの時間を惜しむように空港のレストランでおしゃべりを楽しみ、後日の再会とさらなる親交を約して別れたのです。
そういえばそのとき空港で、私たちがいたレストランの近くのテーブルに後からコータが知人と?一緒に入ってきて、私たちは気を取られておしゃべりどころじゃなくなったんだった。忘れてました。そういうこともあったんだなあ・・。(遠い目)
でもこれは今振り返るとほんのスタート地点に過ぎないものでした。
このあと本格的にコンササポの知り合いが増える機会がやってきます。
それはこの年の天皇杯(後の宴会)でのことでした。
ところで・・コンサ公式サイトの99年最終節の試合記録、会場が厚別になってるんですけど・・・。これ間違いですよね?ね?
2006年02月10日
私的コンサ思い出話の続きです。前回(江戸川でのFC東京戦)までの話はこちらから。
福岡から飛行機に乗って東京までコンサの試合を見に行った私は、その時点では気づかないまま「ある一線」を越えてしまったのかもしれません。
福岡に戻るやいなや、次に試合を見れるのは・・・とカレンダーを眺めつつ真剣に考えるようになってしまっていました。
当時はスカパー!の存在も知らず、福岡に在住の身では、動くコンサを見るには現地に行くしかありませんでしたので。
そして私が次に行ってしまったのは、1999年10月31日(日)に厚別で行われた川崎との試合でした。今あらためて日付を確認してみて、江戸川での試合のたった2週間後であることに驚いています。この時点でそこまですでに入れ込んでいたんだ、私。
この試合は、川崎が勝てばJ1昇格だったか優勝だったかが決まるかもしれない試合でした。そのころコンサのJ1昇格はかなり絶望的な状況にはなっていましたけど、目の前で川崎が優勝(?昇格?)を決めて喜ぶ姿を目の当たりにはすまい、と、コンサの意地がかかった試合でした。
そういう大事な試合をぜひ自分の目で見てみたいという思いと、個人的には「今季中にぜひ厚別のゴール裏に行ってみたい」という思いを実現すべく、夫を家に残してひとりで札幌に飛びました。ひとりでの初めての遠征です。札幌には私の実家がありますから、ひとりで遠征をする「入門編」としては手頃だったのでしょうね。
10月末の札幌といえば福岡とはかなりの気温差がある時期です。
家を出るときには大汗をかくほど着込んで、厚手のコートを抱えて向かった厚別でしたが、その日はとてもよいお天気で、厚別のホーム側B自由席は日差しがぽかぽかでした。コートを着なくても十分なくらい。
前回の厚別ではバックスタンドから眺めて壮観さに感動したゴール裏。その端っこの比較的人が少ないあたりにおそるおそる入ってみました。遠目でみるよりはけっこう席が空いていて、そこに席を確保することにしました。自分では立って声を出したり歌ったりすることはまだできませんでしたが、あのホームのゴール裏(の端っこ)に混じっているかと思うとなんだか嬉しかったです。
試合が始まってみると、意外にも?強いはずの川崎を相手に前半を1-0でリードしてハーフタイムを迎えます。ハーフタイムに夫から「どんな感じ?」と電話がかかってきて、「リードしてるよっ!」と弾んで報告したのをよく覚えています。
ところが後半はじりじりと押されて冷や冷やの展開に。ツゥットにゴールを決められて1-1に追いつかれてしまいます。
そして起きたのがあのアクシデント(?)。今思うとアクシデントではなくて、劣勢ゆえの必然だったのかもしれませんが。
アクシデントというのは、洋平がペナルティエリアの外で手を使ってボールをおさえ、一発レッドカードで退場になってしまったこと。初心者の私にはその是非は判断つきませんでしたが、洋平があそこで抑えなければ絶好機を作られてしまうところでしたから、退場は苦しいけどやむを得なかったとの見方が多かったようです。
当時の私は、正GKが退場になってしまって人数が少なくなった上に控えGKの出番になったとは理解しており、それなりに「ああ大変!」と思ってはいたのです。
でも改めて、あのとき急遽出場することになった藤ヶ谷くんが当時高校出たてのルーキーだったことを考えると・・・・。今思うとその”非常事態ぶり”は想像を絶しますね。今だったら顔色変わるだろうなあ・・・。
でもあのときの藤ヶ谷くんは、高卒ルーキーのJリーグデビュー戦とは思えないほど落ち着いてしっかりと守っていましたよね。ピンチのシーンもありましたけど、後半終了まで好セーブも見せながら無失点でのりきりました。今ならそこでめでたく引き分け・・なのですが、あのころはVゴール方式だったから・・・。結局116分に川崎の森川にVゴールを決められてしまうのですが、負けて悔しいという気持ちよりも、藤ヶ谷くんには「ここまでよくやった!」と言いたい気分の終わり方でありました。
こうして私の「初めてのひとり遠征」は終了しました。
その次の観戦機会はその年のリーグ最終戦。仙台スタジアムでの仙台戦になります。ここで私は初めて「コンサつながりの友人」と会うことになり、大人への階段をひとつ上るのでした。その話を次回に。
2006年02月03日
思い出したように不定期に思い出話シリーズの続きです。
一応目標としては、開幕までに2000年の開幕戦@鳥栖まで進めたいと思っているのですがどうなりますやら。
当時福岡に住んでいた私は、初生観戦の大分戦@厚別に続いて鳥栖スタジアムでの鳥栖戦、大分市陸での大分戦に行ってしまうと、後はそのシーズンはもう九州で生コンサを見れない状態になってしまいました。
来シーズンまで待つなんて気が遠くなりそうで、こうなったらもう飛行機に乗ってでもコンサを見に出かけるしかありません。
でも当時はまだコンサを見るためだけに休日に夫を置いて泊まりがけで出かけるのは後ろめたい気がしましたので(そういう時期が私にもありました・・・)、ひとりではなく夫と一緒に旅行がてら出かけようと思いました。そして夫を誘い出しやすい日程として目をつけたのが、1999年10月17日(日)江戸川区陸上競技場で行われたFC東京戦でした。
久しぶりに東京に遊びに行くのも悪くないし、なんと言ってもこの日の夜には国立競技場でシドニーオリンピック出場をかけた最終予選の試合が予定されています。ハシゴすれば一粒で二度美味しいです。案の定、五輪代表の試合も観られるとあって、夫も乗り気になりました。
オリンピックの一次予選のころは代表で大活躍だったコータは、このころ、最終予選には呼ばれたり呼ばれなかったり、呼ばれても使ってもらなかったりとパッとしない状態でした。でもコンサの試合と五輪代表をハシゴすれば、どっちかではコータの姿を見れるでしょう。きちんと保険もかかってます(笑)。
悪い予感は当たって(?)代表合宿を一日残して早く帰されたコータは、江戸川でのFC東京戦に出場できることになりました。使われないまま代表合宿に無駄に留め置かれるよりは、サポにはありがたい配慮ではありました。ほんとは国立での試合の方で見たかった気はしたけれど。
少し遅めに江戸川競技場に着いた私は、そこで初めて大量のいわゆる「アウェイサポーター」の姿を目にすることになります。厚別での試合は別として、大分や鳥栖では見ることのできなかった、3ブロックほどのスタンドいっぱいにみっちり詰まったコンササポ。その端っこあたりにどうにか席を見つけて座ったものの、立ちっぱなしでコールをしているサポの数も段違いです。すごいもんだなあと感心しました。
で、試合はコータが代表漏れのうっぷん晴らしとばかりに後半20分あたりにゴールを決め、それが決勝点となって1-0でコンサが勝利します。
コータはゴール後のパフォーマンスに満面の笑みでスタンドのサポをマシンガンで撃ちまくり、撃たれたサポは狂喜乱舞。楽しい楽しいワンシーンでした。これがコータのコンサでの最後のゴールになるとは知りませんでしたし。
目下のライバルに勝って念願のコータのゴールも見られて、とてもよい気分のまま、国立競技場へ向かいました。周囲には同様の目的の赤黒い人たちがいっぱいでした。
その夜は私たちにとっては初めての国立でしたが、最終予選の本番の雰囲気は期待通り心躍るものでした。しっかり勝利も決めてくれて、「来た甲斐があった」と思える遠征でしたね。
でも翌日福岡へ戻るその帰路では・・。私は早くも「次はいつ見られるんだろう・・・」とちょっと悲しい気分になっていました。そのころにはすっかりコンサの種が心身に蒔かれていたということなのでしょう。
このときのFC東京戦の結果詳細はこちら
カレンダー
プロフィール
札幌出身・東京在住(釧路に単身赴任していましたが2014/4月に東京に戻りました)のあきっくと申します。 生観戦デビューは1999年8月15日の大分戦@厚別。 夏休みに札幌に帰省したときでした。 以来「仕事のしわ寄せは平日に」をモットーに、週末にコンサを追いかけるための生活をしています。 2001年夏にJ村でユース(特に石郷くん)を見てユースに傾倒。 いわゆるユースヲタなんだろうと自覚するこのごろ。 詳しい自己紹介と私宛のメールアドレスは「ごあいさつ」のカテゴリから、シーズンごとのトップチーム関連、ユースチーム関連別の主なエントリの目次は「まとめ・目次」のカテゴリから、エントリーナンバー順の全エントリーリストは「全エントリーリスト」のカテゴリからどうぞ。 2010/02/07からツイッターを始めてみました。 ユーザー名は akikconsa です。ユースの試合を見に行ったときは気が向けばつぶやいているかもしれません。 コンサU-18選手の背番号一覧表を作りました(2015/4月版)。ユース観戦のお供に、こちらからご自由にお持ちください。 →http://www.evernote.com/l/APefpdtBmUJCBo1gGdT_yWpEMjGm6cvq_oQ/
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
コメント
検索