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札幌出身・東京在住(釧路に単身赴任していましたが2014/4月に東京に戻りました)のあきっくと申します。 生観戦デビューは1999年8月15日の大分戦@厚別。 夏休みに札幌に帰省したときでした。 以来「仕事のしわ寄せは平日に」をモットーに、週末にコンサを追いかけるための生活をしています。 2001年夏にJ村でユース(特に石郷くん)を見てユースに傾倒。 いわゆるユースヲタなんだろうと自覚するこのごろ。 詳しい自己紹介と私宛のメールアドレスは「ごあいさつ」のカテゴリから、シーズンごとのトップチーム関連、ユースチーム関連別の主なエントリの目次は「まとめ・目次」のカテゴリから、エントリーナンバー順の全エントリーリストは「全エントリーリスト」のカテゴリからどうぞ。 2010/02/07からツイッターを始めてみました。 ユーザー名は akikconsa です。ユースの試合を見に行ったときは気が向けばつぶやいているかもしれません。 コンサU-18選手の背番号一覧表を作りました(2015/4月版)。ユース観戦のお供に、こちらからご自由にお持ちください。 →http://www.evernote.com/l/APefpdtBmUJCBo1gGdT_yWpEMjGm6cvq_oQ/

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2001年開幕戦の思い出

2014年02月15日

ayaちゃん企画の 「2014開幕カウントダウン☆raise expectations」 に参加して。
第2日、2/15日分のエントリーです。
(なんとか日付が変わる前に滑り込みアップ!!ぜえぜえ)


ayaちゃんから開幕を待ちわび、盛り上げるこの企画について聞いたとき。
「そっかー。開幕戦か-。」と開幕戦に思いを馳せ、そして昔懐かしい開幕戦のことを思い出しました。
なので、そんな昔の思い出話を綴ってみたいと思います。
自己紹介のエントリで語ったこともあるけれど、私のコンサ初観戦は1999年夏の大分戦@厚別でした。なので、初めて迎えたシーズンの開幕戦は、2000年の鳥栖戦でした。そう、あの!エメが大活躍で、ハットトリックも決めて、先制ゴールを挙げた播ちゃんは試合終了間際に腰椎を骨折してしまったけど、4-0で快勝したあの試合。
あれはあれで楽しかったけど、そしてそれがその後コンサにのめり込んでいくきっかけだったことは間違いないけれど、あのころ私は福岡に住んでいたので鳥栖はいわば近場の試合でした。
なので本当の意味で「開幕戦のために」「開幕戦だから」と開幕を待ちわびて遠征の準備をして、「いざ開幕だーーーっ!」とはやる気持ちで開幕戦の地に乗り込んでいったのは2001年が初めてでした。
岡田監督のもとでコンサが「J1」に初めて乗り込んでいった年のことです。


2001年の開幕戦の相手はセレッソ大阪でした。場所は長居スタジアム。
(今年から見れるようになったJリーグ公式サイトのデータサイトによれば、この試合の公式記録はこんな感じです。懐かしい。)
初めて訪れた長居スタジアムは、とっても大きなスタジアムで、がらーんとした感じのスタンドのゴール裏の一角にコンササポが固まって陣取りました。
向こう側のゴールはとっても遠くて、選手の細かなプレーはわからないほど。
開場まもなく中に入って、席に落ち着いて、周囲を眺めていたら、なんだか多くのコンササポが隣の競技場へサッカーを見に行っているそうです。アマチュアリーグのサッカーをやっているらしい。
「隣」っていうから、今思えば第2競技場だったのかなあ。JFLの試合でもあったのかしら。
当時の私はまだコンサ(←トップの)の試合と代表のオリンピック予選の試合しか見たことがなく、社会人リーグも学生リーグも育成年代の試合も無縁だったものですから、「へーえ、よっぽどサッカー好きなんだなあ(物好きだなあ)」と思い、そちらのサッカーは見に行かずに長居スタジアムのスタンドでコンサの試合が始まるのを待っていました。
しばらくしてみんながぞろぞろとスタンドに戻ってきて・・。
さあ、選手たちが出てくる時間が近づいてきました。ワクワク。

試合前の長居スタジアムでの一番強烈な印象は。
ピッチ脇を歩いていたシャウエッセンマンですね!
スーパーで売っている袋入りのシャウエッセン。
シャウエッセン


   ←これ


これに手足がついたシャウエッセン袋の人?が、マスコットよろしくスタンドにアピールしながらゆらゆら歩いていたのです。
思わず「何?あれーー??」と、私たちは勝手に「シャウエッセンマン」と名前をつけてゲラゲラ笑ってしまいました。
ひとしきり笑ってから、シャウエッセンのメーカー(つまり日本ハム)がセレッソのスポンサーなわけね~。そうか、そうか。と納得したわけで。

・・・。
と、ここまでははっきりと記憶があるのに、肝心の試合のことはほとんど覚えていないのです。
断片的に覚えていることは

  • 前年(2000年)にルーキーで活躍して、私もかなりお気に入りだった山瀬がベンチスタートだったこと。ガンバからレンタル移籍してきた大黒くんがスタメンで、やっぱりガンバから来た人だし、ポジションかぶるし、山瀬がスタメン確保できなくても仕方ないかなあ、残念だなあと思っていました。
  • ところが、試合中に大黒から山瀬に途中交代があったのよね。(そしてその後の試合では、山瀬が大黒にとって代わってスタメンを確保したのでした。)
  • エメルソンに代わってチームの命運を託すことになった「大分から来たあのウィル」のプレーは、とっても気になるところ。なかなか頼もしいんじゃない?試合のわりと早い時間帯に、相手の主力選手と交錯して、その選手が負傷交代してしまうことになったのは気の毒だったけど、運が悪かっただけで、ウィルが一方的に悪いってわけじゃないし!
  • (そのときは知らなかったのだけど、その試合で怪我をして交代した選手ってモリシだったのですよね。で、確か、その後しばらく復帰できなかったはず。セレッソにとっては痛かったことでしょう。ちと申し訳なかった。あ、そういえばこの年、セレッソは降格することになったんだ。)
  • ウィルがゴールしたことは覚えてる。遠いサイドでよく見えなかったけど。先制して大喜びしたんだ。
  • でも、播ちゃんのゴールは、ごめん。覚えてなかった。勝ったことは覚えていたんだけど、記録を見てみたら追いつかれた後の試合終了間際の劇的ゴールだったのね。どうして覚えてなかったんだろ。勝った嬉しさと同化してしまっていたのかな。

試合内容とかプレーの質とかそういうことは全然わからないけど、勝った!J1に上がって最初の試合で、元からJ1にいるチームに勝った!
それだけでもう、十分幸せでしたねえ。(*´д`*)

2000年にホームもアウェイも制覇する勢いで遠征しまくった私は、2001年開幕のころにはずいぶんとコンサ仲間のお友達が増えていました。
そんな仲間うちで、遠征のときにはお菓子などを持ち寄るのが流行っていたのです。自分にゆかりのあるお菓子や季節限定もののお菓子などを持参して、仲間内でわけあっておやつに楽しむし、スタンドで一緒になった見知らぬ同志にもお裾分けして会話が弾んだり。
なのでそのとき私は、「開幕戦だし・・」とちょっと気合いを入れて、セレッソ戦にちなんで東京から桜餅をたくさん持参していきました。
ちょうどひな祭りを少し過ぎたころでお菓子やさんにはたくさん桜餅が並ぶ季節ですし、「桜を喰っちゃえ!」という験担ぎもありますしね。
当時住んでいたのが東京だったので、桜餅といっても、道産子になじみ深い道明寺タイプ
道明寺
じゃなく、桜色の薄皮で餡を包むような
薄皮タイプ
こういうタイプのですけどね。


開幕のセレッソ戦で「桜を食べよう」「桜餅」を持参してみんなに配って、まんまと勝利に気をよくした私は、
「そうだ!次節の柏戦には『柏餅』を持って行こう!」と思い立ちました。
でも季節はまだ3月。店頭を覗いてみて歩いた限りでは、柏餅はまだウインドウに並んでいません。
それでも気持ちが盛り上がっている私は諦めきれず、職場の人たちに「今週中に柏餅を買えそうなお店はないかしら」と聞いてまわったり、通勤路の途中にある手作りっぽい和菓子屋さんに「柏餅が欲しいんですが、作ってもらえませんか?」と尋ねてみたりしました。
柏餅
「餅はどうにでもなるんだけど、柏の葉っぱがねえ。手に入るかなあ。」と言いつつ、仕入れ先に聞いてみると言って、柏餅の予約を引き受けてくださいました。職場の人に教えてもらった和菓子屋さんにも行って、そちらでも同様にお願いして。
かくして私は、ホーム開幕戦の高知へ旅立つ前日に2軒の和菓子屋さんを回って何箱もの柏餅を引き取り、それを抱えて勇躍高知に乗り込んだのでした。(柏餅が何より重い荷物でした。)

そう、高知。
その年のホームの試合の開幕戦は、北海道でではなく、高知県高知市での開催でした。高知市の春野陸上競技場です。
当時は札幌ドームができる前で、3月半ばの試合は北海道ではまだ無理。
なので私たちは、当時笹田啓子さんが 2002CLUB のコラムで書いてらしたように、コンサドーレが「ホームの試合」として運営する(道外での)『ホーム開幕戦』、室蘭で開催する『道内開幕戦』、そして5月に厚別が使えるようになってようやく迎える『厚別開幕戦』と、何度も開幕戦を迎えていたものでした。

高知での札幌ホーム試合の開催は、当時の橋本大二郎知事が熱心に誘致してくださったんでしたっけ。高知の人たちもコンサドーレの後援会を作ってくださったりして、高知でコンサドーレの試合をやることをとても楽しみに、熱心に歓迎し、協力してくださいました。だから高知に行く前からかなり親近感をもって訪れることになったのです。
そんな高知での開幕戦は、今となってはここでもやはり、試合の印象よりそれ以外の印象の方が強いです(笑)。
ホテルの近くで開催されていた「日曜朝市」をとても楽しく見て回ったこと。珍しい野菜や果物や土地の物がいっぱいで、美味しい柑橘類を満喫して、これが毎週開かれており地元の人の日常的な買い物の場になっていることに感心して、いかにも南国な街路樹や町並みにも物珍しくて。
みんなできゃーきゃーいいながら楽しんだなあ。(あのころは今より若かった・・。あたりまえだけどw)
試合後に大々的に開かれた「炎の宴」も楽しかった。

で、肝心の試合の記憶というと

  • スタジアムへ向かうバスの中で、持参した柏餅を配ったの。2軒のお店に頼むことになったので、知り合いだけで食べるには多すぎて、手当たり次第に引き取ってもらうしかなかったから。今思うといきなりバスの中で箱が回ってきて「柏餅食べてね」というのだから、ちょっと引きますよね。いわゆる「おだっていた」(←北海道弁)ということ以外の何ものでもありませんね(笑)。
  • でもね!だからというわけじゃないでしょうが、勝ったの! その試合の記録がこちら
  • 雨が降ったりやんだりの重いピッチで、ウィルがぐいぐいと力強くゴールへ向かっていって・・・。そして、ゴール!!(*´д`*)
  • 雨にぬかるんだピッチで足元とられて倒れそうになりながらも、播ちゃんを手下のように使って、そして堂々たるゴール(*´д`*)
  • なんと、前半のうちに2点リードになりました。なんと!昇格したばかりのコンサが!開幕戦に引き続き!
  • 試合の内容や展開は覚えてません。きっと、見ていたけど、見ててもわからなかったんだと思うの。あのころの私は、戦術がどうのという話を聞いてもさっぱりわからなかったし、「岡田さんのサッカーはつまらない」「『エメにお任せ』『ウィルにお任せ』サッカーだから」等と言ってるのを聞いても「へえ、そうなのか」としか思わなかったものだから。「岡田さんのサッカー」以外を知らなかったし。
  • 2点をリードしたまま試合終盤を迎えて、コンサゴール裏ではタオルマフラーを掲げての GO WEST が始まりました。勝利を確信したときに歌う歌。もうすぐ迎える嬉しい瞬間を思って心が弾んでワクワクする歌。
  • でも、GO WEST を歌いながら私たちの目に映っていた光景は・・・。あちら側で守るコンサのゴールへ向かって選手たちがどどどとと攻め込んでいき、あ、あ、と思っていると、どうやら洋平がゴールを破られたようです。柏サポが喜んでいます。でも私たちは GO WEST を歌っている最中だから、手も口も使えないし、そのまま歌い続けて、まだリードしてるんだし大丈夫、早く試合終われ・・と念じつつ歌い続けて。
  • そして試合終了の笛が鳴りました。ああよかった。勝った。
  • 勝ったからその後しばらくは気にならなかったけど、後日、終盤の失点で勝ちきれなかったり負けたりの試合が増えて「ロスタイム失点病」などという言葉が使われるようになったとき。「振り返って遡ればあのときから・・」と言われる記念すべき試合だったのかもしれない結末でした。


変なことまで思い出してしまったけど、今思えば「ロスタイム失点病」だなんて、病気でもなんでもなくて単なる地力不足ですよね。試合終盤まで質の高いプレーを続ける頭と身体の体力が保たなかったということでしょ。と、身も蓋もないけれど。


あれから13年。
私は良くも悪くもサッカー観戦に慣れて、遠征に行くからといって特注の柏餅を持参するほど「おだつ」こともなくなり、ある意味サッカー観戦が日常のものになりました。
クラブは地元の選手を育て、チームの根っこからコンサドーレを作ろうという取り組みがかなり進んでいます。
チームは選手も監督も流転変遷するから簡単には比べられないけれど、あのころよりきっときちんとした素敵な「サッカー」をしているじゃないかなあと思います。
少しずつ前へ歩んでいくコンサドーレ。
今年はどんなシーズンになるでしょうか。
その第一歩となる開幕戦が、もういよいよ2週間後に迫っています。

楽しみだああああ~~~(*゚∀゚)=3



post by あきっく

22:20

コンサ思い出話 コメント(0)

2001年のJリーグアウォーズ

2009年12月07日

今日は2009 J.LEAGUE AWARDS の日ですね。
うちのチームからもノブリンとキャプテンのカズが参加していることでしょう。
でも式典に参加はしてもJ2の選手たちは受賞など華やかな舞台とは無縁だから、J2サポにとっては遠い別世界の話じゃありません?
私もせっかく生中継してくれているスカパー!(とノノ)には悪いけど、ふーんという程度の関心ですもの。

でもコンサにも、過去にJリーグウォーズでとても晴れがましい思いをした年がありました。コンサの歴史のなかでたった一度だけJ1に残留した年である、2001年のことです。

ちなみに2001年の受賞者一覧は→こちらをどうぞ。受賞したウイルと山瀬の写真も載っています。

先日、私のパソコンのコンサ関連ファイルのフォルダの中から偶然にJリーグアウォーズの様子のレポを見つけました。当時私がよく訪問させてもらっていたコンササポの掲示板で「招待券に当選したのだけど行けないので、誰か行きませんか?」と譲ってくださる道内在住の方がいて、私がそれを譲ってもらい、出席したことがあったのです。そのときの様子を掲示板でみなさんにご報告するときに、長くなるから書き込み中に消えてしまったりしないようにと思ってテキストファイルに下書きしたのが残っていたんですね。当時はスカパー!での中継などもなかった時代でした。
読み返して懐かしくなったので、それをご披露しちゃいます。当時の呼び名とかそのままでちょっと恥ずかしいんですが、雰囲気を伝えるためにあえてそのままで。
今度会ったときにこの呼び名を持ち出してからかうのはやめてね(笑)。
時間つぶしの昔話におつきあいいただける方は、続きをどうぞ。青字の注記は今回私が書き加えたものです。



ものすごく誇らしく、幸せなひとときでした。
このような機会を譲ってくださったTenkoさん、本当にどうもありがとう。

J.league Awards って、そういえばスポーツニュースかスーパーサッカーかなんかで見たことはある気もするけど、はっきり言って今までの私にとっては別世界。
うれし恥ずかしの初体験なので、経験豊かな(笑)職場のアントサポのコにいろいろ聞いてみました。
それによると、強豪アントサポは招待されるサポの人数も多いようで、去年はスタンドで見ている他チームのサポとは異なり、選手達と同平面のアリーナ席に座ったとか。(←注:その年の優勝チームがアリーナ席に座ることになっていたようです。)
「だとすると、コンサの席は端っこだろうなあ」と覚悟して行きました。(そのコによると、アントサポ席への応募では倍率が高くて当たらないので、なんとかして入場するために、倍率低そうな別サポ席への応募をするのも仲間内では普通とか。
彼女は今年、ヴィッセル枠に応募したけどはずれた、と言ってました。)
6時30分スタート、6時から受付開始、6時30分を過ぎる入場できません、ということだったので、わたしは5時ダッシュで職場を出て、会場の横浜アリーナに駆けつけたのですが。
5時45分ころに会場に着くと、そこは長蛇の列。圧倒的に若い女の子が多いけど、おばさんや男性もところどころ混じってる。よかった。(^^ゞ
最後尾に向かって列を遡って行くと、途中で係員が「アントラーズサポーターズ席招待券をお持ちの方は、先にこの階段を下りた先で受け付けをすまされてから列にお並びください」と誘導しています。
やっぱ、ちゃんぴよんチームのサポは、特別扱いらしい。(誇らしいだろうな。いつかこんな風になれるかな。)
その他下々の者は、一緒くたに並んで入場を待ちます。
中に入ると、カウンターで各自1個ビニール袋とオフィシャルピンバッチ(2001 J.league Awards)をもらいました。
中を見ると、本日のプログラム、J.league が新しく作った歌らしい「THE GLORY」の歌詞が書かれたハガキ、Chip Star mimi 3袋(ガーリック味、ホワイトソース味、スパイシーチリ味)、Jリーグチップス1袋が入っていました。
ただしJリーグチップスのカードは、透明な袋に入っていて外から中身が見えます。2001 J1 1st STAGE CHAMPIONS と書かれたジュビロの前田遼一と、2001 J1 2nd STAGE CHAMPIONS と書かれたアントラーズのモトやんのプロモーション用カードの2枚組。ちなみに、みんな同じカードみたいでした。なんだ、つまんない(爆)。
通路に沿って行くと「コンサドーレ札幌サポーター席」という立て看板のある入り口があって、そこから中に入るとコンササポに割り当てられた席は、ステージに近い端っこでした。
正しくはU字型というべきなのかもしれないけど、自分からの視界でいうと、Cの字の形にスタンドがぐるっと廻っていて、Cの字の切れ目のところにステージがしつらえてあります。
コンササポの席は、そのCの字の、下右側、書き順でいうと一番最後のあたり。
その左となりがレッズエリア、そのとなりがジェフ、と、地域順に並んでいます。
ただし、鹿島「様」の席は、別扱い。やっぱり今年もアリーナ席でした。ちょうど私たちからみるとCの字の真ん中にまず1本横線の通路が設けられていて、それを上下にはさんで縦線状に椅子が並べられています。ステージに近い方(右側)には来賓、関係者席のよう。Cの空間の真ん中には、ぽつんと円形のステージ(Jのロゴつき)。その後ろ(左側)にアントサポ席という形でした。
各サポ席の後ろ側にはチームのフラッグが貼られていて、おお、J1っていいなあ。
さて、いよいよ始まり、始まり。
まず最初に川淵チェアマンの挨拶があって、それから選手の入場。どこから出てくるのかと思いきや、C字の中央左端からでした。
コンサの選手が最初なので、目立つ!! タキシード姿ののの、ウィル、やましぇの3人でした(はあと)。
がぜん盛り上がるコンササポ席……の大部分。 あれ?コンササポじゃない人もここにはかなり混じってるのね?(さては狙い目と見られたか?ステージからも近いし)
選手はわたしたちの右側のステージに向かって通路を進むと、途中で丸いステージ(スポットライト照射)の上で一旦立ち止まって、それぞれのサポ席に向かってミニボールを投げ入れました。
きゃあ~~!!
3個のボールのうち、やましぇサイン付きのボールをゲットしたのは、なんといそやんでした。
きっとそのうち 山瀬マニア でそのボールの写真がアップされると思うので、注目していてねん。(←注:「山瀬マニア」とは当時友人の山瀬好きサポMANAMIさんが運営していた山瀬の応援サイトのことです。)
ちなみに、いそやんが一番欲しかったののボールは、いそやんの3列前くらいに落ちたそうです。でもって、やましぇボールは、本当はいそやんの後ろに座っていたMANAMIさんに向けて投げられたところ、途中でいそやんにとられてしまったのだそうです(MANAMIさん談。笑)。
あ、そういえば、ガンバからは、コータも来ていましたよ。ゲンキンな私は、最初の入場のときに見ただけで、その後は1秒もコータが目に入らなかったのですが(爆)。
鹿島以外の選手たち(各チーム2~3人)が全員ステージ上に並んでから、トリをとって鹿島の選手(全員?)が入場。この扱いの違い、ジュビロの選手、サポの気持ちはいかばかりでしょう。(←注:当時は2ステージ制だったので、Jリーグアウォーズの直前に行われたチャンピオンシップでジュビロに勝った鹿島が年間優勝チームとなったのでした。)
それからもしかして川淵チェアマンの挨拶だったかしらん? ああ、そういえば、川淵チェアマン夫妻から、福祉関係のなんたら団体の理事長・堀田力夫妻への、寄付金贈呈だったかな。
壇上の選手たちは、壇を降りてそれぞれ席に着き、功労選手賞(ピクシー)、優勝監督賞(トニー・セレーゾ@鹿島)、最優秀監督賞(鈴木監督@磐田)、優秀主審賞(モットラムさん)、優秀副審賞(ごめん)、J1ベストピッチ賞(横国)と発表&表彰が続きます。
それぞれ賞を発表して賞品などを渡すプレゼンターがいて、プレゼンターがひとことスピーチしてから発表に移り、トロフィーや副賞や奥様に花束などを渡し、それから受賞者がスピーチをするという段取りなもんだから、けっこう時間がかかります。集中力、切れそうです。すまん。
それにしても、サッカーの世界って野球より?洋風っぽいなあ、と思うのは、賞を渡す側も、受ける側も、基本的に奥様が一緒なの。
そして、いよいよ新人王の発表!! まずは、優秀新人賞を獲得した3名の名が呼び上げられ、それぞれその場で立ち上がって祝福に応えます(←注:このときの優秀新人賞3人が誰だったか思い出そうとしたのですが、山瀬以外思い出せませんでした)。そして新人王は・・。
やましぇの新人王はかたい!!と見て、速報用メールはあらかじめ作っておき、あとは発表と同時に送信ボタンを押すばかりにしていた私ですが、いざ発表となるとドキドキドキドキ・・・
間違って「山瀬新人王!!」メールをドキドキのあまり指が滑ってフライング送信してしまわないか心配になるほどです。
新人王のプレゼンター&発表者は、若手女優の真鍋かをりさん(←あってる?)でした。
彼女が新人王の名の書かれたバインダーの封を切って、「2001年 新人賞(←「新人王」なのに「新人賞」って間違って言ってました。)は、コン・・」と言った瞬間に、コンササポエリアからは「きゃあ~」「うお~!」という叫びが。
わたしも「やましぇ~~!!」と叫びながら、速報メールの送信ボタンを押しました。。。
あんな幸せな瞬間って、ドームでのエスパルス戦のVゴール勝ち以来じゃないかしら?(笑)
ちなみに、やましぇがゲットした新人王の賞品は、正賞が賞金50万円、副賞がオリジナル高級腕時計、オリジナル純金メダル&ブック型表彰盾、でした。
やましぇがどんなスピーチをするかな?と、とても楽しみにしていたのに、なぜかやましぇのみスピーチじゃなくて、プレゼンターによるインタビュー形式のコメントです。
あれま、やましぇはそこらの中堅選手よりもずっとりっぱなスピーチが出来る人なんだよ、と思ったけれど、言っても司会者に聞こえるはずもなく。
というか、インタビューする側の真鍋さんの方が何を言ってるのか いっぱいいっぱいという感じで、やましぇは優しい表情で質問を聞いてあげていました。
とか大きなことを言いながら、実は興奮のあまり、しぇ~がどんなことを答えてたのかはあんまりよく覚えていないの。ひえ~、ごめんなさいぃぃぃ。
去年J2でやってたときより、今年はJ1で大変なことが多かった。自分のレベルはまだまだなので、早く他の選手に追いつけるようになりたい。将来の目標は、少しでも上を目指すこと。というようなことを答えていたと思います。
その後は(コンササポにとっては、しばし呼吸を整える時間の)フェアプレイ個人賞の発表。柏の南雄太でした。
「キーパーって、そもそもファールあんまりしないじゃん」と思ったけど、「プロになって4年になりますが、今まで一枚も、警告、退場がありません」という彼の挨拶には、会場中が「おおおお~~」のどよめき。うん、確かにそれはすごい。南くんは、この先も「生涯ノーイエローカード」を目指すと宣言しとりました。
フェアプレイ賞って、この他に年間反則ポイント数22ポイント以下の反則最少クラブに送られるフェアプレイ高円宮杯があるのだけど、これは1997年にヴィッセルが受賞して以来ずっと該当クラブがなく、というかそのヴィッセルが受賞する前も該当クラブがなく、忘れられそうだから来年はぜひ受賞して欲しいという高円宮殿下の言葉は、会場の笑いを誘っておりました。
得点王は、ご存じのとおり、俺王さま。ウィルは、奥様じゃなくタイニちゃんと一緒に壇上にあがっての受賞でした。
得点王には、賞金100万円と、副賞としてゴールデンシューズトロフィーと、プラチナ・ダイヤモンドのピンブローチが贈られました。
ウィルはマリノスへ移籍か?と報じられていましたから、そんな人が受賞したことにもっと寂しく思うかと思ったら、なんのなんの。
「コンサドーレのウィル」が表彰されることの何と誇らしいこと!!
寂しさなんて吹っ飛ぶほどの、うれしさでした。
ウィルのスピーチのときに一緒に壇上にあがって通訳してるのはウリくんだし(笑)。
ウィルは、「得点王をとれたのは、決して自分だけの力じゃない。チームのみんなとサポーターのおかげ」と言ってくれたのですが、そう言いながらウィルの目はしっかりとコンササポ席に注がれていて、私たちはもう、「ウィル~~~!!!!」でした~。
ベストイレブンの発表の前に、その対象となる33人の優秀選手賞受賞者が紹介されたのですけど、そのときに湧きあがる「きゃあ~~」の声と比べて、「やませ~!」「俺王さま~!」「ウィル~!!」の声は、野太いというか、低音でしたね(笑)。
ウィルは、ジュビロ&アントの選手の中に混じって、それ以外のチームからただひとりベストイレブンにも選ばれました。
今回のアウォーズは、ジュビロとアントラーズ以外のサポの中でコンササポにとっては破格のおいしさとなりました。
いやあ、こんな華やかで晴れやかな場があるなんて、J1っていいなあ、と実感。
来年またコンサから受賞者が出てくれればうれしいけど、たとえいなくても、やましぇ&ウィルが【歴代受賞者一覧】に載ったプログラムをもらうだけでも、また来たい!!と思いました。
しばらく余韻にひたっていたくて、新横浜駅近くの居酒屋で、祝杯をあげてきたわたしたちでした。。
長文におつきあいくださいまして、ありがとうございました。


当時のレポはここまでです。
今すぐにとはいかないけれど、コンサもまたこの舞台で晴れがましい思いができるように、みんなでがんばっていきましょう~。


post by あきっく

20:14

コンサ思い出話 コメント(2)

思い出の天皇杯・尽誠学園高校戦(2)

2006年05月22日

前のエントリの続きです。



試合速報の続き(後半)

2003/11/30(Sun) 14:05 
★ 後半開始 / ぶらんか
5分くらい経過してしまいますた。
選手交代はなし。

高校生に競り負ける森下とか
さくっと抜かれる和波とか
それなりに見どころがあるらしいですw 


2003/11/30(Sun) 14:09 
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか
4-0 曽田
FKの混戦から智樹アシスト曽田頭! 

2003/11/30(Sun) 14:11
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか
ガクヤアウト→征也イン
キタ━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━!!!!  

2003/11/30(Sun) 14:17
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか  
5-0 砂川

征也ゴルはまだか!(;´Д`)ハァハァ 

2003/11/30(Sun) 14:22 
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか 
6-0 砂川
まったくおとなげありません! 

2003/11/30(Sun) 14:23
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか  
アンドラアウト尾崎イン
左サイドに入り、イチ・征也2トップのような形 

2003/11/30(Sun) 14:25
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか  
7-0 征也!
キタ━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━!!!! 

尾崎の粘りアシスト
忙しくてザスパの試合みてらんないよー 

2003/11/30(Sun) 14:41
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか  
8-0 智樹
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!! 

2003/11/30(Sun) 14:47 
☆ Re: 後半開始 / ぶらんか  
試合終了~~~
みなさんモツでした~~~

智樹・征也、よくやった! 


そして私が帰宅してから投稿した浮かれレポ


2003/11/30(Sun) 21:32 
★ 楽しかった~! / あきっく   

ただいま帰りました。いやあ本当に行ってよかった!
智樹と征也がピッチに立ってるところが見れたらもうけもの、、ってくらいのつもりで行ったのに、大活躍のうえゴールまで。
立ち上がりはね。どうなるか?と思ったですよ。
高校生相手にさすがにボールは支配しているものの(最初はハーフコートゲーム?って感じだったw)、必死で守る高校生くんたちの密集地帯を打開できず、パスの意図も合わず、なかなかシュートに持ち込めない。ま、見慣れた光景といえばそれまでだけど、相手が高校生ですからねえ。まあ、うちの選手たちとしても、高校生相手にどこまでやっていいのか図りかねて様子をみていたところもあったのかもしれないけど。
前半10分以上を経過してようやく落ち着いてボールが回せるようになってきたかな?と思ったら、なんとピッチ脇では智樹がアップしている!!
「ええ?ええ?もう??」と思うまもなく、気づいたら智樹ってばアップをせかされて、本人もとまどいながらも見ればトレーニングジャージを脱いでるじゃないの!
「うわあ、出るんだあ~~」と興奮状態ですよ。>私
実は田畑が怪我したらしいことに全然気づいていませんでした。ごめんなさいね。>田畑

で、智樹がボランチの位置に入り、さっそくいい感じでよくボールに絡んでいる。なんだかゲームの流れもよくなってきた感じ。うっとり。(←ひいき目)
と見ているうちに、ようやく先制点が入りました。ひと安心。スポ紙によれば智樹は強化担当の三上さんに「遠慮したら怒るぞ」と言われていたらしいですが、遠慮どころか智樹があんまりピカピカに輝いて、他の選手がかすんで見えるほどでした。(←ひいき目による言い過ぎ。笑) 

2003/11/30(Sun) 21:45 
☆ 征也のゴールシーンは / あきっく
もちろん、征也も積極的によいプレイをしてましたよ~。2トップのFWの位置に入ったのですが、チャンスがあるとすかさず前を向いてシュートを狙っていましたし、ゴール前の混戦でもうまく体を入れ替えて抜け出して、さすがの技術を何度も見せつけてくれました。
征也のゴールは、左サイドを尾崎がドリブルしながらあがり、相手選手2~3人に囲まれながらもよく粘って、ゴールラインぎりぎりのあたりからゴール正面に向かって地面を這うマイナスのパス。征也はゴール正面よりもちょっと右側にいたのですが、なんとか足を伸ばし、倒れ込むように体勢を崩しながらも低い位置からゴールネット上部に突き刺さるような技ありシュート。いや、ほれぼれしました。

実は征也、試合終了間際の、サポがGo Westを歌っている時間帯にも絶好機があったのです。右サイドの高い位置からスナマコから「ほら、いれなさい」とでもいうような優しいクロスがゴール正面でフリーだった征也の頭にどんぴしゃり。
ゴールネットとの間にはGKしかいなかったのに、残念ながら枠をはずしてしまったのですが(征也、悔しそうでした)。あれが入っていれば2点目だったのにね。 

2003/11/30(Sun) 21:50 
☆ 智樹のゴールシーンは / あきっく  
相手選手の足もとまりがちで、やりたい放題状態になっていた試合終盤。細かく早いパス回しでどんどん攻め上がり、ゴール前で左右に振り回しているうち、マイナスのクロスだったのか、相手選手のクリアだったのか、ボールがゴール正面のちょっと遠い位置(ペナルティエリアのちょっと外側くらい?)にいた智樹の目の前に。
「打て!打つしかない!」というタイミングを逃さず智樹が右足を振り抜いて、ボールはズバン!!とゴールネットに突き刺さりました。びゅーてほーゴールでした。
 
2003/11/30(Sun) 21:55 
☆ Re: 楽しかった~! / あきっく  
智樹と征也の話ばかりになってしまいましたが、もちろん他の若手選手も張り切ってがんばってましたよ。
尾崎の公式戦初出場も嬉しかったし、イチも公式戦初ゴールかしら? 岡ちゃんも積極的に攻め上がってましたし。

いや、もちろん、相手が高校生だからというのは承知してますよ。これで来季は大丈夫などと言うつもりはありません。でも、今はまだチームとしてやり方が定まってなくて個人技頼りですけど、来季このメンバーでじっくりチームを作っていければ楽しいな、、、と思って、未来に楽しみを見いだした思いの帰り道でした。 


このあと、室蘭でサポが凍死寸前だったという静岡産業大学戦、3回戦のガンバ大阪戦@万博(←智樹がスタメンで出場)があってこのシーズンが終わります。
翌年は年間で5勝しかできなかったあのシーズンになるのですが、私には辛かった2003年と比べて、2004年は希望の見える明るい年でした。
そしてそれ以来チームは着実に歩みを進めています。
あのころと比べると本当に幸せだなあと、思い出すたびにいつも思います。

シーズンのさなかに、突然の長い思い出話におつきあいくださいましてありがとうございました。


post by あきっく

00:46

コンサ思い出話 コメント(5)

思い出の天皇杯・尽誠学園高校戦(1)

2006年05月22日

久しぶりに週末を家でゆっくり過ごし、パソコン内のフォルダの整理などをしていたら、懐かしいファイルが出てきました。2003年シーズン末の天皇杯1回戦、丸亀競技場での尽誠学園高戦を見に行って、そのようすをぶらんかさんTodo Consadoleに投稿したときのページを保存したものでした。今はブログになって各エントリにコメントをつけられる形式になっているトドコンですが、以前は掲示板があって、私はしょっちゅうトドコンにおじゃましては、いろんな感想を書き込んだり、見に行った試合の速報やレポを書き込んだりしていたのです。
このときは智樹と征也が出場してそれぞれゴールも決めて、私は嬉しさのあまり有頂天になっていましたので、投稿したレポも記念になるかもと思って自分でも保存しておいたのでしょう。懐かしく思い出して読みふけってしまいました。


たかが高校生相手の天皇杯1回戦でそんなにも嬉しい気分になるなんて・・。ときっと思われるでしょうから、当時の背景事情を少しご説明しますね。
(長くなりますから折り畳みます。)


2003年の秋、私はコンサとHFCに対してかなりやさぐれていました。
2003年はご承知のとおり、1年でJ1に戻ることを最大テーマに、有り金をはたいて外国人選手を補強しシーズンに臨んだものの、うまくいかず8月上旬にジョアンカルロス監督が辞任。その後張監督が指揮をとるも、チームは迷走状態を続けていました。私は、チームが負けること自体より、チームがバラバラで試合を重ねてもそれが一向に改善される兆しがないことが切なく、コンサの試合を見ることが辛く感じるようになっていました。
また、クラブの状態も、先行きが見えない重苦しさを漂わせていました。
HFCの財政状態がかなり厳しいというのは報道などでちらちらと出ており、HFCは新たに「パーソナルスポンサー」という制度を始めてサポから金を集めるということでしたけど、「パーソナルスポンサー募集のお知らせ」がオフィシャルサイトで発表された以外にこれと言って説明も宣伝もなく。
いったいどれほど本気の取り組みなんだろう、サポからお金を集めたいなら現状と今後の見通しをきちんと説明するのが先だろうに、と腹立たしい思いでした。(このとき内部では5段階強化計画が策定中だったのですが、当時は分からなかったもので。)

それで現実逃避のように私はユースへの傾斜を深めていきました。
きっかけになったのは、宮の沢で行われたサテライトの仙台戦でしょうか。

それまでもトップの試合にかぶらないユースの試合は、関東で行われるのはもちろん、栗山やドームサブグラにも見に行ったりしていましたし、夏はJ村へ行ったりしていましたから、気になるひいきのユース選手も何人かはいたのです。でも宮の沢でのサテ仙台戦に出場した智樹(当時高3)と征也(当時高1)のプレイを見て、改めて2人に心を奪われました。
智樹は1年生のころから、いえ多分中学生のころから、その筋の人には名がとどろいていて(笑)、チームの中心選手でもあったので、私もそれなりに敬意を払っている選手でした。2003年7月末のJ村(クラセンU-18)でもチームを引っ張ってがんばっていましたよ。0-1でリードされている状況でもらったPKをはずしたりしたけど(爆)。
けれどそのサテ仙台戦での智樹は、私の目にはそれまでとは異質に輝いて見えたのです。ユースながらトップの選手の中に混じってひけをとらないどころか、ピンチの場面で智樹がボールを持つと、必ずフリーな味方にパスが出され、ピンチが一転してチャンスになります。また、思いもかけないスペースにパスが出されて、そこから大チャンスが生まれたりします。その様子は宮の沢のピッチですぐ目の前で展開される光景だけに、とても印象深いものでした。

征也の場合はさらに鮮烈でした。
少し前にJ村で見た征也は、FWの位置で試合に出ていましたけど、FWとしての動きはいかにもぎこちなく動き出しがワンテンポ遅れるなど、本職ではない感がありありでした。それがほんの1週間後の宮の沢では、前線で生き生きとボールを受けて、トラップや反転の速さに技術の高さを見せつけて、サテライトデビュー戦だというのに(すいません。征也はこの前にも仙台スタジアムでやったサテ仙台戦と宮の沢でのサテFC東京戦に出場していましたね。自分が観に行かなかったのですっかり忘れていました。済みません。ここでこっそり修正します。)あっと言う間に2ゴールを奪ってしまいました。
あのとき宮の沢で征也に度肝を抜かれた人は多かったと思いますが、私は1週間前と比較してその成長ぶりにびっくりし、どれだけ伸びしろがあるんだろうと思うともう目が離せなくなりました。(ちなみに征也はその少し後の8月22日、U-16日本代表に呼ばれた合宿でFC東京U-18と練習試合をしたときにも、サテ仙台戦でこぼれ球に詰めて決めた2点目=チームの5点目=と同じような形で先制ゴールを決めたんですよ。ポジションは中盤の右サイドでしたけど。)


そのようにしてユースの中に特に心惹かれる選手ができてしまったことと、トップの試合が痛々しくて辛かったことで、わたしは特別な理由がなくてもトップの試合を蹴ってユースを見に行くという禁断の(?)領域に足を踏み入れてしまったのですが、ユースのチーム自体の連動性あるプレイの素敵さとは裏腹に、智樹の輝きはなんだかくすんだままでした。Jユース、サテライト、高円宮杯、見に行くどの試合でもあのとき宮の沢で見たようなキラキラ輝くプレイの智樹は見れず、「今日もまたいまいちだった・・。」と悲しい思いを胸に秘める日が続きました。征也のプレイも波がありましたけどね、よいときはとてもよかったし、まだ1年生ですからどうってことなかったんですよ。でも智樹の場合は3年生でトップ昇格がかかってきますから、なかなか調子を取り戻せないことが気がかりでした。ちまたでは、このままではトップ昇格は無理ではないかとの観測も漂っていました。
智樹がようやく復調したかな?と思ったのは、11月9日にヴェルディグラウンドで行われたJユースのヴェルディ戦です。この試合、結果は0-6と大敗だったのですが、チームとしてやりたいことは明確に見えていて、見ている方としては楽しい試合でした。そして智樹のプレイが精彩を取り戻していて、思わず涙がにじむほど嬉しかったのです。確かこの少し前に智樹はトップの練習に呼ばれてアピールするチャンスを与えられていたのじゃなかったかと思います。「まったく、現金だよね~。」とビョーキ仲間と泣き笑いしつつ喜んだものでした。
このように智樹のトップ昇格に薄日が差してきた・・と思っていたところ、天皇杯に向けた準備をする時期に智樹と征也がまとまった期間トップチームの練習に参加しました。そして直前の報道によれば、コンサ史上初めてトップの公式戦に出場する(かもの)ユース選手として、智樹と征也が1回戦が行われる丸亀に帯同するというじゃありませんか!
しかもこのころには、すでに「5段階強化計画」がクラブから発表されて、来年以降は若手選手を育ててチームを強化していくという方針が決まっていました。天皇杯1回戦は、これら来年以降チームの基盤となる若手選手がたくさん見られる、翌年を先取りした試合になると思われました。
こ、これは何としても行かなければ!!と駆けつけたのがこのときの遠征です。ですから行く前からもう私は浮かれ状態だったのですよ。


前置きの説明がえらい長くなりましたが、以下がそのときの投稿内容です。
懐かしさのあまり、ぶらんかさんのお許しを得てここに再掲します。浮かれポンチな表現がちょっと気恥ずかしいですけど(笑)。

まずは、前日の書き込み

2003/11/29(Sat) 22:07 
★ おかげさまで・・(笑) / あきっく   

安心して四国に飛びますです。
天皇杯登録選手報道が出てから色めきたって遠征を検討したわけですが、それまで眼中に入ってなかった試合だっただけに、何日の、何時キックオフだったか、丸亀って最寄り空港は高松だっけ?愛媛だっけ?と、そこから調べなきゃならない始末でした。飛行機とれるか?ちょっと焦りました。(実際は余裕の空席状況でした。)
いやあ、シーズン末にこんな美味しいおまけがついてくるなんてねえ(嬉)。
ぜひ出場もできるように、強力な念の加勢をよろしくお願い致します。
(明日の朝早いので今夜のワールドユースは録画するだけ。今ちゃん、ごめんね。がんばれ。) 


それから試合の速報。
試合前のようすは自分でノートパソコンから投稿したものの、試合が始まると私は文字を入力する手間を惜しんでぶらんかさんに電話をし、その内容をぶらんかさんが掲示板に書き込んでくれました。

2003/11/30(Sun) 11:36
★ 天皇杯一回戦 / あきっく  

スタジアムに着きました。今日はメインスタンドだけの開放です。
大会プログラムをみると、智樹がもらった背番号は6、征也は26、二人ともMF登録です。スタメンがわかったらまた連絡しますね。
尽誠学園の応援団くんたち、気合い入れて発声練習してますよ。 

2003/11/30(Sun) 12:36 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / あきっく
アップしてる顔触れからするとベンチ入りメンバーからは尽がはずれたみたい。
尾崎、よかったね♪ 

  • 注 このころは遠征にベンチ入りメンバー+1名が帯同していて、予想では尾崎は「17番目の選手」としての帯同だと言われていました。当時尾崎はまだ公式戦の出場なしだったんじゃないかな。だからベンチ入りできてよかったね、という表現になったのです。

2003/11/30(Sun) 12:46 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか
スタメン

GK 藤ヶ谷
DF 岡田・曽田・田畑・和波
MF 森下・三原・市村・砂川
FW アンドラ・堀井

控え:阿部・尾崎・鈴木・藤田・相川

2003/11/30(Sun) 13:13 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか
現地情報

開始10分
ボールは持ってるけど連係が…てな展開
らしいですw

2003/11/30(Sun) 13:15 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか 
田畑アウト智樹イン。(;´Д`)ハァハァ 
怪我か?

2003/11/30(Sun) 13:17 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか
三原とのダブルボランチ
3バックか?森下がDFやっている模様。
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル 

2003/11/30(Sun) 13:21 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか
1-0 アンドラ
イチのクロスにヘディング よしっ 

2003/11/30(Sun) 13:26 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか
訂正
○ 砂川のクロス
てな話をしてたら
2-0 ガクヤ

智樹入って流れが良くなったそうです。うきゃー 

2003/11/30(Sun) 13:40 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか 
3-0 市村
ペナルティエリアのちょっと外から豪快に決めたそうです。

んで智樹がピカピカ♪ 

2003/11/30(Sun) 13:48 
☆ Re: 天皇杯一回戦 / ぶらんか
前半終了~~~~
乙です。 

<次のエントリに続く>





post by あきっく

00:05

コンサ思い出話 コメント(0)

私の初めてのJ村

2006年05月02日

今週末、いよいよ北海道プリンスリーグが開幕します。
今日の朝日新聞道内版にも記事があったようです。
記事のweb版は→こちら
ふだんコンサのことはあんまり大きくは取り上げない朝日新聞でこのように特集記事を組むのは、朝日新聞がプリンスリーグに協賛しているからでしょう。


北海道プリンスリーグの試合会場に掲げられる大会幕
共催:朝日新聞社の文字が見えます。

ですので、プリンスリーグの記事を探すなら朝日新聞や同系列の日刊スポーツがお奨めですよ。
ちなみに、今年のプリンスリーグ・コンサユースの試合日程は以前のエントリーを参照してくださいませ。
私も、第1節の5/6は笠松での水戸戦と重なるので、これでも関東在住サポのはしくれとして笠松に行ってきますが、第2節の駒大苫小牧高戦はぜひ見に行きたいと思っています。
新しくできた札幌アミューズメントパークも楽しみですし。


私がユースの試合のために遠征するようになるほど、いわゆる”ビョーキ”になったのは、プロフィールにも書いていますけどそもそも2001年夏にJ村に行ったことが始まりです。
今回のエントリーはその思い出話です。



2000年シーズンの私は、以前思い出話をしたとおり初めてシーズン当初からスタジアムで観戦するようになった年でもあり、また、福岡から東京に越してきてどこのアウェイもホームも行きやすくなったこともあって、トップチームの試合を追いかけるのに夢中でした。
チームはどんどん勝ち続け、サポの知り合いは増えていって、まさに私のサポ生活において右肩上がりの時期でした。ホーム、アウェイ合わせて40試合中確か36試合行ったと思います。
そんな無我夢中な1年が過ぎて、翌年の2001年。
J1で試合数が少なかったこともあり、自分の中である程度気分が落ち着いたこともあって、トップチーム以外のコンサ全般に目を向ける余裕が出てきました。
ひぐまさんを初めとする”ビョーキ”(←トップよりもむしろユース観戦の方を優先してしまうユースヲタの人たちを、こう呼んでいました。)の人たちから、ユースの魅力を散々聞かされていた影響も大きかったと思います。
ちょうどその夏、ふだん関東エリアの試合でバスツアーを個人で企画してくれていたひぐまさんが、特別編としてJ村でのクラセンU-18に向けた日帰りバスツアーを企画してくれました。それまでなかなかユースの試合を見る機会というか、きっかけがなかった私でしたが、そんなバスツアーをやってくれるなら参加してみるかな、と軽い気持ちで参加してみることにしました。今思えばあんな遠いJ村での観戦が初ユースだなんて、なんて珍しい!と思いますけれども。


ひぐまさん他ユース好きの人たちの中でしばしば話題になるのは、にやにやして試合中ピッチ上をのらりくらりと歩いていたかと思うと、あっと言う間にボールをさらってゴールしてしまう、ふてぶてしい態度のFWのことでした。そのFWは、調子のよいときはピッチでにやにやしているので、その表情を見れば調子がよいかどうか分かるということでした。
私はそのFWを見るのを楽しみに、J村行きのバスに乗り込みました。
J村行きのバスツアーは、ふだんJリーグの試合のときにバス3台とか仕立てるのと比べると1台だけのこじんまりしたツアーでしたけど、でもバス1台がそこそこ埋まる状況で、コンササポのユースに対する関心の深さを改めて示すものだったと思います。今思えば。他サポのユースヲタの某有名人も混じっていましたけどね。


当時の大会パンフレットを見直してみると、私が見に行ったのは、2001.7.29(日)のグループリーグ第1戦・GENIOS.FC(冨山県のクラブチーム)戦だったろうと思われます。各ピッチで一日3試合あるうちの第3戦(16:10キックオフ)だったので、どうせ行くならと少し早めに着いて他のチームの試合を観戦したりしました。
当時はコンサユースの選手をほとんど知らなかったので、今思い出せることはとても少ないんですけど、私の目を奪ったのは、にやにやしてゴールをゲットするFWでもなく、多分出ていただろうと思われる智樹でもなく(出ていたかどうかさえ記憶にないw)、右サイドを疾走する1年生の選手、石郷裕二くんでした。
そしてこの試合で私は、ユース好きの人がユースの試合を観戦・応援する際のスタンスを目の当たりにしました。
例えば、相手チームの選手もサッカーに真摯に取り組んでいる高校生。決して「敵」ではありません。痛んでいれば心配するし、いいプレーは賞賛し、ときには励ましたりもする。いつどこでコンサの一員になるかもしれない選手たちですしね。
もちろんコンサユースの選手にはそれ以上。ミスをしたり弱気な選択でせっかくのチャンスを生かせなかったとき、トップの試合だと「あーあ。」とため息をついたり「なにやってんだよー!」と罵声が飛ぶようなシーンでも、選手を萎縮させるような言葉は避け、励ましたり、前を向かせる言葉をかけるという姿勢が徹底していました。話には聞いていたけど感心しました。
「ユースの選手たちはプロではない。サポーターのためではなく、自分の夢、自分の目標のためにサッカーをしているんだ。私たちはそれを勝手に見せてもらって楽しんでいるだけ。」という言葉に納得したものです。


そうやって試合を楽しみ、さあ帰ろうと帰りのバスに乗ろうとしたところ・・・。なんか人が減っています。来たときの半分ほどの人数でしょうか。
実は、日帰りのバスツアーのうち、行きの片道だけを利用するという人がかなりの部分いたのです。つまり、その日はJ村周辺に泊まって(中にはテントで野宿をする人もいたような)翌日のグループリーグ第2戦も見ていこうというわけです。
翌日は月曜日ですよ?!ほんとに?! と私は信じられない思いでした。そのときはいずれ自分がJ村の日程に合わせて休暇をとるようになるとは想像していませんでした(爆)。
私のこの夏のJ村はこの日だけで終わってしまいましたが、現地に見に行かないまでも日ごとに結果については気にしていましたね。ビョーキの方の伝える速報でコンサユースが勝ち進んでいることを知り、とても嬉しく思っていました。大会パンフレットに当時私が書き記した結果のメモが残っています。
準決勝、決勝は土日だったこともあって、多数のサポが駆けつけたと聞いています。決勝戦は惜しくもFC東京U-18に破れましたけど、それまでのコンサユースの戦績の中では大躍進である準優勝に輝き、3年生の新居が大会MIPを受賞して、コンサユースにとっては歴史に残る年になりました。

このころはクラセンで上位5位に入ったチームに高円宮杯の出場権が与えられるなど、大会の位置づけは今とは多少違いますけれども、あのころから去年までずっと変わらないのが決勝トーナメント進出を決める方法のややこしさです。
夏になると地道なシミュレーション作業をしてくれる通称「勝ち点計算士」さんが恋しくなります。(笑)
今年のクラセンの大会要領はまだ発表されていませんが、これまでと同じ方法だったらまたよろしくお願いしますね。>計算士さま


初めてのJ村に続いて、私がユースにのめり込んでいった理由も書こうと思ったけれど、長くなり夜も更けてきました。
続きはまたの機会に。

(追記)
私がユースにのめり込んでいった理由は、こちらのエントリにもあります。


post by あきっく

02:10

コンサ思い出話 コメント(2)

1999年天皇杯と2000シーズンの始まり

2006年02月26日

開幕が来週に迫ってきました。思い出話にひとまずけりをつけないと(汗)。
ということでとりあえず思い出話完結編。
ものすごく長くなってしまったんで恐縮です。どうぞお時間のある方だけおつきあいくださいませ。
前回までの思い出話はこちらから。


1999年のシーズン末は、福岡に住む私にとってラッキーなことがありました。
リーグ戦が終了してしまっても、天皇杯3回戦は博多の森でJ1のアビスパ福岡と対戦することになっていたのです。
コンサが福岡に来てくれる!
前年のJ1参入戦のことを思えばチームやサポにとっては複雑な思いがあったかもしれません。でも初心者サポの私にとっては福岡でコンサの試合が見れるのは単純に嬉しいことでした。
1回戦は11月28日(日)長居第2で阪南大学との試合。
ちょっと苦戦したようでしたが、無事勝ってくれました。
2回戦は12月5日(日)。ちょうどあの試合から1年後の同じ日に、再び室蘭での試合でした。相手はマインドハウスTC。三重県の教員チームが母体となったチームだそうです。
この試合はBS放送での中継があり、私は福岡市内の自宅でテレビ観戦でした。室蘭入江は小雪がちらついて画面越しにも寒そうで、なかなか点がとれずにハラハラしましたが、なんとか2回戦も突破して、コンサは無事博多の森に来てくれることになりました。
ここでもし敗退でもしたら私にとっては痛恨の一撃でしたからね、テレビで見ててほんとにホッとしたのを覚えています。



そしてこの博多の森での天皇杯は、コータファンサイト掲示板に集う人々にとっては、決して口には出さないけれど暗黙の共通理解となっていることがありました。
それは、この試合に負ければそれがコータの最後の赤黒ユニ姿になるだろうということ。
当時移籍先はもちろん、移籍するか否かということさえ公式には何も発表されていませんでしたけれどね。でもね。
それでというわけでもないのでしょうが、博多の森での試合の後、福岡市内での宴会が設定されました。当時「コータカメラマン」としてそのファンサイトにたくさんのコータ写真を提供してくれていた佐賀在住のFさんが企画してくれたものです。私はその掲示板でふだんから印象に残るような書き込みをしているわけじゃないので、誰も私のことを知らないだろうしと少々臆する気持ちがあったのですが、たまたま福岡在住と書いた私の書き込みを目にした主催者Fさんが直に案内のメールをくださったのに背中を押されて、勇気を持って参加してみることにしました。いつも(一方的に)親しく書き込みを見ている方々と会える最初で最後の機会かもしれないですしね。(夫にも行こうと誘ってみたのですが、試合は見に行くけど宴会まではいいや。と断られてしまいました。)

で、試合ですか?
ええ、負けました。0-1で。
コンサはとことん情けない姿でしたけど、アビスパも敵ながら「へったくそ・・」と思うようなダメダメ加減で、関係者以外は誰も見たくないだろうなあと思うほどしょぼい試合でした。
というわけで、はいこれでコータの赤黒ユニ姿の見納め!!
この試合、確かコータはキャプテンマークを腕に巻いていたように思うのですが、どうでしょう?おぼろげな記憶・・・。記念だったのでしょうかね。

試合後、博多駅近くの居酒屋に場所を移して宴会です。20~30人くらいいたでしょうか。今日の試合のこと、コータのこと、これまでのコンサのこと・・。話は盛り上がり、途中でひとりずつ自己紹介がありました。そこで私が驚いたのは、「闘魂継承者」を名乗っていつも男前な書き込みをし、急きょ代表に呼ばれたコータを見るために単身パラグアイまで行ってしまうかっこいい「いそやん」が若い女性(当時)だったこと!・・だけじゃなく、「アウェイは全試合行った」とか「ホーム全試合のほかアウェイもほとんど行った」などを普通に言ってしまう人が複数いたこと。だって、アウェイ全試合って・・と思わず想像してクラクラしましたよ。(その後の自分の姿も知らずに。ってか私は今までに「全試合」を行ったシーズンはありませんからね。)
そして、コータがきっかけでコンサを見るようになり、コンサにはまり、たとえコータがコンサを出ていくことになってもこれからも変わらずコンサを応援しますと決意表明をしていた人がかなりいたことは、同志を得たようで心強かったです。

宴会が終わり、店の外に出ました。知り合い同士で2次会へ繰り出す人たちもけっこういるようでした。私は2次会へは行かずに帰るつもりでしたが、わざわざ会に誘ってくださったFさんに一言お礼を言おうと思って外で待っていると、「福岡に住んでいるんですか?」と話しかけてきた方がいました。「福岡のどのあたりですか?」とか西新(にしじん)のラーメン屋さんの話とか、福岡ローカルな話にけっこう詳しいその人は、かの有名な高谷さんだったのでした。私はそのときはまだ高谷さんがどんな方か知らなかったのですが。メールアドレスを教えてもらい、このとき高谷さんと知り合いになったことは、その後コータの移籍と時期を同じくしてコータファンサイトが閉鎖になり、コンサ仲間との交流場所を失った私にとって、振り返ってみるととても大きな出来事でした。


年末に、コータの移籍の正式発表がありました。半ば覚悟していたはずでしたが、発表を聞いてどうしようもない悲しさがこみ上げてきました。夫が帰宅する前の誰もいない部屋で声をあげて泣いてしまい、涙を流しながら「応援するチームの選手がひとり移籍したくらいで・・。いい大人が、そんな・・・。」と自分の反応に自分でうろたえていました。
コータの移籍以上にショックだったのがコータファンサイトが閉鎖して「居場所」を失ってしまったことでしたが、仙台戦で会った人たちや高谷さんなどとメールのやりとりをして、次第に次のシーズンへ向けて気持ちの準備をすることができました。仙台で会ったメンバーとは、勢いでそのままOSCを作ったりして楽しく過ごしました。2001年のイヤーブックにちゃっかり写真まで載っちゃったりしてるのは、今では懐かしい思い出です。


そしていよいよ2000年のシーズンが開幕。
開幕戦は3月12日(日)鳥栖スタジアムでの鳥栖戦。4月から転勤で東京に引っ越すことが決まっていた私にとっては、開幕を地元で見てから転居できるという好都合なスタートとなりました。
開幕戦の前夜は、全国各地から集まったサポで博多で決起集会(という宴会)が開かれました。それまでにコンサ仲間の知人が増えていた私は自信満々(笑)、夫を引っ張り込んで勇んで参加しました。100名を越す(もっとか?)大宴会でした。ここで高校の同級生にばったり会ってびっくりしたっけ。「開幕戦は全国どこであっても行くことにしてるんだ」と言ってた彼とは、その後何度もスタジアムで会いました。


鳥栖での開幕戦の衝撃は、鮮明に覚えています。
お天気もよい日でした。前回の鳥栖戦のころとは違って、このころにはすっかり「試合中立ってコールする人」に混じりたくなっていた私は、結成したばかりのOSCのメンバーや天皇杯のときに知り合った人たちと一緒にゴール裏中心部に陣取りました。
2000年は前年と大幅に選手が入れ替わり、チームは遠くオーストラリアでキャンプをやっていたとあって、今年の選手を自分の目で見たことがある人はその場にほとんどいない。試合前にゴール裏で改めて選手の名前と背番号をみんなで再確認する始末(笑)。
選手のコールも決まっていなくて、エメのコールも何種類か候補があがってやってみたけれど、「これ」と決まったのはなかった。コールリーダーのいしもりさんが「まあ、始まったらなんとかなるっしょ」って感じでとりあえず試合に突入。そういえばこのとき健作のコールはまだ「けんさく!!」ではなくて「おおもり!」だったはずですね。確かこの後のアウェイ甲府戦かあるいはアウェイ水戸戦のときに「森と大森はややこしいから、どっちかを下の名前に変えよう」ということになり、以来アウェイでは健作の選手コールが「けんさく」になったはずので。(ホームでは翌年くらいからだったかな)

いざ試合が始まってみると、それはもう衝撃の世界。これがコンサ??! エメの速さもびっくりだけど、選手がピッチを生き生きと動き回ってすっごく強そう。
ゴール裏に集まったサポたちも思わず笑顔がほころび、「おいおい!どうなってんだ?まるで違うチームみたいだな!」「だって(選手が)違うチームだもの!」(爆笑)と軽口が飛び交います。
前半の早いうちにバンちゃんが先制ゴールを決め、「いいチーム」に仕上がっていることを確信させます。エメの惜しいシュートでいざエメのコールというとき、いしもりさんがクルッと後ろを振り向いて、ちょっといたずらっぽい笑顔で「じゃあ、『ビバ!エメルソン!』でいこうか」とみんなに声をかけ、あのコール「ビバ!エメルソン!」が始まりました。勝利の予感とこの先の期待に浮き立つゴール裏は、ノリのよいビバ!エメルソン!のコールにあっという間に呼応して、その後シーズン中何度となく私たちを酔わせてくれたコールがそのとき始まったのでした。

試合はエメのハットトリックを含む4-0で快勝し、終盤相手選手と交錯して背中を打ち担架で運ばれたバンちゃんは心配でしたけれど、サポは興奮状態でした。単にその日の勝利だけでなく、この先もよいシーズンになりそうな期待が何よりも嬉しいことでした。
興奮さめやらぬままさっそく仲間うち(←つい先日知り合ったばかりというのにもうすっかり仲間状態w)で祝勝会でしょ。夫は「今日はもう宴会はいいや」というので、博多駅に降りたところで夫と別れ、私は祝勝会に繰り出します。OSCを結成したメンバーのほか、天皇杯後の宴会で知り合い、ゆうべの決起集会で親しくなった関東在住の人たちやあの高谷さんなど。「4月から関東サポの仲間入りをしますのでどうぞよろしく~」と挨拶をしたり。

祝勝会では今日の試合について盛り上がり、おのずと次節のアウェイ甲府戦のことにも話が及びます。関東から来ている人が多かったので、当然みんな小瀬には行く前提です。私はとても羨ましくなりました。いいなあ、こんなふうにスタートしたチームがこの後どうなるのか、次もぜひこの目で見たい。そして私の胸の中でささやく声が。
「みんなこうやって関東から鳥栖に駆けつけているんだ。私はたまたま地元だったけど。でも開幕が甲府だったら私も甲府に飛んでいたはず。なら私も開幕戦の分と思って甲府に行って何が悪い?(爆)」
甲府戦は月曜日だから行けないと思っていたけど実は祝日です。羽田まで行けば、高谷さんを羽田から小瀬まで乗せて行ってくれることになっている知人の車に私も一緒に乗っていってもいいよと高谷さんが誘ってくれます。
ええい!行っちゃおうか!日帰りで。
(この祝勝会の席に夫がいなかったのが幸いしたのかどうか・・。)


家に帰って「来週、甲府に行くことにした」と告げたときの夫の反応は覚えていません。呆れてはいたかもしれませんが、別に不快感は示されませんでした。そしてそれが今に至るその後の私たち夫婦の生活パターンの始まりでした(笑)。
翌週月曜日、私はひとり羽田に降り立ち、高谷さんと合流して初対面の方の車に乗せていただきました。コンサ仲間というのは思えばずうずうしいですよね。この方にはその後あちこちのアウェイスタジアムに乗せていっていただき大変お世話になりました。しばらくお会いしていませんがお元気かしら。お子さん達も大きくなったでしょうね。

小瀬でも3-0の快勝。今年の強さは本物らしいと思えました。
勝つっていい気分。エメのゴールのたびに「ビバ!エメルソン!」ってコールするのもいい気分。

ところでその帰途ですが。3連休最終日の夕方の中央道は大渋滞で思ったように車が進みません。高谷さんは千歳行きの、私は福岡行きのそれぞれ最終便に乗る予定にしていたのですが、なんだか危うくなってきました。そこで途中で(今思えば大月あたりでしょうか?)JRに乗り換え急いで羽田に向かったのですが・・・。福岡行きの最終便のチェックインにはぎりぎり間に合いませんでした。orz
福岡空港は市街の住宅地にあるせいか発着できる時刻の制限があり、福岡行きの最終便は早いんですよね。翌日仕事のある私は一瞬青ざめましたが、福岡空港が市街地に近いということはいいこともある。翌日朝一便で帰ればなんとか仕事には間に合います。急きょ参戦を決めた甲府行きだったため普通運賃の航空券を買っていたのがよかったのか、ぎりぎりで最終便を逃したという状況に同情してくれたのか、JALのカウンターでそのまま翌日朝一便の予約に変更をしてくれ、無事翌日の早朝には帰れることになりました。
高谷さんがときどき使うという安いホテルを教えてもらい、早朝の空港行きの電車の時間を確認してから、夫に状況を報告し、ホテルに向かいます。
宴会のとき全国のスタジアムへ飛び回っている強者アウェイサポが言った「コンササポは飛行機に乗り遅れて一人前」という言葉を思い出し、こんなに早く「一人前」になってしまった自分に苦笑したのでした。
翌朝、午前5時台という私にとってはまさに非日常の時刻なのに駅にも電車にも大勢の人がごく普通にいるのに驚きながら羽田に向かい、無事福岡に戻って仕事にも間に合うことができました。やれやれ。


これで私の第1期「大冒険」はひとまず終わりです。
第3節はコンサがお休みで次の第4節新潟戦@室蘭(3/31)は転勤前の平日だから到底無理、第5節仙台戦@仙台(4/2)は引越当日で無理。第6節浦和戦は延期になり、第7節大分戦@大分(4/15)は九州から東京へ引っ越したばかりなのでさすがに自粛して、私の参戦は第9節水戸戦@ひたちなか(4/30)からになりました。そして以後は・・。まあご承知のとおりですわ(笑)。

今年は2000年と同じく開幕が鳥栖スタジアムで、チーム数が奇数でお休み節があるというのも同じ。なんかゲンがいい感じがしますよね。
チームをとりまく状況も私がコンサに求めるものも当時とはかなり変わっていますけれど、できればあのときのような幸先のよいスタートを切って楽しいシーズンになって欲しいなと思います。幸先のよいスタートが切れないと楽しいシーズンではなくなるかと言われればそうではないですけどね。(←保険かけてる?)

最後まで読んでくださった方、長い話におつきあいくださいましてありがとうございました。お疲れさまでした。



post by あきっく

14:24

コンサ思い出話 コメント(2)

1999年第36節 仙台戦@仙台

2006年02月13日

思い出話の続きです。
この一連の話は、コンサの試合の思い出というより私がどのようにしてコンサにのめり込んでいったかの話になっていますね。私的なことで済みません。


1999年の夏、帰省した機会に厚別でコンサの初生観戦をした私は、その後鳥栖での鳥栖戦大分の大分戦江戸川でのFC東京戦秋の厚別での川崎戦と全部で5回コンサの試合を見たわけですが、それはいずれも家族や同僚と一緒か、あるいは思い立って一人で出かけたものでした。
コンサを通じて知り合った人というのはそのときはまだいなかったのです。
ですがこのころ、コータファンサイトの掲示板を通じて、何人かメール交換をする知り合いができつつありました。自己紹介でもお話ししましたけれど、当時福岡に住んでいた私にとってほぼ唯一のコンサ情報源となっていたのがコータファンサイトの掲示板でありました。小心者(嘘だと思います?)の私は当時掲示板に自分で書き込みをすることができず、見ているだけでしたけれど、それでも掲示板上で行われている交流に「参加したい」気持ちが日に日に募り、あるとき思い切ってある人の書き込みに反応してメールを送ってみました。あのころは今と違って掲示板に書き込みをする際には自分のメールアドレスを載せるのが普通でしたから、掲示板上の書き込みを見て、メールを送ることも手軽にできたのですよね。
内容は札幌の街についての情報提供のような他愛のない話だったと思います。ふだんから書き込みを見て「感じのいい人だな」と思っていた人にコンタクトを取るきっかけが欲しかっただけで、ちょうど彼女が掲示板上に書いた質問に便乗したようなものでしたので(笑)。
でも、その私なりの小さな勇気がきっかけとなって時々メールのやりとりをするようになり、今度ぜひスタジアムで会いましょうということになりました。
彼女の仲介で、他にもその掲示板を通じて知り合いになった人合計6人が集まることになりました。その年の最終節、札幌から、関西から、関東から、そして私は福岡から、それぞれ仙台へ集まって、仙台スタジアムで女性6人が初対面となりました。
たいていの方が経験あると思いますが、コンサとコータという共通の関心事をもって集まった者同士ですので、こういう場面では初対面でもすっかりうち解けて話が盛り上がりますよね。私たちもたいへん楽しい時間を過ごすことができました。また、仙台スタジアムでは、他にも掲示板上で名前(ハンドル)を見ていた人と「この人が○○さんですよ」と紹介されたりして知り合いになることもできました。


試合内容は・・・。
それがよく覚えてないのです(爆)。
印象に残っていることといえば、しょっぱい内容で負けたってことと、仙台スタジアムが綺麗だったこと。
そして正面に位置していた仙台サポの「フォ~、ル~、ツァ!、フォルツァ仙台!」の手の振りです!
当時の仙台サポは今とは違ってゴール裏に陣取っていましたから、そしてアウェイサポ席も今のように半分に押し込められることなくふつうにアウェイ側ゴール裏中心部に固まることができましたから、私たちコンササポと仙台サポの中心部は真っ正面に向き合っていました。フォルツァ仙台のコールに合わせて、一斉に正面の黄色い人たちが両肘から先を胸の前でひらひら左右に振るさまは、一度見たら忘れられないほど度肝を抜くものでした。相手サポを脱力させる威力十分でした(笑)。脱力させるといえば、選手が「カーニートップ!」と言いながらボールを蹴る大型ビジョンに流れるCMも威力十分でしたけど。



ともあれ試合内容・結果はともかくとして、私にとってはその試合はコンササポとしてののめり込み度を1ステップ上げるものになりました。初対面だった私たち6人は、試合後それぞれの飛行機までの時間を惜しむように空港のレストランでおしゃべりを楽しみ、後日の再会とさらなる親交を約して別れたのです。
そういえばそのとき空港で、私たちがいたレストランの近くのテーブルに後からコータが知人と?一緒に入ってきて、私たちは気を取られておしゃべりどころじゃなくなったんだった。忘れてました。そういうこともあったんだなあ・・。(遠い目)

でもこれは今振り返るとほんのスタート地点に過ぎないものでした。
このあと本格的にコンササポの知り合いが増える機会がやってきます。
それはこの年の天皇杯(後の宴会)でのことでした。


ところで・・コンサ公式サイトの99年最終節の試合記録、会場が厚別になってるんですけど・・・。これ間違いですよね?ね?



post by あきっく

22:26

コンサ思い出話 コメント(2)

1999年第33節 川崎戦@厚別

2006年02月10日

私的コンサ思い出話の続きです。前回(江戸川でのFC東京戦)までの話はこちらから。

福岡から飛行機に乗って東京までコンサの試合を見に行った私は、その時点では気づかないまま「ある一線」を越えてしまったのかもしれません。
福岡に戻るやいなや、次に試合を見れるのは・・・とカレンダーを眺めつつ真剣に考えるようになってしまっていました。
当時はスカパー!の存在も知らず、福岡に在住の身では、動くコンサを見るには現地に行くしかありませんでしたので。
そして私が次に行ってしまったのは、1999年10月31日(日)に厚別で行われた川崎との試合でした。今あらためて日付を確認してみて、江戸川での試合のたった2週間後であることに驚いています。この時点でそこまですでに入れ込んでいたんだ、私。

この試合は、川崎が勝てばJ1昇格だったか優勝だったかが決まるかもしれない試合でした。そのころコンサのJ1昇格はかなり絶望的な状況にはなっていましたけど、目の前で川崎が優勝(?昇格?)を決めて喜ぶ姿を目の当たりにはすまい、と、コンサの意地がかかった試合でした。
そういう大事な試合をぜひ自分の目で見てみたいという思いと、個人的には「今季中にぜひ厚別のゴール裏に行ってみたい」という思いを実現すべく、夫を家に残してひとりで札幌に飛びました。ひとりでの初めての遠征です。札幌には私の実家がありますから、ひとりで遠征をする「入門編」としては手頃だったのでしょうね。

10月末の札幌といえば福岡とはかなりの気温差がある時期です。
家を出るときには大汗をかくほど着込んで、厚手のコートを抱えて向かった厚別でしたが、その日はとてもよいお天気で、厚別のホーム側B自由席は日差しがぽかぽかでした。コートを着なくても十分なくらい。
前回の厚別ではバックスタンドから眺めて壮観さに感動したゴール裏。その端っこの比較的人が少ないあたりにおそるおそる入ってみました。遠目でみるよりはけっこう席が空いていて、そこに席を確保することにしました。自分では立って声を出したり歌ったりすることはまだできませんでしたが、あのホームのゴール裏(の端っこ)に混じっているかと思うとなんだか嬉しかったです。

試合が始まってみると、意外にも?強いはずの川崎を相手に前半を1-0でリードしてハーフタイムを迎えます。ハーフタイムに夫から「どんな感じ?」と電話がかかってきて、「リードしてるよっ!」と弾んで報告したのをよく覚えています。
ところが後半はじりじりと押されて冷や冷やの展開に。ツゥットにゴールを決められて1-1に追いつかれてしまいます。
そして起きたのがあのアクシデント(?)。今思うとアクシデントではなくて、劣勢ゆえの必然だったのかもしれませんが。
アクシデントというのは、洋平がペナルティエリアの外で手を使ってボールをおさえ、一発レッドカードで退場になってしまったこと。初心者の私にはその是非は判断つきませんでしたが、洋平があそこで抑えなければ絶好機を作られてしまうところでしたから、退場は苦しいけどやむを得なかったとの見方が多かったようです。



当時の私は、正GKが退場になってしまって人数が少なくなった上に控えGKの出番になったとは理解しており、それなりに「ああ大変!」と思ってはいたのです。
でも改めて、あのとき急遽出場することになった藤ヶ谷くんが当時高校出たてのルーキーだったことを考えると・・・・。今思うとその”非常事態ぶり”は想像を絶しますね。今だったら顔色変わるだろうなあ・・・。
でもあのときの藤ヶ谷くんは、高卒ルーキーのJリーグデビュー戦とは思えないほど落ち着いてしっかりと守っていましたよね。ピンチのシーンもありましたけど、後半終了まで好セーブも見せながら無失点でのりきりました。今ならそこでめでたく引き分け・・なのですが、あのころはVゴール方式だったから・・・。結局116分に川崎の森川にVゴールを決められてしまうのですが、負けて悔しいという気持ちよりも、藤ヶ谷くんには「ここまでよくやった!」と言いたい気分の終わり方でありました。

こうして私の「初めてのひとり遠征」は終了しました。
その次の観戦機会はその年のリーグ最終戦。仙台スタジアムでの仙台戦になります。ここで私は初めて「コンサつながりの友人」と会うことになり、大人への階段をひとつ上るのでした。その話を次回に。



post by あきっく

00:12

コンサ思い出話 コメント(2)

1999年第31節 FC東京戦@江戸川

2006年02月03日

思い出したように不定期に思い出話シリーズの続きです。
一応目標としては、開幕までに2000年の開幕戦@鳥栖まで進めたいと思っているのですがどうなりますやら。


当時福岡に住んでいた私は、初生観戦の大分戦@厚別に続いて鳥栖スタジアムでの鳥栖戦大分市陸での大分戦に行ってしまうと、後はそのシーズンはもう九州で生コンサを見れない状態になってしまいました。
来シーズンまで待つなんて気が遠くなりそうで、こうなったらもう飛行機に乗ってでもコンサを見に出かけるしかありません。
でも当時はまだコンサを見るためだけに休日に夫を置いて泊まりがけで出かけるのは後ろめたい気がしましたので(そういう時期が私にもありました・・・)、ひとりではなく夫と一緒に旅行がてら出かけようと思いました。そして夫を誘い出しやすい日程として目をつけたのが、1999年10月17日(日)江戸川区陸上競技場で行われたFC東京戦でした。
久しぶりに東京に遊びに行くのも悪くないし、なんと言ってもこの日の夜には国立競技場でシドニーオリンピック出場をかけた最終予選の試合が予定されています。ハシゴすれば一粒で二度美味しいです。案の定、五輪代表の試合も観られるとあって、夫も乗り気になりました。
オリンピックの一次予選のころは代表で大活躍だったコータは、このころ、最終予選には呼ばれたり呼ばれなかったり、呼ばれても使ってもらなかったりとパッとしない状態でした。でもコンサの試合と五輪代表をハシゴすれば、どっちかではコータの姿を見れるでしょう。きちんと保険もかかってます(笑)。
悪い予感は当たって(?)代表合宿を一日残して早く帰されたコータは、江戸川でのFC東京戦に出場できることになりました。使われないまま代表合宿に無駄に留め置かれるよりは、サポにはありがたい配慮ではありました。ほんとは国立での試合の方で見たかった気はしたけれど。



少し遅めに江戸川競技場に着いた私は、そこで初めて大量のいわゆる「アウェイサポーター」の姿を目にすることになります。厚別での試合は別として、大分や鳥栖では見ることのできなかった、3ブロックほどのスタンドいっぱいにみっちり詰まったコンササポ。その端っこあたりにどうにか席を見つけて座ったものの、立ちっぱなしでコールをしているサポの数も段違いです。すごいもんだなあと感心しました。

で、試合はコータが代表漏れのうっぷん晴らしとばかりに後半20分あたりにゴールを決め、それが決勝点となって1-0でコンサが勝利します。
コータはゴール後のパフォーマンスに満面の笑みでスタンドのサポをマシンガンで撃ちまくり、撃たれたサポは狂喜乱舞。楽しい楽しいワンシーンでした。これがコータのコンサでの最後のゴールになるとは知りませんでしたし。

目下のライバルに勝って念願のコータのゴールも見られて、とてもよい気分のまま、国立競技場へ向かいました。周囲には同様の目的の赤黒い人たちがいっぱいでした。
その夜は私たちにとっては初めての国立でしたが、最終予選の本番の雰囲気は期待通り心躍るものでした。しっかり勝利も決めてくれて、「来た甲斐があった」と思える遠征でしたね。

でも翌日福岡へ戻るその帰路では・・。私は早くも「次はいつ見られるんだろう・・・」とちょっと悲しい気分になっていました。そのころにはすっかりコンサの種が心身に蒔かれていたということなのでしょう。

このときのFC東京戦の結果詳細はこちら



post by あきっく

01:40

コンサ思い出話 コメント(3)

1999年第21節 大分戦@厚別

2005年12月30日

年の瀬ですが、空気を読まず昔の思い出話のエントリです。
私のコンサ観戦3戦目2戦目に続き、今回は初観戦の思い出を。


プロフィールにもちょっと書きましたが、私のコンサ初生観戦は1999年8月15日。厚別での大分戦でした。
こういう経緯でコータのファンサイトでコンサ情報に触れるようになった私は、掲示板に集う人たちが当たり前のようにスタジアムで試合を観戦している様子を見聞きして、サッカーをスタジアムで見ることは「特別な」ことではないんだと知りました。
いずれにしてもそのころはテレビで試合を見れなくなっていましたから、この際スタジアムに行ってみようと思いました。
観戦のターゲットを帰省時の厚別に定め、それでもなんとなく一人で行く勇気はなくて、「今度帰ったときに厚別にコンサドーレの試合を見に行きたいと思っているんだけど、一緒に行かない?」と実家の母を誘いました。
しかも「丸井さんでチケット買えるみたいだから、買っておいてくれる?」と頼むおまけつきで(爆)。
コータ掲示板での情報によると、「ゴール裏」と呼ばれるB自由席はサポーターが立ってコールをしながら応援する席だそうで、初心者が見るにはメインスタンドかバックスタンドがいいそうです。バックスタンドだと、テレビで見ているのと向きは逆になるけど見やすさはほとんど変わらず、メインよりチケットは安く、しかも雨が降らなければ試合開始前にビッグフラッグの下敷き!になる楽しみもあるそうです。
ということで、私と母は、厚別のバックスタンド、S指定席を観戦デビューの席に決めました。レプリカなどの観戦グッズは何も持っていなかったけれど、手持ちの赤か黒っぽい服を着ていけば十分楽しめるということだったので安心でした。でもせっかくだから厚別の売店でメガホンなどの観戦グッズと「コンサの赤いカッパ」は買おうと決めていました。試合開始の1時間前くらいに着くように行くと、買い物をしたりコンサドールズのパフォーマンスを楽しんだり、お弁当を食べながら選手の練習のようすなども楽しめてオススメとのことでした。これ、知らなければ、映画館に行くときのように、試合開始に間に合う程度のギリギリに行くところでした。そういう性格なので(笑)。



当日は晴れたいいお天気でした。試合開始1時間前くらいにスタジアムに着くと、周囲は笑顔の人たちで賑わっており、ワクワク感が高まります。
着席して周囲をキョロキョロしながら眺めていると、しばらくしてゴール裏サポーターのコールが始まり、ゴール裏に何本となくビッグフラッグが立ち並び、豪快に振られ、はためきます。その迫力は私の想像をはるかに超えるものでした。待ちに待った選手入場のときには、ゴール裏に赤と黒のハートが人文字で浮かび上がり、それに見とれる間もなくスルスルと前の方からビッグフラッグが上がってきてあっという間に私たちの上にも覆い被さり、視界は旗の白地の布越しに差す太陽の光だけになり、すごい「非日常」の「お祭り気分」に包まれます。
でも、試合内容はほとんど覚えていないんですよね。
前半1-0でリードして折り返したものの、後半に相次いで失点し、1-2のまま試合終盤を迎えます。せっかくの初観戦だけど、負けるのかな・・と思ってしょんぼりしながら見ていたら、後半ロスタイムにせっきーのゴールで追いつきました! いえ、それまで選手もほとんど分からず(コータくらいしか)せっきーも当然知らなかったのですが、そのときに覚えました!
ロスタイムに追いついてノリノリで延長戦に入ったら、もう負ける気しないや!と根拠なく興奮していたら、そのとおりVゴールを決めてコンサの勝ち!
今思えば選手の特徴も試合の勘所も何も分からないままの観戦でしたが、非常に楽しい気分で帰り道についたのでした。
私の初観戦の印象は、ゴール裏のサポーターが織りなすスタジアムの迫力と、応援しているチームが勝つことの喜びでした。

その後わたしはさらにコンサの世界にはまっていったのですが・・。このとき私につきあってコンサ観戦デビューした母は、この年はその後スタジアムに行くことはなかったものの、2000年になるとコンサ観戦のためにしょっちゅう帰省するようになった娘に触発され、父を誘って2人で観戦に出かけるようになりました。2001年になると両親そろってシーズンチケットを買い、毎試合観戦するようになり、室蘭や函館にも行くようになりました。サッカーにもスポーツにも全く興味のなかった父は、今ではサポートシップスポンサーをやっています。

娘の影響力って凄いですよね(違)。



post by あきっく

18:24

コンサ思い出話 コメント(0)

1999年第24節 鳥栖戦@鳥栖スタジアム

2005年11月14日

思い出シリーズ第2弾です。
厚別での初観戦で、私は生で観るサッカーの面白さとコンサドーレにすっかり魅入られました。
生で観たサッカーは、テレビで観るより何百倍も面白く感じました。
ゴール裏を中心とする観衆全体がかもしだす応援の雰囲気と一体感は他では知らなかったものでしたし、目の前で繰り広げられるプレーの迫力とスピードは想像を超えるものでした。
初めての経験ながらあんなふうに「おもしろい!」と感じたのは、アイスホッケーの試合を見たときとウエストエンドのミュージカル以来だったでしょうか。
 といいつつ、コンサとは違って、その後アイスホッケーの試合を観に行ったのはせいぜい1度くらいのものでしたし、ウエストエンドはそもそも行く機会がない(爆)
福岡に帰った私はさっそくその後の試合日程をチェックし、9月5日18:00キックオフの鳥栖スタジアムでの鳥栖戦を観に行こうと夫に言いました。
鳥栖は福岡からJRの特急で20分程度、快速で30分程度の距離です。
博多駅を出るどの特急も鳥栖駅に止まるようで、休日のお出かけ先としては手頃ですよね。
調べてみるまで鳥栖がどこにあるかもよく知らなかったんですけどね。
コータファンサイトでの書き込み情報によると、ちょうどその日は鳥栖スタジアムで花火イベントがあるようです。
なんでも、サガン鳥栖ではサポーターが試合告知や寄付など熱心にクラブを支えていて、試合ごとにスタジアム近辺に貼り出される試合告知ポスターは、名物サポのおばあさんの手作りなんだそうです。
相手チームごとに趣向を凝らした文案とデザインでポスターを手書きして、サポが手分けして貼るのだそうです。
シーズンに1度のスタジアムでの花火大会も、熱心なサポの中に花火問屋だったか花火製造業者だったかの人がいて、その人の自腹で花火が提供されるのだとか。
そういうことをファンサイト掲示板の情報交換などで知り、なおさら楽しみになりました。



鳥栖にコンサの試合を観に行くんだと職場で話したら、総勢6~7名で行くことになりました。
当日、博多駅のホームで待ち合わせをしたのですが、ちょうど列車に乗り込む時間帯にものすっっっっごい雨!
うちのボロ社宅の水圧の弱いシャワーなんてメじゃありません。
「バケツをひっくり返したような」という表現がありますが、まさにその状態です。
もともと福岡の雨は東京と比べて大粒というか激しいような気がしていたんですよね。
梅雨の季節でも、東京だと「しとしと」という雨が長く続くイメージでしたが、福岡での最初の年は「こんなざあざあ降りの雨が毎日降る梅雨なのか」と驚きましたもの。
その日の雨は、その中でも特大の土砂降りでした。列車の出発も少し遅れたんじゃなかったかと思います。
これでも試合はあるんだろうか・・と半信半疑の状態で列車に乗りましたが、鳥栖に着くころにはふつうの雨になっていました。
一緒に行ったメンバーはひとりの福岡サポを除き、サッカーは初めて見るという人たち。
地元(みたいなもの)の鳥栖を応援したい人がいたのかもしれないけど、半強制的にwアウェイゴール裏で観戦することのOKはとりつけてありました。
座席のない階段状のコンクリート打ちっ放しのアウェイゴール裏エリアのはじっこ、バックスタンド寄り、屋根があって雨があたらないあたりに座ることに決めます。
私たちの左手、ゴール裏中央部ににはけっこうな数のサポーターが集まって立って応援していました。
50人以上はいたでしょうか。
ホームの試合とはまた違う、アウェイでの少人数での応援も、懸命さが感じられて興味深いものでした。
試合は雨の中、淡々と進みます。
先ほどまでの激しい雨のせいか、ピッチの上にはところどころ水たまり状になっている部分もあり、選手は苦労しているようでした。
前半途中には雨が止んで、見ている方には楽になってきたのですが。
前半は0-0のまま折り返し、後半気がつくと、ピッチ上の水たまりはすっかりなくなっていました。
後で聞いた噂によると、石水社長はこの鳥栖スタジアムの水はけのよさに感心して、白恋サッカー場を作るときの参考にしたらしいですね。
試合は起伏の少ない展開だった記憶ですが、後半、私たちの目の前でせっきーが体ごとゴールに飛び込むようなヘディングゴールを決めてくれて、1-0で勝ちました。
試合結果はこちら
確かせっきーは、この試合の直前に結婚したかお子さんが生まれたかのおめでたがあったのではなかっ
たですかね。
「ゴールを決めて二重の喜びだねえ」と思った気がします。

楽しみにしていた花火大会は、雨のため中止になり、次のホームゲームに順延するというアナウンスが流れました。
花火が見れなくて残念だったねー、あんまり面白い試合じゃなかったけど、勝ったからいいよね、といいつつ、結局はいつもの飲み仲間との宴会になって、福岡の夜は更けていったのでした。

この日のことを思い返しているうちにぼんやりと思い出したのですが、この順延された花火を目当てに私は、鳥栖の次のホームゲームに夫と行った気がします。
まだそんなにサッカーにはまってないころですから、自分でも半信半疑なのですが。
でもスタジアムに車を停め放題の駐車場があることを知って車で行った記憶なので、やっぱり福岡に住んでいた1999年のことだと思います。
多分、相手は川崎フロンターレだったと思います。
記憶が間違いないか、鳥栖の公式サイトやJリーグの公式サイトで1999年試合日程を確認したいと思ったのですが、当時の日程はどちらにも載っておらず分かりませんでした。
どなたかご存じの方がいたら教えてください(笑)。



post by あきっく

23:50

コンサ思い出話 コメント(5)

1999年第29節 大分戦@大分市陸

2005年11月06日

水戸戦の当日ですけれど、今日は観戦に行けないので家でゆっくり過ごしています。
このブログのプロフィール欄を書くときに初観戦の大分戦の日付を記憶だけで書いていたので
ふと心配になって念のためオフィシャルの「過去の試合」データを確認してみました。
すると大分の出場選手にウィルの名前があって(あたりまえ)とても懐かしくなり、昔の思い出話などしてみようという気になりました。
しばらく生観戦ができないので、思い出話シリーズが続きそうです。
 

せっきーの後半ロスタイム同点ゴールが思い出深い初観戦大分戦@厚別の話はまた後にして、私にとってそれよりも忘れがたいのは10月2日(土)第29節大分市陸での大分戦です。
私にとっては大分戦@厚別、鳥栖戦@鳥栖に続き、3回目のコンサ試合観戦でした。
あのころは今と違って休日に夫をおいて一人で出かけることも少なかったので、夫と2人で福岡・天神バスセンターから大分行きの高速バスに乗って行きました。
大分はけっこう遠くて、高速バスに乗っている時間だけでも片道2時間以上はかかったんじゃなかったでしょうか。
夜の試合だったので帰りのバスに乗れるかちと不安でしたが、土曜日でしたから「いざとなればどこかに泊まってもよいし」と思っていました。
当日はあいにくの雨。
前の鳥栖戦も雨でしたが、大分市陸は鳥栖スタジアムと違って雨をさえぎる屋根がありません。
(メインスタンドの中心部分にはありますが、コンササポがいるあたりにはありません。)
厚別で買ってきた赤いコンサカッパがさっそくに役立ちます。
このカッパを準備するというのもコータのファンサイトで仕入れておいた知識です。



まだコンサのコールをするとかサポに顔見知りがいるとかではなかったときですから、コンサのグッズを身につけてコンササポ集団(というほどいなかった。このときは。)の近くに座ります。
私の記憶では、このときはコンササポはメインスタンドのアウェイ側に陣取っていたと思うんですよね。
ユースの試合じゃあるまいし声出しサポがメインで?と、
思い出してみてちょっと信じがたい思いもしたのですけど、
記憶の中のピッチを見ていた角度もメイン側からのものですし、何より、芝生じゃなくてスタンド席に座ってましたから(当時の大分市陸のバックスタンドは芝生席)メインスタンドで間違いないと思います。
雨のせいか、遠いアウェイでの試合のせいか、コンササポは少なかったです。
この日は今思えば菊ちゃん夫妻(当時は名前も知らなかったし、まだ夫妻でもなかったけど)が最前列の柵のところに身を乗り出して、コールのリードをしてくれていました。
タイコもなく、なぜか小さいボンゴ?をポコポコ叩きながらのリードでした。
でもそれでも不自由しないくらいの少人数。立って応援していたのは7~8人といったところだったでしょうか。
私たちは座ったまま、コールに合わせて拍手をする程度。でもそれでも「参加してる感」はたっぷりでした。

試合は0-2で負けたんですけど、ほんとしょぼいったらない!というような内容で完敗でした。
このとき私はウィルにやられっぱなしだったという印象が強く残っていて、ゴールは2つともウィルに決められたと今まで思いこんでいたのですが、改めて記録を見てみるとゴールしたのはウィルじゃなくて、
塩川と神野なんですね。
ウィルはアシストですらないんですね。
でも私の記憶では、ひたすらウィルがこわくて、とっても嫌らしくて(相手選手として)俺王様劇場だったように思っています。当時は俺王様という呼称は知りませんでしたけど。
「あ、厚別で見たあの坊主頭の人だ」と外見の印象も強かったせいかもしれないですけど。
期待のコータもあんまりいいとこなしで、がっかりでした。
夫を引っぱり出して遠くまで来て、雨に濡れながら観戦して、あーあ・・・と悲しくなりながら出口へ向かう人混みの列に混じって待っていたら、そこへ響き渡る小学生くらいの男の子の声。
大分が勝ったのがよっぽど嬉しかったのか
「コーター!コーター! ミスキック!!(どんどん) ミスキック!!(どんどん)」 (←もちろんコータ、コータ、ゲットゴール!の節で)
というのを延々と延々と飽きずに繰り返してます。
そりゃあ、コータはいいとこなしでしたけど…!
ミスキック!言われても言い返せませんけど…!
子供相手に怒っても仕方ないけど、心の痛手に塩を塗り込むようなことをしなくてもいいじゃないか!(涙)
 

このときほど「クソガキ」という言葉が私の頭の中に充満したのは後にも先にもありませんですね。

というわけで、忘れられない印象というのは悔しい思いのときの方が強いのでしょうか?
思い出シリーズ第1弾は負け試合から始まってしまいました。



post by あきっく

10:01

コンサ思い出話 コメント(3)